第5局の観戦記で最も問題だと思ったのは、自分が見てもいない第4局に言及した点。
四局目の塚田九段は、必敗のかたちを持将棋に持ち込んで、ついに引き分けにしてしまった。
神聖な将棋の棋譜を汚したと言われかねない手であったが、これが感動をよんだ。
プロ棋士として、自分がどういう手を指しているのか、誰よりわかっているのが、本人の
塚田九段である。記者会見の最中、塚田九段は、何度も涙をぬぐっている。
「ニコニコ動画を見ていて自分は感動した」と書くなら文句は言わない。
「人間を人間たらしめているのは」と、第1局で書いた「大山名人のような優しい心づかい」と
絡めて「人間はくやしいし、人間は傷つくし」と続くなら、それもいい。
ただし「感動をよんだ」などど「曖昧にどこかの空気を読む」のは記録者として失格である。
第4局を担当した河口の仕事に対しても失礼だ。
棋譜は「神聖」である必要は無いが、合理性を追求していく必要はある。
「将棋というゲームの凄いところは、敗者が自ら自分の負けを認め、投了をするところ」
と書いておきながら、それが本当の意味でわかっていないと思った。