将棋ソフトがプロより強くなった場合の影響 Part2
1 :
名無し名人:
2 :
名無し名人:2011/08/11(木) 13:28:44.02 ID:EYkwCv/h
さあ始まるザマスよ!
3 :
名無し名人:2011/08/11(木) 14:06:29.04 ID:l2Q4OcUT
必死だな
4 :
名無し名人:2011/08/11(木) 16:11:34.85 ID:Jy8nCnp8
>>1 何個も同じ様なスレ建ててどんだけ必死やねんw
5 :
名無し名人:2011/08/23(火) 13:25:41.87 ID:k4USEG3u
6 :
名無し名人:2011/08/23(火) 13:27:03.54 ID:k4USEG3u
【高校野球】球児の親「特待生でないとうちの子のプライド許さん!」…常総学院前監督、木内幸男氏が高校野球への思いを激白
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1314017141/ (抜粋)
うちの野球部も、体験入部というのをやっていてね。80〜90人近くの中学生が集まって、
そのうち7〜8人は凄い選手です。たださぁ、俺は父兄に言うんだよ。
「皆、特待生で入学させたいと思っているんでしょ」と。そりゃ無理だよ。
うちは特待生にしたいような選手でも、受験で1点でも足りないと不合格にしちゃう。
スカウトして強くなったと思われるのがシャクだから。
だけど親は、「特待生でないとうちの子のプライドが許さない」と言う。
高校野球はそういう時代になっちゃったんだよ。
そりゃ選手を集めて甲子園に出ることで学校経営が成り立ってる現実を考えると、
それも“必要悪”と思う自分もかつてはあった。でも一人の選手を優遇すると、
一般受験した子が一人落ちるわけだ。おかしいべぇ。
【※↓※↓※注目です※↓※↓※】
俺が政治家とくっつかなかった理由もそこにある。取手二高時代はグラウンドを
県に直してもらうのに10年かかった。政治家に頼めば2年で修繕してくれるのにね。
ところが政治家に頼むと、次は支援者の師弟(※ママ)を部にいれてくれ、
レギュラーを与えてほしいとなる。
【※↑※↑※注目です※↑※↑※】
純粋に野球を楽しめない、頑張った子が損するようなことになりたくないんだぁ。
いざ、引退してみて確信が持てたな。
俺は高校野球が本当の競技から離れていくのが嫌だったんだなぁと。
7 :
名無し名人:2011/08/23(火) 13:28:26.32 ID:k4USEG3u
>>5-6 間違いなく、これからは芹沢事件のようなことが日常茶飯事になるぞ。
あんなのかわいいもんだ。
70人、100人議連に入れるとか言ってるがトンデモナイことだ。
そんなに用心棒抱えて、どんだけの有形・無形の報酬・コストが必要かわかってないんだな。。
破滅的愚行。
タイトル戦の対局中に支援者引き連れた政治家先生が、
ドカドカと対局室に足を踏み入れる。
後援会幹部が上京しているからと、酒席に呼びつけられて、
竜王や名人が酌をさせられる。
席を辞したあとまで、
(わりかしマトモな部類の)後援会幹部「先生、あそこまでさせてええんですか?」
政治家先生
「ええんや。あいつら、新聞社が斜陽で契約金値切られるわ、
ソフトの方が強くなって逃げ回るわ、で国から補助金引張ってくるわしらに頭上がらんのや。」
などと酒の肴にされる。
女流棋士も接待、枕営業させられる。
など、羽生や渡辺にはとても耐えられないのではないかな。
8 :
名無し名人:2011/08/23(火) 13:37:27.85 ID:k4USEG3u
ちなみに芹沢事件とは?
3 :名無し名人:2009/04/11(土) 00:44:05 ID:VwlEcdVC
>>1の続き
さて戦いだが、升田が苛立っていたことはたしかで、
一日目の午前中には早くも戦いが始まり、午後には中盤の勝負所にさしかかった。
そのとき、突然芹沢が入って来た。
私のとなりに正座し、記録机に手をつき、「お願いします」
ふるえ声で言い、頭を下げた。
それを合図に、ドカドカッと五、六人が入って来た。
升田と大山はすぐ芹沢を見た。険しい目だった。芹沢はうつむいたままでいる。
対局室はせまく、ファンがひざをつくと、下座の升田にふれんばかりだった。
瞬間、大山の目がなごんだように見えた。
「こちらにもいらっしゃい」
ファンに声をかけた。
升田は横を向いている。
それは、許す、であった。
そうして五分もたったころ、芹沢が「ありがとうございました」と頭をさげ、
ファンを連れて出て行った。何事もなく済んだのである。
(つづく)
9 :
名無し名人:
(
>>8の続き)
5 :名無し名人:2009/04/11(土) 00:46:54 ID:VwlEcdVC
>>3の続き
それにしても、よく対局室に入りこめたものだ。
離れ座敷だったので。外からじかに入れたのだろうが、
朝日の担当者も、見て見ぬふりをしたか。
その頃、芹沢は三十歳。A級から落ちていたが、天才ともてはやされた花形棋士であった。
ところが、競輪に凝り、生来の浪費癖も重なって借金に追われていた。
このときも、地元の沼津に帰り、金を都合しようとした。
だがファンも無心が度重なれば気持ちよく金を出しはしない。
切羽詰って、名人戦を見せるから、と言った。
あるいは、ファンのほうから、名人戦を見せてくれるなら、の要求があったかもしれない。
ともあれ、そういう事情があっての無法であった。
大山も升田も、すぐ芹沢の窮状を察した。
河口 俊彦 人生の棋譜この一局 (新潮文庫) P292〜294より抜粋
(おわり)