1 :
名無し名人:
打倒大山に心血を注ぎ、123んの友達 俺たちは忘れない
2 :
名無し名人:2006/02/18(土) 15:07:39 ID:vAW7tOSM
1はうんこカレー
3 :
名無し名人:2006/02/18(土) 15:15:36 ID:dg1gEDM6
山田姓の棋士の一覧表を宜しく↓
4 :
名無し名人:2006/02/18(土) 15:37:41 ID:FvargdlP
スレタイ見て「山田さん」「伝説の…」ってあったからてっきりトンカンさんかと…
5 :
名無し名人:2006/02/18(土) 15:39:45 ID:W6JGqpKA
山田道美九段
山田久美女流三段
山田朱未女流初段
6 :
名無し名人:2006/02/18(土) 15:41:59 ID:ev5H4MOJ
生涯忘れないだろうと言ったあの病名、忘れちゃったよ
7 :
名無し名人:2006/02/18(土) 15:42:17 ID:yA/YCHCb
>>1 道美まで書かないとわからないぞw
書いてもほとんどわかる人はいないだろうけど
8 :
名無し名人:2006/02/18(土) 15:49:49 ID:ADkTrfHx
血小板減少性紫斑症だったか
9 :
名無し名人:2006/02/18(土) 15:51:56 ID:L6q3MnXX
山田定跡
10 :
名無し名人:2006/02/18(土) 16:05:03 ID:FvargdlP
山田といえば獣神サンダーライガーの本名
11 :
名無し名人:2006/02/18(土) 16:12:26 ID:ZvhusJ76
12 :
名無し名人:2006/02/18(土) 16:35:20 ID:ngQhaxTG
山田さんて、歌も歌ってたよね。
新聞少年の歌だっけ…。
13 :
名無し名人:2006/02/18(土) 17:35:51 ID:J/gVtCJD
山田道美九段の日記を読むと。当時の棋士の生活が如何に苦しかったか
よくわかる。 六段くらいになってやっと生活にゆとりがでてくるように
なる。 もちろん昭和20年代後半という時代もあるが。
14 :
名無し名人:2006/02/18(土) 18:20:50 ID:FaJPHFzz
ストイック過ぎた悲劇の棋士
15 :
名無し名人:2006/02/18(土) 18:27:36 ID:RSWe/4tM
山田さんって言うから
てっきりトリノの聖火リレーの最終ランナーかと思った
16 :
名無し名人:2006/02/18(土) 18:57:22 ID:BzA2+PRe
ミスターサスケがどうかしたのか?
17 :
名無し名人:2006/02/18(土) 20:05:50 ID:2eZPFMA0
山田道美著作集にでてくる加藤一二三は悩める天才青年棋士。
18 :
名無し名人:2006/02/19(日) 02:27:29 ID:qqro8Qah
や〜ま〜だ〜。 おまえは本物だったよ。
19 :
名無し名人:2006/02/19(日) 02:30:18 ID:90684+z2
山田先生の名著、現代将棋の急所を持ってる俺は勝ち組。
20 :
名無し名人:2006/02/19(日) 02:35:40 ID:UUAywNuA
>>17 興味あるから、ちょっとここに引用してくれ。
21 :
名無し名人:2006/02/19(日) 04:22:49 ID:MxWoBhvI
あと、山口瞳の血涙十番勝負にも、山田氏の人柄とエピソードがあったな。
22 :
名無し名人:2006/02/19(日) 09:35:30 ID:qJ5rzggD
山田道美
名義上の弟子は一人もいないが、実質的には後の青野九段や沼六段などを育て上げた
実に後輩想いの研究家だったな。
研究会をよく開いて様々な後世に残る作戦なんかを作り上げたのも評価が高い。
加藤一二三とは大親友でよく一緒に食事をしたり語り合ってたりしたそうな
23 :
名無し名人:2006/02/19(日) 10:05:11 ID:Q5HJCTOF
山田定跡 鷺宮定跡
24 :
名無し名人:2006/02/19(日) 10:16:18 ID:EwSGrnG9
25 :
名無し名人:2006/02/19(日) 10:54:50 ID:qaOSwf6k
隠し子が居た人でしょうか?
