☆。.:*・゜森内俊之 Part19.。.:*・゜☆

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4<丶`∀´>
・1970年10月10日生まれ。同学年には、羽生、藤井、丸山、郷田、先崎がいる。
・祖父は京須行男八段。奨励会の幹事を務めたこともあったが、
当時の奨励会には中原誠、米長邦雄、大内延介などが在籍しており、何かと苦労が多かったようだ。
・小4の冬休みに、新宿のデパートで開かれた将棋大会で羽生善治と初対戦し、勝利。
・小6の時に、小学生名人戦でTV初登場。しかし、「リハーサルと同じ様にお願いします」という
ADの言葉を勘違いして、将棋まで同じ様に指してしまい、惨敗。
・奨励会入会試験では、負ければ不合格の対局を3連勝して勝負強さを見せる(その内の1勝は林葉から)。
・奨励会2段の頃に、島朗、佐藤康光と3人で研究会を結成。後に、羽生が加わる。
・高2で四段に昇段。その時のインタビュー。
── 目標は?
森内 「名人です」
── 尊敬する棋士は?
森内 「米長九段」
── ライバルは?
森内 「羽生善治、佐藤康光、先崎学」
また、同時期に17歳で新人王戦を制覇。
さらに、早指し新鋭戦でも2年連続で決勝で羽生を下し、連覇を達成。
・高3の時に、谷川名人を下して、全日本プロトーナメントを制覇。
最終局の観戦に来ていた升田幸三は「四段が名人に勝っちゃいかん」と言っていたが、
実は、森内のことを「若手No.1」と評価していた。
・中学・高校は、サレジオ学院(男子校)に在籍。
カトリック系の学校の生徒という理由で、加藤一二三九段に一方的に親近感を持たれる。
・同世代の学生との交流を求めて、慶応義塾大学のクイズ研に参加。
棋士であることを明かさなかったため、サークルのメンバーには、フリーターだと思われていた。
・92年、青野照市との対局でカニカニ銀戦法を採用し、65手という短手数で圧勝。
1週間後に、カニカニ銀の創始者である児玉孝一と対局があり、逆に“本家”のカニカニ銀を撃退して勝利。
・93年、全日本プロトーナメントで河口俊彦と初対戦し、36手で瞬殺。
河口は「私より大駒1枚強い」と語っていたが、実際には、もっと差があると思われる。
・米長が自慢にしていた庭の菜の花畑を見せられるが、
「立派なレンゲですね」と言って凹ませる。