身動きがとれないようにしたイヌに、一日数十回電気ショックを与えるの。
不規則に、なんの前触れもなしに。
それからそのイヌを、今度は実験箱の中に入れる。
この箱の中にも電流が流れる仕掛けが施してある。
ただし、今度は電流が流れる前兆として、照明が暗くなるようになっている。
そして、部屋を仕切っている柵を乗り越えて反対側に移動すればそこは安全地帯になっている……
回避手段はあるわけね。さて。
ここに、さっきの実験を施したイヌと、普通のイヌを入れたら、どんなことが起きるでしょう?
普通のイヌは、だんだんと仕掛けを理解していくわ。
やがて、最初から柵のそばに立って、部屋が暗くなった途端に反対側に飛び移るようになる。
でも、電気ショックを経験しているイヌは、回避しようとしないのよ。
諦めて、じっとショックに耐えるだけなの。……それじゃあ応用。
最初の拘束電気ショックの際に、鼻先でボタンを押せば電気が止まるということをあらかじめ学習させたイヌはどうだと思う?
そういうイヌをさっきの部屋には電流を止めるボタンなんかないわよ?
普通のイヌのように回避するのよ、つまり、重要なのはどこか、わかる?
最初の電気ショックが回避不可能だったことなのよ。それじゃあ、ちょっと目先を変えて『ホスピタリズム』について。
……人手が足りない施設で育てられた赤ちゃんは親元で育てられている赤ちゃんと比較して死亡率が極めて高いの。
別に手続きミスとか、目を離したスキに、ってわけじゃない。
風邪から肺炎になって、死ぬことが多い。
親元にいる赤ちゃんが肺炎になるよりもずっと高い確率で……どうしてだと思う?
赤ちゃんは泣くでしょう?泣いてアピールをするの。
そうするとあやしてもらえる。そしてそこで赤ちゃんはふたつの満足を得るの。
『自分が困っているという意思表示をしたときには誰かが助けてくれる』という安心感。
そしてもう一つは……『自分が環境に影響を及ぼすことができる』という自信。
でも、人手が足りない施設ではそういうのは無視されることが多い。
『赤ん坊は泣くことが仕事。甘やかす必要はない』ってね。そうなると赤ちゃんはどうなると思う?
泣かなくなるのよ。静かになって、面会に来た母親がそこから去っても平気になる。
要するに、こういうことよね。
『好ましくない環境を自分が変えられないと知った生き物は、無力感に支配される』
……電気ショックに黙々と耐えたり、泣くことすらやめて内にこもったり。無力感にうちのめされるの。
そして--無力感に支配された赤ちゃんは、病気に対する抵抗力が低くなるの。
これは事実よ。無力感に囚われると、生命力が低下する。
……前に進む意思のない生物は、死ぬ。
私には、自然が創った淘汰の方法に思える。
種としての進化に精神的にふさわしくない生命は、自然の手によって自動的に排除される。
……でも、人間は簡単には死なないわよね。
抵抗力の低い赤ちゃんならともかく、学生にもなれば……。
病院に行けばほとんどの病気は治ってしまう。
自然の驚異なんて克服できるくらいに、私達は進化してしまった。
残された淘汰はなにかしら?殺すことができない生き物が淘汰される方法は?
自ら……命を絶つこと
瓶詰の蜥蜴。そうよ、蜥蜴を殺したのは無力感よ。
蜥蜴は自分が世界に影響を与えられないことを悟って、死んだ。
あなたも同じ。あなたは瓶詰の蜥蜴。世界はあなたという歯車無しでも回っていく。
あなたという歯車は、なんら世界に影響を及ぼし得ない。
どうあがいても電流は流されるし、泣き叫んでも誰もやってこない。
あなたに取り憑いたもの。それは、無力感という名の死病よ。