26 :
助成期 ◆Hp17aNs7O2 :2006/02/19(日) 11:12:18 ID:WqZoHN/8
踏まないでおこうと思うのだがどうしても踏んでしまう
『野暮だ』じゃなくて『山田』強し
27 :
名無し名人:2006/02/19(日) 11:33:35 ID:LvmeofuF
>>20 今、著作集が手元にないんで、正確な引用は出来ないけれど、
「ピンさんの勝負手」というような題のエッセーがあって結婚直前の加藤
一二三との交流が描かれていた。若い頃から割と孤独感を持ち、棋士として生きる意味
に悩む人物像で、今のヒフミンとはw
クラシックが好きだったり、山田本人と重なる部分が多かったから、気があったんだろうね。
28 :
名無し名人:2006/02/19(日) 13:48:04 ID:kx3fk2Bz
「棋士の中から理事が選ばれる。渉外や普及の仕事だ。人間の幅は出来ても将棋にはマイナスだ。
だから強くて憎らしいヤツ、好かんヤツを理事にしたれ、といったりする。
故山田道美が選ばれたとき、山田は面々のいる席上でタタミに頭をすりつけて頼んだ
『私は将棋しか出来ません。どうかかんべんしてください』
それで免れた。立派だった。」
29 :
名無し名人:2006/02/19(日) 16:38:57 ID:UUAywNuA
>>20 ヒフミンと交流があって、気があうなんて珍しい棋士だ(笑)
30 :
名無し名人:2006/02/19(日) 17:17:20 ID:wTKGaWc9
まぶしくてかなわん、頭巾を被ってくれ。
31 :
名無し名人:2006/02/20(月) 13:38:30 ID:ldlUM+GO
自分にも、他人にも、とても厳しい人だった
32 :
名無し名人:2006/02/20(月) 15:09:06 ID:HRfbxiKf
山田道美将棋著作集、第八巻より
ピンさんの勝負手
二年前の夏。ある日、ボクは加藤君と宵の銀座を散歩していた。ボクの記憶に誤りが
なければ、たしかバッハの「ロ短調ミサ」か、何かのレコードを借りるために、加藤
君を訪ねたときだったと思う。
その頃加藤君は虎ノ門に下宿していて、そこから入学したばかりの早大に通っていた。
そして、夕方になると、夕食と気晴らしをかねて銀座へ毎日のように散歩していたの
である。
銀座の人波は、久しぶりにこの都心へ出たボクを驚かして、こんなことを言わせた。
「この中に、真に生き、生きるに値する人は何人いるのかしらねー」
「いや、みんなムダ手だと思うナ」
加藤君はぽつんと言った。自分の考えをふだんあまりださない彼には珍しい言葉であった。
別れぎわに、加藤君は、明日名古屋へ行くとつげた。
「何しにいくの」
「うん、高校のときの女の同級生にちょっと.......」
「好きな人?ムダ手じゃないかな」
「ムダ手、いや勝負手かも知れない」
ボクは勝負手の意味が釈然としなかったがだまっていた。
ーそれから半年ほど経て、
暮に、ピンさんはボクの下宿へちょっと寄ったとき、ある女性と結婚する意思をもらした。
「結婚したら、お互いにわがままが出て、ぶつかることがあるかも知れないけど、辛抱が
大事だよ」とボクが言うと、
「辛抱には慣れているからね」と加藤君は静かに言った。
この返事に、ボクは加藤君が小さいときから数数の辛抱を重ねてきて、彼の生活にも将棋
にもその辛抱の結晶がしっかり根をはっているのだ、と考えた。
33 :
名無し名人:2006/02/20(月) 15:20:00 ID:b8tJ16Tb
>「この中に、真に生き、生きるに値する人は何人いるのかしらねー」
うはっ、やな奴
34 :
名無し名人:2006/02/20(月) 15:37:55 ID:EtPv5ALo
>「この中に、真に生き、生きるに値する人は何人いるのかしらねー」
うはっ、いい奴
35 :
27:2006/02/20(月) 18:40:58 ID:MsHytnEJ
>>32 引用、ごくろうさまです。
山田道美って、こういう感じの文章書く人で、その一方で大山とやりあったり
する人なんだよね。芹沢博文が偽善者と嫌っていたらしいけれど、どこか芹沢と似た
部分もあって近親憎悪っぽい気がするw
36 :
