【企業】日本企業に「長期的戦略」なんてなかった=日本的経営を改めて考えてみた

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1うんこなうρ ★
日本的経営は“誤解”されてきた。「家族主義に代表される人を大事にする経営」と思われてきた。
実際、1980年代にアメリカで行われたセミナーなどで、日本の経営者は「社員の解雇は絶対にしません」
と胸を張っていたという。

ところが、バブル経済が崩壊して経営が悪化すると、日本の経営者たちが率先してやったのが
「リストラ」という名の従業員の解雇だった。そもそもリストラ(リストラクチャリング=Restructuring)
とは「事業の再構築」という意味なのだが、日本では事業の見直しは疎かにされて、「人切り」
と同義語にされてしまった。「人を大事にする」など、誤解もいいところだったわけだ。

同じような誤解が、「日本の経営は長期的戦略を重視している」というものだ。早稲田大学ファイナンス
総合研究所顧問で一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏は、著書『日本経済 企業からの革命』
(日本経済新聞社、2002年)で以下のように述べている。

<1980年代に『日本経済システム』が称賛されたとき、『その長所は、米国企業のように短期的情勢に
影響されないことだ』といわれた。それは、事実だろう。では、日本の経営システムは、長期的情勢には
反応するだろうか。90年代になって分かったのは、その答えが『ノー』だということだ。つまり、
日本の企業は、短期であれ長期であれ、条件の変化に反応しないのである>

わたしに言わせれば、そもそも長期ビジョンがないのだから長期の条件の変化にも対応できるわけがない。
いつもいつも受け身で、短期だろうが長期だろうが条件の変化にあたふたしているのが日本的経営の実態なのだ。

■驚きの理由で設定されていた目標シェア
例えば、日本の企業が取り憑かれているものに「マーケットシェア」がある。社長会見で、
「○年後には△%のシェアを取りたい」といった発言が飛び出す。訊く方も訊く方なのだが、
コメントに数字が入るとインパクトがあるので、どうも安易に質問してしまうのも事実である。

「○年後のシェア△%」と言えば、長期ビジョンのように聞こえる。しかし戦略などではなく、
「希望」である場合がほとんどだ。「△%くらいのシェアが取れればいいな」というわけである。

以前、「目標のシェアはどうやって決めるんですか?」と某大手メーカーの社長に質問したことがある。
返ってきた答えは、「まぁ、それくらいのシェアがあれば業界でも認めてもらえるから」といった内容だった。

それだけのシェアが取れる裏付けがあるわけでも、そのシェアからつながる戦略があるわけでもない。
あくまで、「希望」でしかない。

しかし社長が口にしてしまったのだから、企業としては、それを目指すしかなくなる。社長の「希望」に沿って販売計画も作られる。

もともとが「希望」なのだから、現実的な計画が立てられるわけもない。必然、販売計画も
「これくらい売れたらいいな」という「希望」でしかなくなる。そもそも、シェアありきの計画が立てられるはずがない。

そんな「希望」は簡単に達成されるわけがない。そうなると、営業に無理なノルマを課す、なんてことも出てくる。

赤字覚悟でも、目先のシェアを追うことにもなる。原価を下まわる値段で売ってしまうので、売れば売るほど
赤字になるなんて冗談みたいなこともゴロゴロしているのが現実だったりする。それで、シェアさえ取れれば
「バンザイ」と叫んでいるのだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/20677
2うんこなうρ ★:2011/09/03(土) 06:56:16.16 ID:???
■株主「不在」の経営だから内部留保を大きくできた
そんなことができたのも、株主の力が弱かったからである。いくら高いシェアが取れても利益につながらなければ
株価や配当にはマイナスにしかならないので、株主は怒る。その株主の怒りを恐れるならば、赤字覚悟のシェア獲りなどやらない。
株主の存在など恐くなかったからこそ、やれたのだ。

