【bayfm78】ビートルズから始まる。11【小林克也】

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1ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】
●bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組

番組内コーナー
・ビートルズ・カレンダー
・ビートルズ・ストーリー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)
メールアドレス [email protected]

▼前スレ
10 http://ai.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1377163455/
9 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1359722581/
8 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1341307124/
7 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1320067779/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年3月16日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月16日)
 ・1964年(今から50年前の今日)
  もう64年はね、もう誰でも知っている年だと、僕は思ってますからね。
  64年、つまり もうビートルズが世界を手にした、そのあと。
  50年経ってるわけですね。すぐあとです。

  今から50年前の今日。
  ビートルズのアメリカでの次のシングル、「I Want To Hold your Hand」の次のシングル「Can't Buy Me Love」これが発売になった。
  と同時に、ゴールドレコードになっちゃった、ていう。
  もう、すごい売れ方だから、国中がビートルズを待っているわけだから、ていう感じです。
  で、この「Can't Buy Me Love」ていうのは実は パリで録音されているんです。
  このパリ録音の話しはねえ、この番組、何年前だろうな、10何年ぐらい前にw、ちょっとお伝えしたことがあるんですけど。
  その時を 聴いてた人いるかなあ。
  ビートルズが世界で一位になって、で、ドイツでも発売するってことになって。
  で、ドイツのレコード会社が「ドイツ語でやってくれ」っつうんですよ。「I Want To Hold your Hand」を。
  それで、オッケーっていうことで、まあ最初の頃だから いう事を聞いたんだと思いますが。
  ジョージ・マーティンが パリに行くんですよね。
  なぜパリに行くかというと、ビートルズはオランピア劇場に出てるわけですよ。
  それで、これを ドイツ語を録音するんだ、ってことは前もって録音してたんだけど、ビートルズはゴネるんですよ。
  「なんで、俺たちがドイツ語で録音しなきゃダメなんだよ」
  それで、子供みたいに逃げ回ったりするんですよね。
  でもまあ、覚悟を決めて、ていうか。
  これはまあ ビートルズのイタズラ心だと思うんですけども。
  (続き)パリのスタジオへ行って、ドイツ語の「I Want To Hold your Hand」を録音するんです。
  でもこれは、ジョージ・マーティンがカラオケを持って来てるから、あっと言う間に出来上がっちゃって、スタジオの時間が余って。
  そこで、ポールがですね、『実はこの Can't Buy Me Love ていう曲があるんだ』っていうことで。
  これは、すごい曲ですよね。これを、録音するんですよね。
  まあ最初にCで歌、で、Dに上げて、で、Cに戻して、テイク3、4、録って、それを編集して。
  結果としてはポールが2声、2つ声があります。
  で、ジョージのギターソロ。これがけっこう短いけど、とてもマトモなギターソロになっています。
  じゃあ、それを ちょっと改めて聴いてみますかね。
  「I Want To Hold your Hand」に続いてナンバーワンになった、ビートルズの Can't Buy Me Love
   
  〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tq1RKSTQqfQ

  (小林)というわけで、50年前の今日、これがアメリカで発売になった。
  まあ、アメリカの音楽の空気をちょっと想像してみてくださいよ。
  「I Want To Hold your Hand」がもう どこのラジオ局からも流れている。
  そして、これが流れて。
  これも勢いがあるし。
  もう、すごかったんだろうね。ビートルズのね、50年前のことです。
□ストーリー
 ・「あなたねえ。いったい何考えてるの?
  ジョンはまだ5歳よ。あんた母親失格よ。
  もういいわ、ジョンは私が立派に育てて見せるから。
  さあ、ジョンはどこなの?  
  すぐに、こっちに引き渡しなさい!
  さあ早く!」
  
  怒りまくっている言葉の主は、ジョン・レノンの実の母親ジュリアのお姉さん、つまりジョンの伯母さんに当たるミミ・スミス。
  ジョンの育ての親となる ミミ伯母さんである。
  ジョンの父親アルフは 家に居付かなくなり、ほぼ行方不明状態。
  母親のジュリアは、恋人が出来、ジョンと3人で暮らすようになっている。
  その妹の行動が「人の道に反している」と姉のミミは攻撃を開始した。
  リバプールの社会福祉事業機関に申し出て、この家庭環境を逐一説明し「経済的にも住環境的にも まともなものではない」と主張。
  結果ミミの申し出は認められ、ジョンはミミの家に引き取られることになった。
  
  ジョンがミミ伯母さんの家に住むようになって しばらく経ったある日、実の父親であるアルフがリバプールに現れた。
  サザンプトンの港に寄った時、ジュリアに電話を入れた際、ジョンがミミに育てられていることを初めて知らされた。
  それを聞いて、アルフは これ幸いと、ある行動に出たのである。

  アルフはミミに連絡を入れ、自分は休暇中なので「ジョンをリバプールから北に数十キロ行ったビーチリゾート=ブラックプールに連れて行きたい」と申し出た。
  意外にも ミミはそれを承知した。
  アルフがジョンと出かけてしまったことを知ったジュリアは、ミミに怒りまくった。

  「姉さん!どうしてアルフにジョンを渡したのよ!。
  あの人はジョンを連れて、どこか遠くへ行くつもりなのよ!。
  誘拐されたのと 同じじゃない!。どうしてそんな簡単なことがわかんないの?
  もう、どうするのよ!」
  〜 The Beatles / Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yFU-GpF7n30
  
  〜 The Beatles / Lucy In The Sky With Diamonds
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZqXmBy1_qOQ
 
  (小林)2曲続きましたよ。

  1968年の、Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey、これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」
  「僕と僕のサル以外は みんな何か隠してる」wていう。
  wまあ、ラブソングを書かなくなるジョンたちは、いろんな面白いのをね。

  この、Lucy In The Sky With Diamonds もそうですよね。
  まあ、いろいろ言われている。イニシャルを取るとLSDになる、とかいろいろ言われている曲ですが。
  これは「サージェント・ペパーズ(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の中からお送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「姉さん!どうしてアルフにジョンを渡したのよ!。
  あの人はジョンを連れ出して どこか遠くへ行くつもりなのよ!
  誘拐されたんじゃないの!。どうしてそんな簡単なことがわかんないの?
  どうするのよ!」
  
  怒りまくっているのは、ジョン・レノンの実の母親ジュリア。
  そして、そのジュリアが「姉さん」と呼んでいるのは、ジョンの育ての親となるミミ、通称ミミ伯母さん。
  行方不明であった ジョンの父親アルフが突然現れ「ジョンをビーチリゾートであるブラックプールに連れて行きたい」とミミに申し出て
  ミミは特に疑問も持たずに了承し、ジョンを引き渡した。
  ミミにとっては 特に問題のない行動であったが、ジュリアは母親として、妻として、そして女としての勘が働いた。

  「まずいわ。ジョンを取られてしまう」
  そう思ったジュリアは すぐにブラックプールに向かい、ジョンとアルフを追跡した。
  そしてついに、ジュリアはブラックプールのある民宿で二人を見つけた。
  「あんたねえ、私に内緒でジョンを連れ出すなんて、どういうつもりなの?キタナイじゃないの!」
  ジュリアの怒りは極限に達していた。
  すると、アルフは悪びれずに ゆっくりこう話した。

  「ジュリア、まあそう怒るなよ。
  確かに俺が リバプールに居付かなかったのは悪かった。謝まる。すまなかった。
  でも、その間に いろんなことがあって、なかなか帰ってこれなかったんだ。
  そんな中でも 船乗り時代のコネがあって、ニュージーランドに住めることになったんだよ。
  あそこは気候も良いし、物価だって安い。
  みんな大らかで ほんとうに住みやすい。
  ジョンを育てるには素晴らしい所だ。
  どうかな? 君も俺とジョンと一緒に、ニュージーランドに行かないか?
  また、三人でやり直そうじゃないか」
 
  すると、ジュリアは答えた。即答である。
  「いやよ! あんたとなんか。
  私が必要なのは ジョンだけよ」
  〜 The Beatles / Happiness Is A Warm Gun
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xTU2Y0VFH0E

  〜 The Beatles / Old Brown Shoe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-x0FUZgbtHc

  (小林)1960年代の後半のね、ビートルズですよね。
  いやあ、この頃は、若い人はどういう風に聴いてますかねえ。こういう風な曲は。
  ねえ、すっごいと思って聴いてますか。
  当時もねえ、やっぱり もちろんすごかったんだけど、付いて行くのが大変だったんだよねw。
  方や、ビートルズの裏では ビートルズに代わる新しい感覚の音楽が出てこようとしているわけですよ。
  そんな時代ですよ。すっごい時代なんですよね。
  
  Happiness Is A Warm Gun 。おかしい歌です、もともとこれは。
  でもw、ちゃんとやってるからw、カッコ良く なってるわけですw。
  サイケです。
  
  そして Old Brown Shoe これは1969年。
□ストーリー(続き)
 ・「ジュリア。まあ そう怒るなよ。
  実は、俺ニュージーランドに移住するんだ。
  あそこは気候も良いし、物価だって安いし、みんな大らかで本当に住みやすい。
  ジョンを育てるには 素晴らしい所だ。
  どうかなあ、君も俺とジョンといっしょにニュージーランド行かないか?
  また三人で、やり直そうじゃないか」
  するとジュリアは答えた。即答である。
  「いやよ! あんたとなんか。
  私が必要なのは ジョンだけよ」
  
  これは、一人息子であるジョンを巡っての 父親アルフと 母親ジュリアの攻防。
  こういった記録は、ジョン・レノンの最初の妻となる女性=シンシア・パウエルの手記に基づいたもので。
  全て、シンシアがジョンから直接聞いた貴重な証言である。
  シンシアの鮮明なる記憶から、もう少し続けてみよう。

  アルフは、ジュリアと討論している部屋にジョンを呼び入れ、優しい口調でこう聞いた。
  「ねえ、ジョン。パパのお話し ちょっと聴いてくれるかな。
  パパとママはね、もう昔のように一緒には暮らせないんだ。
  残念だけど、もう仲良しじゃなくなったんだよ。ほんとに ごめんね。
  だから、ジョンは、これから、ママと一緒にいるか、それともこのパパと一緒に南の国のニュージーランドに行くか、決めなきゃならないんだよ。
  もちろん、パパもママも ジョンのことは大好きだよ。一番大切なものさ。
  この先どんなことがあっても、君のことは一生守り続けるし、悲しい思いもさせない。
  ただ、パパとママは一緒には いられないんだ。
  だから、ジョンはどっちか選んで欲しいんだ。」

  この時ジョンは5歳。
  もちろん、こんな決断が出来る年齢では無かった。
  しかし、しばらく考えて、ジョンは言葉を発した。
  「ぼく、パパと一緒に行くよ」
  
  この意外な決定に、ジュリアは泣き崩れた。
  〜 John Lennon / Love (Acoustic Version)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=m8cCu8QmakM
 
  (小林)これは ピアノのバージョンをご存知かもしれませんが。
  これは、デモに近い ジョン・レノンの録音で。
  2004年の「アコースティック(Acoustic)」の中に入っています。
  ギターで作った らしいですね。
  Love ジョン・レノン。
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。
  メールは [email protected]

  (水戸市/男性)
  番組前半ビートルズメンバーのエピソードは、ファン歴27年の僕にとっても大変興味深いものがあります。
            (小林)そうでしょうねえ。
                いつも言ってるんだけど、ストーリーはだいたいどうなるか判ってても 面白いよね。
  さて、リクエストですが、ビートルズが全米を席捲した60年代半ば大人気だったフォートップスの Reach Out I'll Be There。

  (小林)
  そうだねえ、ビートルズを迎え撃ったのはあれだよね、アメリカの なんか音楽元気なくて、モータウンが中心だったよね。
  特に、シュプリームズ(The Supremes)なんかすごかったわけですが。
  これも、モータウンのアーティスト。
  リードヴォーカルが、リーヴァイ・スタッブス(Levy Stubbs)という超すっごいヴォーカルで。
  曲のね、スペース感、めちゃくちゃ広い世界を醸し出しているのを聴いてください。

  〜 Four Tops / Reach Out I'll Be There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=RtrNZGbwrng
  〜 Queen / Radio Ga Ga
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UiuD6i8dN1g

  (小林)なつかしい Queen の Radio Ga Gaが流れました。  

  (千葉市山武郡/女性)
  クイーンのラジオ応援歌をリクエストします。
           (小林)そうなんだよね。
               内容がレディオ・ガガ、レディオ・ググ、もう「くだらないラジオ、くだらないラジオどうしたんだ?」っていう歌ですよね。
               最後のところの「ラジオよ、まだ、あなたを愛している人がいるんだよ」っていうところが、ちょっと泣かせる。ラジオの応援歌ですよ。
               この頃はねえ、エルトン・ジョン(Elton John)の「Sad Songs」ていう「悲しい曲がラジオから流れる」っていう。
               これもね、ある意味ラジオの応援歌みたいな感じだったよ。
               なんか そういう盛り上がりってあるのかな?
  この曲、この番組で知った曲です。
           (小林)はい、ありがとうございます。
  克也さん、大滝詠一さんの所へもうすぐ逝く、なんて言わないでください。
           (小林)どっかで言ったんだ?俺w。覚えてましたかw。はい。
  まだリクエストに応えてください。
           (小林)ていうw。
  (浦安市/男性)
  ローリングストーンズのコンサート、行ってきました。
  今年はエリック・クラプトンを皮切りに 数々の大物アーティストが来日しますね。
  みんなビートルズと大いに接点がありますよね。       (小林)まあ、世代がそうだ、っていうことですね。
  そこで、ジェフ・ベックも来日することから、ジェフの「She's A Woman」か「A Day In The Life 」のリクエストを。

  (小林)という。
  これは、90年代の終わり、「ジョージ・マーティン最後のプロデュース」と言われるアルバムの中に入っている曲。
  やっぱり A Day In The Life って、ポールとジョンの曲が2つ合体したような曲で、なんか ちょっと独特じゃない?
  やっぱり ジェフ・ベックが、じゃあないと、やれないような感じもあるんですけども、どうでしょう?
  ジェフ・ベックの A Day In The Life
  
  〜 Jeff Beck / A Day In The Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=CziRncMpmTI
  〜 John Lennon / Stand By Me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Gx0Mkq1TZzo

  (小林)お馴染みの曲が流れました。

  (茨城県つくば市/男性)
  ちょうどジョン・レノンの恋愛事情を通して ビートルズの成長を話されているタイミングですね。
  若きビートルズが失敗しながら、泥臭く成長している時期。
  なんか、ジョン・レノンの Stand By Me が聴きたくなりました。

  (小林)まあ、失敗しながら、とかw
  これは失敗かどうかわからない。一生懸命生きている っていうことですよね。そうですよね。
  だけど、ジョン・レノンのボーカリストとしてのね、資質ってのは・・・。
  ほら、この曲なんか、みんながいろんな人が歌っている曲だから。
  だから、一般の人の心の中だと、この曲はリラックスしたような、柔らかい情緒がただよってる曲、っていうようなイメージがあると思いますが。
  ジョン・レノンの描く、ジョン・レノンの中で鳴るこの曲ってのは すごいですね。
  固くて、なんかモノを切り裂いて来るような、そういう感じ。独特ですよね。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  さっきもね、みんな 前半のビートルズの話し、とても興味深く聴いているっていう。
  ほんとにね、結論は判ってるんですよ。
  でも、今日 話した所は、ジョン・レノンのお父さんが、
  「お前、お父さんとニュージーランド行くか? それとも、お母さんと残るか?」って言った時。
  5歳のジョン・レノンは「お父さんと行く」って言ったですよね。
  だけど、このあとどうなるんでしょう? 
  ねえ、気になるでしょう?w ねえw。
  いや、いや、いや、ジョン・レノンの生涯の中での、一番か二番目か三番目ぐらいのシーンですよ。
  どうなりますかねえ、また来週をお楽しみに。

  リクエストの方も、よろしくお願いしますね。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。
  [email protected]
  こっちで、まかしといてください。
  待ってます。
  お相手は小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年3月23日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月23日)
 ・1967年(今から47年前の今日)
  サイケの始まりです。サイケ時代。
  ブライアン、ビートルズのマネージャーがニューヨークへ飛んで、初日を見に行く。
  誰の初日かというと、クリーム(Cream)とザ・フー(The Who)の初日。
  このダブルパッケージはですね、マレー・ザ・K(Murry the K)というディスクジョッキーが主催するコンサートであった。
  で、これはRKOシアターってとこでやるんですけども。
  マレー・ザ・Kは ビートルズがアメリカへ行った時に、最初にビートルズをインタビューをやって。
  で、彼らの部屋から放送した、ということで とても有名になるんですよね。
  で、ニューヨークでね、「イギリスのことだったらマレー・ザ・Kにお任せ」っていうことで。
  マレー・ザ・Kがきっと マネージャーのブライアンに頼んだんでしょう。
  もうビートルズはツアーをやらなくなって、ブライアンはマネージメントだとか、アーティストを育てたりとか、そういうこと、ブッキングをやったり、ていうような仕事に専念しています。
  だから、フーとクリームを観に行ったわけですよね。
  こうやって見ると、やっぱり ビートルズが切っ掛けで、いろんな繋がりが出来ていたっていうことですよね。

  で、この日、エプスタインは、フーとクリームがどんなことをやるか観に来たわけですが。
  実はね、これはね、フーにとってはね、初めてのアメリカのライブのお目見えなんですよ。
  だから、フーなんかの音楽が好きな人にとっては、このニュースは、ザ・フーの初めてのw アメリカライブっていう感じがあるかもわかんないですけども。

  ビートルズ関係者にとっては、やっぱりビートルズと関わり合いのある エリック・クラプトン(Eric Clapton)が作ったグループ。
  このグループは ビートルズなんかの出来上がりと違うんですよね。
  スーパー・グループと呼ばれて、もうすでに有名になった、もう名人が集まって。
  だから、スーパー・グループです。
(続き) その「クリーム」はですね、一国一城の主(あるじ)っていうか グループのリーダーだった人間が集まって、3人で集まって。
  4人とか5人じゃなくて、3人で、その可能性をやるっていう事で、まあ、すごい影響を与えるんですよ。
  このあと どんどんスーパー・グループなんかが出て来るわけですけどもね。

  それじゃあ、ちょっと クリームの どんな音なのか、改めて ご存知ない方もいるかもわかりません。
  この頃は、やっぱり「サイケ」って言いましたけれど、ハードロックにサイケが加わった、クリームならではの独特の音でした。

  〜 Cream / I Feel Free
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LQSJKOgI1jc

  (小林)いかがですか? クリームの。
  最初はこれはB面だったらしいんですが、デビュー曲とされています。I Feel Free
  これはビートルズが出せない味ですよねえw。
  まあ、一国一城の主って言いましたけど「自分たちはすごいミュージシャンだ」っていう3人とも思いがあるから。
  そのエゴが衝突して、短命で、すぐ2年も経たないで解散したっていう風なことを言われてるんだけども。
  その一つにね、エリック・クラプトンがね、サイケにもう入ってて。
  常に「新しい事をやろう。新しい事をやんなきゃダメだよ!」っていうんで、エリック・クラプトンが尻を叩きすぎた、っていう。
  それも原因の一つだ、と言われています。
  
  でもね、ジャック・ブルース(Jack Bruce)が、何年前でしたっけね、病気でお金に困っているっていうことを聞いて、
  3人のコンサートをニューヨークとロンドンで、エリック・クラプトンやるじゃないですか。
  やっぱりエリック・クラプトンはそういう風なことは ちゃんとやる人なんですね。
  クリームの I Feel Free 聴きました。
17ホワイトアルバムさん:2014/03/28(金) 20:29:41.82 ID:???0
17
18ホワイトアルバムさん:2014/03/29(土) 11:49:49.90 ID:???0
18
19ホワイトアルバムさん:2014/03/29(土) 12:01:12.16 ID:???0
19
20即死回避:2014/03/29(土) 12:01:53.20 ID:???0
20
□ストーリー
 ・「ねえ、ジョン。パパのお話し ちょっと聴いてくれるかな。
  パパとママはね、もう昔のように一緒には暮らせないんだ。
  残念だけど、もう仲良しじゃなくなったんだよ。ほんとに ごめんね。
  だから、ジョンは、これからママと一緒にいるか、それともこのパパと一緒に行くか、決めなきゃいけないんだよ。
  もちろん、パパもママも ジョンのことは大好きだよ。一番大切なんだよ。
  ただ、パパとママは一緒には いられない。
  だから、ジョンはどっちか一人 選んで欲しいんだ。」

  これはジョン・レノンが5歳の時のこと。
  家に居付かなくなった父親のアルフと、それに見切りをつけて 違う男との新しい人生を始めていた母親のジュリアとの間に起った、親権争いのシーンである。
  場所は、アルフがジュリアに内緒でジョンを連れ出した イギリスのビーチリゾート=ブラックプールの民宿の一室。

  こうした事実関係を記録に残しているのは、ジョンの最初の妻となる女性=シンシア・パウエル。
  これらは すべてシンシアがジョンから直接聞いたことを書き起こした、ロックの歴史上でもかなり重要なアーカイブとも言える。
  今週も このシンシアの手記から お送りしたいと思う。

  この時5歳のジョンは、こんな決断ができる年齢ではなかった。
  しかし、パパが久しぶりに遊んでくれたことが よほど嬉しかったのか、こう答えた。
  「ぼく、パパと一緒に行くよ」
  この意外な子供の言葉に ジュリアは泣き崩れた。
  ところが、ジュリアが帰ろうとすると、ジョンは泣きじゃくりながらあわてて立ち上がり、母を追って走った。
  この光景を見て、アルフもさすがに 気持ちにあきらめがついた。
  ジュリアはそのままジョンをリバプールに連れて帰り、それから長い間 ジョンは父親に会うことも消息を聞くこともなかった、という。
  〜 The Beatles / A Day In The Life 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=hGxF_L_hwRQ

  〜 John Lennon / Beautiful Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=CBwt9mBpVWM
 
  (小林)聴いてもらったのは、「ダブルファンタジー(Double Fantasy)」の中からね
  ジョン・レノンのね、Beautiful Boy、1980年。
  遺作ですね、ジョンのね。
  
  そしてその前は、先週はジェフ・ベック(Jeff Beck)のインストゥルメンタルでかけたんですけども、本物登場。
  と言ってもこれは、ジョージ・マーティン、プロデューサー親子が、ちょっと音を作り直しておりましたけれども。
  2006年のことでしたね。A Day In The Life

  2曲。
□ストーリー(続き)
 ・「ぼく、パパと一緒に行くよ」
  父親と母親のどちらかを選ばなければならない という、5歳のジョンにとって、あまりにも残酷な選択に対する答えを聞いて、母親のジュリアは泣き崩れた。
  ところが、ジュリアが帰ろうとすると、ジョンは泣きじゃくりながら あわてて立ち上がり、母を追って走った。
  この光景を見て、アルフもさすがに 気持ちにあきらめがついた。
  ジュリアはそのままジョンをリバプールに連れて帰り、それから長い間 ジョンは父親に会うことも消息を聞くこともなかった という。

  こうしてジョンは元通り 育ての親であるミミ伯母さんの元に戻り、その後も一緒に暮らし続けた。
  やがてジョンの実の母親であるジュリアの新しいパートナーであるボビーは、大きな家を見つけて住み始めたものの、
  せっかく精神的にも落ち着いているジョンを 再び混乱させるのは良くないと、その新しい家に迎えることは無かった。
  全てのことは 勝手な大人の事情によって決められていたのである。

  これらの事実を すべて手記でまとめたジョンの最初の妻=シンシア・パウエルはこう語っている。
  「もし、だれか一人でも ジョンの本当の希望を聞いていたら、ジョンは間違いなく母親と暮らすことを選んでいたに違いないありません。
  ジョンは私に、子供のころよく ミミ伯母さんの所から母親の所へ逃げ出す夢を見た、という話しをしていました。
  でも当時のイギリスでは 子供が家族の事に関して意見するという習慣も無かったし。
  また、そういった発言が許される環境もありませんでした。
  ミミ伯母さんが いったんジョンを手元に置くと決定したら、よほどの事が無い限り、誰もがそれを受け容れる、という不文律がありました。
  それが第二次大戦直後のイギリスであり、リバプールだったのです」
  〜 The Beatles / You Can't Do That
  ttps://www.youtube.com/watch?v=usQ8AhiRcNE

  〜 The Beatles / Two Of Us
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gSQeTSrI6bg

  (小林)これは、改めて聴くとねえ、なかなかいい曲ですよね。
  「Let It Be」に入っています。1970年。

  で、その前は「Can't Buy Me Love」のB面でもあり「A Hard Day's Night」にも入っていました、You Can't Do That
□ストーリー(続き)
 ・「もし、だれか一人でも ジョンの本当の希望を聞いていたら、ジョンは間違いなく母親と暮らすことを望んでいたに違いないありません。
  ジョンは私に、子供のころよく『ミミ伯母さんの所から母親の所へ逃げ出す夢を見た』という話しをしていました。
  でも当時のイギリスでは 子供が家族の事に関して意見するという習慣も無かったし。
  また、そういった発言が許される環境もありませんでした。
  ミミ伯母さんが いったんジョンを手元に置くと決定したら、よほどの事が無い限り、誰もがそれを受け容れる、という不文律がありました。
  それが第二次大戦直後のイギリスであり、リバプールだったのです」

  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
  この、ロック史上において最重要人物の一人とも言えるシンシアの手記から、もう少し続けてみよう。
  これらは すべて彼女がジョンから直接聞いた 貴重な事実である。
  
  ジョンの実の母親=ジュリアとそのパートナー=ボビーは、一緒に暮らし続けて、二人の娘を儲けた。
  そのあとも ジュリアが不慮の事故で亡くなるまでの12年間、ジュリアとボビーは婚姻届を出さず 事実婚の関係を続けた。
  ジョンが幼かった頃は ジュリアが定期的に 育ての親である自分の姉ミミの家に息子を訪ねて行った。
  定期的と言っても それはジョンにとって充分な回数ではなかった。
  そして、ジョンが11歳ぐらいになると、一人でジュリアとボビーの家に遊びに行くようになった。

  このことは、ジョンにとって まったく新しい世界が開けたようなものであった。
  母の家はとても居心地がよく、ジョンは大好きになり、泊まることもちょくちょく。
  ジュリアの事実上の夫であるボビーは いつもジョンに優しく。
  また、お小遣いを約束よりもちょっと多めに、こっそりとポケットに入れてくれたりもした。
  こうして、少し歪(いびつ)な変わった環境での、ジョンの少年時代は続くのである。
  〜 The Beatles / Run For Your Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=e5pr3N-fRkE

  〜 The Beatles / Get Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XlujQwMY7TQ

  (小林)まあ、あそこでしゃべった言葉まで ちょっと有名になっていますよね。
  お馴染みの Get Back。
  それから、これはジョン・レノンがリードギターを弾いていましたね。

  そして「Rubber Soul」のアルバムから Run For Your Life。
  これは、まあ、聴きながら「俺は、もう嫉妬深い男だから。お前が男といるのを捕まえたら、もうお仕舞いだよ」っていう。
  ねえ、クスクスって笑わせるタイプの曲です。
  Run For Your Life。
□リクエスト
  (小林)イシイのミートボールなどセットにして採用の方全員に差し上げておりますので、よろしくお願いします。
  [email protected]
  こちらで待っております。
  ハガキで来る方もいます。

  (栃木県芳賀郡益子町/男性)
  克也さんこんにちは、ビンテージなラジオご苦労様です。  (小林)ビンテージなラジオねw
  最近はレンタルCDなどでロックのアルバムを借りる日が多くなった自分です。
  そんな中 レッド・ツェッペリン「移民の歌」をお願いします。
  ジミーのギターテク カッコいいよマジで。

  (小林)って書いてありますw。
  そうですかw、これはもう、音全体がすごい。
  まあ、考えてみると、ビートルズの次の時代を切り開いたグループでもあるわけですね。
  じゃあ、Immigrant Song !

  〜 Led Zeppelin / Immigrant Song
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EnnjP8Rcb5k

  (小林)ツェッペリンがかかりました。
  短い曲で、さっぱりした感じw。だけど、曲調はw ねえ、すごいよね。
28ジョン・キロックノン !ninja:2014/03/30(日) 19:27:07.08 ID:???0
  (小林)続いて、ビートルズの同じ曲に 二人の方が来ているんですが。

  (市原市/男性)
  去年のポール来日以降、僕の周りではビートルズが盛り上がっています。
  僕は前からこの番組が大好きで聴いていたんですが、周りが盛り上がって来たので、この番組を自慢げに紹介しています。
  オールユーニードイズラブ がリクエスト。

  (小林)で、同じような年齢ですね。40代ですね。

  (板橋区/男性)
  仕事が休みの時 聴いています。
  ビートルズの公式の日本語タイトルの曲は28曲あるそうです。
  1枚目の「プリーズ()」では「蜜の味」の1曲。
  2枚目のアルバムではゼロ。
  一番多いアルバムは「ラバーソウル()」の8曲です。
  疑問なのは、どの曲を邦題に選んでいるのか。
  また「ベートーベンをぶっ飛ばせ」 (小林)これはまあ ビートルズは関係ないからね。前の世代の人たちが付けた曲だからね。
  「アイヲナビーユアマン」の「彼氏になりたい」
  むかし何かで見た「アイソーハースタンディングゼア」が「その時恋は盗まれた」公式に邦題にはならなかったみたいです。
  だれか詳しい事を知っている方は 教えてください。
  (小林)邦題に関しては、レコード会社が決めたことなんで。
  (あなた)に、あんまり邦題にね走らない方が・・・。
  特にビートルズの場合はね、最初のころ「ヤア!ヤア!ヤア! ビートルズがやって来る」っていう、あれが荒業の邦題なんですよ。
  日本語タイトルなんで。
  ビートルズがやって来るじゃない じゃないですかw ねえw。
  ぜんぜん違うタイトルですよ。ねえ。
  それで、実はね、こういう事情もあったんですよ。
  レコード会社 東芝でしたよ、その頃ね。
  それで、日本語訳なんかが付けられたんですけども。
  その頃の日本語訳はね、ここだけの話しね、けっこうね 間違えてたりしたんですよ。
  それで クレームが入るわけ、ビートルズだから。
  「天下のビートルズ、なんで間違えるんだ!」とかね。
  それから、タイトルなんかも、いろいろクレームが入るんで。
  やっぱりビートルズは「世界のビートルズだから、英語で分かってもらいたい」ていう風な。
  なんていうのかな、これは、ちょっと、やりにくいやつは日本語のタイトルを付けるけど「英語で」っていうようなポリシーが生まれてた みたいですよ。
  それじゃあ、「愛こそは全て」「All You Need Is Love」
  
  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cxOHCh85YdM
  〜 The Monkees / Daydream Believer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mJMyXxiBR1Q

  (川崎市/女性)
  今回はモンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」をリクエストします。
  清四郎さんのカバーが有名になりましたが、私は原曲の甘く優しい雰囲気が大好きです。
  たしかモンキーズはビートルズに対抗して作られたアイドルグループだった 気がしますが、記憶があやふやです。
  この曲はビートルズにも歌ってみて欲しかったです。 
  ポールの声など合いそうです。
  懐かしいこの曲、リクエストよろしく。

  (小林)ていうことで。
  まああれですよね、「ビートルズから始まる」っていう風に、この番組はタイトルは付いていますけど。
  ビートルズは自分の曲は、自分の音楽は自分で作る時代 を切り開いた人ですね。
  モンキーズ達は違うんですよね。
  もう、いろんなことが出来る優秀な人が 寄ってたかって造って、そして良いものを採用した、という。
  なんていうんですかね、ぜんぜん個人的に造ったものじゃないからね。違いますよね。
  だけど、音楽ってね、判んないんですよ。
  なんていうのかな、日本でも最近ほら、あの音楽を設計して細かに設計して 作曲した人は別だ、っていう事件があったじゃないですか。
  あれでも、結果はものすごい良いものが出来るんですよね。
  だから、音楽って 絶対こうしなきゃイケナイ、っていう方法とか決まったルールは無いんですよ。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  やっぱり、ジョン・レノンの生涯の名シーン ね。
  「ぼく、パパと行く」っても、こんどお母さんが泣いちゃったら、泣いたお母さんにね追って付いて行った、ていう。
  そういう お話し。いかがでしたでしょうか?
  こういう話しは、めったに この番組で聴けないと思いますけど。
  
  リクエストの方 よろしくお願いしますよ。
  リクエストは
  [email protected]
  こっちで、待っております。
  イシイのミートボールなどセットにして皆さんを待ち構えておりまして、採用の方には全員に送らせていただいております。
  リクエストね、ほんとにね、みんな同じだと面白くないからね。おんなじ方向だと。
  もう、ぜんぜん違うから面白いんであって。
  ということで、待っています。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年3月30日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月30日)
 ・1965年(今から49年前の今日)
  例のアビーロードのスタジオ2。
  第二スタジオでは「That Means A Lot」という曲が、20テイク目から24テイク目まで録音された、とあります。

  じつはこれね、解説が要るんですけどw。
  テイク20からテイク24ていうのは これは嘘っぱちで、実際は 2月20日ね、約一ヶ月前に2テイク録ったらしいんですよ。
  で、もう一回だけやってみようか?テイク3をやってみようか?っていうことだったんだけど。
  それをエンジニアのノーマン・スミス(Norman Smith)がちょっとふざけて「じゃあ、20テイク目 回してみようか?」って言ったんで 20テイクになった と。
  それをまた、49年前の今日はテンポアップして「テンポアップしたらちょっと変わるんじゃないか?」っていう事で「That Means A Lot」を やりました。
  結局 これは未発表。

  ビートルズは活動したのが1962年から1970年の間ですが、正式には発表されていない曲の一つになってしまいました。
  で、これはP・J・ブロビー(P.J.Proby)ていうシンガーが、シングルとして発表して、イギリスのチャートで24位。
  これはもうね、小ヒットですよね。
  (続き)では、今日は それを改めて聴いてみたいと思います。
  最終的に ビートルズの解散までには発表されなかったんですけども。
  1996年、ご存知の通り、事実上の再結成みたいな感じで「アンソロジー2」「アンソロジー3」まで発表されるんですが、2の中に入っています。
  ちょっと、ピーター&ゴードン(Peter&Gordon)、知ってる方は知ってると思いますがw。
  ピーター&ゴードンみたいな感じもします。
  ザ・ビートルズ、That Means A Lot
 
  〜 The Beatles / That Means A Lot
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rXQ6Tg4cMnE

  (小林)というわけで ビートルズの That Means A Lot。
  どうですか?。初めて聴く方も多いと思いますが。
  ちょっと あれだよね。歌い始めから 韻の踏み方のところは「you〜」とか「got〜」とか なんかちょっとダサイような。
  それから、サビがシンプルに ね「That means a lot」
  次のCメロも、なんか「おや? ビートルズらしくないな」みたいなw、のはありますけどね。
  採用されなかった。採用されたとしたら「HELP!」のアルバムに入った わけですけど。
  というわけで、歴史のひとコマ、ふり返りました。
□ストーリー
 ・「ミミ伯母さんが いったんジョンを手元に置くと決定したら、よほどの事が無い限り、誰もがそれを受け容れる、という不文律がありました。
  それが第二次世界大戦直後のイギリスであり、リバプールだったんです」

  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
  この、ロック史上において最重要人物の一人とも言えるシンシアの手記から、今週もお届けしてみよう。
  これらはすべて、彼女がジョンから直接聞いた 貴重な事実である。

  近所に住んでいるとはいえ、実の母親であるジュリアとは別々に暮らすという、歪(いびつ)な少年時代を過ごすジョンであったが。
  それでもジョンは 母親が大好きであった。
  陽気で人生を心から楽しむジュリアの人柄は、厳格で頭の固いミミの性格とは まるで違っていた。
  ジュリアは「人生とは楽しむべきもの」という考えを持っていて、姉であるミミは、そんなジュリアを「浮ついていて、我が儘な人間」と思っていた。
  ミミにとっての人生とは「賢明に働き。自制心を養う事にある」と固く信じていて。
  その考え方が、結果ジョンを躾(しつけ)の名のもとに厳しく叱りつけることになった。
  ジョンは ミミという厳しい育ての母親と、ジュリアという遊び心いっぱいの実の母親との間を 行ったり来たりしながら育った。
  すなわちそれは、極端に性格の違う二人の女性の両方と上手くやって行く、ということでもあった。
  
  ミミと一緒の時は、いつでもキチンとした身だしなみで、忠実で従順でいることを期待された。
  方や、ジュリアといる時は、笑ったり遊んだりふざけたりすることができた。
  ジュリアは もっと音楽に時間を使えるように応援もしてくれた。
  ミミは ジョンが家の中でギターを弾くことを許してくれず、「練習するならガラス張りの玄関のポーチで弾くように」と煩く言っていた。
  そんな二人の母親と接することは、ジョンにとってまるで二重生活であった。
  〜 The Beatles / Real Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OejqTHqn4NY
 