名無し名人:2006/02/20(月) 19:22:32 ID:p4MDInTU
37 :
名無し名人:2006/02/21(火) 12:50:33 ID:J/oZbJoY
奨励会の幹事をやっていた時の話が結構おもしろいw
38 :
名無し名人:2006/02/21(火) 23:20:23 ID:mk52oi3k
山田と芹沢は似ているところと相反するところが思いっきり両極端だった気がする
大山を倒すって志は同じでも、あくまでも将棋での打倒を目指す山田と
大山の存在そのものを散々口撃していた芹沢。
それに加藤の大親友だった山田に完璧に嫌っていた芹沢。
とにかく研究熱心で事有る毎にその研究の成果を試そうとしていた山田と
研究そのものを徹底して嫌い将棋は才能とセンスだと言い張っていた芹沢
39 :
名無し名人:2006/02/22(水) 14:09:07 ID:pW9WpCtY
>>38 その中間派が米長だったというのは何とも興味深い。
40 :
名無し名人:2006/02/22(水) 20:11:42 ID:IodoYlE/
山田と芹沢は、ともにインテリっぽい感じで、棋士として生きることに疑問を
感じてしまうような部分(ある意味、弱さか)が共通するかと思った。
大山なんかと比べて、ナルシーといえばそうなんだけどw
それでも、山田は飯食いながら棋譜見るとか、奨励会員と研究会やったりとか、なりふりかまわず
やるところがあったけれど、芹沢はそういうことは無駄というポーズをとってしまった
からね・・・
>>39 米長も棋士が嫌で小説家になりたかった時期があるとか言っていた気がする。
41 :
名無し名人:2006/02/23(木) 18:12:28 ID:zujiBJO3
島研は評価されているが、高々2人の名人出しただけ。山田の研究会からは、4人いる。凸、※、123ん、青野!(マジレス禁止)
42 :
名無し名人:2006/02/23(木) 18:37:24 ID:ShbNiTXv
>>41 山田と123が一緒に研究やっていたのは本当か?
43 :
名無し名人:2006/02/23(木) 18:40:28 ID:4sv7MRQS
42、それは無いだろう
44 :
名無し名人:2006/02/23(木) 19:30:04 ID:vASOAzso
羽生 森内 佐藤
名人3人ですがな
45 :
名無し名人:2006/02/23(木) 23:04:31 ID:HevaXxYH
栗貫は実際良くやってると思う
46 :
名無し名人:2006/02/24(金) 02:31:31 ID:m1/gxSmM
正しき道(近代将棋34年4月号) 山田道美
私は歩いた、初段、二段・・・四段と順調に昇段した。六段まできたとき、
私は大きな壁にぶつかった。歩き出してから数年経っていて、初めの初心な
気持ちを忘れ、将棋に対する情熱を失いかけた頃である。
歩く者にとっての最大の敵である孤独と空虚がしばしば襲ってきた。
盤に向かって苦闘するのがおそろしく無意味に思えた。将棋とは酷烈な頭脳労働の
重労働にすぎない。それでも、私は保身のために多くの棋譜を研究し、盤に向かうと
一生懸命指した。
恐ろしい孤独と空虚はひとりでいる時ばかりでなく、対局中にさえ襲った。今まで
自分は歩いてここまでやって来たつもりだったが、実際にはいつのまにかレールの
側へ連れ戻されているのだこの六段も、これから登ろうとする名人位も、本当のもの
でない。それらは、ある新聞社の企画によってはられるレッテルにすぎない。なぜなら
、今の将棋会はジャーナリズムに隷属している関係にあるのだから。
人生には三つの生きる道がある。
一つは神を本当に信仰するか、あるいは求めるか、
一つは人を愛するか、
一つは世間でもっとも普遍的に行われている気晴らしでその日その日を生きる生き方である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はもう一度、自分が根を下ろしているこの貧しい一隅の土地で自分を成長させる努力をしてみよう。
そして私は考えた。
(とにかく一度名人になってみよう)
山田は人を愛そうとしたんだよ。とくに若い棋士をね。
