>>712 もともとの僕は極めてロジカルシンキングだったからしょうがない。
何故、論理を尊んでいたかといえば
実存に対する恐怖心が強かったからだ。
実存に対する恐怖心とは(ムンクの叫び)であったり
ハイデガーの言うところの(第3の退屈)から導かれる耐え難い恐怖心のことを指す。
所謂論壇親父と呼ばれる生態の生き物は、こういう実存に対する恐怖感情が特化されているが故に
論理的に何か悟った風なことを主張したがり、その主張に賛同できない人間を必死になって罵倒したりする。
宗教を信じていて、その宗教の教義を頑なに保守し、宗教の教義にそぐわない人間に対し
過剰に攻撃的になる種の人間も存在するが、そういう振る舞いの根幹にも
実在に対する恐怖心が潜んでいるのだと思われる。
>>712 一方では、仏教には愛別離苦という言葉が存在していて
これは愛する人との別れというものに対し
人は非常に辛い気持ちに晒される傾向があることを指し示している。
僕の理解においては、この愛別離苦をいつも身近に感じていることこそが
人の気持ちを大切にしていく振る舞いに繋がっていて
一般に女性は、愛別離苦の感受性が強いからこそ
嫌いな相手に対しても人間関係を築いたり、いつも誰かの側に居ないと
精神的な安定が保てないのであるという認識がある。
>>712 大きな物語に繋がっていく「実存に対する恐怖心」と
人との絆を素朴に強めていくことに繋がっている「愛別離苦」と
これら二つの強い情動を高いレベルで個々人が均衡状態を保つことが
大切ではないかと最近の僕は考えている。
そして、それを個々人が可能にしていく為には
【自明性の解体】と【人情とその決裂】を物語作品の中で
再現することによって、読者に「実存に対する恐怖」と「愛別離苦」の情動を生じさせ続ける
必要性があると判断している。
ただ、僕個人という人間を考えたときに
どうしても「実存に対する恐怖」感情の方が強いので
そのバランス感覚を取りたいという気持ちもあって
「愛別離苦」感情が強過ぎて、社会性を無視しがちな人達に
惹かれていたのかも知れない。
僕はもともと面白いことを表現するのが非常に得意だけれども
そういう物語を提供していると、結構な割合の人達が現実から逃避したまま
物語に依存する人生を送っていることに気付いたので
そういう駄目な人種を生産する物語を紡ぐことを回避したいと強く思っている。
しかし、その為にはまず、僕という個人が素朴に立派になっていかねばならない。
でももう26だょギャアアアアアアア!!!!! みたいな。
>この愛別離苦をいつも身近に感じていることこそ
簡単そうで意外と出来ないんだよねー
忘れるっていうかさ、
やっぱりそうなら信仰心を持たないと無理っぽいょ
理屈や論理で説明してもいつも心に止めておくだけの力にはなり得ないと思う
それは例え身近に愛する人がいたとしても、ついつい忘れてしまうもの
失って始めて、存在の大切さに気付いたり。。でもまたしばらくすると忘れてるみたいな
それが今の時代に生きる民
愛とか優しさとか常に意識するには、教義を信仰するように心に裏付けが必要だと思う
単純なようで出来ないんだよ。
この世界に戦争や争いがなくなるなんて思うかい?
