☆。.:*・゜森内俊之 Part38.。.:*・゜☆

このエントリーをはてなブックマークに追加
1
★プロフィール
1970年10月10日、神奈川県横浜市生まれ。
87年、四段。02年、九段。
02年、初タイトル獲得。
05年、アタック25優勝。
07年、十八世名人の資格を獲得。
獲得タイトル、竜王1期、名人5期、棋王1期、王将1期。棋戦優勝12回。

                _____
                /:::::::::::::::::::::::::::::ヽ        、ヽ l / ,
              /::::::::::::/~~~~~~~~/        =     =
                |::::::::/ ━、 , ━ |       ニ= 森 そ -=
              |:::::√ <・> < ・> |      ニ= 内 れ =ニ
              (6 ≡     ' i  |_ _  =- な. で -=
  、、 l | /, ,       ≡     _`ー'゙ ..|ノ:::|.|  ヽニ .ら. も ニ
 .ヽ     ´´,      ,\  、'、v三ツ |ヽ:ヽヽ  } ´r :   ヽ`
.ヽ し き 森 ニ.    /|{/\     ||.|:::::| |  |  ´/小ヽ`
=  て っ 内  =ニ /:.:.::ヽ、  ヽ___ノ :| |.|:::::| |  /
ニ く と な  -= ヽ、:.:::::::ヽ、._、  _,ノ/.:::::| | /|
=  れ.何 ら  -=   ヽ、:::::::::\、__/::.ア.:::: |' :|
ニ  る と   =ニ   | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::タ.:::Y′ト、
/,  : か   ヽ、    | |::::::::::::::::::::::::::::::::::::_ッ_:::|  '゛, .\
 /     ヽ、     | |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::.ク:::.ト、    \
  / / 小 \    r¬|ノ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::25:::::| \

前スレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bgame/1299539103/
2:2011/05/02(月) 08:29:54.56 ID:OPvVOiFo
・1970年10月10日生まれ。同学年には、羽生、藤井、丸山、郷田、先崎がいる。
・祖父は京須行男八段。奨励会の幹事を務めたこともあったが、
当時の奨励会には中原、米長、大内などが在籍しており、何かと苦労が多かったようだ。
・1981年1月6日、新宿で開かれた小田急将棋まつりの小学生大会の予選2回戦で
同じ小4で後にライバルとなる羽生善治と初対戦し、ツノ銀中飛車で勝利する。
しかし、翌日に行われた本戦の準決勝で再戦し、今度は完敗する。
・1981年8月、友達になった羽生に誘われ、東京都下小学生名人戦に参加するため八王子まで行くが、
神奈川県在住だったため参加することができず、観戦だけして帰った(優勝は羽生少年)。
その姿を見た主催者が不憫に思い、翌年から規定が変わり、県外からの参加もオープンになった。
・1982年4月、小学生名人戦でTV初登場。しかし、「リハーサルと同じ様にお願いします」という
ADの言葉を勘違いして、将棋まで同じ様に指してしまい、惨敗。優勝した羽生とは対戦できなかった。
・1982年8月、規定が変わった東京都下小学生名人戦に参加。
決勝で小学生名人の羽生を204手の泥仕合の末に下し、優勝する。
・1982年12月、奨励会を受験。入会試験で、負ければ不合格の対局を3連勝して合格(その内の1勝は林葉から)。
・奨励会1級の頃に、高柳道場で時の名人だった中原誠と対局し、大熱戦を演じる。
後年、中原は「ひっぱり込むような受けをされ、負かされそうになった。これは強くなると思いました」と語った。
・奨励会二段の頃に、島朗から研究会の誘いを受ける。もう1人のメンバーに郷田を推薦するか、
佐藤康光を推薦するか迷うが、結局、佐藤を推薦し、さらに羽生を加え、最終的には4人で研究会を結成。
・高2で四段に昇段。その時のインタビュー。
── 目標は?
森内 「名人です」
── 尊敬する棋士は?
森内 「米長九段」
── ライバルは?
