1 :
名無し名人:
2 :
名無し名人:2010/09/24(金) 02:18:22 ID:ZBRPFtTD
さあ始まるザマスよ
3 :
名無し名人:2010/09/24(金) 02:21:05 ID:eDU/D1vB
4 :
名無し名人:2010/09/24(金) 21:40:31 ID:NihwgxXF
あげ
5 :
名無し名人:2010/09/28(火) 00:51:37 ID:N2lf7cWq
6 :
名無し名人:2010/09/28(火) 00:52:46 ID:N2lf7cWq
LPSA No.02 多田 佳子 四段
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/tada.html 多田 佳子(ただ よしこ、1942年2月7日 - )はLPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。2004年引退。
東京都大田区出身。成城大学卒業。堀口弘治門下。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は3。夫は川柳作家の多田哲朗。
1969年から1974年に4度女流アマ名人戦で優勝するなど当時の女流アマ棋界の第一人者だった。
1974年に創設された女流棋士第1号の一人として、蛸島彰子の三段に次ぐ二段でスタートした。
1975年、第2期の女流名人戦挑戦者として当時無敗の蛸島に挑戦したが、2連敗で敗退した。
2007年の日本女子プロ将棋協会独立にあたって将棋連盟を退会した。
近藤正和は奨励会時代に多田の家で暮らしていた時期がある。
1974年10月31日 - 女流二段
1975年 - 第2期 女流名人戦挑戦
1989年3月15日 - 女流三段
2004年10月1日 - 引退
2005年4月1日 - 女流四段
7 :
名無し名人:2010/09/28(火) 00:53:53 ID:N2lf7cWq
LPSA No.03 山下 カズ子 五段
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/yamashita.html 山下 カズ子(やました かずこ、1946年12月8日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。
石川県鹿西町(後の中能登町)出身。松下力門下。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は4。
女流棋士誕生前は女流1級のレッスンプロとして活躍していたが、1974年に女流棋戦が創設されると第一期の女流棋士6人のうちの1人となり、初段となった。
1974年10月31日に、関根紀代子を相手に女流将棋の最初の公式戦を行った。
また1981年2月19日には棋士の公式戦に女性としては初めて参加し、第12期新人王戦で高橋道雄と戦ったが敗北している。
1977年、第4期女流名人位戦で蛸島彰子から名人位を奪取し、2人目の女流名人となって第7期まで3度防衛した。林葉直子が登場するまで蛸島と2強時代を築いた。
2007年には日本女子プロ将棋協会の旗揚げに参加している。
詰将棋創作活動も行っており、日本女子プロ将棋協会が制作する『日めくり詰め将棋カレンダー2009』では選考委員長を務めた。
1972年 - 女流1級
1974年10月31日 - 女流初段
女流名人 獲得:第4期、5期、6期、7期
将棋大賞 第8回(1980年度)最優秀女流棋士賞
1980年2月8日 - 女流四段
1988年11月17日 - 女流五段
8 :
名無し名人:2010/09/28(火) 00:55:04 ID:N2lf7cWq
LPSA No.04 寺下 紀子 四段
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/terashita.html 寺下 紀子(てらした のりこ、1940年6月20日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。1985年引退(引退後にLPSAへ移籍)。
LPSAの中で最年長。東京都大田区出身、千葉県市川市在住。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は5。
1974年ごろにアマチュア大会で活躍し、同年創設された女流棋士第1号の一人として、初段でスタートした。
女流棋士公式戦の第1号局は、1974年10月31日に将棋会館で行われた、第1回女流名人位戦予選の寺下紀子初段-村山幸子初段戦だった。
名人位戦予選では決勝で関根紀代子二段を相手の反則で破り、初代の女流名人位を蛸島彰子三段と争った(段位は当時)。
趣味はゴルフと生花で、生花は草月流師範の腕前である。
2007年の日本女子プロ将棋協会独立にあたって将棋連盟を退会した。
1974年10月31日 - 女流初段
1974年11月 - 女流二段
1974年 - 第1期 女流名人位戦挑戦
1985年5月 - 引退、女流三段
1993年11月 - 女流四段
9 :
名無し名人:2010/09/28(火) 00:56:09 ID:N2lf7cWq
