今年もやってきた、将棋界の一番長い日。
第67期A級順位戦最終局は、2009年3月7日、
全局一斉に東京、千駄ヶ谷の将棋会館で行われた。
この期のA級は、史上類を見ない大接戦であった。
8回戦を終わって、10人のうち8人が横一線の4勝4敗。
最終局を前にして、挑戦の目がなくなっているのは、
唯一5敗を喫している前期順位4位、屋敷伸之九段のみ。
一方の残留争いも熾烈極まり、すでに残留を決めているのは、
ただひとり5勝を挙げている、9位の深浦康市八段、
そして順位差に救われた、1位の佐藤康光棋聖と
2位の久保利明八段だけであり、残る6人はいまだ、
挑戦と降級、いずれの可能性も残されていた。
なかでも特に過酷な立場にあったのが、2度目の
A級復帰となった2000年度、第59期順位戦以来、
9年間A級の地位を守りつづけた、前期順位8位、
青野照市九段である。
最終局の相手は、5勝で挑戦にリーチの深浦。
この対局に敗れれば、5敗の屋敷と10位の渡辺明八段、
その両方が敗れない限り、降級が決まる。
だが一転、勝てば深浦の無条件挑戦がなくなり、
青野自身を含む5〜6人、史上最大人数のプレーオフが実現する。
自らの地位のためにも、ファンの楽しみのためにも、
決して負けられない一局であった。
しかし、齢56歳、今期の青野は不調であった。
順位戦こそ辛うじて指し分けという成績であったが、
他の棋戦は負け続き、自身も衰えを否定せず、
引退すらも囁かれた。
下降の一途をたどる青野に対し、地道に実績と実力を
積み重ね、ついに今期、悲願のA級棋士となった深浦。
もはや勝敗は、「指すまでもない」というのが下馬評であった。
そして運命の日の2日前、3月5日夕刻。
とある巨大掲示板に、ひとつのスレッドが立てられた。
スレッド作成者の署名は、「青野照市」。
書き込みの内容は、あさっての順位戦で、深浦八段に対し
どんな戦法を使えばいいか教えてほしい、というものだった。
このスレッドに対する、掲示板利用者の反応は冷ややかだった。
「ふーん」「駄スレ立てんな」「つまらんネタやめろ」
しかし、「青野」はそれでも謙虚に教えを請いつづけた。
やがて、掲示板利用者の反応も変わり始めた。
半信半疑ながらも、「青野」に対して
アドバイスが書き込まれ始めたのだ。
その内容はまじめ半分、冗談半分といったところ。
「浮雲」「Aシステム」「鷲宮定跡」といった珍戦法の数々、
だが「青野」は、いかなる書き込みも決して
軽んずることなく、丁寧に返答をつづけた。
そして、スレッドが立てられてから
24時間あまりの過ぎた、6日夜のこと。
「みなさん、数多くの助言ありがとうございました。
ここまでみなさまが、私などのことを案じてくださり、
心よりうれしく思います。しかし、ひとたび盤前に座れば、
棋士はただひとりで戦わねばなりません。これから先は、私の戦い。
ですが、皆様の暖かいご声援、決して忘れはいたしません」
この書き込みを最後に、「青野照市」の書き込みは途絶えた。
果たして、このスレッドを立て、一連の書き込みを行った
「青野照市」は本物だったのか?
青野自身はこの問いに対し、ただ微笑を浮かべるのみで、
決して答えようとはしない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
この掲示板でヒントを得たのかどうかは定かではないが、
3月7日、対深浦戦で、「青野新手」が登場し、
これが青野、初のプレーオフ進出、さらには
名人挑戦への原動力となった、ということが。