森内 「羽生善治、佐藤康光、先崎学」
ちなみに、好きなタレント・歌手は、「南野陽子、Wink」と答える。
・同時期に17歳で新人王戦を制覇。
さらに、早指し新鋭戦でも2年連続で、決勝で羽生を下し、連覇を達成。
3:2011/05/02(月) 08:36:59.15 ID:OPvVOiFo
・1989年3月、谷川浩司名人を2勝1敗で下して、全日本プロトーナメントを制覇。
最終局の観戦に来ていた升田幸三は「四段が名人に勝っちゃいかん」と言っていたが、
実は、森内のことを「若手No.1」と評価していた。
また、高校生・四段が名人を番勝負で負かすのは前代未聞で、「フォーカス」誌は、
「東の正横綱を十両12枚目が破ったようなもの」と報じた。
・中学・高校は、サレジオ学院(男子校)に在籍。
カトリック系の学校の生徒という理由で、加藤一二三九段に一方的に親近感を持たれる。
・同世代の学生との交流を求めて、慶應義塾大学のクイズ研に参加。
棋士であることを明かさなかったため、サークルのメンバーには、フリーターだと思われていた。
・1990年、竜王戦4組で吉田七段と対戦。羽生竜王に挑戦すべく気合いを入れて臨んだが、
必勝の将棋を逆転負け。怒りを静めるために、自宅の青葉台までの30kmを走破。
・1993年、全日本プロトーナメントで河口俊彦と初対戦し、36手で瞬殺。
河口は「私より大駒1枚強い」と語っていたが、実際には、もっと差があると思われる。
・順位戦で26連勝を記録し、C2からB2まで一気に昇級するが、
既に8連敗で降級が決まっていた佐伯八段に敗れ、9勝1敗ながら頭ハネを食う。
・タイトル戦初登場は1996年の名人戦。その開幕局で封じ手時刻の30秒前に着手。
大盤解説をしていた米長が「宣戦布告だ!」と叫び、緊張感は最高潮に達したが、
局後に「一晩、僕だけの秘密を抱え込むようで気持ち悪くて…」と意外な理由を明かした。
この事件がきっかけになり、封じ手時刻は記録机に正確な電波時計を用意して決めることになった。
・第4局では、さらに際どく、封じ手時刻の5秒前に着手して関係者を驚かせる。
そして、その将棋でタイトル戦初勝利をあげる。途中で金銀8枚を全て手にしての勝利だったため、
翌日の新聞に「高額納税者の羽生七冠王を金欠にさせた」と書かれる。
・第5局は、大逆転負け。感想戦で羽生に「この形が詰まないことは100年前から知っていました」と言われ驚く。
初のタイトル戦は1勝4敗に終わったが、全局が大熱戦で名人戦史上最高の内容と讃えられる。
4:2011/05/02(月) 08:41:35.15 ID:OPvVOiFo
・七冠王だった羽生が、約8割の確率で先手番を取っていたことに疑問を抱き、
自宅で数千回、振り駒を行う。「歩兵」が表になり易いというデータが得られたが、
誰からも相手にされず凹む。
・米長が自慢にしていた米長邸の菜の花畑を見せられるが、「立派なレンゲですね」と言って凹ませる。
・羽生と佐藤康と三人でアタック25のパネルの開け方を共同研究した後、
深夜の雨の中、難所として知られる日光いろは坂を運転初心者の佐藤の車で爆走し、死にそうになる。
・1999年、久しぶりにタイトル戦に登場。相手が羽生棋王だったこともあり、
気合が入っていたが、対局中に記録係の飯島栄治に熟睡される。
・TBSの「史上最強のクイズ王決定戦ライブ」において、林葉直子が九州地区の
タレントゲストで目立ちまくっている中、関東地区の一般参加者の中でひっそり敗退。
・2001年に「クイズ・ミリオネア」に「森内俊之(30)、職業:団体職員」の紹介で
一般人として登場。最後の並べ替えクイズで撃沈。
・2002年の春に、名人奪取&婚約発表。名人就位後、NHK将棋講座の講師を務めるが、
始まってすぐに講師の座を千葉涼子に奪われる。
・2003年、羽生との名人戦において、夕食休憩でカレーを食べ終えた後、
再開後に、一手も指さず投了するという奇妙な行動をとり、“カレー投了”と揶揄される。
