【bayfm78】ビートルズから始まる。10【小林克也】

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1ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】
●bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組

番組内コーナー
・ビートルズ・カレンダー
・ビートルズ・ストーリー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)

▼前スレ
9 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1359722581/
8 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1341307124/
7 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1320067779/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/
では、8月18日の初めから。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
 2013年8月18日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月18日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  「サマー・オブ・ラブ」と言われる年、「サイケデリック元年」みたいな年。
  ビートルズが「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」を出した年ですけども。
  今から46年前の今日、イギリスで「We Love You」というシングルが、ローリングストーンズ(The Rolling Stones)のシングルが出ます。
  なぜ、ローリングストーンズのシングルの話しをするかというと、バックボーカルにジョンとポールが入ってるんです。
  ロック史上 ローリングストーンズとビートルズは、未だに、双璧と言われる、二大巨頭と言われるバンドですよね。
  片やビートルズは とっくに解散して、ストーンズは 未だに「ロック史上最古の現役バンド」と言われていますけれども。
  でもやっぱり ビートルズがずーっと先を行って、ローリングストーンズのミックジャガー達がけっこうビートルズを追いかける、みたいな構図で。
  その間 けっこう仲が良かったみたいですよね。いろんな付き合いをしているからね。
  ストーンズの2枚目のシングルっていうのは、ほら、ストーンズがオリジナルを書かないていうことで、
  ストーンズが出ていたライブハウスの楽屋で、ジョンとポールが10分で。
  「ほらこれ、やったら?」っていうんで、「I Wanna Be Your Man」。
  ビートルズはリンゴ・スターが歌ったんですけど。
  軽く ビートルズが書いてあげたり。
  あと、ローリングストーンズは めちゃくちゃでかくなって、その後、談合が行われるんですよね。
  自分たちの お互いのシングルは、同じ日に出すとぶつかり合うので、微妙に日付をずらしたりしました。
  それから、「All You Need Is Love」が、全世界で生放送になった時、ミックとキースが(スタジオに)居たり、とかね。
  また、ストーンズがニューアルバムの新作パーティをやってる時に、
  ポールが行って「Hey Jude」ってのが「これが俺の新曲だ!」ってかけて、
  「Hey Jude」が受け過ぎて「お呼びでない!」っていう。
  まあ、いろんなことがあって。
  仲が良かったけど、そんなに・・・、どうなんだろうね、本当の親友じゃ無かったような・・・、じゃないでしょうかね。
  
  「We Love You」に戻しますと。
  46年前の今日出た「We Love You」。
  この頃は 本当にサイケデリック真っ盛りで、ビートルズが「サージェント・ペパー」を出すわけです。
  で、ローリングストーンズはショックを受けるわけですね。
  「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」というタイトルに ちょっと似てるような
  「Their Satanic Majesties Request」という アルバムを半年遅れで出すんですよね。
  だけど、ビートルズみたいに、「サージェント」みたいに評価はされなかった。
  ちょっとビートルズ・・・。
  これがおそらくローリングストーンズがビートルズを追っかけて、ビートルズをちょっと真似っこした最後じゃないか、と思われるんですが。
  そのアルバムからのシングルであります。
  あんまりヒットはしなかった、ローリングストーンズの We Love You。

  〜 The Rolling Stones / We Love You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Zrq3VEDncvU

  (小林)ローリングストーンズの We Love You。 
  このバックのコーラスに、ジョンとポールが入っていたという。
  ビートルズを追っかけていたローリングストーンズ。
  だけど、ビートルズの「サージェント」も なかなか、もうロックの最高のアルバムと評されたりするわけですけども。
  それに負けないような努力の跡がうかがわれる。
  がんばってたねえ、ローリングストーンズもねえ。
  ビートルズがいたから ストーンズも がんばれたんだろうねえ。
□ストーリー
 ・「ああ、やっぱり。母さんは俺のものじゃなくて、今まで母さんが愛した男たちのものだったんだ」

  1958年7月15日、夜、リバプールのセフトン総合病院。
  この時18歳のジョン・レノンは、交通事故で亡くなった母親ジュリアの遺体と対面した。 
  この時一緒にいたのは、ジュリアの内縁の夫で通称トゥイッチーと呼ばれる男。
  トゥイッチーは この突然の悲劇に、完全に取り乱していた。
  この時ジョンははっきりと ジュリアが自分の所有物ではなかったことを確信したのである。
  悲しみは何週間も消えることはなかった。
  
  ジュリアをはねた車を運転していたのは、非番の警察官だった。
  皮肉なことに、ジョンの悪友で 一年前までクォーリメンのメンバーだったピート・ショットンが、
  警察学校から派遣されて この事故に関する逮捕状を作成した。
  しかし、運転していた警官は裁判を受けたが、裁判は無罪放免。
  事故現場に居合わせたジョンの元バンドのメンバー、この時はマネージャーを努めていたナイジェル・ウォーリーは
  裁判の重要な証人として出廷した。
  
  ナイジェルは語っている。
  「確かに、僕も証人になったけど、高校生の証言なんて大して気にも留めてもらっていかったと思うよ。
  それにしても、一番つらそうに見えたのは、亡くなったジュリアのお姉さんで ジョンの育ての親でもあったミミ伯母さんだよね。
  たしかに 妹のジュリアとは 世代も性格も違っていたけど。
  やっぱり 可愛い妹なわけだし、面倒を見ているジョンを不憫に思ったんだろうねえ、
  法廷でミミ伯母さんは 被告席の男に向かって声を上げて、持っていた杖で殴りかかりそうな勢いだった。
  それはもう、辛く悲しい裁判だったよ」
  〜 John Lennon / (Just Like) Starting Over
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fWWbu_RSh7Q
 
  (小林)お送りしたのは、ジョンの最後のアルバムとなった「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」
  その中に入っていた、これはシングルカットされて イギリスやアメリカ いろんな国でナンバーワンを記録しています。
  ジョン・レノン (Just Like) Starting Over。
□ストーリー(続き)
 ・「法廷でのミミ伯母さんは、被告席の男に向かって声を上げて 持っていた杖で殴りかかりそうな勢いだったね。
  そりゃもう、辛く悲しい裁判だったよ」
  
  1958年7月15日、ジョン・レノンの実の母親ジュリア・レノンは 非番の警察官が運転する車にはねられ亡くなった。
  享年44歳。
  このジュリアと一世代ほど年の離れた姉のミミは、ジョンの育ての親であった。
  ミミがどれだけ辛い思いをしていたかは、証人として裁判にも出廷した ジョンの友人であるナイジェル・ウォーリーが語ったとおりである。
  ジュリアが亡くなった後の数週間、ジョンを見ていると、もう一人の友人ピート・ショットンは、中学生時代の思い出が蘇ってきたという。

  「その思い出 っていうのは、ちょっと変な話しかもしれないけど、
  ジョンが悪さして 鞭で叩かれていたシーンなんだよ。
  あの時もジョンは必死にこらえて、絶対に苦痛の声を洩らさなかったんだ。
  ジョンはいつも そんな奴だった。
  だから、彼の悲しみの深さを知る人間なんて、ほとんどいなかったね」

  そもそも ずっと息子と離れて暮らしていた 明るく天真爛漫な女性へのジョンの思いが分かる人間は ほとんどいなかったのである。
  アートカレッジでのジョンは、正面階段を登り切った所にある大きな窓の前で 何時間も座っているようになった。
  
  カレッジでの友人アーサー・バラードは語っている。
  「それまでのジョンは 少し皮肉屋だったけど、ほんとは良いやつでね。
  気心が知れれば すごく面白いやつだったんだ。
  音楽の才能もあったし、天性の詩人でもあったんだよ。
  とにかく あんな奴はどこにもいなかったし、僕はジョンとは すごい楽しい時間を過ごさせてもらったと感謝している。
  そんなジョンが 事故以来 まるで人が変わったみたいに、無口になったんだよ。
  ある日、いつもの場所にいるジョンを見かけたら、やつは一人で泣いていたんだ」
  〜 John Lennon / God
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3yUSGvm4BXA

  (小林)ジョン・レノンの God。 
  ジョンの 神に関する 自分の解釈ですよね、それがこの曲に入っている。
  こういうやつを聴くとね、70年代は みんなソロになるわけだけど。
  他の3人が皆に伝えようと、あるいは現わそうとしたこと。
  ジョンは ぜんぜん違うよね。
  ぜんぜん違う所にいるよね。そういうことが良く分かるよね。
  
□ストーリー(続き)
 ・「それまでのジョンは少し皮肉屋だったけど、ほんとは良いやつでね。
  気心が知れれば すごく面白いやつだったんだ。
  そんなジョンが、事故以来まるで人が変わったみたいに、無口になったんだよ。
  ある日、いつもの場所にいるジョンを見かけたら、やつは一人で泣いていたんだ」
  これはジョンのアートカレッジでの友人=アーサー・バラードの証言。
  
  1958年7月15日 夕刻、ジョンの実の母親ジュリアは非番の警官が運転する車に撥ねられ、その生涯に終止符を打った。
  享年44歳。
  ジョンの悲しみを表わす出来事は 他にもあった。
  それは相棒であったジェフ・モハメッドとのバカ騒ぎという形でも見かけられたし。
  さらに、それ以外にも逸話は残っている。

  友人のアーサーは証言をこう続ける。
  「ジョンはあれ以来、学生相手のパブ『イークラック』にもしょっちゅう顔を出すようになったね。
  朝の開店時間からバーに行って 何杯か引っかけると、昼過ぎにヘベレケになってカレッジに帰って来るんだよ。
  ほんとうに泥酔していたよ。
  こんな話 信じてはもらえないかもしれないけど、
  ある時なんかはねえ、ジョンがエレベーターの隙間に小便をしようとしているところを 見たことがあるんだ。
  あれはもう、未遂じゃなくて現行犯だった。
  でもね、そんなジョンの いわゆる奇行も、やつの悲しみを考えると理解できるんだ。
  それほど、ジョンは感性が強くて 愛情の深い人間でもあったんだよ」
  
  さらに、ジョンの生涯を通じての悪友=ピート・ショットンの証言もある。
  「あのころのジョンは 本当に気を失うまで酒を飲んでいた。
  ある時なんか 僕がバスに乗ったら、2階の席にジョンがいたんだ。
  ベロベロに酔っぱらって 後ろの席で寝そべってね。
  どうやら 酔いつぶれたジョンは、何時間もそうやってバスに乗っていたらしいんだ。
  同じ路線を 5回以上も往復したそうなんだ。
  とにかく、それがあのころのジョンの 真の姿さ。
  これは、本当のことだよ」
  〜 John Lennon / I'm losing you
  ttps://www.youtube.com/watch?v=RexzEnxMpWo

  〜 The Beatles / In my life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iE3LBM-Yw3o
 
  (小林)2曲、ジョンの曲が流れましたが、ジョンらしさがほんとにある、両面性っていうのかな。

  ジョンの心の中の優しさが そのまま出たような、(2曲目) In my life。
  これは、ビートルズとしてね「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバム。

  それから(1曲目)I'm losing youは、バックは チープ・トリック(Cheap Trick)です。
  これはね、ジョンの 失恋ぽい歌だけど。
  ジョンみたいに、一つ一つの音を強く激しく発音するようなシンガー めったにいないんですよね。
  ラップで言うと エミネム(Eminem)。エミネムもジョン・レノンの影響を強く受けて、ジョン・レノンぽい所もある人ですけども。
  そういう、独特の強さを 現わしたような曲です。I'm losing you。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしています。
  メールは [email protected]

  (八千代市/男性)17歳
  ビートルズは今の僕と同じくらいの年齢の頃からプロになることを目指してがんばったんですね。
  考えてみると これはすっごいですね。
  だいたいの人は そんなこと出来ないと思いますが、彼らはプロを夢見てがんばり続け 結果としてすごい事を成し遂げたんです。
  彼らは本当に天才だったと思う反面 やっぱり最後まで信じていれば夢はかなうものなんだなあ、と思わされるところもあります(笑)。
  さて、突然ですが、僕は近々手術をします。
  腰骨に腫瘍が見つかり それを取り除く手術をするんですが、不安もありますが がんばろうと思います。
  リクエストですが・・・             (小林)ジャーニーで来ましたね。
  ジャーニー(Journey) Dont stop believing
  ジャーニーといえば、2月は元メンバーのグレッグ・ローリー(Greg Rolie)が リンゴのオールスターバンドと共に来日したり。
                       (小林)わあ、すごいねえ、(あなた)は いろいろフォローしてるんだ。
  ジャーニー自体が来日しました。
  6月は 元ボーカルのスティーブ・ペリー(Steve Perry)が皮膚がんの手術をしたと聞きました。
  彼もまた 入院期間中「Don't Stop Believing」と自分に言い聞かせていた かもしれないですね。(小林)ていう。
  そう言えば、克也さんはジャーニー来日時に インタビューしたりしていますが。
  彼らの印象とか、心に残っていること・・・
  (小林)うわあ。
  これは、ちょっと時間もあれなんですけど。
  彼らもね、すごいね、苦労してる、めちゃくちゃ。
  いきなり 売れたわけじゃないからねえ。
  めちゃくちゃ苦労してるから、温かいね。それは、僕の印象だね。
  さあ、じゃ(あなた)手術がんばってね。
  
  〜 Journey / Don't Stop Believing
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rfUYuIVbFg0
  〜 The Beatles / The Fool On The Hill
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fgbmzSGK_0E

  (習志野市/女性)40代
  中一の二男が音楽の授業で「ハロー・グッバイ」を習って、ビートルズにちょっと興味を示しています。
  歌詞が分かりやすく 面白いからでしょうか?
  私の実家には「ビートルズ詩集」という歌詞の和訳の本がありました。
  こんど実家で発掘して、読ませてみようかと思います。
  昔、学校で、出来の悪かった私にぴったりと、自分のテーマソングにしていたビートルズの「フール・オンザ・ヒル」

  (小林)
  「フール・オンザ・ヒル」は、まあ「丘の上の馬鹿者」w かもわかりませんけど。
  そういう歌じゃないからw。
  あの、おそらく息子さんと一緒に、もう一度 その詩集でも何でもいいですから、音楽と共にかみしめて。
  ビートルズが歌っている 素晴らしい世界を、母子で一緒に勉強して、ね、面白いから。
  人生深みが ちょっと増すからw。
  (渋谷区/男性)
  ほぼ毎週 楽しみに聴いています。外出中も なるべくラジコで聴いています。
  これからどんどん有名になって行くところで、今が一番ワクワクするところですよねえ。
  ビートルズのお話しの方は。
  さて、私はドイツ語を独学で学んでいるんですが。
  去年のNHKのドイツ語講座で、ビートルズの特集の回がありまして。
  ハンブルグはビートルズの街として有名なんだとか。
  ハンブルグで恋に落ちて ドイツに残ったメンバーがいた、なんて初めて知りました。
  こういうエピソードも これから出てくるのかな?
  いつか ビートルズの足跡を訪ねてハンブルグに行ってみたいなあ、と思っています。
  もしあれば、ドイツ語で演奏している音源を。
  (小林)
  これは、ビートルズの「I Want To Hold Your Hand」がアメリカで1位になりそうだ っていうニュースを聴いて。
  ドイツの会社のリクエストに応えて。
  ただ、本人たち四人はですね、「なんで、俺たちがドイツ語でやんなきゃダメなんだよ?」って 逃げ回って。
  渋々録音した、そうですけど。
  I Want To Hold Your Hand のドイツ語版。
  あなたの名前が書いてないんで。温野菜って何ですか?。ちょっと名前を見たかったなあ。
  顔が見えるからねえ、本名はねえ。
  
  〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand (In German)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HrZQk03uKsQ
  〜 忌野 清志郎(ザ・タイマーズ) / デイドリーム・ビリーバー
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tnVfHSgHanE

  (小林)というわけで 
  ビートルズのドイツ版の「Komm, Gib Mir Deine Hand」=「I Want To Hold Your Hand」に続いては。
  これは正式に言うとザ・タイマーズですね。
  名前が ちょっと人を食ってますけどw。デイドリーム・ビリーバー。

  (船橋市/女性)
  先日、番組で モンキーズはビートルズの対抗策としてのグループ結成だった、という話しがありましたね。
  ビートルズを越えたか云々 というよりも、モンキーズなりの売るためのセールス的に作られた魅力 というものもありますよね。
                     (小林)(あなた)は、モンキーズ好きなんだね。
                         この文章から 判かるねw。
  忌野清志郎のカバーをお願いします。
  (小林)
  まあ、清志郎さんの場合はあれですね、強烈な別の世界を創り出した、と言うことができますよね。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)今日はいかがでしたでしょうか?
  