  (小林)いかがですか?「アンソロジー(Anthology)2」に入っている Real Love
  これはビートルズファンご存知のとおり ジョンの死後カセットテープが出てきました。
  その中にジョンが、これはね 自分で録音していた Real Love っていうのが残っていて。
  それを基に ELOのジェフ・リン(Jeffrey Lynne)がプロデュースしました。
  まあ、「遅く出てきたビートルズ」wみたいな感じでしたね。
□ストーリー(続き)
 ・「音楽の簡単な手ほどきを教えてくれた 実の母親ジュリア。
  そして、家の中でギターを弾くことも許してくれない、厳しい育ての母親ミミ伯母さん。
  そんな正反対の女性の間を 行ったり来たりすることは、ジョンにとって まさに二重生活だったと思います」
  
  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となる=シンシア・パウエル。
  この、ロック史上において、最重要人物の一人とも言えるシンシアの手記から、続けてみよう。
  これらは、すべて彼女がジョンから直接聞いた 貴重な事実である。

  高校生になったジョンが、仲間を集めて、最初のバンドである「クォーリメン」を結成すると、ジュリアも大喜びした。
  ジョンとその仲間が ロックンロールやR&Bの他に お手本にした音楽のスタイルは「スキッフル」と呼ばれたもの。
  アメリカのリズム&ブルースやブルースを基に、イギリス、アイルランドなどのトラディショナルなフォークソングの風味を加えた 当時の流行歌であり。
  その最大のスターは、ロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)というシンガーであった。
  
  スキッフルの素晴らしい所は、洗濯板や、お茶を入れておく箱などのような物を 楽器代わりに使って、誰でも気軽に演奏できるところにあった。
  そういう楽器であれば、ギターのように誰かに習ったり、音楽の知識や才能に関係なく、合奏を楽しむことができた。
  スキッフルをやるのであれば、その他の楽器、例えばベースやギターでさえも、コードをいくつか覚えれば、それほど練習をしなくても大丈夫。
  ジュリアは喜んで クォーリメンを自分の家に呼んで、練習場所として提供した。
  それどころか、狭いバスルームに閉じこもって何時間も練習を続ける時など、ジュリア本人がバンドに加わって、洗濯板をかき鳴らすことも珍しくはなかった。
  このバスルーム、音響的には最高の場所だったのである。
  こうしてジョンの率いるスキッフルバンド=クォーリメンは、少しづつではあるが、その腕を上げて行ったのであった。
  〜 Lonnie Donegan / Rock Island Line
  ttps://www.youtube.com/watch?v=NXQgG98VSOs

  〜 John Lennon / Crippled Inside
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XBuMC25npYk

  (小林)いやあ、この Crippled Inside、ジョン・レノン。
  まあ、甘いし苦いし、みたいな曲ですよ。
  内容がねえ、Crippled Inside は まあ、ギリギリに訳すと、「内面が不自由だと、心の中は不自由だと、いくら隠したってバレるんだから」っていうw
  ジョン・レノンらしい 皮肉っぽいw。
  これをフィル・スペクター(Phil Spector)一座がやって。
  ジョージはスライドギターです。
  で、ピアノが聴こえましたがあれは、当時はストーンズ(The Rolling Stones)なんかにも参加していた、有名なピアノのニッキー・ホプキンズ(Nicky Hopkins)です。
  ジョン・レノンの家に みんな合宿してねえ、楽しく録ってましたけどもねえ。
  中には毒が入っていたねw。この曲はね。
  
  そしてその前は ジョン・レノンたちが高校時代参考にしたという、ロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)、イギリスのスキッフルのスーパースターです。
  Rock Island Line

  2曲。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンが高校生の時に 最初に結成したバンドはクォーリメンです。
  家の中でギターを弾くことさえ許してくれないミミ伯母さんとは対照的に、自宅のバスルームを練習場所として提供してくれたばかりか
  自分もパーカッションとして練習に参加していたのが、お母さんのジュリア。
  もちろん、ジョンの 実のお母さんです。
  ほんとうに天真爛漫な女性だったようですね」

  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となる=シンシア・パウエル。
  この、ロック史上において 最重要人物の一人とも言えるシンシアの手記から、もう少し続けてみよう。

  ジョンのバンドが初めてステージに立った時にも、ジュリアは娘2人を連れて会場に演奏を聴きにやって来た。
  1956年5月24日、ビクトリア女王の誕生日を祝うストリートパーティでのことである。
  実は、この時点ではまだ、クォーリメンというバンド名は決定されておらず、とりあえずジョンのバンドは「ジョニー&ザ・レインボー」という名前で参加していた。
  ステージは トラックの荷台の上。ジョンは15歳。
  
  この時の状況を、ジョンの妹の一人は良く覚えているという。
  その妹はこう語った。
  「兄ジョンが ストリートパーティで演奏していた時、私は事の次第がよく分かりませんでしたが。
  ジョンのバンドが演奏を始めると、そこにいる人たちの多くは、音楽に合わせて踊ったり。
  通り沿いの建物の窓からは 人々が身を乗り出して、音楽を聴いたり、手拍子をしたり。
  それはもう、素晴らしい光景でしたね」

  これを機会に、ジョンのバンド=クォーリメンは本格的にパーティや結婚式に呼ばれて演奏するようになった。
  とはいえ、さすがにアマチュアの高校生バンドである。
  ギャラは、たいてい良い時でも2〜3杯のビール程度であったことは 言うまでもない。
  〜 The Beatles / One After 909
  ttps://www.youtube.com/watch?v=IVN9ROEZIkE

  〜 John Lennon / Jealous Guy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=DzhyKn1ThpU
 
  (小林)Jealous Guy、これは「Imagine」のアルバムに入ってるやつ。
  自分の、個人的なラブソングですよねw。これは、ヨーコへのw、もともと、ヤキモチ男だから。
  Jealous Guy

  そしてその前は、ジョンが高校生の時に書いた曲。
  でも発表は 1970年の「Let It Be」の中に入っていました。
  One After 909
40ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/04/07(月) 13:09:10.65 ID:fswWTU2g0
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  ハガキFAXでもお寄せください。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げております。

  (熊本市/男性)
  3月は仕事で1週間ほど台湾に行っていました。
  「ビートルズから始まる」を日曜日に聴いて台湾に旅立ち。
  ちょうど帰りの車で聴いた最初のラジオが「ビートルズから始まる」でした。    (小林)ああ、成田から行ったのかな?
  台湾で車で移動中も 取引先の会社の人もビートルズが大好きらしく、車での移動の時はずっとビートルズが流れていました。
  台中を高速道路で走っている時 聴いたジョン・レノンの「Free As A Bird」をお願いします。 

  (小林)うわあw
  仕事で台湾に行ってw、けっこうビートルズ尽くしだったようです。
  それじゃ(あなた)のリクエストは・・・

  〜 The Beatles / Free As A Bird
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1vYutewfMh4

  (小林)というわけで、今日は Real Love といい Free As A Bird といい、死後発見された ジョンの音を、声を使って。
  いわば「悲しき 死後再結成」の曲を、2曲、流れていますね。お送りしていますね。
  
  (茨城県つくば市/男性)
  克也さん、番組いつもエアチェック(死語)しながら楽しく聴かせていただいています。
  先日、渋谷ヒカリエに「LET IT BE」を見に行きました。
  60代以上の人々が多かったですよ。
  When I'm Sixty-Four がラジオから流れてきた47年前は、自分がその歳になるなんて考えられなかったのに。
  あと2年で64歳。
  いま聴いて懐かしく思うのは当然ですが、47年前まだ中学生だったのに懐かしく思えたこの曲。
  ビートルズはすごい。
  リクエストはもちろん When I'm Sixty-Four をお願いします。

  (小林)
  あなたのリクエスト
  
  〜 The Beatles / When I'm Sixty-Four
  ttps://www.youtube.com/watch?v=eCss0kZXeyE
  〜 RCサクセション / Love me tender
  ttps://www.youtube.com/watch?v=v5Hxt2CsNp8

  (千葉県山武郡/女性)
  RCサクセション「ラブミー・テンダー」をリクエストします。
  克也さんスタッフのみなさん お体を大切になさってください。
  かしこ。

  (小林)w
  これはハガキで、絵ハガキでいただきました。
  アオバズクがこっちを睨んでいます。
  どうもリクエストありがとうございました。

  いや、清四郎さんていう人はすごいですよね。
  もうほら、亡くなって、この録音てのも だいぶ後けど、だいぶ昔のことなんだけど。
  こうやってラジオで聴いてもだよ、何を通して、たとえば電話を通して聴いてもね、なんか繋(つな)がっちゃうっていう。
  こういうものっていうのは、なかなか無いですよ。
  たとえば、ビートルズの曲でも繋がる曲と繋がらない曲あるしね。
  そうですよね。ジョン・レノンはどうですか?繋がりますかね?ポール・マッカートニー繋がりますかね?
  そうやって考えていくとねえ、音楽の世界でも。
  僕はね、落語の世界でも 何の世界でもねw、芸術の世界でも 絵の世界でも 同じだと思うんです。
  繋がるんですよね。
  良いものは。
  時間関係なく繋がるもの。
  というわけで、繋がるものに リクエストありがとうございました。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)というわけで「ビートルズから始まる」いかがですか?
  
  ジョン・レノンのねえ、バンドを結成したころの話しは、本当面白いよね。
  それから、二重生活?
  普通だとさあ、お母さんが厳しいとか お父さんが厳しいけど。
  嫁いだお姉さん家へ行くと自由にできた、とかそういうのはあるじゃない。
  まあ、そんな変わらないかもわからないけど、そういう生活をやっていたわけですよね。
  ジョン・レノンは どういう気持ちだったのかな? っていうのをね。
  ほんとに話しを聴いてると、ジョン・レノンになった気持ちで 想像しちゃいますよね。
  そこんところが けっこう面白いんだと思います。
  僕は話しを知ってるんだけど 一応。だけど面白いもんね、話しをお送りしていて。
  また来週を お楽しみに。
 
  そしてリクエストの方、よろしくお願いします。
  みなさんのリクエストによって、この放送は盛り上がっています。
  盛り上げてください。
  もう、初心者大歓迎です。
  よろしくお願いいたします。
  [email protected]
  リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくプレゼントです。

  小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年4月06日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月06日)
 ・1966年(今から48年前の今日)
  スタジオ3、第三スタジオで、夜から夜中にかけて「マークT」ていう、これは仮のタイトル。
  仮のタイトルっていうのは 英語で「ワーキング タイトル(working title)」って言うんですが。
  何の仮タイトルかというと、Tomorrow Never Knows
  例の あの曲です。

  ジェフ・エメリック(Geoff Emerick)がエンジニアを務めるんですけど。
  ビートルズは「リボルバー(Revolver)」のレコーディングに入って、もうやる気満々で。
  ツアーで演奏するとか、もうそういう風なことは考えないで、やっちゃう。
  この時は完全に 自由な感じですよね。
  自分たちを現わそう としています。
  だから「発想の赴くままに、考えるすべてのアイデアを音にしてみよう」という気持ちがみなぎっています。

  で、この「マークT」の、その宿題みたいなものとしては
  まず、イメージ「ダライラマが、偉いお坊さんが、山の上から説教している」
  それを俯瞰で見ているか、遠くから見ているのか、わかんないですよね、これね。
  であと、ジョンは「俺の足を縛って、天井から逆さ吊りして、ブラブラ揺れている状態で録りたい」
  これは、ジョン・レノンは自分の声に満足が行かなかったのか?
  ポール・マッカートニーに対して劣等感みたいなものがあったのか?。
  ほら、ポールみたいなオールラウンドな声じゃないからね。
  どうなのかな? っていうことですよね。
  で、なんで、そんなとこまで行っちゃうのか、考えさせられますけども。
  十代の若者エメリクッは もう大変です。
(続き)
  結果はですね、ジョンのボーカルは録音して、それをオルガン用のレズリースピーカー、つまり回転するスピーカーってご存知ですかねえ?
  それに通したものをダビングして 完成形とするんです。
  で、まだまだ他のいろいろな実験があるわけですが。
  リンゴのドラムのパターンも いろいろ。
  これはですね、決まるまでのことが「アンソロジー(Anthology)2」のアルバムに生々しく記録されているんですが。
  ドラムのパターンが決まる前のバージョンを、ちょっと今日は聴いてみましょうか。
  その「アンソロジー2」から、ビートルズの Tomorrow Never Knows
  
  〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows (Anthology 2)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZfnuqpLcbjk

  (小林)いかがですか? ねえ。音として。
  歌詞としてはねえ、ほんとダライラマが説教垂れてるような内容なんですよw。
  これで、このあとポールが「テープの逆回転をやったら?」とか いろいろアイデアが加わったりするんですけどもね。
  すごい ですよね、この音ってのは。どうですか? 不快な気持ちもある人もいても、それも正解ですけどね。

  最近ねえ、イギリスの若いバンドでテンプル(Temples)ってバンドに会ったんですけどね。
  彼らは ちょっとね、今聴いたような音なんですよ。
  それで「影響はピンク・フロイドだ」って言ってるんですけど。
  ピンク・フロイド(Pink Floyd)に影響与えてますね、ビートルズはねえw。もう。
  ビートルズから始まってますねえ。
□ストーリー
 ・「私がジョンの父親違いの妹に聞いた話しによると、ジョンのバンドが最初に人前で演奏したのは、1956年5月のストリートパーティでのこと。
  ジョンのバンドが演奏を始めると そこにいる人たちの多くは音楽に合わせて踊ったり、
  通り沿いの建物の窓から人々が身を乗り出して音楽を聴いたり 手拍子をしたり。
  それはもう、素晴らしい光景だったそうです」

  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となる=シンシア・パウエル。
  この、ロック史上において最重要人物の一人とも言えるシンシアの手記から、今週もお届けしてみよう。
  これらは、すべて彼女がジョンから直接聞いた 貴重な事実である。
  
  このストリートパーティでの演奏を機会に、ジョンのバンド=クォーリメンは本格的にパーティや結婚式に呼ばれて演奏するようになった。
  とはいえ、さすがにアマチュアの高校生バンドである。
  ギャラは、たいてい良い時でも2〜3杯のビール。
  しかし彼らは全員 未成年者の高校生。
  ビールが飲めない場合は、ビールがサンドイッチやサラダに代わったことは言うまでもない。
  
  ジョンが通っていたクォーリバンク・グラマースクールは、男子のための保守的なグラマースクールだった。
  小学生時代のジョンは成績も良く、進路決定のための試験に合格してグラマースクールに入学したものの、
  いったん入学してしまったら、全く勉強しなかったため、最も勉強の出来ない生徒のクラスに入れられてしまった。
  勉強に関して いくらミミ伯母さんが諭しても、ジョンは先生を敬う気持ちなどはまるで無く、試験で合格点を取ることにも全く興味が無かった。
  授業は妨害するし、学校ではトラブルばかり起こしていた。
  おまけに、数えきれないほど鞭打ちの罰をもらっても、一向に悔い改める様子もなかった。
  こうしてジョンは、かなりの問題児となってしまったのである。
  〜 The Beatles / Any Time At All
  ttps://www.youtube.com/watch?v=GD95QaVTH1U
  
  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MG-ia0NV8Ts

  (小林)曲の方は 1964年の「A Hard Day's Night」に入っている Any Time At All

  そして今のは、「ノルウェーの森」「Norwegian Wood 」有名な曲。
  「This Bird Has Flown」「鳥が逃げてしまった。女の子の家へ泊まって、朝 女の子が仕事に出かけちゃった」っていう。
  内容はそうで、ちょっとサイケな感じがするのは、ジョージがシタールで入っている。
  で、この歌の内容はね、男が描いた「女性自立の歌」だとも言われているよね。歴史上初の。
  はい。
□ストーリー(続き)
 ・「当時のリバプールでも かなり保守的な学校=クォーリバンク・グラマースクールに入学できた、とはいうものの。
  ジョンはすっかり勉強嫌いな生徒になってしまったそうです。
  もちろん、勉強しないのは困りますが、それよりも問題だったのは ジョンの態度です。
  ジョンには先生を敬う気持ちなど少しも無く、授業は妨害するし、問題ばかり起こしていたそうです。
  結果、鞭(ムチ)打ちのお仕置きを受けるわけですが。
  何度お仕置きを受けても、ジョンには それを改めようとする意志が無いんです。
  これには、ミミ伯母さんもホトホト困り果てていたそうなんですね」

  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となる=シンシア・パウエル。
  この、ロック史上において 最重要人物の一人とも言えるシンシアの手記から、続けてみよう。
  これらは、すべて彼女がジョンから直接聞いた 貴重な事実である。

  ジョンはティーンエイジャー時代を、大切な人たちが相次いで亡くなるという、彼の人生の中でも節目となる様な痛ましい出来事に苛(さいな)まれた。
  最初は、ミミ伯母さんの夫=ジョージの 突然の死。
  伯父さんは、ある日曜日の午後に突然倒れ、病院に担ぎ込まれたものの あっという間に息を引きとった。
  ジョンのことを可愛がり、ジョンも大好きな伯父さんであっただけに、14歳のジョンにとっては あまりにショッキングな出来事だった。
  ジョンは伯父さんを亡くして 酷く落ち込んだ。
  ジョンが大学生になって いつも着ていた古いブカブカのオーバーコートは、ジョージ伯父さんの形見であり、いくら擦り切れてみすぼらしくなっても、ジョンはそれを着るのが好きだった。

  そして その3年後の、母親ジュリアの死も、不意に襲った不幸であった。
  ある7月の夕方、ジュリアは茶飲み話をしにミミの家を訪ずれていた。
  昔は仲違いをしていたが、二人はやはり気心が知れた姉と妹である。
  スタンリー家の他の姉妹たちと同じように、他愛もない話で盛り上がっていた。
  その数十分後、悲劇は起こったのである。
  
  〜 The Beatles / This Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=7AAWAP-v1sE

  〜 The Beatles / If I Fell
  ttps://www.youtube.com/watch?v=asx4gPNFiAE

  (小林)This Boy これは「I Want to Hold Your Hand」例の大ヒットのB面。
  1963年、イギリスではね。

  そしてザ・ビートルズの If I Fell
  「A Hard Day's Night」に入っています。
  1964年。
□ストーリー(続き)
 ・「ティーンエイジャーだったジョンは、大切な人二人を相次いで亡くしています。
  一人は育ての親であるミミ伯母さんの夫=ジョージ伯父さん。
  伯父さんはミミ伯母さんと同じくらい まるで我が子のようにジョンを可愛がっていたそうです。
  そしてその3年後、実の母親ジュリアが、これまた突然亡くなりました。
  この出来事は、その後のジョンの人生に大きな影を落とすことになったんだと思います」
  
  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となる=シンシア・パウエル。
  この、ロック史上において 最重要人物の一人とも言えるシンシアの手記から、もう少し続けてみよう。

  ある7月の夕方、ジュリアは茶飲み話をしにミミの家を訪ねていた。
  昔は仲違いをしてはいたが、二人はやはり気心が知れた姉妹である。
  スタンリー家の他の姉妹たちと同じように、他愛もない話で盛り上がっていた。
  ジョンは その場所には居合わせなかった。
  ジュリアの家で 彼女の夫であるボビーと二人の妹たちと ジュリアの帰りを待っていたのである。
  ジュリアは帰りのバスに間に合うように ミミに別れを告げ、道を横切ったその瞬間、車に撥ねられ亡くなった。
  即死だったという。

  その夜、ジョンとボビーは警察からの連絡を受けて 事故の事を知った。
  妹たちは もう眠っていたし、ボビーの母親も来ていたので、ジョンとボビーとでジュリアが運び込まれたセフトン病院に駆けつけた。
  ジョンはとても 母親の亡骸に会う気持ちにはなれず、ボビーだけが別れを告げに部屋に入った。
  部屋から出てきたボビーは ジョンの腕にすがって泣き崩れた。
  ジョンは 茫然自失したままで、母親の葬儀に参列した。
  あれだけ命に溢れ、いつも笑っていた母親が、今は皆が最後のお別れに列を作って前を通り過ぎて行く。
  その棺の中に眠っているとは、まだ信じることができなかった。
  〜 John Lennon / God
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3yUSGvm4BXA

  〜 The Beatles / Across The Universe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=PN9n1bAahg4
 
  (小林)2曲とも フィル・スペクター(Phil Spector)が サウンドプロデュースしています。
  1曲目はジョン・レノンの God。
  たまに、この番組でかかりますけども。
  特別な心境にいないと、ああいう「何にも信じない、夢は終わった」っていうのは、詩は書けないですよね。
  
  Across The Universe は、まだ自分の心象世界ていうんですかね。
  こうやってジョン・レノンのものが作られるんだ、作品が作られるんだ、ていうのが判るような感じがする Across The Universe

  でも、前の Godていうのはね、これは、プラスティック・オノ・バンド(The Plastic Ono Band)としてですよね。
  プラスティック・オノ・バンドとかジョン・レノンていうのは、実は ポール・マッカートニーなんかのソロに比べると、相当売れなくなるんですよね。
  これは、どういう事かというとね、自分のヒーローでしょ?自分のヒーローがね、弱々しかったりね、苦しんだりね、悲しんだりするのをね、人は嫌うw。
  そういうw 嫌う人は いるんですよ。しょうがないんですよねw。
  でも、ジョン・レノンていうのは、面白いですよね。
  そういうのを知ってて、売るとか、売れるとか、なんか関係なく、出してるっていう態度ですよね。
□リクエスト
  (小林)
  アドレスは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお配りしております。

  (神奈川県/男性)18歳
  ビートルズで一番好きなのは「アビーロード」、サザンで一番好きなのは「キラーストリート」。
  買った当初 ジャケットがアビーロードに似てたので「ああ、これがラストなんじゃないか?」と疑っていました。
  その予想は半分当たっていました。    (小林)まあ、日本風の解散ですからねw。全部当たってたんじゃないでしょうかね。
  しかし、去年の夏 サザンは5年ぶりの再始動を果たしました。
  今年は、もしかすると 再始動後の初のアルバムが出てくるんじゃないか。

  (小林)まあ、作ってるのは当たり前じゃないでしょうか。
  あなたのリクエスト。
  
  〜 サザンオールスターズ / ロックンロール・スーパーマン
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MTp5g29sowM

  〜 Madonna / American Pie
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8BIAi3Oo7To

  (小林)American Pie マドンナがね、ロックの本質を問う曲を過激にアレンジ。
  ミルウェイ(Mirwais)という新進のアーティストを使っておりました。
  (小林)
  さあ、今度はですね、12年間聴いていなかった方。12年前は聴いていたんだね。

  (住所不明/女性)
  当時中学3年生。受験勉強しながら毎週楽しみに聴きました。
  両親の影響でビートルズが大好きになって「ホワイトアルバム」や様々なレコードを両親から借りて聴いていたんです。
  ジョン・レノンの便箋をジョン・レノン・ミュージアムで買って、番組宛てに手紙を書き 克也さんに読まれた時は感動しました。
  あれから12年、私は就学・就職・結婚をし。
  でも、なお番組が続いていること、あの頃と変わらない克也さんの解説、オープニングのエリナリグビー   (小林)ww
  イシイ食品のCM、当時を思い出し、今 涙をこぼしながら視聴しています。
  さすがビートルズ、克也さんの声、ほんとうに根強い人気があるんですね。
  これからも、末永く。
  リクエストは当時かけていただいた While My Guitar Gently Weeps をお願いします。

  (小林)
  (/女性)さんのリクエストです。
  
  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
  ttps://www.youtube.com/watch?v=F3RYvO2X0Oo
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)
  「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
  
  リクエスト、待ってますよ。
  あて先は
  [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしておりますのでね。

  それから ストーリーの方。
  ジョン・レノンのお母さんが亡くなってしまいましたが。
  そのあとは、どうなって行くのか、お楽しみに。
  お楽しみ?じゃない かw。
  
  お相手は小林克也でした。
残念ながら録音機材の不調のため
4月13日の「ビートルズから始まる」は記録(留守録)できませんでした。

使用ソフトはradika1.71です。
「問題が発生したため、プログラムが正しく動作しなくなりました」との表示。
OSはWin7なのでXPサポート終了との関連は無いように思われます。
4月6日までは正常に動作していました。
これ以上のことはスレチなので・・・。
m(´・ω・`)m
56ホワイトアルバムさん:2014/04/14(月) 19:25:47.41 ID:???0
よかったら、どこかにうpしましょうか?
57ホワイトアルバムさん:2014/04/15(火) 20:10:37.73 ID:???0
http://www1.axfc.net/u/3224341
キーワードは放送局名
58ホワイトアルバムさん:2014/04/15(火) 23:37:27.61 ID:???0
>>57
ジョンさんと同じradikaのエラーで録音できませんでしたが
ありがたくいただきました
どうもありがとう
>>57
おお!、まさに Help!
DLできました。ありがとうございました。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年4月13日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(4月13日)
 ・1965年(今から49年前の今日)
  第二スタジオです。例のビートルズの第二スタジオw。
  ここで、歴史的な録音がくり広げられます。
  12テークで、一日で終わっちゃうんです。
  やっぱりね、これは傑作です。
  ジョンの頭の中に生まれて、それをポールと共に完成させた、ていうことですが。
  これは最終的には、2作目の主演映画のタイトルになります。
  「Help!」であります。
  アルバムで言うと 5枚目という事になりますが。
  これには最初から力が入ってるわけですよ。
  でも、映画会社の方が タイトルを仮に決めていて。
  そのタイトルは「Eight Arms To Hold You」、つまり「8本の君を抱く腕」?w
  つまり、メンバー4人おりますから、腕を数えると8本。
  ジョンもポールも「なぁんかな〜」みたいな感じだったんだけど、この「HELP!」が出てから、もうドンドンドンドン勢いが増して。
  ご覧のように、ご存知の通り「yesterday」も入っているアルバムになるわけですよね。
  で、この49年前の今日は、まず リズムから録音されて、8回録音されて、8テイクね。
  で、9テイクから ボーカルを入れるようになって、ジョンのボーカルが入って。
  10テイク目で ようやく完成したバージョンになって。11テイクで失敗して。
  最終テイクの12テイクが ベストテイクになって、これに、ジョージの半音で進行する印象的なギターのアルペジオが録音され。
  この曲は この日だけで録音が終わった。
  で、1965年6月、モノーラル、ステレオ、両ミックスが作られて、アルバムに収録されていた。というわけで。
  この曲は ジョンはもうかなり気に入っておりまして。
  1980年、暗殺直前のインタビューでは「近いうちに これセルフカバーやりたい」「もう一回やり直したい」みたいなことを語っていたそうであります。
(続き)じゃあその、改めて この曲のすごさを。
  
  〜 The Beatles / Help!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kri2qDr01Ac

  (小林)Help! お送りしました。
□ストーリー
  ある7月の夕方、痛ましい出来事が起こってしまった。
  ジョンの実の母親ジュリアは、こちらはジョンの育ての母親とも言える 姉のミミの家を訪ね、他愛もない世間話で盛り上がっていた。
  ひとしきり話しを終えたジュリアは、帰りのバスに間に合うように ミミに別れを告げ、道を横切ったその瞬間、車に撥ねられ亡くなった。
  即死であった という。
  その夜、ジョンとジュリアの夫であるボビーは警察からの連絡を受けて病院に向かった。
  ジョンはとても母親の亡骸に会う気持ちになれず、ボビーだけが別れを告げに中に入った。
  部屋から出てきたボビーは、ジョンの腕にすがって泣き崩れた。
  ジョンは茫然自失のまま 母親の葬儀に参列した。
  あれだけ命に溢れ、いつも笑っていた母親が、今はみんなが最後の別れに列を作って前を通り過ぎて行く、
  その棺の中に眠っているとは、まだ信じることができなかった。
  
  「このお話しは 全てジョンから直(じか)に聞いたものです」
  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となる=シンシア・パウエル。
  今週もそのシンシアが、ジョンとの思い出を綴った貴重な手記から、お送りしたいと思う。

  この事故の真実が判ると、ジュリアが死んだことは遺族にとって なおいっそうやりきれないものとなった。
  ジュリアを死に追いやった男は、その日は非番、つまり勤務の無かった警察官。
  この男は、車の運転は初心者であった上に、なんとアルコールを飲んでいた。
  つまり、酒気帯び運転だったのである。
  この警察官は、ジュリアが道を渡っているのを見た時、ブレーキと間違えてアクセルを踏んだことが明らかになった。
  そして その男は裁判にかけられて無罪放免となり、謹慎を受けて 一定期間だけ職務停止となっただけ、という信じられないような軽い処罰で済んでしまった。
  加害者が どう処分されたところで、亡くなった母親ジュリアはもどっては来ない。
  しかし、この処罰は なんともいたたまれなく、やりきれないしこりをジョンの心に残したのである。
  〜 The Beatles / I'm a Loser
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qmxg0JnQX8U
 
  〜 The Beatles / Mother Nature's Son
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EJtr__Zqp7M
 
  (小林)16:10
  2曲続きましたね。
  両方とも ちょっとフォークっぽかったですね。

  I'm a Loser これは今日お話しした「HELP!」 のアルバムの前のアルバムに入っていました。
  ジョン・レノンによると「ちょっと妥協が入っていた」ていうことでw。
  ちょっと、ちょっと嫌悪が入るw曲なんです。I'm a Loser

  そして、今聴いた曲は Mother Nature's Son
  もちろん「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っています。
  ホワイトアルバムは、まあ ポールたちはインドで書きあげた、に違いない。
  で、ポールはこのころ ポール・サイモン(Paul Simon)とかね、そういうのが大好きで よく聴いていたそうです。
  なんとなく 分かりますよね。Mother Nature's Son
  
  2曲。
□ストーリー(続き)
 ・「最愛のお母さん=ジュリアのお葬式のあと、
  ジョンは自分の深い悲しみや、怒りや、衝撃や、苦痛など、すべて無理に抑えつけて、心に受けた傷のことは誰にも話さなくなったんです」

  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となる=シンシア・パウエル。  
  この、ロック史上において 最重要人物の一人とも言えるシンシアの手記から続けてみよう。
  これらは、すべて彼女がジョンから直接聞いた 貴重な事実である。

  ジョンの育ての母と言えるミミ伯母さんという人物は、もともと何でも話し合おう というような人では無かったかのように、再び同じ生活に戻って行った。
  それは、単純に「人生の続き」「昨日の続き」の連続であり、ジョンも同じようにしようとしていた。
  ジョンは母を亡くした悲しみを 二人の父親違いの妹とも分かち合えないでいた。
  亡き母ジュリアの姉妹たち、つまり、ジョンの伯母さんたちは、この時11歳と8歳の妹たちには 母親が亡くなったことを知らさない様にしていたからである。
  まだ小学生の二人には「母親のジュリアは病気で少し遠い所に静養に行っている」ことにしてあった。
  当時のイギリスでは、男親が家事の全てを取り仕切るということは滅多に無く、
  ジュリアを亡くした夫のボビーは 夜勤の仕事をしながら、親戚の力を借りてなんとか子育てをがんばっていた。
  
  当時をふり返って、ジョンの最初の妻となるシンシアは こう語っている。
  「ジョンは 父親違いの妹たちと とても仲良しでした。
  みんなが“コテージ”と呼んでいたハリー伯母さんの家にも ちょくちょく妹たちを訪ねて行っていました。
  美術大学に入って 私と付き合うようになってからは、よく私も連れて行ってくれました。
  妹たちを預かってくれていたハリーの家は、ミミ伯母さんの所とはまるで違っていて、チリ一つ落ちていないミミの家が少し冷たい印象であるのに対し。
  ハリー伯母さんの家は 温かみがあって、愛情に溢れ、いつも誰かが何かをしてにぎやかでした。
  そんなハリー伯母さんの家が ジョンも私も大好きだったんです」
  〜 The Beatles / All Together Now
  ttps://www.youtube.com/watch?v=V3XQCzc44dU

  〜 The Beatles / Octopus's Garden
  ttps://www.youtube.com/watch?v=BRu-oEwA0Ec

  (小林)
  音楽は似たような世界が続きましたね。

  1969年の「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」の中に入っている All Together Now

  そして、いま聴いたやつは、リンゴ・スターが作りました Octopus's Garden
  タコの庭っていうかw
  そうだ、今日はほら「HELP!」の仮のタイトルが「Eight Arms To Hold You」ていうことを考えて、
  そういうのは引きずってないよね? きっとねw
  「アビーロード(Abbey Road)」の中からリンゴ・スターの Octopus's Garden
 
  2曲続きました。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンは、父親違いの妹たちと とても仲良しでした。
  みんなが“コテージ”と呼んでいたハリー伯母さんの家にも、ちょくちょく妹たちを訪ねて行っていましたね。
  美大生になって、私と付き合うようになってからは、よく私も連れてってくれました。
  そこは温かみがあって、愛情にあふれ、いつも誰かが何かをしていて、にぎやかでした。
  そんなハリー伯母さんの家が、ジョンも私も大好きだったんです」
  
  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となる=シンシア・パウエル。  
  この、ロック史上において最重要人物の一人とも言えるシンシアの手記から、もう少し続けてみよう。

  「ジョンは、ハリー伯母さんの家だけじゃなくて、スコットランドのメーター伯母さんの家にも連れてってくれました。
  その時は大学も夏休みで、エジンバラまでヒッチハイクで行ったんです。
  ほとんどの行程は トラックの荷台の中でしたねえ。
  この巨大なトラックの運転手は、明らかに超過労働をしていたので、今にも居眠りをしそうな気配。
  ジョンと私はトラックの荷台の中から 運転席の後ろの窓をドンドン叩いて、運転手を眠気から救ったんです。
  とても愉快な旅でしたねえ」

  エジンバラに到着すると、そこは土砂降り。
  おまけに、メーター伯母さんファミリーは外出中で留守だった。
  行き当たりばったりのジョンは、伯母さんに前もって知らせてはいなかったため、こうなるのも当然と言えば当然であった。
  仕方なくジョンとシンシアは、道の反対側にある教会の入り口で雨宿りをしながら時間を潰していると。
  2時間ほどして、ようやくメーター伯母さんの息子スタンリーが帰って来た。
  スタンリーは従兄弟のジョンを見て大喜びし、ジョンとシンシアを家に招き入れた。  
  翌日、旅先から帰ったメーターを紹介されると、シンシアはこのジョンの伯母さんと すっかり意気投合した。
  夜にはごちそうもいただき、シンシアはすっかり新しい家族に迎え入れてもらった気分になった。
  
  シンシアはこう語っている。
  「そう。この一件で ジョンと私の気持ちも、さらに近いものになったんです」
  〜 The Beatles / Mr. Moonlight
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6STQwYCY2MA

  〜 The Beatles / Ticket To Ride
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VMxyK9azXR4

  (小林)
  1965年「HELP!」の中に入っている Ticket To Ride

  そしてその前は、これは1964年ですね。
  もともと 人のオリジナルです。ピアノ・レッド(aka Piano Red))のヒット曲です。
  ポールが、真ん中あたりで ハモンドオルガンを引いてた。
  これがw これがジーンと来るでしょうw。
   Mr. Moonlight
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしておりますので はりきってどうぞw。

  (茨城県竜ケ崎市/男性)
  最近休日は洋楽のCDアルバムを聴いて、歌詞の和訳をすることをしています。  (小林)偉いですね。26歳だから、がんばれ がんばれ。
  いろんなアーティストがいますが、その中でも心に残ったのはピアノのメロディに乗せてエルトン・ジョンが歌ってる「ユア・ソング」。
  歌詞も素敵だし、知らない皆さんたちにも教えてあげたい一曲です。
  なので、エルトン・ジョンの「ユア・ソング」をリクエストします。よろしくお願いします。
  
  〜 Elton John / Your Song
  ttps://www.youtube.com/watch?v=12EKW2JekcQ

  (小林)
  エルトン・ジョン、久しぶりにかかりましたね。
  (習志野市/女性)
  克也さんこんばんは。久しぶりにメールします。
  来月 まさかの、ポールが再来日しますね。
  ニュースを聞いた時は 飛び上がりました。
  私、チケット取りました。
  前回が「最後だろう」と思っていたので「受験生だけど関係ない」と思って行ったんですが。
  まさか、こんなに早く「また会いましょう」が実現するとは。
  前回は 始まる前のBGMで、ビートルズからウィングズまで いろいろかかっていたんですが。
  Let 'Em In が かかった時、ドキドキが最高潮になって、すでに泣きそうになってしまいました。
  日本語では「幸せのノック」というそうで、すごく素敵な訳し方だと思います。
  ウィングスの曲は まだまだ知らない曲が多いので、ライブにまで もっといろんな曲を聴き込んで行きたいと思います。
  
  (小林)
  大学一年になったんだね。
  あなたが泣きそうになった、という・・・。
  今回どうだろう、泣くかもしれない。ウィングズの Let 'Em In。

  〜 Paul McCartney and Wings / Let 'Em In
  ttps://www.youtube.com/watch?v=re61B8sKQWk
  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttps://www.youtube.com/watch?v=v9B4UD0Rp2c
  
  (住所不明/女性)
  この曲は「ジョージのビートルズサウンド」と言える曲だと思います。
  ジョージのビートルズ初期の頃の個性が良く出ていると思います。
  ジョージらしく、単純に。

