ネタくさい闘病ブログについて語るスレ

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757ワタシノキセキ 1/3
カゾクノキセキは、夫の病気が発覚したとき、頭の中が真っ白になり、
何も手につかなくなってしまったとき、それでも何かしなくてはいられなくて、
なんとなく書き始めた初めてのブログです。

私にとって、この「なんとなく」を感じるときは大抵行動した方がいいよ!ってときが多い。
そして、夫のこと家族のことをただ記録しておきたい、残しておきたい、という気持ちが大きかった。
更新し続けている今もやっぱり「軌跡」を記録しておきたい、という気持ちに変わりはありません。


だから、非公開でも良かったわけで・・・
というか、公開したところでアクセスする人もそんなにないだろう、と思っていました。

だから、初めてコメントを頂き、たくさんの勇気と励ましの言葉を頂き、
とても嬉しい反面、正直、ネットの世界ってすごいな、って驚いています。



さてさて・・・
夫は、「心無いコメントに一々反応していたら身がもたないよ、いろんな人がいて当たり前なんだよ」
って言うけれど、今日、会社のお昼休みにちょっと覗いてみたら、午後から仕事が手につかなくなる始末。
私は、コメントに一々反応してしまい、胸がざわざわしてしてきちゃいました。

「このブログ小説?フィクション?」
あらま。ブログでも言われちゃったわ。
・・・ブログでもというのは、私自身がリアルでよく言われるからです。

これまでの「ワタシノキセキ(軌跡)」を振り返ってみると、
なんでこんな人生なの?なんでこんなことが起きちゃうの?ってことばかり。
私は、ごく普通の女性で、ごく普通の主婦で、ごく普通の母親なんですけどね・・・

親しい友だちからは、「事実は小説より奇なり」「花も嵐も踏み越えて〜♪」などと
からかわれることもしばしば・・・

私の妹や弟からは、「お姉ちゃんの人生、小説になるよ」
「子どもたちのつぶやきを投稿したら」などと、なにか起きるごとに冗談を言われます。

私の人生の振り子が大きく傾き出したのは、成人してからだと自覚しています。
ざっとカミングアウトしちゃうことにしました。
758ワタシノキセキ 2/3:2010/08/29(日) 00:33:27 ID:XpE6HqKp
唐突ですが・・・

結婚の約束をしていた彼は、初エッチの次の日に交通事故で亡くなって、
四十九日の頃、妊娠が発覚。あの時はこんなに簡単に妊娠しちゃうの?って、
びっくりしたけど、彼の形見だと思って嬉しかった。産もうと思った。
でも、精神的に不安定で食事もろくに食べなかったせいか、すぐに流産しちゃった。

私はPTSDにかかり、まだ若かったし、ただただ辛いだけで苦しかった。
(当時はまだPTSDという病気はあまり取沙汰されてなく、トラウマって言ってた)
亡くなった彼の親友が、いつも私の気持ちを宥めてくれたけど、
お互いに深い悲しみの中に迷い込むばかりだった。

でも、ある日、その彼の親友が、彼のお墓の前で、私にプロポーズしてくれた。
いつも一緒にいて気持ちを分かち合っているうちにお互いに惹かれていたみたい。
それが、今の夫です。

ここまでの軌跡は、ある企画で実際に本(非売品)にしたことがあります。

結婚して家族も増えて、念願の家を買った矢先。
私の父親が心臓病にかかり、母親は元々足が少し不自由なため、
協力するからうちで看てあげよう!という優しい夫の言葉に、
私は決心し、父の介護生活が始まった。

3人の孫たちに囲まれて、頭はボケていなかった父は、
うちに来て良かったと、とても喜んでくれた。

そんな介護生活が始まって間もなく、夫が海外転勤。
当時、私が好きだったドラマで、婚約した彼が海外転勤になってしまい、
彼女の気持ちの葛藤やすれ違いを描いたラブストーリーがあったけど、
夫の転勤先は、そのドラマの彼の転勤先と同じだった。
あまりの偶然と突然の辞令に、笑いたくても、笑えなかったわ。

父には聞こえないように、
「一緒に行きたかったぁ〜〜〜」って泣いたっけ。

一年に何回か帰国する夫を子どもたちと成田空港まで迎えに行くと、
夫は、一番に私にキスしてくれた。
でも、子供たちの前で平気でするものだから、
ある時、次男(小4だったかな?)が書いた作文には、参ったわ。
『お父さんとお母さんは、空港でチューをしました。でもなんかエロくなかったです。』

長男は、いいきっかけだからと、夫の転勤先の近くの高校に2年半留学(転校)した。

そして、父は6年前に他界した。
759ワタシノキセキ 3/3:2010/08/29(日) 00:34:10 ID:XpE6HqKp
子供たちの手もかからなくなってきたし、私も女性として自立して、
なにか目標を達成したいと考えていた私は、趣味の料理を活かそうと、
その歳にして調理師免許を取得、夫の後押しもあり、4年前に小さなカフェを開いた。

夫がいない寂しさもこの場所で頑張っていれば、大丈夫。って思っていた。
この場所で人生を楽しもう、頑張ろう、としていた矢先、今度はパニック症候群に襲われた。

めまいと過呼吸を起こし、何度も救急車で運ばれた。
神経伝達がうまくいかず、右足が床につま先しかつけなくなってしまい、
半年間、杖がないと歩けない生活で、とてもカフェを続けられる状態ではなくなってしまった。
症状は1年くらいで治まったけど、生きがいにしようとしていたカフェはもうなかった。

でも、夫の帰国が決まったので、気持ちを切り替えて
また平凡な家族の日々を過ごしていけば大丈夫。きっと大丈夫。って思うことにした。

夫が帰国。
でも、一人じゃなかったんだよね・・・・・

ここは察して頂くとして・・・・・3年前離婚。
(この部分をカミングアウトしてたら、夜が明けちゃうから中略。苦笑)

そして・・・
ある日突然、(元)夫がすい臓癌に・・・・・復縁。今に至る。

ざっと過ぎるけど、「ワタシノキセキ」の一部です。

若い頃は、なんで私が?なんでこんな目に?って、マイナスなことばかり思っていたけど、
そんな数々の経験が、こんな私でも少しは大人に成長させてくれたようで、
今は、私の人生って面白いな・・・って思えるようになりました。

そうそう!
振り子がマイナスの分と同じだけプラスに振れる経験だけど、
確かにこちらもドラマチックな経験してるかも。(笑)

あるイベントで4000人の中からたった一人選ばれて、
大好きなあるアーティストのレコーディングに参加することになって、
あの時は、本当に夢かと思ったわ!

そのアーティストのライブに相棒と行けば、
後日発売されたライブDVDのエンディングで相棒と二人感激しているところを
ドアップで抜かれていたこともあったっけ。あれはいい記念だわ(笑)

そんなことがプラスの経験なの?って思われるかもしれないけれど、
私にとっては、振り子が回転しちゃうんじゃないかと思うほどの出来事なんだな。これが。(笑)

そして、今、家族がいること。
「コドモタチノキセキ」を書いていたらそれはもう大変なことにるけれど、
子供たちが健康で優しくいてくれるときは、私の振り子が最大にプラスに振れているのだと
思っています。

私の人生は、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、そして、笑って・・・。


「カゾクノキセキ」には、夫の闘病の記録の傍ら、
ほんのちょっとの「笑って」を残していきたいのです。