  ジョン・レノンが18の時にね、実のお母さんが交通事故で亡くなった話し。  
  そして、ジョン・レノンの普段あんまりかからないような曲も ここのところかけていますけど。
  やはり、ジョン・レノンという人の、人間像みたいなのが 雰囲気で伝わってると思いますよ。
  
  後半は、リクエストでちょっと楽しかったですね。
  ありがとうございます。
  リクエストよろしくお願いします。
  採用の方にはイシイの(略)
  メールは
  [email protected]
  
  ビートルズに限らず、ビートルズと関係があるとか、ビートルズの前の曲でも、ビートルズの後の曲でも
  もちろん、今の曲でも結構です。
  待っています。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年8月25日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月25日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  例の年です。サイケデリックの年です。ヒッピーが発生し始めたw 年です。
  「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の年。
  46年前の今日。
  これは ちょっと重要かもわかりませんね。
  イギリスのウェールズのバンゴア(Bangor)っていう所でね、バンゴアっていう所へビートルズの3人が行くわけです。
  これが、ちょっと重要な意味がありますが。

  始まりはね、ジョージ・ハリスンの嫁のパティ・ハリスン(Patti Harrison)なんだね。
  その頃 60年代、若い連中だとか芸術家たちに、TM=超瞑想の、まあ宗教的なものなんですが、これが流行り始めて。
  インドの導師マハリシが、超瞑想の会の講義をやっていて、それにジョージ・ハリスンの嫁のパティ・ハリスンが参加して。
  パティはジョージにこれを勧めるわけですね。
  ジョージは他のメンバーに勧めるわけです。
  で、8月24日、ロンドンのヒルトンホテルで、マハリシの講義に参加して。
  リンゴが行かなかったんだけど、「リンゴ、お前、これすごい事になるよ!」って、みんなもう夢中になっちゃうわけです。
  興奮しちゃうわけ。
  で、翌日の8月25日、つまり46年前の今日、4人はレコーディングを中止して、汽車でバンゴアに行きます。
  マハリシの元に向かいます。
  メンバーは奥さんとか恋人も連れて行ったんで、報道記者にもみくちゃにされて大騒ぎ。
  シンシアは このおかげで列車に乗り遅れてしまって、後に「この時が、ジョンとの別れの序章になった」と語っています。
  ビートルズがTMに興味がある、そしてマハリシに興味があるっていうことで、
  友達もミュージシャンたちも、ミック・ジャガーもマリアンヌ・フェイスフルも参加したっていうことですよねw。
  さあ、この時の67年のアルバムていうと、2ヶ月前に発売になった「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」これがめちゃくちゃホット。
  この中にジョージ・ハリスンが作った曲。
  ジョージと数人のインド人ミュージシャンだけで録音された曲 といえば、あれですね「Within You Without You」なんですが。
  これ、前の「リボルバー(Revolver)」のアルバムに入っていた曲「Love You to」音なんかも似ているかもわかりませんが。
  どちらかというと あれだよね、ジョン・レノンがやった「Tomorrow Never Knows」の世界にみたいな感じかな?
  そういう世界と共通しているものがあります。
  じゃあ、ジョージのこれ、みなさん改めて そういう風な歴史があって、ジョージがこれを作ることになった、ていう。ね。
  行きますよ、ビートルズの Within You Without You。

  〜 The Beatles / Within You Without You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qY38IDPoZRA

  (小林)これは、延々弾く曲ですけども、ここらへんでw、雰囲気が届いたところで。どうですか?
  なかなか音が刺激的ですよね。
  ジョージしか入っていない、他の3人は入っていない。
  ポール・マッカートニーの「Yesterday」がね、ジョージもジョンもリンゴも入っていなかった、ていうのと ちょっと似てますね。
  これは、ジョージの世界です。Within You Without You。
□ストーリー
 ・「あの頃のジョンは 本当に気を失うまで酒を飲んでいたんだ。
  ある時なんか、僕がバスに乗ったら、2階の席にジョンがいたんだよ。
  ベロベロに酔っぱらって 後ろの席に寝そべってね。
  どうやら 酔いつぶれたジョンは、何時間もそうやってバスに乗ってたらしいんだ。
  同じ路線を 5回以上も往復したんだそうだ。
  これが本当のことだよ」

  これは、ジョン・レノンの元バンド仲間にして 生涯にわたる悪友でもあった ピート・ショットンの証言。
  17歳にして母親を失った ジョンの心に空いた穴を埋めてくれるものなど、そう簡単には見つからなかった。
  そんな、あまりにも辛い現実が ジョンをアルコールに走らせた。
  なんでもいい、酔っぱらっている時だけは何もかも忘れることができる。
  そんな日々は続いた。
  
  ジョンには 常にガールフレンドがいたが。
  ジョンの考えるロマンスというものに、長く付き合っていられる女性は ほとんどいなかった。
  大量のアルコールを摂取し、皮肉をしゃべり、待ち合わせには遅れ、ブラックなユーモアを吐き、
  そして何より 気分にムラがあり過ぎる性格が、女の子たちがジョンに見切りをつける原因となっていた。
  ある女の子は ジョンにこんな捨て台詞を残して去って行った。
  「いくら お母さんが亡くなったからって、私に八つ当たりしないでよ!」
  
  そんな中、ジョンの目がシンシア・パウエル(Cynthia Powell)という女学生に留まったのは、母親の死から程ないころ。
  シンシアは ジョンと同じアートカレッジの中級クラス、つまり中くらいの成績のクラスに通っていた。
  メガネをかけた内気な女の子で、白い肌にはシミ一つ無かった。
  それまでのジョンは たとえ気に留めたとしても、シンシアがリバプールでは比較的上品な地域に住んでいることをからかうだけだった。
  しかし、人の心とは不思議なもの、それがいつしか恋心に変わって行くのである。
  〜 The Beatles / Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=j4FZy3pWfWU
  
  〜 The Beatles / If I Fell
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8ld7diQ61Ik
 
  (小林)初期のレノンの作品が続きましたね。
   
  Girl、これは65年 アルバムは「ラバーソウル(Rubber Soul)」

  そして If I Fell、「ハードデイズ・ナイト(A Hard Day's Night)」のアルバムからお送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「おー、みんな!。お高く留まったお嬢様がいらしたぜ!
  もう下品な会話はおしまいだ!。」

  「お高く留まったお嬢さん」と呼ばれているのは、リバプールのアートカレッジに通うジョンの同級生シンシア・パウエル。
  彼女の住むチェシャウィラルという地区は リバプールの中では比較的品の良い住宅街と言われていた。
  少なくとも ジョン・レノンと仲間たちは それをいいことにシンシアをからかった。
  「下品会話はおしまいだ!」と言っておきながら、次にはもっとすごい下ネタを続けるのである。
  もちろん シンシアは真っ赤になった。
  それでも シンシアはいつの間にかジョンに惹かれていった。
  それは彼女の きちんとして慎重な性格からすると、どうにも不釣り合いな感情だった。
  
  シンシアはレタリングのクラスの時 恐る恐るジョンのすぐ後ろの席に座った。
  きちんと並べた筆や定規は 案の定ジョンにメチャクチャにかき回された。
  小学生の男の子並みの 幼いイタズラである。
  またある日、講義室で他の女学生がジョンの髪の毛を撫でていたことがあった。
  これを見たシンシアは、自分でもよく分からない感情が芽生えたことを覚えている。
  それが「嫉妬」という感情であったことを 彼女は後になって気付いた。
  
  ジョンとシンシアが きちんと話しをするようになったのは、ある日の休み時間に視力検査を受けている時のこと。
  メガネをかけたがらないジョンが、実はド近眼のメガネ少女であるシンシアと同じくらい目が悪い、と判ってからであった。
  あのいじめっ子のジョンが 実はド近眼であるという事実に勇気付けられたシンシアは、休み時間になるとカレッジの廊下をウロウロするようになった。
  その理由は、ジョンに会えるかもしれない から。
  なんとも 可愛らしい乙女心である。
  そしてこのあと、シンシアはジョンの目を引こうと一大決心をするのであった。
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=oSTwxxfR3LE

  〜 The Beatles / Words of Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Ly3QWEx0fAk

  (小林)ビートルズがやる カバーね。ジョンがやるカバー、が2曲続きました。

  Bad Boy これはラリー・ウィリアムス(Larry Williams)のヒット曲なんですが、
  ビートルズがやったカバーだけを集めたコンピレーションってのは、CDは出てないらしいんですけども。
  昔は出てますね。
  その中に入っていた「Bad Boy」

  それから、今聴いたやつ(2曲目)はバディ・ホリー(Buddy Holly)のカバーをやっていましたね。
  Words of Love。
□ストーリー(続き)
 ・「なんだあ。あの、いじめっ子のジョンも目が悪かったんだあ。
  よし!こんどは私が、ジョンに仕返し してあげる番かな。」

  1958年、季節は秋。
  場面は リバプールのアートカレッジのキャンパス。
  いつもジョン・レノンにからかわれていたお嬢様育ちのシンシア・パウエルは、いつのまにか自分がジョンに惹かれ、恋心を抱いていることを認めざるを得なかった。
  そしてついにシンシアは ジョンの目を引こうと一大決心をするのである。
  それは、一世一代のイメージチェンジをして、ジョンを驚かすこと。
  典型的メガネ少女のシンシアは、まずヘアサロンに行ってパーマをかけ、色もブロンドに染めた。
  服装も、それまでの地味なものから、白のダッフルコートと黒いベルベットのスラックスに変えた。
  そして、ジョンと同じように メガネも外した。
  しかし、当時はまだコンタクトレンズなど製品化されていなかったため、メガネを外したシンシアは たびたび災難に見舞われた。
  毎日セントラルステーションから乗るバスは、たいてい彼女が気が付かないうちに、ホープストリートを通り抜け、カレッジ前のバス停も通り過ぎて、
  リバプールの8番地区まで来てしまうのであった。
  それでも、メガネは授業中だけ、というシンシアの決心は揺らぐことは無かった。

  ジョンが畏(かしこ)まってシンシアに声をかけてきたのは、カレッジの講義室を使って昼休みに開かれた学期末のダンスパーティの時だった。
  悪仲間のジェフ・モハメッドに急かされたジョンは、シンシアにダンスを申し込んだ。
  そしてダンスの最中、ジョンは彼女に話しかけた。
  「あのう、シンシア。今度の週末、映画でも見に行かないか?」
  ビックリしたシンシアは答えた。
  「ジョン、うれしいけど、私、婚約者がいるの」
  この返事に ジョンは言葉を失ってしまったのである。
  〜 The Beatles / Tell Me Why
  ttp://www.youtube.com/watch?v=QS5Jvihodec

  〜 The Beatles / You're Going to Lose That Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ohg8Ar2L5lI
 
  (小林)2曲続きましたよ。1964年65年ですよね。

  ジョン・レノンのラブソングっていうのは、ポールのよりも・・・
  ポールのって なんか物語っぽいのがあるけど、ジョンのやつはちょっとリアルですよね。
  Tell Me Why。

  そして、You're Going to Lose That Girl。
  これは「HELP!」の映画でも使われました。
□リクエスト
  (小林)
  アドレスは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  最近はプライバシーの問題とかいろいろありますけど、できれば 電話番号を書いて頂くと、とても・・・。
  ちゃんと、やっておりますからね、この番組はね。よろしくお願いいたします。

  (住所不明/男性)
  この番組のリスナーは すでに御存知かと思いますが、やっとポールさんが日本に来ます。(小林)ポールさんが。
  11年ぶりですよ。
  今回のワールドツアーは、5月に「Wings Over America」がSHM-CDで再リリースされたので、セットリストにはウィングスの曲が多くなっているようです。
  ここ1〜2年ほどウィングスとポール・マッカートニーのサウンドに改めてのめり込んでいる私には絶好のタイミングでの来日です。
  東京公演には2回は行こうと思っています。
                   (小林)もう、待ってました、っていう感じなんだw。
  リクエストですが、やはり珠玉のマッカートニーサウンド「Hope of Deliverance」
  出来れば「Paul is Live」からのライブバージョンでお願いします。
  (小林)
  ということで、まずライブから。

  〜 Paul McCartney / Hope of Deliverance
  ttps://www.youtube.com/watch?v=9ypKvNt81RY
  〜 Paul McCartney / Another Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=nNE6HxTinJI

  (小林)いかがですか?
  前半は 今日はね、ジョンのボーカルが続きましたが、リクエストになると ポールのボーカルが続きました。
  僕は ジョンの方がリアルだ、ポールのはなんか物語っぽいよね、っていう。
  これなんかは、典型的な 物語りを聴いているような ホンワカとした、ポールの独特のロマンティックな世界。
  ボーカルのスタイルも、やっぱりポールにはいろんな引き出しがありますからね。
  これにふさわしいボーカル法で、やってますよね。
  ジョン・レノンも裏声を使ったりするんですけど。
  ジョン・レノンの場合は ちょっとリアルで。
  今日はあれですね、ポールとジョンのボーカルの対比、それから歌の世界の違いってのがよく判りますね。
  リクエストありがとうございます。

  (千葉市稲毛区/女性)
  ポール・マッカートニー来日のニュースに しょんぼりしている受験生です。
  もちろん、来日をずっと心待ちにはしていましたが、どうして受験の年に来るんでしょう。(小林)w
  このごろ、改めてポールの歌を聴き返していますが、ロックな曲も良いけど、やはり素朴な曲に一番ポールらしさが出てるような気がしました。
  ということでポール・マッカートニーの「アナザーデイ」をお願いします。
  (小林)
  リクエストに応えました。
  (東京都渋谷区/男性)
  ポールが来日しますねえ。
  3月に6才の子供を連れて、幕張でリンゴを見てきました。 (小林)6才でリンゴ。
  こんどはポールを 見せてあげたいです。  (小林)若すぎないか?どうだろう?まあ、そんなことないかなあ。
  金銭的にもきついし、まだ背も低いからスタンド席をねらいます。
  買えるかなあ?
  そう言えば克也さん、初めての通信簿を持ってくるかと思ったら、2学期制で10月まで通信簿出ないんですねえ。
  今の子供は、夏休み前に成績で親に怒られないから幸せですねえ。
  中には褒められる子もいるけど、我が子は俺に似て勉強は苦手みたいです。
  さて、リクエストですが。ポールのボーカルと リンゴのドラムズが聴ける「So Bad」か「Beautiful Night」をお願いします。
  (小林)
  じゃあ、ケンちゃん、どっちにしよう? 
  
  〜 Paul McCartney / So Bad
  ttps://www.youtube.com/watch?v=P4ys4auEDfY
  〜 The Beatles / The Long And Winding Road
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LneBIOa9B8s

  (小林)
  お馴染みの曲が流れましたが。
  
  (鎌ヶ谷市/男性)
  毎日暑い日が続きますが、暑中お見舞い申し上げます。 (小林)というか、もう残暑ですかね。どうなんでしょうね。
  毎週毎週この番組を 隅から隅まで楽しみながら拝聴しております。
  自分一人で楽しむのはもったいないので、ここ数カ月は遠方に住む40数年来の友人へ 録音したこの番組をメールで送って共有し。
  50過ぎのおっさん二人で 毎週ビートルズ談義に花を咲かせております。  (小林)いいねえ、いい関係ですね。
  まさに「ビートルズから始まる」を聴きながら「ビートルズでつながる」って感じです。
  遠方でbayfmを聴いているその友人の誕生日=8月14日をビートルズの曲でお祝いしたいので、リクエストをお願いします。
  「Birthday」をリクエストしたいと思っていたんですが。
  当の本人が偶然にも 先日の番組で同じ曲をリクエストをしてしまったので、これはかなりビックリしたんですけども。
  今回はグッと渋く、「The Long And Winding Road」を ぜひよろしくお願いします。
  この曲を聴くと、解散間際のポールとジョンの顔が 自然と脳裏に浮かんできて、少しセンチな気分になりますね。
  (小林)どうも、リクエストありがとう。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  
  もう、ジョン・レノンのシンシアと知り合う頃の話しは 面白いですよね。
  ジョン・レノンは、お母さんが亡くなっちゃって、自暴自棄になったりする時期があるわけですけど。
  ただ、音楽だけは捨てないで、ず〜と。
  で、ポールという親友も出来て、音楽にのめり込んで行くんだけど。
  その他の行動は、なんか ほんとに子供みたいだったり。
  あるいは、こんなことしなくてもいいのに、と思うぐらい残酷だったり。
  だけど、どうなんでしょうねえ、僕思うんですけどね、この頃のことだとか、ビートルズの本っていっぱい出てるんですよ。
  でも、その本がね、やっぱり書いた人の思想だとか、によってね、描かれる人物像が違うんですよね。
  だから 皆さんには、出来るだけ幅広い所から知識を仕入れて、自分だけのビートルズ像を、心の内面に造ることをお勧めします。
  
  リクエストも ほんとうにありがとうございました。
  メールは 
  [email protected]
  こっちで受け付けています。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年9月1日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月1日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  先週も 46年前の一週間前をやったんですよ。
  その時は、3人が リンゴを除いた3人が、バンゴア(Bangor)へ インドのマハリシ(Maharishi)っていう精神的な指導者に会いに行った、ていう。
  でもその二日後、実はマネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなるわけですよね。

  そして、今から46年前の今日は、ポールのセントジョンにあるウッドハウス、
  ここにビートルズのメンバーが集まって ミーティングです。
  マネージャーが亡くなったわけですから。
  で、結局、自分たちが今やっている「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」のプロジェクトは推し進めよう、と。
  ただ、ちょっとインドへ行く、マハリシを追っかけてね、インドへ行くのは、ちょっと延期しよう。ということを決定します。
  で、この「マジカル・ミステリー・ツアー」っていうのは「サージェント・ペパー」に続いて ビートルズがやっているアルバムと、そして映画。
  ポールのアイデアで・・・。

  ポールが自分の婚約者がアメリカで旅巡業やっているんで、それを追っかけてアメリカに行った時に、ポールはこのコンセプトを思いついて。
  ビートルズが 当て所なくいろんな所へ行って、その頃の言葉で言うと「ハプニング」ですよね、「ハプニング」を楽しむ。
  ただ単にストーリーがあるんじゃなくて、ストーリー無しで、いろんな所へ行きあたりばったりで、いろんな出来事が起こって。
  まあ、それを通して、コンセプトとしては、音楽がいろんな感性を物語る っていう、そういう感じだったわけですね。
  で、結局これは早いこと完成するわけですね。
  2週間で撮影は終わって。
  でも、この映画には イギリス・アメリカのどの映画会社も 作品の配給に手を挙げなかった。
  みんなw、みんな「こんなの?」って思ったわけですね。
  結局、イギリスの国営放送BBCで クリスマスの翌日の12月26日 モノクロで生放送。
  視聴率はすごかった。75%を獲得したんだけど、評論家たちの評価は最悪だった。
  「ビートルズマジックも もうここまでか」なんていう声も聞かれた。