・2004年にA級順位戦で9戦全勝の快挙を達成。最終戦で負かした島はB1に降級。
その後に行われた打ち上げ麻雀でも、国士無双を決めて、島を圧倒。
・2003〜2004年にかけて、羽生から、竜王・王将・名人と3連続タイトル奪取に成功し、最優秀棋士賞を初受賞。
獲得賞金は1億円を突破したが、賞金で買ったのは麻雀卓のみだった。
・2004年、竜王戦(森内−渡辺)の前夜祭で、乾杯の音頭を担当した加藤一二三が、
片手にマイク、片手にグラスを持ち、「乾杯!」と甲高い声で叫び、
何故かマイクを高々と揚げた姿を見て、ビールを吐きそうになる。
・2005年3月、10年ぶりにアタック25に登場。「あ、はなみ」の勝負手が炸裂して、優勝。
・2005年、名人戦第5局で羽生を相手に相横歩取りを採用するために、
「羽生の頭脳9巻(激戦!横歩取り)」で予習するが、本に載っていない変化になり、惨敗。
5:2011/05/02(月) 08:46:03.18 ID:OPvVOiFo
・2006年、通算1000対局目で羽生から棋王位を奪取。
・2006年、名人戦で谷川と対局中にトイレのドアが開かなくなり閉じ込められる。
・2007年、名人戦で郷田が扇子を鳴らすのにイラついて抗議。口論になり、興奮しすぎて鼻血を出す。
・そのシリーズで、郷田を4勝3敗で下し、名人通算5期達成。十八世名人の資格を得る。
・小さい頃から可愛がっていた妹が結婚。感慨で胸がいっぱいになっていたが、
結婚式の日を一日勘違いして、式の途中で呼び出される。
・チェスのルールを教えてくれた先生を教わった直後のゲームで破る。
・欧州のチェス大会に参加して、ベスト8に入り「アジアの新星」と現地で報道される。
・大和証券杯での感想戦で
森内俊之 > 尾車川の振り飛車側の?振り振り
森内俊之 > OK?
森内俊之 > 直りました^^
……という意味不明なコメントを残す。
・永井英明氏の盤寿を祝うパーティーの帰り、エレベータに乗ったが、
定員オーバーになり、将棋関係者しかいないのに降ろされる。
・2008年のJT杯で佐藤康光と対戦。久し振りのライバル対決に気合いが入っていたが、
対局会場の前で受付嬢に一般観戦者用のパンフレットを渡される。
・2008年の名人戦第3局で、見落としから急所の銀を抜かれ、30cm(※推定値:深浦の目視による)飛び上がる。
・棋士同士で食事した時、ジャンケンで負けた者が全額払いという習慣があったが、
「大金がかかると心理的にグーが出しにくい」など、色々と細かく分析して、
実際、かなり強かったため、ジャンケンを廃れさせ、コイントスへ移行させる。
・トランプの大富豪や花札やモノポリーで遊ぶ時も常に真剣。カードを全て記憶しており、
相手が何を持っているか、などをすぐに推測するので仲間を驚かせることもしばしばである。
6:2011/05/02(月) 08:48:48.19 ID:OPvVOiFo
・木村一基と対戦した際、顔を真っ赤にして指していたため、後に木村に
「森内さんは、普段は表情が出ないのに、よほど一生懸命に指してくれたのかなと思い、嬉しかった」と言われたが、
「いや、あの時は花粉症で・・・」とあっさり答え、木村をガッカリさせる。
•嘗ては、番勝負の第1局に千日手が1回あると、第1局と第2局の先手が同じ棋士になっていたが、
森内の提案により、第1局の振り駒によって最終局の1局前までの先後を決定する一局完結方式に変更された。
・「ご自身の恋愛を将棋に例えると、どういう棋風?」と訊かれ「鉄板流」と答える。
・芸能活動もしている小学生の少女を初めての弟子にして周囲を驚かせる。
・1987年のインタビューで「好きな芸能人は?」と問われ、「南野陽子、Wink」と答えたが、
24年後の2011年に同じ質問をされた際も「南野陽子」と答えた(因みに南野陽子は将棋ファン)。
・2011年の大和証券杯において、前回の準優勝者であるにもかかわらず、参加規定を変えられ、選抜落ちする。