【コラム】TPP加入、冷静に判断を(勝間和代) [11/30]

このエントリーをはてなブックマークに追加
211名刺は切らしておりまして
TPPの問題;元外務省情報局長孫崎享氏ツイート
http://twitter.com/#!/magosaki_ukeru

日米(IWJでの演説):戦後の日米関係史は何であったか。
「自主」と「従米」の攻め合いの歴史である。
1945年9月2日日本は降伏文書に署名した。
同日、米国は日本に「公用語は英語」「通貨は米ドル」「米国が裁判権」の3文書をつきつける。
翌3日重光葵はマッカーサーを横浜に訪ねる。
「折衝のもしならざれば死するとも我帰らじと誓いて出でぬ」が彼の心境。折衝で撤回させた。
この重光はどうなったか。崇められたか。2週間しないうちに日本側が更迭した。代わって出てきたのが吉田茂。
「負けた以上、まな板の鯉」これが彼の信条である。総選挙後、片山内閣ついで芦田均首相。
彼は「有事駐留」を主張。小沢と同じ。どうなったか。
昭和電工汚職疑惑事件。副総裁の西尾に嫌疑。芦田首相は日本の検察に拘束される。
取り調べ官「政界引退すれば無罪にする」。
これが検事の時の首相に言う言葉。考えて見ると対米自主を主張する政治家は多くいた。ことごとく失脚、病気している。
重光、芦田、石橋、田中角栄、鈴木善幸、細川、最近では福田康夫(アフガン資金提供、派兵に反対)、小沢一郎、鳩山由紀夫。
重要なことは失脚させるのは日本の政治家・官僚である。そしてそれを正当化するのが日本のマスコミである。これが日米関係史。
同じ手口が綿々と今日まで続いている。
そしてとって代わるのが属米しかない政治家。
それも今日と同じ。ではこのような事実どこまで知っているのか。
代わりに、属米の旗手、夜中帝国ホテルのG2(諜報で日本牛耳る)のウイロビーの部屋に通いつめてた吉田を日本最大の宰相のように扱ってきた。