【コラム】自滅する地方 浜松と静岡 [13/02/17]

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1@@@ハリケーン@@@φ ★
なんだかなぁ。しょうも無い事を書くのは、日経の連中のお得意技ではあるが、これはヒドイ。


ショッピングモールが商店街を潰したというのはウソ?「地方」の真相を読み解くための1冊
http://anngc.jp/archives/4800


つーか、ほぼ人口条件が同等で、かつ産業においては規模に劣る静岡市の方を比較して
みない段階で、しょうもないのが丸わかりなわけだが。

前から述べているように、静岡市の人口規模は浜松市とほぼ同等。産業では浜松に劣る
だろう。実際、80年代には、バンバンと公共事業や区画整理等の開発事業や「規制緩和」を
行う浜松に対して、静岡市では、住民の反対活動や利害関係の調整に手間を取られ、土木
事業も区画整理も進まなかった。

それを揶揄して「やらまいかの浜松、やらないかの静岡」という言葉まであったほどだ*1。

で、積極的取り組みだ、と評価されていた浜松市が静岡市に比べてどうなったか、といえば
ご存じの通り。静岡市中心市街地は、全国地方都市から視察に来る程度に賑わいが残されて
おり、浜松はさんざん区画整理事業を繰り返したにもかかわらず(繰り返したがゆえに)、
松菱騒ぎ*2に見るとおり中心市街地の衰退ぶりが目立つ。

静岡市は未だに丸井は撤退していないし、西武は撤退したものの、PARCOがすぐに名乗りを
挙げた。懸念材料はあるが*3、浜松との相違はハッキリしている。


なぜならば、モールができたのは、中心街が崩壊した「あと」だからである。丸井が撤退し、
西武が撤退し、ニチイが破綻し、地元の百貨店がつぶれ、シャッター商店街化が進んだのは
、90年代半ばのバブル崩壊期から2000年代頭にかけて。イオンが進出したのは、2004年以降
なのだ。駅前商業拠点が崩壊し、人口80万人の浜松市民の消費需要が宙に浮いたとき、
その需要を満たすかたちで、登場したのが郊外モールという順番。


で、問題のこの部分だが、中心市街地の衰退は浜松市および周辺地域の幹線道路建設が
進んだ(静岡周辺では開発の進捗が遅かった)事によるロードサイドショップの進出、
そして、先行する形で郊外化が進んだ愛知県東部地域へ出店したショッピングモール*4の
利用が進んだからである。

当たり前だが、勝手に中心市街地の商業施設が衰退する筈もない。浜松市住民の需要は
どうなったと思ってんだろう?浜松の丸井が営業努力を怠って、静岡の丸井が頑張る、
みたいな事があるわけはない。単に、ロードサイドへ需要を奪われただけである。

80年代後半から90年代に入って、バブル経済期にはもちろん、不況期にも需要創出の名目で
道路建設・拡幅・延伸が相次いだ。当時、浜松周辺の知人の話で、買い物や行楽は豊橋の
方のショッピングモールへ出る、と訊いて驚いた事がある。つまり、車社会の拡大*5に
よって、浜松の住民が豊橋まで買い物に出掛け(ついでに行楽)が容易になったことが
効いたわけだ。

ソース
http://blogos.com/article/56360/

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(つづく)