絶対になくならないわけだけど、最も有効な方法は宗教しかないよ
完璧じゃないけど。他の方法では力不足すぎる。
解決策なんてないんだょ
自分の夢を追い掛けて必死に生きてればいいのさ、
しゅらは今、必死に自分が面白いと思う小説を書いていればいいし
それしか出来ないんだよ
他人や社会を変えるなんて事は出来ない
自分の足下がしっかりしていないでは何も成す事は出来ない
リーダーシップを取りたいっていうのは黒豹の特長だから、俺が俺がって自己主張したがるのは分かるけど
他人にもプライドや自意識がある事を忘れる傾向にあるから注意なんだぞ
人の情感の形成を解体していく行為は
【自明性の解体】に他ならない。
僕という人格のシャドウであろう人情描写を物語の柱としつつも
情感の解体を並列処理させることによって、ある程度は
現在の僕でも僕の思惑を物語化できるのではないかとも考えてはいる。
>僕はもともと面白いことを表現するのが非常に得意だけれども
>そういう物語を提供していると、結構な割合の人達が現実から逃避したまま
>物語に依存する人生を送っていることに気付いたので
>そういう駄目な人種を生産する物語を紡ぐことを回避したいと強く思っている。
うーんわかるけど、w
アニオタは現実にカエレ!ってことでしょ
庵野がエヴァで言いたかった事のひとつでもあるよね
現実逃避してないでやれと、逃げちゃ ダメだっ!ってさ
>僕個人という人間を考えたときに
>どうしても「実存に対する恐怖」感情の方が強いので
単に臆病ってことでしょ
傷付きやすいからね、黒豹は(ナイーブ
メンツやプライドにこだわるから、それを犯される事を酷く怖がる。
何もしゅらだけの特長じゃないんだよ
あと弱味を見せたくなくて、正義感が強い(白黒はっきり)
自分の話題をしたがる。スマートにすべての中心でいたい。
んで、ちょっと攻撃的なところがある。
ぜんぶ占い通りですた。w
>>718 そういう文章こそがバランス感覚を欠いた人格の発露であるという
認識なんだよ僕的に。
つまり、君は大きな物語を求める側に精神が傾きすぎているという印象。
一般に男性は総じて宗教や科学と言った大きな物語を求めるし
女性は総じて人との繋がりを求める。女性が宗教をするのは人との強い繋がりを求めてで
ある場合が多い。
人類総体のメタファで僕がある為には
こういった男性性と女性性を同じくらい持ち合わせていく必要性がある。
そして、それは徐々に達成されつつある。
>>720 君と僕とじゃ、知識量及び思考の深度が違いすぎるので
君としては僕に及ばない見解を提供したいという心持ちもあるのかも知れないが
殆ど全て言わずもがなの折込済みのことだったりする。
>>721 実存に対する恐怖も愛別離苦の感情も
劣等感に凝り固まっている精神状況の人間には余り訪れない。
劣等感に凝り固まらせている概念の自明性を解体していくことによって
実存に対する恐怖感は再現可能となると僕は考えている。
というか眠い。
あみと連絡が取れないと非常に辛くなってせつなくなるのだが
そういう感性を自分自身に待ち望んでいたという感覚もあるので
複雑だったりもする。
女性の側の感性としては、なにを置いても愛別離苦が辛いので
別れると告げられた男が平静を装う様な面があったら
「この人私のこと愛してないっ! やりたいだけだっ!」
とか決め付けてしまうので、いつまでたっても大きな物語に依存したがる
男の気持ちを理解できない。
逆もまた真なり。だけどね。
はぅ…
彼女欲しひ。。
バイト探しておくかな…
体鍛えられる感じのやつで
つーか、今からじゃ間に合わねぇ!
日払いのバイトじゃないと駄目ぽ。
面接時にキョドる可能性77パーセント
>君と僕とじゃ、知識量及び思考の深度が違いすぎるので
ワラタ
じぶんにレスつけちゃったょ☆
733 :
DMT ◆DMT/57ptjw :04/05/30 15:36 ID:UGtdN5Sf
おはようございます
734 :
DMT ◆DMT/57ptjw :04/05/30 16:25 ID:UGtdN5Sf
>>711 たびたび疑問が残ったので質問させていただきたいのですが、
>僕の主観においてそういう自意識を持っていることが大切であるということ
という部分の、大切である、というのはあなた一人にとって大切であるという意味でFAでしょうか?
>産業革命を経て以降の国家モデル総体を指し示す文脈で近代国家という用語を使用した
あなたの指す産業革命以後の近代国家というモデルは現代の日本、アメリカ、ヨーロッパ諸国に対してどの程度当て嵌まるものですか?
また、共同体がどんなに無規範であっても成立可能であるという前提において、
人の気持ちの重要性や構造への理解が、宗教やイデオロギーにも社会制度にも
依存しない秩序的共同体を構築するうえでどのような必要性を持つかということについて
多様な第3者にどのように説明されますか?
また、無規範な共同体であるならばその内部の成員が自身の所属する共同体について認識可能ですが、
恣意的にレッテルを貼られ成立された共同体においては、外部の一方的なこじ付けがあるのみで
ここで本来使われている共同体とは一見掛け離れているように思われますが、
そのようなレッテルを貼られ成立された共同体にこの議論においてどのような意味があるとお考えになられますか?
また、あらゆる類の言語、科学的アプローチに対して適応可能な全ての分類行為や
その分類された概念間の関係性を提示することが、その操作を行う主体の恣意性に
委ねられているに過ぎないというのは個人の脳内に限る話ですが、それらの操作と
人の心を大事にする秩序的共同体の成立のための仮定になんらかの関連性があるのでしょうか?
