>印旛沼干拓は、将軍吉宗時代に始めたものだが、吉宗が失敗したときは何ら非難はなかったが、
引き継いだ意次に対してはごうごうたる非難が浴びせられている。なお、印旛沼干拓はこの後、
老中水野忠邦のときに、三度目の着工をしたが、やはり失敗している。
江戸時代の人海戦術中心の干拓技術では、印旛沼の干拓は不可能であった。
結局、昭和三八(一九六三)年になって、水資源公団の開発により、一三・九平方キロメートルの
中央干拓地ができ、ようやく成果を得ている。
南北に別れた沼は、調整池となり、農業用水、京葉工業地域の工業用水、付近都市の飲用水として利用されている。
「田沼の改革」
ー江戸時代最大の経済改革ー
関根徳男著 郁朋社 平成11年2月11日発刊 1000円
ttp://www.page.sannet.ne.jp/tsekine/tanumanokaikaku.html 大切なことなので、勝手に一部を引用させてもらったけど、印旛沼には徳川吉宗・田沼意次・水野忠邦に始まる印旛沼開拓の歴史があるはずだし、
その歴史的必然性をストップさせるほどの事かな。
原野かなんかだと思ってるんなら、地元を馬鹿にしすぎだよ。
あなた方にとって、地元住民ってタニシ以下の存在価値なの。
住民無視して、勝手に反対してる人って、本当に気分が悪くなりますね。