【鉄板】森内俊之 竜王 Part5【優駿】

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48名無し名人

< 名人、高校生四段に番勝負で敗れる…… >

 1989年3月13日、谷川名人が投了を告げた。相手は高校生棋士。
全棋士参加の大型棋戦、全日本プロトーナメントの決勝三番勝負の
最終局。名人が、高校生四段に番勝負で敗れるとは、前代未聞だ。
しかも、谷川は、過去6回中、4回も優勝を納めている。
その験(ゲン)の良い棋戦で、よもやの惨敗を喫したのだ。
チャイルドブランド・羽生善治の登場に、棋界は驚嘆しているが、
チャイルドブランドは、一人だけではない。

 森内俊之、羽生と同じく1970年生まれ。小学生の将棋大会以来の
羽生のライバルであり、奨励会の同期だ。第7回小学生名人戦で、
(当時の)谷川八段,羽生少年,森内少年が並んでいるNHKの映像は、
読者の皆さんも、テレビか雑誌で、見覚えおありでしょう。
森内は高校生四段ながら、既に新人王戦で優勝を飾っており、
全日本プロトーナメント制覇後、早指し新鋭戦では、連覇を達成。
放映7年後の、谷川-羽生-森内の状態を、誰が予測したでしょうか?

 さて、1988年度、第7回全日本プロトーナメントの様子ですが、
初戦は森内が制したが、(A級順位戦最終日の前日)3月2日の第2局は
谷川が勝ち、誰もが第3(最終)局は 谷川が現役名人の意地を見せ、
5回目の優勝を飾り、名人戦への弾みにすると思っていました。
しかし、3月13日、まさかの谷川敗退。自分より若い世代とは、
指しにくく、苦手としているのではないかと、言われ始めました。

 のちに、谷川は、「子供アレルギーではなく、彼等は既に
八段位の力があったと思います。ねじり合いで負けた将棋は、
精神的にこたえました。」と供述している。