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名無し名人:
その者の気持ちが分るとは、『人は、人を見ると、その人が何のために動いているのか分かろうとする。
何かのために動いているに違いないと思う。それが人でない物事でも、あるいは抽象概念でも、それが動くのは何かのために動いているに違いない、と感じる。
台風でも、日本経済でも、それは何かのために動いている、と感じる。
人間は、無意識のうちに自動的に、物事をそう感じるような身体になっている。人間の脳神経系に、たぶん生得的に備わっているこの機構を目的認知機構といいます。
この脳神経機構は人類社会を構成する基本的な要素になっています。人類の社会と目的認知機構は、共進化によって効率を増すと同時に
抽象化し、複雑さを増していった、と考えられます。
つまり私たちは、いつも、自分が生きるこの社会の中で自分がどうすればどうなるかを考えている。
ここでいう「考えている」とは行為の結果を予測して、その行為をする自分とその結果の状況変化を予測している、ということです。
そして、その状況予測に反応し自分の身体が引き起こす自律神経反応からの体性感覚(不安や期待などの感情)を自分の気持ちだ、と感じとっています。
そして同時に、状況変化の予測に反応して身体が反射的に仮想運動を起こしていくのを感じとって、それを自分の意識的意図や意志による目的行動だ、と思っている。
しかしそれらの反応は、人類の進化適応によって私たちの身体に埋め込まれている無意識の反射でしかない。』
この様な注解がなされていました。
では、貴方は、この脳内神経のもとで、答えを出したに過ぎない。
ですから、到底{普通に将棋を楽しむ者}の気持ちから導き出された答えではないと結論が出ます。
違いますか?<2>