また、人の気持ちから乖離したところに何か真理を表す概念が存在しているというのは
幻想に過ぎないという考えには概ね同意なのですが、語りえぬものについては
沈黙しなければならないような人知を離れた真理の幻想と上記で交わされた議論における一連の共同体の話にどのような関連性が認められるのでしょうか?
735 :
DMT ◆DMT/57ptjw :04/05/30 16:28 ID:UGtdN5Sf
訂正
×秩序的共同体の成立のための仮定
○秩序的共同体の成立のための過程
>>734 >あなた一人にとって大切であるという意味でFAでしょうか?
ファイナルアンサーです。
>あなたの指す産業革命以後の近代国家というモデルは現代の日本、
>アメリカ、ヨーロッパ諸国に対してどの程度当て嵌まるものですか?
当て嵌まるというか包括している。
補足すると、絶対王政も民主主義も共産主義も資本主義も僕にとっては
ある文化・生活水準が達成された社会の秩序を維持する上でテストされた
或いは現段階においてもテストされ続けている国家モデルに過ぎず
依然として向上し続けている生産の効率化に伴う個々人の生活様式の変容からくる精神構造の変容が
これら既存の国家モデルでは対応しきれなくなっているのが現在であるという認識を僕は持っている。
>多様な第3者にどのように説明されますか?
説明を何のためにするかと言えば、相手を納得させる為だ。
説明することよりも納得の素地を共有できるような情報を提供していくのがよいと考えている。
現状所属している共同体の勝ち組足る人間達が、その共同体を成り立たせている概念を嫌っていくような
情報を提供していけばよいと考えている。
>そのようなレッテルを貼られ成立された共同体にこの議論において
>どのような意味があるとお考えになられますか?
あんまり関係ない。こじつけようと思えばできるけど。
>個人の脳内に限る話ですが、それらの操作と
>人の心を大事にする秩序的共同体の成立のための仮定になんらかの関連性があるのでしょうか?
個人の脳内以上のことはわからないよ。
現在施行されている法律の素地には法哲学があり
経済制度に対しては経済学上の認識がある様に、近代国家を維持する上での殆ど全ての制度は
恣意的な概念区分とそれら概念の恣意的構築により維持されている。
近代国家形成の初期においては、これら概念操作には普遍的真理性が宿るとされていたが
現在までの様々な学際的進展・ムーブメント・論争を経た結果として、あらゆる概念操作は
それを行う主体の影響下にあるという認識が識者達には共有されている。
現在の学術論文の評価は、その論文単体の内容によってではなく
その論文がその他の論文を書く際にどの程度参照されたかで決定されるようになったのは
人が発する認識の全てはその主体の恣意性に依存するということが理解されたからに他ならない。
結局は、今までの近代国家というのは、概念操作に長けた人達の主導の
大多数人々の意向の反映が極めて薄い状態で構築されていたに過ぎない。
啓蒙なんたらは全て知の欺瞞であった、と。
>語りえぬものについては沈黙しなければならないような人知を離れた真理の幻想と
>上記で交わされた議論における一連の共同体の話にどのような関連性が認められるのでしょうか?
現状における近代国家で施行されている諸制度の成り立ちが知の権威性・絶対性という感度から
大衆を啓蒙という名目の元行われ、それが間違いであったとわかりつつも
その欺瞞の構造をよりよく把握している人間達が社会の中枢を担うようになってしまったことで
アノミーが広がっている。
まだ確証は持てていないけれども、人の気持ちを大切にする人ほど、その容姿が他者にとって美しいと感じられる
のではないかと僕は睨んでおり、言わば美の威光で共同体、というより近代国家をとりまとめる様な
方向性に舵を切っていきたいという人類総体のメタファーである僕の意向が存在している。
結局、知の絶対性や権威性というのはその認識から得られる
利便性に基づき、利便性の向上がそのまま人々の幸福感の向上に貢献していたという面と
産業革命以前の国家は宗教という絶対・権威性から取りまとめられていたという面と
この両面があったが故に成立したと考えている。
現在という時代を考えたときに
容姿の良い人々が増えることが多くの人々の幸福感に繋がっており
かつ学歴社会という言葉に象徴されるような知の絶対・権威性が機能しているが故に
容姿の良い人間を増加させていける様な言説が構築できれば、ドラスティックな変化が起こるのではないかと
そういうことも考えている。