  でも、ポール・マッカートニーは
  「いや違うんだ。これは音と映像が一体化した新しい映画なんだ。音を観る映画なんだ」っていう。
  でもこれは、やっぱり評論家たちが間違っていますね。
  改めて、それでは 今日は「マジカル・ミステリー・ツアー」の曲を お送りします。
  
  〜 The Beatles / Magical Mystery Tour
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nf9BC4y69Vs

  (小林)いかがですか?
  評論家たちが酷評した、という「マジカル・ミステリー・ツアー」
  ポールは 未来に 相当目を向けてた、ということが言えるんじゃないでしょうかね。
□ストーリー
 ・「あの、シンシア。こんどの週末 映画でも見に行かないか?」
  ビックリしたシンシアは答えた。
  「ジョン。うれしいけど 私、婚約者がいるの」

  場面は今から55年前の 1958年秋。
  リバプールのアートカレッジで開催されているダンスパーティでの一コマ。
  ジョンとは、この数年後 ビートルズのリーダーとして世界中の青少年を熱狂させ、
  ロックの世界では頂点の また頂点の そのまたトップの天辺に君臨することになる あのジョン・レノンのこと。
  そして、シンシアとは、カレッジの同級生であるシンシア・パウエル。
  それまでのシンシアは典型的メガネ少女で、服装も野暮ったく、悪仲間たちのからかいの標的であった。
  そのシンシアが ジョンの気を引こうと一大決心をした。
  それは イメージチェンジ。
  ヘアスタイルはブロンドの縦巻き。
  ファッションも それまでの地味地味路線から 白のダッフルコートにベルベットのパンツ、といった攻撃路線に変更。
  これには、ジョンも驚いた。
  「なんだこいつ、実はメチャメチャ可愛いじゃん」

  この時のシンシアは18歳、白人女性が最も美しい年代と言われる頃である。
  それにしても「婚約者がいるの」とは 聞き捨てならない。
  少しプライドを傷つけられたジョンは切り返した。
  「俺は別に 結婚してくれって 言ってるわけじゃないんだ!」
  この時は ジョンが気分を害したこともあり 二人の仲に進展はなかった。

  しかし、この数週間後、周りのみんなも驚いたことに、ジョンとシンシアはステディな関係になっていた。
  シンシアの友達で、ジョンにちょっかいを出された経験のある女の子は、みんなジョンと付き合うことに猛反対した。
  一方、ジョンの悪仲間も だれ一人このことを理解できなかった。
  なんせ、ジョンの理想の女性は、フランスの映画スター、野性的なセクシーさを誇るブリジッド・バルドー(Brigitte Bardot)だったからである。
  〜 John Lennon / Instant Karma!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=vEjUQ15lyzk

  〜 John Lennon / Oh My Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=p5Kh-IMKDqM
 
  (小林)2曲続きました。

  Instant Karma、これはフィル・スペクター(Phillip Spector)がプロデュースして。
  これは、こういう風な曲はやっぱりあれだね、イギリスとかアメリカでナンバーワンにならないね。
  イギリスで5位、アメリカで3位、フランスとカナダは1位っていう、面白いですよね。
  やっぱり 進んでいるファンたちが支持したんでしょうね。きっとね。
  
  それから、今聴いたやつ(2曲目)は、Oh My Loveという、「IMAGINE」に入っているやつで。
  やっぱり「In My Life」とか、心の同じところから出てきたようなw、歌の感じがありますね。
  Oh My Love
□ストーリー(続き)
 ・1958年 秋も深まるイングランドはリバプール。
  この町のアートカレッジに新しいカップルが誕生した。
  シンシア・パウエルとジョン・レノン。
  つい先日まで 野暮ったいメガネ少女だったシンシアは、ヘアスタイルもファッションも一新し 見違えるようになっていた。
  それを見たジョンは、それまでいじめたりからかっていたシンシアを 恋愛の対象として意識するようになり、ついに恋仲になった。
  
  もちろん、シンシアの女友達はみんな ジョンと付き合うことに猛反対。
  ジョンの評判は ことごとく最悪であった。
  イギリスでは法的に認められているとはいえ、18歳で大酒飲みは許しがたく、酔っぱらったジョンは いつも以上に皮肉屋になり。
  酷い言葉で他人を罵(ののし)った。
  待ち合わせ時間を守ったことはなく。冗談を言っても それはブラックユーモアばかり。
  そして何より、気分や感情にムラがありすぎて、付き合った女性たちは みんなそれに愛想を尽かして去って行った。
  
  一方、ジョンの仲間たちも ジョンがシンシアを選んだことを理解できないでいた。
  たしかに、シンシアは以前に比べて 見た目は数段に良くなった。
  それでも、ジョンの理想の女性である 世界のセックスシンボルと呼ばれたフランスの人気女優=ブリジッド・バルドーには程遠く
  似ても似つかない。
  
  普段はジョンの前で意見を言うことのない バンドの最年少ジョージ・ハリスンも、
  「シンシアってブサイクだよねえ。だって前歯なんか、お馬ちゃんみたいじゃないか」
  と、周りに漏らしていた。
  
  そんなシンシアであったが、その優しさはジョンにとって特別なものであった。
  なんせ、ジョンの育ての親であるミミ伯母さんは意志が強く、典型的なイギリス女性であり、あまりに厳格過ぎた。
  「ダメなものは、絶対にダメ」そんな女性であった。
  シンシアは それとは正反対で、ジョンに従い ジョンの全てを受け容れた。
  彼女と一緒にいる時、ジョンは 何だか心地良かったのである。
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-YDETXM1JTk

  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M

  (小林)初期の頃のビートルズの、それもジョン・レノンの世界です。
  
  1964年ね、アメリカへ初めて行った時に、ジョンとポールの会話 ってのがあって。
  「こんなファンを見てると、俺たちずっとラブソング書くのかよお」って言ったら
  ポールが「やあ、俺は構わないけど」って言った ていう。
  ジョンとポールの差が いみじくもありますよね。
  だから、ジョンはこの頃はもう 出来る限りラブソングから離れようと、出来れば離れたい。
  だから、I Feel Fine とそれから Nowhere Man と来ると、「ああ、離れてるジョンは」w っていう感じがします。
□ストーリー(続き)
 ・1958年の秋。ジョンはリバプールのアートカレッジの同級生シンシア・パウエルと恋仲になった。
  彼女のその優しさは ジョンにとって特別なもの、シンシアはジョンに従い、ジョンの全てを受け容れた。
  彼女と一緒にいる時 ジョンは何だか心地良かった。
  その包容力は 数か月前に母親を不慮の事故で失ったジョンにとって 何よりも必要なものとなっていた。
  シンシアは 世界的な人気女優ブリジッド・バルドーのようなセクシーな女性を好むジョンのリクエストに応えて、 
  ミニスカートと網タイツを履き、ガーターを着けるようになった。

  リバプールという田舎町に生まれ 箱入り娘として育てられたシンシアにすれば、それは自分でも驚きであったし。
  街中でジョンを待っている間も、プロの女と間違われないかと いつもドキドキしていた。
  彼女は毎晩ジョンと会い、最終電車に乗り、フーリガンと酔っぱらいだらけの車両に揺られて家に帰った。
  ステディな仲になったとは言っても、シンシアはいつもジョンに対してビクビクしていた。
  その原因としては ジョンのブラックジョークや 気分が変わりやすく 突然怒り出すところや、
  完全な服従を要求する残忍さなどに始まり、さらにジョンの異常なまでの嫉妬深さも挙げられる。
  
  あるダンスパーティでは、シンシアにダンスを申し込んだ男に対し、ジョンが激怒し 殴りかかろうとしたこともあったくらいである。
  さらにジョンは、パブやコーヒーバーで何時間も彼女の手を握っていることもあった。
  それはまるで、母親のジュリアの死後ずっと彼の中に溜まっていたものが、シンシアによって取り除かれる。
  あるいは少なくとも、その悲しみを少しでも鎮めるための「儀式」であるかのようでもあった。
  
  ジョンとシンシアの こうした関係は、この先10年近くに渡って続いていくのである。
  〜 John Lennon / Isolation
  ttps://www.youtube.com/watch?v=42ot0i2w8zY

  〜 The Beatles / Across The Universe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=uomY5h1hJwA
 
  (小林)ジョン・レノンの音楽。

  これは有名な Across The Universe
  アルバムは「Let It Be」
  フィル・スペクターが、バックのコーラスとか そういう世界を造っています。
  
  その前は プラスティク・オノバンド(Plastic Ono Band) Isolation ていう曲ですけど、どうです。
  これは、そんなに知られた曲じゃないですけど。
  
  なんかね ジョン・レノンの音楽の・・・
  ジョン・レノンていう人は 心の中を見せたくてしょうがない人なんだよ、本音を言いたくてしょうがない人なんだよね。
  ポールは もう ぜんぜん違う人なんですよね。
  その差が、ほんとうに明らかです。
□リクエスト
  (小林)
  その前に、例のお知らせなんですよ。
  この番組の公開録音・スペシャルパーティを、10月2日 やります。
  有名なオークラ千葉ホテルでやります。
  ゲストは佐藤 竹善、ミス・オオジャ、この二組です。
  このパーティに75組150名を招待します。  
  応募方法はBayのHP携帯サイトを使うか、またはハガキかFAXで。
  ハガキの場合(略)
  FAXは043-351-8011
  締め切りは9月22日到着分まで有効。
  詳しくはHPをチェックしてください。
  http://www.bayfm.co.jp/info/index.html#beatles

  リクエスト採用の方には、イシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしておりますので、よろしくお願いします。
  ハガキもFAXも受け付けているんですよ。
  メールは [email protected]
  (横浜市都筑区/女性)
  こんばんは克也さん。今年は梅雨明けが早かったね。  (小林)早かった。
  連日 暑い日が続きバテ気味です。
  毎週 家族で楽しく聴いています。
  2歳半になる息子は、番組が始まると「ビートルズだー!」と言って大興奮します。
  また、以前番組でジョンの「Be-Bop-A-Lula」が流れてから 気に入ったみたいで、いつもBe-Bop-A-Lulaのところだけ歌っています      
                               (小林)もう2歳半が歌う、と。
  オリジナルのジーン・ビンセントの「Be-Bop-A-Lula」が聴きたいので リクエストします。
  きっとこの曲が流れたら 息子は間違いなくラジオの前で狂喜乱舞でしょう。
  (小林)
  そうだよねえ、こういうのってティーンエイジャーの音楽だったわけですよ。
  1950年代はw、ねえ。
  でもやっぱり、子供も喜んだ音楽なんだ。

  〜 Gene Vincent / Be-Bop-A-Lula
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2HKaXKOifMI

  〜 The Beatles / Mr. Moonlight
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6STQwYCY2MA

  (小林)いやあ 流れましたね Mr. Moonlightがね。
  
  (千葉県市川市/男性)
  日曜日のこの時間に 彼女と過ごしている時に聴いているんですが。
  そうこうしているうちに 彼女もビートルズのファンになりました。
  一人でじっくり楽しむのもいいですが、二人で聴くのもまた良いものです。
  きょうはそんな(彼女)の好きな「ミスタームーンライト」
  (小林)
  wもう、伝えたくてしょうがないんだねえw。はい。
  (白井市/男性)
  9月に入っていますけど、やっぱり夏は花火大会、お祭りの季節です。
  僕は最近 お祭り気分を盛り上げてくれそうな、ビータリカの「アビーロード」を聴いて楽しんでいます。
  真面目なビートルズファンの方には怒られそうな内容かもですが、ギャグとして寛大に受け容れて欲しい。
                       (小林)本当のビートルズファンは 何でもOKだからwだいじょぶだよw。
  今年の夏フェスで来日のメタリカにも敬意を表し リクエストさせてください。
  (小林)
  曲は・・・
  
  〜 Beatallica / I Saw Her Standing There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4TnTzUL9n6A

  〜 The Kinks / You Really Got Me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dk3Ei_yoI4c

  (小林)いやあ,なかなか、良かったねw。
  ビータリカからね キンクスに至って You Really Got Me だからねw。なかなか。
  うまく 並びましたね。

  (千葉市/男性)15才
  初めてのリクエストありがとうございます。  (小林)初めての方 大歓迎です。
  僕はキンクスの You Really Got Meをリクエストします。
  ビートルズを聴く前に 必ずキンクスを聴くようにしています。  (小林)ww いいね。
  You Really Got Me はギターリフも好きなので お願いします。

  (小林)
  リクエストに応えました。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)
  きょうの「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
  リクエストもかなり楽しかった。盛り上がりました。

  お話しの方は、ちょうどジョン・レノンが 最初の上さんになる女性と付き合い初めて。
  その女性も、なんか良い所のお嬢さんなんですよね。
  でも、ジョンも まあまあ、お母さんとか離れてるとは言え、なんて言うんですか、労働者階級じゃないんですよね。
  だからまあ、どうなんでしょうね、似合いの夫婦なのかどうか わかりませんけども。
  ブルジッド・バルドーが、ジョンは大好きだった。
  ジョンは、ブリジッド・バルドーのポスターを天井に貼ってたんですよ。ティーンエイジャー。
  ブリジッド・バルドーの、絶対、ビキニ姿じゃないかと思いますけど。
  知らない方も 何かで探してね、エヘヘw、ブリジッド・バルドーの映像を見て下さい。
  それで、よーくわかると思います。
  でも、この頃のジョンは可愛いよね。
  ただ、ジョンの、これは女性から総スカンていうか、顰蹙(ヒンシュク)を買っていたのは。
  ジョンのブラックユーモアっていうのはね、すごいからね。
  ラジオっていうのはね、けっこう放送のコードがあって、言ってはいけないことがあるんですけども。
  言ってはいけないことを 皆さん想像してください。
  それ 全部ジョンがやる みたいな感じなんですからw。
  ほんとに、だから ラジオではお伝えできないです。
  ジョンの そういった世界はね。はい。
  よろしくお願いします w。
  どうして、よろしくお願いします って言うw。
  それから スペシャルパーティ。
  これは恒例のパーティですけども。
  (>>37 参照)
  (略)
  詳しくはBayfmのホームページをチェックして頂きたいと思います。
  
  リクエストの方、今日は初めての方も いらっしゃいましたけど。
  よろしくお願いいたします。
  僕らにとって リクエストっていうのはね、本当に楽しみなんですよ。
  ほぼレギュラーにリクエスト下さる方もいるし、初めて、たまにリクエスト下さる方もいるし。
  あんまり 内容とか、ビートルズを知ってるとか 知らないとかに こだわらないで。
  もうほんとに、ワガママにリクエストしていただきたいと思います。
  採用の方にはイシイの(略)
  よろしく。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
 2013年9月8日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月8日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  あの年です。あの年 って言ってもw
  「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の年ですよね。
  1967年今から46年前の今日、いつものスタジオで。
  これはちょっと珍しいんですけど。
  インストゥルメンタルの曲の レコーディングをやっています。
  これは後で「Flying」ていうタイトルになります。「Flying」というタイトルのインストです。
  ビートルズとして、 ほんとに 初めてのインストなんですけど。
  これはねえ、けっきょくその時は、ジョンとかポールが曲を決めないで。 
  スタジオで「それじゃあ、インストを奏ろうよ」っていうことで奏ったものと思われます。
  それで、みんなそれぞれアイデアを出して、これはとてもフリーなセッションになったのかな?
  それで、それが何テイクか録られて、最終的には エディットしたり編集したり、いろいろやって。
  第8テイクが「これが良いんじゃないか」みたいな感じで。
  その第8テイクに ジョンのメロトロンをかぶせて、全員によるスキャットが録音されて、
  ここで46年前の今日は いちおう完成形。

  これは「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」に使われる ということですよね。
  「マジカル・ミステリー・ツアー」は、アルバムっていうばかりじゃなくて、“映画”っていうのが第一ですから。
  それに使われるインストとして作ったんですよね。
  それを、またこれから3週間後にね、第8テイクを選んで。 
  ジョン・レノンのメロトロンと、ジョージのギター、リンゴのマラカス、を録音でかぶせて。
  それに「これじゃあ ちょっと、もう少しなんか効果音的なものが要る」っていうんで
  効果音を第5テイクぐらいまで録ってw。
  その中のOKのやつを 第8テイクにオーバーダブした。
  ビートルズはねえ、ちょっとしたことでも、けっこう完璧主義で、相当いい加減じゃないっていうことが判るんですけど。
  今はCDで聴くことが出来る その「Flying」っていう曲をですね
  おそらく 初めて聴く方いると思いますけど。
  聴いてみましょうか。いいですね? 短いインストゥルメンタルですけれども。 

  〜 The Beatles / Flying
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qFrpclWP3eQ

