【介護】コラム:少子高齢化時代のプロシューマー −鈴木貴博

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1 ◆Robo.gBH9M @ロボ-7c7c(初代biz+ 支局長)φφφφ ★
少子高齢化時代のプロシューマー
(略)
保険でカバーされていても「介護サービスを提供する」側のヘルパーたちが得られる報酬は
十分ではない。仕事の現場もきつく、そのため介護に必要とされる人材を集めることすら難しいという。
つまり、「お客さん」側である老人はお金が支払えず、「介護サービスを提供する」側の事業者は
人材を集められない──介護サービス業界を概括すると、これが実情なのだ。

それが故に、介護サービスを従来のようなサービスビジネスとしてとらえていては、市場自体が
成立できないと僕は考えるのだ。

では、どうすればいいのだろうか? ここに「プロシューマー」という概念が登場する。

プロシューマーとは、あの有名なアルビン・トフラーが『第三の波』(中央公論社刊)で初めて
提唱した概念である。

情報革命という第三の波が押し寄せる結果、我々、消費者も情報を持つようになる。その結果、
企業が提供している商品やサービスを消費者自身、つまりコンシューマー自身が製造
(プロデュース)できるようになる。そのことを指して、新しい時代のコンシューマーをプロシューマーと
トフラーは名づけた。1980年のことである。

情報さえあれば、消費者は企業の要求する高い対価と実際の価値のギャップを埋めることができる。

例えば、自分で行えば100円の材料費でできる腕時計の電池交換も、知識とちょっとした道具などが
なければ1000円かけて時計店に出向かなければならない。水道のカラン(蛇口)を交換するのだって
そうだ。ホームセンターで売っている1個500円のカランを取り代えるのも、水道工事業者に頼めば
8000円かかる。

本来、「そこまでの価値を支払えない」とコンシューマーが考える場合に、この対価のギャップを
埋める仕事をする人々として登場するのがプロシューマーだというのである。

『第三の波』が刊行された当時は、このプロシューマーの象徴は「DIY」(Do It Yourself:日曜
大工のこと)だといわれていた。何かを自分で作り出す消費者──日曜大工の枠を超えて
ホームセンターから本格的に材料を買い付けて、工務店さながらの仕事をする人々が、確かに
この時代くらいから多く存在し始めていた。

しかし、そのことでプロシューマーというのは当時の僕には少々ピンとこない気がしていた。一言で
説明すれば、情報革命というトフラーのコンセプトとの間にギャップを感じたのである。

21世紀に入って、インターネットという最新の情報革命が押し寄せた結果、現在では「コンシューマ・
ジェネレイテッド・メディアこそプロシューマーの仕事だ」といわれるようになってきた。

例えば、Wikipediaのようなネット上の無料の百科事典を編纂する“仕事”を何十万人もの
コンシューマーが行う。こちらの方が、トフラーが提唱するプロシューマーに現実が
追いついてきた感じを受ける。

さて、プロシューマーをもう一度みてみよう。提供者とコンシューマーの間に存在する「対価の
ギャップを埋める」ために出現するのがプロシューマーだ。

業者を呼ぶだけの資金的な余裕がない場合や自分でスキルを習得していない場合などに、
例えばネットで調べて自分でカランを取り代える。

>>2に続く
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/col/suzuki/116/
2 ◆Robo.gBH9M @ロボ-7c7c(初代biz+ 支局長)φφφφ ★:2008/02/21(木) 11:38:19 ID:???
>>1の続き

これがプロシューマーであるとすれば、プロシューマーの出現は介護の現場にこそ
望まれることではないのだろうか。

現在、見直しが進められている介護保険の新制度の下では、ある程度、健康な高齢者の場合は
これまで以上に自立を求められる。一方的に介護を受ける側ではなく、支援は必要だが、
ある程度、自分で自分を支えることができる人材であることがより強く求められる。


そもそも、国の保険制度を使っても介護が必要とされる高齢者すべてにはサービスを
提供しきれないという現状がある以上、ある程度、健康なレベルの介護サービスの
コンシューマーはプロシューマーとして“振る舞うべき”ではないかと僕は思うのだ。

プロシューマーとしての仕事──といっても80歳近いおじいちゃん、おばあちゃんの話である。
最初はちょっとしたことからでいい。待合室で友人とおしゃべりをする代わりに、友人と一緒に
施設の掃除をちょっとだけ、ほんの1カ所ぐらい手伝うようなところから始めてみてはどうだろうか。

施設で使う洗濯物をたたむとか、新しく入ってくる仲間を迎え入れるためのオリエンテーションを
行うとか、順番が来たことを知らせに行く係の役割だってできるかもしれない。

ただ介護される側に回るよりも自分が何か仕事をしている方が、認知症の進行を遅らせたり、
足腰を維持する効果がある。高齢者を介護の世界においてプロシューマーに向かわせるというのは、
日本社会を考えた総論としては悪い話ではないと考えるのだが、いかがだろう?

実際、僕の故郷は過疎が進んで、村落には若い働き手が不足している。その分、老人たちは
自分たちでできることはなるべく自分たちで行い、お互いが助け合って生きている。近所の家に
出かけては、お互い身体の調子を確認したり、食べ物を融通しあったり……。身体がより動く方は、
歩きづらくなった仲間の代わりに何かをしてあげたり……。それで共同体がそれなりに
機能するようになる。

都市部に生活しているからといって、自宅やアパートを訊ねてくる人がヘルパーだけというのでは
寂しくはないか?

もちろん、70歳を過ぎた老人たちを自治体や事業者がある程度の“強制力”をもって組織化することは、
立場上難しい。いや、現実的には相当の壁が存在して無理だろう。必然的に起きるであろう事故や
いさかいについての責任は、事業者側は負うことができない。

だからこそ、プロシューマーなのである。自らが名乗りをあげて自分たちがプロシューマーであることを
宣言し、自らそのような仲間に入っていく。とするならば、この分野はNPO(非営利組織)や社会
事業家の領域になる。

高齢者だけでなく、これからの日本には従来のビジネスモデルのような形での供給者ではニーズを
満たすことができない領域が増えていくだろう。

そろそろ「私はお客だ」という考え方を我々は“捨てて”みてはどうだろうか。確かにある側面では
お客かもしれないが、自分が支払えるだけの安価なサービスを受けたいと思ったら、「私はお客だが、
店を手伝うお客だ」というように、少し立場を変えて見た方が、様々な分野で行き詰った現状を
打破できる可能性が出て来るように僕は思えるのだ。

−以上−
3名刺は切らしておりまして:2008/02/21(木) 11:42:12 ID:nV9fE1gU
日本の江戸時代を調べたらプロシューマーがいそうだよな
4名刺は切らしておりまして:2008/02/21(木) 11:56:17 ID:myRitGTe
プロ消費者の会
5名刺は切らしておりまして:2008/02/21(木) 12:02:40 ID:T3vLPOhE
ニコニコの職人みたいなものか?
6名刺は切らしておりまして:2008/02/21(木) 18:08:48 ID:u6XLV8nG
スティーブジョブズに許可は取ったんですか!?
7名刺は切らしておりまして
プロシューマーなんて言葉でごまかしても、
老老介護の事実は変わらん。
老人ばっかになったら社会は維持できん