  (小林)
  これっきゃ 書いてないんだけど。
  なんか、愛情が窺がえますよね。
  よーく わかりました。ありがとうございます。
  (新宿区/女性)
  私は、赤ちゃんのころ別れた父と、私が5歳のころと、中学生の時の2回会ったことがあります。
  風呂敷包みを持った母に、5歳の私は手を引かれ、家から3〜4分歩いて行った所に 男の人が立っていて。
  私は本能的に、それが父だと判り、激しく泣き始めました。
  この時 一生分の悲しみを感じたような気がします。
  風呂敷包みを持った父と別れてからも泣きじゃくる私に、母は近くのお店で量り売りのジェリービーンズを小袋に買い、手ににぎらせてくれました。
  それで 少し気が済んだのを覚えています。
  私は、2回とも父と話すことはありませんでした。
  「パパと いっしょに行く!」と言ったジョンが、泣きじゃくって母さんのジュリアを追った時、私は本当に涙が出ました。
  この時のジョンと、5歳の時の私の気持ちが重なって、胸がいっぱいになりました。
  それでもジョンは ジュリアと暮らすことは出来なかったけど、絶対ジュリアを選んで良かったと思います。
  ジョンの生い立ちに こんな気持ちを感じるなんて、克也さんに この話しをするなんて。
  思いもしませんでした。
  
  (小林)
  どうもありがとうございます。あなたのリクエストです。

  〜 The Beatles / In My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iE3LBM-Yw3o
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)
  「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか。

  やっぱり、ジョン・レノンの小さかった頃。それから少年時代から青年時代にかけて。
  やっぱ面白いですよね。
  これ、ソロ映像で、ポールだとか ジョージだとか リンゴ ってお話しがあるんですけども。
  4人分、この番組は まだやらなきゃダメな責任があるんですが。
  [新宿区/女性]さんの お葉書きなんかはね、やっぱりちょっと 身につまされましたよね。
  ほんとに、あのシーンは、やっぱり、なんて言うんですかね、名シーンと言うと怒られるかもわからないですけど。
  絶対に、小さかったね、ジョン・レノンが、「お父さんとニュージーランド一緒に行こう」「一緒に行こうよ」
  「うん、行くよ」つって、お父さんに付いてったんだけど、パッとお母さんのとこへ行っちゃう、ていう。ねえ。
  あれは、なんていうんでしょうねえ。ええ。
  きっと、なんか忘れない光景として、それぞれの人の心の中に残ってると思うんですけども。
  
  さあ、リクエストください!。
  メールは
  [email protected]
  です。
  イシイのミートボールなどをセットして皆さんにお送りしておりまーす。
  お相手は小林克也でした。
73ホワイトアルバムさん:2014/04/20(日) 00:46:13.74 ID:???O
あくまで、克也さんのスレが無いなー
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年4月20日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(4月20日)
 ・1970年(今から44年前の今日)
  アメリカで、ポール・マッカートニーのソロアルバムが なんと出ちゃうわけですよ。
  この頃の事情ってのは、なんかちょっと複雑なんですよねえ。
  その、メンバーのそれぞれ心の中と、それから、マネージャーが会社とお金とか いろいろ揉めたりしている中でね。
  1969年の秋に 実質的なラストアルバム「アビーロード(Abbey Road)」このレコーディングが終わって、もう全て終わっちゃうわけですよね。

  で、ここの頃のポールの状態てのはね、解かってあげるといいんですが。
  完全な抜け殻状態です。もう今まで自分はビートルズっきゃなかったわけですよ。
  それが終わっちゃった。だから、アルコールに始まって、イケナイものに手を出す。
  これ、ポールとしては珍しいんですよ。
  ポールはねえ、そんな時期は あんまり無いんですよ。人生の中で。
  これが、ポールのピンチですよね。

  で、スコットランドの別荘の農場に引きこもって、
  でも、でもポールなんですよ。明るいポールなんですよ。自分を表現したいポール。
  だから、その頃 なんかね、お金が回って来なかったらしいんですけども。自分たちのお金はあったんだけど、現金が無い。
  で、1本のマイクと4トラックのテレコを使って、デモテープを作るんです。
  ロンドンのセッションも加わって、天才ポールは作品を作っちゃいます。

  で、もう出来上がったやつをですね。
  その当時のマネージャーが アラン・クライン(Allen Klein)元ローリングストーンズ(The Rolling Stones)のマネージャーをやっていました。
  ジョンやジョージやリンゴはアラン・クラインを信用している。
  ところがポールはですね、自分の嫁のリンダの お父さんだとかお兄さんをマネージャーにしたかった。
  ところが、これがアラン・クラインに弾かれちゃうわけですよね。
(続き)だから、最終的には3人がね、ジョンもジョージもリンゴも、ポールに行くんですよ、会いに。
  で、「最後のアルバムを『Let It Be』を出すまでには、何も出すのをよそうよ」って言うんですが、ポールは拒否しちゃって。
  アメリカでw 出しちゃうわけですよ。
  でもその結果、さすがポールですよね。3週間連続アルバムは1位になるわけですが。
  
  さあ、内容的にはシンガーソングライター的。
  その当時の時代を反映しています。
  そのアルバムに入っている、重要なウィングズ(Wings)のツアーのレパートリーソングも入っています。
  それ、聴いてみますか。Maybe I'm Amazed
  
  〜 Paul McCartney / Maybe I'm Amazed
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cm2YyVZBL8U

  (小林)06:50
  ポール・マッカートニーは、四人の中で一等最初に「もう、お前たちの言うこと聞かないよ、俺は」っていうんで。
  ソロアルバム アメリカで出しちゃったわけですね。
  最初は 実は「俺はやめたよ」って言ったのはジョン・レノンらしいですよね。
  でもジョン・レノンは周りに「今はやめて。今は音楽活動してもらっても、ビートルズとしてのものがあるんだから」ていうことで、極秘にしてたわけですが。
  ポールは「そんなの やだよ」wってことで 出しちゃったわけw。
  Maybe I'm Amazed
  でも、失意のドン底みたいな状態で、ポール・マッカートニーが書いたっていうことを 忘れないでくださいね。
□ストーリー
 ・「1960年代に入って、ジョンのバンド活動は いっそう本格的になって行きました。
  その背景には ある同級生の存在が大きかったんです」
  こう証言するのは、ジョン・レノンの最初の妻となる=シンシア・パウエル。 
  今週も そのシンシアがジョンとの思い出を書いた貴重な手記から お送りしたいと思う。
  証言の全ては、ジョンから直接聞いた 信憑性の高いものである。
  
  1960年、二十歳になるこの年。ジョンは同級生のスチュアート・サトクリフの部屋に 転がり込むことになった。
  床には2つ目、つまりジョンのマットレスが置かれた。
  部屋がとても広かったので スペースには余裕があったのである。
  しかし、もともとスチュアートが散らかし放題にしていた上に 追い打ちをかけるようにジョンが散らかしたため、
  良く言えば「風変わりな」、悪く言えば「家畜小屋のような」所だった。
  部屋には 天辺に黄色い球の付いた横断歩道に立てる交通標識や 棺桶などが家具として置いてあり、
  ジョンもスチュアートも そういう突飛なことをして大いに楽しんでいた。
  
  ミミ伯母さんは、ジョンが自分に背いて家を出て行ったことに 恐ろしく動転した。
  そして シンシアに こう頼みごとをした。
  「ねえ、シンシア。あなた ジョンに家に戻って来る様に、どうにか説得してもらえないかしら?」
  しかしシンシアは、ジョンが今の生活をどれだけ楽しんでいるかを知っていたし。
  ジョンが家を出たということは、恋人として好都合である、と思っていた。
  確実に ジョンと会える時間が増えたわけである。
  
  そしてシンシアは ミミに対して「私には どうすることもできません」とストレートに伝えた。
  本当の気持ちを言うならば、実はこう言うのが正確である。
  「せっかくジョンが 厳しいミミ伯母さんの仕切りから離れて自由になったんですから、このまま彼を放っておいてもらえないでしょうか?」
  という具合だろうか。

  それにシンシアが ミミ伯母さんの伝言を聞いたとしても、説得されてジョンが家に戻るとは到底想像できないこと。
  ジョンは、大人の男へ少しづつ近付いていたのである。
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zTr8h4MkSYw&noredirect=1
 
  〜 The Beatles / She's Leaving Home
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-lG3nXyI41M
 
  (小林)
  名曲が2曲 つながりましたよ。

  She's Leaving Home、これはもちろん「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」の中に入ってるやつだけど。
  やっぱり、こういう重要な曲が重しみたいにあるから、あれだよね「Lucy in the sky 〜」とか ああいう ぶっ飛んだ歌もw目立つっていうか。
  なんていうか、これはあれですよ、おそらく高校生か中学生ぐらいの女の子が 家出をするわけですよ。
  その家出の状態を、ナレーターとしてポール・マッカートニーが歌ってて。
  それで、「娘が出て行くよ・・・バーイ」とか、それを、そう言うお父さんお母さん役をジョンがやっているという。
  珍しいですよね、ビートルズがこんな ちょっとドラマティックな構成でやってるのはね。
  だから、これは効くんですよ。この曲は。
  
  で、その前は、もう一発でw もう最初の音で効いちゃうっていう I Feel Fine お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「ああ、ミミ伯母さんから解放されたのは嬉しいんだけど、唯一の問題は 洗濯なんだよ。
  このまま汚れ物が床に散乱し続けたら、間違いなくカビが生えて来るな。
  どうしようかなあ〜」

  この発言の主はジョン・ウィンストン・レノン。
  ここから数年後、あのビートルズのリーダーとして イギリス国内のみならず、アメリカや日本をはじめとする世界の重要国を ロックミュージックで征服することになる あのジョン・レノン。
  
  そして そのジョンの最初の妻となる女性がこの手記をまとめたシンシア・パウエル。
  ジョンに関することは すべて彼本人から聞いたこと、という 貴重で信憑性の高いシンシアの著作から続けてみよう。

  育ての親である あの超厳しいミミ伯母さんから離れ、大学の同級生スチュアート・サトクリフのアパートに転がり込んだジョンであったが、一人暮らしは初めての事。
  掃除はともかくとして、衣類の洗濯が一番の悩みの種。
  これにはジョンも耐え切れなくなり、ついに2〜3日おきに、山のような洗濯物を持ってミミの家に帰るのが日常となった。
  もちろん、アパートに帰る前には、伯母さんの手料理でお腹をいっぱいにすることも忘れなかった。

  ジョンのルームメイト=スチュこと スチュアート・サトクリフは、ある有名な絵のコンクールで60ポンドという 当時の価値としてはかなり高額の賞金をもらった。
  これを見たジョンは、すぐさまスチュにある提案をした。
  それは、その賞金でベースギターを買い、ジョンのバンドに加入すること。
  ジョンのバンドというのは ザ・クォーリメン。
  ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンが顔を揃える、後のビートルズの母体である。
  このクォーリメンには、まだベースギターを担当するメンバーが在籍したことは無かった。
  本格的なロックンロールを演奏するには、ベースギターが必要であった。
  ジョンのスチュに対する提案は、100%本気であったことは 言うまでもない。
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttps://www.youtube.com/watch?v=P7FJFKC8bLg

  〜 The Beatles / Anna(Go To Him)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZHTyLcVVlMM

  (小林)
  カバーが2曲続きましたねえ。

  1963年、愛する女性にね、リングを返して「彼の所へ行けよ」
  これは、人のナンバーですが。「Please Please Me」の中に入っていました。
  
  そしてその前は、1964年。
  得意のポール・マッカートニー、リトル・リチャード(Little Richard)ものの 一発撮り。
  Long Tall Sally
□ストーリー(続き)
 ・「なあ、スチュ。こないだの絵のコンクールの賞金 いくらだったっけ?
  えっ!60ポンド? すっげえ! お前その賞金でベース買って 俺たちのバンドに入らないか?
  経験なんて どうでもいいから。お前、ぜったいスターになれるって」

  この、なかば強引かつ一方的な言葉の主の名は ジョン・ウィンストン・レノン。
  この数年後 あのビートルズのリーダーとして、ロックの一番の天辺の さらに天辺、そのまた一番の頂点に君臨することになる あのジョン・レノンである。
  そんなジョンとの思い出を手記にまとめたのが、最初の妻となるシンシア・パウエル。
  彼女の手記は すべてジョンとの生活の中での記憶を 本にまとめたもの。
  ロックのアーカイブの中でも トップクラスに貴重であり、信憑性の高い物である。
  このシンシアの著作から、もう少し続けてみることにしよう。

  ベースギターを買ったとはいえ、スチュは生まれながらのミュージシャン、というわけでは無かった。
  あの天才 ポール・マッカートニーのレベルには 到底及ばない。
  彼がベースをマスターするには かなりの時間が必要であった。
  何時間も何時間も練習した結果、スチュの指にはタコが出来て、時に出血もともなった。
  文字通り「血のにじむような努力」は続いた。
  とりあえずのレベルまで達したあと、クォーリメンのメンバーとしてステージに立っても、
  スチュは本番では ほとんど音を出していなかったため、よく観客に背中を向け。
  実際には ほとんどベースは弾いていないことを隠した。
  しかし、ジョンにとって そんなことは どうでも良かった。
  心底スチュという男が好きだったジョンにとって、そのベーシストは一緒にいてくれるだけで満足だった。

  しかし、そんなジョンの甘ちゃん体質に 苦言を呈したのは、2つ年下のポールであった。
  彼にとってのロックは 自分の魂そのもの。
  未熟なメンバーなど いて欲しくなかった。 
  そして、それ以上に、ジョンと仲の良いスチュに嫉妬する心を、いつのまにか抱いていたのであった。
  〜 The Beatles / I Saw Her Standing There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=AEfyeAS5aVA

  〜 The Beatles / Get Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=IyLtRKV1fTM

  (小林)
  というわけで、ビートルズ初期、後期、2曲。
  
  初期の I Saw Her Standing There、
  「Please Please Me」のアルバム。

  そして これは(2曲目)イギリス、アメリカ、いろんな国でおそらくナンバーワンですよね。
  Get Back
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (草加市/女性)
  いつもこの番組でビートルズの裏話を勉強させていただいています。
  最近サークルに入って 自分より年配の方々と話す機会が増えました。
  そんな時、ビートルズの話しをすると盛り上がるので 大変助かっています。
  いつも興味深い情報 ありがとうございまーす。

  (小林)
  ていうことで、あなたのリクエストは変わっていますね。
  ポール・マッカートニーはやっぱり こういう曲は大好きだったんだと思いますよ。
  ポール・マッカートニーがカバーしました。
  これは、いろんな人がカバーしてヒットしている有名なスタンダードナンバーです。
  
  〜 Paul McCartney / I'm Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter
  ttps://www.youtube.com/watch?v=R_Z8_HBJcnM
  〜 The Beatles / Your Mother Should Know
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gdsxB0uaAPQ

  (小林)いやあ、久しぶりに聴きましたよ、 Your Mother Should Know

  (東村山市/女性)
  去年ポールが来日した時、こちらにリクエストして「毎年来てほしい!」と書いたら、まさか半年で再来日とは。
  さすがポール。神様はやることが速いですね。
  「マジカル・ミステリー・ツアー」の映画で、白いタキシード姿の四人がそろって階段を降りてくるシーンが印象的な この曲をお願いします。
  
  (小林)
  これはまあ トリビアですが。
  バックの群衆の中に 映ってないけど、子役のね、フィル・コリンズ(Phil Collins)がいたっていう話し。
  リクエストありがとう。
  (足立区/男性)
  克也さんこんばんは。
  ポール再来日という事で、今回は土日公演ということで、チケット予約、そして当選。今舞い上がっています。
  去年は平日だったので 無念の辞退で後悔しっぱなし。
  もしかして一生観られないか、と思って悪いことばかり考えていました。
  リクエストはポールとは関係ないですが、ジョンも絶賛していて。
  「この曲以外聴く気になれない」とお気に入りのベスト3に入ると言われる「プロコルハルム/青い影」をお願いします。
  以前もかかったかもしれませんが、よろしくお願いします。

   (小林)
  ありがとうございます。
 
  〜 Procol Harum / A Whiter Shade Of Pale
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Mb3iPP-tHdA
  〜 The Beatles / Let It Be
  ttps://www.youtube.com/watch?v=v1SbuZcTZdM

  (東京都板橋区/男性)
  いつも楽しく聴いています。もうすぐ4月10日。   (小林)もう 4月10日過ぎちゃいましたけども。
  「ビートルズ解散日」と言われてる日です。
  この日は 私の誕生日。
  ビートルズが解散した70年の一年後の、1971年生まれ。 (小林)w
  特に感想はないです。                (小林)そうですかww
  4月10日に合う曲は「Let It Be」になりますね。
  そう一人で決めていますね。
  決して「アビーロード」の曲ではなく、「Let It Be」です。
  ありきたりですが、リクエストはこれです。

  (小林)w ていう。
  変なこだわり。ありがとう。
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)
  「ビートルズから始まる」
  
  ジョン・レノンの青春時代、スチュ・サトクリフという男が登場します。
  この人に、もうジョン・レノンは心底惚れてるわけですよ。
  もう、なんてのかな、絵は上手いしね。
  「音楽はなんとかなるだろう」ていうw、これがまたジョン・レノンらしいw。
  そしてポールですよね。
  ポールはもう せっかくジョン・レノンの右腕のつもりでおりますからねえ。
  面白いですね、展開がね。
  
  それから皆さんリクエストよろしくお願いします。
  これは リクエストの方はですね、自分の世界をぶつけていただいて。
  音楽を ね、我々にオーダーしていただければ、と思います。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして漏れなくプレゼントしております。
  [email protected]
  こちらで待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年4月27日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(4月27日)
 ・1964年(今から50年前の今日)
  アメリカへ初上陸して、完全制覇して、2ヵ月経っています。
  もちろん「I Want To Hold your Hand」はもう大ヒット、そして続いての「Can't Buy Me Love」これもアメリカ1位。
  もう、ビートルズじゃないと何にも始まらない、みたいな感じの世の中。
  
  そこで、ですね。
  ようやくアメリカへビートルズが出てきた、その前の イギリスで売れたやつですよね。
  「She Loves You」だとか「Please Please Me」それからデビューソングの「Love Me Do」、これが注目を集めるようになって。
  ところがですね、この番組でも何回かお話ししたんですけども、ビートルズはイギリスの「EMIパ−ロフォン(Parlophone)」ていうレーベルでしたね。
  で、アメリカだと「キャピトル(Capitol)」なんですよ。
  キャピトルがほんとは発売しなきゃいけないんだけども、キャピトルはEMIパーロフォンのレコードは「アメリカでは売れないんじゃないか」
  ビートルズも、「アメリカじゃ これは売れない」「契約はやめておこう」 
  バカでしたねえ。先が読めなかったんですよねえ。
  だから、弱小の他のレーベルが契約しているわけですよ。
  これは、例えば「She Loves You」「Please Please Me」は・・・
  あ、「She Loves You」はスワン(Swan) ね。
  「Please Please Me」はビージェー(Vee Jay)
  それから、デビュー曲の「Love Me Do」はトリー(Tollie)っていうところ。
  で、このトリーは、ちょっと間に合わないっていうんでね、これ複雑なんですけどね。
  カナダのキャピトルね、カナダのキャピトルから輸入してアメリカで発売していた という。
  ここらへんが、なんか ちょっとややこしい感じになるわけですよ。
(続き)それから、おまけにビートルズがレコーディングを開始する時に、
  プロデューサーのジョージ・マーティンが「リンゴ・スターはドラマーとして、ちょっと問題があるなあ」
  「ダメかもわかんない」みたいな疑惑があったので、ちゃんとしたスタジオミュージシャンのアラン・ホワイト(Alan White)を呼んで、そして「Love Me Do」はやるわけですね。
  で、リンゴ・スターは仕方なく、傍でタンバリンで参加していた、っていう、悲しきバージョン。
  これは、アルバムに入ってるわけですが、
  ところがですね、イギリスでも アメリカでも 一番最初に発売されて ラジオでかかりまくったのは、実は リンゴがドラムを叩いているバージョンであったと。
  で、アメリカなんか もうすぐ回収されちゃうらしいんですけどもね、このリンゴが叩いているやつは。
  「正規のビートルズじゃない」っていうことでw
  これも ちょっとwバカらしいことですよね。
  改めて 聴いてみましょうか?

  〜 The Beatles / Love Me Do
  ttps://www.youtube.com/watch?v=lEph9b5HlF4(BBC Version)

  (小林)というわけで、これがリンゴ・スターが叩いているやつで。
  リンゴ・スターが叩いてなくて タンバリンのやつもご存知だと思うんですけど。
  そこらへんまで、どうでしょうね?みなさん意識して聴いていますかね。

  それから、面白いのは この Love Me Do、やっぱりハーモニカはジョンで、食って入ってる ていう。
  やっぱり、リズム&ブルースフィーリングいっぱいのビートルズですから。
  で、面白いことに、あのハモニカで・・・これがね、ビートルズがデビューして、ハモニカがめっちゃ売れしてるんですよ。
  あのね、5〜6倍売れるようになったらしいですよ。
  すごいよね、ビートルズが出て来た っていうことは。
□ストーリー
 ・「なあ、スチュ。こないだの絵のコンクールの賞金 いくらだっけ?
  えっ!40ポンド? すっげえなあ! お前その賞金でベース買って 俺たちのバンドに入らないか?
  経験なんて どうでもいいからさ。お前、ぜったいスターになるって」

  この、なかば強引かつ一方的な言葉の主の名は ジョン・ウィンストン・レノン。
  数年後、あのビートルズのリーダーとして、ロックの一番の天辺の さらに天辺、そのまた一番の先っぽに君臨することになる あのジョン・レノンである。
  そんなジョンとの思い出を手記にまとめたのが、最初の妻となるシンシア・パウエル。
  彼女の手記は、ロックのアーカイブの中でも トップクラスに貴重であり、信憑性の高いものである。
  今週も このシンシアの著作から、お届けしたいと思う。

  ベースギターを買ったとはいえ、スチュは生まれながらのミュージシャンではない。
  心底スチュという男が好きだったジョンにとって、そのベーシストには 一緒にいてくれるだけで満足だった。
  実際スチュはライブでは 後ろを向き、演奏はしていないこともあった。

  しかし、そんなジョンの甘ちゃん体質に苦言を呈したのは、2つ年下のポール・マッカートニー。
  彼にとってのロックは、自分の魂そのもの。
  未熟なメンバーなど いて欲しくなかった。 
  そして、それ以上に、ジョンと仲の良いスチュを嫉妬する心を、いつのまにか抱いていたのである。
  なんせ、スチュがバンドに入る前は、ジョンの注目をほとんど独り占めにしていたのは ポールであったから無理もない。
 
  ジョンが率いるザ・クォーリメンは、ジョンやスチュの通う美大の近くのスレーター通りにある”ジャカランダ”というクラブで演奏するようになった。
  ジョンや恋人のシンシアたちが「ジャック」と呼んでいたそのクラブは、地下にあり、結露した壁から水が滴り落ちるような店で、
  中は暗く、お互いの顔もよく見えないくらいだったが、そういうところが ちょっと危険でワクワクするような雰囲気を醸し出していた。
  そして クォーリメンにも、こうしたクラブで演奏するチャンスが訪れようとしていたのである。
  〜 The Beatles / That'll Be the Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0DnPHQE8exY
 
  〜 The Beatles / I'll Be Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=G9hO25z1Fu8

  (小林)ビートルズの初期のサウンドが流れています。

  まず、That'll Be the Day。
  これは 50年代ですよね、プレスリーが出てきて。
  で、早く亡くなったんですけど、バディ・ホリー(Buddy Holly)とか そういった人たちが出てくるわけですが。
  バディ・ホリーのクリケッツ(The Crickets)のヒット曲、それのカバーです。
  で、録音は1958年。
  名義はクォーリメンです。
  ジョン・レノンのバンド=クォーリメンのw 初々しいバディ・ホリーの曲はどうでしたか。
  
  そして、I'll Be Back は、これは「A Hard Day's Night」のアルバムの中から。
  「デル・シャノン(Del Shannon)にインスパイアされた」とあります。
  デル・シャノンは やはり60年代の初めに人気があった アメリカのシンガーソングライター。
  もちろん ロックンローラーですけども。
  ビートルズはつまり ちょっと先輩だとか、仲間からも けっこう影響を受けてる、ということですよね。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンや私たちが“ジャック”と呼んでいたクラブ・ジャカランダは、地下にあって薄暗く、なんとも言えない危ない雰囲気を醸し出していました」
  こう話してくれたのは ジョン・レノンの最初の妻となる=シンシア・パウエル。 
  ジョンに関することは全て、彼本人から聞いたこと、という貴重で信憑性の高いシンシアの著作から続けてみよう。

  ジョン・レノン率いるクォーリメンが、このジャカランダ・クラブで演奏できるようになったのは、
  ジョンが アラン・ウィリアムスという無愛想なウェルズ人のオーナーにチャンスをくれるように頼み込んだからであった。
  ジャカランダ・クラブの通称「ジャック」のステージに立っていたリバプールの人気グループの中には、「ロリーストーム&ハリケインズ」がいた。
  そのバンドのドラマーが、後にビートルズのメンバーとして大人気を誇ることになる リチャード・スターキーつまりあのリンゴ・スターであった。
  
  リバプール市内の、一応は名の知れたクラブに出演できるかもしれない、という この頃になるとクォーリメンのメンバーもいくらかオシャレになっていた。
  全員 黒のジーンズにタートルネックのセーターを着て、リバプールの駆け出しバンドに較べると 見た目には完全に大きな差を付けていた。
  ジャックのオーナー=アラン・ウィリアムスは 眼を出し始めたリバプールのロックシーンに深く関わりを持っていて。
  市内のあらゆる会場でライブを企画しては、多くのバンドのためにチャンスを提供していた。
  
  そしてついに、ジョンの熱意に負けたウィリアムズは、クォーリメンのために市内のシーコム地区にあるグロブナー・ボールルームでのライブ出演を取り付けた。
  ところが、ここは地元のギャングスターがよく抗争を起こすような、ガラの悪い地域。
  さあ、そんな場所でのクォーリメンの演奏、いったいどうなるのであろうか。
  〜 The Beatles / You Can't Do That
  ttps://www.youtube.com/watch?v=usQ8AhiRcNE

  〜 The Beatles / Two Of Us
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gSQeTSrI6bg

  (小林)というわけで、ビートルズがグループとしてアメリカで売れた 50年前の今ごろ。
  1位を走っていたのは、さっきもお伝えしましたが Can't Buy Me Love
  そのB面だったのが You Can't Do That という曲ですね。

  そしてその次、いま聴いた曲 これは Two Of Us
  お馴染みかもしれませんけれども。
  これはグループとしてビートルズが終わった「Let It Be」のアルバムに入っておりました。
  
  初めから終わりまで。
□ストーリー(続き)
 ・「ジャカランダクラブのウィリアムズさんがブッキングしてくれた このライブ会場、ちょっとヤバいんじゃないか?
  市内でも、こんな不良連中 見たことないよォ。
  演奏するのやめて 帰ろうか?
  オイオイ、いったい どうしたらいいんだよ、俺たち・・・」

  この本気でビビッている言葉の主の名は、ジョン・ウィンストン・レノン。
  この数年後 あのビートルズのリーダーとして ロックの一番の天辺のさらに天辺、そのまた一番の頂上に君臨することになる あのジョン・レノンである。
  この史実は全て ジョンの最初の妻シンシア=シンシア・パウエルの手記にまとめられたもの。
  かなり信憑性の高いと言われるシンシアの著作から、もう少し続けてみることにしよう。
  
  ジョン率いるクォーリメンは、ジャカランダクラブ、通称「ジャック」のオーナー=アラン・ウィリアムスがブッキングしてくれた演奏会場グロブナー・ボールルームにやって来て
  すっかり怖気づいてしまった。
  そこはギャングたちのシマであり、しょっちゅう抗争が起こるような物騒な地域だったからである。
  
  シンシアは語る。
  「そこはそれまでに見たことも無いくらい危険な所で、私たちは出来るだけ人目に付かない様に おとなしくしているしかありませんでした。
  会場は ものすごい喧噪で、バンドの演奏なんて ほとんど聴こえやしないし、みんな聴いてもいませんでした。
  メンバーがステージを降りるやいなや、私たちは会場をサッサと飛び出して帰ったのを覚えています」

  そんなこともありながら、バンドのイメージは急速に変わって行った。
  スキッフルやクリフ・リチャード風、エバリーブラザーズ風のバラードはやめて、もっとずっと胸が高鳴るような音楽を目指すようになった結果。
  当時ヒットチャートを駆け登っていた ロックンロールに転向したのである。
  そうなると バンド名もそれ風にしないと格好がつかない。
  学生バンド=クォーリメンがひと皮むける その瞬間であった。
  〜 The Beatles / Paperback Writer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vD-Oe1d1jeE

  〜 The Beatles / You Like Me Too Much
  ttps://www.youtube.com/watch?v=m9vP4FINu3M

  (小林)You Like Me Too Much これはジョージ・ハリスンの曲ですよね。
  ジョージ・ハリスンの曲が久々に採用されました。
  これは1965年。
  まあ、彼が もう本気でやる気になっていたころ。
  「HELP!」の中に入っていますね この曲はね。
  
  そしてその前は、来日の頃には すでに大ヒットしていた。
  これはアメリカやイギリスなんかでもナンバーワンの Paperback Writer
□リクエスト
  (小林)リクエスト [email protected]
  あるいはFAXやハガキなんかでも受けているんですけども。
  採用の方には、全員イシイのミートボールなどセットにして差し上げております。
  (葛飾区/男性)
  ビートルズ、この偉大なロックバンドの影響を受けないアーティストなんて 音楽業界にいるものか?
  などと、勝手に思い込んでいる私なんですが。
  その中でも、ビートルズの影響を多大に受けているアメリカンハードロック、大御所をリクエストさせてください。
  そのバンドは去年 来日公演でも元気な姿をファンの前に見せつけてくれた、あのド派手なバンド=キッス(KISS)であります。
  メンバー全員がリードヴォーカルを担当し、ハードロックバンドにしては コーラス主体の曲作り。
  極めつけは デビューアルバムのジャケットは「With the Beatles」をパクったのではないか?、という噂まであるのは有名な話し。
  サウンド面において 具体的にキッスの音楽の どの曲のどの部分にビートルズの影響が見えるのか、教えてください。
  と 質問されても、お答えするのはむずかしくあるのですが。
  しかしながら、ジーン・シモンズ(Gene Simmons)とポール・スタンレー(Paul Stanley)が「I'll Be Back」とアカペラで口ずさむシーンが、
  キッスのとあるオフィシャルビデオに収録されていることから察するに。
  基本ハードロックでありながらも、ビートルズへの多大なるリスペクトは キッスの音楽性からも強く感じることができる、と私は思うのでありました。
                                         (小林)ていう。
  この曲は、ポール、ジーン、交互に歌い分けるハードでポップなナンバー。

  (小林)Shout It Out Loud ね。
  はい。
  やっぱり(あなた)が言ってるみたいに、全員歌えるっていうのは ビートルズのスタイルですよね。
  例えばイーグルスなんかも 全員歌える。
  音楽は直接「ここんところがビートルズ」とか そういうようなことは言えないですよね。
  ビートルズだって、いろんな所から頂いてるし、みんな頂き合いですから。この 特にロックの世界ではね。
  (あなた)はもう キッスという所の、必要な所を捕まえてると思います。
  それじゃあ、これを聴きましょうか? Shout It Out Loud

  〜 KISS / Shout It Out Loud
  ttps://www.youtube.com/watch?v=16cEJ-CBejA
  〜 Cheap Trick / Magical Mystery Tour
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zui6yEb-MPA

  (小林)というわけで、
  KISS の Shout It Out Loud から
  Cheap Trick の Magical Mystery Tour。
  もちろん ビートルズのカバーですけど。
  なんか つながりましたねぇ。ビートルズの影響はありますよねぇ。
  でも 二つとも「俺たちは 俺たちだ!」って主張をしております。

  (つくば市/男性)
  克也さんこんばんは。春ですねえ。心が躍りますねえ。
  暖かくなってくるとツアーに出たくなりますね。
  行きましょう、みんなで。そうすれば 景気回復間違いなし。
  みんなで 世の中明るくしよう。
  
  (小林)
  なんという 素晴らしいコメントでしょうか。
  ありがとうございます。
  (流山市/男性)
  「ビートルズから始まる」を毎週楽しみに聴かせていただいています。
  僕は中学1年の時、友達の影響でビートルズに目覚めて 今月で3年目。
  ところで、5月にポール・マッカートニーが再び来日公演をしますね。
  66年のビートルズ初来日でも大変なことになったと聞いています。
  しかし、あの落ち着きのないマイクは どうにかならなかったんでしょうか?
                                (小林)という
  今回、初めてのリクエスト。

  (小林)はい。
  あなたのリクエストにお応えしましょう。
  And Your Bird Can Sing
  
  〜 The Beatles / And Your Bird Can Sing
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iC6D2N4nylg
  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttps://www.youtube.com/watch?v=eDdI7GhZSQA

  (小林)
  というわけで この Hey Jude には、二人の女性からリクエスト来ています。

  (館山市/女性)
  寒いですね。         (小林)寒いですか? 暖かくなっているでしょう?
  前職では ちょうど仕事帰り。
  クタクタになりながらビートルズ、ジョンの話しを「へえー」と思いながら聴いていました。
  今日は 新しい職場でお休み2日目。
  家事と家族のストレスで酒をかっ喰らってきました。   (小林)ww だいじょぶ?w
  ビートルズは正直いろんなアーティストが影響を受けているので。
  小林さんの説明で すごく勉強になります。
  ビートルズの曲は あまり知りませんが、有名どころしか。
  「ヘイ・ジュード」お願いします。

  (小林)
  もう一人の方はね、住所本名なんか書いてないんですが「熊の嫁」って書いてあるんですが。
  もし良かったら住所知らせてくださいね。

  (住所不明/女性)
  4月から教習所に通い始め、いま帰りのバスの中で聴いています。
  普段はラジオを聴かないんですが、教習所に通い始めてから聴くようになり。
  今日 偶然この番組と出会いました。
  ビートルズ好きな私にとっては お気に入りになりそうです。
  なかなか疲れる教習所の帰り道、聴くと元気になれる「ヘイ・ジュード」を・・・ (小林)ていうことで
  定番中の定番ですが。

  (小林)ってw 照れてますけど。
  だいじょぶです。
  Hey Jude お送りしました。
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  ジョン・レノンのバンドがね、やっぱり いろんな所で演奏し始めると。
  ほんとに ヤバい所でw 演奏しなきゃダメ。
  もう、演奏したらすぐに逃げ帰っちゃったりするような。
  でも、あれなんですよね。
  ジョン・レノンたちは、ジョン・レノンやポール・マッカートニーたちが ハンブルグへ。
  ちょうど 今日出てきた アラン・ウィリアムスかな?、あの人の縁で けっきょくハンブルグへ行くようになるんですが。
  そこでは、すごい体験をしたりして。
  もう、バンドとしての最高の勉強をするわけですよ。
  面白いですよ、ビートルズも 初期の頃は。ねえ。
  また話しを 楽しみにして。
  よろしくお願いします。

  それから、リクエスト。
  リクエストは
  [email protected]
  こちらで受けています。
  まあ、いろんなリクエスト、今日も楽しかったです。
  ありがとうございました。
  イシイのミートボールなどセットにして採用の方には送らせていただいております。
  よろしくお願いします。
101ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/05/07(水) 18:18:20.90 ID:ZrT8hzvQ0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年5月04日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(5月4日)
 ・1968年(今から46年前の今日)
  これはねえ、ちょっとした事だけども、ちょっと重要ですね。
  ツイッギー(Twiggy)っていうモデルがいます。いましたw。 1960年代。
  1960年代はやっぱりビートルズが、音楽的には やっぱりイギリスを代表していました。
  そして、ファッションでは、「ミニの女王」と言われたツイッギーが とても有名でした。
  彼女のおかげで、日本でもほとんどの女性たちが、若い女性たちが ミニスカートを穿くようになったりするわけですけども。
  そのツイッギーが、今から46年前の今日、ポール・マッカートニーの所に電話をして「ポール!すごい子がいるわよ!」
  「この人をプロデュースしたらいいよ!」っていうことを電話で教えてくれるわけです。

