【経営】「老人はもう、黙っていればいい。さっさと辞める。それが日本再生には一番大切」…戦後のリーダーたちが“遺言”に託した思い [転載禁止]©2ch.net
ソース(日経ビジネスオンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150107/275938/ 「恐縮ですが、あなたの“遺言”をもらえませんか」――。
2014年の夏以降、私はこんな失礼なお願いを戦後のリーダーたちに投げかけていた。日経ビジネスの2014年最後の号で『遺言 日本の未来へ』
という特集を掲載するためだった。
写真=2014年、日経ビジネスは『遺言 日本の未来へ』という特集で締めくくった
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150107/275938/cover.jpg 私たち日本人はどんな未来を作るべきなのか。また、より良い未来に向けて何をすべきなのか。そのヒントを得るべく、焼け野原から輝ける時代
を築いた戦後のリーダーたちに、未来へのメッセージをもらいたい。そんな思いが根底にはある。
実はこうした構想は以前から温めていた。だが、それを掲載すべき時期が分からなかった。しかし戦後70年を前に、世の中が大きく動き始めた。
東京五輪の開催決定などの明るいニュースもある一方で、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更が閣議決定されたり、特定秘密保護法
が施行されたりするなどの動きも出てきた。そういう意味でも、戦後70年となる2015年に、改めて日本の行く末をしっかりと考えられるような特集を
組みたいと考えた。
戦後の日本が大きく変わろうとしている今だからこそ、惨めな敗戦を経験した人々の言葉を掲載する意味があるはずだ。戦後のリーダーたちの
メッセージを、最も強い言葉で伝えたい。そう考えて、特集タイトルを「遺言 日本の未来へ」とし、アポイントを入れ始めた。
しかし、内容は「遺言」である。当然、すんなりとアポイントが入るわけがない。
「縁起が悪い」「私を殺す気なのか」
直接、こういったお叱りの言葉をいただくこともあれば、「まだまだ現役で活躍しておりますので…」と、遠まわしにたしなめられたこともある。
その通りだろう。いくらなんでも、「遺言をください」という依頼は失礼だ。アポイントを申し込んだ人々のうち、一定数の方々は、こうした理由で
取材を断ってきた。無理もない話だ。
(中略)
その中でも幸い、34人の戦後のリーダーの方々が取材を受けてくださった。今もお元気で、特集の趣旨を理解し、そのうえで「未来の日本の
ために協力できるなら」と考えていただけた方々である。
それぞれの方が、どんな「遺言」を託してくれたのか。それについては特集を読んでいただきたい。今回は、80歳以上の戦後のリーダーたちへの
インタビューを実施し、その中で見えてきた、いくつかの法則について紹介したい。
(
>>2以降に続く)
※スレ立て時に全文閲覧確認済…1/08 9:40
(
>>1の続き)
■寿命は130歳まで延びる
「私は、あと50年は生きると思う」
80歳以上の方々をインタビューしている中で衝撃的だったのが、こうした趣旨の言葉を、何人かが同じように発されたことだった。
最も明快なのが登山家の三浦雄一郎氏だろう。本誌と連動して展開しているオンライン連載「特別企画 遺言 日本の未来へ」で掲載した
インタビュー(【三浦雄一郎】 「人間は150歳まで生きられる)」でも触れているが、三浦さんは、独自の理論で人間は150歳くらいまで
生きられるのではないかと展開している。一部を抜粋しよう。
写真=高齢者に向けて「攻めの健康」を推奨する三浦雄一郎氏(撮影:千倉 志野)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150107/275938/img_01.jpg 「エベレストの山頂にたどり着くと、実年齢が20歳の登山家が、90歳くらいになったように感じると言われているんです。酸素は地上の3分の1
くらいしかありませんから、どうしてもパフォーマンスが出ないんですね。20歳の若者が70歳加齢されるんだから、僕が80歳でエベレストに登ると、
体感年齢は150歳くらいということでしょう。実際には20歳の登山家よりもっと歳を取っていますから、本当は200歳くらいなのかもしれない(笑)」
80歳でエベレストに登頂するという極限状態を経験し、三浦氏は人間のさらなる可能性を探り当てた。そして150歳、もしくは200歳まで生きられる