LPSA No.05 藤森奈津子 四段
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/fujimori.html 藤森 奈津子(ふじもり なつこ、旧姓中瀬(なかせ)、1961年8月2日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。2010年、引退。大内延介門下。
LPSA棋士番号は5。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は13。日本将棋連盟女流棋士会会長(2003年 - 2007年)。埼玉県志木市出身。
夫はアマ強豪。長男の藤森哲也は、2007年度後期からプロにあと一歩手前の奨励会三段リーグに在籍し、2009年度後期には12勝4敗で最終日を迎えて昇段争いに加わった。
「なっちゃん」の愛称で親しまれる。
1977年、筑波大学附属坂戸高等学校在学中に第13回高校選手権女子個人戦で優勝。その翌年、1978年には同大会の団体戦で優勝するとともに、第10回女流アマ名人戦でも優勝。
1979年に女流棋士2級(プロ)となる。当時最年少のデビュー記録であった。
三間飛車のスペシャリストで、デビュー以来ほとんど一貫して三間飛車(石田流、相振り飛車も含む)を指す。
1983年からの5年間、NHK教育テレビの『将棋の時間』で『NHK将棋講座』のアシスタントとして出演。
その後も1990年 - 2002年3月に『NHK杯テレビ将棋トーナメント』の司会や棋譜読み上げ役、あるいは再度の講座アシスタントなどを務め、長期にわたる出演で『将棋の時間』の顔となり、トレードマークの笑顔でファンを魅了する。
1984年に結婚して藤森姓となり、プロとしての活動名も中瀬から藤森に変更する。
1991年度、女流名人位戦B級で8勝2敗の成績を収め、次期のA級に昇格。
2003年より2007年まで日本将棋連盟女流棋士会の会長を務める。
2007年、LPSA(日本女子プロ将棋協会)の旗揚げに参加。理事(総務担当)を務め、教室事業などを担当する。
1979年1月 女流2級(女流プロ入り)
1980年2月 女流初段
1989年5月 女流二段
女流名人位戦A級昇格 (1992年)
2000年4月 女流三段
第2回1dayトーナメント 優勝(2007年7月)
2010年3月31日 引退
2010年4月1日 女流四段(LPSA理事会審議による)
10 :
名無し名人:2010/09/28(火) 00:57:27 ID:N2lf7cWq
LPSA No.06 神田真由美 二段
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/kanda.html 神田 真由美(かんだ まゆみ、1957年10月11日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。
LPSA棋士番号は6。2009年、引退。福岡県北九州市出身。関根茂九段門下。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は15。
将棋道場を経営する父親の影響で将棋を始める。
1979年、長野東急アマ女流将棋大会で優勝、同年11月女流棋士となる。
2004年、現役勤続25年表彰。
2007年、日本女子プロ将棋協会の旗揚げに参加、日本将棋連盟より移籍。
島井咲緒里とともに日本女子プロ将棋協会ファンクラブ「Minerva」(ミネルヴァ)運営を担当。
2009年3月31日付で引退を発表。通算成績103勝281敗。
1979年11月 - 女流2級
1981年4月 - 女流1級
1989年3月 - 女流初段
2009年4月1日 - 女流二段
11 :
名無し名人:2010/09/28(火) 00:58:40 ID:N2lf7cWq
LPSA No.08 鹿野 圭生 初段
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/kano.html 鹿野 圭生(かの たまお、1961年11月1日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。
香川県高松市出身。松山商科大学人文学部卒業。有吉道夫門下。以前は日本将棋連盟所属に所属し、当時の女流棋士番号23。
松山商科大学(現・松山大学)在学中より活躍し、3年連続で全国学生女流名人戦の決勝に進出している。1981年の第2回、1983年の第4回には優勝した。
1998年より4年間、大阪ガスのCMに出演した。
関西所属では唯一、日本女子プロ将棋協会の設立に参加し、連盟を退会した。
1984年4月 - 女流育成会入会
1987年 - 女流3級
1989年4月 - 女流1級
1992年12月 - 女流初段
12 :
名無し名人:2010/09/28(火) 00:59:48 ID:N2lf7cWq
LPSA No.09 大庭 美樹 初段
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/miki.html 大庭美樹(おおば みき、1971年1月12日 - )はLPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。
