日本長期信用銀行(現新生銀行)の元頭取で、戦後設立された同行の規模拡大を
進めた杉浦敏介(すぎうら・びんすけ)氏が、二十七日午後十時四十分、心筋梗塞のため、
東京都目黒区上目黒三ノ三一ノ五ノ二〇三の自宅で死去した。九十四歳だった。
葬儀は二月一日午前十一時三十分、東京都新宿区南元町一九ノ二、千日谷会堂で。
喪主は長女、青山紀久子(あおやま・きくこ)さん。
日本勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)出身。一九五二年の長銀設立と
同時に移籍し、五八年に取締役、七一年から七八年まで頭取を務めた。さらに
八九年まで会長だった。
会長時代を含めて合計十八年間にわたり、経営トップとして積極的に貸出先を広げた。
しかし、バブル崩壊後、不動産やノンバンク向け融資が焦げ付き、長銀は九八年に
経営破綻。旧経営陣の責任を問う声が強まり、杉浦氏は九億円を超す退職金の
一部を返還した。
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200601290009a.nwc 27日に死去した杉浦敏介・元日本長期信用銀行(現新生銀行)頭取は、1971年から
18年にわたって頭取・会長として君臨し、会長退任後も最高顧問などとして影響力を
持ち続けた「ドン」だった。長銀破たんで責任を問われたその人生は、長銀の栄枯とも重なる。
長銀は、杉浦氏が会長時代に行った不動産業「イ・アイ・イ」グループへの3800億円にも
上る融資が焦げ付いたことなどをきっかけに、98年に破たん。一時国有化を経て、米投資
グループに譲渡された。背景には、長期信用銀行の中でも筆頭格だった旧日本興業銀行への
対抗意識から、不動産やリースといったバブル期に急成長した業種に注力した杉浦路線が
あったとされる。
http://www.shikoku-np.co.jp/news/kyodonews.aspx?id=20060128000282