高1の時にレイプされました。
先輩に告白されて初めてのデートでカラオケへ。
満杯になるまで曲を予約して、音楽流れ始めたら・・・
外廊下を歩く人の姿は見えるのに、叫んでも誰も気がついてくれない。
とにかく怖くて、痛くて、悲しかった。
当然中だしされた。
終わってから呆然としていると先輩が誰かに電話をかけた。
「今終わったからさぁ、じゃああとで」
すぐに他の先輩たちもきた。
最初から他の部屋にいたみたいだった。
写メとかムービー撮られて、すごくイヤだけど、もう抵抗もできなかった。
ムービー撮りながら「○○高1年○組の○○ちゃん、濡れ濡れで超感じてます!」とか実況みたいに言われた。
痛いほうが先で全然感じてなんかなかったけど。
学校名や名前とか入れることで、ムービーが私だって特定できるようにしたことを後から知らされた。
ネットに流されたくなかったら誰にも言うなって口止めされた。
言えなかった。
例え警察であっても、そんなの見られたくなかったから。
警官だって男性だし、いくら仕事でもイヤだって思った。
とにかく早く地獄みたいな時間が過ぎてほしい、解放されたい気持ちでいっぱいだった。
「おまえら中だしすんなよ。あとからイレるの気持ち悪りぃから」
そう言いつつ中だし。
妊娠しないか不安だった。
「もっとヤリマンかと思ったけど意外に処女だったんだな。エロい身体してるから悪いんだよ。どうせ○○ちゃん、家じゃオナったりしてんだろ?」
「してません・・・」
「ダメだなぁ、○○ちゃん。空気読まないと。“○○はオナニー大好きです”って言わないと、これ学校でみんなに(メールを)まわしちゃうよ?」
「・・・私はオナニー好きです」
「私じゃダメ。ちゃんと○○(フルネーム)って言わなくちゃ。○○はオナニー大好きで学校でもいじってます、って」
「○○はオナニー好きです・・・学校でもしてます」
もちろんムービーに撮られてた。
ムービーが先輩たちの間で出回ったみたいで、それからこんな生活が続きました。
メアド変えたり登校拒否したら、まだ中学にいる妹に手を出すからなと脅されたから、学校を休むこともできなかった。
学校にいけばニヤニヤした3年生ばかり。
その場にいなかったはずの人までムービーを見て知っていたから、私は学校でも犯された。
放課後の教室、屋上、体育倉庫。
しばらくして私は先生に呼び出された。
「おまえを助けたい」
そう言ってくれた。
嬉しくて私は放課後、ノコノコと理科準備室に行った。
けれど待っていたのは、先生によるレイプと、きちんとしたビデオカメラでの撮影だった。
この頃になると私も身体が慣れてきていたし、何より先生の手や口は気持ちよかった。
思わず声を出してよがってしまった。
「アイツらの言うとおり、淫乱なんだな。オナニーも大好きなんだろ?特別にくれてやるから使って見せろよ」
真っ黒くて太いバイブだった。さんざん舐められていたアソコは、入らないと思ったバイブを簡単に受け入れた。
先生がスイッチを入れてそれをおなかのほうに押しつけるようにグリグリ動かすと、私は初めてイッてしまった。
その日以降は先輩たちに犯されることはなくなった。
先生が先輩たちに、少年院に行きたくなかったら画像はすべて消せ、もう○○に近づくな、そしたら内申書も悪くしないと言ったそう。
調子いいこと言ってるなと思った。
先生との学校でのエッチは当たり前になっていた。
気持ちよくて毎回イカされていた。
しかし毎回ビデオで撮られていた。
今までにも気に入った子はここでレイプしてビデオに撮っていたと先生は言った。
ただ私の場合は先輩たちに犯されていた事実と、もうまわされなくなる心配がなくなったので、2回目からは安心してエッチしていた。
「○○が妊娠したら懲戒処分になるから」といって初回からゴムつけてくれていたのも安心できた1つだった。
先生とのエッチは週3〜4日。
学校だけじゃなくて、都内のシティホテルでもした。
(ちなみに住んでいたのは関東北部の県です)
最後のエッチは卒業式の日。
初めてラブホに入った。
今までと違う、鏡張りの部屋で。
ホテルにつくまで私はずっとローターを入れられ、離れたところにいる先生がスイッチを入れる。
電車の中や歩道橋を登るときとか、我慢するのに必死だった。
親には「友達の家で卒業パーティーする」と言っておいて、初めて朝までエッチしていた。
家に電話するとき、先生が出てくれ、友達のお父さんの振りをしてくれた。
お母さんから「よろしくお願いします」と言われたと先生はニヤニヤしていた。
AVを観ながらのエッチで、ラブホだから声も我慢しなくてよかった。
今は大学も卒業して、エッチした人数も(まわされた人を含めず)人並みかなと思う。
でも、先生のエッチは今でも忘れられない。
レイプは怖かったし、忘れたい体験だけど、先生とのエッチが浄化させてくれた気がする。