【西部は】静岡の自転車情報その8【浜名湖スレへ】

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771ツール・ド・名無しさん
京浜は首都圏の核であり、また西湘は首都圏・関東である。
京浜、西湘が関東であれば、熱海も関東・首都圏である。
しかし、伊東・小山は必ずしも関東・首都圏とはいえないし、
函南、裾野はどう考えても関東ではありえない。
772ツール・ド・名無しさん:2010/02/09(火) 02:34:44 ID:tGzKBplv
単に、地理的条件、電波、交通、経済、連携といった事情にとどまらず、
「奥」としての性格の強弱を考えても、このことは容易に理解できる。

東京の要人は、明治初期から既に、保養や会談のために、遥々、「熱海」や
「湯河原」、そして「箱根」に訪れ、そこに極点と安堵を求めていた。
当時の交通事情を考えると、その道程は長いものであったが、そこに到達する
プロセスにドラマと悦びを求めながら、熱海や湯河原、そして箱根に足を運ん
だのである。
それはいわば一種の「儀式」と化し、経済・交通が発達するにつれ、多くの東
京人に共有されるようになっていったのだ。
「特急踊り子」「東海道グリーン」を利用した熱海への小旅行などは、近代化された現在における
その良き「名残」である。いや、名残というより、継承され続けている、儀式的な伝統というべき
だろうか。
独りまったりと小酒とつまみを片手に車窓を眺めながら、あるいは複数人で会話を愉しみながら、
そこに喜びや儀式を求め、到達点に安堵を求め、日々の疲れを癒す。
773ツール・ド・名無しさん:2010/02/09(火) 03:24:34 ID:tGzKBplv
どんなに辛いことがあっても、どんな激務をこなしても、熱海や湯河原、箱根に行け
ば、心の芯まで癒される。これは多くの東京人に共有されている。
さて、ここで、幼いころの「冒険心」を思い出してほしい。
行動が制限された中で、まだ見ぬ「奥」へ行ってみたい、建物にせよ何にせよここの
一番「奥」はどうなっているのだろう、そういう少年の心が、誰にもあっただろう。
「奥」にたどり着いたとき、多くの人は悦びとともに安堵感を感じる。
対し、「向こう側」は「行ってはならない場所」あるいは「行くことに困難を伴う場所」「一
度行けば戻れないかもしれない場所」という感覚があるため、そこに行ってみたいという好奇心を覚えることは
あっても、途中から不安に駆られ、また到達したときの安堵もなく、あるのは一層の「不安」で
あり、これが「奥」と「向こう側」の根本的な違いである。
「向こう側」には、「奥」のような安心感がないのである。
774ツール・ド・名無しさん:2010/02/09(火) 03:59:09 ID:tGzKBplv
熱海は、静岡県一の観光客数を誇り、全国でもかつては、箱根を上回り第1位、
現在では箱根に逆転されたとはいえ、第3位である。
熱海が選ばれる理由、それは風光明媚で気候温暖でなおかつ、良質な温泉や風景が
あるからでもあるが、それだけではこれほどまでに好かれないことは論を待たない。
決定的な理由は、やはり関東&首都圏の「奥」で位置していることである。
東京から割と簡単に行け、しかも関東の端であるため、日常を忘れさせない、それで
いて「楽園」の気分に浸れる。まさに絶妙のロケーションであり、帰ろうと思えば、
普通に引き返せる、「奥」であるから「中心」の情報を得ようと思えば、テレビという
媒体を介して、いつでもリアルタイムに情報を得ることができるし、右方直近
には身近な相模の海、駅には身近な列車があり、そこに不安など皆無である。
他所の世界に行ってしまえば、そこがどんなに風光明媚な「楽園」であろうとも、
「不安」によって、疲れた体は十分に癒されないし、辛い現実も、単なる「現実
逃避」にとどまり、のちに「日常」に戻った際に、待ち受けていたかのように辛い
現実に再び打ちのめされてしまう。
伊東といえば、たしかに、東京にある程度は近いし、そこに「奥」としての性格が
全くないわけではない。しかし、そこは、やはり遠く、網代港〜城ヶ島のラインから