  (小林)どうですか?
  後半の音は、さっき言った音響効果的に録音したやつっていうんですね。
  くっ付けてるわけですね。
  どうですか、ビートルズのポールやジョンやジョージの歌声が聴こえなくても、ビートルズが聴こえてるよね。
  すごいですよね。
  で、この曲は ちょっと珍しいのは、普通の曲はだいたいレノン・マッカートニーじゃない。
  これは、4人がちゃんとクレジットされている曲です。
44ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/15(日) 21:48:38.05 ID:???0
□ストーリー
 ・1958年 今から55年前、秋も深まるリバプール。
  この街でアートカレッジに通うジョン・レノンは、同級生である女学生シンシア・パウエルと恋に落ちた。
  二人は確かにステディな仲ではあったが、シンシアはいつもジョンに対してビクビクしていた。
  その原因としては、ジョンのどぎついブラックジョーク。
  気分が変わりやすく、突然怒り出すところ。
  そして、完全なる服従を要求する残忍さな。
  さらには、ジョンの異常なまでの嫉妬深さも挙げられる。
  嫉妬深い上に、甘えん坊でもあるジョンは、パブやコーヒーバーで何時間もシンシアの手を握っていることもあった。
  それはまるで、母親のジュリアの死後ずっと彼の中に溜まっていたものが、シンシアによって取り除かれる。
  あるいは少なくとも、その悲しみを少しでも鎮めるための「儀式」であるかのようでもあった。
  ジョンとシンシアの こうした関係は、この先10年近くに渡って続いていく。
  
  こうしてジョンが少しばかりに屈折した恋愛感情に浸っている間にも、ロックの世界は動き続けていた。
  ジョンにとって最大のロックンロールヒーロー=エルビス・プレスリーが、合衆国政府という大きなパワーに手なずけられたのである。
  この年1958年の1月、エルビスは合衆国陸軍からの徴集命令に従い、特例措置を受けることなく、一般人と変わらぬ普通の一兵士として
  西ドイツにある アメリカ陸軍基地で勤務することになった。
  徴兵命令が来た際、エルビスは「闇に響く声」という映画を製作中で、徴兵を少し延期したことでも話題になった。
  徴兵局はパラマウントからの延期の申し入れに対し「エルビスを寄こして、頭を下げさせろ」と伝えた。
  翌日彼は徴兵局へ出向き、入隊延期の申し入れを行なった。
  陸軍在籍中のエルビスは、模範的な兵隊として活躍し、空手の黒帯を取得し 軍曹まで昇進した。
  これは、アメリカ以上に、イギリスの若者にとっては大事件であった。
45ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/15(日) 21:49:42.60 ID:???0
  〜 Elvis Presley / Trouble
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yg-1qW2xAU4

  〜 Paul McCartney / All Shook Up
  ttp://www.youtube.com/watch?v=726-Ufz5Ado
 
  (小林)プレスリーものが2曲続きました。

  プレスリー自身で Trouble という。
  これは「king Creole」という映画のサントラに入っています。
  もう、プレスリーは方針としてですね、「映画に出て そのサウンドトラックをアルバムとして出す」っていう。
  そういう、なんと言うんだろな、オートメーション化したあれに乗せられちゃうわけですよね。
  だけど、この頃はまだ プレスリーのなんていうんですかね「パンク魂」みたいなものがあったわけです。
  「闇に響く声」っていうのが「king Creole」に付けられた日本語のタイトルの映画でしたが。
  その中から「俺はワルだよ。俺に近づくんじゃねえ!」みたいなw 感じの歌です。
  
  で、All Shook Up ていうのは これはラブソングですけども。
  プレスリーの可愛いラブソングだったのを、ポール・マッカートニーが1999年に「Run Devil Run」の中に入れてるわけですが。
  これはもうプレスリーの歌い方じゃなくてね、ポール・マッカートニー、ハードロックの歌い方にしていましたねえ。
46ジョン・キロックノン:2013/09/15(日) 21:51:02.22 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「エルビスは合衆国政府に手なずけられて 陸軍に入隊した」
  これは本国アメリカの若者以上に、ジョンやポールを始めとするイギリスのティーンエイジャーにとって大事件であった。
  イギリスの全ての若者に代わって、口を歪め、パンクロックの原型のような猫背で、その世代まるごとの姿勢を変えてしまった彼が、
  今や2年間の兵役に就くため、床屋の椅子に大人しく座っている。
  この悔い改めた態度が、エルビスのマネージャーで、かつてはカーニバルやバザーで押し売りまがいの商売で生計を立てていたトム・パーカー大佐の見事な演出であったことを、この時点では まだ誰も知らなかった。

  エルビスはまだイギリスに来たことが無かったが、イギリスツアーの噂は絶えたことがなかった。
  マネージャーの大佐がニッコリ笑い エルビスがライフル銃を構える姿勢をとって、
  自分は元々立派で健全な合衆国市民であったかのような振る舞いをする場面を見ても、
  イギリスのアマチュアロッカーたちは「自分たちのキングは、永遠にキングである」ことを信じて疑わなかった。

  こんな中 せめてもの慰めになったのは、イギリスのロックンロールが勢いを増し、
  それがテレビ業界にも反映されるようになったことであった。
  毎週 土曜日の夜になると、唯一の民間テレビチャンネルでは「Oh Boy」というロック番組が放送された。
  そのステージは、中世の宗教的な演劇のように暗く、厳かに演出されてはいたが。
  そこに出演するパフォーマーは エディ・コクラン(Eddie Cochran)やジーン・ビンセント(Gene Vincent)などのアメリカの人気ロックンローラーたち。
  そしてイギリス側からも、マーティ・ワイルド(Marty Wilde) ディッキー・プライド(Dickie Pride)そしてトニー・シェリダン(Tony Sheridan)などもこのステージに登場した。
  
  ロックの王様であるエルビス・プレスリーが陸軍に入隊し、映画館でしかお目にかかれなくなってはいたが。
  イギリスのロック事情は、こうして根強く、そしてしぶとく、その根っこを伸ばしていたのである。
47ジョン・キロックノン:2013/09/15(日) 21:51:58.40 ID:???0
  〜 Buddy Holly and The Crickets / Oh Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DR4G6KUHixg

  〜 John Lennon / Peggy Sue
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Rl96kw5XS0Y

  (小林)2曲かかりましたが
  バディ・ホリー&クリケッツの Oh Boy。
  イギリスでテレビのチャンネルでロックンロールの番組があった、ていうのは この Oh Boy から取ったわけですね。
  それほど、バディ・ホリーていう人は 瞬間的でしたけどね、亡くなるわけだから、瞬間的すっごい人気があった、ていうわけです。
  
  でその、バディ・ホリーの大きな影響を受けたジョン・レノン。
  さっきは、ポール・マッカートニーのプレスリーは、プレスリーらしくなく 歌ってましたけど。
  ジョン・レノンはバディ・ホリーぽく歌った。
  バディ・ホリーの Peggy Sue を一番で歌って、あまりにもそっくりに歌い過ぎたんで、二番からちょっと感じを変えて、
  ちょっとテレてる様が 伺えるジョン・レノン。
  そういうのを読み取っていくと面白いです。
  あまりにも そっくりなんで、ちょっと、なんてのかな、複雑な歌い方w ですよね。
  ジョン・レノン、「Rock 'N' Roll」のアルバムからお送りしました。
48ジョン・キロックノン:2013/09/15(日) 21:54:31.24 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・アメリカ合衆国の、いや全世界のロックの王様であるエルビス・プレスリーが陸軍に入隊し、映画館でしかお目にかかれなくなってはいたが。
  イギリスのロック事情は 根強く、そしてしぶとく その根っこを伸ばしていた。
  ジョンやポールがまだ十代のころ、1958年当時のお話しである。

  そんなロックの事情の中、イギリスには唯一 民間のテレビ局が土曜日の夜に放送していた人気番組があった。
  タイトルは「Oh Boy」
  この番組には エディ・コクラン、ジーン・ビンセント、といった アメリカの人気ロックンローラーの他に
  マーティ・ワイルドやトニー・シェリダンといったイギリス人シンガーも出演し人気を博していた。
  そしてさらに イギリス版のエルビスとして クリフ・リチャード(Cliff Richard)という若者も登場し、
  壊れたブラインドのように わざと唇の端を歪めて歌っていた。
  そして、そのクリフを囲むバックバンドのシャドウズ(The Shadows)もフロントシンガーに劣らず 目を惹く存在となり
  ギターを抱えて、おしゃれなステップを踏んだ。
  
  この クリフ・リチャード&シャドウズのデビューシングル「Move It」はジャングルビートを思わせるヘビーなグルーブにクールなリードギターが絡み、
  アメリカのロックンロールに対抗できる 初めてのイギリス産ロックとしてヒットレコードになった。

  一方 ロンドンから北西に数百キロ、リバプールでは、未だに「クォーリメン」と名乗ったままのバンドにいるギタリスト3人が
  毎週土曜日の夜になると、テレビ番組の「Oh Boy」に釘付けになっていた。
  特にシャドウズが登場すると、さらに画面に近づき、その素晴らしい「Move It」のイントロを どうやって弾いているのか
  ただただ夢中になって 観察していたのである。
  
  これは先ず 最初にポールが会得できたために、すぐさま彼は自転車に乗ってジョンの家に向かった。
  ドアを叩くと 出てきたジョンにポールが叫んだ。
  「ジョン!わかったよ!これで俺たちもテレビに出られるよ! やったぜ!」
49ジョン・キロックノン:2013/09/15(日) 22:00:43.33 ID:???0
  〜 Cliff Richard & The Shadows / Move It
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HyHXaVWRKvQ

  〜 The Ventures / Apache
  ttp://www.youtube.com/watch?v=B33bV0J5hLs
 
  (小林)ビートルズのちょっと先輩たちの音楽が、ヒット曲が2曲 続きました。
  両方とも、まだ現役で がんばっています。
  
  1958年のクリフ・リチャードの「イギリスのプレスリー」とも呼ばれたクリフ・リチャードの Move It。
  そして そのバックを務めたのが ザ・シャドウズ。
  シャドウズはバックバンドとしてばっかりじゃなくて、シャドウズとしてもすごく人気がありまして、ヒット曲がありました。

  続いて Apache ていう曲ですが、これは1960年。
  いいですか? 
  イギリス、オーストラリア、フランス、アイルランド、ニュージーランド、南アフリカ、スペイン、で1位です。
  60年。
  で、イタリアで2位。
  すっごいヒット だったわけですねえ。
50ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/17(火) 18:26:24.40 ID:???0
□リクエスト
  その前に ちょっとお知らせです。
  誰もが来たがる、この番組の公開録音のパーティを 10月2日有名なオークラ千葉ホテルでやります。
  佐藤 竹善とミス・オオジャ、この二人を迎えて。
  これに75組150名の方を招待いたします。
  申し込み方法は Bayfmのホームページ 携帯サイト ハガキ FAX で申し込んでください。
  ハガキの場合は〒261-7127 イシイ食品Plesents「ビートルズから始まる」スペシャルパーティの係
  FAXは043-351-8011
  締め切りがありますから、9月22日到着分です。
  詳しくはBayfmのホームページをチェックしてください。
  ttp://www.bayfm.co.jp/info/index.html#beatles
51ジョン・キロックノン:2013/09/17(火) 18:27:38.45 ID:???0
  (住所不明/男性)
  小林さんの声が好きで聴いております。
  番組を聴きながらも 私はビートルズについて有名どころ以外まったくわかりません。
  ですが、他の歌手でも良いとのことで クイーンをリクエストします。
  ビートルズなきあと イギリス国内のロックンロールをリードしたと言っても過言ではない、
  大好きな彼らの曲、ノリの良い今の時期に合った「シーサイドランデブー」をお願いします。
  フレディの高音とシャレて茶目っ気なところを愛しています。まだまだ暑い折ご自愛ください。
  (小林)
  どうもありがとうございます。クイーンです。

  〜 Qeen / Seaside Rendezvous
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QWhdx6OB_uc
52ジョン・キロックノン:2013/09/17(火) 18:28:38.79 ID:???0
  〜 The Beatles / Across The Universe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=uomY5h1hJwA

  (八王子市/男性)
  4歳の娘がこの曲にハマっています。
  うちでは夕食の時ビートルズの曲をかけることが多いんですが、
  ある時「アクロス・ザ・ユニバース」がかかると「この曲 いいねえ」みたいなことを娘が言い出しました。
  「おっ とうとうビートルズの曲に興味を持ったのか」と私はうれしくなって
  「ジョンていう人が歌ってるんだよ。この人だよ」って、ある絵葉書に描かれたビートルズの4人の姿のうち、一人を指さしました。
  その絵は横尾忠則が描いたビートルズの絵で、ポール以外みんなヒゲずらです。
  「おヒゲがすごいね」みたいなことを 娘はその時に言い、もう忘れてしまったかと思っていました。
  で、ある日またビートルズをかけていたら、「ヒゲのおじさんの歌がいい」と言い出すではありませんか。
  「え? 覚えていたの!」と思い「アクロス・ザ・ユニバース」をかけると、鼻歌みたいな感じで真似して すごい喜んでいます。
  それ以来 ビートルズ以外の曲をかけても「ヒゲのおじさんの歌がいい!」と言い、
  ずっとその歌がいいとせがむので、リピートでかけておりますが。
  リピートもきついので 他のビートルズのジョンの歌をかけると
  「これもヒゲのおじさんの曲だよ。ほら声が同じでしょう?」と言っても ダメ、なようです。

  (小林)
  (娘さん)ヒゲのおじさん 楽しめましたか?
  お父さんのリクエストでかけちゃいましたよ。
53ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/17(火) 18:29:46.14 ID:???0
  (東京都渋谷区/男性)
  妻はキッチンで夕食の支度をしながら、私は軽く一杯やりながら、この時間をくつろいでいます。
  ビートルズを聴き40年以上が過ぎますが、いまだに口ずさんでいます。
  妻も私の影響でビートルズが好きになって来たようです。
  料理好きな妻に ぜひイシイのミートボールのセットを。
                     (小林)わかりました、わかりましたw。
  私たちの結婚の際のBGMで流した曲を お願いします。
  (小林)
  じゃあ、ジョージ・ハリスンの「愛はすべての人に」をエリック・クラプトンのバージョンで。
  
  〜 Eric Clapton / Love Comes To Everyone(愛はすべての人に)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EjFzfJiLmeE
54ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/17(火) 18:30:46.94 ID:???0
  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
  https://www.youtube.com/watch?v=QTHpOe-18sI

  (木更津市/女性)
  昔、偶然テレビを見ていたら、なにやら四人組のイギリス人が楽しげに映画に出ているんです。
  たしか「HELP!」だったと思います。
  最初はポール・マッカートニーが好きになりました。
  その後 高校生になり、夜ラジオを聴きながら試験勉強をしている時、ジョン・レノンの訃報を聞いたのです。
  どれほど才能のある人であったか 改めて知らされました。
  そこから、赤盤青盤を聴き、のめりこんで行きました。
  そして現在、クラプトン大好きになり、同時にジョージ・ハリスンの才能に惹かれていったのです。
  While My Guitar Gently Weeps をリクエストします。
  (小林)ありがとう。
55ジョン・キロックノン:2013/09/17(火) 18:31:49.42 ID:???0
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  話し は面白いですよねえ。
  三人のギタリストが、ずっと、もうロックンロールの番組釘付け、なんて。
  もうほんとに、その時は競争で吸収してたんだと思います。
  でも ポールが速かった、なんてところは結構面白いです。
  これから どんなふうになって行くのか。

  それから、この番組の公開録音 忘れないでくださいね。
  もし良かったら 応募してください。
  締め切りがあります。
  詳しくは BayfmのHPでチェックしてください。
  ttp://www.bayfm.co.jp/info/index.html#beatles
  
  それから、リクエストもよろしくお願いします。
  今日のリクエストもとても楽しかったですけども。
  (略)
  [email protected]
  こっちで待っております。
56ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/18(水) 17:55:12.18 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年9月15日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月15日)
 ・1972年(今から41年前の今日)
  もうビートルズは解散して、ソロで活動している時代。
  イギリスで、ジョン・レノンの「サムタイム・イン・ニューヨークシティ(Some Time In New York City)」のアルバムが発売になります。イギリス発売。
  ジョンは ソロこれで3枚目 ということになります。
  ジョンの作品は もう・・・
  今までビートルズは3人がいたわけですが、もうこれはオノ・ヨーコと一緒になってからは、
  ジョンとヨーコがプロデュースして、曲だとかコンセプトも 自分たちの関心事を盛り込むアルバム。
  他の3人に比べると、英語で言うとね、ジョンは「トピカル(topical)」なんですよ。
  必ず“今”があるんですよ。“今”ていうのが。
  そして もう一つは「ポリティカル(political)」。
  政治的な意味合いも かなりあります。
  これはもうジャケットから、ニクソン大統領と毛沢東が裸でいるみたいな ジャケットだったりw。
  なんていうんですかね、新聞記事みたいな感じの。
  やっぱりこれは、トピカルでポリティカル なんですよね。
  そのせいか ジョン・レノンのものっていうのは、ポップスとは離れていて、セールス的には 必ずしも満足できるものではないんだけど。
  “これこそジョン・レノンの魂”という風な曲がいっぱいあります。
  「女は世界の奴隷か(Woman is the Nigger of the World)」「シスターズ・オー・シスターズ(Sisters, O Sisters)」これは女性解放の歌。
  「アッティカ・ステート(Attica State)」アッティカ刑務所での暴動 を取り上げています。
  あと「血まみれの日曜日(Sunday Bloody Sunday)」とか「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ(The Luck Of The Irish)」とか、アイルランド問題を取り上げていたりしています。
57ジョン・キロックノン:2013/09/18(水) 17:56:21.42 ID:???0
  で「ニューヨークシティ(New York City)」という曲があるんですが、
  これはもう ジョンとオノ・ヨーコがニューヨークに住むようになってからの、クロニクルみたいな、日記のような感じなんだけども。
  そこは ジョンの切り口は、まあ必ず問題作になっちゃうわけですね。
  もうほんと 物議を醸(かも)しました。
  でも、楽しいロックンロールに仕上がっています。
  行きましょうか? New York City!

