>>95 > >麻布永坂=江戸時代は完全に郊外農地。だんだん住宅地になったけど単なる港区ブランド
> これだけは間違い。こんなところに農地なんてなかった。
ああすまん、今1861年の江戸切り絵図みたら、松平と京極、上杉の下屋敷と、どっかの
大名旗本の下屋敷と、役人の役宅があったよ。あと寺社な。
農地があるのは隣の目黒白金地区だった。
寛永年間には「麻布永坂百姓町屋」って呼ばれてたんでね。
> 単なるブランド住宅地というのも間違い。麻布永坂町は間違いなく日本で最も高価な住宅地
> というよりはものすごい豪邸が20軒くらいある要塞のようなところ。
Googleマップとマップファンとタクシー用道路地図みると、永坂町の中は
サウジアラビア大使館と麻布パークサイドビルと
コートアネックス麻布永坂と参議院副議長公邸と麻布永坂ハウスと
ブリジストン美術館分室と東京三菱UFJ銀行の寮くらいしか、目ぼしい建物
ないようなんだけど? それをもって「豪邸のある要塞のようなところ」って言ってる?
狸穴町との境界が難しい場所だけどな。
あんなところ、50年くらい前でもかなり特殊な人間くらいしか住んでなかったみたいだぞ。
法人の寮とか、トップクラスの芸能人とか(むかしうちの親が会社の寮で狸穴に住んでたらしい)。
だから逆に、「ブランド」でしかない住宅地だよ。六本木ヒルズの居住部より住みにくそうだし。