【囲碁】加藤正夫理事長逝去【訃報】

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512古新聞より
>>469
誠実な改革派 志半ばに  −加藤正夫・日本棋院理事長を悼む−
日本棋院理事長の加藤正夫九段が暮れの30日に死去して1週間。日本棋院で5日に開かれた新春
打ち初め式は黙祷で始まり、理事長代行の工藤紀夫九段はあいさつで「戦死」と表現した。
囲碁人口が70年代の半分近く減った上、甘い経営で債務超過が心配された棋院財政。国際棋戦で
韓国に勝てなくなった実力低下。窮状の転換をめざす利光松男理事長(元日本航空社長)の改革
推進で、加藤九段は大いに期待され2年半前、副理事長に就いた。
私心のない誠実な人柄。加えるに、本因坊・名人が計6期の実績と改革への意欲。三拍子そろって
棋士たちの信望は厚かった。
利光主導−加藤補完の態勢は着々と実績をあげた。経費が1億円近い昇段手合をやめることができ
たのも「加藤さんだったから」といわれた。8年連続赤字を02年度黒字に転換。囲碁殿堂資料館も
できた。漫画「ヒカルの碁」は追い風となり、若い囲碁ファンは増加に転じた。
「ヒカルの碁」監修者で弟子の梅沢由香里五段と各地のイベントに出かけ、囲碁の魅力を広めた
熱意は忘れられない。
だが、利光氏と思わぬ離反となったのが不幸の前触れだった。インターネット対局の提携を巡り、
最終局面で意見が折り合わず、利光氏は理事長を辞任。
「改革を引き継げるのは自分しかいない」と昨年6月、棋士たちの同意を得て自ら理事長に就任した。
11月に利光氏が憤死。同月、加藤理事長は棋院創立80周年の記念行事のあと、対局の合間に釜山−
ソウルと飛び、囲碁の新しい国際大会について協議した。過労のせいか脳梗塞と合併症で急死した。
「理事長を退いたら対局に専念したい」と語っていたという。
57歳。棋士として円熟期だったはずの日々は、衰退する日本囲碁界の再活性にささげられた。トップ
棋士に盤上への集中を許さなかった囲碁界。2人の改革派理事長を道半ばで相次ぎ退場させるとは、
囲碁の神様は非情である。(2005.1.6朝日新聞 荒谷一成)