みな私の字余りをリズムがないとか推敲したほうが良いとか
言うが、自分なりに推敲はしている。
たとえば パニック マウスの玉が落ちた コロコロコロ
と言う句は、同じ内容を
大慌て マウス玉落ち 転がった とすることも可能だが、
575に収まっていると言うだけではないだろうか。
パニック という語感。この句は、当事者が切実に慌てていなければ
面白くないが、大慌て とすると、これは主観というより客観なのだ。
あの時は大慌てしたよ と時を置いて人に言うのならともかく、その刹那の緊迫を
出すには どうしても パニック を使いたかった。
そして 転がった も甘い。なぜか。
朝日放送のかつての名アナウンサー植草貞夫氏は、
普通の実況で 打球が左中間を破って転がっていきます!
と言う内容を、 植草:打球はワンバウーンド ツーバウーンド スリーバウンド
今フェンスに達した。 と実況した。光景が具体的に想起されるではないか。
元木大介が甲子園決勝でさよなら負けしたときも、牽制が外野を転がっていくのを
ボールは無情に コロコロコロコロ !コロコロと 必死に追いかけても逃げていくにげていく と 実況したものだ。
当事者の緊迫と、ボールが転がる情景のどこかユーモラスな感のある対比。
そのためにも結句はコロコロコロしか選べなかった。
コロコロは視覚的同時にユーモラスな(コロコロコミックもあったな)素晴らしい言葉ではないか。
一応ここまで考えて作っている事だけは判って欲しいものだ。