バイクにまつわる泣けた話【4発目】

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83774RR
昔から親父の行動が謎だった。
家ではほとんど酒も飲まず、タバコも吸わず、すげ無口。
休みは大体家にいたが、月一回ぐらいに土曜日の深夜にベロベロに酔って上機嫌で帰ってくる事があった。
大体、その翌週の日曜日は朝の5時頃出かけ、夕方過ぎには帰宅。
そんな時は身体がすす汚れてるか、爪の間が真っ黒だった。

何か有れば母親が親父の間に入って会話をしていたし、物心付いた時からこんな感じだったので
妹も俺も別に普通の事だった。ただ、朝早く出かけて帰ってくると疲れた顔をしていたが、妙にイキイキとしていた。

そんな毎日を繰り返しを送っていたが、母親が乳ガンであっという間に死んでしまった。
乳ガンと分かってから三ヶ月であっという間に。
84774RR:2008/07/01(火) 17:30:57 ID:VWpHqDDa
当時、高2だった自分が初めて目にした身近な人の死は、ものすごくショックな事で一週間位布団に包まって過ごした。
妹はそのまま引きこもりがちになり、学校を週2位しか行かなくなってしまった。
俺と妹、母親大好きだったからさ。あまりにも早く突然に会えなくなってしまって本当にガタガタになった。

そんな中、親父は相変わらず無口なまま。
親父は仕事から帰ってくるのが大体深夜だったので、飯は俺が作るか、妹と近くのファミレスに食べに行った。
親父との会話は元々無かったが、更に話さなくなった。その時の親父は日に日にやつれて行くのが分かったから、
親父も死んでしまうんじゃないかと恐れ、自分から話しかける事も無かった。

家の中は常に静かで物音もほとんどなく、妹は夜になると寂しいからと、布団を俺の部屋に持って来て手をつないで毎晩寝ていた。
寝ていると家で唯一する音、玄関の開け閉めの音と、部屋に俺と妹を見に来る足音くらい。
母親がいなくなって半年で家庭内一家離散状態。それからそんな状態がしばらく続き、俺は大学に進学。妹は高校に入学した。
相変わらず親父は無口なまま。
ある日、家のリビングでテレビを見ていると親父が来た。何か言いた気な顔をしながら。
ちょっと気まずかったので【最近、月一のお出かけ無くなったの?】と話しかけた。
そしたら返事が、【妹と一緒にちょっと出かけないか?】

え?

ビビった。だって話したのって恐らく一ヶ月ぶり位。内容のある話は恐らく三ヶ月ぶり。
取りあえず、妹を呼び出し、母親が死んでから初めて家族で出かける事となった。
そこで初めて昔からの親父の謎の行動がなんなのかわかった。
85774RR:2008/07/01(火) 17:31:53 ID:VWpHqDDa
向かった先は小ちんまりした工場?ガレージ?何ココ?誰この人達?何この髭?
俺と妹は訳も分からず中に入った。

そこに並んでいた物はバイク。皆、思い思いに作業をしている。奥では酒盛りもしている。
壁には写真がズラズラと並べられ、その中に親父の姿と母親の姿が映っている写真もあった。
中で作業していた人達は一言二言親父と話し、皆出て行ってしまった。
親父が写真を見ながらポツポツと話し始めた。

バイクに初めて乗った時の事、母親と初めて会った時の事、初めて母親と遊びに行ったときの写真、
結婚式でのドタバタ話、俺が生まれ妹が生まれ成長した事。そして母親の死について。
母親のガンが発覚した所から親父は涙をボロボロ流しながら一生懸命話していた。
妹が母親の死以来、一緒にいる時は大体手をつないでいたが、そんな親父の姿を見て、妹が余った手で親父の手をつないだ。
ものすごく臭い事だと思うが、俺はこの時、家族っていいな、、、と思った。
そして俺はこの家族の一員で、妹も父も家族の一員なんだと思い、気が付いたら三人で泣いていた。

それからしばらくして、妹は親父の後ろに、俺は汚ったないバイクの汚ったない髭面のおっちゃん(今ではメンテ師匠)の
後ろに乗ってしばらく走った。これが俺の記念すべきバイク体験のむさ苦しい第一歩だった。

広い道路に出、海岸線を抜けて、山道を走り、気が付いたら夕日が落ちる直前の綺麗な景色が一望出来る所だった。
こんな綺麗な夕日を見たのは後にも先にもこの時が一番綺麗な夕日だった。
来る前に髭師匠に渡された、クソ重いリュックを下ろし、しばらく妹と一緒に夕日を見ていた。

夕日が沈む直前にそのリュックから髭師匠がその場で煎れたコーヒーをもらい、妹と親父と髭師匠と俺で飲んだ。
髭師匠の入れるコーヒーは最高だ。特にお互い喋る事無くコーヒーを飲みながら夕日を見入っていた。
妹の手が俺の手から離れて何となくこれから上手く行くような気がした。
86774RR:2008/07/01(火) 17:32:33 ID:VWpHqDDa
帰る途中、温泉に寄って10年ぶりくらいに親父と風呂に入った。
もうわかってはいたが、昔からの月一お出かけは親父はバイクに乗っていた。
母親は当然知っていたが、同じガレージで作業しているバイク仲間が不慮の事故で死んで行くのを見て不安に思い、
子供には乗せないようにする事に決めたみたい。
当時はバイク=不良、悪者ってイメージが酷かったろうし、自分の子供が親より先に死んじゃったらそれこそ
悲しい事は無いからね。そんな事を露天風呂で話した。それから自宅に帰り、少し会話をして寝る事にした。

妹が隣の布団に入り、親父の事、母親の事を話した。その時に初めてお互い極力避けて来た話題、母親の死と、
親父の事も話した。お互い話した内容は憶えてないと思う。二人で自分に話しかけてた感じだったから。
妹が寝た後に一人で色々考えた。
87774RR:2008/07/01(火) 17:33:05 ID:VWpHqDDa
母親が心配していた事。俺と妹を失う事。
それでも親父はバイクの事を話した。家族を取り戻す為に。
無口な親父は必死だったんだろう。母親の死を受け入れる為に。家族を守る為に。
その為に選んだ答えがこの日の出来事だったんだろう。
もっと別の方法で解決出来たのかもしれない。
母親との約束(バイクに乗せない)を破らなくても別の方法があったのだろうと思う。
けれども、親父が決断を下し、もがき苦しんでいるのであれば、俺は俺の出来る限り親父を支持しようと思う。
家族を、俺と妹を守ろうと必死なのだから。
88774RR:2008/07/01(火) 17:33:29 ID:VWpHqDDa
俺は翌朝、教習所に向かい中型二輪の申込証をもらって来た。
夜、三人で話した時、相変わらず無口だったが親父は嬉しそうな顔をしていた。

今では土日は例のガレージで親父と妹と俺と三人で遊びに行っている。
走りに行くときは親父の後ろに妹を乗っけて、メンテをする時は皆の分のおにぎりを作ってガレージで遊ぶ。
それでもやっぱり親父は無口だ。無口なりに無言で語ってくる。二人で走っている時は特に無言で語ってくる。

そんな親父が大好きだ。妹も大分明るくなった。明るい妹が大好きだ。髭師匠はたまに臭いが好きだ。
そして、危険な反面、家族との会話を取り戻すきっかけとなったバイクに俺は一生乗り続けると思う。

帰るところがあるから帰り、大好きな人達を悲しませない。
親父の無言の語りを忘れない限り。