  〜 John Lennon / New York City
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gWVRzfpta-g

  (小林)というわけで 今から41年前の今日、イギリスで「Some Time In New York City」
  物議を醸したアルバム 発売になりました。
  問題作も いっぱい入っているっていうアルバムですが。
  その中から New York City。
58ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/20(金) 18:20:11.43 ID:???0
□ストーリー
 ・1958年、ロンドンから北西に数百キロ、リバプールでは、いまだに「クォーリメン」と名乗ったままのバンドにいるギタリスト3人が、
  毎週土曜日の夜になると、テレビ番組の「Oh Boy」に釘付けになっていた。
  特にクリフ・リチャード&シャドウズが登場すると、さらに画面に近づき、その素晴らしい「Move It」のクールなイントロをどうやって弾いているのか、
  ただただ 夢中になって観察していたのである。
  
  これは先ず最初に ポールが会得できた。
  すぐさま自転車に乗って、ジョンの家に向かった。
  ドアを叩くと、出てきたジョンにポールが叫んだ。
  「ジョン!わかったよ!これで俺たちもテレビに出られるよ。やったぜ!」
  この頃から現在に至るまで、ポールという人物は どこまでも前向きであることがわかる。

  いずれにせよ、先行きの思わしくない自称ロックンロールバンド=ザ・クォーリメンには、ジョン以外のオリジナルメンバーはもう一人もいなかった。
  小柄で愛嬌のある内装職人のコリンと、彼が分割払いで買ったドラムセットは、まだバンドの練習場所に残っていた。
  コリンは あまり上手くはなかったが、ドラムセットの月賦を支払い続けているコリンを、そう簡単にクビにすることは出来なかったし。
  ドラムセットを持っているアマチュアミュージシャンを 当時のリバプールで探すことが、どれだけ難しいことか、ジョンもポールもよく分かっていたのだ。
  それに、ドラマーの腕がどれほど未熟であっても、取りあえずドラムを叩いてくれさえすれば、
  3人でギターをかき鳴らすだけのスタイルよりは、よっぽどバンドとしての体裁を保つことができた。
  しかし、これには常にジレンマが付きまとう。
  特に、常に進歩したい性格のポールには、どうしても耐えがたいことであった。
  ザ・クォーリメンは、明らかに行き詰っていたのである。
59ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/20(金) 18:21:37.52 ID:???0
  〜 Paul McCartney / Lucille
  ttp://www.youtube.com/watch?v=vMn2dF-2sYA

  〜 John Lennon / Bring It On Home - Send Me Some Lovin  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=C1aMH5rjiw0

  (小林)少年時代のジョンとポールの世界を お届けしていますが。
  二人が好きだった曲は、あとあとになってカバーするわけですね。
  
  ポール・マッカートニーの Lucille、リトル・リチャード(Little Richard)のヒット曲。
  1980年代の後半 ポールの得意技。

  そして、ジョン・レノンは ソロアルバム「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」の中から Bring It On Home-Send Me Some Lovin。
  サム・クック(Samuel Cooke)、リトル・リチャードのヒット曲のカバーであります。
60ジョン・キロックノン:2013/09/20(金) 18:23:21.69 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「なあ、ジョン。クォーリメンはこの先どうなるんだ?
  なんかリハーサルに集まっても、ダラダラと演奏するだけだし。
  レパートリーだって なかなか増えない。
  俺たちは こんなものだったのか?
  もっと 本物のロックに近づきたいと思わないか?」
  これは1958年当時、まだ16歳の高校生のポール・マッカートニーの発言。

  ジョンと呼ばれているのは、この数年後 ビートルズでポールとダブルトップとしてロックの世界でナンバーワン。
  いや、トップの天辺のそのまた頂点に立つことになる ジョン・レノン、18歳である。
  それにしても、ポールの発言は、的確としか言いようがない。
  ザ・クォーリメンは明らかに行き詰っていた。
 
  優秀なマネージャーとして働いてくれたナイジェル・ウォーリーが、プロゴルファーを育成する学校に行くことになったためいなくなり、
  仕事のブッキングがあいまいになっていた。
  クォーリメンは、行き当たりばったりに誰かのバースデイパーティや、ユースクラブのダンスパーティ、ソーシャルクラブなどに出演し。
  パイを一個 とか、ビールをジョッキに一杯 とか、ギャラ代わりにもらって演奏していた。
  ドラマーのコリンは、毎回その酒を飲んでは どうしても上手くならない自分のドラムズの腕を恨んだ。
  彼は、ジョンもポールも ドラマーとしての自分ではなく、ドラムセットだけを当てにしていること。
  そして ドラムプレイに関しては ポールが以前よりもキツイ言葉で批判するようになったことを、酒の力で忘れようとしていた。
  こういう状態が続くようになると、それまでの「ドラマーは 居ないよりは居た方がいい」という考え方が
  「コリン程度のドラマーだったら、むしろ居ない方がマシ」という意見に変わって行くようになっていた。
  さて、どうしたものか、ザ・クォーリメン。
  打開策はあるのか、ザ・クォーリメン。
61ジョン・キロックノン:2013/09/20(金) 18:23:57.72 ID:???0
  〜 The Beatles / Back In The U.S.S.R
  ttp://www.youtube.com/watch?v=M2uJiGEjxFw

  〜 The Beatles / The Ballad Of John And Yoko
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ugOtHXQEypk

  (小林)というわけで、クォーリメンはドラムズが問題だったっていうことでw
  これは両方ともポールがドラムを叩いているん、じゃないかという。

  Back In The U.S.S.R、これはポールが叩いているらしい。
  だから、リンゴがちょっとこれで ホント腐っちゃった、ていう。
  
  それから、これはオフィシャルにポールが叩いている The Ballad Of John And Yoko。 
  ジョンとヨーコの結婚式を綴った日記みたいな曲で。
  これは、ジョンとポールが二人だけでスタジオに籠って作った曲ですね。
  
  2曲お送りしました。
62ジョン・キロックノン:2013/09/20(金) 18:25:53.22 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・ドラマーのコリン・ハントンの演奏力がなかなか上達しないまま、超低空飛行を続けるザ・クォーリメン。
  ジョンとポール そしてジョージにとっても 人生で最初のバンドである。
  それでも 少しづつ、本当に少しづつではあるが 前進はあった。
  1958年も後半になると、ジョンもジョージも エレキギターを手に入れていたのだ。
  ジョンは、褐色のヘフナー・クラブ40。これはセミソリッドのボディで、つまみは2個付いていた。
  ジョージの方は、母親を説き伏せて資金を借り フェンダーのストラトキャスターに似た“フュチュラマ・グラジオッソ”という30ポンドのギターを購入。
  さすがに バディ・ホリーと同じフェンダーは買えなかったが、それでも以前のものよりは遥かに音も良く 使い勝手も最高だった。
  
  しかし、ジョンもジョージもアンプを買う予算までは無かったため、ライブ会場では 誰かのアンプをお借りするしか方法が無かった。
  それでもダメなときは、このころ電気工見習いとしてアルバイトをしていたジョージが、
  職場で教わった知識を使って、会場のPA、つまり音響システムにダイレクトにエレキギターを繋いで急場をしのいでいた。
  そして1958年半ば、クォーリメンの面々は、なけなしのお金を集めて 17シリングと6ペニーをひねり出し、デモレコードを製作した。
  これは、かつてのマネージャー=ナイジェルの名刺とチラシに書いてあった「ロックンロール、リズム&ブルース、何でも演奏します」
  の文面よりは、やはり「音で聴かせる方が効き目はあるだろう」と判断した結果である。
  
  この日クォーリメンが選んだスタジオは、実はスタジオではなく、リバプールのケンジントンという地区にあるパーシー・フィリップスという年配の男の自宅の裏であった。
  集まったのは ジョン、ポール、ジョージに ドラマーのコリン・ハントン、そしてもう一人 ポールが連れてきたピアニストのジョン・ローという少年の5人。
  さてついに全員が、人生最初のレコーディングに臨(のぞ)む場面となったのである。
63ジョン・キロックノン:2013/09/20(金) 18:26:42.25 ID:???0
  〜 The Beatles / Everybody's Trying To Be My Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Px9Jgq7_YyY

  〜 The Beatles / Don't Let Me Down
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dmU07H460so
 
  (小林)もう、終わりの頃のね、これもB面ですよね「Get Back」のね。
  Don't Let Me Down、ビリー・プレストン(Billy Preston)をフィーチャーした、というか、ビリー・プレストンが加わったビートルズ。

  そして、始めの頃の「Beatles for sale」から Everybody's Trying To Be My Baby。
64ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/21(土) 18:43:30.48 ID:???0
□リクエスト
  (小林)
  その前に、この番組の公開録音。スペシャルパーティ。
  応募してくださいよ。
  (>>50 を参照)
    
  リクエスト、メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。

  (川崎市/男性)20代後半
  最近ひょんなことから、この番組を知りましたが。
  ビートルズ黎明期というか、結成前夜の話しは、小林さんの心地良い語りも加わって、まるで「朗読劇」のようで面白いです。
  この後の話しは 数多くの文書や映像で知ってはいますが。
  これから世界制覇して行くのだと思うとワクワクします。
  まだ、アイドルっぽさが残っていた若き時代の名曲をお願いします。
  
  〜 The Beatles / All My Loving
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Gdc8RPfDz1g
65ジョン・キロックノン:2013/09/21(土) 18:45:57.58 ID:???0
  〜 The Beatles / If I Fell
  ttps://www.youtube.com/watch?v=B91ueRk58TQ

  (小林)If I Fell がかかりました。

  (神奈川県/女性)
  ポールが来日するなんて、うれしいです。絶対行きたいです。
  ポールと言えば・・・        (小林)というところで、リクエストはこの If I Fellなんですが。
  なぜかと言うと、この曲はジョンの曲なんですが。
  私はビートルズのファンになって以来 数十年。
  昔カセットテープに録音して聴いていた頃は「was in vain」の2回目の所で、ポールの声が息切れする感じになってるように記憶しているんです。
  今持っているCDでは その「息切れシーン」がありません。
  私の記憶違いだったんでしょうか?   (小林)っていう。
  もし「息切れバージョン」が存在していまししたら、ぜひリクエストお願いします。
  とても 不思議です。
                     (小林)というか、これは「ステレオバージョン」です。
                         息切れしているやつを流しました。どうでしたかね。   
  小林さん「ベストヒットUSA」の頃が大好きで、いまでもこうして聴けるなんて、とてもうれしいです。
  元気でがんばってください。
  (小林)
  はいwありがとうございます。
66ジョン・キロックノン:2013/09/21(土) 18:47:10.19 ID:???0
  (草加市/女性)
  初めてメールをします。「ビートルズ初心者でも…」と克也さんが言ってくれたから勇気が湧きました。
  ビートルズが分からない私でも 番組聴いていたら、だんだん引き込まれてしまいました。
  超入門編の・・・  
     
  (小林)w超入門編って、ないですよw。
  曲にはねえ、入門も上級者も何もないですよねw。
  (リクエスト)ありがとうございます。
  じゃあ、「超入門編」wて書いてある この名曲を。

  〜 The Beatles / Yesterday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU
67ジョン・キロックノン:2013/09/21(土) 18:47:51.02 ID:???0
  〜 The Beatles / The Long And Winding Road
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Xqu9qhBHWNs

  (小林)The Long And Winding Road がかかりました。

  (大田区/男性)
  初めてメールします。  (小林)初めての方が続いています。
  友人に勧められて毎週聴いています。
  おいらが・・・(小林)いいですねw。
  おいらが、中学2年生の時は美化委員でした。
  下校時間前に、各教室の掃除のチェックをしていました。
  「イエスタデイ」か「ザ・ロングアンドワインディングロード」が流れていました。
  この曲がかかると「もう学校から帰らなくちゃ」と 寂しい気分でした。
  その頃は、ビートルズの楽曲だとは知りませんでした。
  (小林)
  そうか、ビートルズと知らなかったw。
  だけど「イエスタデイ」の方が まだあれかな、気分が治まる。
  こっちはあれですよね、アレンジがすっごい豪華で大げさだから、豪華な寂しさというか、余計なお世話な寂しさみたいなのが ねえ。
  豪華だけに余計寂しかったんじゃないかとw そういう感じがします。
  これが 大エンディングですからね、これがかかると、ほんとうに寂しいよね。
  というわけで、リクエストありがとうございます。
68ジョン・キロックノン:2013/09/21(土) 18:48:57.68 ID:???0
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」
  高校生の頃の、ジョン・レノン、ポールたちのバンド=クォーリメンの行方はどうなるのか。
  っていうことで。
  これはもう、この頃は絶対一番面白いんじゃないかと思いますよ。ハラハラドキドキ。
  で、音楽の方がね、若い方も話しを聴く時に、その時はどんな音楽を彼らが聴いていたんだろう、どんな音楽を目指していたんだろう、ということで。
  50年代のロックンロールみたいなのを かけていますけども。
  だいたい、その時代の流れとか、ねえ。不自由な時代だったわけですよね。
  楽器を買うにも、ドラムセットがめちゃくちゃ高かった時代ですからねえ。
  それも、月賦で払うという。月賦ってあまり使わない言葉ですけど。
  そんな時代の話し、面白いと思います。

  それから、この番組の公開録音のスペシャルパーティ、応募していますか?。 
  (>>50 を参照)

  リクエストの方も よろしくお願いします。
69ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/24(火) 17:35:56.87 ID:YRQkem1C0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年9月22日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月22日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  アメリカ、ボストンのFM局 WBCNでビートルズの海賊版「Get Back」が放送された。ということなんですよ。
  まあ、放送局は海賊版ていうのは、あんまり放送しちゃいけない。どこの国でもそうなんですけども。
  もうビートルズのものだったら、もう待てないわけですよね。
  「ビートルズがナントかをやってる」「どんな風になってるのかな?」ファンは気になったりしますよね。
  そこを狙って海賊版屋さん、つまりこれは・・・
  海賊版って だいたい元々分かりますよねw。海賊版が分からないとw 話しが通じなくなるんですけども。
  正式に出されたレコードじゃなくて、法に反するやり方でコピーしたりとか、そういったものを製品として、不法な品物なんですよね、海賊版。 
  それを、だから放送局が放送するっていうことは ダメなわけですけども。

  僕はねえ、元々海賊版って あんまり興味が無いんですよ。
  ところがですね、音楽のファンの趣味によると思うんですけども、海賊版が大好きな人もいるんですよ。
  だから、もし海賊版に興味がある人がいたらですね。
  今の世の中 便利になっていますよ。
  ネットとか そういうのを使うと、海賊版の事とか、海賊版の音だとかね、絵なんかも含めて 出回ってたりするんで。
  まあ、各々(おのおの)で調べて頂きたいと思います。
70ジョン・キロックノン:2013/09/24(火) 17:37:02.60 ID:???0
  で、その問題はですね。
  「Get Back」の海賊版、Get Backというのはですね 実は4種類有った、と言われていますね。
  だから、「この放送局で放送されたやつ」「この放送局で放送されたやつ」っていうのが有って。
  それが、コピーされて出回っていた、っていうことなんですけども。
  「Get Back」の海賊版っていうのは 2種類有ったそうです。
  そのうち一つは もうすでに正式に発表されていた シングルバージョンだった、ていうことで。
  海賊版は流さないですよw。
  正式に発表されていた、もうみんなが知っている。まあ初めて聴く方もいるかも分かりませんけども。
  ビリー・プレストン(Billy Preston)をフィーチャーした、ビートルズの、Get Back。

  〜 The Beatles / Get Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=IyLtRKV1fTM

  (小林)ビートルズ、Whith Billy Preston で Get Backをお聴きいただきました。
  まあ、海賊版の話しが出ましたけど。
  ビートルズがグループとして存在していた60年代っていうのはね。
  ロックは「反体制」っていうのを、もう真正面に掲げていたような時代ですから。
  何ていうの、大きなレコード会社っていうのも、やっぱり体制の一部になっていたわけですよね。
  だから、今の時代だと 海賊版っていうと「安いコピー商品」みたいなイメージがあるかもわからないけど。
  60年代は、ちょっと海賊版っていうとね、特別な意味があったんだよね。
71ジョン・キロックノン !ninja:2013/09/28(土) 16:30:13.39 ID:???0
□ストーリー
 ・毎回お送りしている このビートルズストーリー。
  先週は1958年、ジョンやポールの最初のバンド=ザ・クォーリメンが人生初めてのレコーディングに漕ぎ着けた までの所で終わったっことは ご存知の通り。
  今週からは その時間を数カ月戻して、ジョンの最初の妻である シンシア・レノンの回想録を基に 物語を進めていきたいと思います。
  1950年代後半のイギリスは、青春を謳歌し 新しい世界に飛び立つには素晴らしい時代であった。
  過酷だった戦争の日々も 戦後の貧困も もうお仕舞い。
  兵役も無くなり、若者は何も恐れずに若者らしく生きることが許されるようになった。

