「関西棋院の棋士やファンはたいへんな気の落としようであった。この七番勝負について、
前後二百通ぐらい手紙をもらったが、三対一に追い込まれたときには、もう勝負はどうでも
いいから立派な碁を打ってこい、関西棋院の将来などは頭の中から拭い去ってしまえ、
それは勝負が終わってから、改めて考えるべきことだ−というような手紙が多かった。」
−「囲碁専業五十年」
甲府昇仙峡で打たれた第五局。この一局に勝てばいよいよ本因坊だという意気込みの坂田
であった。坂田のファンは祝宴の用意までしていたのである。二日目の午後になって局面は
急迫していた。凄まじい気魄が対局室に満ちていた。
そんなとき新聞社のカメラマンが対局者に気づかれないように写した写真がある。橋本と
坂田が体を乗り出して盤面を凝視している姿が暗黒の中に浮かんでいる。不気味な殺気が
画面から溢れるような写真である。「赤鬼と青鬼の写真」といわれるものだが、これが有名に
なったのは、写真が対局室の凍りついたような空気を写し出していたからである。凄まじい
勝負であった。 −講談社「大系」・下
>>222 気持ちは分からんでもないが、
イラネーヨ。
224 :
名無し名人:04/05/26 11:44 ID:pltq9ZBM
現代に生まれていれば大三冠かなあ
最近の関西棋院の大物は挙動不審結城に往生際が悪い昌二・・・
瀬戸に期待。
小学3年生の坂井秀至に3子でやられてた
あんまり先輩の話はいいたくないのだが、この人は呉清源さんと比肩されるだけに、
とても華麗な冴えた碁である。気合いの碁で、年齢の限界にきかかっている人とは
思えないくらいだ。いまでも一番勝負に強く、それには敬服させられるが、もう
持久力はなくなっている。 (坂田「勝つ」1965)]
1965年より後の実績は年齢の限界での余韻に過ぎないのかw(ちょっと意地悪に
保全
229 :
名無し名人:04/06/28 21:22 ID:qcvbV6Wi
詰碁の数は賞賛されるが、あまり質についての賛辞は聞かないな
自分は好きだけど
230 :
名無し名人:04/06/28 21:30 ID:dxjngPP1
つまり難解ものはほとんどどっか行っちゃったと?
あーあ
232 :
名無し名人:04/07/24 21:59 ID:rgT2apTH
今日は命日、没後十年。
関西棋院、何か記念事業しろよ。
233 :
本当は昨日書きたかった:04/08/07 07:14 ID:NKWdeAYR
一度見聞きしたことは忘れない記憶力の持ち主が
原爆の惨禍を目の当たりにしたのだからたまらない。
毎年夏になると原爆症になったというが、今で言う
PTSDだろうな。
念のため保全
236 :
名無し名人:04/10/06 00:39:33 ID:cDLf7Pup
関西棋院大手合が終了した。
主催紙の大阪新聞と産経新聞に
宇太郎先生は大変な恩義を感じておられたそうだ。
もう大阪新聞は無い。
237 :
名無し名人:04/10/16 13:44:09 ID:pQLLLYgC
ほお。
238 :
名無し名人:04/11/14 21:44:10 ID:4zSpMlnF
今日、教育テレビで将棋を指していた人は
この方の親戚でつか?
239 :
名無し名人:04/11/15 11:05:57 ID:nEgP68kw
傑作譜貼ってくり。
240 :
名無し名人:04/12/19 22:48:34 ID:ZtDBRN/0
リクエストしてくれ。
1975年以前のものだったら橋本宇太郎全集を図書館で調べてくる。
241 :
名無し名人:05/01/01 15:57:54 ID:Zj/Pv27W
加藤正夫先生の訃報に沈んでいる。
平成16年12月30日12時33分、脳梗塞および合併症のため逝去。享年57歳。
その中で宇太郎先生の生涯が頭をよぎる。
名勝負、名棋譜、棋院創設、長寿、最期の風景。
なんて別格の人だったんだろうと。
加藤先生にもこの運があればと。
242 :
名無し名人:05/01/03 17:14:12 ID:8DU2IuMQ
橋本先生も呉先生との十番碁の打ちかけの夜に大阪から
棋院運営に関する電話相談があったりした。
67歳で名人リーグ入りを果たした碁の観戦記を調べていたら
「終局直後、役員棋士たちが先生のもとに駆け寄って運営の相談を
始めた」とあった。
加藤先生より過酷な状況にあったことは間違いない。
243 :
名無し名人:05/01/04 02:29:14 ID:BzsZVVq6
「より」とか相対比較しないでくれよ。
宮本直毅九段が、お伴の旅の宿でふと話しかけられた中での人物評の部分を
回想〜列記した文章が、『橋本宇太郎の世界』にありました。
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呉 清源
石の運びは一見平明に見えるが、状況によっては疾風迅雷、一刀両断のすごみがある。
