【※】松本博文と米長邦雄が交戦中18【mt】

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4名無し名人
>>2の続き)

そういう技術的能力だけにすぐれた人は、能力を発揮できる場所を求めて、上昇志向が強くなる。
逆に、活動の場を失うと、それ以外に自分というものがないので失意の人となってしまう。
松岡の晩年はその感があった。そして戦犯に指名されると、「これで男になった」と
再び勇躍して出廷している。

松岡の辞世の句は「悔(く)いもなく怨(うら)みもなくて行く黄泉(よみじ)」である。松岡の性格から考えて、
個人的な悔いや怨みにさんざん苛(さいな)まれたうえ、やっと諦念(ていねん)に達したという心境であったろう。
普通の人ならこれでもよいが「三国同盟の締結は僕一生の不覚だった」と自ら述懐している
政治家として、この辞世の句は、胸中に国家なく、個人の栄辱(えいじょく)しかないという非難は
免れ難(がた)いのであろう。

松岡のような人間は下級将校としてはきわめて有能であるが、将官としては使ってはいけない。
せいぜい課長どまりの人物であろう。それ以上のポストで人の上に立ったときに、
国家の大戦略と現場の喧嘩の戦術、国家の大局と個人の意地を混同されたのでは危険極まりない。

(おわり)