【対局千敗】加藤一二三の魅力part12【鰻重満杯】
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名無し名人:
では 「将棋随筆名作集」(越智信義編 1998三一書房刊)より
駒の音について
(「将棋春秋 昭和32年4月号」) 一二三17歳
将棋の駒を盤面に打つと音が出ます。さてこの駒音は打つ人によって差を生じます。また対局中の一手一手についても違います。当然な現象ですが私はこの平凡なことに興味を持たされています。
と言いますのは響きのよい駒音を聞くにつけ、その中に、ある秘かなものを見出したからです。その秘金物とは何か、これからそれについて述べます。
一般にアマチュアの方で初段近い棋力を有している人は、十級や二十級の方と比較してすぐれた内容を持っているものです。さてその棋力と言うものはどうしてわかるのでしょう。
普通は対局してみないと解らないものです。それが実力と言うものです。しかし私は私なりの方法でしかも将棋そのものを見ないで知ります。
それは対局者の駒の打ち方を見ていて、それがどんな音を出すか観察します。もし駒音が一音でかつ澄んでいたら、その人の棋力は初段近いと言えます。
何故かと申しますと、澄んだ音を出すには駒が盤目にキッチリ入る事を条件とします。またキッチリ入れるには対局者の姿勢が盤の範囲内に入るくらい良くなくては駄目です。そして盤目に美しく駒を打てる人は相当強い人です。
従ってさきの条件を満たす様な人は入品の域に達していると言えるのです。今までに述べたことは私がアマチュアの方と手合わせして、その結果出した結論です。
646 :
名無し名人:2007/08/30(木) 20:31:24 ID:6ABaJ4m5
(つづき 2/2)
これで駒音と棋力の関係は終って次に、観戦記などにしばしば現れる「○○は駒音高く○○した」と言うこの将棋と駒音の関係性について述べます。
観戦記を読むと「駒音・・・・・・した」と言う個所が実に多く出て来ます。この場合は単なる音の描写に留まらずそれによって、形勢の良悪を暗示しているのです。
それでは何故駒音で形勢の大体が把握出来るのでしょう。それは感情を有する人間がプレイする将棋ですから、指手に感情が介入して来るのです。
そして感情は対局者が理解している大局観によって変化します。従ってそれに伴って駒音の高低も出来て来るわけです。
良くあの人は沈着無比だとか言うのを耳にしますが、それ程の人でもこうした現象からは免れません。
感情の表現をした言葉としてはあの「銀が泣いている」が最も有名です。ほんとうに阪田名人が言ったかどうかは解りませんがそれを抜きにして、銀が泣いているとか、あるいは笑っているとかが解る様になれば強い者です。
先にどれ程の人でも沈着でいられないと言い、今駒の気持が解る様になれば強いんだと言って、はなはだ矛盾している様ですがそれは要するにこうです。
駒に自分の感情を移入するようになれば相当強いが、もう一歩強くなるにはそれを皆捨てなければならない。指手に感情を入れるのは邪道であると言うことです。
少し固くなったかも知れませんが、後尾の文章は自分達に言ったもので、皆さんは駒音にもこんな性質があると言う事だけ解っていただければ幸いです。
対局中の感情は、冷静でなければなりません。前述の事を思い出されることは自然に気持ちを落ち着かせるでしょう。また木村十四世名人の棋語にも「一手の最善手を案出するのに七時間考えられる人は、七時間考えるだけの知識と材料があるからだ」というのがあります。
この知識と材料には色んなものがあるでしょう。前述のことがこの一つになれば幸いです。