バイクにまつわる泣けた話【5発目】

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このスレを見つけたので書いてみる。

もう十数年前になるが、レースにのめり込んでいた。
スーパーカップやエリア選手権など、全日本の一歩手前っていう感じのシリーズ。
成績はあまりパッとせず、それでも3年目にはランキング5位って所までこれたんだ。

成績が上向いてるのに比例して、極貧生活はフル加速w
田舎町で実家暮らしだったから、食うには困らなかったが遊ぶ金なんて1円もねぇ。
楽しみといえば給料日にはラーメン屋に行くって事ぐらい。もちろん彼女もいないし。
もうね、ローン・信販・サラ金あらゆる所の常連w  でも夢をみていられたから、まぁ幸せだったのか。
昼は土方、夜は配送のバイトでなんとか凌いで来たが、でもそろそろ限界。
せっかくここまで来たのに、これからなのに、エンジンOHする金もない。

で、ワープロで企画書作ってスポンサー探し開始。

当時、今ほどバイク業界は冬の時代ではなかったと思う。でもブームは完璧に過ぎ去っていて
年々参加台数は減っていってる。
することもないから、休みの度に企画書持って地元の会社に飛び込みしてた。
そんなに大きくない街なんで、知人がいたり親父の知り合いだったり、結構ある訳よ。
そういうのが嫌なんで、関係のない所ばかり行ってた。

でも、そんな俺個人のつまんねぇ拘りに乗ってくれる企業なんて、あるはずも無い。
たいがい門前払い。中には応接室で話聞いてくれる所もあったが、金を出せとなると話は別。
「頑張って下さい。」は聞き飽きた。頑張ってるっつーの。

そんな中でも「○○タイヤ」という小さなタイヤ屋さんの先代の社長が、
俺の親父の事を知っていたらしく、タイヤを2セットサポートしてくれた。
なんでも、その先代の社長の息子=現社長が若い頃結構グレていたらしく、
親父に大層世話になった、と言っていた。 親父は当時市の民生委員をしていた。

そんな事をやりながら、開幕戦まであと2ヶ月をきった頃、その人と出会った。
雪がちらちら降っていたのはよく覚えている。