【原発問題】福井県若狭地方での過去の津波被害の文献知りながら「記録なし」と地元に説明 関西電力
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1306426833/ 文献に記述があったのは1586年に発生した「天正大地震」。敦賀短大の外岡慎一郎
(とのおか・しんいちろう)教授(日本中世史)によると、京都の神社に伝わる「兼見卿記
(かねみきょうき)」と、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの「日本史」の二つの文献に、
若狭地方が地震にともなう大津波に襲われ、多数の人が死亡したとする記述があった。
関電によると、1975年発行の「日本被害地震総覧」(東京大学出版会)が天正大地震は
岐阜県付近を震源とする内陸地震だったとしていることから、同社は「津波は起こらなかった
と判断した」(広報)という。兼見卿記など二つの文献の内容は81年に把握していたが、
「総覧は過去の被害を網羅したもので、より信用性が高いと判断した」という。
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『兼見卿記』天正13年11月30日(グレゴリオ暦1586年1月19日)条
「(前略) 廿九日地震ニ壬生之堂壊之、所々在家ユリ壊数多死云々、丹後・若州・越州浦辺波ヲ打上在家悉押流、
人死事不知数云々、江州・勢州以外人死云々、」
『フロイス日本史』
「若狭国には、海の近くに長浜(小浜?)と称する別の大変大きな町が海の近くにあって、多くの人と商品が行き交っていた。
その土地全体が人々の大きな恐怖と恐懼のうちに数日間震動したのち、海が荒れて、遠くから甚だ高い山とも思われるほどの
大波が怒り狂って襲来し、恐ろしい轟音を立てて町に襲いかかった。そして、殆んどすべてを破壊して荒廃させてしまった。
そして、潮の引き際に、大量の家屋と男女を運んでいってしまい、その地は塩水を含んだ泡で覆われてしまい、
それらを海に呑み込んでしまった。」