  で、ポール・マッカートニーたちは何をやってたかというと。
  もちろん ビートルズとしての活動と合わせて。
  1968年にはですね「アップル」ていう会社を立ち上げて、音楽ばっかりじゃなくて、ファッションだとか 映画だとか、芸術活動をやって行こう、ていう。
  「我々にしかできない芸術活動をやっていこう」ていう、アップルがスタートして。
  とりあえず、他の部門はね、アップルブティックなんかは すぐ潰れたりするわけですけども。
  音楽部門はポールの活躍で 持つわけです。
  「Hey Jude」これはアップルから出ます。で、700万枚売れて 大成功でしょう。
  で、続いて、そのツイッギーが知らせてくれた メリー・ホプキン(Mary Hopkin)のプロデュースをポールがやって。
  これは、Hey Jude を上回る、1000万枚のメガヒットになっちゃうわけですよ。
  アップルがすっごい勢いだった っていうのはねえ、やっぱり音楽は自分たちの専門ですからねえ。良く分かりますよね。
  で、ポールがメリー・ホプキンという人をプロデュースして、メリー・ホプキンは大スターになっちゃうわけです。
(続き)で、日本でも 万博で、1970年の大阪万博でコンサートをやって、ライブアルバムを出したり、もうすごく盛り上がりましたけども。
  実は、ポールがプロデュースする場合は、ポールが曲を提供したりしてね。
  全部自分の曲だったら 会社の儲けになったり、自分の儲けになったりするんですが。
  この曲だけはですね、作者不明のロシア民謡だったていう。
  これが、ちょっと残念だ、これはお金が入らなかったかもwわかりませんけどw。
  そんなことは どうでもいいことですが。w
  
  というわけで、改めて、「悲しき天使」という日本語のタイトルも付いて、日本でも大ヒットいたしました。
  ポール・マッカートニーがプロデュースして、アップルレーベルからレコードが発売になりました。
  Mary Hopkin です。Those were the days
 
  〜 Mary Hopkin / Those were the days
  ttps://www.youtube.com/watch?v=GielMXWQlbw

  (小林)すごいですよねえw。この曲はねえw
  いろいろ すごい所が見つかりますよ。
  やっぱり、ポールはジョージ・マーティンの基、いろいろアレンジなんかも勉強して。
  この、エキゾティックなメロディをアレンジ成功させていますよねえ。
  で、当時としては シングル長いですよ。
  シングル曲てのは みんな短かったんだけど。
  やっぱりあれですね、アップルの功績てのは、「Hey jude」も長いし、この Those were the days も長いし、
  「曲が良ければ 長くても構わない」っていうw。そういうところをね、常識化したところなのかな。
  Mary Hopkin 、Those were the days
103ジョン・キロックノン:2014/05/09(金) 19:11:11.39 ID:???0
□ストーリー
 ・「かなり危険な地域での演奏などを経験しながら、ジョンのバンド=クォーリメンのイメージは 急速に変わって行ったんです。
  それまでのイギリス特有の流行歌であるスキッフルやクリフ・リチャード風、エバリー・ブラザーズ風のバラードはやめて、
  当時ヒットチャートを駆け登っていたロックンロールバンドに転向したんです。
  そうなると、バンド名もそれ風にしないと格好がつかない。
  いろいろと考えましたねえ、ジョンとポールは」
  
  こう話してくれたのは、ジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。 
  ジョンに関することは全て、彼本人から聞いたこと、という貴重で信憑性の高いシンシアの著作から 今週もスタートしよう。
  
  「新しいロックンロールのイメージに合わせるために、バンド名も一新する」ということで
  いつも足を運んでいたコンサート会場のバーで ミーティングを開いた。
  これにはなぜか、ジョンも大はしゃぎであった。
  なにせバンドの2回目のデビューみたいなもので
  「これで一人前のロックンロールバンドになれる」とジョンの胸はかなり高鳴っていたのである。
  ジョンは あのエルビス・プレスリーと同じくらい大好きだった、メガネのロックンローラー=バディ・ホリーのバンド『ザ・クリケッツ』
  日本語で言うと『コオロギ』にあやかって 昆虫の名前から取ったバンド名をあれこれ考えていた。
  
  このミーティングの場にいたシンシアは語る。
  「メンバーの中でも、リーダーであるジョンは、一番アイデアを出していましたね。
  バンド名が そのイメージを大きく左右する ということを、彼は判っていたんです。
  それで、昆虫の名前から あれこれ考えた結果、『カブトムシ』が良い、ということで『The Beetles』というアイデアが出ました。
  さらにジョンは 綴りの2つ目の『e』を『a』にすることで、バンド名の中に『Beat(ビート)』という言葉を入れるのがカッコイイ、と言い出したんです。
  最終的にバンド名は『シルヴァー・ビートルズ(The Silver Beatles)』に決まりました。
  そのほとんどは ジョンのアイデアです。
  すごく冴えていたんですよ、この時のジョンは」
104ジョン・キロックノン:2014/05/09(金) 19:12:33.73 ID:???0
  〜 Buddy Holly / That'll Be the Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Rk6YDzmqZ0I

  〜 Paul McCartney / It's So Easy(Buddy Holly Tribute)

  (小林)ポール・マッカートニーの It's So Easy
  これは、バディ・ホリー(Buddy Holly)のトリビュートアルバムにポールが1曲 これをやってね。参加してるわけですけど。
  なんかちょっと 黒人のリズム&ブルース・アーティストみたいな。
  ポールの得意のリトル・リチャード(Little Richard)のマネみたいな感じもいたします。
   It's So Easy バディ・ホリーの曲。をやっていました。

  そしてその前は、バディ・ホリーのグループ=クリケッツ(The Crickets)、That'll Be the Day

  とても有名な曲、2曲 お送りしました。
105ジョン・キロックノン:2014/05/09(金) 19:14:38.07 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「新しいバンド名に関して、ジョンはいろいろアイデアを持って来ました。
  それまでは面倒なことは ほとんどポールに丸投げをするジョンでしたが。
  『ロックンロールバンドとしてのイメージ造りは、先ずバンド名から』と思っていたのでしょう。
  この時のジョンは、すごく冴えてましたねえ」
  
  こう話してくれたのは、ジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
  ジョンに関することは全て彼本人から聞いたこと、という貴重で信憑性の高いシンシアの著作から この物語は続く。

  幾度となくミーティングを重ねた結果、バンド名は「シルヴァー・ビートルズ」に決定。
  間もなくすると、ジャカランダクラブのオーナーであり、リバプールの音楽シーン、その中でも特にロックンロールバンドに大きな期待を掛けていた人物=アラン・ウィリアムスから連絡が入った。
  アランはジョンに こう提案した。
  「ジョン。ラリー・パーンズという音楽関係者がいるんだけど。
  この人がスターを誕生させることで評判が高いマネージャーなんだ。
  それで、そのラリー・パーンズが 今度ロックンロールバンドのオーディションを開くんだ。
  どうだ ジョン。一度 腕試しに受けてみないか?」

  当時このアラン・ウィリアムスが ジョンのバンドに目を掛けていたことは間違いないが、マネージャーとしては まだ成功していたとは言えないレベルであるのに対し。
  ラリー・パーンズは、すでに大スターである トミー・スティール、ビリー・フューリー、など 大勢のスターシンガーを手がけていた。
  実は、今回のオーディションは その人気シンガーの中の一人、ビリー・フューリーのツアーに同行するバックバンドを探しに来た、という趣旨のものであった。
  
  ロックンロールバンドとしては 少し不満もあるが、プロのミュージシャンになれるかなれないかの瀬戸際の話し。
  ジョンもポールも、興奮していたことは言うまでもない。
  そして、ドラマーのいないシルヴァー・ビートルズは、そのため一時的にドラマーを雇い、準備万端んで臨んだ。

  結果は どうなるのであろうか。
106ジョン・キロックノン:2014/05/09(金) 19:16:21.83 ID:???0
  〜 Bill Fury / Maybe Tomorrow
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Tp3lHxunluo

  〜 The Beatles / This Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=7AAWAP-v1sE

  (小林)ビートルズの有名な This Boy
  これは「 I Want To Hold Your Hand」のB面の曲です。
  どことなく 50年代っぽい雰囲気が漂っている曲なんだよね。

  で、その前の ビル・フューリー(Bill Fury)。
  この ビル・フューリーのバックバンドのために、ジョンたちはオーディションを受けるわけですけど。
  そのビル・フューリーの イギリスでの中ぐらいのヒットね。Maybe Tomorrow
  これは 1958年、59年の、これも モロ50年代っていう曲。
  雰囲気がちょっと似てたね。
107ジョン・キロックノン:2014/05/09(金) 19:19:38.66 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「今回のオーディションが アイドルシンガーのバックバンドの仕事でもなんでもいい。
  とにかく、プロのバンドとしてデビューするんだ。
  俺たちは 絶対に合格するぜ」
  
  この少し興奮しすぎと思われる言葉の主は、ジョン・ウィンストン・レノン。
  この数年後、あのビートルズのリーダーとして、ロックの一番の天辺の さらに天辺、そのまた一番の頂点に君臨することになる、あのジョン・レノンである。
  この史実は、すべてジョンの最初の妻シンシア・パウエルの手記にまとめられたもの。
  かなり信憑性の高いと言われるシンシアの著作から もう少し続けてみることにしよう。

  ジョン率いる「クォーリメン」改め「シルヴァー・ビートルズ」は、イギリスポップシーンでは有名なマネージャー=ラリー・パーンズが主催するオーディションを受けた。
  しかし、いつもは居ないドラマーまで雇って臨んだにもかかわらず、結果は不合格。
  さすがに これにはバンドメンバー全員が 落ち込んだ。
  ポールは「ろくに練習もしないスチュアート・サトクリフのベースのせいだ」と、スチュをとがめた。
  しかし、彼らの演奏に ほんの少しではあるが才能の片鱗を見つけたラリー・パーンズは、
  代わりに自分の事務所に所属するシンガー=ジョニー・ジェントルのスコットランドツアーに同行する仕事をくれた。
  スコットランド北部を2週間周るというコンサートツアーである。
  ギャラは一人18ポンド。いつも地元で演奏する際の数十倍である。
  「さすが プロの仕事は違う」と、メンバー全員驚いた。

  しかし、このツアーに出るためには、ジョンもスチュアートも大学を休まなければならない。
  ジョンに関しては、このころすでに授業の大半を欠席していたので 同じこと。
  スチュは、その絵の腕前が学生ではなく プロ級であったため、授業を休むことなど少しも心配はなかった。
  ジョージは、すでに仕事に就いていたのであるが、有給休暇を使えば問題なし。

  一番の問題は ポール。  
  優等生であったポールは、この数週間のうちに進級試験を受けなければならなかった。
  学校とロックンロール、どちらを取るか、運命の決断を迫られていたのである。
108ジョン・キロックノン:2014/05/09(金) 19:23:23.38 ID:???0
  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttps://www.youtube.com/watch?v=aBHShZx16P4

  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=7wQu38B_dAc

  (小林)2曲続きました。

  Hey Bulldog これは69年、「Yellow Submarine」アルバムはね。
  
  そして 今のは Nowhere Man。
  1965年、アルバムは「Rubber Soul」
109ジョン・キロックノン:2014/05/12(月) 18:45:57.89 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げております。
  メールは [email protected]

  (世田谷区/男性)
  今から20年以上前ですが、卒業旅行でリバプールに行きました。    (小林)うわあ、うらやましいねえ。
  ロンドンから特急電車に乗って3時間ぐらいかかったんですが。
  リバプールに到着する手前で、古いレンガ造りのトンネルをくぐりました。
  その時に「ビートルズの4人もこのトンネルをくぐってロンドンに通っていたんだぁ」なんて感慨深く思いました。
  キャバーンクラブの跡地にあったビートルズグッズ専門店の店員さんがかけてくれたのが、この曲でした。
  この曲 よろしくお願いします。

  (小林)
  (男性)さんのリクエストは Drive My Car

  〜 The Beatles / Drive My Car
  ttps://www.youtube.com/watch?v=I1wmvPP_-Qs

  (小林)いやあ! Drive My Car が流れました。
110ジョン・キロックノン:2014/05/12(月) 18:47:43.85 ID:???0
  (茨城県常陸大宮市/男性)50代後半
  この番組を知って一年ほどです。
  ちょっとしたきっかけで、40年前の知り合いとメールのやり取りをしています。
  その知り合いは千葉の人で、この番組を聴いてる とのことです。
  私は40年近く前「ポプコン」の地区大会で「ゲットバック・ビートルズ」という曲で最優秀曲賞をもらったことがあります。
                               (小林)ああ、バンドやってたんだぁ。
  その時のゲストが、半年前に「時代」でグランプリを取った中島みゆきさんでした。
  ビートルズで1曲リクエストが難しいので「時代」をリクエストします。
  時代は廻ってもビートルズはナンバーワンですよね。
  かずみちゃんヤマちゃん いつか会いましょうね。 (小林)wwっていう。
  克也さん この番組ずっと続けてくださいね。

  (小林)w
  中島みゆきの この個性的な歌がいきなり入ると、「おお!ビートルズの番組で」と思うかもしれませんが。
  今日はねえ、考えてみてください。1曲目がねえ、ロシア民謡でした。ロシア風の民謡でしたねえ。
  Those were the days、ポール・マッカートニーがプロデュース。
  ちょっと共通の所がないですか? メロディに。
  そんな感じがするんですが。
  それじゃあ あなたのリクエストです。 

  〜 中島みゆき / 時代
111ジョン・キロックノン:2014/05/12(月) 18:50:34.12 ID:???0
  〜 The Rolling Stones / Paint It Black
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8CYHXVAQ5hg

  (小林)中島みゆきに続いて ローリングストーンズが流れましたが。
  雰囲気がやっぱり違いますねえ。ストーンズが独特ですねえ。

  (千葉市花見川区/女性)14歳
  私は最近ストーンズ来日で騒いでいた影響で、ストーンズを聴き始めました。
  今まではビートルズ一筋でしたが、ロックな感じが好きになり、初めて聴いた「黒く塗れ!」に感動しました。
  同じシタールを使っている曲でも、ビートルズの「ノルウェーの森」とは違う世界観で、ダークな感じがして、カッコイイと思います。
  「黒く塗れ!」「Paint It Black」お願いします。
112ジョン・キロックノン:2014/05/12(月) 18:52:50.07 ID:???0
  (小林)ていうことで。
  いやあ、中学生ぐらいですよね(女性)さんは。
  ビートルズが入り口として入って来て、ローリングストーンズを発見したっていう。
  これはすごいと思いますよ。やっぱりね。
  自分の世界を発見していますねえ。
  当時は、ビートルズの影響ってのは話してますけど。
  ローリングストーンズはビートルズと同じ時代じゃないですか。
  で、特にミック・ジャガー(Mick Jagger)とかキース・リチャーズ(Keith Richards)以外にも やり手がいたんですよ。
  若い、ミックたちより若い、オルダムというアンドリュー・オルダム(Andrew Oldham)というマネージャーがね。
  「もう、ビートルズはみんな良い子になってる」と。
  マッシュルームカットで坊っちゃん、良家の子女みたいな感じだから。
  「ストーンズは、それの反対のイメージで行け」
  もう、人の前で唾を吐いたりだとか、「不良で行け」
  「コンサートなんかは、絶対、定時にオープンしちゃダメだ。一時間ぐらいは絶対遅らせろ」
  「そうすると、みんな怒って来て、その中でストーンズとしての音楽が一番似合うんだ」
  ていうようなことを、イメージメイキングをやった人がいるんですよね。
  ええ。
  (女性)さんはロックの世界、もうビートルズの世界には戻れないかもわからないw ていうかw
  若いと、やっぱり ビートルズとかね、ローリングストーンズとか、そういった基本は聴いて欲しいけどね。
  やっぱり、若い人は 若い最新の、ポップスて意味じゃないよ。いろんな新しいのを聴かなきゃダメ。
113ジョン・キロックノン:2014/05/12(月) 18:54:23.51 ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  リクエストの方、よろしくお願いしますね。
  イシイのミートボールなどセットにして採用の方にはプレゼントしています。
  [email protected]
  こちらで 待っております。

  というわけで。
  来週は、ポールは、学業を取るのか、ロックンロールを取るのか。
  結果は 判っているでしょうw。
  だけどw、だけどw、待ちどおしいでしょうw。
  来週を お楽しみに。
114ジョン・キロックノン:2014/05/13(火) 13:50:21.23 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年5月11日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(5月11日)
 ・1970年(今から44年前の今日)
  もうビートルズも終わり。今から44年前の今日。
  アメリカで「Long And Winding Road」のシングルが発売になりました。
  これは「Let It Be」が映画として出て。
  そして、その後で「Long And Winding Road」が出て、これがアメリカで1位になる と。
  これが、やっぱりビートルズの最後の作品みたい。
  イギリスではね ちょっと事情が違うんですけど。日本もやっぱりあれですね「Long And Winding Road」が最後の作品。

  で、有名な話しは ポール・マッカートニーの、これは100%ポールの作品なんだけども、
  このドサクサの混乱を避けるために、もうみんな あの鬼才=フィル・スペクター(Phil Spector)に任せちゃった。
  で、フィル・スペクターは好き放題にアレンジ。お化粧しまくって、
  ポールは、特に「Long And Winding Road」のバージョンが気に入らない。
  だけど、僕らは やっぱりね、最初に聴いたやつが すっごい印象があるわけで。
  ポールの言い分が どうもよく判らない。
  で、未だに ちょっと判らない、気がするんですけど。
  というのは、「Long And Winding Road」の歌詞がね、やっぱり「あなたの所へ」っていう、
  「あなた」は「恋人」とも取れるし「神」とも取れるし。
  そうすると、やっぱりフィル・スペクターが やったやつの方が、なんか盛り上がって良いんじゃないかな?っていうふうに思うわけですけど。
115ジョン・キロックノン:2014/05/13(火) 13:52:55.58 ID:???0
(続き)
  ポール・マッカートニーは、あれですね「Naked」を 「Let It Be... Naked」で やり直していますからねえ。
  で、やり直したやつは、まあ・・・。
  ポールはその「Naked」でやり直した ばっかりじゃなくて。
  ソロなんかでも、「この曲は こういう風にやるんだ」みたいなバージョンを、やってて。
  それを聴くと「あ、ポールは、こういうことをやりたかったんだ」ってのが判るんですけど。
  僕らの頭の中では、もうほんとに ガッチリと決まってますよね。このバージョンがw。
  僕はそう思うんですよ。

  結局、これが20曲目のビートルズの ナンバーワンになりました。
  数えてみると エルビス・プレスリー(Elvis Presley)は ナンバーワン17曲。
  シュ・プリームズ(The Supremes)が12曲。
  ビートルズは偉い!ということで。
  それでは、そのフィル・スペクターがやって、ポールが嫌いなバージョンていうのを、改めて聴いてみたいと思います。 
  
  〜 The Beatles / The Long And Winding Road
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OY5gOO_v6l0

  (小林)The Beatles の Long And Winding Road
  ポール・マッカートニーの作品。
  改めて聴いてみて、どういう風に感じられましたかねえ?
  なんかあの、空間の広さみたいなのは このバージョンがねえ・・。
  例えば、景色なんかも 俯瞰で見てたりとか、そういう風な感じ ありますよね。
  で、おそらく、ポールの場合は室内で、シンガーソングライターがやるような感覚で。
  とても狭い中で やって。
  自分の頭の中の想像は遠くへ行く っていう。
  ぜんぜん違う空間っていう風な感じがするんだけどもね、僕はね。
  どうでしょうねw
116ジョン・キロックノン:2014/05/16(金) 22:35:33.72 ID:???0
□ストーリー
 ・「今回のオーディションが失敗に終わったのは、スチュのベースが未熟だからだよ。
  いったい何なんだい?。スチュはロックンロールのベースをなめてるんじゃないか?」

  この少し興奮し気味と思われる言葉の主は、ジェイムス・ポール・マッカートニー。
  この数年後 あのビートルズの中心的人物としてロックの頂点に立ち。
  70歳を過ぎた今でも ツアーで世界を飛び回っている あのポール・マッカートニー。
  
  この史実は全て ジョンの最初の妻=シンシア・パウエルの手記にまとめられたもの。
  かなり信憑性の高いと言われる このシンシアの著作から、今週もお届けしよう。

  ジョン・レノン率いる「クォーリメン」改め「シルヴァー・ビートルズ」は、イギリスポップシーンでは有名なマネージャー=ラリー・パーンズが主催するオーディションを受けた。
  しかし、いつもは居ないドラマーまで雇って臨んだにもかかわらず、結果は不合格。
  さすがに、これにはバンドメンバー全員が落ち込んでしまった。
  ポールは ロクに練習もしないスチュアート・サトクリフのベースのせいだ、とスチュを咎めた。
  しかし、シルヴァー・ビートルズは このオーディションの主催者であるラリー・パーンズに認められ、アイドルシンガーのサポートバンドとしてツアーに出る仕事をもらった。

  もちろん まだ十代であるメンバーは学校がある。
  しかし、ロックの仕事となると 学校がどうの とは言ってはいられない。
  ジョン、スチュ、ジョージ、の3人は取りあえず大丈夫であったが、優等生であったポールは、この数週間のうちに進級試験を受けなければならなかった。
  すでに教育大学への願書も提出していたのである。
  妻を亡くし 男手ひとつで二人の男の子を育てていた父親のジムは、もちろんツアーに出ることには反対であった。
  しかしポールの「大丈夫だよ 父さん。このツアーは それほど大変じゃない。試験前のリフレッシュにもなるから、軽い気持ちで行ってこようと思うんだ」
  という言葉に 最終的にジムも同意。
  しかし、後になって、これがポールが吐いた嘘であったことが発覚するのである。
117ジョン・キロックノン:2014/05/16(金) 22:36:43.48 ID:???0
  〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fFavRE4xU1w
 
  〜 The Beatles / Maxwell's Silver Hammer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MfnpZhJ8exQ

  (小林)Ob-La-Di, Ob-La-Da そして Maxwell's Silver Hammer

  Ob-La-Di, Ob-La-Daはお馴染みの、1968年のね、スカのリズムを使ったビートルズ。
  
  そして Maxwell's Silver Hammer、今聴いたやつは
  マル・エヴァンス(Mal Evans)が、ビートルズのスタッフのマル・エヴァンスが、シルバーハンマーですから、銀のハンマーですからw
  金槌の音で参加しておりました。
118ジョン・キロックノン:2014/05/16(金) 22:38:14.33 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「大丈夫だよ、お父さん。このツアーは それほど大変じゃない。
  試験前のリフレッシュにもなるしね。軽い気持ちで行ってこようと思うんだ」
  これは 1960年頃、リバプールのローカルバンドだったシルヴァー・ビートルズのメンバーだった、あのポール・マッカートニーの発言。
  まだ高校生だったポールは、教育大学に進学するための試験を控えていたのであるが、音楽の仕事を優先するための言い訳として、父親のジムに嘘を吐いた。
  18歳のポールは、ここで人生の岐路に立たされ、文字通り 腹をくくったのである。

  ポールがOKとなると、最後の問題はドラマー探し。
  このころシルヴァー・ビートルズには固定したドラマーは居なかったのである。
  運良く、トミー・ムーアという地元のジャズドラマーが同行してくれることになった。
  このドラマーは、他の4人よりも ずいぶん年齢は上だったが、そんな贅沢は言っていられない。
  こうしてメンバーは、主役であるシンガー=ジョニー・ジェントルが運転するギューギューのバンに乗り込んで、スコットランドに向けて出発した。
  
  ツアー中の2週間、ジョンの恋人であるシンシアは、彼に会いたくておかしくなりそうだった。
  それでも、ジョンはハガキを送ってくれたし、シンシアには勉強の遅れを取り戻す良いチャンスでもあった。
  もともと超真面目少女だったシンシアであるが、ジョンとの付き合いから、完全にバッドボーイのペースに巻き込まれていたのである。
  彼女が受ける進級試験まで日が無く、どうしても合格したい と思っていた。
  
  ツアーから戻って来た ジョン率いるシルヴァー・ビートルズのメンバーは、すっかり疲れ果てて、着ている物も汚れ。
  「バンを見るのも嫌だ」と言ってはいたものの、大成功を収めて、かなり興奮していた。
  スコットランドでも、かなり北の街のダンスホールや ナイトクラブでステージに立ち、熱烈な歓迎を受けた。
  サインをせがまれたのも、今回が初めて。
  自分たちがスターになったような気がして最高に気分が良い、プロデビューの仕事であった。
119ジョン・キロックノン:2014/05/16(金) 22:39:35.93 ID:???0
  〜 The Beatles / Birthday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=GmZ2ICOZ8mo

  〜 The Beatles / Get Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iNTNzszYdCw

  (小林)いかがですか? 1969年の イギリスやアメリカ 大ヒットナンバーワン。
  日本でも大ヒットしました。
  シングル、モノバージョンで聴いていただきました。 Get Back
  ビートルズ、名前は、フィーチャリング(featuring)、最近流行のフィーチャリング、ビリー・プレストン(Billy Preston)ですよね。
  
  そしてその前は、あの「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っていました。
  バックにオノ・ヨーコのヨーコ声も聴こえる、お馴染みの ビートルズの Birthday
120ジョン・キロックノン:2014/05/16(金) 22:42:28.23 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「スコットランドツアーから戻ってきた ジョンとシルヴァー・ビートルズのメンバーは、すっかり疲れ果てて、着ている物も汚れてはいましたが、
  このツアーで大成功を収め、かなり興奮していましたねえ。
  スコットランドでも、かなり北の田舎町のダンスホールやナイトクラブでステージに立ち、熱烈な歓迎を受けたとか。
  サインをせがまれたのも 今回が初めてで、自分たちがスターになったような気がして、最高に気分が良いプロデビューだったそうです」

  これは、ジョン・レノンの最初の妻となる シンシア・パウエルの証言。
  こうした史実は 全て彼女がジョンから直接聞いたもの。
  もしくは 彼女の目の前で起ったこと ばかりである。
  この実に信憑性の高いシンシアの手記から もう少し続けてみることにしよう。

  シンシアは、こう続けて話してくれた。
  「ジョンと私は二人きりになるのが待ちきれず、ジョンのルームメイトであるスチュには 数時間出かけてもらうようにお願いしたんです。
  二人きりで愛を交わし始めたその時、私はお腹に鋭い痛みを感じて悲鳴をあげました。
  全てがそこで急停止したんです」
  取りあえず二人は服を着けて、ジョンがシンシアを駅まで送った。
  シンシアは這うようにして電車に乗り込み、自宅に着くと玄関を開けるやいなや、彼女の母親が救急車を呼んだ。
  その時のシンシアの顔は痛みで歪み、血の気というものが全く無かったのである。
  シンシアの病名、それは虫垂炎。盲腸である。2週間の入院となった。

  手術から2日後には ジョンが見舞いに訪れた。
  弟分のジョージも一緒である。
  シンシアは回想する。
  「私はジョンに会いたくて たまらなかったのに、横にジョージがいるのを見て、ガッカリして、思わず泣いてしまったんです。
  するとジョンがそれを察してくれて、ジョージに『あっちへ行け』と命令してくれました。
  その後一時間、ジョンは私の手を握り続けて、気持ちを和らげてくれました。
  幸せな ひと時でしたねえ」
121ジョン・キロックノン:2014/05/16(金) 22:45:26.11 ID:???0
  〜 John Lennon / Oh My Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=p5Kh-IMKDqM

  〜 The Beatles / Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HC4Tb727aGA

  (小林)Girl 久しぶりに聴きましたね。
  これは1965年のね 「ラバーソウル(Rubber Soul)」の中に入っていて。
  もうビートルズ けっこう これ遊んでいますよね。
  別名「ティットソング」って呼ばれて。
  「ティット」ていうのは「Tit」で、「オッパイ」のことですねww。
  「Tit Tit Tit Tit」ていうコーラスが「オッパイ オッパイ オッパイ オッパイ」って言ってるよ。
  ていう風に 英語耳では聴こえるわけですね。
  
  で、その前は「イマジン(Imagine)」のソロアルバムに入ってて。
  これは フィル・スペクター(Phil Spector)。
  このころは ジョンと友達関係ですね、プロデューサー、フィル・スペクターとかね。
  Oh My Love という曲。

  2曲。
122ホワイトアルバムさん:2014/05/17(土) 13:03:09.86 ID:???0
Girlでおっぱいの話は、もう聞き飽きました
おじいちゃん
123ジョン・キロックノン:2014/05/20(火) 17:30:30.70 ID:Hap6g5QV0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (住所不明/男性)
  俺は44歳の身体障碍者です。さっそくリクエストお願いします。
  これはビートルズじゃなくて申し訳ないんですが、エルビス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」をリクエストします。
  あのころの衝撃は今も忘れられません。
  おじさんのかけてくれたレコードに夢中になって聴いたものです。
  あの頃は まだ俺は5歳で、「大きくなったらエルビスみたいにな歌手になってやる」という夢がありました。
  当時はまだ歩けなくて、訓練の時間になると逃げ出したかったけど、プレスリーみたいに立って歌いたいという野望がありました。
  今は歩けるんですが、とにかくエルビスの「ハートブレイク・ホテル」をかけてください。お願いします。
  
  (小林)
  (あなた)は、実はこれはね、生まれる前のヒット曲です。
  でもジョンやポールが、そうですね、 高校1年とか中学生3年、それくらいの、14〜5歳の時にこれを聴いて、(あなた)と同じような衝撃を受けるわけですね。
  そういう意味で、今日の一曲目、エルビスです。
  
  〜 Elvis Presley / Heartbreak Hotel
  ttps://www.youtube.com/watch?v=PotB76gi2_4&feature=kp
124ジョン・キロックノン:2014/05/20(火) 17:31:55.73 ID:???0
  〜 John Lennon / Nobody Told Me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gBCdlBrgEmE

  (小林)ジョン・レノンの Nobody Told Me がかかっていますが。
  
  (東京都板橋区/男性)
  日曜日、上野に行ってきました。レノンが使用したメガネを売っている白山眼鏡店。
  ショーウィンドウにレノンモデルが飾られていました。
  また、噂でレノンがヨーコ夫人とショーンを連れてきたという 黒船亭に行きました。
  ウェイターに訊いたところ、黒船亭の前身のステーキ店の時に 確かに食事したそうです。
  早めに帰宅して18時から「ビートルズから始まる」を聴き、充実した日曜日でした。(小林)wていうことで。w
  リクエストはジョン・レノン。

  (小林)wもうジョン・レノンに慕っちゃいましたね。
125ジョン・キロックノン:2014/05/20(火) 17:34:15.13 ID:???0
  (市原市/男性)
  克也さんこんばんは。
  曲はクイーンの「ライフ・イズ・リアル」です。
  この曲は「ジョン・レノンに捧げる歌」となっています。
  5月を目前にして ブライアン・メイ・・・ (小林)もう5月に入っていますが、5月の前にいただきました。
                               ブライアン・メイ、5月ですからね。
  思い出してしまったので、この曲を選びました(笑い)。
  
  (小林)波乗りオヤジって書いてありますが。
  あなたのリクエストで クイーンです。
  
  〜 Queen / Life Is Real
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4AY9N04K5m4

  (小林)ジョンに捧げた ね、クイーンの・・・
  リクエスト ありがとうございましたね。
126ジョン・キロックノン:2014/05/20(火) 17:37:43.77 ID:???0
  (長野県/男性)
  日曜6時は「ちびまるこちゃん」を見ずに、この番組を聴いています。こんばんは克也さん。
  ハガキの値段が上がって、ますますメールで送れるものはメールで送っています。
  こないだ、ついに2円切手を買ってしまいました。
  52円ハガキを 昔のように5円分広告を入れれば47円でも買う人はいるはずなのに。
  なんとか工夫しないものかと、地団駄を踏んでいます。
  カレンの歌声が聴きたいので この曲をリクエストします。
  克也さん、知ってたら教えてほしいんですが「プリーズ・ミスター・ポストマン」のオリジナルは誰ですか?
                       (小林)オリジナルはマーバレッツ(The Marvelettes)ていうね、黒人女性グループですよね。
                            あと ビートルズも もちろん奏っていますけども。
  今日も夜の献立を考えながら聴きます。
  またメール送ります。

  (小林)ていう。 
  どうもリクエストありがとうございます。
  じゃ、カーペンターズのバージョンで。

  〜 The carpenters / Please, Mr Postman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fQrIKOhIclo
127ジョン・キロックノン:2014/05/20(火) 17:40:18.04 ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  リクエスト、今日も面白かった ですね。
  ほら、あの、滅多にかからないような、ジョンはやっぱり世界の事を心配してるんだっていう「Nobody Told Me」という曲とか。
  ジョン・レノンに捧げた クイーンの曲とか、どうもありがとうございました。
  みなさん、これに懲りず、ひとつリクエストよろしくお願いします。
  イシイのイシイのミートボールなどセットにして採用の方にはお送りしています。
  [email protected]
  で、待っております。
  
  お話しの方は、ジョン・レノンとシンシアがラブラブ、w。
  ジョンたちのバンド=ビートルズが売れる寸前。
  どうなって行くのか、お楽しみに。

  お相手は小林克也でした。
128ジョン・キロックノン:2014/05/21(水) 13:48:33.74 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年5月18日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(5月18日)
 ・1966年(今から48年前の今日)
  1966年つとあれですよ、もうすぐビートルズは「日本へ行かなきゃ」みたいにw 思ってるかもわかんないw。
  今から48年前の今日。例の第2スタジオでは、この日一日 一曲攻め。
  その曲というのは、ポール・マッカートニーが作った「Got To Get You Into My Life」
  これの、テイク8っていうのがOKなんで、それにオーバーダブ、ていう。
  やっぱり、楽器を被せて行くわけですよね。
  そしてこの日、ビートルズは 初めてホーンセクションを使います。
  この曲はねえ、なんか ちょっと評価されていないのかな?どうなのかな?
  めちゃくちゃ良い曲だと思うんですけども。
  だから、この曲が好きな人 結構いるんですよね。
  アースウィンド&ファイア(Earth, Wind & Fire)のカバーバージョンなんかとても有名ですよ。
  やぱりアースウィンド&ファイアなんかも 好きだったんだろうね、この曲ねえ。
  で、1965年のアルバム「HELP!」に収録の「Yesterday」で初めてストリングスを使ったんですけど。
  やっぱり、モータウンに影響を受けているポールは・・・
  ベースとか大好きですよ、モータウンのね。
  ソウルミュージックには必ず出て来る、ホーンセクションが使ってみたくてしょうがない、と思っていました。
  その後「Good Morning Good Morning」とか「Lady Madonna」とか「Penny Lane」
  ポールのセンスで管楽器は使われていますけど。
  この「Got To Get You Into My Life」のホーンセクション、やっぱりね ポール・マッカートニーのセンスを物語っています。
  やっぱり いろいろ音楽を聴いていて、やりたいことが「ああ、こういうことだったのか、ポールは」ていうのが判ります。
  そういうところが、やっぱりジョン・レノンと違って ポールの違う才能ってのをね、発見することができるんですけども。
129ジョン・キロックノン:2014/05/21(水) 13:50:35.18 ID:???0
(続き)
  ミキサーのジェフ・エメリック(Geoff Emerick)の録音も ですね、その当時のブラスロックサウンドそのもの っていう。
  昔のエンジニアは ですね、分かりやすく言うと、マイクロフォンにあんまり・・・
  例えばラッパだとか そういったの 近付けなかったんですけども。
  ジェフ・エメリックは、もう、スタジオのみんなが心配するくらいマイクにホーンセクションを近付けて録音した、というエピソードも残っています。
  
  さあ、ビートルズの、ポール・マッカートニーの、Got To Get You Into My Life
  
  〜 The Beatles / Got To Get You Into My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mqwxn8DzER8

  (小林)というわけで。いかがでしたか?。
  ねえ、ギターバンドのイメージが強いビートルズが。
  ねえ、ポール・マッカートニーを中心に こんなことをやってたわけですねえ。
  Got To Get You Into My Life
  気に入った方。
  初めて聴く若い人たちは どうでしょうかねえ。
  60年代の終わり、もうビートルズが解散する頃ですけども。 
  ブラスロックの時代がね、短い、数年ぐらい あるんですよ。
  「シカゴ(Chicago)」だとか「ブラッド・スウェット&ティアーズ(Blood, Sweat & Tears)」だとか、
  それの前にポール・マッカートニーは こんなことをやっていますからねえ。
130ジョン・キロックノン:2014/05/23(金) 01:09:04.45 ID:???0
□ストーリー
 ・「スコットランドツアー中、会う事の出来なかったジョンと私は二人きりになるのが待ちきれず、二人きりで愛を交わし始めました。
  しかしその時、私はお腹に鋭い痛みを感じて悲鳴を上げました。
  全てがそこで急停止したんです。
  救急車で担ぎ込まれた私の病名、それは虫垂炎、盲腸でした。
  手術から2日後にはジョンが見舞いに来てくれました。
  でもなぜか弟分のジョージも一緒。
  私はジョンと会いたくてたまらなかったのに、横にジョージがいるのを見てガッカリして、思わず泣いてしまったんです。
  すると、ジョンがそれを察してくれて ジョージに『あっちへ行け』と命令しました。
  そのあと一時間ジョンは私の手を握り続けて気持ちを和らげてくれました。
  幸せなひと時でしたねえ」
  
  こう話してくれたのは、ジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
  ジョンに関することは全て 彼本人から聞いたこと、という貴重で信憑性の高いシンシアの手記から 今週もスタートしよう。

  虫垂炎で入院していたシンシアではあったが、なんとか試験に間に合うように回復し、その試験には合格。
  めでたく進級することができた。
  ところが、ジョンはシンシアの懸命のサポートの甲斐もなく、なんと不合格。
  進級はできない結果となった。