反れているため、右方に見えるものはただ水平線、あるいは房総半島がかすんで見え
る程度である。
修善寺、土肥、沼津、松崎といえば、山塊の西側に位置し、丹那平山構造線の西方、
ユーラシアプレート上の地であるため、右方に海は見えず、厳大な「山」が嶮しく
聳えるのみであるから、そこに安堵を求めることは全くもって困難を極めよう。
775ツール・ド・名無しさん:2010/02/09(火) 04:50:50 ID:tGzKBplv
このように、宇佐美の北と南では、奥としての性格の強弱が大幅に異なり、
また、足柄・箱根・丹那の東側の熱海、湯河原、箱根とその西では、もはや
天地ほどの違いを差異を認めざるを得ないのであるから、静岡県中部や東部
・神奈川県西部の各自治体は、おのおの、自らの立ち位置を認識したうえで
の行動を取っていけなければならない。
熱海は新婚旅行のメッカであった時代ほどの繁盛はないものの、それは航空交通網
の発展によって若い人のヨーロッパやハワイ方面という「魅力ある異国の地」に人生のうちに
一度は行ってみたいという好奇心に奪われたからという面が大きいからであり、未だ「婚前旅行」
「不倫旅行」「デート」「合宿」「フルムーン」「日帰り旅行」等々で、「選ばれているという
事実」を、熱海市は自信を持って正しく認識し、ひたすら「上」を目指して、素晴らしい将来につ
なげていく必要がある。
もっとも、天狗になりすぎることは失敗をもたらすから、ときに一定の自戒は必要であるが、
決して、心無い批判に無駄に悩み自虐的になりすぎてはならない。
湯河原、箱根、小田原との県を越えた観光客誘致という大目標が成功したのは、熱海市に、的確な
認識と民意、熱意、そして西湘・京浜との強い「絆」があったからである。
西湘は熱意を持って求愛し続けた熱海を見捨てなかった。
京浜から在来線で90分圏内に位置する「奥座敷」という性格の共通性、国勢調査の通勤先や人口
転出先、相模の海を囲むという地勢的条件の同一性、テレビ放送における同一性、道路・鉄道と
いった交通体系で示される結びつきや共通性、三島より湯河原、沼津より小田原とい交流の実情、
特に湯河原は、大量の伊豆・沼津ナンバーがエスポット・ジョイスクエア・ガソリンスタンド等の
施設に来ているという実情、施設の相互利用・共同し尿処理施設の建設計画という政策的な友好状況
を踏まえ、熱海を重要なパートナーと評価し、誘導してくれた。
776ツール・ド・名無しさん:2010/02/09(火) 05:13:13 ID:tGzKBplv
サンビーチ、熱海城、MOA美術館、伊豆山神社(関八州総鎮護)、梅園、マリンスパ、
秘宝館、大黒崎・錦ヶ浦の絶景、どれも多くの東京人の心に、大切な思い出のひとつとして
克明に刻まれている。
熱海、湯河原、真鶴、箱根、小田原での思い出、それは過去から現在においてどれだけ多くの
東京人の「生きる糧」となってきただろうか。
そんな熱海は、一刻も早く関東地方へと編入されなければならない。未来のために。今回の成功は
その第一歩であろう。
対し、伊東市は、宇佐美という障壁が立ちはだかっており、不安定な「奥座敷もどき」という性格から、
関東人からの思い入れの程度において、熱海に大きく差をつけられているという現実を認識したうえで、
熱海の二番煎じ的な恩恵に浴しながら「伊豆」をアピールし、現状を打開することが求められよう。
もちろん熱海との一定の連携も必要である。
修善寺、土肥、沼津、松崎は、「非日常」をアピールし、東京における、軽井沢・越後湯沢・会津的な
存在になることができれば、万々歳であろう。
777ツール・ド・名無しさん:2010/02/09(火) 05:34:58 ID:tGzKBplv
なお、今の軽井沢・越後湯沢は山(碓氷・谷川)の西側として可能な限りの力を尽く
してきた結果であり、両地とも、現状を上回る発展はもはや望めないといえる。
つまり「山の西側」としての限界は軽井沢・越後湯沢によって現に示されているところ
であり、だからこそ、修善寺、土肥、沼津、松崎は、至難の業であるが、それを究極
目標にしていくべきなのである。