穴熊はずるくないか?

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939名無し名人

将棋の勝敗=実力+研究+ズル+偶然であります。偶然はズルが増大
するにつれて、それもまた増大します。また、研究は、非ズル的研究と
ズル的研究(共同研究あるいはズル熊等ズル戦術の研究など)に大別
されます。将棋の勝敗は、これらの諸要素の総和により決定するというのが
ズル理論の根本的立場であります。

 ズル棋士が、ズル方程式を共通の認識としているのかというと、
必ずしもそうとは言えないでしょう。ズル棋士の行動は、たしかに
ズル方程式で解明され得るのですが、それを明確に意識しているのかと
いうとそうとも言えないと思うのです。たとえば、生物ならば、
どの生物も法則性をもって行動しますが、彼らがそれを明確に意識
しているのかというとそうではないというのと同様かと思います。
行為者の行為の法則性は、行為者本人には必ずしも認識されていない
のであります。
940935と936へ:02/06/27 00:48 ID:/zTQ5VXI
 法則は客観的なものであります。そして、この客観的な
法則を認識するのがわたくしたちの主観であるわけです。それゆえに
わたくしたちは、自らの主観が、単なる主観にとどまらないよう、できる
だけ客観的なるものを反映できるよう、絶えず警戒しなければなりません。

 ズル熊など、ズルのなんたるかを理解するためには、ズル熊にとらわれ
ず、ズルの既得権益を持たないことがポイントとなります。
無論、ズル熊が極端に苦手であったり、ズル熊をしたこともないというの
も、ズル理論を理解する際にマイナスとなりえます。すなわち、ズル熊から
自由であることが肝要なのであります。

 「ズル熊から自由である」ということと、「ズル熊に無関心な第三者」とは異なることに注意しなければなりません。人間尊重の精神を忘れては
なりません。

 かような意味で、ズル棋士は、ズルの真っ只中に身を置いていますから、
ズルの客観的認識は難しいといえるのではないかと思われます。彼らは
必ずしも明確なズル意識を持たずに、ズルな行動をしていると思われます。
これは眼鏡をかけている人間は、眼鏡をかけていることは意識していても、
眼鏡のレンズを意識して物を見ることはないというのと似ています。

 その証拠に、前期の名人戦で、ズル川名人は、第一局で、水と油、ズルと真面目を組み合わせた駒組みをして失敗しました。これはズル理論からすれ
ば、明らかなことであるが、ズルの当事者であり、しかも将棋界最ズルと
評されるズル川名人でさえ、この水と油の理論を明確に意識していなかった
ということなのであります。