  シンシアは証言する。
  「私はジョンに代わって何時間もレタリングの課題をしたのに、それでもジョンを救うことは出来ませんでした。
  本当に悔しかったですねえ」

  そしてその年、ジョンは何ひとつ勉強していなかった事が災いし、最終学年に上がる前に退学処分になってしまった。
  ところが、ジョンは少しも気にする気配はなかった。
  例のスコットランドツアーの後、シルヴァー・ビートルズは地元のナイトクラブなどで定期的に、少なくとも週に2回はステージに立つようになった。
  リーダーであるジョンは、「音楽こそが、ロックンロールこそが、自分の未来である」と 強い確信を持っていた。
  もう、後には引けないジョン・レノン。
  この時19歳であった。
131ジョン・キロックノン:2014/05/23(金) 01:10:00.33 ID:???0
  〜 The Beatles / Rock and Roll Music
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rBrH9EWZ-Bc

  〜 The Beatles / Roll Over Beethoven
  ttps://www.youtube.com/watch?v=e4-16zxVMw0

  (小林)ビートルズのカバー。
  いずれも チャックベリー(Chuck Berry)、ビートルズの先輩の、大先輩の作った曲のカバーです。

  Rock and Roll Music
  これは1964年、ジョンがボーカルを取っていましたね。「Beatles For Sale」
  
  それから、63年の(Roll Over Beethoven)。
  これはジョン・レノンの持ち歌なんだけども、ジョン・レノンはジョージに歌わせていました。
  昔は あれだよね、「もしジョン・レノンが歌ってたらなあ」なんて想像したことがありましたけれども。
  ジョージのボーカルはどうでしたでしょうか?
132ジョン・キロックノン:2014/05/23(金) 01:13:27.72 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「私がジョンに代わって何時間もレタリングの課題をしたのに、それでもジョンを救うことは出来ませんでした。
  本当に悔しかったですねえ」
  こう話してくれたのは、ジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
  ジョンに関することは全て 彼本人から聞いたこと、という貴重で信憑性の高いシンシアの手記から、まだこの物語は続く。

  そしてその年、1960年、ジョンは何一つ勉強していなかったことが災いし、最終学年に上がる前に 退学処分になってしまった。
  ところが、ジョンは少しも気にする気配はなかった。
  シルヴァー・ビートルズのリーダーであるジョンは「音楽こそが、ロックンロールこそが、自分の未来である」と、強い確信を持っていた。
  スコットランドツアーのような ビッグチャンスが再び巡って来ないものか、ジョンだけではなくポールもジョージも 思い焦がれていた。
  そうしたチャンスを待っている間、彼らはバンド名から「シルヴァー」を取って「ザ・ビートルズ」と名乗るようになった。
  そして、次のチャンスがやって来るまで、そう時間はかからなかった。
  
  1960年8月、リバプールのプロモーターであるアラン・ウィリアムズが、ドイツのハンブルグのナイトクラブで演奏する6週間のまとまった仕事を持ってきたのである。
  ウィリアムズはすでに 定期的にハンブルグにバンドを送り込んでいた。
  現地にも何度か足を運んでいたウィリアムズは、ハンブルグのカイザー・ケラーというナイトクラブの経営者=ブルーム・コシュミダーという男と知り合いになった。
  ブルーノは「試しにリバプールのビートグループ=テリー&スニアーズを寄こしてもいい」と返事をした。
  このバンドが数週間のステージを成功させると、ブルーノはさらに もう一組のバンドを紹介するようにウィリアムズに求めてきた。
  そこでウィリアムズが提案したのが「ザ・ビートルズ」
  「ビートルズをハンブルグに送りたい」そう返事を出したのである。
133ジョン・キロックノン:2014/05/23(金) 01:14:21.92 ID:???0
  〜 The Beatles / Ain't She Sweet
  ttps://www.youtube.com/watch?v=e1FSRMfNtLU

  〜 The Beatles / Kansas City Hey, Hey, Hey, Hey
  ttps://www.youtube.com/watch?v=hQiGv3G6wow

  (小林)ということで 初期の頃のね。

  それも Ain't She Sweet は、これはアメリカのスタンダードナンバーですが。
  ドイツの有名なプロデューサーでミュージシャンで指揮者であるベルト・ケンプフェルト(Bert Kaempfert)という人がプロデュースして。
  ビートルズを使って、レコードを作って。
  これがあれですよね、リバプールの店で「ないか?」っていうファンが 探しに来るやつですよね。
  その中に入っていた Ain't She Sweet という ビートルズの演奏。

  それから、これは64年の「Beatles For Sale」の中の、ポール・マッカートニーが頑張っていた Kansas City Hey, Hey, Hey, Hey
134ジョン・キロックノン:2014/05/23(金) 01:17:09.87 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「そうかあ。バンドの名前 変わったんだ。
  そうだなあ、シルヴァー・ビートルズよりビートルズの方がシンプルで良い。
  なかなかユニークな名前だし、私は好きだなあ。
  ところでなあ、ジョン、ポール。君たちハンブルグのナイトクラブに出てみないか?6週間の仕事だ。
  いやなに そんな心配はいらないよ。
  ギャラだって 高くはないけど、そこそこは出る。
  どうだ? いいチャンスだと思うよ。」
  
  この言葉の主は、ビートルズのホームタウン=リバプールのプロモーター=アラン・ウィリアムズ。
  この男は、ここの所 急激に数が増えたビートバンド、つまりロックンロールやリズム&ブルースを演奏するギターバンドに注目し、
  そういったムーブメントに乗っかろうと 頭角を現していた。
  
  こういった史実は 全てジョンの最初の妻シンシアの手記にまとめたもの。
  かなり信憑性の高いと言われるシンシアの手記から、もう少し続けてみることにしよう。

  ウィリアムズの提案に、ジョンもポールも 少し不安ではありながらも、かなり乗り気であった。
  すぐにでも返事をしたい。
  しかし、問題は この時点でも、ビートルズには決まったドラマーがいなかったこと。
  一応ハンブルグでの仕事は受けることにした。
  時間はもう2週間足らずに迫っていたが、寸前のところで 誰かが「ピート・ベスト」の名前を挙げた。
  ピートの居たブラック・ジャックスは、メンバーの内二人が辞めたことで分裂状態にあった。
  結果、ピートには素晴らしいドラムセットはあったが 肝心のバンドが無かった。
  彼も ポールと同じくらい学業優秀で、大学に進学できるくらいの成績を収めていて。
  グラマースクールを卒業していながら 進学はしなかった。
  ピートもまた ショービジネスの世界に興味を持ち、その道に進もうと決めていたのである。
  
  そんなピートの噂を聞きつけ、ポールは電話をした。
  「やあ、ポールだけど。ビートルズのポールだ。知ってるよね?
  単刀直入に言うけど、ビートルズでドラム叩いてくれないかな?
  もちろん 正式メンバーでだ。
  すごく急いでる。 この週末から どうかな?」
135ジョン・キロックノン:2014/05/26(月) 18:53:56.08 ID:???0
  〜 The Beatles / Love Me Do(Anthology 1)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=i1mgIZrlLSE

  〜 The Beatles / For You Blue
  ttps://www.youtube.com/watch?v=S4jhhY0yuKw

  (小林)いやあ、やっぱり これはジョージ・ハリスンの世界ですね。 For You Blue
  「The Long And Winding Road」のB面の曲。
  もちろん、「Let It Be」に入っています。
  スティールギターは、ジョン・レノンが弾いておりました。
  
  そして その前はですね。 
  ちょっと ぎこちなく聴こえましたね。
  これは、EMIのオーディションセッションから。
  「アンソロジー(Anthology)1」に入ってるやつですけども。
  Love Me Do
136ジョン・キロックノン:2014/05/26(月) 18:55:31.76 ID:???0
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。
  メールアドレスは [email protected]

  (福岡県小郡市/男性)
  シンシアの手記はなかなか良いですね。
  3月に試験を受けてきました。危険物取扱者試験乙種4類という試験です。
  結果は合格でした。
  一年間勉強していたので とても嬉しかったです。
  考えてみると、合格できたのは家族の協力があったからだと思います。
  ありがとう。
                    (小林)あ、これは僕らにじゃなくてw そっちにありがとうって言ってますね。
                       というのは、ほら、
                       嫁さんが大好きな曲を、(あなた)さんはリクエストしようとしています。
  嫁が大好きな、渡辺みさと「世界で一番遠い場所」

  〜 渡辺美里 / 世界で一番遠い場所
  ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm17123210
137ジョン・キロックノン:2014/05/26(月) 18:57:45.37 ID:???0
  〜 Paul McCartney / Silly Love Songs
  ttps://www.youtube.com/watch?v=JIF4v43rJXw

  (小林)
  「心のラブソング」「Silly Love Songs」 が流れました。
  今日は 1966年代「ポールがブラスセクションやりたくてしょうがなかった」っていうことで、もう、自由にやっていましたね。
 
  これは、ゴールデンウィーク前に いただいたんですが。
  ゴールデンウィークは ご主人が毎年田植え。

  (茨城県稲敷市/女性)
  残された私は 好きなように過ごしています。
  ラジオは 私の生活の一部で、
  ラジオから流れる音楽やトークにも癒され、励まされています。

  (小林)
  ということで、どうでしたか? 
  たっぷりと Silly Love Songs を お楽しみいただきました。
138ジョン・キロックノン:2014/05/26(月) 18:59:43.93 ID:???0
  (市原市/男性)匿名希望
  毎週「ビートルズから始まる」を録音しています。
  高校3年の卒業式の時 流れた、The Long And Winding Road
  懐かしくって。
  今から32年前の曲をリクエストします。

  (小林)ていうことで。
  これは、Long And Winding Road は先週のオープニングでおかけいたしました。
  やっぱり、あの、これは何ていうんですかね。
  あの時かけたのは、フィル・スペクター(Phil Spector)というプロデューサーが、もう混乱していたビートルズを救った、というか。
  彼のアレンジで Long And Winding Road は重厚なものになったんだけども、ポール・マッカートニーは嫌いだった。
  ていう風なこともお話ししました。
  そこで、今日はですね, Long And Winding Road を、ポール・マッカートニーが自分でやった、「Naked」のバージョンがあります。
  これは、先週かけたやつほど お馴染みじゃないかもしれませんが。
  頭の中で、あれ鳴ってますかねえ? Long And Winding Road 
  本来の Long And Winding Road
  こっちは ポール・マッカートニーがやった Long And Winding Road をおかけしますので。
  こっちを 一つ、聴いていただきたいと思います。
  いいですね?
  ネイキッドの Long And Winding Road
 
  〜 The Beatles / The Long And Winding Road(Naked)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=FPKa3CHA2I8

  (小林)どうですかぁ?。
  Long And Winding Road 違ってたでしょう?
  やっぱり、本家の方はね 大げさなコーラスだとかストリングスを使ってるけど
  それを「みんな取っ払っちゃった」ていう意味で「Naked」ていう風な名乗り方をしたわけですけども。
  こっちはあれですね ポールのボーカルが もうど真ん中でハッキリ聴こえる。
  だから、語尾の細かな震えまでも聴こえるような。
  だから、どちらかというと、フィル・スペクターの本家本元の方は、景色だとか、そういったものを楽しませてくれるんだ。
  こっちはあれですね、教会でポールたちが奏っているような、感じでしたねw。
139ジョン・キロックノン:2014/05/26(月) 19:01:14.93 ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  シンシアの手記による ビートルズのお話し。
  ジョンとの恋物語。
  いよいよ ハンブルグへ行きそうですよ。ハンブルグへ。
  実は、ハンブルグへ行くことによって ビートルズは・・・
  そうですね、一つも二つも 大きなグループになるんです。
  もう、ハンブルグへ行ったら 大変な苦労するんですよ。ねえ。
  まだ 曲目なんか 沢山無いのに、一日5時間以上奏ったりするんだよ。
  そういうビートルズの話しも、お送りすることができると思いますので、待っていてください。
  
  それから リクエストの方もよろしくお願いいたします。
  リクエストはもう、皆さんの そのままの感じでいいですから。
  何が聴きたいとか、どういう事があったとか、どういう体験をした人間だとか。
  まあ、好きなこと書いて、お待ちしています。
  読むの楽しみにしておりますのでね。ハイ。
  そして採用の方にはもれなくイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  これはほんとにありがたいですよw。弁当に使ってもいいしwそのまま食べて酒のつまみにしてもいいしw。
  小林克也でした。
140ジョン・キロックノン:2014/05/28(水) 12:50:51.19 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年5月25日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(5月25日)
 ・1963年(今から51年前の今日)
  時期的に言うとね、ビートルズはイギリスで すごい事になり始めています。
  2枚目のシングル「Please Please Me」に続いて「From Me to You」これもイギリスで1位になって。
  もう これはすごい事になってるわけです。超右肩上がり。
  とにかく「この勢いをキープしないといけない」ていうことで、「電波の露出をどんどんやろう」ということでね。
  結果、ビートルズはデビュー8ヶ月にして、BBCでラジオのレギュラー番組を持って。
  このタイトルが「Pop Go The Beatles」というタイトル。
  最初は4回だけの予定がですね、あまりのすごさに、最終的には15回までやったっていうから。
  BBCは当時はね、レコードをかけ過ぎると、レコードをかけるじゃないですか?
  そうすると売り上げを邪魔することになる、と思って、基本的に生演奏の番組が主流だったんですよね。昔はね。
  で、今日はですね、その51年前の今日 録音されたものじゃなくて。
  51年前の今日、BBCの第2スタジオ、エアリアンホール、ここで その番組のための録音をやってるんですよね。
  「From Me to You」「Everybody's Trying to Be My Baby」「Do You Want To Know A Secret?」「You've Really Got a Hold on Me」「Misery」とか
  「Hippy Hippy Shake」とか、奏ってるんですけど。
141ジョン・キロックノン:2014/05/28(水) 12:52:31.65 ID:???0
(続き)
  今日、51年前の今日 録った音源が無いので、これに一番近い音源じゃないかと思われる、去年発売になった「On Air Live at The Beatles.Vol2」
  この中から。
  でも、これは 僕は、アメリカの放送を聴いてて知ったんですけど、BBCには この頃のやつは ほとんど残ってないんだって。w
  で、その去年発売されたCDのプロデューサーがね、丁寧に 自分の番組のディレクターの元に行って「こういうの やりたいんだ」って
  で、「ディレクター、あなたは持ってませんか?」で、「テープで あるよ」て言うの。
  そのディレクターが持ってたテープ。
  それから、リスナー達、それも自分が知ってるリスナー達が、オンエアーから録音したやつ。
  それが入ってるらしいよ。この「 Live At The BBC」ていうのは。
  ですけども、まあ、その時の雰囲気ってのは 伝わると思います。
  51年前の 今ごろ、ビートルズがスタジオでやった音は こういう音だったわけですね。
  ビートルズの持ち歌ではありませんでした。 
   
  〜 The Beatles / The Hippy Hippy Shake
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_W2v5V_7wkg

  (小林)ザ・ビートルズ  The Hippy Hippy Shake
  ポール・マッカートニーがリードボーカルを取っていましたけども。
  このCDをやったプロデューサーの話しによると、この頃ビートルズを担当したディレクターが、レーティングを付けてるんだって。
  で、ボーカルは、ジョン・レノンはOK。それで、ポール・マッカートニーはOKじゃない、ちょっと ? マークが付いていた っていう話し。
  これでも 付いていたんだよ。
  だから、その頃 ジョン・レノンの響きっていうのはすごかった、てことなんですかねえw。
  個人的なものだったのかねえ。面白いですね。
  ポールだって「これは?」って疑問符が ちょっとあったらしいです。
142ジョン・キロックノン:2014/05/30(金) 13:34:22.29 ID:18YXBlEX0
□ストーリー
 ・「やあ!、ポールだけど。
  ビートルズのポールだ。知ってるよね?
  単刀直入に言うけど、ビートルズでドラムを叩いてくれないかな?
  もちろん 正式メンバーだ。
  すごく急いでるんだよ。
  もし可能なら、明日からでも どうかな?」

  この ポールと名乗っている言葉の主は、ジェイムス・ポール・マッカートニー。
  70歳を越えた現在でも、全世界をツアーで飛び回っている あのポール・マッカートニーである。
  この数年後には、ビートルズの音楽的リーダーとして、ロックの世界で トップのトップの そのまた一番天辺のさらに先っぽにまで登りつめる人物。
  そのポールが、「ドラマーとしてビートルズに加入しないか」と誘っている相手の名は、ピート・ベスト。
  1960年の8月の時点で、ビートルズには決まったドラマーはいなかった。
  そんな彼らに 夢のような話しが舞い込んできた。
  外国での演奏の仕事。

  「君らのバンド=ビートルズなんだけど、ハンブルグのナイトクラブに出てみないか?
  6週間の仕事だ。
  いやなに、そんな心配はいらない。
  ギャラだって そう高くはないけど、そこそこは出る。
  どうだ? いいチャンスだと思うよ。」
  
  こう誘ってきたのは 地元リバプールのプロモーター=アラン・ウィリアムズ。
  この男は ここのところ急激に数が増えたビートバンド、つまりロックンロールやリズム&ブルースを演奏するギターバンドに注目し、
  そういったブームに乗っかろうと頭角を現してきた。
  ドラマーの問題は、ピート・ベストが飛びついてきたことで難なく解決。
  こうして1960年8月16日、ピート、スチュ、ジョン、ポール、そして最年少であるジョージの5人は、リバプールからドイツのハンブルグを目指して旅立って行った。
  
  こうしてお送りしているビートルズの物語は、ジョン・レノンの最初の妻となる女性シンシア・パウエルが 直接ジョンから聞いた話しをまとめたもの。
  ビートルズに関する文献の中でも、トップクラスに信憑性の高いシンシアの手記から、このあともたっぷりお届けすることにしよう。
143ジョン・キロックノン:2014/05/30(金) 13:35:13.74 ID:???0
  〜 The Beatles / Free as a Bird
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZYfiRvL-zUU
 
  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MG-ia0NV8Ts

  (小林)いかがですか、2曲続きましたね。
  まあ、ある意味有名な曲です。

  Free as a Bird は、ジョン・レノンが作っていた カセットに残っていた。
  オノ・ヨーコが見つけたテープを基に ビートルズの3人が作り上げたもの。
  「アンソロジー1」に入っている Free as a Bird

  そして Norwegian Wood。
  ジョージ・ハリスンが初めてシタールを演奏した有名な曲です。
  ノルウェーの森。
144ジョン・キロックノン:2014/05/30(金) 13:35:49.99 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ビートルズは 本格的なロックンロールとリズム&ブルースを演奏するバンドを目指していました。
  でも、ハンブルグに行く前のビートルズには、正式なドラマーがいなかったんです。
  そんな中、ピート・ベストにポールが直接電話をして、彼に“一緒にハンブルグに行かないか?”って誘ったんです。
  思い立ったらすぐに行動に移す、これこそが まさにポール・マッカートニーですね」

  こう話してくれたのは、ジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
  ジョンに関することは全て 彼本人から聞いたこと、という極めて信憑性の高いシンシアの手記から、この物語は続く。
  
  ビートルズに新加入したドラマー=ピート・ベストは人柄が良く、とても物静かで、どこか陰りのあるルックスで、官能的でさえあり、いつも女の子に取り囲まれていた。
  ビートルズの他のメンバーがリハーサル中、ずっと遠慮も加減もなく お互いをからかいあったり、皮肉っぽい冗談を飛ばしている間でも、
  ピートはほとんど物を言わず、一人自分だけの世界にいるかのようだった。
  感情を表わすこともめったにない。
  ハンブルグに行くことも、他のメンバーと同じくらい嬉しいはずなのに。
  到着後 他の四人が「よう!。ドイツ人ども!。はるばる、はるばる、やって来てやったぜ〜!」などと叫びながら、飛び跳ねるようにはしゃいでいる横で 
  ピートは肩をすくめ、ニッコリするだけで、あとは黙々と自分のドラムのセッティングをしていた。

  ハンブルグへの巡業について、メンバーのほとんどの親は応援していた。
  ジョージの両親は、とても素敵な夫婦で、まだ若い息子に対して、自分の夢に向かって進んで欲しいと願っていた。
  母のルイーズは、ハンブルグでは くれぐれも体に気を付けるように 念を押し。
  同行するマネージャーのアラン・ウィリアムズには「キチンと息子の面倒を見るように」とお願いした。
  こうしてジョージの母親は、息子に綺麗に洗濯した服を着せ、お手製のスコーンを一缶持たせて送り出した。
  無理もない。この時のジョージは まだ17歳だったのである。
145ジョン・キロックノン:2014/05/30(金) 13:37:11.41 ID:???0
  〜 The Beatles / Do You Want To Know A Secret?
  ttps://www.youtube.com/watch?v=BVQU6xH96k8

  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=7wQu38B_dAc

  (小林)1965年「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバムに入っています。
  いかにも、この頃の ジョン・レノンのメッセージ っていう感じです。Nowhere Man
  「ラバーソウル」あたりからね、ジョン・レノンはそういう風なものを込めるようになりましたね。

  そして、その前は、1963年「プリーズプリーズミー(Please Please Me)」から Do You Want To Know A Secret?
  ジョージ・ハリスンがリードボーカルを取っていました。
146ジョン・キロックノン:2014/05/30(金) 13:38:18.93 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョージ、仕事はきちんとしなきゃいけないけど、無理はダメよ。
  シャワーはきちんと毎日浴びて、食べ物にも気を付けて。
  まだ17歳よ。お酒はダメ。
  それじゃあ、ウィリアムズさん、息子たちをよろしくお願いします」
 
  この言葉の主は、ビートルズのギタリスト=ジョージ・ハリスンの母親ルイーズ。
  息子たちのバンド=ビートルズをドイツのハンブルグに送り出す 別れの瞬間である。
  ルイーズに「ウィリアムズさん」と呼ばれているのは、リバプールのプロモーター=アラン・ウィリアムズ。
  この人物は、ここのところ急激に数が増えたビートバンド、つまりロックンロールやリズム&ブルースを演奏するギターバンドに注目し。
  そういったムーブメントに乗っかろうと 頭角を現していた。
  もちろん、詳細にまで及ぶ史実は、ジョンの最初の妻シンシアの手記にまとめられたもの。
  シンシアの自分の眼で見たり、ジョンから直接聞いたことがらをまとめた彼女の手記から もう少し続けてみることにしよう。

  17歳のジョージは まだ子ども扱いされていたのに対し、一つ年上のポールは ずっとしっかりしていた。
  しかし、ポールの父親ジムは、初めは息子の活躍を 不本意ながらという感じで受け留めていた。
  依然としてジムは、ポールには教育大学に進学して欲しいと願っていたのである。
  しかし、ポールの気持ちは ほぼ100%ビートルズとしてロックの世界で成功することに移行していたし、
  ジムも 息子の成功を祈る暖かい気持ちで、ポールをハンブルグに送り出した。
  ピートの母親は、ずっと以前からショービジネスの世界に入りたいという息子の気持ちを激励していたので、
  今回の巡業を 自分の事のように喜んでいた。
  最年長のスチュは、以前から 親からは独立していたので問題は無し。

  残る ジョン・レノン。
  彼の育ての親であるミミ伯母さんだけは、ビートルズのハンブルグ行きに 全面的に反対していたのである。
147ジョン・キロックノン:2014/06/01(日) 00:48:19.73 ID:???0
  〜 The Beatles / I Am The Walrus
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_1-H7BIg80E

  〜 The Beatles / You've Got To Hide Your Love Away
  ttps://www.youtube.com/watch?v=52idzj0pxbY

  (小林)1967年「マジカルミステリーツアー(Magical Mystery Tour)」に入っていました、I Am The Walrus、ジョン・レノン。
  やっぱり、マジカルミステリーツアーっていうのは、ご存知の通り ポールがものすごく積極的だったけど、ジョンは「ん〜」っていうことで
  こういうねえw、こういうのがあるから ミステリーツアーもマジカルミステリーツアーになっちゃうんですよねw。
  
  で、You've Got To Hide Your Love Away
  これはアルバム「HELP!」の中に入っています。
  ディランの影響を受けたのかもわかりません。
  フォークロック風です、You've Got To Hide Your Love Away
148ジョン・キロックノン:2014/06/01(日) 00:49:27.86 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げております。
  メールのアドレスは [email protected]

  (栃木県日光市/男性)60代
  最近 運動不足解消のため、サイクリングにハマっています。
  録音した番組を持ち出し 新緑の公園などで聴いては 悦に入っています。
  お金のかからない最高の過ごし方です。  

  (小林)ていう、
  で、また(男性)さんのリクエストが渋いです。
  1980年代後半、ちょっと脚光を浴びたブルース・ホンスビー(Bruce Hornsby)「The Way It Is」というヒット曲があるんですが。
  この人は、なんていうんですか、ピアニストとして優れていて、いろんなアーティストに愛された人でもあるし。
  そして、やっぱりあれですね、自分の音楽を作った時に、彼じゃないと書けないようなものを出しましたね。
  そんな所に(男性)さんは、やっぱり気に入ってるっていうことで。
  これはねえ 渋いですよ皆さん。
  ブルース・ホンズビーという、今でも活躍している人なんですけども
  彼のアルバムに入っている曲です。Mandolin Rain

  〜 Bruce Hornsby / Mandolin Rain
  ttp://www.dailymotion.com/video/x14eq4_mandolin-rain_music

  (小林)ブルース・ホンズビーの「Mandolin Rain」ていう。
  この人は グラミー賞の新人賞を獲得して。
  もう「すごい人が現われた」みたいな感じで。
  その賞の対象になったのは「Just the Way it Is」ていう曲で。
  ただ、この人にもっと詩のすごいパワーみたいなものがあったら、もっともっとすごい事になっていたかもわかんない人なんですよね。
  ピアノの腕はもう抜群で、いろんな所から呼ばれた人です。
  レコード会社としても、ピアニストとして、レコード会社が契約しようとしたことも有ったほどです。
149ジョン・キロックノン:2014/06/01(日) 00:50:30.30 ID:???0
  (我孫子市/男性)
  4月から新しい職場になったのをきっかけに、聴き始めました。
  5月になってグッタリしている僕に 職場の先輩方が「5月病か?」なんて言いますが、違うんです。
  いまだに引きずっている「あまロス」なんです。
  ゴールデンウィークに最終回を見直したのがいけなかった。
  天野 アキちゃんが恋しい。
  この程度で、我ながら女々しいなどと思いつつ、すぐに傷つく僕は、ビートルズの解散にリアルタイムで立ち会えなくて良かったのかもしれないと感じております。
                                         (小林)www
  克也さんにも そういうものはありますか?

  (小林)
  僕は そういうのは あんまり無いですね。
  自分の方から サヨナラしちゃう方w だからw
  (男性)さんのリクエストは「『潮騒のメモリー』をお願いします」
  ええ、天野春子で行きましょう。

  〜 小泉今日子 / 潮騒のメモリー
  ttp://www.dailymotion.com/video/x16850z_%E6%BD%AE%E9%A8%92%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%83%BC-%E5%A4%A9%E9%87%8E%E6%98%A5%E5%AD%90_music
150ジョン・キロックノン:2014/06/01(日) 00:51:14.30 ID:???0
  〜 The Beatles / Let It Be
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0714IbwC3HA

  (茨城県稲敷市/女性)
  我が家では、毎年主人が田植えの手伝いです。
  母は、あの有名な江戸崎かぼちゃの手伝いに行っています。
  世間では、海外旅行行ったり、バーベキューをしたりと、楽しい時間を過ごしているようですが。
  我が家では考えられません。
  主人に「映画に行きたい」と言うと、一緒に行ってくれそうなので喜んでいます。
  あと、我が家に久しぶりにツバメが訪れました。
  二羽のつがいのツバメは一生懸命巣作りに励んでいます。
  その姿を見ているだけでも 心が和みます。
  二羽で巣作りに励んでいるので、巣作りもずいぶん出来てきました。
  ツバメは幸福の 幸せの使者と言われていますよね。
  我が家にも幸せが訪れますように。

  (小林)という、Let It Be
  
151ジョン・キロックノン:2014/06/01(日) 00:52:42.53 ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  リクエスト ほんとにありがとうございます。
  いろんな年齢層の、いろんな音楽ファンからの リクエスト。 
  そして、短いお便り。
  楽しみにしておりますので よろしく。
  
  それから、話しの方は。
  いよいよビートルズ、ハンブルグへ行くんですけども。
  ハンブルグの体験は、ジョン・レノンは、シンシアに話してないでしょう。w
  そういう風なw ハンブルグはけっこう・・・w
  ハンブルグは 「ハ」が付く「羽目を外すハンブルグ」ですから。
  そこら辺は お伝えできるかどうか 分かりませんけれども。
  他の資料なんかからw 拾ってw いつかお伝えできると 思っております。
  
  リクエスト よろしくお願いしますね。
  [email protected]
  です、よろしく。
152ホワイトアルバムさん:2014/06/01(日) 18:41:00.08 ID:yqI6SvkL0
このスレのこと触れられたな
153ジョン・キロックノン:2014/06/02(月) 18:38:19.98 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年6月1日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(6月1日)
 ・1973年(今から41年前の今日)
  ウィングズ(Wings)の、ポール・マッカートニーのウィングズのシングル、イギリスで発売になりました。
  「Live And Let Die」 これわかりますかぁ? Live And Let Die ていうと。
  今でも続いている あの「007シリーズ」の「Live And Let Die」「死ぬのは奴らだ」ていう日本語のタイトルが付いていました。
  これを、サントラをジョージ・マーティンが担当していて。
  ジョージ・マーティンからポールに要望、要請が来ます。
  「実はあの、俺は007の仕事をやってるんだけど、主題歌をポール・マッカートニーやってくれないか?」ていうことで。
  これはポールはどういう風に答えたか 知りませんけど。
  ポールはね、こういう風な仕事 速いんで。
  きっと「OK」って言って、速く書いたんだと思います。
  その頃、ポールの状態は?、ていうと、ビートルズの解散から3年が経っているわけですね。
  で、みんな4人 それぞれソロで忙しい。
  その中でも「ツアーが大好物」と豪語するほどのポールですから、
  もう、「生涯現役ロッカー」を宣言したポールです。
  まあ、ご存知の通り、今でもポールは元気にやってるわけです。
  70年代は、ツアーに家族全員を連れての大移動。
  もう、子供も、ねえw、本当に なんか犬まで連れてる ていうようなイメージが僕にはあったんですけども。それは、よくわかりません。
  最初のアルバム「McCartney」はポールの完璧なソロ。
  そして「RAM」はポールとリンダの名義でした。
  その次からは ウィングズとして活動を続けます。
  そのウィングズとして Live And Let Die を奏っているわけです。
154ジョン・キロックノン:2014/06/02(月) 18:40:02.61 ID:???0
(続き)
  ストラビンスキーを思わせる派手なオーケストレーションに関して ポールは
  「ジェームズ・ボンドと言ったら、轟音と銃声のイメージなんで、それをイメージして書いた」と語っています。
  これ「映画の中で演奏して欲しい」っていうのが、最初のリクエストだったみたいですけども。
  「それはちょっと、ちょっと勘弁してよ、ジョージ・マーティン」ってことで、実現しませんでした。

  じゃあ、ウィングズのシングル、改めて、そういうことで、ね。
  今から41年前イギリスで シングルとして発売になった。
  これはねえ、「My Love」は その前のシングル「My Love」は1位になりますけども。
  UKではイギリス7位、アメリカ2位、トップは逃しました。
  アメリカでウィングスを阻止したのは、ダイアナ・ロス(Diana Ross)の「Touch Me In The Morning」そしてストーリーズ(Stories)の「Brother Louie」その曲だったそうです。
  じゃあ、改めて41年前の今日発売の、ウィングズ Live And Let Die

  〜 Paul McCartney & Wings / Live And Let Die
  ttps://www.youtube.com/watch?v=swVoXHVW-jI

  (小林)Live And Let Die
155ジョン・キロックノン:2014/06/04(水) 21:05:36.03 ID:???0
□ストーリー
 ・「ビートルズにとって 最初の大仕事となるハンブルグ巡業に際して
  ジョージの母親は、まだ17歳の息子を気持ち良く 送り出してくれましたし
  一つ年上のポールの父親のジムは 依然として ポールには教育大学に進学して欲しい」と語ってはいましたが。
  ジムも息子の成功を祈る暖かい気持ちで 見送っていました。
  ピートの母親は、ずっと以前からショービジネスの世界に入りたいという息子の気持ちを激励していたので
  今回の巡業を 自分の事のように喜んでいましたね。
  最年長のスチュは、以前から 親からは独立していたので問題は無し。
  残る ジョン・レノン。
  ジョンの育ての親であるミミ伯母さんだけは、ビートルズのハンブルグ行きに全面的に反対していたんです。
  これが一番 大変でした」

  こう話してくれるのは、ジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
  ジョンに関することは全て 彼本人から聞いたこと、という貴重で信憑性の高いシンシアの手記から、今週もスタートしよう。

  ミミはハンブルグ巡業に 酷くショックを受けていて、ジョンを思い留まらせるために 考え付く限りの手段を講じた。
  それまでジョンは 音楽に対する情熱を、ミミの前ではほとんど隠していた。
  ミミから「ギターを弾くのはけっこうであるが、決して将来 音楽で食べて行くことはできない」という言葉を常々聞かされていて、いいかげんウンザリしていたからであった。
  ほんの 1〜2年前までは ミミにバンドを組むこと自体を禁止されていたので、彼女には音楽活動をしていることを隠し、いつでも嘘をついていた。
  バンドの練習は 友達の家か大学でして、夜クラブで演奏する時は「友達と出かけてくる」と言って家を出た。
  こんな具合であったから、ジョンがバンドを結成しているだけでなく、
  いつの間にかそのバンドの一員、いやリーダーとして何週間もの間 外国での演奏に呼ばれることになっていたと知り。
  相当なショックを受けていたのである。

  それでもやはり ミミは強硬路線を曲げたりはしなかった。
  さて、ジョンが言うことを聞いてミミが勝つか、それともミミが諦めるのか、
  周りはいつも以上に注目していたことは 言うまでもない。
156ジョン・キロックノン:2014/06/04(水) 21:06:47.98 ID:???0
  〜 The Beatles / Revolution
  ttps://www.youtube.com/watch?v=PpCVVCBA2_4
 
  〜 The Beatles / The Word
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QQIdbEn9Dpg

  (小林)2曲続きましたね。

  Revolution は「Hey Jude」のB面だった曲ですよね。
  ニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)というピアニスト。
  フェンダーローズで参加しています。
  
  そして、いま聴いたのは The Word ビートルズ。
  もちろん「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバムに入っている。
  最初のサイケの、サイケデリックの曲 と言われる曲であります。
157ジョン・キロックノン:2014/06/04(水) 21:08:38.16 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「私は最初から、ジョンの育ての親ミミ伯母さんとは相性が良くなかったんですが。
  それにしても、ハンブルグ行きに関して、伯母さんのジョンへの攻撃はすごいものでした。」
  こう話してくれたのは、ジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
  書いてあること全て、シンシアが遭遇したか、ジョン本人から聞いたこと、という貴重で信憑性の高いシンシアの手記から、まだこの物語は続く。

  ジョン・レノン率いるビートルズがハンブルグに行くと知ったミミ伯母さんは、強硬な路線を曲げることなく、ジョンに攻撃を仕掛けてきた。
  伯母さんはジョンに向かって舌打ちし、説教し、「大学に戻って 大人しく勉強しろ!」と怒鳴りまくった。
  いや、怒鳴るだけではない。時に泣いて お願いしてくることもあった。
  それでも ジョンの信念は堅く、その決心を変えることは無かった。
  結果、とうとうミミ伯母さんも承諾するしかない場面を迎えた。
  ジョンの勝利である。

  ハンブルグに出発する少し前に、ジョンからシンシアに電話がかかって来た。
  「あ、俺、ジョン。
  伯母さんが親戚んちへ出かけてて、夜まで帰って来ないんだよ。
  こんなラッキーなことは無い。すぐに来いよ!
  出来るだけ速くな」
  ジョンに急き立てられて シンシアはミミ伯母さんの家に行った。
  ジョンはカメラを借りてきて、ドイツに持っていくシンシアの写真を撮り始めた。
  ジョンもまだ19歳の健康な男子である。
  何週間も恋人と離れ離れになることは 相当辛いことであった。
  「そうそう、そうそう。もっとエロティックにさ。
  そう、髪を掻き上げて、そんで、スカート少し巻くって。
  いいね、いいね。
  こんどは後ろ向いて」

  まるでグラビアの撮影である。
  基本的には真面目な女子大生であるシンシアも、ジョンのために出来るだけブリジッド・バルドーぽく演じて見せた。
  二人だけのフォトセッションのあとは、もっと楽しいこと、つまり二人は愛し合った。
  その後は暖炉に薪をくべて、冷蔵庫にあるものを手当たり次第に食べた。
  そんな甘く大切な時間を引き裂くかのように、突然電話のベルが鳴ったのである。
158ジョン・キロックノン:2014/06/04(水) 21:10:15.59 ID:???0
  〜 The Beatles / Rain
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0t6EmsOtkmY

  〜 The Beatles / A Taste of Honey
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4A-5hyKaITQ

