プロはソフトとの対戦をさける卑怯者 第三局

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520名無し名人
>>446
> 暗算は娯楽でも伝統文化でもないけどね。

連盟の将棋も伝統文化ではないよ、江戸時代からの庶民やゴロツキが指していた大衆娯楽としての将棋は引き継いでいるがね
将棋連盟は設立当時の腕自慢のゴロツキがデッチ上げたものだ
連盟は江戸時代の御城将棋とは何の関係もない
名人の名跡も最後の世襲制名人の関根金次郎を金で叩いて買い取っただけだ

もしも将棋連盟の将棋が御城将棋という伝統文化を継承していたとしたら
例えば永世名人の谷川、森内、羽生らは谷川浩司、森内俊之、羽生善治という本名で免状に署名するのではなく、
大橋宗司、大橋宗俊、大橋宗善といった大橋の名跡を継いだ名前で署名しているはずだ

日本の伝統文化は名跡を継ぐというのが基本だ
例えば歌舞伎、能、狂言、落語などで「第○代××」という言い方が常識であるように
あるいはお隣の囲碁だってタイトルの中で本因坊は最上格ではないが特別視している
本因坊になった棋士は「本因坊○○」を名乗るのが多い

連盟の将棋はそれら伝統文化の常識とは全くかけ離れている
連盟になってから名人の誰一人として大橋や伊藤の名跡を名乗っていない
そもそも、連盟が名人を買い取った最後の世襲制名人の関根金次郎にしてからが関根姓であって大橋姓を名乗っていなかったのだから
連盟の将棋が御城将棋の伝統そして伝統文化とは、いかに完全に無縁かということが良く分かる

連盟の将棋はゴロツキも含めた大衆が娯楽として、また時には金を賭けたりしていた花札やチンチロリンと同レベルの遊戯&賭け事としての将棋の延長だ

> 暗算のプロ団体もなかったでしょう。当たり前だが。
> 算盤は実用のための道具なので、使われなくって注目度も減った。

かつての江戸時代はね、算盤とそれに基づく暗算の能力は立派な文化だったよ
大衆の実用であるだけでなく、それを極めればそれなりに高い社会的地位も与えられた、幕府や藩の勘定方として武士待遇で禄を与えられるとかね
明治以降も電卓が普及するまでは書道と共に一人前の教養としての必須科目だったし段位制度があるのも将棋や囲碁と同じだ
連盟の将棋は算盤や暗算と同レベルの話だ
羽生や渡辺らの将棋には大衆の実用や遊戯の延長という以上の価値(御城将棋の継承という伝統の価値)はない