【企業/夕張】ニトリが夕張を「サクラの名所」に…構想を北海道に提案[12/28]

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287伊東昌朗
参考資料
個人 が集まった集団と集団の中で光る個性11月8日11時35分
The Newsトヨタ、いすゞと業務資本提携/
日本代表とは全くの別企業パーフェクトチェルシーはソフトウェア
企業です。
対するあなた 方日本代表は金融証券企業です。
ですから、あなた方日本代表を吸収・買収する予定は全くございません。
次に『割れた窓ガラス理論』ではありませんが、
個人情報流出、ハッキング、面白半分のバッシングなど軽犯罪を許せば、これぐらいだったら許されるという気の緩みが取り返しのつかない損害を企業に与えます。
また、今回の件を許せば社員 が緊張感を失い、
社員の士気を低下させることとなりますので、裏金、談合、株価操作、
知的財産違反(ビーコン、自動車遠隔操作データベースなど)は当然ですが、個人情報流出、ハッキング、面白半分にバッシングなどの軽犯罪も採用外と致します。
僕は仕事の上での失敗は問題視しません。
人間は失敗を重ねながら成長する生き物です。
ですが、規律を乱したものは容赦はしません。
日本代表は自由を履き違えてい たと思います。
まぁよく海外から「日本人は自由の意味を知らない」と指摘されますが、その通りだと思います。
日本人は自由とは"何をしてもいい"と勘違いしています。
本来の自由とは"規律の中の範囲での自由"です。
何でもありとは違います。
プロテスタントをみればわかります が、自考、自動、自律です。
自分で考え、自分で行動し、自分で自分を律しきることです。
これが"本来の個人主義"なのですが、日本では"単に自分勝手"の意味に間違っ た解釈をされています。
日本人はよくいえば「和をもって尊し」悪くいえば「責任を取らない」ということがあります。
これは日本人が農耕民族・村社会であることが多分に関係しているのです が、常に集団の中でしか行動出来ないということがあります。
そして、それは日本独特の数の論理に繋がります。
数 が多いというだけで、その集団の行動が正義となってしまいます。
本来の民主主義とは集団の数(政党)ではなく、その集団の主張・行動を評価するものなのですが、日本では数が多いという見て呉れだけで決定してしまいます。
まぁ"声が大きい方が強い"ということですね。
数が多いということだけが絶対の正義となり、そこには自律も自制もありません。
ただの欲望・欲求のままに動くリピドーとなります。
余程強烈なリーダーシップを持った人間が制御すれば別ですが 、日本では大抵そういった"和を尊ばない"人間は集団から排除されます。
日本では常に"皆と同じことをしなければなりません"