  (小林)2曲続きましたよ。

  「Paperback Writer」まあ、日本にビートルズが来るころのヒット曲の、そのB面が Rain ていう。
  さっきかけた。

  3曲目が、 The Word サイケデリック。
  そして Rain が それをもっともっとw。
  あのころ どう思ったのかなあ、日本の女の子たちは。
  Rain を聴いて。
  
  そして 今聴いたのは A Taste of Honey
  61年の 映画の主題歌です。
  もともとは ハーブ・アルパート(Herb Alpert)という、ティファナ・ブラス(The Tijuana Brass)ていう。
  メキシコ風のブラスセクションで、A Taste of Honey てのは大ヒットしたんですが。
  それのカバーで、やはりポールのアイデアで取り上げていますね。
  A Taste of Honey
159ジョン・キロックノン:2014/06/04(水) 21:11:33.82 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「そうそう、そうそう。もっとエロティックに。
  そう、髪を掻き上げて、そんで、スカート少し巻くって。
  いいね、いいね。こんどは後ろ向いて。もらおう かな」
  まるでグラビアの撮影である。
  カメラマンは この時19歳のジョン・レノン。
  ハンブルグに巡業に出かける直前、恋人のシンシアの写真を持って行こうと 不慣れな手つきで写真を撮っていた。
  基本的には真面目な女子大生であるシンシアも、ジョンのために出来るだけブリジッド・バルドーぽく演じて見せた。
  二人だけのフォトセッションのあとは、もっと楽しい時間。そう、二人は愛し合った。
  その後は暖炉に薪をくべて、冷蔵庫にあるものを手当たり次第に食べた。
  そんな甘く大切な時間を引き裂くかのように、突然電話のベルが鳴ったのである。
  もちろん電話にはジョンが出た。
  かけて来たのはミミ伯母さん。
  ジョンもシンシアもなぜか緊張した。
  ジョンが切り出した。
  「伯母さん、ジョンだけど。
  そろそろバスで帰って来る時間だね」
  するとミミからは意外な回答が。
  「それがね ジョン。こっちは霧がひどくて、交通規制されちゃって。バスが走れないのよ。
  だからね、明日の朝早く帰るから。晩御飯は家にあるもので何とかしてほしいの」
  ジョンはガッツポーズで答えた。
  「ああ、もちろん大丈夫だよ!。なにも心配しないで。
  こっちは うまくやっとくから!」
  降って湧いたような幸運に ジョンもシンシアも 信じられないと思った。
  そうなると シンシアに必要なのはアリバイ工作。
  親友のフィルに電話して事情を説明。
  次に母親に電話して、大学のレポートを書くためにフィルの家に泊めてもらう、と伝えた。
  もちろん、母親は全く疑っていない様子。
  全ては完璧である。
  こうしてジョンとシンシアは付き合い出してから初めて一晩を一緒に過ごした。
  ジョンのシングルベッドに一緒にもぐり込んで、体を丸めて抱き合って眠った。
  ベッドは少しも小さいとは感じない、二人の夜であった。
160ジョン・キロックノン:2014/06/04(水) 21:12:58.63 ID:???0
  〜 The Beatles / Anna (Go To Him)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZHTyLcVVlMM

  〜 The Beatles / Ticket to Ride
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ovcB5FnO0VU

  (小林)2曲続きました。

  ビートルズの Anna
  アンナ ていう、女の子の名前ですけど。
「彼の所へ行けよ」っていう。エヘヘw
  不思議な歌ですよねw これねw。
  「もういいから、お前。行ってやれよ」ていう、そんな歌でしょうかね。
  
  Ticket to Ride
  これは65年の「HELP!」の中に入っていました。
  リードギターがポール・マッカートニーね。
  ジョージはちなみに12弦を弾いております。
161ジョン・キロックノン:2014/06/05(木) 17:27:50.41 ID:???0
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなく差し上げています。
  メールアドレスは [email protected]

  (富士見市/女性)
  『2ちゃんねるの過去ログ』も また読ませてもらったり、かかった曲も検索できるので。
  「あ、こんな曲もビートルズなんだあ」って思いながら聴いています。
  いろんなエピソードも、とても興味深いです。
  ほんとにすごいですねえ。ビートルズも、克也さんも。  (小林)ww ついでに ありがとうw
  では、いちおうリクエスト Lovely Rita
  ミーターメイドのラブリーなリータで、どんな人だろうと思いながら聴いています。

  (小林)みんな そうでしょう。
  僕なんかはね、きっとね、「ミーター」 これは「メーター・メイド(Meter Maid)」ね、要するに駐車場のメーターがあるじゃないですか。
  あの1分経過2分経過っていう。それを見て回る駐車場係りの女の子。
  だから きっと「ラブリー」って言ってるけど そんなラブリーじゃないんじゃないか、とかさあ。w
  きっと そういう仕事をするから、のんびりした子なんだろうな。ひょっとしたらデブかな?とか、勝手なw。
  僕の頭の中だよw。みんなの頭の中じゃないからねw。言っとくけどねw。
  そういう風な想像をしたり しておりますけど。
  そういう想像をしながら(女性)さんも聴いたことでしょう。
  
  では、改めて Lovely Rita
 
  〜 The Beatles / Lovely Rita
  ttps://www.youtube.com/watch?v=40hhWB6n6wk
162ジョン・キロックノン:2014/06/06(金) 13:36:35.73 ID:???0
  〜 The Beatles / Day Tripper
  ttps://www.youtube.com/watch?v=DVTh-zaGhNI

  (小林) Lovely Rita に続いて Day Tripper が流れました。
   
  (東京都台東区/男性)
  初めてリクエストさせていただきます。現在 大学1年です。
  数年前からバンドでベースを弾いているんですが。
  ビートルズというバンドを 名前だけ知っているという日々が続き、最近になり、気になり過ぎてアルバムを買いました。(小林)w
  この曲は そのアルバムの中で一番良いと思った曲です。
  「ビートルズって深いなあ」って、なんとなくですが思いました。
  
  (小林)ていう
  やっぱりあれですよ、どの曲が気に入るかっていうことで、その人のことが良く分かったり しますけど。
  (男性)さんのことは、ちょっと、分かる様な気がしますね。
  ビートルズの、なんていうの、ロックンロール系じゃないんだよね。
  こういうのが好きなんですよね。
  はい。
163ジョン・キロックノン:2014/06/06(金) 13:38:43.86 ID:???0
  (千葉市稲毛区/男性)
  「Meet The Beatles!」は日本盤の方が、アメリカ盤より選曲が良いような気がする。 (小林)ああ・・・
  CDでは日本盤も復刻してくれないかな。
  リクエストは All Together Now をお願いします。

  (小林)ていう
  そうだよね、その時の状態で、やっぱり、まあそのイギリス盤とアメリカ盤は違うのは、なんていうんですか 事情はねえ、ご存知だと思いますが。
  日本盤の場合はね、アメリカに準じてるわけでしょう。そうですよね?
  だから、どうなんだろうなあ。イギリス盤があるから イギリスを参考にしてやってるのかなあ?
  だけど 復刻するんだったら そういうのも・・・
  でもねえ、ちょっと混乱するから やらないんだろうなあ。
  はい、あなたの気持ちは分かりますが。
  じゃあ、(男性)さんのリクエストです。
  
  〜 The Beatles / All Together Now
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LtjhW-ERoak
164ジョン・キロックノン:2014/06/06(金) 13:40:30.85 ID:???0
  〜 John Lennon / Imagine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=YzmRcqYZLx8

  (小林)いやあ、ビートルズの All Together Now から不意打ちのようにかかった、ジョン・レノンの Imagine。
  いかがですか?
  
  (匿名匿住所/女性)
  2002年から この番組を聴き始めて、もう12年です。
  小林克也様、リクエストを希望いたします。
  まったくビートルズを知らない私に、彼から教えてもらいました。
  公開録音も2回ほど行きました。
  盛り上がりましたぁ。
  とても楽しかったです。
  大好きな彼とは、事情があって離れることになりましたが。
  私にとって、ビートルズ、特にジョン・レノンは人生ソングの一つになりました。
  なんと、彼と何回も行ったジョン・レノン・ミュージアムの巨大スクリーンで流れていた「イマジン」をリクエストします。
                                  (小林)特別な感じでしょう。
                                      もし、ラジオを聴いていらっしゃったらねえ。
  二人の新しい門出に・・・ 

  (小林)お・・・、別れることになったんですか?
  別れることになったら、まあ 新しい門出は門出ですよねえ。
  だけどね、お互いにがんばっていただきたいと思いますよねえ。

  何となく、ビートルズていう 灯台みたいな。
  ああいう風に 生きているんだよなあ、ポール・マッカートニーとか。
  とか、そういうのって あるじゃないですか、目標が。ねえ。
  がんばってくださいね。
  どうも、リクエストありがとうございました。
  Imagine お送りしました。
165ジョン・キロックノン:2014/06/06(金) 13:42:08.62 ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  リクエスト、毎回ありがとうございますね。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしておりますので、きっと喜んでもらえてると思います。
  よろしくお願いします。
  メールは 
  [email protected]
  こちらで。
  
  それぞれの方がね、さっきの匿名希望の方もそうだったけど。
  やっぱり、どれくらい生活の中にビートルズが入っているかっていう。
  人によっては「ビートルズを受け容れよう」っていう方と、
  「ビートルズ、もうこのくらいにしておこう」っていう距離を保つ方だとか、
  いろいろ いると思うんですよ。
  そういった方たちも、みんなありますよね。ビートルズ 聴きたい曲とかね。
  そういうのをリクエストしてください。
  待っております。
  
  そして、話しの方は、
  ジョン・レノンとシンシアの恋物語 みたいな感じです。
  でも、大きな ビートルズというグループがあるわけですよね、二人の恋の舞台には。
  でも、やがて その舞台からはシンシアは去って行く。
  ジョン・レノンは次に新しいパートナーを迎えるわけですよ。
  でも、どこら辺まで シンシアが言ってくれるか、ね。
  来週をご期待ください。
166ジョン・キロックノン:2014/06/09(月) 19:31:12.44 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年6月8日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(6月8日)
 ・1964年
  ビートルズが 世界的にブレイクした年。今からちょうど50年前の今日。
  「マネージャーのブライアンは、ロンドンに帰って来た」とありますけど。
  これ、順番に話しをすると。
  まあ、ビートルズがすっごい人気になってくるわけですね。
  そうすると、アメリカの方の芸能社がいろんな、ビートルズ以外のイギリスのグループでも興味を持ち始める。
  で、ブライアン・エプスタインは、マネージャーはNEMSという事務所を持っておりまして。
  そこに、いろんなグループを抱えているわけですが。
  ビリー・J・クレイマー(Billy J Kramer)というグループの仕事で、広報担当のトニー・バーロウと一緒にアメリカに行って。
  そして、正味2日間アメリカに滞在して、トンボ返りして。
  なんで トンボ返りするか?、まあ、いろいろ仕事があるわけですが。
  その一つの仕事が、ライブ業務=コンサート業務です。

  で、ブライアンとしては、クリスマスのショーをやらなきゃだめ。
  というのはね、ビートルズはアメリカで大々的に売れる前から、
  イギリスでは12月ぐらいからね、時によっては10日間 時によっては20日間「クリスマスショー」というのをファンのためにやっていたわけですね。
  それで、ブライアンが決めたのは、ビートルズの次に、自分は「これは行ける」と思っていたグループがいるんですが。
  ジェリー&ペースメーカーズ(Gerry & the Pacemakers)。
  このグループは、今日これから聴いていただこうと思いますが。
  やっぱり、この頃のビートルズのサウンドを、皆さんもうこの番組を通して ちょっと何となく頭にありますよね。
  で、ビートルズも 一本立ちでクリスマスショーをやる。
  ビートルズに続けとばかり、ジェリー&ペースメーカーズもクリスマスショーをやる、という事が決定するわけです。
167ジョン・キロックノン:2014/06/09(月) 19:37:10.39 ID:???0
(続き)
  12月の おそらく20日ぐらいから、年が明けて1月の10日ぐらいまで、やるわけですよ。借り切って。
  それで、ファンを集めて。
  それを ビートルズがやっていた。
  で、引き続きジェリー&ペースメーカーズもやるという事は決定した。

  忙しいですね、1964年、つまり50年前の今日、急遽アメリカからロンドンへ帰って来て、そんな仕事をしていた っていうことで。
  先ほど お約束した、その、ジェリー&ペースメーカーズ。
  これは初めて聴く人がいるかもわかりませんが。
  ジェリーっていう人はですね、ジェリー・マースデン(Gerry Marsden)て言うんですが、
  なかなか声も良いし、自分で作詞作曲をやるという才能もあります。
  で、プロデュースは「5人目のビートルズ」ジョージ・マーティンが この曲はプロデュースしています。
  マージー河を渡るフェリーの歌 なんですね。
  マージー河はリバプールの河ですね。
  いいですね? 行きますよ。
   
  〜 Gerry & the Pacemakers / Ferry Cross The Mersey
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3WnxPXxZSVM

  (小林)Gerry & the Pacemakers の Ferry Cross The Mersey という曲で。
  どうですか? すごいドラマチック。いい曲書くでしょう? ねえ、ジェリー・マースデンは。
  それからアレンジを中心に、ジョージ・マーティンが担当したと思いますけど。
  なかなか すごいですよ。
  これは、おそらく65年になると「Yesterday」だとか「HELP!」のアルバムとか出るわけですが。
  その前ですよ。
  だから 相当ビートルズもやばい。
  それから、僕らは聴いていて ビートルズの、この頃はビートルズが断トツだと、いう風なイメージを懐きやすいけども。
  ビートルズ、ほら、デッカのオーディションで落ちたりするわけでしょ。
  だから、ビートルズ、人によってはビートルズより良いって思うようなグループが、いっぱいいたってことですよ。ね。w
  そういう世の中だったんです。
168ジョン・キロックノン:2014/06/13(金) 21:14:51.83 ID:???0
□ストーリー
 ・「ねえ、シン。俺もうあと2、3日でハンブルグに行かなきゃならない。
  当たり前だけど、そうすると君にも会えなくなる。
  だからね、俺が持って行く写真を撮らせて欲しいんだよ。ね? いいだろう」
  このセリフの主はジョン・ウィンストン・レノン。
  そう、このほんの数年後にはロックの いや世界の音楽シーンの中で、いやいや1960年代の若者文化とアート全てひっくるめても
  そのトップの頂点の さらにもっと先っぽの天辺に登りつめることになる あのビートルズのリーダー=ジョン・レノンである。
  お送りする物語は、ジョンの最初の妻となる女性シンシア・レノンの手記から録ったもの。
  ネタ元は 全てジョンから直接聞いた話し、あるいはシンシアの目の前で起ったことである。
  ビートルズにまつわる数限りない文献の中でも極めて信憑性が高く、貴重なストーリーを 今週も続けてみよう。

  1960年夏、そのジョン・レノン率いるバンドは、名称を「シルヴァー・ビートルズ」から正式に「ザ・ビートルズ」と改めていた。
  そして地元リバプールを含むマージーサイドと呼ばれる地域の数百というバンドを取り仕切るアラン・ウィリアムズの尽力により
  ビートルズはドイツ・ハンブルグでの仕事にありついた。
  それまでは、必要に応じて雇っていたドラマーも、同じ世代で女性にも人気があったピート・ベストに決定し
  あとは ハンブルグに出発するその日を待つばかり。
  
  プロとして ある程度の期間外国で過ごすなんて、冥利に尽きる。
  しかし、ジョンにとっての問題は、恋人のシンシアと離ればなれになること。
  無理もない、ジョンもシンシアもまだ19歳か20歳の男子と女子。
  哺乳類の生物としてシンプルに表現するならば、間違いなく発情期である。
  そこでジョンは考えた。
  「シンにエロい格好をさせて写真を撮る。で、その写真をハンブルグに持って行けばいいじゃないか」
  ジョンがさっそく行動に移すことにしたのは、言うまでもない。
169ジョン・キロックノン:2014/06/13(金) 21:15:33.08 ID:???0
  〜 The Beatles / Tell Me Why
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tmtaw0fr0xI

  〜 The Beatles / You're Going To Lose That Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xVpq58PBjQI

  (小林)2曲続きました。
  いずれも有名な映画で演奏していた ジョンの曲です。

  「A Hard Day's Night」から、64年、Tell Me Why
 
  そして今のやつは You're Going To Lose That Girl
  もちろん「HELP!」1965年
170ジョン・キロックノン:2014/06/13(金) 21:16:35.04 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ねえ、シン。今度は髪を掻き上げて。そう、いいねえ。
  で、もっと胸を突き出してみようか。
  ああ、良かった。これで、充分だ。
  この写真さえあれば、ハンブルグでもなんとかなる。ありがとう、シン。
  僕、この超エロい君の写真 ドイツに持って行くよ。」

  このグラビア撮影のようなフォトセッションのカメラマンは、当時19歳のジョン・レノン。
  ハンブルグ巡業に出かける直前、恋人のシンシアの写真を持って行こうと 慣れない手つきで写真を撮っていた。
  基本的には真面目な女子大生であるシンシアも、ジョンのために出来るだけブルジッド・バルドーぽく演じて見せた。
  もちろんフォトセッションの後はもっと楽しい時間そう二人は愛し合った。
  さらにもっとラッキーな事が起こった。
  いま二人が楽しくやっている家の主でジョンの育ての親であるミミ伯母さんが、お出かけ先で濃い霧に見舞われ、バスも止まり、今夜は帰って来れない。
  という連絡が舞い込んだ。
  もちろんジョンとシンシアは飛び上がって喜んだ。
  シンシアはすぐに友人に電話をかけて、アリバイ工作を開始。
  全ては上手く収まり 二人は付き合い出してから初めて同じ朝を迎えた。
  翌朝までには霧も晴れシンシアは早めにジョンの家を出た。
  危険を冒すような事は避けたかったからである。
  ジョンと一緒に過ごした夜はこの上ない幸せに満ちていて二人ともせっかくの幸せをミミ伯母さんの突然の出現で台無しにしたくなかった。
  シンシアはジョンとの恋の話しをこう語ってくれた。
  「ジョンと私はものすごく心が寄り添っていたので、ジョンと数ヶ月も離ればなれになるなんて とても恐ろしい事に思えました。
  私たちはもう、2年近くも ほとんど毎日一緒に過ごして、長く別れ別れになるなんて 想像も出来ませんでした。
  おまけにプロモーターが言うには“演奏が認められると契約期間も延長される”ということで私の不安は更につのるばかりでした。
  “ああ、どうしよう。どうしよう” それが私の口癖になったのもこの頃からでしたね」
171ジョン・キロックノン:2014/06/13(金) 21:17:27.68 ID:???0
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rdIeSHYin88

  〜 The Beatles / And I Love Her
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_hLRdymMneo

  (小林)いかがですか。And I Love Her
  And I Love は知られた曲ですけども、これがかかるの久しぶりじゃないかな?
  1964年「A Hard Day's Night」に入っています。

  で、その前は 67年の有名な Strawberry Fields Forever
172ジョン・キロックノン:2014/06/13(金) 21:19:16.79 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンと私はものすごく心が寄り添っていたので、彼と数ヶ月も離ればなれになるなんて とても恐ろしい事のように思えました。
  “ああ、どうしよう。どうしよう”それが私の口癖になったのも この頃からでしたね」
  こう語ってくれたのは ジョン・レノンの最初の妻にして ジュリアン・レノンの母親。
  そしてビートルズに関する文献の中でも最も信憑性の高い手記の著作者でもあるシンシア・パウエル。
  このロックの歴史上 最も貴重な文章から 続けてみよう。
   
  ビートルズの最初のハンブルグ巡業の日が迫り、ジョンとシンシアは二人だけの取り決めを交わした。
  それはまず、お互いに 他の異性によそ見をしないこと。
  毎日 手紙を書くこと。
  そしてジョンは一方的にシンシアに対し「あまりタバコを吸い過ぎないように」ということも約束させた。
  しかし実際にはシンシアが吸うタバコの本数は一週間に2本程度で、ジョンが吸う一日に一箱以上という本数に比べると ほとんど吸っていないに等しかった。
  おそらくジョンは女性がタバコを吸うという事をかなり嫌っていて、シンシアにも完全にやめて欲しいと思っていたのであろう。
  そして残酷にもハンブルグへ旅立つ日がやってきた。
  地元リバプールのプロモーター=アラン・ウィリアムズは、自ら楽器とメンバーとを乗せたバンを運転し 
  フェリーを乗り継ぎ、ビートルズをハンブルグまで送り届けることになった。
  シンシアはジョンに別れを告げる際に、ずっと手を握り続け 何度もキスを交わし、名残惜しそうに自分の恋人に手を振った。
  そしてメンバーを乗せた車が見えなくなると、シンシアは一人 涙を流した。
  「私はハンブルグのことも、そこに住む女の子に関しても全く情報を持っていませんでした。
  帰って来てからも ジョンは私のことを相変わらず愛してくれるんだろうか?
  それだけが心配で恐くなるほど不安だったのです」
173ジョン・キロックノン:2014/06/13(金) 21:20:14.71 ID:???0
  〜 The Beatles / Happiness Is A Warm Gun
  ttps://www.youtube.com/watch?v=GiYxCWPKqq8

  〜 The Beatles / I'll Be Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=s3jBHqFg9sw

  (小林)2曲かかりましたね。

  I'll Be Back という、これは1964年。

  そしてその前は、悪名高きっていうか「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っています。
  これは やっぱりすごい曲ですよね、ジョン・レノン。
  ジョン・レノンが、今日は音楽ずっと続いていますが。
  Happiness Is A Warm Gun
174ジョン・キロックノン:2014/06/14(土) 15:38:38.85 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の全ての方にイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  メールアドレスは [email protected]

  これは、ちょっと前に届いたリクエストですが。

  (小平市/男性)
  この番組は毎週必ず聴いていますが、5月18日は聴けないはずでした。
  しかし、聴けちゃいました。
  理由はご存知の通り ポール様の来日公演が全て中止になってしまったから。
  なぜかポール様が日本に来るとコンサートを全くやらずに、刑務所とか病院とか、あまり行きたくないような所へ行く運命のようです。
  しかしながら、こういった事にも懲りずに ポール様には再々来日公演をぜひとも期待します。
  そこで、リクエストですが、この曲はスピード感があってものすごくカッコイイんですが。
  意外とライブでは披露されないナンバーです。
  5月25日現在、都内の病院に入院中のポール様の全快と再々来日公演の実現を祈念いたしまして、The Night Beforeをお願いいたします。
  今後も楽しい番組を期待しております。

  (小林)ていう。
  それでは(男性)さんのリクエストで The Night Before

  〜 The Beatles / The Night Before
  ttps://www.youtube.com/watch?v=sIEgd1BAf10
175ジョン・キロックノン:2014/06/14(土) 15:39:46.94 ID:???0
  〜 Paul McCartney / Another Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vH6v9JS26xc

  (小林)やっぱ ポールへのリクエストはけっこう多いんですよ。ねえw
  しょうがないですか。
  今日は 前半はジョン・レノン、そして後半はポールという感じになるのかな。

  (船橋市/女性)
  今回のポールのライブは残念でしたねえ。
  せっかく大相撲本場所にぶつけた時期だった、というのに。
  ほんと無理は禁物です。
  まあ、相撲で言えば 寄り切られた感じかなあ。
  またの来日を楽しみに待っていますよ。
  日本のファンは温かく迎えますよ。
  リクエストはポールの「アナザーデイ」をお願いします。
  時節柄、克也さん スタッフの皆さん、どうぞご自愛ください。

  (小林)どうもありがとうございますw。
176ジョン・キロックノン:2014/06/14(土) 15:41:21.68 ID:???0
  (中野区/女性)
  シンシアが語るビートルズの歴史、楽しく聴いております。
  ドラマーのピート・ベストが加入して、いよいよハンブルグに旅立つところでしたね。
  ピートに加入してもらうためポールは、「思い立ったらすぐ行動」で、すぐに電話した、
  この話しを聞いた瞬間、「ポールは江戸っ子かい?」と思い、同時にある曲が頭から離れません。
  そこで、私もポールに習って、思い立ったらすぐリクエスト。
  美空ひばりさんの「お祭りマンボ」をお願いします。
  かかるかなあ?。
                  (小林)そうか、江戸っ子で このつながりで来てるわけですね。
  ポール元気になって また来てね。

  (小林)ていう。みんなポールがらみです。
  でも、(女性)さんはw、ポールの話しから連想して・・・。
  これ、古いよ!。
  ビートルズも おそらく中学生ぐらいの時のヒット曲じゃないかな。
  美空ひばり「お祭りマンボ」
  
  〜 美空ひばり / お祭りマンボ
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OXpsI0TZpwM
177ジョン・キロックノン:2014/06/14(土) 15:43:19.12 ID:???0
  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kHVigFTKntg

  (小林)
  盛り上がる Hey Jude。
  何回聴いても 盛り上がりますねw。

  (上尾市/女性)
  末娘がコマーシャルを見て「これ ザ・ビートルズ?」と「英語の授業で歌うよ」とのこと。
  「母さんも 英語の授業で歌ったよ」と、反抗期の娘と話しが盛り上がりました。
  ザ・ビートルズは親子三世代 世代を超えて話しが盛り上がりますね。
  
  (小林)という(女性)さん。
  どうもリクエストありがとうございました。
178ジョン・キロックノン:2014/06/14(土) 15:54:55.13 ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?

  やっぱり、ポールのことがw いっぱい。ねえw。
  でも、ポールはちゃんと帰ってくれるって みんな思ってるみたいね。
  なにしろ、仕事が好きだからね。ポールはね。
  そういう人だから。
  はい。
  
  それから、リクエストよろしくお願いします。
  イシイのミートボールなどセットにして用意しておりまして。
  リクエスト採用の方には全て送らせていただいています。
  メールは
  [email protected]
179ジョン・キロックノン:2014/06/16(月) 18:15:12.67 ID:???0
6月15日放送分の「ビートルズから始まる」は
不明の原因により録音に失敗いたしました。
記録はお休みいたします。<m(__)m>

なお録音ソフトはRadikoolです。
4月以降順調に留守録できていて、
当日も別の時間の別の局の放送はちゃんと留守録されていました。
なぜかbayfmの方だけが録れていませんでした。(´・ω・`)
180ポール・キロックトニー:2014/06/16(月) 20:24:03.33 ID:???0
わたしも録音できていませんでした
がっくり
181ジョン・キロックノン:2014/06/23(月) 18:09:50.77 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年6月22日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(6月22日)
 ・1961年(今から53年前の今日)
  ビートルズは、これは歴史的なことなんですけども。
  西ドイツ、当時は西ドイツと言っていましたね。ハンブルグにおりまして。
  ハンブルグには イギリスのバンドが結構稼ぎに来ている。
  イギリスのシンガーも稼ぎに来ている。
  で、ビートルズがドイツでレコーディングした日なんです。

  レコーディングというとあれですよね、すぐビートルズファンは思い浮かんでいると思いますけども。
  その実態はですね、ビートルズは毎日、毎夜ですね、毎夜「トップテンクラブ」で演奏していた。
  で、トニー・シェリダン(Tony Sheridan)ていう、ビートルズより まあまあ格上のイギリスのロックシンガーも稼ぎに来ていた。
  それで、その組み合わせで、つまりトニー・シェリダンに歌わせて、バックがビートルズでレコーディングしようと。
  で、実際に奏っているのを見たらですね「これは なかなか上手いし、一発録りで録音する方が良い」ということで。
  西ドイツの有名なプロデューサー=ベルト・ケンプフェルト(Bert Kaempfert)は そう決めまして。
  これは説によると、幼稚園か学校のホールらしいんですけども。
  そこで、記念すべき ビートルズはバックバンドとして ですけども録音をするわけですね。

  で、夜フルに演奏するじゃないですか、クラブで。
  で朝、8時きっかりにビートルズを迎えにくる、車で。
  そして、録音をして、レコーディングをして、夕方からトップテンクラブに入って、またそこでライブのお仕事をして。
  それが終わったら、また戻って行って、そして再びトニー・シェリダンのバックで・・・
  もう、めっちゃクチャこき使われていた、めっちゃクチャタフなスケジュールですよね。ハードなスケジュールですよね。
  で、朝呼ばれて、まあその前の夜まで演奏していてw
  ちょっとしか寝てないですよ、朝8時にやるわけだから。
182ジョン・キロックノン:2014/06/23(月) 18:10:59.89 ID:???0
  で、朝呼ばれて スタジオへ行って、というか、学校か幼稚園のホールへ行って、最初に録音したのがこの曲です。
  おそらく もう皆さん聴いたことがある曲なんですけども。
  改めて今日聴きましょうか?
  トニー・シェリダン、そしてビートルズが「ザ・ビートブラザーズ(The Beat Brothers)」というクレジットです。

  〜 Tony Sheridan & The Beatles / My Bonnie
  ttps://www.youtube.com/watch?v=9l1pJ9mSTsI

  (小林)トニー・シェリダンが歌っています。
  そしてビートルズが、ビートブラザーズというクレジットで バックを務めております。
  一発録りです。
  特に後半では、ジョンとポール・マッカートニーがw がんばっていましたねえw。ね。
  で、このマイボニーのレコードを、まだマネージャーになっていないブライアンが勤めていた、お父さんが経営していた、レコード店に買いに来て。
  そして、キャバーンクラブにビートルズが出てる、っていうんで 会いに行くていう 伝説の一部になるわけですね。
  その伝説の一部の My Bonnie をお届けいたしました。
183ジョン・キロックノン:2014/06/25(水) 23:09:35.64 ID:???0
□ストーリー
 ・「シン、君がこの黒い下着を着けている姿を見るのが待ち遠しいよ」
  これはジョン・レノンが まだデビュー前に、初めての外国での仕事先ドイツのハンブルグから、当時の恋人シンシア・パウエルに宛てた手紙に書かれていた文章。
  かなり直接的、性的な表現である。
  しかし、それも無理のないこと。
  この時のジョンはまだ19歳、生物学的に見ても発情期のオスの哺乳類である。
  シンシアはそんなジョンに返事を書き、お返しに自分なりのセクシーな写真を同封しようと決意した。
  彼女は世界各国で展開していた日用品の量販店ウールワースにあるセルフサービスの写真ブースで自分のセクシー写真を撮ることに挑戦。
  本来のシンシアは地味で優等生タイプであったため、こんなことをするキャラではなかった。
  しかし彼女はなんとかジョンを ドイツの女どもに盗られない様にするため がんばることにした。
  シンシアは持っていた中でも一番兆発的な洋服を選び、出来る限り最もセクシーに見せようとポーズも考え 唇を突き出した。
  言わば、物欲しそうに見えるセクシー系の女子を演じたのである。
  さらにシンシアは、狭苦しい撮影ボックスの中で、片手を頭の後ろに回し 胸を突き出し。
  まさに「早くベッドに来てちょうだい」というつもりの眼差しで、体をくねらせてそそる様なポーズを取ってみた。
  出来た写真は機械から出てきた。
  結果、シンシアの奮闘も虚しく、その写真は彼女が思い描いていた妖艶な女のイメージとは かなり程遠い可笑しなもの。
  それはまるでジョンがいつも描いている 滑稽な漫画の登場人物にそっくりであった。
  それでもシンシアは、何とかこの気持ちを理解してもらおうと、写真をハンブルグのジョンに送った。
  こういった一連の話しは 全てシンシア・パウエルが遭遇したか、ジョン本人から直接聞いたこと。
  もちろん彼女はジョン・レノンの最初の妻となる女性で、ジュリアンの母親である。
  このロックのアーカイブの中でも最上級に貴重で極めて信憑性の高い シンシアの手記から、
  二人の青春物語が 今週も続くのである。
184ジョン・キロックノン:2014/06/25(水) 23:10:23.74 ID:???0
  〜 The Beatles / One After 909(Anthology1)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QRgdRC_uDGE
 
  〜 The Beatles / Kansas City (Hey-Hey-Hey-Hey!)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=hQiGv3G6wow

  (小林)2曲 初期の録音が続きましたね。
  これは1995年に「アンソロジー(Anthology)」が出ましたね。
  「アンソロジー1」の中に入っている録音で One After 909 
  これ 63年に録ったものです。
  
  そして今聴いたのは、ポール・マッカートニーが がんばっていたカバーバージョンですね。
  これはもちろん「ビートルズフォーセール(Beatles For Sale)」1964年
  Kansas City (Hey-Hey-Hey-Hey!)
185ジョン・キロックノン:2014/06/25(水) 23:11:11.95 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「シン! 君のエロい写真 早く送ってくれよ」
  これは1960年当時 プロとしての初めてのハンブルグ巡業に行っているジョンが、恋人であり後にジョンの最初の妻になる女性=シンシア・パウエルに宛てた手紙の一節である。
  そしてそのネタ元は全てシンシアの手記に綴られたもの。
  1950年代から10年間もの間 ジョンの傍にいた彼女の記憶は、ロックの歴史の中でも最も重要で貴重なアーカイブである。
  そこから続けてみよう。

  ジョンからの手紙の内容は、あまりにダイレクトな表現であったため、シンシアはビックリした。
  もちろん心拍数はいつもの2倍くらいに跳ね上がった。
  そして鏡を見ると、顔は真っ赤である。
  それでも愛しい恋人のお願いに応えようと シンシアは、自分撮りのセクシー写真を ハンブルグのジョンに送った。
  そしてひと言「ジョン、私もジョンの写真を持っていないので、あなたの写真をリバプールまで送ってちょうだい」と頼むことも忘れなかった。
  すると、写真はたくさん送られて来た。
  けれども、友達や親兄弟に見せられる物も、笑わずに見られる物なども、ただの一枚も無かった。
  それは 背中を丸めてニカッと狂気の笑いを浮かべたものや、グロテスクなポーズや、あるいはゾッとするような意地悪い目つきをした写真もあった。
  あとでよく考えみると ジョンにマトモなものを期待する方が間違っていたのである。
  ジョンがハンブルグの旅立ってから数週間後、シンシアは21歳の誕生日を迎えた。
  21歳はイギリスの成人にあたり、彼女も自宅でお母さんと紅茶を囲んでお祝いをした。
  美術大学では、写生の時間に親友のフィルと、こっそり持ち込んだシャンパンを抜いてイングランド風のお祝いをして、友情の証に銀のスプーンを割って、それぞれが所有した。
  ジョンいないリバプールでは とても穏やかに時間が過ぎていたが、同じころドイツのハンブルグでは いったい何が起こっていたのか。
  番組の後半にお届けしよう。
186ジョン・キロックノン:2014/06/25(水) 23:12:11.36 ID:???0
  〜 The Beatles / Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SCE0z4V3USQ

  〜 The Beatles / Oh! Darling
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iLnVOyhqSi8

  (小林)ジョン、ポール と、後半の作品が続きましたね。

  Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
  これは「ホワイトアルバム(The Beatles)」に入っている 曲ですね。
  
  そして、熱唱していたのは、1969年「アビーロード(Abbey Road)」に入っている Oh! Darling
187ジョン・キロックノン:2014/06/25(水) 23:13:05.52 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・シンシア・パウエル、いや正確に言うと1962年にジョンと結婚して以来 ずっとシンシア・レノンを名乗っている女性であるが。
  彼女は10年前に手記を著わしている。
  本のタイトルは「ジョン」この手記の内容は ほとんど全てシンシアがジョンから直接聞いたこと。
  そしてシンシアが実際に遭遇し、その眼で見たことだけで構成されている。
  これは ロックの歴史を検証する上で 最重要なアーカイブの一つに数えられる。
  そんな貴重な手記の中から 物語は続く。

  ビートルズの最初のハンブルグ巡業の話しは、今やレジェンドとなっているが。
  シンシアはジョンから届いた 長くて詳しい何通もの手紙を通して、自分なりの観方をしていた。
  そこには ハンブルグでの生活の ありとあらゆる状況が綴られており。
  中には、ジョンがシンシアだけに打ち明けている内容もあった。
  それはジョンの育ての親であるミミ伯母さんには絶対知られてはいけないもの。
  シンシアはそのジョンからの手紙を何年間も宝物のように保管したが。
  離婚騒動のゴタゴタのため 処分してしまったものや。
  ずっと後になって お金に困り、オークションに出してしまった物もあると言われている。
  ジョンは自分たちの生活状況について、手紙に生き生きと描写して来た。
  仕事を持ってきてくれたリバプールのプロモーター=アラン・ウィリアムズによると。
  最初に出演する店は「カイザー・ケラー」というクラブと聞かされていた。
  しかし実際に到着してみると、ビートルズが招かれたのはカイザー・ケラーのオーナー=ブルーノ・コシュミダーが経営する かなりちっぽけな「インドラ」というクラブ。
  ビートルズが演奏を始めるまでのステージでは、際どいストリップショーを見せて、お客のほとんどはそのストリップが目当てであり。
  「ロックバンドなんてどうでもいい」といった雰囲気。
  ビートルズがプロのバンドとして遭遇した、最初の試練であった。
188ジョン・キロックノン:2014/06/25(水) 23:14:24.18 ID:???0
  〜 John Lennon / Sweet Little Sixteen
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HrnDRzQ6dro

