【5年後の】A級順位戦メンバーは?

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167 ◆HKSeNKoUs.
 第121期名人戦七番勝負第4局は、2063年5月3〜4日、
この対局を最後に取り壊しの決まっている、
東京・千駄ヶ谷の旧将棋会館で行われた。
 3連敗で後のない羽生桃花名人のゴキゲン四間飛車に、
先手番の加藤一二三竜王は今期先手番無敗の棒銀で対抗。
羽生は角交換から桃花風車の堅陣を築き、序盤を優位に進めるが、
封じ手後、加藤は飛車を切り、金2枚をタダ捨てする強襲の上、
玉自らの突進により、桃花風車の一角を崩した。
 羽生は裸の加藤玉を詰めにかかるが、
加藤は角1枚で自玉の詰めろを阻止。
優劣不明の長い終盤戦が続いたが、
100手を過ぎるころ、加藤の容態が急変する。
 加藤の心臓は、過食と老衰により弱りきっており、
本来対局には耐えられない状態だった。
この対局も、主治医からの絶対安静という指示を振り切って臨んでおり、
駆けつけた医師団は即刻の対局中断を求めたが、
加藤は激しい空咳と大きなモーションの空打ちで中断を拒否。
特上寿司とうな重、板チョコ6枚を注文して対局を続行した。
 そして122手目、羽生の△2一香が決まる。
控え室検討では、この王手に対し、加藤は玉を逃げても、
いかなる合い駒をしても、詰みを避けられない。
検討陣は「加藤負け」で一致した。
加藤の持ち時間は残り7分。ネクタイを強く締め上げ、
中腰になってズボンの乱れを直すが、
残り4分となったところでその動きが止まり、床に倒れる。
すぐに医師団が駆けつけたが、呼吸、脈拍ともに停止。
168 ◆HKSeNKoUs. :02/11/30 13:51 ID:sSQYhlEP
 しかし、搬入された担架に加藤竜王を乗せようとした瞬間、
加藤は起き上がり、最後の一声をあげる。

       「 あ と 何 分 ? 」

「加藤竜王、残り2分です」という計時係の声に、
加藤は3一の角を取り上げ、渾身の力で2二に叩きつけた。
第123手、加藤一二三竜王、▲2二角不成。
その駒音は控え室にまで響き渡り、次の瞬間その2二を中心として
盤面に亀裂が走ると、まもなく盤は真っ二つに割れた。
記録係が替えの盤を持ってこさせようと指示を出すが、
羽生はそれを無言で制止、静かに投了を告げた。
 ▲2二角不成のところ、▲2二角成では、37手後の△1二歩打ちを
▲同馬と取ることができるのだが、不成だとこの歩を取れないため、
△1二歩は打歩詰となって成立しないのだ。
 渾身の一手を放った加藤は、そのまま真っ二つの盤の前、
静かに目を閉じ正座している。再び医師団が駆けつけたが、
加藤新名人はすでに事切れていた。
 加藤一二三、実力制六代名人。1982年、中原十六世名人との
10番勝負を制した第40期名人戦以来、81年ぶりの名人復位。
同時に、竜王、棋聖、王位、王座、棋王、王将と合わせ、
1996年2月、羽生善治十八世名人以来の七冠王に輝いた、
その一局を最後に、123歳と123日、盤上に大往生。
生きながらにして伝説となった大棋士にふさわしい、
壮絶にして劇的なる最期であった。
 なお、この将棋はそのまま「加藤定跡」としてさまざまな棋士により
検討がなされたが、先手勝利を覆す変化はついに発見されず、
将棋の先手必勝が証明され、ゲームとしての将棋は終焉を迎えることとなった。