クリスチャン・アンガー氏は10年前、両親もかつて働いていた北欧最大の航空会社、スカンジナビア航空
(SAS)のパイロットになった際には、生涯の仕事を見つけたと思った。
2003年にSASの職を失ったアンガー氏だが、「高額報酬に充実した年金制度、フライトスケジュールは
過密じゃないし会社の名前は最高。雇用保障も手厚かった」という。
だが、その手厚い雇用保障が北欧随一の航空会社を破綻(はたん)に追い込んだ。SASを運営する
SASグループが3日に発表した08年通年決算で、これまでの累積黒字が62億6000万スウェーデン
クローナ(約683億円)の赤字に転落、ヤンソンCEO(最高経営責任者)をして「ひどい(数字だ)」と
言わしめた。記者会見で同CEOは「単に好況期に十分稼がなかったというだけだ」と語り、「再び北欧
地域に力を入れる必要がある」と述べた。この日、SASはイケアやボルボ、レゴ、アバと並ぶ国際的な
北欧ブランドの樹立という野望を捨て、現行の運航路線の40%削減、海外部門の売却ならびに約9000人
の人員削減を行う計画を明らかにした。
1943年にスウェーデン最大の財閥、ウォーレンバーグ家によってSASの前身が作られ、45年にストック
ホルム−ニューヨーク路線を勝ち取る。46年のスウェーデンとデンマーク、ノルウェー3カ国の航空会社
合併でSASが設立されたが、母体の北欧3カ国が引き続き大株主にとどまった(スウェーデンが21%、
デンマークとノルウェーが14%ずつ保有)。
ヤンソンCEOは07年に現職に就任。主な職務は同社のスト体質に風穴を開けることだった。SASでは
当時、3年でおよそ100件の労働争議が発生。07年5月に起きたスウェーデンでのストは、1日およそ2万人
の乗客に影響を及ぼし、SASは1日当たりほぼ300万ドル(約2億7000万円)の費用を計上した。同年の
3月と4月にコペンハーゲンで起こったストでSASはおよそ1億デンマーククローネ(約15億円)を負担した。
SASは非常に高い賃金コストを余儀なくされ、そのツケは顧客にまわった。顧客は1990年代から運航を
開始していた格安航空会社に乗り換えた。
この2年にSASが抱えていた問題はストや争議だけではなかった。加ボンバルディア製のターボプロペラ機
「ダッシュ8−Q400」が降着装置の異常で6週間に3件の胴体着陸事故を起こしたことを受け、07年10月に
所有する27機すべての使用を取りやめざるをえなかった。
デンマークのパイロット養成学校で飛行教官を務めるアンガー氏は、01年の米中枢同時テロと格安航空
会社の誕生でSASの状況が変わり始めたという。同氏は「われわれは北欧の好労働条件を享受していた。
だが突然、これまで意気揚々としていたSASのパイロットは一変、労働条件は厳しくなり、重圧がのしかかって
きた」と語った。
▽ソース:Bloombreg (FujiSankei Business i) (2009/02/12)
http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200902120012a.nwc