770 :
名無し名人:
安永一の「囲碁名勝負物語」(時事通信社)の第6局が、「天保吐血の碁」と題する丈和 vs 赤星因徹の碁だ。
丈和の三妙手として知られる碁だ。
「この碁一日おきに四日も費やしているが、その打ちかけの間、・・・・、丈和の妻は神仏に水ゴリをとって夫の勝利を祈願したという。文字どおり必死の対局であり、この局終わるとともに因徹は二十六歳を一期としてこの世をさっている。」
とある。
独身の君には、神仏に水ゴリをとって勝利を祈願してくれる女性もいないのだろうが。
しかし、棋聖位を取れば、そういう人が現れるかも知れぬ。
さらに、安永一の「囲碁名勝負物語」(時事通信社)の第8局が、「玄庵の執念」と題する井上因碩 vs 本因坊秀和の碁だ。
このとき、秀和21歳。ま、セドルと同じような年だ。
21歳にして、代表として本因坊家の存亡を賭けた争碁を打たされることになった。
ときに秀和、独身で童貞だったかも知れぬ。
しかし、ご存知のように、秀和は神算と言われるほどの打ち手。元祖「神算」か。
あの秀策にも勝ち越しているのではないか。
これ、秀和の黒4目勝ちなので、コミがあればと思うが、コミがあればあったで、秀和は別のヨセ方をするんだろうな。
ともかく、本因坊家の存亡を賭けた碁で、現代で言えば坂井秀至のような、チャンホのようなうち方をしている。
結城にそれを求めても無理だろうが、秀和が21歳で本因坊家の存亡を賭けて碁を打ったということは、記憶にとどめておいてもらいたい。