【おまえは、誰だ。】【え?誰って、荒川だよ。】

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52Akira ◆he/Lqx9s
「誰だ、おまえは」
おそらく、言葉にもなっていなかっただろう。
赤く澱んだ視界の中、現れた人影に、俺は反射的に口を開いた。
人影が大きくなる。
影の真中にさらに暗い穴が開く。話している…。
聞こえない。
聞こえない。
もう一度口を開こうとするが、その気力もすでにない。
赤い視界が、黒く塗りつぶされていく。
なんでもない、ちょっと眠るだけだ。
後頭部に、ひんやりした感触。
脳裏にひらめいたのは、白い手。
白く、細く、冷たく、クッキーの生地を暖めない手。
ほんのすこし澱みが晴れ、俺は意外と健やかな眠りに落ちた。
53Akira ◆he/Lqx9s :02/09/05 12:26
二日酔いにキクのはなんだ。
水を浴びる?胃薬を飲む?また寝る?吐く?それとも、迎え酒。
これで右手が埋まってしまった。簡単に。左手もすぐに埋まってしまうだろう。
もう一度手を開いてみる。少々青ざめた、すこし黄ばんだような手のひら。
「そうやって並べ立てるだけで、どれも実行しようとしないんだよね、キミは」
俺の右手には運命線がない。
そんなことを指摘されたのは、このササキと新宿を歩いていたときだった。
「ま、コーヒーでも飲んだら?」
目の前にカップが差し出される。
カップから立ち昇る温気が、胃を刺激する。それも悪いほうに。
俺はトイレに駆け込んだ。
答えは薬指。
54Akira ◆he/Lqx9s :02/09/05 12:27
「あのな、二日酔いの人間に対してあれはないだろ」
「知らないよ、そんなこと」
そうだろうとも。ササキの酒豪は大学時代から轟いていた。
知らないことは知らない。知る必要のないことも知らない。
シンプルな求心力と遠心力で、自分の世界を作り上げる。
俺たちの関係がぼんやり続いていたのも、ササキのそんな資質のせいだ。
「だからこうして、ひざまくらしてあげてるんじゃん。
 人妻のひざまくらだぞ。感謝しろ」
首筋にひんやりした太ももの感触。
ササキはどこを触ってもひんやりしている。
昨夜、俺の頭をなでた冷たい手が額に当てられる。
「気持ちいい」
「そう?」
「ああ、気持ちいい」
「なんだか素直だねえ」
珍しがることもないだろう。俺はいつでも素直だったはずだ。
目の前の人妻。大学時代のセックスフレンド。俺のアパート。
俺のワイシャツ。見上げる乳房のふくらみ。肩までのストレートな黒髪。
白い肌。太もも。