  〜 The Beatles / Day Tripper
  ttps://www.youtube.com/watch?v=DVTh-zaGhNI

  (小林)え〜っと Day Tripper ねw

  その前は Sweet Little Sixteen
  Sweet Little Sixteen は ジョン・レノンがロサンゼルスで録ったソロアルバム「Rock 'N Roll」
  あの中に 入っています。
  これはチャック・ベリー(Chuck Berry)の有名な曲なんですけどもね。
  それを・・、ねえ、フィル・スペクター(Phil Spector)という有名なプロデューサーと一緒にやっていますから。
  ちょっと違うふうに聴こえますよね。Sweet Little Sixteen
  
  そして Day Tripper、有名な曲 お送りしました。
189ジョン・キロックノン:2014/06/28(土) 14:08:28.28 ID:???0
□リクエスト
  (小林)
  リクエストいっぱい届いております。
  いろんな、もう、なんて言うんですかねえ、10代よりも下の方から60代ぐらいまでの幅で。
  まあその、ビートルズの愛し方加減もいろいろあると思いますけど。
  それが、みんなこう窺がえて 楽しい手紙ばっかりです。
  
  メールアドレスは [email protected]
  そしてリクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げております。

  僕はね、匿名希望はもう本当に匿名にしますんで。
  あとだけど、自分の名前って書いてくださいね。
  それ見るとね、その人のこと想像するんです。想像できるんです。
  ラジオネームだとね、想像できなくなっちゃうんだよね。
  その人がふざけているのか、本気なのか、なんか。
  
  (匿名希望/男性)
  こんにちは。この番組を聴いて3年目になりますが、初めてリクエストします。
  ジョン・レノンの昔の話しを 毎週楽しみにしています。
  リクエストですが、このごろビートルズつながりで、ストーンズにハマっています。

  (小林)
  まあ、そういう人もいますw。
  でも、昔のストーンズだねw。
  (/男性)さんのリクエストは、Jumpin Jack Flash

  〜 The Rolling Stones / Jumpin Jack Flash
  ttps://www.youtube.com/watch?v=eQSGw0hMd_I
190ジョン・キロックノン:2014/06/28(土) 14:10:30.48 ID:???0
  〜 The Beatles / Yesterday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=BwVRMVSSoAM

  (小林)いかがですか。
   もう、Jumpin Jack Flash そして Yesterday と、もうスタンダードですけども。

  (市原市/男性)
  イエスタデイは 私が大学の水泳部のコンパで37年ぐらいに 酒を飲みながら最後に歌っていたことを記憶しています。
                         
  (小林)
  なるほど。コンパで、要するにバラードで締めたわけですね。
  えーと、37年前。
  おそらくね(/男性)さんが60歳ですからw
  歳をここに書いてあるからバラシちゃうw
  カラオケじゃないコンパかもわからないね。
  今の人たちは、みんなほら「歌いました」っていうとだいたいカラオケ。
  場所がカラオケがある所っていうことですけど。
  60代だったらギリギリ無い所で、何も無い所でみんな歌ってたんですよね。昔はね。カラオケの。
  だから イエスタデイもストリングスのバックが無かったわけですよ。
  だから(/男性)さんがイエスタデイを歌ったていうことは、トリで歌ったていうことは、締めで歌ったてことは。
  相当上手かった ってことが想像できるんですけどもw。
  どうでしょうね?ほんとはねw。
191ジョン・キロックノン:2014/06/28(土) 14:12:57.57 ID:???0
  (東京都江東区/男性)
  いつも楽しい放送ありがとうございます。
  ワールドカップが盛り上がっていますが、開催地ブラジルのポップシンガーの曲をリクエスト。
  今から30年近く前、ブラジルに住んだことのあるアメリカ人の友人がいました。
  彼が好きだったのが、ブラジルで人気だった、ミルトン・ナシメント(Milton Nascimento)や ジャパン(Japan)でした。
  ミルトンはローカルっぽく、ジャパンはアメリカナイズされていた印象が残っています。
  ジャパンは渋谷パルコで来日コンサートがあり、一緒に行きました。
  ビートルズとは関係ないかもしれませんが、ワールドカップ繋がりで どちらかの曲を。

  (小林)ていう
  ミルトン・ナシメントはどちらかと言うと、ビートルズに影響を与えた方の音楽の、ちょっとね 人ですよね。
  で、ジャパンていうと、ビートルズから派生したグループていうことで、関係ありますよ(/男性)さん。
  独特の、特に80年代はあれですよね、ジャパンのブームが 短い間ですけどブームがあって。
  ロックの芸術性を追求した。まあ、音を聴いて頂けば、どの方向にいたかってのが判ると思うんですけど。
  ジャパンの一番売れた「ティムドラム(Tin Drum)」ね。「ブリキの太鼓」
  「ブリキの太鼓」ていうと、映画の有名な、あの映画を思い出す方もいるかもわかりませんけども。
  それからも やっぱりあれですよね、タイトルからも ジャパンの狙っていた世界が わかりますよね。
  そのアルバムの中から、一番売れたアルバムの中からシングルで出した「The Art of Parties」 Japan。
 
  〜 Japan / The Art of Parties
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yhworXIkXX0
192ジョン・キロックノン:2014/06/28(土) 14:14:35.98 ID:???0
  〜 The Beatles / Yellow Submarin
  ttps://www.youtube.com/watch?v=5MzqEJflal8

  (小林)
  というわけで、Yellow Submarin ビートルズが、ね。

  ジャパンもイギリスのグループですからね。
  「ティムドラム」の中から The Art of Parties が。

  この、Yellow Submarin。お馴染みですが。
  これはリクエストは

  (我孫子市/男性)9歳
                   (小林)うわあ、って聴いてるか?。きっと聴いてるから、大騒ぎしてるだろうなあ。我孫子の方では。
  こんにちは、僕は小学4年生です。
  3年前から毎週家族で聴いています。
  リクエストは イエローサブマリン。

  (小林)
  リクエスト ございましたよ。
193ジョン・キロックノン:2014/06/28(土) 14:16:11.63 ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  ジョン・レノンたちはハンブルグへ行っちゃって。
  ハンブルグへ行ったら、約束と違うじゃないか。
  ストリップの前座みたい。
  お客が聴いてくれない。
  そんな情況ですよ。
  ビートルズが演奏しているハンブルグは、ねえ。
  続きを、また来週をお楽しみに。
  
  そしてリクエストの方よろしくお願いします。
  アドレスは 
  [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げております。
  お相手は小林克也でした
194ジョン・キロックノン:2014/06/30(月) 17:50:50.40 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年6月29日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(6月29日)
 ・1964年(今から50年前の今日)
  あの年、ビートルズが世界的になった年。
  50年前の今日、どこにいるかと言うとね。
  ビートルズはね、オーストラリアのブリスベン(Brisbane)という所でコンサートをやっています。
  もう世界的に有名になったから、もうメチャクチャなコンサートでねw。
  ファンがステージに玉子や野菜、つまり、まあトマトだとか ああいった物を投げるわけですよね。
  そうすると、ファンの間で分かれちゃうわけですよ。
  「そんな、ビートルズに向かって物を投げるなんて けしからん!」ていうことで
  客同士のケンカになっちゃうわけですね。
  云わば、投げる人は少数派だから、負けちゃうわけですよ。
  つまり、リンチ状態になるんで、警察が入って それを止めたっていう。ね。
  けっこう大変なコンサートだった、っていう。

  で、ビートルズのコンサートで物を投げるっていうのは、もうこれ伝統的でね。
  その1年ぐらい前から イギリスでは 
  ジョージ・ハリスンが記者会見で「ジェリービーンズが好きだから」って言ったら
  ジェーリービーンズを投げる、っていうのが流行って。
  ビートルズは、オーストラリアの後 アメリカへ行っちゃうわけですよね、アメリカへ。
  で、アメリカのファンは「ビートルズはジェリービーンが好きだ」っていうのを知ってて、投げるんですよ。
  ところが、アメリカのジェリービーンは 硬いんですよね。
  イギリスのやつは柔らかいんで あれだけど、アメリカは硬いんで大変だった、ていう話しがあります。
  あと実際 ステージに投げ込まれる物は、硬貨だとか、お金ですよね。オモチャだとか、リンゴだとか。
  ポールは実際に 投げ込まれた安全ピンで目をケガしたり。
  ジョージ・ハリスンは、コインで耳から血を流したり。
  ジョンは、ビビリなんで本当に恐がっていたw ていう、面白い話があります。
195ジョン・キロックノン:2014/06/30(月) 17:52:19.59 ID:???0
(続き)  
  そんなビートルズの アイドルフェロモン全開の1964年8月。
  だから、50年前の8月 ハリウッドボールのライブから行きます。
  まだ、CD化されてない 貴重音源です。
  ビートルズが、あの名曲の ロックの名曲をやっています。
  これは、歌ってるのはジョージ・ハリスンかな、ジョージ・ハリスン。
  ほんとはね、いつもはねジョン・レノンが歌っていた曲なんだけども。
  もう有名になってからはジョージ・ハリスンに歌わせている っていう。
  例の あれですよ。Roll Over Beethoven !
 
  〜 The Beatles / Roll Over Beethoven (Live At Hollywood Bowl)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=x1XfHZG0ALo

  (小林)ねえ、アメリカのハリウッドボールです。ロサンゼルスです。
  すごいですよねえ、これは。
  ジョージ・ハリスンが歌っていましたww
196ジョン・キロックノン:2014/07/03(木) 13:45:36.12 ID:jHIf4h800
□ストーリー
 ・「前略、愛しいシンへ。
  僕らはハンブルグにたどり着いたよ。
  なかなかエキサイティングな街で いい感じ。
  ただ、演奏する店の事で少し面食らっている。
  実はね…」

  これは1960年夏、ビートルズが初めてもらった本格的なプロの仕事の巡業先=ドイツのハンブルグから
  ジョンが恋人のシンシアへ宛てた手紙の一節である。
  今週もジョンとシンシアの恋物語、そしてビートルズ立身出世のストーリーは
  シンシア・パウエルの貴重で信憑性の高い手記から お届けしたいと思う。

  ジョンは自分たちの生活状況について、手紙に生き生きと描写してきた。
  仕事を持って来てくれたリバプールのプロモーター=アラン・ウィリアムズによると
  最初に出演する店は「カイザー・ケラー」というクラブと聞かされていた。
  しかし 実際に到着してみると、ビートルズが招かれたのは、カイザー・ケラーのオーナー=ブルーノ・コシュミダーが経営する かなりちっぽけな「インドラ」というクラブ。
  ビートルズが演奏を始めるまでのステージでは、際どいストリップショーを見せて
  お客のほとんどは その踊り子が目当てであり「ロックバンドなんてどうでもいい」といった雰囲気。
  ビートルズがプロのバンドとして遭遇した最初の試練であった。

  ビートルズがステージに登場すると、酔っ払いの連中のヤジが飛んだ。
  「バンドなんてどうでもいい!さっきのオネエちゃん もう一回出せよ!」
  こういう環境でお客の関心を自分たちに向けさせるのは、容易なことではなかった。
  いちおうロックが少しは分かっている客になると、プロの演奏を期待するし。
  ビートルズは その期待を裏切らない様に意気込んだ。
  それまでは地元リバプールかその近辺の会場に出演し、いいところ一時間ぐらいのショーしか経験したことがなかった。
  しかし、ここでは一晩に7回から8回、合計すると10時間以上もの演奏が求められた。
  そのため、メンバーは演奏しながら狭いステージを飛び回り。
  ビートを強調するために、足を踏み鳴らしながら、一つの曲を20分にまで引き延ばすこともあった。
  つまり、それまでとは全く違ったショーを、ビートルズは強いられていたのである。
197ジョン・キロックノン:2014/07/03(木) 13:46:29.69 ID:???0
  〜 The Beatles / Sie Liebt Dich (She Loves You)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MAfAhAYtfpk
  
  〜 The Beatles / Taxman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZrNKxmmb_9A

  (小林)このギターソロは ポール・マッカートニーがやっています。
  1966年の「リボルバー(Revolver)」に入っている、Taxman ていうね。
  もうこの頃は、ほら ビートルズはラブソングを卒業して ていうか。
  だから税務署の事をw「もう俺たちが稼いだ9割り以上持って行くんだから」みたいな ことを
  平気で歌に したりするような時代になっていますよね。
  
  その前は、Sie Liebt Dich ていうのは、ドイツ語ですよね。
  wドイツ語で歌っていました。曲なんですけども。
  これは、ビートルズが1963年から64年にかけてね、オランピア、パリの劇場に出るんですよね。
  その時に、年が明けて「アメリカでナンバーワンになった」ていうのを聞くんですよね。
  で、もう喜ぶわけ。
  で、その後で、実は「ドイツの人たちにドイツ語で録音してくれないか?」ていうんで。
  これはもう、ビートルズは「もうやらなくていいんじゃないか?」つって。
  ビートルズは 渋々録音してるわけですよw。
  それを、お送りいたしました。
198ジョン・キロックノン:2014/07/03(木) 13:50:21.75 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「シン。僕らビートルズが 最初に宛(あて)がわれた店はインドラってクラブで。
  何とそこは、ストリップショーが売り物の店なんだ。
  演奏時間は一晩に7回から8回、合計すると10時間以上。
  正直、キツイっす」

  これは1960年当時、プロとしての初めてのハンブルグ巡業に行っているジョンが
  恋人であり 後に彼の最初の妻となる女性シンシア・パウエルに宛てた手紙の一節である。
  そしてそのネタ元は、すべてシンシアの手記に綴られたもの。
  1950年代から10年間もの間、ジョン・レノンのそばにいた彼女の記憶は、ロックの歴史の中でも最も重要で超貴重なアーカイブである。
  そこから続けてみよう。

  一晩で10時間も演奏するとなると、リバプールと同じことをやっていても無理。
  そのため メンバーは、演奏しながら狭いステージを飛び回り、ビートを強調するため足を踏み鳴らしながら
  一つの曲を20分にまで引き伸ばすこともあった。
  メンバーはプロの仕事の厳しさに、演奏の初日から叩きのめされてしまった。

  しかし、根っからのショーマンであるジョンは、踊っても転げ回っても、はたまた宙に向かって飛び跳ねても、実にサマになっていて
  たちまち観客もリバプールからやって来た この生意気な若者たちのロックショーを楽しむようになった。

  ビートルズの面々が寝泊まりさせられていた場所は「バンビ」という古い映画館。
  この場所は、かつては劇場だった所で、使われなくなった汚い楽屋が ジョンたちの生活する空間。
  ベッドは折りたたみ式の極めてチャチなもの。
  全員、これまた くたびれたボロボロの毛布にくるまって眠るしかない。
  そしてトイレは、蛆が湧くような公衆トイレ。
  おまけに シャワーもバスタブも無いので、トイレの洗面台で体を洗うのである。
  さらに酷いことに、明け方までクラブで演奏し、やっと2〜3時間寝たかと思うと
  映画館の最初の上映時間を知らせるブザーの音で起こされてしまう。
  汚さ という点では、一番マシだと思われる女子トイレで歯を磨いていると。
  たいていはストリッパーのお姉さんに こっ酷くしかられ、つまみ出されてしまう。
  そんな最悪の環境であった。
199ジョン・キロックノン:2014/07/03(木) 13:51:24.92 ID:???0
  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttps://www.youtube.com/watch?v=d9h0oSeFZCA

  〜 The Beatles / I've Just Seen a Face
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Il7v8b3Sv6g

  (小林)ビートルズが2曲。

  Hey Bulldog お馴染みですかねえ。
  「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」の中に入っていますよね。1969年の。

  そして、I've Just Seen a Face
  これは ポール・マッカートニーの曲なんですけども。
  ビートルズの曲なんですけども。
  「HELP!」に入っていて。
  これはねえ、70年代、もうポールがウィングズでツアーをやる時。
  途中でアコースティックセットになって。
  それで、ギター一丁ぐらいで、演奏したりする曲の一つです。
  I've Just Seen a Face
200ジョン・キロックノン:2014/07/03(木) 13:54:21.57 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「親愛なるシン。
  いやあ、ハンブルグは最悪だよ。
  演奏時間が長いのはともかく、俺たちが寝泊まりしている場所が最悪なんだ。
  そこはバンビていう古い映画館の楽屋なんだけど。
  ベッドは折りたたみ式の簡易ベッドで、誰だって腰が痛くなる酷さ。
  毛布だってボロボロで、いつ洗ったのかもわかんないもの。
  バスルームなんて無くて、トイレの洗面台で体を洗うしか方法が無いんだ。
  かろうじて女子トイレが比較的きれいなんだけど。
  ここに出入りしていることが、インドラクラブで踊ってるストリッパーのお姉さんたちにバレてしまって。
  ここも使えなくなったんだ。
  あ、もう 店に行く時間だ。
  また、手紙書くから、元気でね。
  シン、愛してるよ。」
  
  これはビートルズとして初めての プロとしての仕事のために滞在しているハンブルグから
  ジョンが恋人のシンシア・パウエルに書いた手紙の一節。
  ジョンはこうして よく手紙で自分たちがどれだけ酷い環境で生活しているかを
  まるで レポーターのようにシンシアに伝えてきた。
  それでも シンシアが行間を読むと。
  自分たちが経験する全てのことを、しっかり楽しんでいる様子が手に取るように解かった。
  こうした ジョンのハンブルグ日記は、その界隈でビートルズのウワサがジワジワと知れ渡り
  ここのクラブシーンで、あっと言わせるような衝撃を与えるようになってからは、楽しげなものになっていた。
    
  ビートルズがハンブルグにやって来た最初のころ、クラブには観客と呼べるようなお客はほとんどいなかった。
  ところが、いったんビートルズのショーの噂が広まると、毎晩お客が押し寄せて。
  店は それまでの閉店時間である12時半を押して、午前2時まで営業するようになった。
  そして、およそ2ヶ月後、このインドラクラブは、騒音に対する苦情のため閉鎖となり。
  ビートルズは「カイザーケラー」という 格上のクラブへ移ることになった。
  こうしてビートルズの5人組は、少しづつキャリアアップして行くのである。
201ジョン・キロックノン:2014/07/03(木) 13:55:30.81 ID:???0
  〜 The Beatles / Any Time At All
  ttps://www.youtube.com/watch?v=oSRc7hxslG4

  〜 The Beatles / I've Got a Feeling
  ttps://www.youtube.com/watch?v=h9HTsW2aWBU

  (小林)2曲

  1964年の「A Hard Day's Night」の中から Any Time At All

  そして今聴いたやつは I've Got a Feeling
  この曲は、ジョンとポールが別々に作った2つの曲を 一緒に合体させたものだそうです。
  ちょうど「A Day in the Life」みたいな感じですよね。
  バックにはビリー・プレストン(Billy Preston)がキーボードで入っています。
202ジョン・キロックノン:2014/07/04(金) 13:05:38.50 ID:???0
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方はイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  アドレスの方は [email protected]

  (茅ヶ崎市/女性)
  毎週録音して欠かさず聴いています。       (小林)ありがとうございます。
  ちょっと前になりますが、ポールのコンサート中止は、しばらくはポッカリ穴が空いたような、ポールロス症候群になってしまいました。
  でも今は 上演中のポールのコンサート映画「Good Evening New York」を見に行って 少しは元気になりました。
  昨年の日本公演のセットリストとはかなり違い、ウィングスやソロの曲が多く、とても新鮮でワクワクしました。
  特にファイヤーマンの「Sing The Changes」はポールが若々しく楽しそうに演奏していて感動しました。
  ぜひ「Good Evening New York」からのライブ版でお願いします。

  (小林)ていうことで[/女性]さんのリクエスト。
  そうなんだよね。
  ポールはファイヤーマン(The Fireman)てのやってて、この曲 けっこう気に入ってるみたいですよね。
  Sing The Changes

  〜 Paul McCartney / Sing The Changes
  ttps://www.youtube.com/watch?v=S6EbORrYL0k
203ジョン・キロックノン:2014/07/04(金) 13:07:54.75 ID:???0
  〜 Led Zeppelin / Communication Breakdown
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0MW4pWLP4_M

  (小林)どうですかね、皆さん 反応はw
  ポール・マッカートニーのファイヤーマンの曲からね、こんどはレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)に入ったんですけども。
  お変わりありませんか?ビックリしていますか?。

  (浦安市/男性)40代後半
  レッド・ツェッペリンのリマスター盤が発売されましたね。
  ツェッペリンもビートルズの影響が多大にありますよね。    
                     (小林)というか
                         ツェッペリンはあれですよね、ビートルズの影響も受けていると思うんですけど
                         ビートルズと同じ所から影響を受けていますよね。
                         例えば ボーカルのロバート・プランツ(Robert Plant)なんかは プレスリーとか入ってるもんね。
  そこで、Communication Breakdown のリクエストをお願いします。
  克也さん スタッフの方 これからも楽しい番組をよろしく。

  (小林)ていうことで ツェッペリンがかかりました。
  ちなみに、ツェッペリンは60年代の終わりからずーとやってきて
  売り上げ的に言うとビートルズの時代の次は ツェッペリンの時代になって行くわけですよね。
  まあ、ツェッペリンの時代と完全に言い切ることは出来ないですけども。
204ジョン・キロックノン:2014/07/04(金) 13:09:50.26 ID:???0
  (小林)ビートルズ、そしてツェッペリン。
  続いて、こんどはちょっと、元に戻りますが。

  (東京都品川区/男性)
  毎週楽しみに聴かせてもらっています。
  突然ですが 出来ました。    (小林)何が?w
  孫です。
  外孫ですが、今 膝の上で寝ています。
  四人組も 孫ダッコしたのかなあ。
  特にジョージは どうでしたでしょうか。
  わが娘の幼少の頃のことを思い出して、この頃の歌をリクエストします。

  (小林)というのは
  60代ど真ん中ですねえw。
  いやあ、孫を抱いて このリクエスト。
  これはあれですよ。
  ビートルズがデッカレコードにオーディションに行って、正月に演奏して、落とされちゃいますよね。
  丁寧に断られますよね。
  で、ビートルズの代わりに採用されたのが ロンドンのグループでしたよね。
  それがこの トレメローズ(Tremeloes)なんです。
  彼らのヒット曲です。
  では[/男性]さんのリクエストで、トレメローズで、Silence Is golden

  〜 The Tremeloes / Silence Is golden
  ttps://www.youtube.com/watch?v=bYgniftVxQ8
205ジョン・キロックノン:2014/07/04(金) 13:13:05.63 ID:???0
  〜 The Beatles / Mr. Moonlight
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XLNzpEwpb38

  (小林)
  いやあ、トレメローズの Silence Is golden に引き続いて Mr. Moonlight が流れました。

  (三郷市/男性)
  25年ほど前になるんでしょうか。
  ビートルズが初CD化された時、プレゼントで当選して「Please Please Me」から「Sgt Peppers」までのCDセットが届きました。
  それから兄妹で・・・        (小林)妹さんとね。いっしょに。
  数えきれないほど聴きましたが。
  今年のお正月、中二の姪にお年玉としてあげました。
  怪訝な顔をしていた 姪でしたが、「最近よく聴いているようだ」と、妹からメールが来ました。
  嬉しいもんですねえ。

  (小林)
  ということで Mr. Moonlight
  初期のビートルズ。
  あの、日本人が特にこの Mr. Moonlight って大好きですねえ。
  面白いですね。
  僕、よく分かりますよ、
  僕は オンタイムで聴いて、ラジオで結構かかったもんね、この曲は。
206ジョン・キロックノン:2014/07/04(金) 13:20:31.14 ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?

  後半、やっぱり、ビートルズのハーモニーとね、トレメローズのハーモニー、思わず聴き比べましたね。
  トレメローズを選んだレコード会社の気持ちも分かりましたね。
  だけど、ビートルズを読めたら、すごいことになってたんだろうなあ、なんて想像するとすごいなあ。ええ。ねえ・・。
  みなさんも、ビートルズは不合格だったんだからね、トレメローズが合格したってのが。
  あの聴き比べ面白かったでしょ。

  それから、ビートルズのお話しの方は
  いよいよ、ビートルズはハンブルグへ行って。
  結果的には このビートルズがハンブルグに行ったことで、グループとして大きく成長するんですよ。
  これはね、バンドとして 逞(たくま)しさみたいなのを が。
  ビートルズは それじゃなくても けっこう逞しいグループなんですよね。
  どちらかと言うと、なんて言うんですかねえ、ハンブルグで、酔った人を相手にやると
  いい加減になりがちな 感じなんですよね。
  だいたい、そのバンドが いろんな飲み屋さんみたいな所で、業界では「ハコとして入る」って言うんですけど。
  ハコとして入ると、バンドとして成長すると同時に、いい加減になっちゃうんですよ。
  だけど、ビートルズの偉さは、いい加減にならなかった ていうことなんですよね。
  それから、まあ、ハンブルグで いろんな、おそらくね、ハンブルグの物語は、カミさんの 昔のカミさんの話しよりも 
  他の 何かw 男のライターが書いたやつ方のが 面白い。
  これみんな、読んでる人もいるかもわかりませんけども。
  またこの番組で いろいろ紹介できるかとw思っております。期待してください。
  
  そしてリクエスト
  毎回言ってますけど、イシイのミートボールなどセットにして採用の方には差し上げておりますので よろしくお願いします。
  メールアドレスは
  [email protected]
  こちらまでよろしく。
207ジョン・キロックノン:2014/07/08(火) 13:27:33.67 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年7月6日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(7月6日)
 ・1965年(今から49年前の今日)
  ビートルズが世界的になってから、今年は50周年ですからね。
  49年前の今日、だから65年、翌年です。
  
  ある発表がありました。
  それは何かと言うと、ビートルズのマネージャー、そしてビートルズの所属する芸能会社の社長=ブライアン・エプスタインの「ポップスの夕べ」があると。
  で、どんな人たちが出るかと言うと。
  マン・フレッド・マン(Manfred Mann)キンクス(The Kinks)ジョージ・フェイム&ブルーフェイムス(Georgie Fame & The Blue Flames )
  ジェリー&ペースメーカーズ(Gerry and the Pacemakers)、こういった人たち。
  でもこれ、今どうでしょう? 皆さんにとって、今読み上げた人たちは あんまり有名じゃない、と思ってるか。
  あるいは「それ、知らないよ」って方も多いんじゃないかと思いますけど。
  当時は、すごく有名な。

  なにしろ ほら、ビートルズが出て、ビートルズに続けとばかり、
  アニマルズ(The Animals)だとか、マンフレッド・マンとか、こういった人たちが全米で1位を記録して、今までなかった事。
  ブリティッシュ・インベージョン(British Invasion)「イギリス人が攻めて来た」そういう風に言われるわけです。
  それに伴って、マネージャーのブライアン・エプスタインの所にはですね、こないだもチラッとお話しはしたですけども。
  「アメリカの芸能社を買わないか」とか、お金を出して買うんですよね。
  そして、イギリスの人気アーティストばっかりじゃなくて アメリカの人気アーティスト。
  例えば、そうですね、アンディ・ウィリアムス(Andy Williams)とか、そういった部分的な権利ですけどもね、そういうな物を持つようにもなるんです。
  すごい事になって行くわけですが。
208ジョン・キロックノン:2014/07/08(火) 13:30:09.87 ID:???0
  そういった中からですね、今日はマンフレッド・マンていうグループの曲を紹介します。
  「Do Wah Diddy」っていう曲が1位になったんですけども、ビートルズに引き続いてね。
  1965年、つまり49年前の今ごろはですね、ボブ・ディラン(Bob Dylan)のカバーをやって、これがイギリスで2位まで上がっています。
  マンフレッド・マンていう人は南アフリカ出身のアーティストで、ジャック・ブルース(Jack Bruce)
  クリーム(Cream)のメンバーになるエリック・クラプトン(Eric Clapton)とクリームをやるジャック・ブルースとか
  あるいはクラウス・フォアマン(Klaus Voormann)なんかも在籍したことがある 有名グループなんですけども。
  ディランのカバーやっています。

  どんなグループだったか、みなさん おそらくこれ聴いたこと無い方が多いと思うので、正直な耳の判断でお願いします。
  当時人気だったマンフレッド・マンで If You Gotta Go, Go Now

  〜 Manfred Mann / If You Gotta Go, Go Now
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dmvUeSz4mwY

  (小林)というわけで1965年、今から40年前ビートルズの事務所の社長=エプスタインの興行が発表された。
  その興行に含まれていたのは マンフレッド・マン。
  ビートルズなんかに続いて、アメリカでも人気があった。
  だだ 面白いのはね、イギリスが攻めてくる、イギリスがすごいと思うでしょ。
  ところがこの頃のね、アメリカなんかの評判は どういうことかと言うと。
  イギリス人がアメリカの英語で歌っている。
  と言うのは、イギリス訛りと アメリカ訛りが、もう相当違うんですけど。
  アメリカの音楽じゃないですか、それをアメリカ風の音楽を、イギリスの英語で言うと、みんなアメリカンイングリッシュぽくなるわけですよ。
  だから、ビートルズなんかが攻めて来たんだけど、ビートルズなんかはアメリカのマネをして入って来た、ていう印象をアメリカの人たちは受けたわけです。
  面白いでしょう。
  だから その反論としてね、その次の世代、例えばスミス(The Smiths)なんていうグループはね。
  アメリカンイングリッシュじゃない「アメリカのロックじゃない俺たちのロック」ていうオリジナリティを発揮して行くわけですよね。
209ジョン・キロックノン:2014/07/09(水) 18:25:41.11 ID:???0
□ストーリー
 ・「親愛なるシンシア。いやあ、ハンブルグは最悪だよ。
  演奏時間が長くて大変なのはともかく。
  俺たちが寝泊まりしている場所が最悪なんだよ。
  そこは古い映画館の楽屋で、トイレも酷いもんだよ。
  でも、まあ 元気にやってるけどね。
  あ、もう、店に行く時間だ。
  また手紙書くから、元気でね。
  シン、愛してるよ」

  これはビートルズとして、初めてのプロとしての仕事のために滞在しているハンブルグから、ジョンが恋人のシンシア・パウエルに書いた手紙の一節。
  こうした当時のジョンとビートルズの実情を こと細かく書かれているのは、ジョンの最初の妻となるシンシア・パウエルの手記である。
  今週も、この信憑性の高いシンシアの著作から お届けすることにしよう。

  ビートルズがハンブルグにやって来た最初のころ、クラブには観客と呼べるようなお客はほとんどいなかった。
  ところがいったんビートルズのショーの噂が広まると、毎晩お客が押し寄せて、店はそれまでの閉店である12時半を延長して午前2時まで営業するようになった。
  そしておよそ2カ月後、このクラブ・インドラは騒音への苦情のため閉鎖となり、ビートルズは「カイザーケラー」という格上のクラブへ移ることになった。
  こうしてビートルズの5人組は 少しづつキャリアアップして行くのである。
  2つ目の店であるカイザーケラーでは、ビートルズと同じリバプールのバンド「ロリー・ストーム&ハリケーンズ」と同じステージに立つことになった。
  ビートルズとハリケーンズは一晩に一時間交代で12時間のショーを行い、どちらのグループも観客から愛された。
  ハリケーンズは地元リバプールでは、ビートルズよりも有名であった。
  そもそもビートルズがハンブルグでの仕事にありつけたのは、大人気で大忙しのハリケーンズがその仕事を断ったから。
  そんないきさつもあって、ビートルズはこのバンドには絶対に負けられなかったのである。
210ジョン・キロックノン:2014/07/09(水) 18:26:24.41 ID:???0
  〜 The Beatles / Three Cool Cats
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xkyn5fucANQ
  
  〜 The Beatles / Honey Don't
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1jCdD8pSODU

  (小林)さあ、ビートルズの初期のね、カバーが続いたんですけども。

  最初は「アンソロジー(Anthology )」に入っていました Three Cool Cats。
  これは、あの、猫じゃないんだよ。
  Cool Cats てのは ジャズから出てきたスラングで、キャットていうのは男のこと、カッコイイ男ですね。三人
  で、Three Cool Cats、Three Cool chicks ていう
  chicks は チキンじゃないんだよ。女ですよね。ええそう、知っていると思いますけど。
  コースターズ(The Coasters)の ヒット曲。
  人気がありました 50年代60年代。
  黒人グループで アメリカのね、それのカバー。
  
  そして Honey Don't は これはカール・パーキンス(Carl Perkins)というカントリー系のロカビリーの、とても有名な。
  僕は、電話で リンゴ・スターにインタビューしたことがあるんですけど。
  その時「一番好きなのはカール・パーキンスだ」って言っておりました。
  ちなみにリードボーカルは、リンゴ・スターが取っておりました。 Honey Don't
  次の話しでは「リンゴ・スターの登場」ということになります。
  注意深く 聴いてくださいね。
211ジョン・キロックノン:2014/07/09(水) 18:31:26.81 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョン。今度の店カイザーケラーっていう所だけど。
  ハリケーンズも出るらしいよ。
  ほら、あれだよ、シンガーのロリー・ストームよりもドラマーの方が人気があるっていう、少し変わったバンドだよ。
  俺たち負けない様にがんばらないとな」
  
  これは1960年当時、プロとして初めてのハンブルグ巡業に行っているポールが、ビートルズのリーダであるジョンを奮起させるために発言しているシーン。
  そしてそのネタ元は、ジョンの最初の妻となるシンシアの手記に綴られたもの。
  1950年代から10年間もの間、ジョン・レノンのそばにいた彼女の記憶は ロックの歴史の中でも最も重要で超貴重なアーカイブである。
  そこから続けてみよう。

  そもそも、ビートルズがこうやってハンブルグ巡業の仕事をもらえたのは、ハリケーンズの看板シンガーであるロリー・ストームが忙しくて巡業を断ったから。
  つまりビートルズは その穴埋めのために採用されたバンドであり、本命ではなかった。
  そして数週間後、ハリケーンズはやはりハンブルグへ行くことを決め、ビートルズに合流したのである。
  ジョンやポール、そしてまだ17歳のジョージが、ハリケーンズの人気ドラマー=リチャード・スターキー、後のあのリンゴ・スターに出会ったのも ここハンブルグであった。
  当時はまだ ほんの顔見知りである。

  ハンブルグでの2つ目の店カイザーケラーも、最初の店であるインドラと同じようにハンブルグの繁華街レーパーバーンにあった。
  このレーパーバーンの通りには 風俗営業の店やストリップ小屋などが点在していた。
  アルコール関係も無法地帯で、ほとんど昼夜 さらには朝も関係なく 酒を出しているクラブも数多くあった。
  そしてさらに、ドラッグ、暴力、犯罪、ありとあらゆる裏社会がひしめきあう場所、それがレーパーバーン。

  ジョンの手紙には
  「酔っぱらい客がジャックナイフを振り回そうとすると、秩序を保つために、すかさず店のウェイターが棍棒でそれを制する場面をよく目撃する」
  と書かれてあった。
  もちろんビートルズのメンバーの家族は知らない事実。
  ここは異国の町ハンブルグ。
  リバプールとは まるで違う世界だったのである。
212ホワイトアルバムさん:2014/07/09(水) 18:32:23.60 ID:???0
  〜 The Beatles / Helter Skelter
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fj0fqARxuL4

  〜 The Beatles / Come Together
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tIibKvpX8cQ

  (小林)2曲 つながっています。
  
  Helter Skelter これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っている名曲ですね。

  そしてこれも Come Together もお馴染み。
  こっちは69年ですね。
  「Abbey Road」の1曲目。
  昔はLPて言われて、針を落とすと、これから始まった、ていう。w
  でも歌詞なんかもね、ぜんぜん、何を歌っているのか良く分かんないところがサイケでカッコイイ、とされた。
  でも、元ネタはチャック・ベリー(Chuck Berry)じゃないか? とも言われた Come Together
  
  2曲 つながりました。
213ジョン・キロックノン:2014/07/09(水) 18:33:04.42 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「親愛なるシンシア。 
  ハンブルグで最初に出た店インドラには、バンドの音がうるさいって苦情が殺到して営業停止になってしまったんだ。
  それで、俺たちが移った2つ目の店=カイザーケラーは、前の店からすぐ近く、おんなじハンブルグの繁華街レーパーバーンにあるんだ。
  酔っ払い客がジャックナイフを振り回そうとすると、騒ぎを収めるためにすかさず店のウェイターが 棍棒でそいつを叩きのめす場面、よく見かけるんだ。
  リバプールもヤバい所に行けば 似たようなものがあるかもしれないけど、ハンブルグじゃ、これが普通だからね。
  大丈夫、俺たちは気を付けているから。
  ああ、もう店に行く時間だ。また、手紙書くから。
  元気でね。シン、愛してるよ」

  これはビートルズとして 初めてプロとしての仕事のために滞在しているハンブルグから、ジョンが恋人のシンシア・パウエルに書いた手紙の一節。
  ジョンは こうしてよく手紙で 自分たちがどんな毎日を送っているかを、まるでレポーターのようにシンシアに伝えてきた。
  もちろんシンシアは心配していた。