酒に逃げたのは誰だ。
女にうつつを抜かしたのは誰だ。
神を信仰した人間だけしか、いなかったんだよ。
島研は強い奴しか入れなかった。山田とは志が違う。
47 :
名無し名人:2006/02/24(金) 03:03:36 ID:W3Mft8il
奨励会時代の田丸を「自分の若い頃を見ているようだ」と目にかけ、研究会にも誘ったという。
後に田丸はその時のことを「山田先生の作ったカレーライスは美味しかった」と述懐している。
48 :
名無し名人:2006/02/24(金) 03:43:07 ID:m1/gxSmM
山田無念の王将戦 倉島竹二郎
仲間内での山田の評判は毀誉褒貶まちまちで、彼の孤高で妥協性に
乏しい性格を毛ぎらいする棋士が相当いることは事実だった。が、
山田を敬愛している棋士も決して少なくなく、若手の中には彼を
革新勢力の旗頭と目している者もあったようである。
いつだったか、山田を尊敬している若手棋士が山田の陰徳について
私に話してくれたが、それによると、京須七段が亡くなる前後、山田は
新進時代の所謂一宿一飯の恩義に報いるために出来る限りの世話をした
というし、また某新鋭が病気で療養生活を強いられ弱っているときにも
山田は経済面その他で随分面倒を見たということだった。
そうした事柄はあまり伝わっていないようだが、たしかに山田には
近ごろ見失われがちな侠気と勇気があり、それが彼の人間を魅力的
なものにしている。
49 :
名無し名人:2006/02/24(金) 04:25:58 ID:m1/gxSmM
入会の頃 山田道美
忘れもしない。私は一月七日に生まれて初めて上京し、二十日に奨励会
に入会した。
その日に木暮四級と一線交えることになった。
対局直前に、京須先生は、私を別室に呼んで、
「しっかりやれよ。悪くなっても最後までがんばるんだ。六時に
なると時間をとるから、形勢が不利になったら六時までがんばり、
一分将棋に持ち込んでしまえば、相手もあわてるから勝てるかも
知れない。とにかくがんばるんだね。」
と激励の言葉。しみじみありがたいと思った。
ボクは入会して直ぐみんなの鴨にされた。当時みんなの鴨と見なされていた
清水三級にまで鴨にされた。つまり二流の鴨になったわけだ。半年ばかり
不成績が続いた。それでも初めの半年に七勝十三敗の成績を収めた。
この京須先生のお孫さんが、森内名人だ。
森内を見るたびに、京須先生が喜んでいるように思う。
山田も喜んでいるだろう。
50 :
名無し名人:2006/02/24(金) 20:19:06 ID:hVr5XyfQ
山田が丸くなってからの話らしい
その日中原はシュウマイをおかずにしていた。とても美味しそうなので、
「一つくれないか」と気安く言うと、
その瞬間、遠くから山田に激しく叱責された
「勝負している相手に物をねだるなんてなにごとだ」
51 :
名無し名人:2006/02/24(金) 20:52:38 ID:skrOdYPL
>>49 >森内を見るたびに、京須先生が喜んでいるように思う。
スレ違いで申し訳ないが、京須七段の現役当時をご存知なのですか?
どういう棋風の棋士だったのでしょうか。
52 :
名無し名人:2006/02/24(金) 23:28:23 ID:Gxwl6Jyo
キョウスの使い方がうまかったらしい。
53 :
名無し名人:2006/02/25(土) 10:41:38 ID:Pmfvu00O
>>45 俺も栗貫には感心している。
栗貫を見るたびに、山田先生が喜んでいるように思う。
54 :
名無し名人:2006/02/26(日) 14:41:48 ID:K1fVSmR5
俺、
>>1だけど、みんないろいろ熱心に山田さんを語ってくれてありがとう。
このスレたてた主たる動機は山田さんの闘志をみんなに思い出してほしかったから。
特に、竜王戦の感想戦で、魔太郎に「この手が見えないなんて信じられない、ププ」って言われっぱなしだった肉とかに。
肉、闘志むき出しで、がんばってくれ!「下級者は黙ってろ」くらいいってやれ!!
55 :
名無し名人:2006/02/26(日) 20:07:47 ID:6Y8pcVRN
どうせだなら
『田中』VS『鈴木』のほうがいいのでは?
