【囲碁】棋力とヨミのレベル

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28名無し名人
 そして実をいえば、私はプロの誰もが大事にする感覚を、
まったく持ち合わせていません。私の碁に、感覚的なものは皆無です。
十一歳のとき、碁の中にある感性の部分を捨ててきたのです。
 なぜ捨てたのか。少年時代の私は感覚だけの碁を打ち、
早碁なら誰にも負けない自身がありました。
しかし、昭和四十三年の入段予選は石にかじりついてでも
勝たねばならなかった。ここで入段をのがせば韓国へ帰されるかもしれない。
その後の私を貫いている「勝つ」という動機が、このとき
初めて芽ばえたのです。
29名無し名人:05/01/20 17:01:17 ID:aXsaXCxk
そのためには、入段予選の十数局は、自分の信ずる手、
正しい納得のいく手で打たねばなりません。
感覚の手は正しいかもしれないが、まちがっているかもしれません。
そこで私は直感や第一勘をも含めた、感覚の手を、いっさい捨て去ったのです。
 入段を境に、私の碁は変わりました。
そして、感覚を捨てたまま今日までやってきました。
ですから、「趙治勲はヨミはすごいが、感覚はもうひとつだ」
などといわれると、「そりゃそうだ。もうひとつどころか、
感覚皆無の碁を打ってるんだよ」と、答えたくなります。
 武宮さんは100パーセント感覚の碁だという。何という違いでしょう。
30名無し名人:05/01/20 18:11:39 ID:P6SeFkkn
解説を聞いても違いが良く分かるよな
治勲解説は本当に解説でどんどん変化図を作っていく
武宮解説は感じがいいとかイメージとかそう言うのが多い
31名無し名人:05/01/21 23:02:55 ID:1wWz9cVz
そういえば、小林覚が趙治勲との対戦を振り返って言ってたね。


趙先生とは読みの深さでは自分は負けているとは思わない。
ただ読みの広さ、頭の中でできる変化図がものすごく多く、
その変化図同士を比較する能力に優れている。

でもって、
実際の話、あえて打たれた悪手に足元をすくわれて勝ち星をなくしたり
布石で7手目でもう勝てなくなったことに気がついたりと、いろんな体験を
したんだそうだ。


ということは、趙治勲を分類すると、坂田栄男に近いのかも。