【※】松本博文と米長邦雄が交戦中20【mt】

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66名無し名人
【岡崎久彦「重光・東郷とその時代」(PHP)単行本P.86-88(文庫本アリ)】

陽明学の陥(おと)し穴は、自らの言行に恥じるところさえなければよいという自己満足で、
無策に陥(おちい)ることである。裁判は広田個人の生命の問題であるから、
法廷対策にまったく無為無策で従容(しょうよう)として刑場に赴(おもむ)くのはそれでよいかもしれない。

しかし、国家の政策はそれではいけないのであろう。国内的には広田の考えと違う方向に
日本を持っていくために権謀術策を弄(ろう)する勢力があり、国際的には、
国権を回復しようとする中国があらゆる外交術策を弄して、日英、日米の離間を策し、
中国共産党は国民政府の安内攘外(あんないじょうがい)を妨害して日本と対決させようとしている。
こんなときに誠意さえあれば通じると信ずるばかりで、対抗する術策をもたないのでは、国家を危険に晒すことになる。

総理、外相としての広田の業績にいま一つ物足りないものがある一因はここにあるのであろう。

明治以来軍部と政党政治とのあいだの死活的な争点であった軍部大臣現役制の復活を
あっさり認めたのは広田内閣のときである。そして東京裁判で最も引用される「国策大綱」という
軍部の意向を大幅に取り入れた作文をそのまま通したのも広田である。
また盧溝橋事件に際して、陸軍の三個師団動員案を、否決する手筈が整っていたにもかかわらず、
通してしまったのも広田である。いずれの場合も通すほうにはそれなりの口実があるのだが、
広田はその口実にあえて異を唱えず、指導力をまったく発揮していない。

それはまた、広田がもともと玄洋社の流れを汲んで右翼的、親軍的だったからというわけでもない。
そうだとすれば、その前の和協外交は何だったかということになる。

(つづく)