  そんな時代 1957年9月、シンシア・パウエル。
  後にジョン・レノンの妻となるシンシアは リバプール・カレッジ・オブ・アートで新生活のスタートを切った。
  彼女はちょうど18歳になったばかりで、自分の運の良さを信じられない思いでいた。
  というのも、パウエル家は 一家の大黒柱であった父親を一年半の闘病の末 肺がんで亡くしていたのである。
  もちろん シンシアは進学をあきらめていた。
  二人の兄は自立して家を出ていたし、残された母親とシンシアは毎日食べて行くだけで精一杯だったからである。
  それでも彼女の母親は、娘の学費を何とか捻出しようと ベッドルームを潰して独身の労働者相手の下宿屋を始めたのである。
  電気工の見習いであった4人の下宿人は この家に住んでいた。
  それも、喜んで住んでいた。
  しかし、いくつかの問題もあった。
  取りあえずは トイレ。
  ここのトイレには しょっちゅう列が出来ていた。
  そのため、誰よりも早くトイレに入ろうとするのであれば、朝日と共に起きるしかなかった。
  年ごろの女子にとっては 少し辛い住環境ではあったが、それでもシンシアは母親に感謝していた。
  何があろうとも、大学に進学できたことは彼女にとって最高の幸せであったのである。
72ジョン・キロックノン:2013/09/28(土) 16:30:47.14 ID:???0
  〜 The Beatles / One After 909
  ttps://www.youtube.com/watch?v=IVN9ROEZIkE
 
  〜 John Lennon / Be-Bop-A-Lula
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EgtULMN47OY
 
  (小林)2曲続きました。
  Be-Bop-A-Lula ジョン・レノンのあのw 曲と曲との間のしゃべり方 いいですよねw。
  One after 909 前の曲でのあとのジョン・レノンのしゃべりなんか、
  ジョンが好きな人は ああいうしゃべりが好きなんだよね、あの声がね。

  というわけで、ジーン・ビンセント()の曲 Be-Bop-A-Lula。
  そして、One After 909。

  それから、トイレがお話しの中に出てきますけどね。
  この頃のイギリスは、上流階級の家を除いては ほとんどがトイレは外。
  だから、シンシアの家もトイレが外にあったんですね。
73ジョン・キロックノン:2013/09/28(土) 16:31:34.39 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・アートカレッジに入学すると シンシアは模範的な学生を目指した
  よそ行きのアンサンブルとツイードのスカートでキチンと身支度を整え、きれいに削った鉛筆を揃え、毎日時間に遅れることなくカレッジに通った。
  もちろん、カレッジで一番の優等生になろうと意気込んでいたことは言うまでもない
  この頃のシンシアの夢は、美術の教師になることだった。
  彼女にとっての美術の時間は 小学生のころから唯一好きになった科目であり。
  12歳の時にアートカレッジのすぐそばにあるジュニアアートスクールに入学した時は 嬉しくてワクワクしたものであった。
  アートカレッジに進学したことで シンシアには新しい目標が生まれた。
  それは、上級生たちのように 夢中になれる何か、一生懸命になれる何か、を見つけること。
  自信に満ちた上級生を見ていると、いつもシンシアは憧れを抱いた。
  彼らのカジュアルで見るからに芸術家風なスタイルや 長い髪が眩しかった。

  入学当時のシンシアは、茶色っぽく くすんだ短い髪に きっちりとパーマをかけていた。
  母の友人の中に美容師がいて、好意でそうしてくれていたのである。
  ただ問題は、その美容師さんのお得意様は ほとんどが50代以上のオバ様ばかりだということ。
  当然、シンシアのヘアスタイルも オバ様たちと同じく 野暮ったいものになってしまっていた。
  さらにその美容師さんは、数週間に一度 シンシアを実験台にして、色々なヘアスタイルを試していたが、
  「どんなスタイルにしても 最悪である」ということだけは 確かであった。

  おまけにシンシアは目が悪く、ほとんどの場合はメガネをかけていた。
  カレッジに入学して最初の頃は、制服から解放され おしゃれな洋服が着れることが嬉しかった。
  しかし、すぐに「自分にはファッションセンスというものが無いこと」に気が付いたのである。
  結局「自分は何の面白味も無い、野暮でパッとしない女なんだ」という事実に 落ち込んでしまった。
  しかし、そんな平凡で冴えない人生を変える出会いが待っていたのである。
74ジョン・キロックノン:2013/09/28(土) 16:32:15.31 ID:???0
  〜 The Beatles / Words of Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Ay8y8MctiOw

  〜 The Beatles / I'll Be Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=G9hO25z1Fu8

  (小林)初期の作品が2曲続きました。

  「Beatles for sale」のアルバムから、ビートルズがバディ・ホリー(Buddy Holly)の曲をカバーしていました。
  Words of Love 。

  そしてこの曲は「A Hard Day's Night」のアルバム。
  デル・シャノン(Del Shannon)の、当時めちゃくちゃ売れていたアメリカ人のシンガーソングライター。
  ロックです。
  デル・シャノンの 影響を受けたと言われる I'll Be Back。

  2曲。
75ジョン・キロックノン:2013/09/28(土) 16:33:06.40 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・父親を病気で亡くし、進学をあきらめていたシンシア・パウエルであったが、
  母親の頑張りで なんとかリバプール・カレッジ・オブアートに入学できた。
  美大生として2年生となっても、シンシアは入学当時の情熱を失くしてはいなかった。
  ただ、その野暮ったい外見に関しては 少しづつではあるが改善の方向にあった。
  母親の友人である美容師さんに 勇気を出して“オバちゃんパーマ”をやめてもらい、彼女は髪を伸ばし始めた。
  ファッションもがんばった。
  ツイードのスカートの代わりに 流行りの黒いベルベットのパンツも買った。
  メガネも出来るだけ掛けないで暮らした。

  しかし、このメガネに関しては かなり問題があった。
  シンシアの視力は極度に弱かったため、よく降りるバスの停留所を間違えた。
  カレッジの掲示板に書かれた告知も 読み間違えた。
  でも、それはシンシアにとって どうでもいいことであった。
  彼女はとにかく、メガネを掛けている自分が大嫌いだったので、少しばかりの不自由など気にも留めていなかった。
  ただし、授業中は別である。
  メガネを掛けないと、黒板も 自分が目の前の画用紙に描いているものすらも 見えなかったのだから仕方がない。

  レタリングのクラスの初日、みんながとっくに席に着いていたころ、一人のテディボーイがだらしなく教室に入って来た。
  両手を深くコートのポケットに突っ込み、どこか挑戦的な面持ちが印象的だった。
  そのテディボーイは シンシアの後ろの席に座った。
  すると、その男子学生はシンシアを笑わせようと わざと顔を歪め、いわゆる変顔をしながら こう言った。
  「やあ、僕はジョン」
  シンシアは微笑まずにはいられなくて、ジョンに応えた。
  「私、シンシアよ」
  すると、講義を始めていた先生が、シンシアを見て あからさまに眉を顰(ひそ)めた。
  その先生のメッセージは間違いなくこういうことであった。
  「シンシア、君のような優等生はそんな不良に関わってはいけない。絶対ダメだよ」
76ジョン・キロックノン:2013/09/28(土) 16:34:20.43 ID:???0
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=9q5IjOeu5g4

  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MG-ia0NV8Ts
 
  (小林)やあ、「Bad Boy」から「ノルウェーの森(Norwegian Wood)」に行くとねえ、けっこう「ノルウェーの森」も違うように聴こえました。
  どうですか?

  1965年の。ラリー・ウィリアムスていうアメリカ人シンガーの、これカバーですね、Bad Boy。

  それから「ラバー・ソウル(Rubber Soul)」のアルバムに入っている Norwegian Wood(This Bird Has Flown)
77ホワイトアルバムさん:2013/09/28(土) 23:23:02.02 ID:yIK8cLZ80
ageてみるよ。
78ホワイトアルバムさん:2013/09/29(日) 15:52:12.20 ID:???0
また物語戻っちゃったのかよ、もう飽きたよ
79ホワイトアルバムさん:2013/09/30(月) 15:52:53.01 ID:???0
まあなんというか、シンシアとかヨーコの話しは勘弁w
80ホワイトアルバムさん:2013/10/01(火) 13:25:56.85 ID:???0
自分は今年から聞き始めたから気にならない
この番組って1999年から放送されてるみたいだけど、物語部分は何周もしてるの?
81ホワイトアルバムさん:2013/10/01(火) 16:24:30.63 ID:???0
こらこら、いつも録音起こしをしてくれているお方に感謝しなされ
82ジョン・キロックノン !ninja:2013/10/01(火) 17:33:11.94 ID:???0
□リクエスト
  公開録音収録のお知らせ(9月22日締め切りのため省略)

  (小林)リクエスト 採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。
  メールは [email protected]

  (大田区/男性)
  私の28歳の娘も 私の影響でビートルズが大好きです。
  家族全員で毎週楽しみに聴かせていただいております。
  リクエストなんですが、    (小林)来ましたねえ。               
  T・レックスの「Ballrooms Of Mars」をお願いします。
  マーク・ボラン(Marc Bolan)はジョン・レノンにかなり影響されたみたいですね。
  歌詞の中にもジョン・レノンという言葉が出てきますし、曲調も歌い方もジョン・レノンそっくりです。

  (小林)まあ、マーク・ボランの場合w 歌詞が…歌は二流の、なんていうの、歌詞なんかも、二流って言うと失礼になるけど。
  ジョン・レノンよりも、ちょっと“サイケ”っていう感じなのかな。そんな感じですよね。
  だけど、面白い人ですよ この人は。
  実はリンゴ・スターが、このレコードのジャケット写真は 撮影しています。
  それでは、あなたのリクエストに応えて・・・

  〜 T. Rex / Ballrooms Of Mars
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mCUIuCuzdII

  (小林)いかがですか? T. Rexの Ballrooms Of Mars 
  これは(あなたの)リクエストありがとうございます。
  やっぱり、ビートルズの時代が終わって、解散すると、要するにみんなソロになるじゃないですか。
  その頃から イギリスってのはヘビーロック つまりハードロックの時代が始まるんだけど。
  それが、しばらく経つと、ジョン・レノンなんかの影響を受けた T・レックスだとかデビッド・ボウイたちによって、ひとつの また新しいロックですよね。
  グラムロックとか言われた。
  まあ、ビートルズたちが作った音楽に、なんて言うんですかね、ビジュアルっぽいものを加えたり。
  ちょっと、セックスっていう、セクシーていうんじゃなくて、性的な意識だとか そういう風なものを加えたりした、新しい時代に入って行くわけですが。
  それの先端を走っていたT・レックス。
83ジョン・キロックノン:2013/10/01(火) 17:34:45.94 ID:???0
  (船橋市/男性)
  職場で楽しみに聴かせていただいています。
  ポールが11年ぶりに来日しますね。
  前回の来日で見納めだと思っていたので アンコール気分でポールの歌声をしっかり心に刻んで来たいと思い、チケットをゲットしました。
  そして、アメリカでのリストセットを見ると、あの曲の名前が無い。
  僕があらゆるラブバラードの中でナンバーワンと勝手に思っている「マイ・ラブ(My Love)」これが無い。
  やはり、二度目の再婚したポールは、リンダへの愛を歌ったこの曲は演奏し辛いんですかねえ。
                                  (小林)wていう。
                                      そういうのも あるかもわりません。
  イエスタデイと共に もう一度 生で聴けたらめちゃクチャ嬉しいんですけど。
  ということで、不滅のラブバラードをリクエストします。

  (小林)
  My Love、行きます。
  
  〜 Paul McCartney / My Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0SB3x6KtNi4
84ジョン・キロックノン:2013/10/01(火) 17:36:17.87 ID:???0
  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kHVigFTKntg

  (小林)ヘイジュードが流れています。
  何回聴いてもw 盛り上がって来る曲だねw。仕方ないね、これね。盛り上がって来るよねぇw。
  
  (千葉県柏市/男性)
  中学生のころの私は ビートルズのような長い髪をしておりました。
  しかし、高校に入ってからは 髪の毛を切り落として七三に分けて 学生生活が始まりました。
                       (小林)こういう人は 校則があったんだろうね。
  それでも ビートルズの歌は毎日聴きました。
  リクエストは「ヘイ・ジュード」をお願いします。

  (小林)
  短いですけども、あなたの事がちょっと分かりました。
85ジョン・キロックノン:2013/10/01(火) 17:38:15.11 ID:???0
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  
  シンシアのお話しに入っていますけど。
  これから、ジョン・レノンとの出会い。
  まあ、出会いが有ったところまでお伝えしましたが。
  このあとも、乞うご期待 というとこです。
  
  それからリクエスト、よろしくお願いしますね。
  リクエスト採用の方にはイシイの(略)
  メールは [email protected]
  
  それから、もう一回スペシャル・パーティのお知らせ(略)
  今日(9月22日)が締切りです。
  (略)
86ジョン・キロックノン !ninja:2013/10/02(水) 13:16:20.22 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年9月29日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月29日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  ジョン・レノンとジョージ・ハリスンが、デイビッド・フロスト(David Frost)という、
  イギリスで有名なテレビのショーをやっているテレビホストにインタビューを受けます。
  これは、録音でね、ウェンブリースタジオていう所で録画されて、その日の夜遅く放送になるんですけども。
  面白いのは、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンのインタビューがあって、
  その同じ番組で、インドのマハリシ・マへーシュ・ヨーギのインタビューもちょっと放送されるんですよ。

  でまあ、だいたいどんなことを言っているかというと、宗教的なこと、思想的なこと、を言うんですけど。
  具体的に、ちょっとここに資料があるので・・・
  ジョン・レノンが 先ずね、
  「お釈迦様、イエス・キリスト、両方ともご機嫌だ!」みたいなことを言うんですよ。
  ジョージ・ハリスンは、
  「僕は、リーンカーネーションを信じている」まあ、生まれ変わりを、輪廻っていうんですかね、を信じている。
  で、「生と死というものは 思想の上ではとても関係あって。僕は、生まれ変わるていうこと自体を信じていて。
  人間は 何回も何回もこの世に帰ってくるんだ。
  で、だんだん良くなって、最後には、神に近い位置を獲得して創造主、つまり神と一つになって終わるんだ」
  ていうようなことを 言うわけですよね。
  いかにもジョージ・ハリスンですね。
  こういった思想はですね、トランセンデンタル・メディテーション(Transcendental Meditation)
  当時「TM」ていう省略で、まあ、新しい宗教みたいな形でね。けっこうミュージシャンたちが このTMに入っちゃうんですよ。
  新しいところでは、マドンナ(Madonna)なんかも入るんですよ。後々になってね。
  未だに続いていることなんですけど。
87ジョン・キロックノン:2013/10/02(水) 13:17:38.90 ID:???0
  ビートルズは このインタビューを終わって、スタジオへ入って、この曲を仕上げちゃう、っていうことなんですよ。
  で、この曲を聴くと やっぱり、当時どんな頭の中 心の中がどういう風な景色だったか、ていうのが良くわかると思います。
  まあ、決して真面目 マジメ一辺倒でもなかったんですよ。
  だってこの曲は あれだもん、内容がもうぶっ飛んじゃってて オカシイもん。
  ビートルズの Iam the walras。

  〜 The Beatles / I am the walrus
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Ap6kSV_U45o

  (小林)というわけで、ビートルズはかなり思想的、宗教的になっていた時代の作品。
  違う言葉を使うと「ぶっ飛んでいた」作品 I am the walrus
  お送りしました。
88ジョン・キロックノン !ninja:2013/10/04(金) 17:46:50.16 ID:???0
□ストーリー
 ・一家の大黒柱である父親を亡くした シンシア・パウエルであったが、
  母親の一念発起で自宅で下宿を始めたことで、なんとか生計を立て直すことができた。
  元々芸術系の学校に通っていたシンシアは大学進学を望んでいたため、迷わずリバプール・カレッジオブアートに入学することを望んだ。
  彼女は、絵に描いたような良妻賢母スタイルのイングランド女性で、そのファッションセンスも質素そのもの。
  カレッジの2年生になって やっと自分の意志で髪を伸ばし始め、ツイードのスカートから ベルベットのパンツにと、そのスタイルも変わりつつあった。
  
  そんなシンシアが新学期を迎えたレタリングのクラスの初日。
  彼女は 遅れて入ってきたテディボーイ風の学生を見かけた。
  そのテディボーイは シンシアの後ろの席に座った。
  するとその男子学生はシンシアを笑わせようと わざと顔を歪め、いわゆる「変顔」をしながらこう言った。
  「やあ!僕はジョン」
  シンシアは微笑まずにはいられなくて ジョンに応えた。
  「私、シンシアよ」
  すると、講義を始めていた先生がシンシアを見て、あからさまに眉を顰(ひそ)めた。
  その先生のメッセージは間違いなくこういうことであった。
  「シンシア、君のような優等生は そんな不良と関わってはいけない。絶対ダメだよ」

  それまでも ジョンをカレッジのキャンパスで見かけたことはあったが、話しをしたことは一度もなかった。
  当然の事であるが、お互い付き合う連中がまったく違っていたからである。
  シンシアはそんなジョンが レタリングという地味で根気のいるクラスを取っていたことが驚きだった。
  案の定 ジョンはクラスに必要な道具など 何一つ持って来ていなかった。
  そしてまたシンシアの背中を叩いてこう言った、
  「ねえシンシア、鉛筆とブラシ貸してくれないかな?」
89ジョン・キロックノン:2013/10/04(金) 17:47:28.57 ID:???0
  〜 The Beatles / Dig A Pony
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kkzKSORYtVk

  〜 The Beatles / It's Only Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=KNiCccK81z4
 
