【売却】KDDIがDDIポケットを売却

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93名無しさん@お腹いっぱい。

「技術が劣っていたわけじゃない。“敵”が想像以上に強かっただけだ」
PHS(簡易型携帯電話)利用者が700万で天井を打った1997年の苦しい状況を、
DDIポケット技術本部長の近義起(ちかよしおき)は振り返る。

その2年前にサービスが始まったPHS。当初は通話料金の安さで人気を集めたが、
電波の弱さや利用エリアの狭さが敬遠され、携帯電話に客を奪われた。DDIポケッ
トに身売り話が出ない時はなかった。

士気にかかわる。勝てなくても、対抗勢力にはなりたい。「データ通信の料金を
下げれば退潮に歯止めをかけられるかもしれない。パケット方式を導入しよう」。
近の心は決まった。

パケットとは、小包の意味。細分されたデータは、一つ一つがあて名の書かれた
小包として通信網にのせられ、空いた道を選んで目的地に着く。従来の回線交換
方式ではデータが原型のまま専用道で運ばれるのに対し、道を多くの小包が共有
するパケット方式はコストが抑えられる。

問題は交通整理をする基地局だ。小包のあて名を確認するためには能力アップが
必須だが、全国15万の基地局の中央演算処理装置(CPU)やメモリーの増設には数
千億円かかる。業績悪化の中、そんな余裕があるわけはない。

「解決法は、わずかの費用で済む、基地局のソフトウェア変更しかない」と、近
はメーカー6社に検討を依頼した。だが、答えはそろって「無理です」。
94名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/27 08:12 ID:bQRsm9Og
だが近には秘策があった。実は回線交換方式でも、電話をかける時と切る時だけ
はパケットを動かしている。この方式の延長線上にあると考えれば、大がかりな
増設は不要なはずだ。模擬装置を使ってパケットを流す試験が繰り返された。メ
ドがたち、渋り続けていたメーカーがやっと同意したのは99年。1週間の泊まり
込み検討会の最終日だった。

それから2年。低料金データ通信サービス「エアーエッジ」は2001年6月にスター
トした。当たる自信があったわけではない。年間5万人の利用者獲得が目標の、
静かな船出となるはずだった。

だが初日、予定の十倍のデータ量が殺到、設備はパンクした。久しぶりの休日で、
娘二人が通う小学校の運動会を楽しんでいたチームリーダーの佐田昌博のPHSは
鳴り続けた。駆けつけた佐田は「もうダメだ。サービスを中止できないのか」と
頭を抱えた。

屋外でのインターネット接続需要の多さは予想外だった。エアーエッジは一気に
主力商品に躍り出た。会社は赤字を脱却した。だが技術陣にとっては苦しい時期
が続いた。利用増に伴い通信速度は低下、長時間の回線ダウンも起きた。安定す
るまでの2年間、佐田たちは対応に追われ続けた。「予想以上に売れたのが最大
の失敗だったな」。近は苦笑いする。

エアーエッジは今年4月、累積契約が100万件に達した。初めは最大毎秒32キロビッ
トだった通信速度も、年内に256キロビットへ高速化される予定だ。近たちの挑
戦は続く。