56 :
名無し名人:2006/02/27(月) 01:01:12 ID:I4U/ivvG
57 :
名無し名人:2006/02/27(月) 01:11:16 ID:vWqkzJIy
>>51 残念ながら、現役のときは知りません。
名人木村義雄実戦集、第七巻p456に木村の評が載っている。
名人に復位した木村と記念対局をしている。
京須氏は礼儀正しい人で、盤に向かうと、
「お願いします。前にも指していただきましたが、今度は平手ということで
まったく光栄です。」とあいさつされた。私の経験では、こういう謙虚な人は
将棋もしっかりしている。
剛直と温厚を兼ね備えた珍しい人柄の棋士として仲間の棋士からも親しまれて、
連盟理事、奨励会幹事を長い間努められた。
故山田道美九段の事実上の師であり、山田九段の研究熱心も京須氏の感化を受けたはず
という棋士もいる位である。
難しい対局係の仕事を担当した時代に、一たん定めた対局日は、たとえ上位クラスの申し
入れでも毅然として一歩もゆずらなかったことは有名であった。また奨励会では、礼儀に
厳しい反面、会員を我が子のように可愛がったが早逝したことが惜しまれる。
大山名人が、確か、京須さんは相撲が一番強かったと書いていた。
升田が全日本トーナメントの森内、谷川戦を見に行った理由は、京須さんの孫がやっているからだったと思う。
京須八段については、好意的な文章しか見たことが無い。
58 :
名無し名人:2006/02/27(月) 01:12:45 ID:vWqkzJIy
59 :
名無し名人:2006/02/27(月) 01:24:06 ID:aa4j/DwW
時代が悪かったよな。早く生まれすぎた。
60 :
51:2006/02/27(月) 01:44:36 ID:dh+giDuT
>>57 ありがとうございます。
京須八段(現役時・七段の時期が長かったので、つい七段と書いてしまいました)については
師匠の宮松八段のご子息(駒師・影水)について調べていたとき、ときおり名前が出てきたので
気になっていました。
上のデータベースの棋譜は見ておりましたが、エピソードを読ませていただくと、
だいたい棋譜通りの方だったのですね。
現名人が京須八段のお孫さんで、勝浦九段が師匠になったときのいきさつも、
最初に名人になったとき、新聞に載っておりましたね。
スレ違い、何度もすみません。これで終わりにします。
61 :
名無し名人:2006/02/28(火) 18:58:09 ID:LSLtLJ5Y
>>56
違うよ。Kというプロ棋士が、叱責された話
62 :
名無し名人:2006/02/28(火) 19:24:27 ID:XJOELdu3
京須七段は,がん治療のためにコバルト照射を受けていた。
当時は,ガンの告知が無かったが,「コバルト照射」という名前は聞いていた。
そのハイカラの名前をみんなに言いふらしていたら,
誰かがガン治療ということを告げた。
63 :
名無し名人:2006/03/24(金) 12:27:06 ID:HUKhIvit
山田優の将棋教室。
64 :
名無し名人:2006/04/23(日) 11:36:44 ID:kQz4pyzR
山田卓也氏うんこしてたのみたよ。くさかった。
65 :
名無し名人:2006/05/03(水) 23:49:01 ID:4RnKtI7K
このスレは落ちちゃいけない
66 :
名無し名人:2006/05/16(火) 20:39:59 ID:vybkUGZY
山田定石は最近でもたまに見るな
67 :
名無し名人:2006/05/16(火) 21:21:28 ID:mSazzFiT
山田トンカンの体操スレかと思たw
68 :
名無し名人:2006/05/16(火) 21:23:59 ID:hDDkSoxF
鷺ノ宮定跡って結局どうなったんだろ?振り尾車側圧倒的不利みたいにいわれてたけどな。
69 :
名無し名人:2006/05/16(火) 21:24:07 ID:9SHwn3Eq
将棋の場合は定跡といいなさいとマリオも言っております。
70 :
名無し名人:2006/05/21(日) 19:47:53 ID:IRd11gLP
捕手だゴルァ
71 :
名無し名人:2006/06/07(水) 19:21:12 ID:KwrAitft
山田さんは、昭和45年6月18日、36歳の若さで急逝しました。健在なら将棋界に対して、
技術の面と同様に、もっと革新的なことも提案されて献身されていたのではないかという気が
します。将棋学徒、といった人でした。
私も「山田研究グループ」に入れてもらい、将棋以外に趣味の面でも、いろいろと
影響を受けました。 「将棋宝典〔下〕中原誠」
72 :
名無し名人:2006/06/07(水) 19:25:38 ID:As3mDK/j
現代将棋の急所。 もってます。今読んでもいい本です。
73 :
名無し名人:2006/06/07(水) 20:37:57 ID:LWYjmsBw
>>71 山田が生きていれば、突撃していないような気がする。
気がするだけだけれどね。
74 :
名無し名人:2006/07/15(土) 16:52:45 ID:uaj6yHU5
a
75 :
ゅぁ(☆$'ε゜艸)+.:2006/07/18(火) 17:50:20 ID:wXbusNN2
-──- 、 _____
/_____ \=@ //⌒ヽ ⌒ヽ `\
|/⌒ヽ ⌒ヽヽ | ヽ / | ^ |^ |- 、 ヽ
| / | ヽ |─| l // `ー ●ーU′ \ ヽ
/ ー ヘ ー ′ ´^V / ─ | ─ ヽ i
l \ / _丿 i 二 | 二 | |
. \ ` ー ´ / .l \ | / l !
