どんな国でも、その国の家族法をズタズタにしてしまえば、その国の解体・奴隷化は簡単だ
<国家の「解体・奴隷化」を招いている根本は何か>
日本の長子相続法は、周知のように戦後、占領軍に分割相続に切り換えられた。三島由紀夫の父親・梓の著書
「倅・三島由紀夫」にこんな記述がある。あるアメリカ人から梓が聞いた彼らの放言だ。
「どんな国でも、その国の家族法をズタズタにしてしまえば、その国の解体・奴隷化は簡単だ。その点、日本の
家族制度は牢固で、他国に脅威を与える禍の根源になっていた。これをアメリカ製憲法で解決し、最大眼目の一つは
見事に達成された。それなのに日本人は、問題の根本が一国の興亡にもかかわる民族的課題であることに気づかない。全く笑いが止まらない」
長子相続も分割相続も、それぞれメリットとデメリットを持つ。問題は比較考量だ。長子相続は、長子が全てを相続
する代償に、義務として家族全員の面倒を見る。もって家を社会の核とした。分割相続は、その核をバラバラにした。
家々の集合が村や町であり、これらの集合が群や市であり、さらにこれらが県を構成し、ひいては国を構成する。
つまり家が国家の基礎となる。占領政策はこの核を潰した。
かくして国民一人一人がデラシネ(根無し草)となった。もろもろの社会不安は、ここから来ている。長子相続を
もってすれば、年金や介護などの社会保障費は、おそらく数分の一で済むだろう。少なくとも今日の如き騒々しい
問題にはならない。
パール博士はアングロ・サクソンへの対抗手段の核として、この長子相続制度の世界史的・社会的意義を明らか
にしょうとした。(中島岳志著「パール判事」白水社より)(堤尭「WILL-2007年11月号」)
ttp://miko.iza.ne.jp/blog/entry/572009/ そもそもパールは、現在のバングラデシュ出身でベンガル人。身分の低いカーストであったため差別され、苦学して
大学をでたが、法律研究の動機は伝統的な長子相続法だった。
なぜなら「インドでは『政治経済』の領域はイギリス流に、文化宗教の領域はインドの伝統を尊重するという(英国の)
統治」であったがため、”法の分断”が生まれ、商法、契約、訴訟などはイギリス流の法律が裁くが、結婚、相続、
不要、家族はインドの伝統に基づき、ムスリムにはイスラム法典が、ヒンズー教徒にはヒンズー法が用いられた。
問題は統一されたヒンズー法が存在しなかったため、絶対的な判定をできる法典がなかった。そこで「法学者らが
依拠したのが、サンスクリット語で書かれたヒンズーの古典籍」だった。学者らは、この古典籍を体系化し、
ヒンズーの法律は「古典回帰によって統一され、全インドに施行されて行きました」(中嶋)
西部遭は「(だからパール判事は)イギリスの植民地であるインドが如何にプライドを取り戻すか、(中略)いかに
インド文化のレジティマシー(正統性)とジャストネス(正当性)を保証するための歴史的拠点を見いだすかという、
インドの思想家としての姿勢がある」。
つまり東京裁判を通して、「パールは旧宗主国であるイギリスに、思想的な反撃を加える機会として書いた」
わけであって、パールの「親日の前に反英があった」。
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