のかもしれないとおっしゃった。
今年100歳を向かえたシャープ元副社長の佐々木正氏は、老化の原因である細胞の「酸化」を食い止める「還元」技術を活用すれば、人間の
寿命は130歳や140歳まで延ばせるのでないかと考え、ご自身をその実験台にしてもらいたいと宣言している(【佐々木正】 「軍法会議を免れた。
生き延びた恩に報いたい(
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20150107/275917/)」)。
写真=今回、インタビューをした34人の中では最高齢だった佐々木正氏(撮影:菅野 勝男)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150107/275938/img_02.jpg 今年80歳になるエステーの鈴木喬会長は、「遺言をください」と申し出た記者に対して、本題に入る前に「あと50年ぐらい生きるつもりです」
「俺はね、あと50年頑張らないとしょうがないですね(笑)」と宣言している。
写真=エステーの鈴木喬会長。足腰を鍛えるため、イスの代わりにバランスボールを愛用している(撮影:千倉 志野)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150107/275938/img_03.jpg 「この先、50年生きる」と明言するわけではないけれど、「100歳までは」「あと10〜20年はやることがある」といった趣旨の発言をする戦後の
リーダーたちは、実は多かった。
こうした言葉を聞くたびに、生きることに対する貪欲さや強い執着心を垣間見た。戦時中に家族や仲間を次々失う中で、生き延びた人間として
長く生き、世の中をより良い方向に導きたい。言葉の節々から、こういった情熱を感じることがあった。
(さらに続きます)
(
>>2の続き)
■何歳で社長に就任したのか
オリックスのシニア・チェアマンの宮内義彦氏と、日本IBM元社長の椎名武雄氏、新生銀行の社長、会長を務めた八城政基氏。この3人の
共通点が、社長になった年齢だった。
3人が社長に就任したのが、みな45歳の時のことだった。もちろん、単なる偶然として済ますこともできるだろう。だが八城氏の話を聞いて
いると、決して偶然だけでは済まされないように感じた。八城氏はインタビューの中でこう語っている。
「日本で高度成長が起きたのも、敗戦で古い世代の人がみんな辞めさせられて、経営者が一気に若くなったから。会社でも、30歳で候補を
見つけて45歳で社長にするくらいのことが必要なんだよ」
「老人はもう、黙っていればいいんだ。退職金をもらってさっさと辞める。それが一番大切だよ、日本再生には」
戦争によって上の世代がみな現場を退き、若い人たちが挑戦するチャンスが生まれたからこそ、イノベーションが生まれ、高度経済成長が
起こったというのだ。そう考えると、45歳で社長に就任する人が多いのも理解できる。
わずか34人の戦後のリーダーかもしれない。だが、八城氏の言葉のように、戦後のリーダーたちが語る言葉やその生き様は、思いのほか
共通する部分があり、その背景に思いを馳せると、今の我々が何をなすべきかということも見えてくる。
遺言特集は日経ビジネスオンラインで今後、週2回(水曜日と金曜日)にインタビューを更新する。みなさんにも是非、戦後のリーダーたちの
思いに触れてもらいたい。
(終わり)
4 :
名刺は切らしておりまして:2015/01/08(木) 09:46:51.97 ID:ro4NDz0S
この私って誰だかわからなかった
6 :
名刺は切らしておりまして:2015/01/08(木) 09:52:54.20 ID:xxABYIr2
こういう人たちを現在の日本の底辺に置いてみて何人が這い上がってこれるか見てみたいな
7 :
名刺は切らしておりまして:2015/01/08(木) 09:57:32.61 ID:1CqcpS6H
老人は早く引退しろ。俺達が日本を再生する
と言った戦後の連中が、既に老人になって未だに権力にしがみついている
8 :
名刺は切らしておりまして:2015/01/08(木) 09:58:58.04 ID:1CqcpS6H
日本は、36歳以上は全員年金なしで引退して欲しい。
あと、できれば日本からいなくなって欲しい。
35歳以下が日本を立て直す。
「定年の必要は実際のところ、年老いたということではない。おもな理由は若者たちに道をあけなければならないということにある。」
ピーター・ドラッカー
まず団塊を黙らせろ