静岡県沼津市出身。千葉県立市原高等学校卒業。佐瀬勇次名誉九段門下。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は26。
1987年の第一回女流アマ王将戦で優勝した。姉の、大庭美夏は元女流棋士で女流1級である。
レディースオープントーナメントとは相性がよく、1996、1997年にベスト8、2002年にベスト4に進出している。
日本将棋連盟の事務的な活動も積極的にこなし、1998年から2002年まで女流育成会幹事、1994年から1996年および2001年から2006年まで女流棋士会役員を務めた。
2007年5月、日本女子プロ将棋協会(LPSA)の設立に参加し、日本将棋連盟を退会した。
銀河戦の記録係(第1期から第15期まで担当)・聞き手や早指し将棋選手権の記録係及び読み上げを担当するなど、裏方の仕事を多数こなしてきた。
近年では男性棋士を含めても珍しい雁木・右玉の使い手である。趣味は野球観戦(千葉ロッテのファン)と酒、女流棋界一の酒豪との呼び声もある。
1級から初段まで8年半を要した苦労人。あと一歩で昇段という大一番を何度も逃してきたが、2005年のレディースオープン予選で当時まだ育成会員の室田伊緒を下して勝数規定である1級昇級後通算50勝を達成、遂に念願の初段に昇段。
1984年 - 女流育成会入会
1990年4月 - 女流2級
1996年12月 - 女流1級
2005年6月 - 女流初段(1級昇級後50勝)
13 :
名無し名人:2010/09/28(火) 01:02:33 ID:N2lf7cWq
LPSA No.11 中倉 彰子 初段
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/akiko.html 中倉 彰子(なかくら あきこ、本名:中座彰子(ちゅうざ あきこ、旧姓中倉)1977年3月2日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。
東京都府中市出身。法政大学人間環境学部卒業。堀口弘治門下。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は34。女流棋士の中倉宏美は実妹。
小学1年のときに、妹・宏美とともに将棋を始める。
1991年 第23回女流アマ名人戦優勝(中学3年)
1992年 第24回女流アマ名人戦優勝
1992年10月 女流育成会入会(高校1年)
1994年4月 女流棋士(女流2級)としてプロデビュー(高校3年、17歳)
1997年度前期、1999年度前期 NHK将棋講座の聞き手を務める。
2000年度より2002年度までNHK杯将棋トーナメントの司会を務める。
2002年3月 清水市代・山田久美・中倉宏美と女流棋士4人組のユニット原宿将棋通りでCDデビュー。
2002年8月 ホームページの企画でソロシングル「Tearful Smile」をリリース。作詞も手がける。
2003年8月 中座真(当時五段)と結婚。
2005年8月 長女を出産。
2007年 日本女子プロ将棋協会に移籍。
2007年5月-2008年6月 妹・宏美とともに radioboxx のインターネットラジオ番組「Positive de Go!」のパーソナリティを務める。
2008年度より静岡県浜松市立大平台小学校の将棋クラブの講師を務める。
2008年10月 次女を出産。
2010年6月 長男を出産。
14 :
名無し名人:2010/09/28(火) 01:03:37 ID:N2lf7cWq
妹宏美とともに通称「中倉姉妹」として、女流棋士の一人である。名前は蛸島彰子から命名。
女流棋士姉妹が主人公の映画「とらばいゆ」は、大谷監督が中倉姉妹を雑誌で目にしたことがきっかけとなってできた。
そういう意味で中倉姉妹がモデルであると言われることもあるが人物設定やストーリーなどは完全なフィクション。
姉役の瀬戸朝香の演技指導を務めるなどの将棋監修、端役での出演と姉妹でそれぞれ参加もしている。
夫婦共通の趣味は油絵で展覧会に作品を出展したこともあった。現在は専ら美術館などでの鑑賞のみ。
一時期テニスを趣味にしていて、吉田友佳とはテニスを通じた友人。
高橋和女流三段とは大親友で、2001年3月から将棋世界に「高橋和と中倉彰子のみんな大好き」という連載を持っていた。
2007年8月より島井咲緒里とともに日本女子プロ将棋協会所属のアシスタント・インストラクター「AILS」(アイリス)を担当。
「Positive de Go!」では、いわゆる天然な性格の現れた発言やエピソードがよく聴かれる。しかし高橋和からは、率先して動く居て安心な人と評されている。
得意戦法は四間飛車穴熊。
1992年10月 女流育成会入会
1994年4月 女流2級
2000年4月 女流1級
2002年4月 女流初段
LPSA No.15 大庭 美夏 1 級
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/mika.html 大庭 美夏(おおば みか、1969年8月1日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。