  (小林)これは「HELP!」の中に入っている曲ですね。
  It's Only Love

  そしてその前は「Let It Be」の、1970年の作品。
  なかなか いいですよね。これ閃(ひらめ)いてますよね。
  Dig A Pony
90ジョン・キロックノン:2013/10/04(金) 17:48:12.55 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ねえシンシア、鉛筆とブラシ 貸してくれないかな?」
  リバプール・カレッジオブアートの超優等生のシンシア・パウエルがレタリングのクラスを受けていた時、テディボーイ姿の男子学生が入って来た。
  彼の名前はジョン・ウィンストン・レノン。
  そう、この数年後 あのビートルズのリーダーとしてイギリス、ヨーロッパ、そしてロックの発明国アメリカ、
  そして日本を始めとするアジアまでも征服し、世界の頂点に立った男、ジョン・レノンその人である。

  この時シンシアは ジョンがレタリングのクラスを受けるなんて、あまりに意外に思えた。
  なにしろ レタリングとは、骨の折れる綿密な作業で、コツコツと積み上げる工程を根気強く続けられる性格が必要だったからである。
  しかし案の定、ジョンは授業に必要な道具は何一つ持っていない。
  いわゆる「手ぶら」で教室に現われていた。
  もちろん、やる気ゼロ である。
  
  シンシアの後ろの席に座ったジョンンは、シンシアの背中を叩いては その都度必要な道具を借りた。
  シンシアは迷惑を感じながらも 仕方なく貸してあげた。
  それ以来ジョンは 必ずシンシアの後ろに座るようになって、必要なものは何でも彼女から借りるようになった。
  しかし、だからといって借りたものを使うでもなく、たいていの場合 作業など一切していなかった。
  ただ得意の変顔をしたり、普通であればとても口に出したりできないブラックジョークや下ネタでクラスの皆を笑わせたりして 遊んで過ごすだけであった。
  
  シンシアは、後から判ったのであるが、ジョンは自分から望んでレタリングのクラスを選んだわけではなかった。
  彼はほとんどの教師から 厄介者扱いされ、仕方なく「レタリングのクラスに行くように」と 学生課から指示されていた、というのが実情であった。
  そんなジョンの とても口にできないジョークは、日増しに過激になって行ったのである。
91ジョン・キロックノン:2013/10/04(金) 17:49:14.23 ID:???0
  〜 John Lennon / Crippled inside
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XBuMC25npYk

  〜 Ringo Starr / I'm the Greatest
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mZ4EmA5X-PQ

  (小林)2曲続きましたね。

  これは初めてかけたのかな?この番組で。
  リンゴ・スターのソロアルバムの中に 入っている曲で I'm the Greatest という、リンゴがちょっとふざけたような感じですけど
  ジョンがピアノで、ジョージがギターで、ビリー・プレストンがオルガンで参加していました。

  その前は、71年の「イマジン(Imagine)」のアルバムに入っています。
  ジョージ・ハリスンがドブロスライドギターを弾いています。
  Crippled inside、ジョンらしい、ブラックユーモアぽい曲です。
92ジョン・キロックノン:2013/10/04(金) 17:50:49.40 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「あ〜ぁ、退屈だなあ〜このクラス。みんなコツコツ作業なんかしちゃって、よく我慢できるよなあ。
  こんな こまっけえ作業、お前ら おかしいんじゃないかぁ?」
  この言葉の主は、ジョン・ウィンストン・レノン。
  この数年後、あのビートルズのリーダーとして イギリス、ヨーロッパ諸国、そしてロックの発明国であるアメリカ、
  そして日本を始めとするアジアまでも征服し、世界の頂点に立った男、ジョン・レノンその人である。
  
  ジョンは リバプール・カレッジオブアートのほとんどの教師から厄介者扱いされ、学生課からはこんな命令を受けていた。
  「いいか ジョン。お前はレタリングのクラスに行け。
  もうこれ以上 授業をサボるようなことがあれば 即刻退学だ。
  これが最後のチャンスだぞ! さあ、今から教室に行け!」

  もちろんジョンは、真面目に授業なんか受けるわけがない。
  彼自身「ほんとは こんな所、居たくもないんだ」と断言していたくらいで、
  授業を妨害するために全力を尽くしていた。
  後に妻となるシンシア・パウエルを始めとする誰かをからかったと思うと、先生について明らかに悪意のこもった批評を書いて生徒全員に回したり。
  先生や生徒の特長を上手く捉えた似顔絵を描いたり。
  それはもう やり放題。
  さらには残酷なことに、歪んだ顔やブラックユーモアを通り越したイラストを描いては みんなに囃し立てられていた。
  
  当時のジョンは イギリスの典型的な不良少年のファッションで
  髪は左右を長く伸ばし、後ろで合わせる「ダックテイル」と呼ばれたスタイル。
  そしてパンツは 細い排水管を思わせる「ドレインパイプス()」
  そんなジョンと初めて話しをした時の シンシアの第一印象は単刀直入「サイテー、ぜんぜんタイプじゃないわ」
  というもの。
  しかし男女の仲とは 実に不思議なもの。
  これが恋愛感情に発展するのに そう時間はかからなかった、のである。
93ジョン・キロックノン:2013/10/04(金) 17:51:29.80 ID:???0
  〜 The Beatles / Anna (Go to Him)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZHTyLcVVlMM

  〜 John Lennon / Sweet Little Sixteen
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HrnDRzQ6dro
 
  (小林)1975年の「ロックンロール(Rock 'N Roll)」のアルバム。
  ジョンのソロ、全部カバー、ていうアルバム。
  その中のチャック・ベリー(Chuck Berry)のヒット曲をカバーしていました。

  そしてその前は、ビートルズの63年「プリーズプリーズミー(Please Please Me)」のアルバムの中に入っていましたね。
  これもアーサー・アレキサンダー(Arthur Alexander)ていう人のカバーです。
  Anna
94ホワイトアルバムさん:2013/10/06(日) 19:55:31.54 ID:???0
三波春夫なんてかけてるんじゃないよ!
95ホワイトアルバムさん:2013/10/06(日) 19:59:53.27 ID:???0
♪せんすいかん

は、許す
96ジョン・キロックノン:2013/10/09(水) 15:43:53.94 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしています。
  メールは [email protected]

  (千葉市中央区/男性)
  毎週末の締めくくりとして、いつも楽しみに聴いています。
  番組の終わりに いつも流れるリンゴの軽快なドラムとともに、
  「また明日から、今週もがんばるぞ!」といった気合いも、勝手ながら入れさせていただいています。
  さて、ちょうど一ヶ月前は 今は亡きマイケル・ジャクソンの誕生日でした。
  言うまでもなく、マイケルは私の敬愛するビートルズとともに 音楽史に残るアーティストであると思います。
  7歳になる私の息子は、私の影響でビートルズの曲もハミングしますが、テレビのマイケルの曲の良さとカッコよさに惹かれ、
  かなり重力のかかっているムーンウォークを「ポウ!」という雄叫びとともに 部屋の中で陶酔して歌い踊ります。
  そんなマイケルとポール・マッカートニーのデュエットと言えば 大変有名なのが「セイセイセイ(Say Say Say)」ですが。
  私が今でも二人のデュエットで大変記憶に残っているのが、ポールのアルバム「Pipes Of Peace」に収録されている「ザ・マン(The Man)」という曲。
  今回 リクエストさせていただきます。
  曲調はマイケルのものというよりも、ポール節の切ない感じのメロディが秋に向かうこの時期ピッタリではないでしょうか。
  (小林)
  リクエストありがとうございます。それでは The Man

  〜 Michael Jackson & Paul Mccartney / The Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=RMZE_0tEllU
97ジョン・キロックノン:2013/10/09(水) 15:46:15.05 ID:???0
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fUHzyyyW9Sw

  (小林)
  She Loves Youが流れました。名曲ですよねえ。

  (住所不明/男性)
  毎週家族でサーフィンの帰りに車の中で聴いております。
  2歳になる息子は ジョン・レノンにあやかりジオンと言います。
  もちろんジョンと呼んでも構わないように。
           (小林)だけど、ジオンって言った方がカッコいいかもわかんないよ。
  そして今 新たな命が家内のお腹に宿りました。
  家内にありがとう と共に、名前をどうしようか、今から楽しみにしています。
  リクエスト曲は僕が小学校2年の時に あるジーンズのテレビCMで使われていたShe loves youをお願いします。
  あまりの曲のカッコ良さに、子供ながら衝撃を受けたビートルズとの出会いの曲です。
  (小林)
  ていうか、これは あのCMはビートルズの曲じゃなくてカバーが・・・バッドボーイだっけ?使われたっていうことです。
  
  で、もう一人。
  (船橋市/男性)   も この曲にリクエストくれました。
  日曜日も仕事しながらラジオ聴いています。
  49歳になる私のビートルズの思い出は、3つ上に兄がいるんですが。
  小学生か中学生の頃 兄の部屋に赤と青のカセットテープがあって、階段の上から4人が見ているというものでした。
  その時はあまり気にしなかったんですが、日テレで日曜日のテレビジョッキーという番組があって、
  コマーシャルで女の人が白いジーパンを穿いてジッパーを上げたり下げたり、バックで流れていた曲がビートルズの曲だったと思います。
  曲名が判らない、今でも頭に残っている・・・
  (小林)
  いやあ、それですよw それですよ。
  だけど、ビートルズの本物がかかりました。
98ジョン・キロックノン:2013/10/09(水) 15:50:30.24 ID:???0
  (東京都足立区/男性)
  うちの10歳の息子はビートルズ大好きです。
  そのあたりの知識は見る見る吸収していきます。
  学校で習う分数などには苦戦しておりますが。
  最近はビートルズの使用楽器を研究しています。
  この番組も(息子)が雑誌で発見して以来 欠かさず聴いています。
                      (小林)すごいねえ(息子さん)は。
  ビートルズは世代を超える と言えばそれまでですが、
  音楽が巷にあふれ返っている中で“50年前の音楽に子供が最も反応する”というのは やはり不思議なものだと思います。
  (息子の)リクエストです。

  〜 The Beatles / Not A Second Time
  ttps://www.youtube.com/watch?v=uUfZA4kw328

  〜 The Beatles / From Me To You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zUNzFAPNWPI

  (小林)いやあ、From Me To You ポピュラーなやつと、
  その前は 渋かったでしょう?「With The Beatles」ていう2枚目のアルバムに入っていた Not A Second Time。
  10歳がリクエストくれたんだよ。
  
  これは15歳です。
  (船橋市/女性)
  いつもバイト先で聴いています。高校一年生女子です。
  最近 初期のビートルズを聴きたくてしょうがなくなるので (小林)www
  リクエストを送ります。
  (小林)初期のやつが大好きなんだ。
  どうもリクエストありがとう。
99ジョン・キロックノン:2013/10/09(水) 15:52:39.12 ID:???0
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」お別れの時間が来てしまいました。

  リクエストを よろしくお願いしますね。
  今日は リクエスト感動しちゃったなあ。ねえ。
  15歳の高校一年、もうビートルズの初期、聴きたくてしょうがない。
  もうこれは中毒ですw。当分治んないと思います。
  それから10歳の(子供も)リクエストくれましたねえ。
  ビートルズの楽器なんかも研究してる っていうから、すっごいですよ。
  それも、なんていうのかなあ、親から押し付けられて ていうんじゃないんだよ。
  それがビートルズの魅力だと思いますけど。
  
  リクエスト採用の方にはイシイの(略)
  
  ビートルズのお話しの方は。
  不良のジョンと 優等生のシンシアのお話しが当分続きます。
  
  小林克也がお送りしました。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年10月6日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月6日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  ビートルズも終わりに差し掛かっています。
  アメリカで「Something」と「Come Together」が両A面シングルで発売になりました。
  両A面シングル。すごいです。
  まあ、B面が無い、両方ともA面だ、っていう。
  ちょっと偽善的な発想ですよねw。両方ともA面w。だって裏があるわけだからね。
  でもこれは、エルビス・プレスリーなんかの時代からそうなんです。
  日本でも そういうことをやるビッグアーティストがおりますが。
  ところがこの「Something」
  マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)もフランク・シナトラ(Frank Sinatra)もポール・マッカートニーとジョン・レノンの作品だと思ってたらしい。
  これ、ジョンとポールだと みんな思っちゃうわけですよね。
  ところがこれはジョージ・ハリスン。
  後半の 特にジョージ・ハリスンは、すごいです。作曲の能力が上がって来ています。
  だから、これの前の「The Ballad Of John And Yoko」ていうのがあるんですよ。
  これはジョンの曲でしょ。
  そのB面、ジョージ・ハリスンの「Old Brown Shoe」なかなかいい曲ですよね。
  だから、ジョージが大躍進していた。
  イギリスでは1位になってませんけども。
  アメリカで、ビルボードでですね、両A面で一週間だけ1位を獲得しています。
  でも、イギリスで人気投票なんかするとね、ビートルズの曲で「Something」が1位になったりする時があるんですよね。
  それくらい人気の高い曲。
  ジョージが歌ってギター、ポールがベース ハーモニーヴォーカル、もちろんリンゴがドラム、
  ジョンはハモンドオルガン、ビリー・プレストン(Billy Preston)がピアノ。
  それから、後半ですね、スケジュールと予算の都合上 ストリングスとジョージのギターソロは同時録音になったんです。
  これをジョージはワンテイクで決めたそうです。
  演奏が もう、すごかった。ねえ、気迫が入っていた。気が入っていた。
  エンジニアは ジェフ・エメリック(Geoff Emerick)も賞賛に値する。

  ただ、ジョージ・ハリスンって ちょっと軽いクセがあって、
  ほら「My Sweet Lord」が盗作で訴えられたことがあるじゃないですか。
  この「Something」のね、♪something in the なんとか〜♪っていうのがね 
  その昔アップルに所属していた 後半アメリカで有名になるジェイムス・テイラー(James Taylor)の盗作w。 
  盗作って言っちゃダメですけどもw。
  これは 頂いたそうですw。

  聴いてください、改めてね。
  ビートルズのSomething。

  〜 The Beatles / Something
  ttp://www.youtube.com/watch?v=IrW7dlDHH28

  (小林)
  というわけで、今から44年前の今日、アメリカでシングルとして発売になったジョージ・ハリスン。
  ジョージ・ハリスンは やっぱりこの頃は良い曲を書くようになった。
  もう、ジョンとポールに鍛えられた。
  それから、歌の表現力も増しています。
102ホワイトアルバムさん:2013/10/16(水) 14:34:45.44 ID:???0
この番組、むかしから録音されているかたいらっしゃいますか?

近5年分はほぼそろっているのですが・・・。ぜひ聴いてみたいもので。
103ホワイトアルバムさん:2013/10/17(木) 08:55:07.05 ID:???i
いほうです
□ストーリー
 ・「シンシア、君のような優等生は そんな不良に関わってはいけない。絶対ダメだよ」
  これは今から55年前、1958年当時のリバプールの美術大学リバプール・カレッジオブアートの教室での一コマ。
  心の中のつぶやきは、レタリングの授業の教師のもので、シンシアとは後にジョンの最初の妻となる女性=シンシア・パウエルのこと。

  一方、そんな不良と思われているのは、もちろんジョン・レノン。
  当時のジョンは イギリスの典型的な不良少年のファッションで、
  髪は左右を長く伸ばし後ろで合わせる「ダックテイル」と呼ばれるスタイル。
  そしてパンツは、細い排水管を思わせる「ドレインパイプス()」
  そんなジョンと初めて話をした時のシンシアの第一印象は短刀直入「サイテー。ぜんぜんタイプじゃないわ」というもの。
  しかし、男女の仲とは実に不思議なもの。これが恋愛感情に発展するのに そう時間はかからなかった。

  ジョンのあまりにもストレートで辛辣な物の言い方、痛烈なまでのブラックジョークもシンシアにとっては 常に警戒すべきものであった。
  「その矛先が自分に来たらどうしよう」シンシアはいつも恐れ慄(おのの)いていた。
  そう思っているうちに、やはりジョンは彼女に近づいて来た。
  ジョンはシンシアを「お堅いお嬢様」とか「ミス・パウエル」などと呼んで、彼女のキチンとした服装や山の手風のアクセントをからかった。
  初めてジョンにからかわれた時、シンシアは顔を赤らめて「あんな人 早くどっかへ消えてしまえばいい」
  そう思いながら、授業の終わりに教室を飛び出してしまった。
  これが恋の始まりなのか、まだ二人には分からなかったのである。
  〜 John Lennon / Rip It Up - Ready Teddy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=a-W2rGRTYpk

  〜 Paul McCartney / Teddy Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=F5q2__1GK1M

  (小林)
  ポール・マッカートニーのTeddy Boyこれは1970年。
  ポールがインドで書いた作品。
  
  そしてその前は、ジョンのソロアルバム「ロックンロール(Rock 'N' Roll)」に入っている
  リトル・リチャード(Little Richard)のヒットです。
  リトル・リチャードというと ポール・マッカートニーが得意じゃないですか。
  ポールの歌い方はリトル・リチャード風に、あんまり声が濁らない 声帯をグァーンと震わせた歌い方。
  でも、ジョン・レノンのちょっと濁った歌い方 もけっこうカッコ良かったね。
  Rip It Up - Ready Teddyのメドレー。
□ストーリー(続き)
 ・「ウヒャー!。やっぱり山の手育ちのお嬢様はちがうね。
  こりゃまた きれいな英語をお話しになる。
  BBCのニュースキャスターかと思ったよ!」

  初めてジョンにからかわれた時、シンシアは顔を赤らめて
  「あんな人 早くどこかへ消えてしまえばいいのに・・・」
  と思いながら、アートカレッジの授業の終わりを待って、教室を飛び出してしまった。
  ところが、何週間か経つうちに シンシアはなぜかジョンに会うのが楽しみになっていた。
  二人に共通の科目であるレタリングのクラスがある日になると、 
  シンシアはジョンの姿を求めて、自然と教室に急ぐ自分に気が付いていた。
  ジョンはここぞとばかりにシンシアを笑わせ、そのどこか憎めない彼の振る舞いにシンシアは強く惹き付けられて行った。
   