「希望」ばかりに振り回される経営では、状況の変化に対応できるわけがない。状況の変化がなくても
「希望」を実現するのは難しいのだから、変化したらなおさら対応できるわけがないのだ。

日本的経営が絶賛されたという「短期的情勢に影響されない」との特徴は、株主を気にしなかったからにすぎない。
戦略的にどうのこうのというのではなく、「株主に振り回されない経営」というだけのことだった、と思う。

株主に振り回されない経営だったから、株価に神経質になる必要もなかった。株価や配当を気にせず、
内部留保を大きくすることにも熱心でいられたのだ。

この内部留保の大きさが「長期戦略」と誤解された最大の要因となったのではないだろうか。内部留保は
将来的な戦略を実行するための資金になりうるのだから、「短期的情勢に影響されず長期的な視野を持てる」
と誤解されたのだ。まるで誤解でしかない。

■戦略なき多角化経営でマーケットは死屍累々
確かに、大きな内部留保という資金力があれば、様々なチャレンジが可能である。ただし可能性だけであって、
問題は「何にチャレンジしていいか分からない」ことだ。

「事業の多角化」はことあるごとに日本の企業が掲げるテーマである。本業が不調だから、新規参入によって活路を開く、というわけだ。

間違ってはいないのかもしれないが、戦略と呼べるものではない。「どこに参入するか」となると、将来を見据えた
考えがあるわけではないからだ。「あそこが儲かっている」と聞けばそこへ、「これからは○○だ」と評判になればそこへ、
みんながみんな集中していく。短期的にも長期的にも、戦略などないに等しい。日本企業の「お家芸」といってもいい。

みんながみんな集中するのだから、たちまち供給過剰となる。しかも戦略も戦術ないので、過当競争となる。
そうなると、これも「お家芸」の「とにかくシェアを取れ」となって赤字覚悟の大供給合戦となっていく。
需要を育てるどころか需要そのものをつぶす結果となり、せっかくの有望マーケットがしぼんでしまうのだ。

有望なマーケットを次から次につぶしていきながら、なおも「次の有望株は?」と言っているうちに、
余裕がなくなって企業そのものが消耗してしまうことになる。これではマーケットも企業も育たない。

企業に短期戦略も長期戦略もないのだから、こんな状況になってしまうのも当然である。
そして財務諸表的に大変になってくると、人件費を削っていく。さらなる日本的リストラである。
3うんこなうρ ★:2011/09/03(土) 06:56:36.98 ID:???
■「希望」を戦略と誤解している思考を正せ
「短期的情勢に影響されない」と日本的経営が絶賛されるに至ったのは、単なる「偶然」でしかなかったように思う。
意図したから好調だったのではなく、目標が見えてさえいればがむしゃらになれる「お家芸」がうまく生かされた結果でしかない。

しかしマーケット自体も成熟期に入ってきて「お家芸」が通用しなくなった。目標が見えなくなってきたからだ。

しかも、これまで気にしなくてよかった株主の方に目を向けなければならない状況になってきた。
四半期ごとに決算を発表しなければならなくなって、目先の決算数字を追いかけることにもなった。

こうした状況から、長期どころか短期にも対応できず、その場しのぎの日本企業が増えている。
人件費をはじめとするコストカットだけが目に見える目標、とばかりに力を注ぐところだらけだ。
コストを減らすことばかりに夢中で売る物そのものの質を上げることは二の次になっているので、売れない。
売れなければ、さらにコストカットに走る。もはや、消耗戦といっていい状況のように思える。

今の日本企業の状態は、短期にも長期にも戦略を持てない末路を露呈しているにすぎない。
にもかかわらず、「こうなったらいいな」という「希望」だけを優先させる姿勢には変わりがない。

今の日本企業に必要なのは、「希望」を戦略と誤解している思考を正すことである。
そして、短期だろうが長期だろうが状況変化にも対応できる戦略を持つことである。
それには、組織体制から人材育成に至るまでの改革が不可欠かもしれない。

(終)