理事などの裏方の仕事や囲碁・将棋チャンネルで活躍。いっつ日記を随時更新中。
1984年 - 女流育成会入会
1998年4月 - 女流2級
2006年12月 - 引退
2007年4月 - 女流1級
15 :
名無し名人:2010/09/28(火) 01:04:41 ID:N2lf7cWq
LPSA No.16 松尾 香織 初段
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/matsuo.html 松尾 香織(まつお かおり、旧姓上川(うえかわ)、1974年7月30日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。
広島県下蒲刈島(呉市)出身。所司和晴門下。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は46。
埼玉大学在学中に将棋を始め、将棋部では主将を務めた。
2005年、同門である松尾歩五段(段位は当時)と結婚。2005年5月5日に「5並び」で入籍した。
棋士活動名を松尾へ変更。夫婦で名前が将棋の駒にちなんだ歩と香であることも話題となった。
2007年、日本女子プロ将棋協会の旗揚げに参加、日本将棋連盟より移籍。
プロ野球広島東洋カープの熱狂的ファンである。また、女流棋士で有数な酒豪としても知られる。
ニックネームの「アル川(アルコール好き+本人の旧姓)」は友人の女流棋士の北尾まどか
(北尾本人も酒豪として知られる)がつけ、当時北尾が将棋講座を連載していた週刊将棋で紹介して将棋ファンにも広まった。
得意戦法はゴキゲン中飛車。
1997年4月 - 女流育成会入会
1999年4月 - 女流2級
1999年11月 - 女流1級
2003年4月 - 女流初段
1dayトーナメント 第6回(2007年11月) 優勝
16 :
名無し名人:2010/09/28(火) 01:05:45 ID:N2lf7cWq
LPSA No.18 船戸 陽子 二段
http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/funato.html 船戸 陽子(ふなと ようこ、1974年4月23日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。ソムリエ。
東京都渋谷区出身。高柳敏夫門下。亜細亜大学出身。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は25。
父の影響で将棋を始める。趣味は旅行、写真。
パソコン操作などに明るく、日本将棋連盟所属時の女流棋士会のイベントパンフレットの多くは船戸によるデザインだった。
日本ソムリエ協会認定ソムリエの資格を持っており、マイクロソフトのサイト「INNO.」にてコラムを連載。
2008年6月30日付で日本将棋連盟を退会し、2008年7月1日よりLPSA(日本女子プロ将棋協会)に入会した。
LPSA設立当初ではなく、その後に移籍した初の例である。
1986年 女流育成会入会
1988年3月17日 3級
1990年3月29日 1級
1991年3月11日 女流初段
2000年4月1日 女流二段
1dayトーナメント優勝:第14回・第19回(2008年)、第26回(2009年)、第37回(2010年)
17 :
名無し名人:2010/09/30(木) 00:09:27 ID:p+vdc5wv
・9/30(木) 船戸陽子二段−山田久美三段 女流王位予選
・10/6(水) 松尾香織初段-熊倉紫野初段
・10/7(木) 鹿野圭生初段-里見香奈女流名人・倉敷藤花
18 :
名無し名人:2010/10/02(土) 07:39:33 ID:Mykz5X+l
19 :
名無し名人:2010/10/11(月) 15:39:21 ID:kNwllueY
20 :
名無し名人:2010/10/11(月) 15:41:45 ID:kNwllueY
大盤解説は松尾香織初段と多田佳子四段に変わった。
「ビシッといい音がしましたね」と松尾初段。
21 :
名無し名人:2010/10/20(水) 20:13:33 ID:XTwM74Kd
22 :
名無し名人:2010/10/20(水) 20:39:44 ID:SaJoGjKV
>>14「名前は蛸島彰子から」って当人達がネットラジオで否定
してなかった?「ウィキにも書いてあったけど違うよね」って
言い合ってた気がする。
23 :
名無し名人:2010/10/22(金) 19:09:40 ID:XqD4S/U+
反応ないなあ。まあいいや、また順番に聞き直してみる
24 :
名無し名人:2010/10/23(土) 00:18:15 ID:hUxCJQd6
「名前は蛸島彰子から」って思ってた
25 :
名無し名人:2010/10/30(土) 21:06:49 ID:Ul7ow2iR
鹿野 圭生(かの たまお、1961年11月1日 - )
26 :
名無し名人:
>>22>>24すまん、中倉彰子の名前の由来は蛸島彰子で合ってた。
「ウィキぺディアに書いてあったけど違うよね」と言ってたのは、
「宏美=岩崎宏美由来説」の方だった。ソースは2008年一発目の
ポジティブ・デ・ゴー。