【街の】フラットバーロード8【遊撃手】

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フラットバーロードは用途を明らかにできていない中途半端な
人間が乗るものだ。一番中途半端で面白みがないものだ。
矛盾するようだが、強烈な自意識がないと乗れない乗り物だ。
つまり、「自分はこうだ」と自意識過剰に思い込まないと、無理
して乗れない、そういう無理のある乗り物だということ。
その自意識をどの用途にも正面から当たると勝てないというので、
一番中途半端なところで一線を画したつもりになって自意識を
保とうとするような、そういう乗り物だ。事実だから仕方ない。
残念ながら、自転車を知り始めた者ほど、こういう流れにいき
やすい。だが、GIANTのFCRがメッセンジャーだなんだともて
はやされていたころに比べれば、確実に人気は落ちている。
結局、自転車の進化の流れではないんだよ。傍流の一時期の
流行でしかない。それは当然だ。用途に対して設計された
ものではないんだから。ただドロップが敬遠されがちな元々
売れないロードをドロップも乗れない素人に広めようという、
そういう程度の志しかないんだから。リジッドのロードなら、
それはドロップしかないんだよ。フラットバーは無理がある。
だからロードってのはドロップなんだよ。別にドロップ信者でも
ないが、その中途半端さが、おそらく本物のロード乗りにも、
フラットバーロードが叩かれている理由なのだろう。
長い
フラットバーロードは見た目はいいものもあるが、どれもこれも
見た目だけだから困るのだ。見た目ですべてを犠牲にして
ただネット上であれこれ瑣末な談義をしてキモい馴れ合いを
したいやつは買えばいい。だが、ストレスを取り除くための、
根本的な解決は望めない。カーボンとかグローブとか重量とか、
そういうどうでもいいことを言っている連中がほとんどだ。
リジッドかサスか、ドロップか否か、とかそういう頭の悪いことを
言って解決すると思っているやつが多いが、一つの要素だけでは
決まらない。要素の組み合わせでスタイルがまったく違ってくる
からだ。いくつも乗っていない人間というのは、そこを想像できない。
自転車板というのは、そこを相対化して語ることができてないだ
ろう。結局、ロードとかMTBとか狭い枠におさまって、そこでこだ
わってしまっていることが、いびつな認識につながっている。
用途に対して最適なものはなにかとは非常にズレた、そういうもの
だけが短絡的にもてはやされて、あこがれるやつも出てくる。
だから、自転車に乗っても十分に楽しめないことになるんだよ。
認識と現実が合っていないからだ。ストリートということを考えたとき、
もっと優先しなければいけないものがある。そこを考えていないで、
これが最適なのだと無理して思い込んで、自己正当化をしている、
そういうやつがほとんどだ。もっと、ずっと最適なものは存在する。

それが公道最速理論だ。

その「魔法の絨毯」の感覚を知ってしまうと、
もう他になんて満足がいかなくなる。