一局のうちこちらのヨミにない手を必ず打ってくる。彼の宗教にうちこむはげしさと
ともに碁に対する執念が神仏のように迫力があった。彼こそ昭和の棋聖であり、名人
である。もう一度十番碁を打ってみたい気がする。
木谷 實
正確無比のヨミでしかもねばりづよかった。私とはまったく正反対の棋風。名人に
なれなかったのが不思議なくらい。もっと時流にあわせてさらさら打てばタイトル
くらい楽にとっていたと思う。碁の癖があり凝りすぎるところがあった。しかし
それが囲碁三昧かもしれない。
関山 利一
父君の盛利氏が熱心で私も可愛がられた。その縁で私が二段の時、盛利氏のたのみで
利一氏と七子で打ったが、翌年は三子になり、さらに一年後には二子で打った。
大変な棋才の持主だった。はじめは守勢一辺倒の碁だったが、四段の時から攻めに
重点をおくようになり、一挙に超一流の域に達した。彗星のごとく現れ消えていった
天才。
岩本 薫
小川のせせらぎのようにさらさらと打ち、また大地にぱらぱらと種をまくように打つ
といった調子でつかみどころがない。そうかといって安心しているとぱっと襲って
くる。飄々としていて油断のならぬ碁である。私の苦手である木谷九段には、めっぽう
強かったようである。
高川 格
平明流というか水の流れるような決して無理のない碁。形勢判断に明るく自分から
仕掛けないから私には調子のあわないところがあった。コミ碁というものに新境地
を開拓したように思う。
藤沢 朋斎
山を抜くような剛力。ツボにはいると手がつけられない。私もよくおしつぶされた
が、強いだけにちょっとリズムが狂うとすきができる。碁はヨミと力だけでは制し
きれないほど広く深いのである。
坂田 栄男
カミソリといわれるくらい鋭い切れ味は比類がない。私とは波長が合い、打って
いて碁の琴線にふれるようで楽しかった。昇仙峡の一局は、敗色が濃かったが、
相手にあせりのようなものがでて助けられた。七局目の賢島で私に勝運が傾いた
が、坂田九段が局後帰りぎわにあいさつにみえ、その姿にさわやかな印象を受けた。
半田 道玄
柔軟性にあふれた碁で盤上を宇宙とみて思考をこらすといった具合に、高僧の
風格があった。ふわふわとしているかと思えばどこまでもくねくねしているところ
があり、石の流れの裏に粘着力があった。もう少し長生きをしてほしかったが、
碁に燃焼しつくしたという感じで、すばらしい棋士であった。
山部 俊郎
才気煥発型で変幻の妙という点では注目に価するが、時にむら気があり損をして
いるように思う。この人に執念とねばりというものが加わっていたらと惜しまれ
る。
藤沢 秀行
独創性にあふれ棋才という点では古今比類のない大天才だと思う。彼より強い人
はいっぱいいるが、作品という見方からすると彼に及ぶものはめったにいない
のではないか。要するにひらめくのである。
林 海峰
勝つための条件であるヨミ、粘着力、形勢判断などどれをとってもバランスが
とれている。碁盤全体で打ってくるという感じで、スケールが大きい。
大竹 英雄
名人中の名人である。どこから突いてもスキがない。ただ気になるのは大竹美学
とかいわれているが、碁に美学などあるはずがない。盤上には勝負があるだけで
ある。もっと鬼気というものがほしい気がする。
248 :
名無し名人:05/01/12 23:00:29 ID:cT1Nmf1e
>>244-247 乙。
一流を表現できるのは一流のみということか。
関山師の上達の様子は初めて聞いた。
秀行師の批評に唸った。
249 :
名無し名人:05/01/13 18:45:15 ID:HRAV/cdC
呉の「疾風迅雷」、高川の「平明流」、山部の「変幻」なんてのは誰がつけたんだろう。
みんな宇太郎師のこの批評からというわけじゃないだろうし。
「呉は疾風迅雷、坂田は快刀乱麻」なんてフレーズ格好いいよなあ。
250 :
名無し名人:05/02/06 20:21:24 ID:VT+ksw5z
四分の一消化
251 :
名無し名人:05/02/07 19:35:01 ID:UXw+BITN
呉清源師の自伝映画では、誰が宇太郎師役をやるんだろう。
252 :
名無し名人:05/02/15 12:39:53 ID:3vCSns+z
>>240 リクエストしてみる。
関西棋院の存亡をかけた昭和最大の名勝負の棋譜をぜひ。
1譜だけというなら、カド番で勝利した棋譜をぜひ。。。。
253 :
240:05/02/15 18:53:09 ID:/RDqKtuC
254 :
名無し名人:05/02/16 16:00:52 ID:YxbrtnS2
>>252 どうもありがとうございます。
ほかにもいろいろあるんですね。
おいそがしいところ、ありがとうございました。
255 :
名無し名人:05/02/16 16:02:12 ID:YxbrtnS2
>>253のまちがいでした
