【5年後の】A級順位戦メンバーは?

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235 ◆HKSeNKoUs.
今年もやってきた、将棋界の一番長い日。
第67期A級順位戦最終局は、2009年3月7日、
全局一斉に東京、千駄ヶ谷の将棋会館で行われた。

この期のA級は、史上類を見ない大接戦であった。
8回戦を終わって、10人のうち8人が横一線の4勝4敗。
最終局を前にして、挑戦の目がなくなっているのは、
唯一5敗を喫している前期順位4位、屋敷伸之九段のみ。
一方の残留争いも熾烈極まり、すでに残留を決めているのは、
ただひとり5勝を挙げている、9位の深浦康市八段、
そして順位差に救われた、1位の佐藤康光棋聖と
2位の久保利明八段だけであり、残る6人はいまだ、
挑戦と降級、いずれの可能性も残されていた。
なかでも特に過酷な立場にあったのが、2度目の
A級復帰となった2000年度、第59期順位戦以来、
9年間A級の地位を守りつづけた、前期順位8位、
青野照市九段である。
最終局の相手は、5勝で挑戦にリーチの深浦。
この対局に敗れれば、5敗の屋敷と10位の渡辺明八段、
その両方が敗れない限り、降級が決まる。
だが一転、勝てば深浦の無条件挑戦がなくなり、
青野自身を含む5〜6人、史上最大人数のプレーオフが実現する。
自らの地位のためにも、ファンの楽しみのためにも、
決して負けられない一局であった。
しかし、齢56歳、今期の青野は不調であった。
順位戦こそ辛うじて指し分けという成績であったが、
他の棋戦は負け続き、自身も衰えを否定せず、
引退すらも囁かれた。
下降の一途をたどる青野に対し、地道に実績と実力を
積み重ね、ついに今期、悲願のA級棋士となった深浦。
もはや勝敗は、「指すまでもない」というのが下馬評であった。
236 ◆HKSeNKoUs. :03/02/23 22:37 ID:npPZGM47
そして運命の日の2日前、3月5日夕刻。
とある巨大掲示板に、ひとつのスレッドが立てられた。
スレッド作成者の署名は、「青野照市」。
書き込みの内容は、あさっての順位戦で、深浦八段に対し
どんな戦法を使えばいいか教えてほしい、というものだった。
このスレッドに対する、掲示板利用者の反応は冷ややかだった。
「ふーん」「駄スレ立てんな」「つまらんネタやめろ」
しかし、「青野」はそれでも謙虚に教えを請いつづけた。
やがて、掲示板利用者の反応も変わり始めた。
半信半疑ながらも、「青野」に対して
アドバイスが書き込まれ始めたのだ。
その内容はまじめ半分、冗談半分といったところ。
「浮雲」「Aシステム」「鷲宮定跡」といった珍戦法の数々、
だが「青野」は、いかなる書き込みも決して
軽んずることなく、丁寧に返答をつづけた。
そして、スレッドが立てられてから
24時間あまりの過ぎた、6日夜のこと。
「みなさん、数多くの助言ありがとうございました。
ここまでみなさまが、私などのことを案じてくださり、
心よりうれしく思います。しかし、ひとたび盤前に座れば、
棋士はただひとりで戦わねばなりません。これから先は、私の戦い。
ですが、皆様の暖かいご声援、決して忘れはいたしません」
この書き込みを最後に、「青野照市」の書き込みは途絶えた。
237 ◆HKSeNKoUs. :03/02/23 22:38 ID:npPZGM47
果たして、このスレッドを立て、一連の書き込みを行った
「青野照市」は本物だったのか?
青野自身はこの問いに対し、ただ微笑を浮かべるのみで、
決して答えようとはしない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
この掲示板でヒントを得たのかどうかは定かではないが、
3月7日、対深浦戦で、「青野新手」が登場し、
これが青野、初のプレーオフ進出、さらには
名人挑戦への原動力となった、ということが。