>>353の続き
『鉄道興信録:鉄道年鑑』(鉄道新聞社出版部 昭和3年刊)によれば、
下記のように、「本庄洋」の名前が出てくる。
「かしわ飯」を最初に創ったとされる鳥栖の中央軒社長の名前や、
「かしわ飯」を博多駅で大々的に売り出した岩倉音熊の名前もある。
〓門司運輸事務所〓
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1076926/32 【立売】
折尾 本庄洋
【売店】
折尾 汐崎敬太郎
〓鳥栖運輸事務所〓
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1076926/34 【立売】
博多 岩倉音熊(元博多駅長)
小平眞平(共進亭ホテル、日本食堂前身として食堂車も)
鳥栖 橋本栄次(中央軒初代社長、明治25年に弁当立売開始)
久光久米吉
神武肥之会
【出店】(待合所内売店)
博多 高木友太郎
鳥栖 古賀立太郎
岩倉音熊の人物像を扱った下記書物によれば、
本庄巌水が勤務していたという大正初期より以前に、
門司運輸事務所に在籍していたことが分かる。
さらに「かしわ飯」に触れた記述では、
「折尾」よりも先に「鳥栖」が述べられている。
折尾が「かしわ飯」の元祖だというのならば、
福岡の出版社がわざわざ佐賀の鳥栖よりも後に、
折尾を記述するわけがあるまい。
>>353で触れたように東築軒サイトの記述が「真実」ならば、
岩倉が販売開始するちょうど一年前の大正10年に
「かしわ飯」を売出した「大物鉄道マン」の本庄巌水について
言及しないわけがない。
■高等官から、かしわ飯やに成つた変わり種 元博多駅長 岩倉音熊氏
『事業ト人 : 奮闘秘話 1』(福岡時事社出版部 1929年刊行)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1101425/31 「九鉄最初の車掌監督制が出来たのでその監督に昇進し門司運輸事務所書記を
兼任させられ間もなく博多駅長となって十年間勤務。この間博多駅の改築拡張
をして現在の博多駅とした」
「大正十一年当時は鳥栖と折尾の両駅に鳥飯(かしわめし)があったが
博多にも名物となる鳥飯を売出したいと決心し現代式の調理室をかまえて
おいしいかしわ飯を売出した」
ちなみに、国立公文書館デジタルアーカイブ
http://www.digital.archives.go.jp で、
「岩倉音熊」で検索すると、3件表示される。
>鉄道院書記岩倉音熊任官ノ件
>鉄道院参事補岩倉音熊賞与ノ件
>鉄道院参事補岩倉音熊増俸並休職ノ件
「本庄巌水」で検索しても、ゼロである。