すみません。
ではあらためまして、
>>253さん、どうもありがとうございました。
256 :
名無し名人:05/02/16 16:27:34 ID:oGApPG3t
野沢竹朝が序盤で工夫しない橋本少年を一喝したのは有名だが
知人に将来性のある若手棋士を聞かれ、「橋本少年はものになります」
と回答していたのはあまり知られていない
257 :
名無し名人:05/02/26 14:38:48 ID:6gbAKpm0
258 :
名無し名人:05/02/26 15:23:15 ID:HsoJGn1P
初手天元を打たれた時にすぐに空き隅確保するのは素人
259 :
名無し名人:05/02/27 01:34:34 ID:U8i1Px05
>>257 マジですよ。
善悪を超える気合の一着という評価らしいです。
当時、東西対抗の意識が強く、相手を何するものぞ
蹴散らしてくれんの気合がみなぎっているさなかで行われた
という背景があります。
団体対抗戦で全員が第1手目天元だったということもあったようで
新布石時代と東西対抗の両方の空気が融合してできた棋譜なの
かもしれないですね。
詳しい方補正をお願いします
260 :
名無し名人:05/02/27 10:48:05 ID:cz/w0ZqC
読売新聞社主催の名人戦解説会で橋本師が語ったのですが、
第1期名人戦創設のとき、第1期の名人は呉清源さんを置くべきだと
主張されたそうです。当然日本棋院や新聞社の思惑があり、
実現は難しかったのでしょうが、橋本先生らしいお話でした。
261 :
1:05/02/27 21:35:22 ID:Jn/RSk51
橋本先生生誕98周年&スレ立て三周年記念上げ
262 :
名無し名人:05/02/27 23:55:21 ID:Jn/RSk51
日経の縮刷版を調べていたら宇太郎先生の人物評を
宮下秀洋プロが書いていた。前半はよくある「勝負師宇太郎」
についてなのであまりおもしろくなかった。
後半が興味深かったので紹介する。
九段は趣味人でもある。いっしょに虎ノ門アパートにいたころ、
橋本さんはよくあきもせずにコーヒーをつくった。ブラジル、モカ、
ジャワなどを調合して、天下一品、独特の風味をもつコーヒーをつくった。
それは街の喫茶店のものとくらべて段違いにすぐれていた。その
コーヒーづくりの先生といっしょにいたから、しぜん私の腕も
免許皆伝になった。それほど彼は納得のいくまで研究する一面を
もっている。ついでだが、そのアパートは女人禁制、四畳半という
よき時代の庶民向きの建物で、私はそこで初段になり、橋本さんは
五段になった。
彼はまた純情情熱の人である。同じアパートにいたころ、京都の
吉田操六段の内弟子であった現夫人と恋愛していて、京都へ行く
ときの楽しそうな様子、帰ってきたときの物足りないような素振り、
郵便受けの木箱からはみ出している恋人からの手紙をふところに、
急いで自分の部屋へ帰ったりするところなど、まさに人間味たっぷりの
橋本さんである。勝負師としては最高である九段の地位にあるが、
ほかの道を選んだとしても、現在に近い大成ぶりを見せたのでは
なかろうか。
263 :
262:05/02/27 23:59:50 ID:Jn/RSk51
>>6にも書いてあるが、
先生は夫人とコーヒーを飲んでいるとき、胸部大動脈瘤破裂でお亡くなりになった。
>>261を読んだとき、「好きなもの二つのそばでおなくなりになるなんて
幸せな死に方だったんだな」と感慨深かった。
264 :
名無し名人:05/03/02 20:32:33 ID:JKvvO6T4
東野某氏ね
お前が監修した宇太郎の詰碁集
答えどころか問題まで間違いだらけじゃないかよ
引退して反省してるつもりかもしれないが
絶対許さないぞ
同じ詰碁作家として故人の宇太郎に嫉妬したからか
わざとやったんか畜生
265 :
名無し名人:05/03/03 06:28:30 ID:exG9RkpU
>>264 何ていう本ですか。私も詰碁歳時記とか奥の細道とか東海道五十三次とか
中仙道やってるので、教えてください。
266 :
名無し名人:05/03/04 22:26:30 ID:5w+n/mvq
>>264-265 「100万人の詰碁2 橋本宇太郎」講談社
ですね。
264さん、具体例を挙げて説明して頂けると
うれしく思います。
結城君、己に克て。
268 :
名無し名人:05/03/18 06:57:51 ID:orHiCtj9
己に負けましたか・・・
269 :
名無し名人:05/03/19 21:58:11 ID:ow7NHyM5
第7局に負けただけ
270 :
名無し名人:
秀行師だったか、
「橋本さんは鳥のような華麗なサバキ、
梶原さんはキリでねじ込む徹底的なサバキ、
木谷さんは巌のような磐石の石サバキだった。」
と言ってたなあ。
どんな碁が頭にあったんだろう。