  そして彼女が心配していたこと、いや、想像もつかなかったことが起こってしまった。
  それはビートルズのメンバーが イケナイものを嗜(たしな)むようになっていた、ということ。
  ジョンの説明によると「ダイエットに使う食欲抑制剤を服用すれば、誰でも一晩中起きていられる」ということであった。
  一人だけ少しキャラの違うドラマーのピート・ベストだけは、そういった薬物を試そうとはしなかったが。
  他のメンバーは全員 いろいろなイケナイものを試してみた、とされている。
  そして、そういった物に頼る度合いは、日に日に強くなって行った。
  ほとんど眠らず、キチンとした食事も摂らず、それでも面白おかしく、人生最高の愉快な時を過ごしていた。
  バンドとしての演奏もジワジワと上手くなって行ったし、何より、客のあしらい方が上達した と言われている。
  もちろん時代は 今から50年以上も前のお話し。
  今では 間違いなく違法行為であった。
214ジョン・キロックノン:2014/07/09(水) 18:34:24.34 ID:???0
  〜 The Beatles / I Want You (She's So Heavy)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mW6G3nh5S3I

  (小林)
  アルバム「Abbey Road」から I Want You (She's So Heavy)
215ジョン・キロックノン:2014/07/14(月) 13:10:16.00 ID:???0
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げています。

  (茨城県/男性)
  2回目のリクエストになります。
  ジョー・コッカーが歌っている With a little help from my friends
  今の私の心情を映している、そんな気がします。
  リンゴの歌っているのも淡々として 以前だったら好きなんですが。

  (小林)ていう
  これは、ジョー・コッカー(Joe Cocker)と言う人は、初めて聴く・・・
  あのほら、ビートルズを始めとしてイギリスのアーティストがアメリカの音楽に入って行ったのは、リズム&ブルースが入り口ですよね。
  そのリズム&ブルース風を 白人が歌って、これほどパワフルに歌える人はいない、と思われる。
  まあ、最高の、60年代70年代最高のリズム&ブルースシンガーですから。
  今から聴いてみると「えー、こんなに力入れなくても」と思っちゃう ほど力が入っている。
  パワーだとか、感情を感じるバージョンになっています。
  では、リンゴ・スターのバージョンを、ジョー・コッカーがやっています。

  〜 Joe Cocker / With a little help from my friends
  ttps://www.youtube.com/watch?v=nCrlyX6XbTU
216ジョン・キロックノン:2014/07/14(月) 13:11:36.76 ID:???0
  〜 The Beatles / Get Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XlujQwMY7TQ

  (小林)アハハ。
  有名な ね、「オーディション、受かったかな? 俺たちは」みたいな
  ジョン・レノンの発言が聴かれましたけど。
  これが Get Back、有名なバージョンです。

  (千葉市緑区/男性)
  私は ある理由があり右脚半分を切断しました。
  克也さんとは 昔から、好きでして、今から20年前30年前からのファンです。    (小林)ありがとうございます。
  リクエストは Get Backが良いです。
  毎週ヘッドホンをしてファンキーに聴いています。
  病院でかかると最高です。

  (小林)ていう
  まあ Get Back じゃないけど、早く帰って来ていただきたいと思います。

  で、その前のジョー・コッカー、なんかすごかったでしょ。
  僕、聴いていて思い出しましたよ。
  あのね、ライオネル・リッチー(Lionel Richie)とジョー・コッカーがね、東京音楽祭来たことがあるんですよね。
  で、ライオネル・リッチーが「ジョー・コッカーがいたんで。俺、上がっちゃった」っていう話しを聞きましたよ。
  それくらい凄味がある人でした。
217ジョン・キロックノン:2014/07/14(月) 13:12:48.81 ID:???0
  (熊谷市/女性)
  ビーチボーイズ(Beach Boys)の I Get Around
  この曲はビーチボーイズの中でも、初めて全米ナンバーワンになった曲だと思いますが。
  この番組らしいシャウトな曲ではない・・・            (小林)え? 番組はシャウトっぽいですか。
  私のビーチボーイズの好きな曲ベスト3に入る曲なので。

  (小林)
  まあ、ビートルズの番組ですけど。
  ポールが 特にビーチボーイズ注目してて 大好きで。
  出るたびに ジョンと一緒に聴いた、っていう話しがありますよね。
  ポールは よくビーチボーイズを聴きながらメモをしていた、っていう
  特に注目していたグループであります。
  じゃあその、「ここら辺では、ちょっと俺は有名なんだよ。顔が知れているんだよ」という意味があります。
  I Get Around
  
  〜 Beach Boys / I Get Around
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vWesxME9Cto
218ジョン・キロックノン:2014/07/14(月) 13:13:31.98 ID:???0
  〜 The Beatles / A Hard Day's Night
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mXEn7VBTD5M

  (小林)いやあ、カッコイイねえ、いつ聴いてもねw。
  来週も聴くような気がするなw 俺w。
  
  (牛久市/男性)
  最近、今は亡き大正生まれの祖母の残したレコードが家に残っているのを見つけました。
  私は小学生まで祖母に育ててもらいました。
  ひらがなや足し算も、レコードの33回転と45回転の違いも、教わったのは祖母からでした。
  祖母が聴いていたレコードの曲を聴くと、そのころ住んでいた国道沿いの大阪の家の大きなスピーカーの振動を思い出します。
  今回見つけたレコードの中に 一枚だけビートルズがあったので、その曲 A Hard Day's Nightをリクエストしたいと思います。
  
  (小林)
  昔の方が 大きな音で聴いたのかもわかんないね。
219ジョン・キロックノン:2014/07/14(月) 13:14:29.55 ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  話しの方は ハンブルグへビートルズが行って。
  まあ、出稼ぎみたいな ことですけど。
  ここは、ちょっと、想像してくださいよ。
  すごい街なんですよねえ。
  そんな中で、ビートルズがすっごい鍛えられて、タフになって行くんですよ。強くなって行くんですよ。
  また、来週をお楽しみに。
     
  リクエストの方もよろしくお願いします。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは
  [email protected]
  なおファックスとかハガキなんかでも 受け付けておりますので よろしく。

  ということで、来週は、なんか ポロッて言ったけど。
  A Hard Day's Night を・・・
  そうなんだよ、50年前の今ごろ っていうことなのかな。
  それを 楽しみにしてくださいねw
220ジョン・キロックノン:2014/07/15(火) 13:52:51.37 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年7月13日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(7月13日)
 ・1964年(今から50年前の今日)
  A Hard Day's Night がアメリカで発売になります。A Hard Day's Night の発売。
  ビートルズが、1964年てのは、世界にデビューして、そして最も忙しかった年。一番太った年とも言われています。
  レコードの大ヒットの他に、ツアーの大成功。
  そして忘れてはならないのが、初の映画作品に出るわけです。主演するわけです。
  これは、マネージャー=エプスタインの戦略の一環です。
  レコードは、まずまず世界のいろんな国に届く。ね、いろんな国に発売される。
  まあ、レコードが買えなくても、ラジオでは聴くことができる。
  先進国では、テレビでビートルズを見ることができる。
  でも、ツアーにも行けない国、テレビも普及していない国、そこでも、映画館はあるんじゃないか?。
  全世界に映画館はあるはずだ。
  で、だから ビートルズの映画を作るんだ。
  それも、出すアルバムと連動している、ということですよね。
  で、A Hard Day's Night というのは映画にもなるわけです。
  日本では「ヤア!ヤア!ヤア! ビートルズがやって来る」っていうタイトルが付けられますけども。

  面白いですねえ、その A Hard Day's Night も、いろいろ伝説がありますね。
  リンゴ・スターの失言から「今日は とても忙しい日の夜だったね」
  「そんな英語は無いだろう」「そんな日本語は無いだろう」w みたいな感じで。
  「いよう、それタイトルにしちゃおう!」とかねw
221ジョン・キロックノン:2014/07/15(火) 13:54:19.21 ID:???0
(続き)
  で、音楽的にもこの A Hard Day's Night っていうのは・・・
  そうですよね、人によっては、僕なんかは初期の作品の中では She Loves You と A Hard Day's Night が一番好き。
  で、これはやっぱりね、何て言うんですかねえ、オープニングが衝撃的。
  二つの違ったコードを一緒に弾いている、じゃないか? っていう。
  あれは、いまだに判んないw。
  いや、12弦の倍音効果が出ているんじゃないか? とか諸説あります。
  キーはGで始まるんだけども、エンディングのアルペジオはFになっている、という。
  独特のアイデアも盛り込まれています。

  さすが、ビートルズという、これはもう本当不滅の大傑作、改めて聴きますか?
  先週の終わりがw A Hard Day's Night だったねw。
  今週の始まりは、やっぱりこの Night から始まります。

  〜 The Beatles / A Hard Day's Night
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mXEn7VBTD5M

  (小林)いかがですか?
  The Beatles 、何回聴いてもカッコイイね。A Hard Day's Night。
222ジョン・キロックノン:2014/07/17(木) 18:24:58.29 ID:???0
□ストーリー
 ・「ジョンはハンブルグから 素敵な手紙をたくさん書いて送ってくれました。
  少し奇妙なイラストが描いてある事も しょっちゅうでしたね。
  ただ、たまに少し精神状態が普通ではない、と思わせるような文章が送られてくることもありました。
  もちろん、その時点では それほど気にも留めてなかったんです。
  ところが、メンバーがリバプールの戻って来てから発覚した事実にびっくりしました。
  それは、ビートルズのメンバーが イケナイものを嗜(たしな)むようになっていた、ということなんです。
  
  こうした、当時のジョンとビートルズの実情を 事細かく描かれているのは、ジョンの最初の妻となるシンシア・パウエルの手記である。
  今週もこの 信憑性の高いシンシアの著作から お届けすることにしよう。

  ジョンによると、そのイケナイものとは、ダイエットに使う食欲抑制剤のこと。
  これを服用すれば、誰でも一晩中起きていられる、ということであった。
  ほとんど睡眠を取らなくても大丈夫になり、きちんとした食事も摂らず、それでも面白おかしく人生最高の愉快な時を過ごしていた。
  もちろん時代は今から50年以上も前のお話し、今では当然 違法行為 犯罪である。

  そんな荒れたハンブルグでの毎日の中で 喜ばしい出会いがあった。
  ジョンからの手紙には、しょっちゅう“アストリッド・キルヒヘル(Astrid Kirchherr)”という女性の事が書かれるようになった。
  シンシアは気が揉めて仕方がなくなっていた。

  その女性は 写真家のアシスタントをしていて、クラウス・フォアマン(Klaus Voormann)というボーイフレンドとビートルズの演奏を聴きに カイザーケラーまで足を運んでいた。
  クラウスは ある晩たまたま一人でクラブにふらっと立ち寄り、その時に見たビートルズのステージがあまりにも驚異的だったため アストリッドを誘った。
  自分のキャラクターも 日常の生活も 全てアートそのものであったアストリッドにとって、レイパー・バーンなどという下世話な場所には行きたくなかった。
  しかし、ビートルズのショーが始まった瞬間、全ては一変した。
223ジョン・キロックノン:2014/07/17(木) 18:26:12.43 ID:???0
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6ibeqQA2_Yw
 
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fUHzyyyW9Sw

  (小林)Long Tall Sally、これはシングルですよね。64年の。
  ジョージ・マーティンがピアノを弾いていたそうです。

  そして、She Loves You
  これが最初の100万を突破した 大ヒットです。
  もちろん、イギリスで1963年 ナンバーワンです。
224ジョン・キロックノン:2014/07/17(木) 18:27:15.01 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「なに?このバンド。今までのロックバンドと かなり違う感じがするわ。
  見た目はそれほどクールじゃないけど、とにかく何かが違う。
  特に一番前で歌っている彼と、左利きの彼、とにかくエネルギーがすごい」

  この発言の主である女性の名前は アストリッド・キルヒヘル。
  写真家のアシスタントをしいていて、後にビートルズファミリーの一員となるクラウス・フォアマンというボーイフレンドとビートルズの演奏を聴きに来ていたのである。
  自分のキャラクターも、日常の生活も、全てアートそのものであったアストリッドにとって、レイパー・バーンなどという下世話な場所は好きなわけはなかった。
  しかし、ビートルズのショーが始まった瞬間、全ては一変した。
  とにかく、何かが違うのである。

  もともとは クラウスが、たまたま一人でこの店カイザーケラーに立ち寄り、ビートルズを発見した。
  そしてその あまりにも強いキャラに圧倒され、恋人であったアストリッドを なかば無理やりこの店に連れて来たのである。
  この日以来、アストリッドとクラウスは ほとんど毎晩のようにビートルズを見に店に顔を出した。

  アストリッドは語っている。
  「確かに私は中産階級の出身ですが。
  たとえそれが労働者階級であっても、立派なハンブルグ市民であれば 決して近付くことのない地域、それがレイパー・バーンなんです。
  そんな所でビートルズと出会ったわけですから、いろんな意味でかなり衝撃的な出会いではありました。
  あの日の事は 生涯忘れないでしょう」
  
  そして、アストリッドとクラウスが、その友人たちにビートルズのことを話すと、ますます多くの仲間がクラブに通うようになり。
  次第に学生たちが、それまで来ていたガラの悪い常連客と入れ替わってしまった。
  ステージの合間には ビートルズの面々もアストリッドやクラウスや その友達と一緒に座るようになった。
  学校でドイツ語を取っていたピートと、英語が話せるドイツ人学生を通じてのコミュニケーション
  リバプール経由のロックンロールが、ハンブルグに輸入された 記念すべき瞬間であった。
225ジョン・キロックノン:2014/07/17(木) 18:28:24.71 ID:???0
  〜 John Lennon / Be-Bop-A-Lula
  ttps://www.youtube.com/watch?v=RtLnZnxSF7E

  〜 John lennon / Instant Karma
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EqP3wT5lpa4

  (小林)ジョンの曲が2曲続きました。
  なんか、ジョンの感覚的なメッセージがつながってるような感じですよね。
  
  この Instant Karma いま聴いた曲は。
  朝 目が覚めたら アイデアが浮かんでいて、その夜に録音しちゃった。
  ちょうどロンドンにフィル・スペクターが、プロデューサーが来ていて 一緒にやった、ていう。
  フィル・スペクターもジョン・レノンも、天才のw二人ですからw
  特に、フィル・スペクター おかしい人ですから。
  
  その前の曲が Be-Bop-A-Lula。 
  曲の半分ぐらいは、フィル・スペクターがプロデュースした。
  ジョン・レノンが「Rock 'N Roll」のソロアルバムに入っていましたね。
  Be-Bop-A-Lula。 
  有名なジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)という人の曲。
  この「Rock 'N Roll」を録音したスタジオの天井には まだ、
  フィル・スペクターが・・・
  この人おかしいですから、ピストル撃ったらしいんですよね。
  その天井に3発ぐらい 弾跡が残っているそうです。
226ジョン・キロックノン:2014/07/17(木) 18:29:34.00 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ビートルズ、いろんな意味で かなり衝撃的な出会いではありましたね。
  あの日の事は、生涯忘れない でしょう」

  この発言の主である女性の名前は アストリッド・キルヒヘル。
  ハンブルグで写真家のアシスタントをしていて、後にビートルズファミリーの一員となるクラウス・フォアマンという ボーイフレンドに強く誘われて
  ビートルズの演奏をカイザーケラーまで聴きに来ていたのである。
  
  数週間過ぎると それまでの店の常連客は ガラの悪い酔っぱらい連中が一掃され、アストリッドから紹介されてビートルズを見に来る若い学生連中に取って代わった。
  アストリッドはビートルズのテディボーイファッションに心を惹かれ、メンバーはアストリッドが自分たちに関心を持ってくれたことに光栄に感じていた。
  アストリッドは「ビートルズの写真を撮りたい」と言って、自宅にお茶に招いてくれた。
  白と黒の内装に キャンドルを灯したアストリッドの部屋を見て、ジョンたちは、そのあまりに洗練されたアートな感覚にビックリした、という。
  そして、アストリッドが出してくれた、ハムサンドイッチに大喜びした。
  ビートルズのメンバーはドイツに来て以来、これほどまともな食べ物を味わったことが無かった。
  店の賄(まかない)だって「食えるだけマシ」という酷いものである。
  それから、メンバーは 毎日のようにアストリッドの家に食事をしに行くようになったことは 言うまでもない。

  ジョンにとっても他のメンバーにとっても、アストリッドは洗練された魅力にあふれていた。
  みんなは時代の先端を行くアストリッドの黒を基調とした洋服や、アバンギャルドな生き方、写真術、それらを全て含めたセンスの良さに圧倒されていた。
  ジョンがリバプールに残した恋人=シンシアに宛てた手紙には「アストリッドはこうだ。アストリッドがこんなことを言った」という言葉が頻繁に出てきた。
  そうなると、落ち着いていられないのが 気弱な女性=シンシア・パウエルであった。
227ジョン・キロックノン:2014/07/17(木) 18:30:35.81 ID:???0
  〜 The Beatles / Revolution
  ttps://www.youtube.com/watch?v=PpCVVCBA2_4

  〜 The Beatles / The Long And Winding Road
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Xqu9qhBHWNs

  (小林)いかがですか? 2曲続きましたね。

  Revolution、これは「Hey Jude」これのBサイドです。B面です。Revolution

  The Long And Winding Road は、あまりにも有名な曲ですよね。
  この番組でも何回も取り上げています。
  そして、先ほども話しに出ていた フィル・スペクターが。
  もう、フィル・スペクターに丸投げしちゃったもんんで、ビートルズが。
  もう、丸投げをいいことに いろんなストリングスを加えたり コーラスを加えたりして。
  ポール・マッカートニーのピアノも聴こえないくらいのw バージョンになってw。
  ポールは「大嫌いだ」ていう、そのバージョンですよ。
  The Long And Winding Road お送りしました。
228ジョン・キロックノン:2014/07/19(土) 14:03:19.62 ID:???0
□リクエスト
  (小林)
  メールのアドレスは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送らせていただいております。

  (千葉市花見川区/女性)
  いつもこのラジオと、テレビの「ベストヒットUSA」を夫婦で楽しみにしています。
  先日「ロックの日」6月9日「ベストヒットUSA」で紹介された ポールの「Good Evening New York City」のライブを映画館に見に行きました。
                                                      (小林)映画館で見ましたかぁ。
  映画館でライブを見たことが無かったので、あまり期待していなかったのですが、見に行って良かったです。
  映画館の大画面、音響で見るライブは、テレビやネットで見るのとはぜんぜん違い 大満足でした。
  リクエストは 映画で過去のライブ映像と組み合わせで流れていたアイム・ダウンをお願いします。

  (小林)ていう
  このニューヨークシティのライブっていうのは、ビートルズがシェイ・スタジアムというニューヨーク・メッツの、当時から弱かったwらしいんですがw。
  ニューヨーク・メッツのシェイ・スタジアムでライブをやりますよね、有名な話しですよね。
  で、シェイスタジアムが取り壊されて、そして新しくオープンして、それにポール・マッカートニーがライブで、その球場でのライブをやるわけですね。
  それを 映画にしたものなんですけども。
  それじゃあ[/女性]さん、あなたのリクエストで I'm Down

  〜 The Beatles / I'm Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=lE-3NcM0Se8
229ジョン・キロックノン:2014/07/19(土) 14:04:54.06 ID:???0
  〜 The Beatles / Martha My Dear
  ttps://www.youtube.com/watch?v=g6-5cvEMM8I

  (小林)ポール・マッカートニーの Martha My Dear が流れましたぁ。

  だけど、あれだね、ポールはすごい。
  ボーカルはジョンなんかよりも はるかに幅広い引き出しを持っている感じがありますよね。
  その前の I'm Down てのは、リトル・リチャード(Little Richard)黒人のR&Bぽいあれで。
  「俺はもう 落ち込んでるのに なんでおまえ、なんでおまえ笑うんだぁ」みたいなw おっさんの演技から、
  Martha My Dear は けっこうスカした青年になってますからねw
  やっぱりボーカルの幅広さは すごい。

  (藤沢市/女性)
  毎週日曜日のこの時間、ほんとうに楽しみな25歳です。    (小林)はいw 歳まで教えていただいてw。
  飼っていた14歳の愛犬パティが亡くなって ちょうど1ヶ月が経ちます。
  実は亡くなった当日は、奇しくもポールの国立競技場のライブの日で、家族全員 泣きながら会場に向かいました。
  結局ライブも中止になり、悲しいことが重なった一日でした。
  でも、ポールのおかげで外に出かけたことで「家に閉じこもって どんよりせずに済んだかなあ」なんて。
  亡くなった1ヶ月後の6月18日はちょうどポールの誕生日でもあり、不思議な縁があるのかな、と思いました。
  リクエストは Martha My Dear

  (小林)まあ、ポールの愛犬に捧げたw
  どちらかと言うと、ポールは犬人間、ジョンが猫人間、そんな感じですよねw
  飼ってるペットからいってね。
230ジョン・キロックノン:2014/07/19(土) 14:06:29.57 ID:???0
  (東京都大田区/男性)
                 (小林)とうとう大台に、大台に行きましたねw。年齢、あなた。
  BBCライブのCDに収録されている「To Know Her Is To Love Her」「募る思い」
                 (小林)って書いてますが[/男性]さん、あれ「会ったとたんに一目ぼれ」です、日本語のタイトルは。
  一番大好きなビートルズによるカバー曲なのでリクエストします。
                 (小林)これはもともと曲が、よく出てくるプロデューサーのフィル・スペクターが
                     十代の高校生の時に作った、作詞作曲して、アメリカで1位になった。
  リードボーカルは女性がやってたので、原曲のHimをHerにして ビートルが変えて歌っていますね。

  (小林)ていう。
  そうなんですよね、これはなかなか面白いですね。
  [/男性]さん、やっぱりあれですね、ビートルズが好きな人はフィル・スペクターつながっていくわけですねw。

  〜 The Beatles / To Know Her Is To Love Her
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fVK1BvKwYzs
231ジョン・キロックノン:2014/07/19(土) 14:07:56.33 ID:???0
  〜 The Beatles / I've Got a Feeling
  ttps://www.youtube.com/watch?v=h9HTsW2aWBU

  (小林)I've Got a Feeling

  (江戸川区/男性)
  現在流れているシンシアの話しを聞いていて、40年前に見た映画「Let It Be」のワンシーンを思い出しました。
  ジョージのギターソロに ポールがクドクド文句を付けて、ジョージがついに怒り出して帰ってしまったところです。
  シンシアの話しでは、ポールは少年時代から、他のメンバーの演奏に辛辣に文句を言うところがあったようですね。
  それと、ジョンが他の人と親しくするのを、ポールは少年時代から嫌っていた、というのも興味深く聞きました。
  映画の中でポールがイライラ・ギスギスしていたのは、ヨーコにヤキモチを焼いていたから、という気がしました。
  
  (小林)だいたい、当たってるんじゃないでしょうかね。
  リクエストは、ポールがジョージに難癖を付けていた I've Got a Feeling
232ジョン・キロックノン:2014/07/19(土) 14:10:48.93 ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?

  ビートルズの ハンブルグ時代のお話し。
  ハンブルグ時代は、ほんとに食べる物もロクな食べ物も無いし。
  それから、睡眠時間だってねw。
  まあ いろいろ あってw、無かったりとか。するわけですけど。
  ビートルズが得をしたっていうか、ビートルズにとってプラスになったのは。
  ドイツのアートの学生たちに出会ったこと。
  それから、やっぱり キツいライブで 強くなったこと。
  この二つなんですよね。
  まだまだ面白い話しは続きますので、よろしく。

  そして、みなさんのリクエストを待っています。
  リクエスト、かなり面白いですから、よろしくお願いしますね。
  いろんな方、いると思いますけど。
  ビートルズの関わり合いを ちょっと話しに書いて、リクエストください。
  イシイのミートボールなどセットにして採用の方には差し上げております。
  メールは
  [email protected]
  です。
233ジョン・キロックノン:2014/07/22(火) 18:28:43.65 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年7月20日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(7月20日)
 ・1968年(今から46年前の今日)
  ポール・マッカートニーのフィアンセ、許嫁(いいなずけ)ていうかw もうそのころ一緒に住んでいたんですが。
  46年前の今日、ジェーン・アッシャー(Jane Asher)が、突然BBCで、「ポール・マッカートニーとの婚約を解消した」と発表いたします。
  もう私はポールとは結婚しません宣言です。原因はポールの浮気です。

  このジェーン・アッシャーとの、ポールの関係は ご存知かと思いますけども。
  まだ彼女が17歳で、女優としてスタートしていて、ちょっともてはやされ気味だったジェーン・アッシャーが。
  ポール、ビートルズのインタビューをロイヤル・アルバートホール、インタビューアーとして来るわけです。
  インタビューアーとして。
  で、その時知り合うわけですが。

  ジェーン・アッシャーのお父さんは精神科医で、お母さんは音楽大学の教授をやっていて。 
  兄は、これはピーター&ゴードン(Peter&Gordon)ていう二人組で。 
  後にポールが「A World Without Love」を書いてあげて、これが全米ナンバーワンになって売れたりするわけですけど。
  まあ、イギリスっていうのはご存知の通り 厳然とした階級制度みたいなのがあって、上流階級の娘さんです。
  で、ポールと付き合うようになって。

  64年から66年の間、ジェーン・アッシャーの家の屋根裏部屋にポールは下宿するんです。
  で、3年間の間ポールは、アッシャーのお父さんやお母さんと コンサートへ連れて行ってもらったり、劇を見に行ったり。
  それから オペラ行ったり、バレエ行ったり、あと美術館めぐりをやったり。
  「上流階級の接する芸術的なもの」に親しむわけですよね。
  そしてまあ、ポールは相当 勉強になるわけです、人生の。
234ジョン・キロックノン:2014/07/22(火) 18:35:27.79 ID:???0
(続き)
  でも、ポールはいろいろまあ 女の子、ビートルズですから、女の子w
  もうほんとに、アタックしてくるわけですからw
  でまあ、ジェーン・アッシャーと同棲していた家に、ジェーンが旅興行か何かでね、外に出ていた時に、帰らない時に 久しぶりに帰ったら、
  ベッドに アメリカ人の 誰だ?、フランシー・シュワルツ(Francie Schwartz)て言う人?といっしょにいた っていう。
  まあ、これがw 切っ掛けになって ジェーンは怒るわけです、当たり前ですけどw。

  振り返りますと、アッシャー家の下宿人であったポールは、いろんなインスパイアーされることが多かったわけですけども。
  ある日ベッドから飛び起きたら、名曲が頭の中で鳴ってるわけです。
  「あ、これは・・・、昔からあった曲なのかな?、俺が作った曲なのかな?」って わかんない。
  1年半の間 曲が、人に「自分っで作った曲かどうか分からない」っていうことで。
  で、1年半経って・・・
  「玉子焼きの歌」だったわけですよね。
  「スクランブルエッグ〜スクランブルエッグ〜」っていう歌が、1年半経って完成する、というね。
  1965年 完成するという、歴史的な曲を聴いてみます。
  この曲です。

  〜 The Beatles / Yesterday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU

  (小林)ビートルズのポール・マッカートニーの Yesterday
  ポール・マッカートニーはね、1年半経って、友達のポルトガルの別荘へ招かれて。
  飛行機でロンドンから行って、それで空港から、空港にね運転手を待たせてくれたらしいんですけども。
  山を山脈を越えて行くんですよ、海辺の別荘へ。
  で、その途中、ジェーンも一緒でね。婚約者のジェーンも一緒で。
  ジェーンは寝てて、ポールに肩をかけて ぐっすり寝てて。
  その中でポールが「Yesterday」を思いついて、すぐ その次に「Suddenly」
  でもう韻を踏んで どんどん どんどん、頭の中に もう嵐のように詩が浮かんで来た。
  ていう、ことだそうですよ。
235ジョン・キロックノン:2014/07/24(木) 23:25:33.59 ID:???0
□ストーリー
 ・「ジョンがハンブルグから送ってくれる手紙の中に、いつの頃からか”アストリッド”という女性の名前が頻繁に登場するようになったんです。
  『アストリッドの部屋はこんな感じだよ』とか『アストリッドが、こんなことを言った』とか。
  最初は『なにこの、アストリッドっていう女!』と思っていましたけど、どうやらそれはとり越し苦労みたいでしたね」

  この発言は ジョンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
  こうした当時のジョンとビートルズの実情が 事細かく描かれている彼女の手記。
  今週もこの信憑性の高いシンシアの著作から お届けすることにしよう。

  ジョンがハンブルグで出会い影響を受けたとする女性の名は、アストリッド・キルヒヘル(Astrid Kirchherr)。
  彼女は写真家のアシスタントをしていて、恋人であるクラウス・フォアマン(Klaus Voormann)に連れられて ビートルズの演奏を聴きに来たのである。
  アストリッドは、その演奏のパワーもさることながら、彼らのテディボーイファッションに興味を持った。と発言している。
  ちなみに、その彼氏であったクラウス・フォアマンは、後にロンドンに渡り、ベーシストとして、そしてデザイナーとしても活躍した人物。
  彼の最も有名な仕事は、ビートルズのアルバム「リボルバー(Revolver)」の あのリトグラフによるアルバムジャケットである。
  ジョンにとっても 他のメンバーにとっても、アストリッドは洗練された魅力にあふれていた。
  みんなは時代の先端を行くアストリッドの黒を基調とした洋服や、アバンギャルドな生き方、写真術、それらを全て含めたセンスの良さに圧倒されていた。
  アストリッドはビートルズのメンバー全員に影響を与えたが、特に芸術家同士として同調したのが、スチュアート・サトクリフ。
  いつの間にか、アストリッドはスチュを好きになっていた。もちろん100%恋愛感情である。

  シンシアはこう語っている。
  「私は ジョンを取られたくなくて、ひと安心しましたが。きっとクラウスは後悔したでしょう。
  『ああ!、アストリッドにビートルズなんか 見せるんじゃなかった…』ってね」
236ジョン・キロックノン:2014/07/24(木) 23:26:25.48 ID:???0
  〜 The Beatles / When I Get Home
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cduOCGAldSo
 
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fUHzyyyW9Sw

  (小林)ビートルズの永遠の名曲 She Loves You
  これは1963年、最初のミリオンですよね。
  100万を突破したヒットであります。
  もちろん1963年ですが、イギリスでね。
  64年になって、世界のアメリカを始め日本を始めね いろんな世界が加わることになるんですが。

  その64年の「A Hard Day's Night」のアルバムに入っていた When I Get Home
  これをかけて She Loves You をかけました。
237ジョン・キロックノン:2014/07/24(木) 23:27:33.72 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ああぁ、アストリッドに ビートルズなんか見せるんじじゃなかった・・・」
  この嘆き悲しむ男の名は クラウス・フォアマン。
  ハンブルグでビートルズに出会い、そこで恋人のアストリッド・キルヒヘルをメンバーのスチュアート・サトクリフに奪われた。
  それだけでは あまりに可哀そうな男の物語で終わってしまうのであるが。
  この数年後、ロンドンに渡ったクラウスには「ツキ」つまり幸運が廻って来る。
  自分もベースを演奏することができたクラウスは、人気グループ「マンフレッド・マン(Manfred Mann)」に加入し、活躍した。
  もちろんビートルズを頼ってロンドンに来たクラウスは、ずっとビートルズの仲間であり、ファミリーの一員であった。
  もともと芸術家志望であった彼は、絵やイラスト、そしてデザインの仕事も続けていた。
  その最も有名な仕事は、1966年のビートルズのアルバム「リボルバー(Revolver)」のジャケットデザインを手掛けたこと。
  このリトグラフによるコラージュ作品は、音楽業界で最も大きなアウォードであるグラミー賞のデザイン部門の最優秀作品に輝いた。
  そしてマンフレッド・マンを抜けたあと、さらにクラウスは、ジョンとヨーコの新しいプロジェクトである「プラスティック・オノ・バンド(Plastic Ono Band)」に加入し
  ベーシストとして、ライブに、そしてアルバムのレコーディングにしばしば駆り出された。
  1970年代のジョンの作品「プラスティック・オノバンド」「ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)」や「イマジン(Imagine)」を始め
  そのほとんどは クラウスがベースを担当している。と言われている。
  ちなみに、現在のオノ・ヨーコ率いるプラスティック・オノ・バンドのベーシストも クラウス・フォアマン。
  息の長いアーティストである。
  
  話しは、アストリッドとスチュに戻るが。
  この1960年の秋、22歳のアストリッドと 20歳のスチュは 出会って2ケ月で婚約し。
  ドイツの習慣に則(のっと)って、お互いに金の指輪を贈り合った。
  ビートルズのドイツにおける青春群像、質素ではあるが、素晴らしいパワーを秘めた物語である。
238ジョン・キロックノン:2014/07/24(木) 23:30:53.66 ID:???0
  〜 The Beatles / Paperback Writer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vD-Oe1d1jeE

  〜 The Beatles / She Said She Said
  ttps://www.youtube.com/watch?v=eAYzsBezl8o

  (小林)She Said She Said 1966年の「リボルバー(Revolver)」
  つまり、そのジャケットはクラウス・フォアマンが、ビートルズとハンブルグで知り合ったクラウス・フォアマンがデザインした。
  かなりもう66年、サイケになっておりましたね。
  
  その前も 66年の、ちょうど66年ていうと ビートルズが日本に来るわけですが。
  ちょうど日本に来た頃 イギリスやアメリカでナンバーワンだった Paperback Writer
  おかけいたしました。

  なお、さっきクラウス・フォアマンはオノ・ヨーコのバンドのメンバーであるていうような事を言いましたけど。
  ここ数年は メンバーで参加していて。
  実は、最新のニュースだとね。
  6月の終わりに、イギリスのフェスティバルで一番大きい有名な、グラストンベリー(Glastonbury)のフェスティバルにオノ・ヨーコ出たんですよ。
  息子のショーンが「絶対に お母さん出た方がいいよ」つんでw出たんですよ。
  その時クラウス・フォアマンが入ってたかどうか、確認できないんですけど。

  まあそのレポートですけど、ご存知の方いるかもわかんないですけど。
  オノ・ヨーコは、グラストンベリーで、メッチャクチャな大ブーイングを、歴史に残るような大ブーイングを浴びたっていう、ことですよ。
  まあ、大トリはね、メタリカ(Metallica)が、メタリカが出るってことも大変なことだったんだけど。
  メタリカの場合は 若者たちが「ウォー!」と支持したらしいんですけども。
  オノ・ヨーコは、グラストンベリーに行くのに絶対予想しているわけですよ、「自分はこういう風に嫌われてて」
  だけど、それで行って、大ブーイングをやってw お客を興奮させたっていうのは、確かに偉いですよね。この人は、ね。
239ジョン・キロックノン:2014/07/24(木) 23:32:55.07 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「アストリッドってドイツの女性が、ジョンじゃなくてスチュに恋をしていると聞いて、とりあえずホッとしましたね」
  こう語るのは、ジョン・レノンの最初の妻になるシンシア・パウエル。
  こうしたエピソードは、全て彼女の手記に印されているもの。
  その内容は、ほぼ100%シンシアが実際に目の当たりにしたり、ジョンから直接聞いた話しを基にしているもの。
  この極めて信憑性の高い彼女の著作から もう少し続けてみよう。

  1960年の秋、22歳のアストリッド・キルヒヘルと20歳のスチュアート・サトクリフは、出会って2ケ月で婚約し。
  ドイツの習慣に則(のっと)って、お互いに金の指輪を贈り合った。
  アストリッドはスチュのジェームス・ディーンのようなルックスに惹かれていた。
  彼女はスチュのサングラス姿が一番のお気に入りであった。
  もともと神秘的でハンサムなスチュであったが、そのサングラスをかけると 魅力は倍増した。 
  ジョンやシンシアのように、スチュもまた極度の近眼であったが。
  彼の場合、オシャレなフレームに度の入った色付きのレンズを合わせたおかげで「近眼=ビンの底風メガネ」という常識をクリアしていた。

  スチュアートとアストリッドが婚約して間もなく。
  ビートルズは、それまでのクラブより さらに規模の大きく格も高い「トップテンクラブ」への出演契約を持ちかけられた。
  メンバーは全員トップテンクラブへは、トニー・シェリダン(Tony Sheridan)というイギリスのシンガーのステージを見に出かけたこともあった。
  ビートルズの面々は、このシェリダンの素晴らしさを認めていた。
  何度か ジャムセッションをしたこともあった。
  しかし、このセッションが、ハンブルグのクラブシーンを牛耳る男=ブルーノ・コシュミダーの逆鱗に触れた。
  どこかの店に出演することを契約をしている以上、他の店で演奏することはご法度であった。
  このことが ビートルズのハンブルグでの仕事に大きな支障を来すことになるとは。
  この時、まだ誰も予測してはいなかったのである。
240ジョン・キロックノン
  〜 The Beatles / Blue Jay Way
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rsSz8lKsDNg

  〜 The Beatles / Got To Get You Into My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mqwxn8DzER8

  (小林)1966年の「リボルバー(Revolver)」に入っている Got To Get You Into My Life
  まあ、行動的なポールらしい曲ですよね。
  これはやっぱり ソロになった、ソロ活動だとか、ウィングズ(Wings)につながるような感じがしますよね、この曲聴くと。
  
  そしてその前は「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」の中の 隠れた名曲です。
  ジョージ・ハリスンの Blue Jay Way
  実際にハリウッドにある道の名前です