【地域経済】乗船150万人突破 神戸ー関空ベイ・シャトル[11/1/20]

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67名刺は切らしておりまして
1966 伊丹のB滑走路完成、ジェット就航騒音問題発生
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1967 神戸、兵庫県の代替空港誘致運動
    (近畿ブロック議長会で関西全知事が淡路島に新空港建設促進同意)
         関西は一度、淡路で合意している。それがより便利な神戸になったとしても変わらず、
        関西政界の中は、新空港は神戸沖で合意されていた事実がある。
        大阪はその頃、空港の重要性を理解していなかった。
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1968 運輸省動く 神戸、泉州、播磨、淡路 候補地に
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1968〜1973 泉州全市町、大阪府 空港設置反対決議
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    神戸沖に進めることで計画進む
    (このあたりから、泉州発展のために空港誘致に動きだします)
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    成田、伊丹をはじめ、全国で騒音、公害反対運動活発化
    西宮、芦屋、明石市が大阪湾内空港設置反対決議
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1973 宮崎神戸市長、運輸省が神戸沖計画に騒音の心配がないという根拠資料を
    提出しないのであれば、反対という立場をとらざるを得ないと表明。
    http://www.portnet.ne.jp/~nsp-kobe/bcknmbr/sisi.html
    同月、大阪府知事も空港設置反対表明を行う。
    http://www.kar.or.jp/history/ayumi.pdf
(↑これ、マスコミが抹消し、首長も揃って強弁に反対したのは神戸市だけと流してる)
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    運輸省、神戸市長の求めに応じることなく、神戸沖から候補地を航空審議会答申に委ねる方向に転換。
     (神戸沖前提の流れをとめ、泉州沖にも可能性をいう大阪側の圧力からです)
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1974 航空審議会の答申が出される。
    騒音、拡張の余裕、周辺開発の余裕から
    利便性にまさる神戸より泉州が最適と答申
    http://www.kald.co.jp/kankyo/friendly/japanese/data/01_03b.html
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    答申で最適とされながらも泉州市町反対決議撤回せず
    空港受入代償に高速道路整備、鉄道改良、都市開発、土取跡地開発等、国に支援を迫る。
68名刺は切らしておりまして:2011/02/06(日) 23:03:29 ID:DS2bLstq
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1980 その間、答申で神戸沖案で問題とされた点の全てが改善に向かう。
    騒音の軽減(航空機技術の進歩)
    ポーアイ完成によるアクセス改善(海底トンネルから橋梁へ)・周辺用地確保(150ha規模)
    高度成長期の終焉(未発達の泉州の発展開発案より、既存都市集積を活かすべきという流れ)
    「飛行機はめったに使わないから空港は遠くてもいい」から、より日常的なものとなり利便性が重要に。
    ポーアイ成功による大規模開発への市民の理解
    港湾との調整もポーアイ、六甲アイランド計画が確定し、問題なし。
    コストは泉州案の1/3ですみ、埋立コストの半分は神戸市が負担
    以上の状況の変化を理由に神戸沖案が再提出され、航空審議会に再審議を迫る。
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1981〜1982 神戸側推進の動きをみて、泉州市町反対から要望決議に団結
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    当時の運輸大臣塩川は建設地は泉州沖で決定済の一点張り。     
    コストも安く、利便性高い神戸沖案と比較検討すべきだ、
    泉州13市町のうち9市町が反対、しかも環境アセスメントもまだなら審議すべきと国会内でも意見多数。
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    それでも塩川、調査費は泉州沖にのみ使う、神戸に使う気はないと明言。
    塩川は泉州沖が優れている点として、伊丹と共存できることをあげている。
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1982 反対決議を撤回した神戸が正式に誘致活動を始める。
    泉州全市町も反対決議撤回を完了。
    その頃から、「神戸は関空を蹴ったくせに」と言われるように。
    大阪財界、神戸沖非難。泉州沖支持。理由は泉州沖案は空港本体とインフラ整備、都市開発
    と莫大な国費が関西に落ちるから。安くてすむ神戸沖案はその1/10しか見込めない。
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    コストの安さから大蔵省が神戸沖案を支持。
    それに応じ泉州派、国の負担を軽減するため、国直轄運営から株式会社方式を提案。
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    泉州沖案、大阪財界・兵庫を除く各府県から支持・同意を得る。
    (主たる理由:高速アクセス整備で京都、滋賀、奈良、和歌山に恩恵あり)
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    どちらがいいか、関西だけでなく全国の国民に問うべきだとの神戸推進派。
    空港は名目化し、関空をダシに、地域振興プロジェクト化した計画が全国から非難を受ける
    ことを恐れた泉州推進派は、神戸沖空港建設を認める代わりに、兵庫県からも同意を得る。
69名刺は切らしておりまして:2011/02/06(日) 23:04:51 ID:DS2bLstq

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1984 運輸大臣・兵庫県知事、「神戸沖空港調査に運輸省が協力を行う」旨の共同コメント。
1987 京阪神商工会議所、神戸空港の整備を国に要望
1988 経団連会長、神戸空港の必要性について発言
      (関空不振が明らかになる前は関西全体で神戸空港を応援していたのです)
1991 神戸空港、第6次空港整備五箇年計画(H3〜7)に「予定事業」として組み入れ
1993 神戸空港、「新規事業」へ格上げ
1994 関空泉州沖に開港。
    平成7年度国予算に神戸空港「着工準備調査費」計上
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1995 阪神大震災発生。国土交通省からの問い合わせ、来年度予算のことだが、神戸空港は進めるのか?に
    「当初の予定どおり、空港は震災からの復興と並行し、空港建設を行う」と答えたことから
    空港反対運動が突如起こる。
    その背景に
    泉州側の思惑、需要が予測に追いつかない今、神戸空港着工の前に関空二期を着工しない
           と安くてすむ神戸のメリットが明らかになり、二期は凍結されてしまう。
    神戸側の思惑、あんなムダな公共事業の関空二期に先に着工されてしまうと、更なるムダな空港は
           もうやめろとこちらがとばっちりを受けてしまう。
    があったことはあまり知られていない。