ある程度以上歳を重ねている人は皆実感していることだと思うけれど
容姿の良さが万能のカードとしてあらゆる領分で通用する傾向が
年々強まってきている。
そして僕が様々な人々を観察した結果として
恐らく容姿が良い人というのは、人の気持ちを尊重して生きている感度が強いという
結論に至った。いや、微妙。かなり微妙。誰か社会学の人たちとかが分析してくれ、みたいな。
>人の気持ちを大切にする人ほど、その容姿が他者にとって美しいと感じられる
>のではないかと僕は睨んでおり、言わば美の威光で共同体、というより近代国家をとりまとめる様な
>方向性に舵を切っていきたいという人類総体のメタファーである僕の意向が存在している。
それはたぶん錯覚だよ、願望だね
実際美に興味のある人間がいても自分自身がそうなる為に努力してる人間なんてほとんどいないわけで
オタに限らず学者や社会的地位のある頭脳に特化した人間は容姿に気を使う時間などなく
それをしろと言いたいのは分かるが、本人らはまったくそのつもりもない
美の方向性に舵を切っていきたいって言ってもそんな方法はない
いくら論調を高めた所で個人の領域でしかない
あきらめろ
>恐らく容姿が良い人というのは、人の気持ちを尊重して生きている感度が強いという結論
恐ろしく楽観主義者だなw
違うよ
心と身体は別。振舞いやしぐさについても特に女性については打算が多分に含まれる。
自分を良く見せたい、好かれたい、羞恥心、全部自分の為にやっている事。
自分が一番だと考える人間が圧倒的多数
>>744 自分を他人にとって良く見せたい為に頑張るというのは
結局他人の気持ちを尊重しているというコト。
>>743 いいんだよ、始めは皆が受け入れやすいような結論で。
流れを変えるのが重要なんだから。
…というコト。
>現状所属している共同体の勝ち組足る人間達が、その共同体を成り立たせている概念を嫌っていくような情報を提供していけばよい
それはないね。矛盾する。
勝ち組みが自己否定するのと同価値だから
むしろ弱者の中からそれなりの人物なり集合体が革命を起こすしかない
それらが勝ち組みを利用するのはあり
でもそんなのは経済状態が最悪にならないと無理
>自分を他人にとって良く見せたい為に頑張るというのは
>結局他人の気持ちを尊重しているというコト。
納得出来ないな、違うと思う
こういう人間は普段は優しくておとなしいけど、自分の身に危険がおよぶとまっ先に他人を蹴落とすもんだよw
見た目や外見で人の内面まで決め付けてしまうように聞こえるんだけど
もしそうならうんこですよ
しゅらって利口なのか世間知らずなのか分からなくなてきたw
>>746 2chの運営に参加していた山本切込み隊長のblogでも読んでみるとイイヨ
>>747 それが駄目だと感じるのはある種のロマン主義を持っているから。
>>748 外見と内面には相関関係がある。
>>749 利口で世間知らず。
六月からキャラが変わる予感がする。。
Mでよろ
切り込みは特異な存在ていうか超ひねくれ者だからねw
金持ってるっていうだけで態度デカすぎ
実際嫌われてるでしょ
754 :
DMT ◆DMT/57ptjw :04/05/31 07:24 ID:dfngp7Zy
丁寧なレスありがとうございました。
ところどころ反論したい部分もあったのですがあまりに大風呂敷を広げて収集が付かなくなるのもアレなので割愛したいと思います。
>恐らく容姿が良い人というのは、人の気持ちを尊重して生きている感度が強いという
>結論に至った。いや、微妙。かなり微妙。誰か社会学の人たちとかが分析してくれ、みたいな。
とのことですが、容姿に恵まれた事で人の好意を集めた人がその好意の対価として尊重という反応があると考えれば納得がいくようにも思いますが
逆に容姿に恵まれてるが故の嫉妬や極端なプライド等も存在し、あるいはそれらの正負の感情が同時に共存したり、
時間の変化によってシフトすることもあると思うので、容姿から直接的に人間性を統計として導き出すのは困難かと思われます。
正確な統計には取れないが確実に存在するというような構造を現す場合には社会学よりも文学などの領分のような気もします。
社会学では意図的に統計を操作出来る部分も大きいですし、まずなにより容姿を正確に計測出来るような概念を導入しない限り社会学的なアプローチも難しいように思います。
また、容姿が良くて他人を尊重する人と容姿がよくて傲慢な人、容姿が悪く他人を尊重する人と容姿が悪くて傲慢な人という分類で見れば、
