これにちゃんと反論できないなら、そのつくり話を撤回しろ。
1966 伊丹のB滑走路完成、ジェット就航騒音問題発生
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1967 神戸、兵庫県の代替空港誘致運動
(近畿ブロック議長会で関西全知事が淡路島に新空港建設促進同意)
http://www.kar.or.jp/history/ayumi.pdf 関西は一度、淡路で合意している。それがより便利な神戸になったとしても変わらず、
関西政界の中は、新空港は神戸沖で合意されていた事実がある。
そして大阪はその頃、空港の重要性を理解していなかった。
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1968 運輸省動く 神戸、泉州、播磨、淡路 候補地に
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1968〜1973 泉州全市町、大阪府 空港設置反対決議
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1971 神戸市が独自に神戸沖空港案を発表(滑走路4000×4、3200×2本、1100ha)
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神戸沖に進めることで計画進む
(このあたりから、大阪は泉州沖空港計画は後進地府南部発展のためのいいネタになると
気付き、非公式に空港誘致に動きだします)
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成田、伊丹をはじめ、全国で騒音、公害反対運動活発化
西宮、芦屋、明石市が大阪湾内空港設置反対決議
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1973 宮崎神戸市長、運輸省が神戸沖計画に騒音の心配がないという根拠資料を
提出しないのであれば、反対という立場をとらざるを得ないと表明。
http://www.portnet.ne.jp/~nsp-kobe/bcknmbr/sisi.html 同月、大阪府知事も空港設置反対表明を行う。
http://www.kar.or.jp/history/ayumi.pdf (↑この事実、マスコミが抹消し、議会も首長も揃って強弁に反対したのは
神戸市だけと流してるんですね)
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運輸省、神戸市長の求めに応じることなく、神戸沖案に公害はないと明言せず。
神戸沖から候補地を航空審議会答申に委ねる方向に転換。
(神戸が関空を蹴ったのではなく、空港位置神戸沖前提を振り出しに戻し、
泉州沖設置の可能性をねらう大阪側の圧力からです)
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1974 航空審議会の答申が出される。
騒音、拡張の余裕、周辺開発の余裕から
利便性にまさる神戸より泉州が最適と答申
http://www.kald.co.jp/kankyo/friendly/japanese/data/01_03b.html ↓
答申で最適とされながらも泉州市町反対決議撤回せず
空港受入代償に高速道路整備、鉄道改良、都市開発、土取跡地開発等、国に支援を迫る。