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名無し名人:
奨励会員は二十人くらいだったが、最初の日から加藤一二三さんだけはすぐに分った。
重戦車と呼ばれる今の体型とは全く逆で、細身で目元がすずしかった。
奨励会はいわば地元では戦う相手もなくなり、神童とか天才とか云われた者達の集まりである。
その中にあって、加藤さんは一きわ輝いていた。
将棋で生活が出来るようになるかどうか、奨励会の戦いは悲壮なものである。
全員が盤の前におおいかぶさる姿勢。
熱気がムンムンする中で、加藤少年の背筋はいつも伸びていた。
加藤さんの周りにはすずしさがあった。
”神童”の集まりの中にあって、”ハキダメにツル”のおもむきがあった。
十四歳にして大人(たいじん)の落着きがあった。
「ボクはな、八割の力が出せればそれでいいと思って指してるんや」
と云ったのを聞いたことがある。
私を含めて奨励会員は、何が何でも勝ちたい、持てる力を全部、
いやそれ以上の力を発揮しなければと必死で戦っていた。
私と同い年の少年にどうしてこんなに余裕が持てるのか。
(中略)
天才タイプにはときどきお目にかかるが、天才とはこの世の中でそう会えるものではない。
しかしあの頃の加藤さんには、天才という呼び名が実にぴったりしていた。
内藤國雄「私の修行時代」より