容姿も性格も悪い人>容姿が悪く他人を尊重する人>容姿が良いが性格不細工>容姿も性格もいい人の順に多いだろうというのが僕の個人的な見解です。
>なにより容姿を正確に計測出来るような概念を導入しない限り社会学的なアプローチも難しいように思います。
全くその通りだね
難しいっていうか無理
美の概念なんて絶対的なものじゃなくて主観そのものだから
それを社会学的に定義出来るなんて考えてるとしたら妄想に憑かれてるとしかry(目を覚ませ
単純にしゅらが容姿の良い人間を好み、その逆を嫌うっていうだけ
人一倍
>>752 Eになる。
>>753 ww
君は自分より優れた存在を認めたくない人みたいだね。
>>753 んにゃ、何か成果が出ることよりも
学者が容姿の良し悪しと人格の相関性について研究していくという
道筋ができればそれで良いんですよ。
容姿が良い人に対して人の気持ちが惹かれることについては
万人が納得することであると思うけれど、そういう機能が人に備わっていることについて
どんな意味があるのかを解釈していこうという動きが出ればそれで良いと考えている。
即ち、人の容姿と人格の良さは関係性がある! と断言し、そういった言説を頒布させることによって
研究者の意欲を掻き立てよう、みたいな。
>>755 アレだ。討論番組なんかで大きな声出して的外れな指摘して悦に入って
視聴者から馬鹿にされつつも愛される役回りの出演者がいるけど
正に君はそういう感じだよね。
人から理不尽な物言いをされると喜ぶ、か…
たぶん、自分という人間が正しい良い人間でなければならないという気持ちが強いが
あまりそうなれていないという自己嫌悪感の様なものがあるからこそ
自分の本心よりもっと出鱈目な言葉をぶつけられることで、相対的に
自分という人間が正しい、良い人間であることが実感できるから
理不尽な、出鱈目な物言いをされることに対し、快感を感じるというコトか。
社会には、客に理不尽な物言いをされなきゃならないような役回りの仕事が
沢山あるから、そういう仕事選べば楽しく仕事ができるような気もする。
普通は、客に理不尽な物言いされた人は内心ハラワタ煮えくり返りつつ
笑顔で対応するんだけど、素で笑顔を向けられる、みたいな。
ちょっと話はズレるけど、看護婦なんかは人が苦しんだり、死んでいく様を看取っていかなければならない
辛い仕事なんだけれども、人が苦しんだり死んだりするのが楽しくて堪らないという人にとっては
楽しくてしょうがないという仕事なのかも知れない。
俺は理不尽な物言いを弱い立場の人間にせざるを得ないような
駄目な人間を減らしていけるような小説を書きたいんだけれども…
性格の歪みの原因は、その性格が形成されるまでの人間関係にあり
それを自分自身把握できたならば変わっていける様な気もする…
把握させる為のプロセス、と
そこから回復するための人間関係のあり方の提示。
を物語の中に編み込んでいくことが大事なんだが…
もうそういうことって優れた作家達がやりつくしているんだよね…
それでいて、そういう優れた作品に接しても殆どの人は変わらないんだよね…
ウン。
めめめ、目が久々に急に激痛むっ!!!!!
ひぃいいいああああああああああ!!!!!!!!
安易だったな・・・
いつもマスに対する分析は安易でいいけど
対個人について安易なのは駄目だって偉ぶって指摘しているのに
自分がそういうことやってしまった・・・
例えば家庭内暴力を受けた経験のある子供が
お付き合いをしている人に、かつて自分が受けた様な暴力を求める傾向が稀にあるけど
これは恐らく、暴力を振るっていた親が自分のことを嫌いで暴力を振るっていたのではなくて
一種の愛情表現としての発露であったと思い込みたがっているからだと推測できる。
応用すると、仮に学校などで信頼していた親友に裏切られて
いじめを受けた経験があった人の場合、その親友が自分に対して酷い振る舞いをしたのは
私のことが嫌いだったからではなく、一種の好意の表れであったと解釈したい気持ちが
酷いことを言われると快感に繋がるという精神構造を形成させたのだと推測できる。
他の要素としては、やはりというべきか父性不足があると思われる。
将来ひとり立ちして社会に適応していくために、子供の振る舞いを制限したり
何か気が進まないことでも強制的にやらせる様な厳しさがないと
なかなか人は社会人として生きていくことが出来ない。
自分は今の感じのままだと社会に出てやっていけないという将来不安が
厳しい態度で接してくれる人間を求めていく精神の傾きに通じているのだと思われる。
まぁ分析してもしょうがないといえばしょうがないんだけども・・・