>ー── く ヽ \ | / / /
/ |/\/ \ ヽ  ̄ ̄ ̄ / / 同じスレではこのままだけど
l l | l >━━6━━━━━く 違うスレにコピペするとドラえもんがスネ夫
ヽ、| | ノ / く / ヽ に変わる不思議なコピペ。
|ー───j l (⌒(⌒) / |
76 :
ゅぁ(☆$'ε゜艸)+.:2006/07/18(火) 17:52:52 ID:wXbusNN2
優めちゃヵぁwぃぃのに
ぇびたんがでτヵらぁんま出てなレ)ょね(p・ω・`*q)
(0ДQ*!!ノ)ノ♥♥
時代ゎヵゎってゅくょ%+。(*●艸ЗU$)◆◇
77 :
名無し名人:2006/07/20(木) 02:40:02 ID:9WrKJZCP
スレがこれだけ進んでいるのに、このネタがないとは・・・
今夜がやまだ
今夜がやまだ
今夜が
や〜〜〜ま〜〜〜だ〜〜〜
今夜がやまだ!
78 :
名無し名人:2006/08/12(土) 09:26:10 ID:esU5L6es
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_,,..r‐'"゚゜´;;;;;;;,:::'´;;;;;;;;;;;;;;`'';;";;´;;~;;; ``'-、_`'i、,r'"´ `'i,`'‐--‐;'└-‐'´; ; i、
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79 :
名無し名人:2006/08/12(土) 09:27:46 ID:esU5L6es
米長!?よねなが!?しっかりしろー!!
80 :
名無し名人:2006/08/15(火) 03:19:39 ID:23jZSnM/
81 :
名無し名人:2006/09/07(木) 01:12:28 ID:uA852uZW
test
82 :
名無し名人:2006/09/08(金) 17:07:55 ID:e9LGepS1
83 :
名無し名人:2006/09/08(金) 17:38:18 ID:F2QPBRur
アマ名人になった山田洋次のスレかと思った
山田さんじゃわからないだろ!!!
84 :
名無し名人:2006/09/08(金) 20:47:43 ID:yrp3sBW/
別に83が頑張るなら、今から山田洋次さんのスレにすればいいと思う。
俺は山田アマと言われてもトンカン氏しか知らないが
85 :
名無し名人:2006/09/11(月) 20:40:24 ID:AQUzJMUL
>83
たかがアマ名人ふぜいのどこをどう押したら伝説が付くんじゃ
86 :
名無し名人:2006/09/11(月) 20:58:44 ID:op0Uk2cD
「男はつらいよ」なら伝説になるけどな
87 :
名無し名人:2006/09/12(火) 15:17:03 ID:lxie8DCh
本書で、私は現代将棋と真正面から取り組んだつもりである。
現代将棋の急所 480円
昭和44年7月1日 第1刷
著 者 山 田 道 美
<著者略歴> 昭和8年12月名古屋市に生まる。
県立瑞陵高校中退後、昭和25年
プロ入り、金子八段門下。
26年四段、30年六段39年八
段に昇段。40年名人戦、41年王
将戦の挑戦者、第10,11期に
棋聖位獲得。現在A級にて活
躍中。
現住所 千葉県船橋市
TEL. 0474− −
88 :
名無し名人:2006/09/12(火) 15:28:19 ID:poW8C/dg
山田さんにはお子さんは居られたのでしょうか?
89 :
名無し名人:
>>88 男の子が、ひとり。葬儀の時
「僕は将来医者になって、お父さんの様な病気を
治します」と、いう作文を読んだそうです。
今は何才くらいだろう。
夢はかなったのかな・・・