【相談】「タイのホテルのベルボーイに態度を注意したら殴られました。なのに2000円弱の罰金だけ。納得できません!」 [13/07/31]

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>>242の続き)

岡崎久彦『重光・東郷とその時代』(PHP研究所) 単行本P.333-336
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じつは、ビンタへの反発は東南アジア人にとっても同じであった。タイ、ビルマでは、頭は神の宿るところとされ、
子供でもふざけて頭に触ってはいけない。まして、ビンタなどはしたほうがその晩に闇討ちで殺されても、
周囲が皆納得するような行為である。戦争末期の日本軍に対するビルマ軍の反乱の動機は、
日本軍のビルマ人に対する暴行だといわれている。ほとんどの場合は殴打のことであろう。

スマトラのアチェ族は独立不羈の民族であり、独立のために日本軍とよく協力したが、戦争末期に
反旗を翻したのはビンタが原因という。

ビルマの独立の志士で、一九四一年四月にビルマを脱出し、日本軍による軍事訓練を受けたのち
ビルマ独立義勇軍の幹部としてビルマ解放のために日本軍とともに進撃し、独立後は大臣も歴任している
ボ・ミンガウンは、『アウンサン将軍と三十人の志士』を著しているが、そのなかでも、日本に対する
怨みの記述で、開戦前に海南島で訓練を受けたときに遡って、仲間のリーダー格までがビンタを
浴びたことを特記している。

いわゆるBC級戦争裁判で罪を問われた者の大部分の罪状は、捕虜虐待、現地住民虐待である。
戦時中の物資欠乏のなかでの悪待遇はやむをえなかったとしても、ビンタがなければ、日本軍の
残虐の事実は、少数の犯罪的暴行者以外はほとんど出てこなかったのではないかと思う。

日本人としては通常自分がやられていることであり、それほどの罪の意識はなく、精神教育ぐらいの
つもりであり、もとより殺したり傷つけたりする気はまったくないのであるが、やられたほうにとっては
「いつか殺してやる」と思うくらいの屈辱である以上、戦争に負けたときの運命は予期さるべきものがあったのである。

ビンタの習慣は、数々の光栄ある日本の軍隊に汚点を残した。これは何世代も消えない傷であるかもしれない。

これを厳に禁止したのは、タイに駐留した中村明人中将である。タイの人は賢い。中村中将が
赴任早々、タイの人はビンタが日タイ関係の命取りとなる恐れを指摘し、中村はその忠告を受け入れた。
中村は、仏(ほとけ)の司令官としてタイ人に慕われ、敗戦後何年かしてから、国賓に準ずる待遇で
タイ国に招待されている。

ビンタの問題に紙数を費やしたが、占領中の日本軍の残したイメージを振り返ってみてそれだけの価値はあると思う。

(引用終わり)