  そのころのシンシアは、自分を何とか気に入って欲しい、何とか人並みにうまくやりたい、という固定観念を持っていた。
  言い換えるならば、典型的な優等生タイプの女学生 と言える。
  ところがジョンは 彼女とはまるで正反対。
  好戦的で、皮肉屋で、反抗的で、まったく恐いもの知らずなキャラで有名だった。
  何でもかんでも、誰彼関係なく 笑い飛ばしてしまうことの出来るジョンを、シンシアはうらやましくも思っていた。

  ある日、二人の共通の友達が シンシアにある事を教えてくれた。
  それは、ジョンが数か月前に母親を交通事故で亡くしているということ。
  シンシア自身 高校生時代にお父さんを失くして寂しくて仕方がなかったので、ジョンの心の傷を思いやることが出来た。
  しかし、当のジョン本人はそのことを口に出すことは無かった。
  シンシアはそんなジョンの トゲトゲしい態度の裏に隠された深い深い悲しみを理解してあげようと、ますます親近感を持つようになり、
  そのことが二人の関係をジワリジワリと強めて行ったのである。
  〜 The Beatles / Don't Let Me Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dmU07H460so

  〜 The Beatles / Cry Baby Cry
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4A3pX_shcyU

  (小林)Cry Baby Cryですね、これは。
  「ホワイトアルバム(The Beatles )」に入っている曲。

  そしてその前は、ビリー・プレストン(Billy Preston)も加わったビートルズの Don't Let Me Down
  これは「Get back」のB面。
□ストーリー(続き)
 ・1958年後半の リバプール・カレッジ・オブ・アート。
  ここで 新しい恋が芽生えようとしていた。
  男子学生は、この数年後 あのビートルズのリーダーとしてロックの、いや、この世のあらゆる芸術とエンターテイメントの
  頂点のさらに頂点の そのまた天辺に君臨することになる、あのジョン・レノン。
  そして女学生の方は、ジョンの最初の妻となる、カレッジの優等生=シンシア・パウエル。
  
  ある日、二人に共通の友だちがシンシアにあることを教えてくれた。
  それは、ジョンは数か月前に 母親を交通事故で亡くしている、ということ。
  シンシア自身 高校生時代にお父さんを失くして寂しくて仕方がなかったので、ジョンの心の傷を思いやることができた。
  このことが、二人の仲を取り持った最大の要因である と言っても過言ではない。
  
  ある朝、レタリングのクラスのみんなが お互いの視力、つまり誰がどれだけド近眼であるかを計りっこしていた。
  この時シンシアは、ジョンが自分と同じくらいド近眼であることが判り、少し親近感を覚えた。
  彼もシンシアと同時に視力が悪いくせに 眼鏡をかけるのを嫌がっていたのである。
  なにせ、その当時の眼鏡ときたら、国民保健サービス制度によって支給されるものがほとんどで、
  ビン底のような丸いレンズの、ほんとうに最悪なデザインのものばかり。
  年ごろの大学生にとって 許しがたい事であった。
  そこでジョンは あの憧れのロックスター=バディ・ホリーと同じような鼈甲の黒縁眼鏡を探し
  育ての親であるミミ伯母さんから買ってもらって愛用していた。
  
  ジョンとシンシアは この他愛もないポイントで意気投合し
  「お互い眼の事で ついていないね」とか、「ド近眼のせいで こんな失敗があった」などと
  二人だけの秘密の話しをすることができた。
  このメガネ問題がきっかけとなり、ジョンとシンシアはさらに親密になっていくのである。
  〜 Buddy Holly & The Crickets / Maybe Baby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=m4yqhCypYfE

  〜 The Beatles / Thank You Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3_i1Qb2qRMM
 
  (小林)というわけで ジョン・レノンは近眼だからw、バディ・ホリー(Buddy Holly)も近眼ということで。
  あの黒縁のね、太い黒縁のメガネを、あれがトレードマークだったんですが。
  バディ・ホリー・アンド・クリケッツの Maybe Baby

  で、ビートルズのジョン・レノンがボーカルを取っていましたが。
  これちょっと バディ・ホリーっぽいでしょ?。Thank You Girl
  
  というわけで、その当時プレスリーがメチャクチャすごかったんだけど。
  その脇で、例えばバディ・ホリーとかジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)とかエディ・コクラン(Eddie Cochran)とかいるわけですよ。
  そういった人たちはね、みんなイギリスの方が人気が高かったんですよね。
  イギリスは、もうロックが大好きな国だったわけですね。

  それから毎回ね「ロックの芸術の頂点のさらに頂点のそのまた天辺に行く」このフレーズはよくこの番組で使っていますが。  
  あれは、ジョンのフレーズなんですよね。
  なんか、訊かれたことがあるんですよ、僕はw。
  「あれ、何なんですかね?」ってw。
  ジョンのフレーズで。
  英語ではね「Top of the pop a most(?)」というんです。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。

  (千葉市花見川区/男性)
  2020年のオリンピック東京開催の吉報、60年代以来ですね。
  1963年生まれの私は もちろん当時の記憶はありませんが、
  三波春夫先生のこの歌声は、ビートルズを始めロックは大好きですが、やはり日本人。
  このリズム 癒されます。
  オリンピック精神、友情、連帯、フェアプレー、我々大人は これを機会に改めて襟を正さなければいけませんね。
  三波春夫の東京五輪音頭リクエストいたします。よろしくお願いいたします。
  (小林)
  ということでw

  〜 三波春夫 / 東京五輪音頭
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NKeFmomZwmo
  〜 金沢明子 / イエローサブマリン音頭
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cUKGC_5OoWU

  (小林)
  はい、どさくさに紛れて 音頭が2曲続いています。
  やっぱりね、オリンピックの音頭なんてのは 今じゃないとかけられないすからね。

  (白岡市/男性)
  ビートルズのアルバムを1枚 克也さんが選ぶとしたら どれでしょうか。  
          (小林)僕はねえ、けっこう変わりましたねえ。面白いですよね。長く聴いてるとね。
  先日 父と話したことなんですが、
  ほぼリアルタイムで育った父は「ペッパー」や「アビーロード」の当時の衝撃ぶりを振り返りながら後期のアルバムを上げるのに対し
          (小林)これは 分かりますねえ。
  後追いの僕にとっては むしろ古き良きオールデイズ色の強い前期の方が かえって新鮮に感じる所に、好みや世代ギャップがくっきりしてしまいました。
  アルバム1枚選ぶなら 僕は「リボルバー(Revolver)」です。
  あまり良い言葉じゃないかもしれませんが「ペッパー」とは違った意味で、「ごった煮のような雰囲気」がとても楽しいからです。
  「Taxman」で颯爽(さっそう)と始まって「Yellow Submarine」でリスナーを寛(くつろ)がせたと思うと、
  「Tomorrow Never Knows」の迫力で留め、といった流れがたまらず。
  それらの脇を固める「And Your Bird Can Sing」なども秀作揃いだと思います。
  リボルバーの中から選ぼうかと思いましたが、選びきれず。
  今年は夏が終わり、ということで 金沢明子/イエローサブマリン
  久しぶりに。
  (小林)
  ということで、かけましたよ、はい。
  (栃木県鹿沼市/女性)18歳
  毎週楽しく拝聴しております。
  リクエストは ポール・マッカートニーの新曲「New」がフルで聴きたいです。
  よろしくお願いします。
  ライブのチケットも当選して、夢のようです。
  今からワクワクしていま〜す。

  (小林)ていう
  このプロデューサーは有名なプロデューサーなんですが。
  約一年ぐらい前に、ポールが結婚した時にね。
  あのプロデューサー、DJをやったらしいんだよね。
  それで、夜3時ぐらいまで、朝3時ぐらいまで踊って。
  それでその後で、ニューヨークのレストランで、レストラン行った時に、トイレでバッタリ会ったんだって。再会したんだって。
  で、「おい、仕事一緒にやろうよ」ってことで、このプロデューサーが決まった、という話しを
  ポールがインタビューで言っておりましたけれども。
  それじゃ、あなたのリクエスト。

  〜 Paul McCartney / New
  ttps://www.youtube.com/watch?v=J-EX38A1Rlg
  〜 The Beatles / Golden Slumbers-Carry That Weight-The End
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4HCaBAV4ZTI

  (小林)
  いやあ、これはいつ聴いてもホント飽きないメドレーですよね。すごいよね この曲はね。
  Golden Slumbers から Carry That Weight そして The Endに行ってます。

  (水戸市/女性) 
  こんにちは、66才です。51年遅れてファンになりました。
  私の葬送曲にして欲しいな、と思っています。
  (小林)
  これは、短いけどけっこうパンチのあるリクエストですよね。
  すごいね、66だけど 51年遅れて、絶対、遅れてもビートルズに間に合った。
  これを 葬式の時の・・・。
  うわあ、こういうような事が書ける人が、やっぱり偉い人だとw僕は思うんですけども。
  というわけで。

  あ、それから、ポールの新曲はNewって言いまして。
  僕がプロデューサーの話しを しました。
  そのプロデューサーっていうと、エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)をプロデュースしてお馴染みの、あのマーク・ロンソン(Mark Ronson)。
  名前がちょっと浮かばなくて・・・。
  マーク・ロンソンとポールがね、ニューヨークのレストランのトイレで再会した。
  「ちょっとおまえホモっぽい話だろ」ってインタビューで言ってましたよ。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)というわけで、いかがでしたでしょうか「ビートルズから始まる」
 
  ジョンとシンシアの恋の物語。いいよね。なかなかw。
  
  そう言えば、もう、来月 ポール・マッカートニーがやって来ますよ。
  その、マーク・ロンソンていう人がね、ウェディングパーティのDJやったんだけど。
  11月20日はね、パーティやるらしいですよ。上さんの誕生パーティを。
  あれ、だれがDJやるかっていうんで ちょっとね。
  先月ね、ポールのサブマネージャーが来て、ホテルだとかいろんな所を決めて帰ったって言ってましたからね。
  この番組で いろいろお伝えすることがあると思います。
  
  リクエストありましたら、よろしくお願いします。
  [email protected]
  採用の方にはイシイの(略)
  待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年10月13日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□スペシャル・パーティ
会場:オークラ千葉ホテル

 司会:小林克也

 ゲスト:Ms.OOJA(ミス・オオジャ)
      佐藤 竹善
--------------------------------------------
 曲目:〜 Ms.OOJA / Let It Be

     〜 Ms.OOJA / Shiny Sky

 演奏:おじゃバンド
--------------------------------------------
 曲目:〜 佐藤 竹善 / Come Together

     〜 佐藤 竹善 / Lady Madonna

     〜 佐藤 竹善 / ( All I wanna do is ) Have some fun

     〜 佐藤 竹善 Ms.OOJA / Two Of Us
     
 ピアノ :塩谷 哲
 ギター:佐藤 竹善
-------------------------------------------
  参考資料:ttp://ameblo.jp/msooja/entry-11627010623.html
116ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/10/21(月) 17:43:41.24 ID:oAAkediC0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年10月20日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月20日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  アメリカでLP、アルバムですね。当時はLPと言いました。LPが発売になりました。
  「ウェディング・アルバム(Wedding Album)」です。
  これは、今だとちょっと考え(られない)。
  こういうのは、アルバムって、もっとなんていうのかな、みんな自由だったんだよね。
  よく出したよね、これは。
  まあ、考えてみると、ジョンだったから出せたのかもわかりません。
  「ウェディング・アルバム」が出ました。
  これはですね、当時はビニール盤ですから、A面B面がありますが。
  A面はね ジョンとヨーコがお互いの名前を呼び続けるばかりww。
  これは「なんだ? セックスの記録じゃないか!」などと悪口を言う人もいましたけど。
  B面は 1969年3月23日から3月の終わりまで、オランダのアムステルダムのホテルで行われた「ベッド・イン」の模様。
  記者会見、それから即興での演奏が入っている。
  つまり、このタイトルがね「Amsterdam1969」かな、「アムステルダム1969」そういう風なタイトル。

  で、面白いのは、その同じ日に、アメリカで「コールド・ターキー(Cold Turkey)」発売になりました。
  これはビートルズじゃありません。
  ジョン・レノンが自分のバンド、つまり「プラスティック・オノ・バンド(Plastic Ono Band)」ですよね。
  プラスティック・オノ・バンド。
  で、ジョン・レノン、エリック・クラプトン(Eric Clapton)、クラウス・フォアマン(Klaus Voormann)、リンゴ・スター、
  それから、ボブ・ディラン(Bob Dylan)がピアノで入る予定だった。これが ディランが参加できなかった。
  でもこれねえ、けっこう「コールド・ターキー」ってのが麻薬の中毒、禁断症状のことなんで。
  イギリスだとかアメリカも放送局が禁止した所が かなりあったんですよね。
  だから、大ヒットには至らなかった。
  でまあ、ジョンレノンが 一説によると、腹を立てて、女王からもらったMBE勲章を返しちゃったっていうのを、
  これが原因じゃないかと 言われたりしましたね。
  44年前に「ウェディング・アルバム」 
  これね、僕は1回か2回ぐらい聴いたことあるけど。
  けっこう 今から考えると 「よく出したなあ、面白いなあ」
  ただね、僕は思うんだけど、オノ・ヨーコっていう人は立派だと思うの。
  これねえ、だいたいね、オノ・ヨーコがけしかけたと思うんですよ、ほんとは。
  だけど、ジョンが亡くなったあと「私が何をした。私がやったから こうなった」ていうようなこと
  絶対 あの人言わないものね。
  どこの国のインタビューでも言わない。
  あれはねえ、やっぱり立派な人間だっていう感じがします。
  
  じゃあその、プラスティック・オノ・バンド 行きますか?。

  〜 Plastic Ono Band / Cold Turkey 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jo7A02KtuDw 

  (小林)いやあ、後半はねw、エリック・クラプトン我慢しているようなw感じがあるんですけどw
  どうなんでしょうかね。
  Cold Turkey これは、大きな所ではBBC、イギリスの公共放送が放送禁止にしたという。
  プラスティク・オノバンドで聴いていただきました。
□ストーリー
 ・場面は 1958年のリバプール。
  ジョンとシンシアの恋物語。今週も続けてみよう。
  
  典型的テディボーイファッションの不良ロック少年=ジョン・レノン。
  これに対して シンシア・パウエルは リバプールの中でも比較的育ちの良いとされるエリア出身の典型的な箱入り娘。
  このシンシアのジョンに対する第一印象は「自分とは全く別の世界に住む人間。すぐに立ち去ってもらいたい」というもの。
  そんな二人が いつの間にか意気投合するようになった切っ掛けは、これがユニーク。

  ジョンもシンシアも ド近眼であったこと。
  「お互い 目の事はついてないね」とか「ド近眼のせいで こんな失敗があった」などと、二人だけの秘密の話しをすることができた。
  この「メガネ問題」が切っ掛けとなり、ジョンとシンシアはどんどん親密になって行き、授業中も何やらヒソヒソと話しをするようになった。
  
  アートカレッジの教室にやって来るとき、ジョンはいつもギターを背負っていて、
  「俺、クォーリメンってバンドをやってるんだ」とシンシアに話してくれた。
  授業が終わった後、何人かのクラスメートが教室に残ってのんびりしていると、
  時々ジョンはギターを出して来て、ボ・ディドリーやチャック・ベリーなどの アメリカのロックンロールやリズム&ブルース、 
  そしてイギリスのスキッフルの大スター=ロニー・ドネガンのヒットナンバーを弾いて歌ってくれることがあった。

  演奏を始めると、途端に ジョンの別の顔が現れた。
  その姿には、彼が本当に心から音楽を、ロックを、愛していることがとても素直に出ていた。
  世の中を見下したような いつもの意地悪な表情は消え、とても穏やかな顔を見せる18歳の少年。
  それが、本当のジョン・レノンであることを、シンシアは直感的に感じ取ったのである。
  〜 Chuck Berry / Sweet Little Sixteen 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=QRLDopWVAvw

  〜 Paul McCartney / Crackin' up
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9MdF-c4ECOg
 
  (小林)ポール・マッカートニーの Crackin' up。
  器用なポール・マッカートニーが伝説の ボ・ディドリー(Bo Diddley)の曲を取り上げています。
  Crackin' up
  これは1988年の「ロシアンアルバム(Снова в СССР)」ですね。
  
  そしてその前は、本家本元、これがロックの源流の一つです。
  チャック・ベリーの Sweet Little Sixteen。
□ストーリー(続き)
 ・「ねえ、ジョン。お得意のロックンロール、歌ってよ。
  みんな あなたのファンなんだから。」

  放課後の教室でジョンが演奏を始めると、とたんに彼の別の顔が現れた。
  その姿には ジョンが本当に心から音楽を、ロックを 愛していることが素直に出ていた。
  世の中を見下したような、いつもの意地悪な表情は消え、とても穏やかな顔を見せる素顔。
  それが本当のジョン・レノンである事を、シンシアは直感的に感じ取った。
  ジョンと出会って数ヶ月が過ぎるころ、シンシアは自分がすっかり彼を好きになっていることに気付いた。
  というよりも、もはや彼女の頭の中はジョンでいっぱいだった。
  シンシアは そんな自分を叱りつけたい気持ちにもなった。
  「ジョンなんて、私が一緒に肩を並べて歩きたいと思い描いてきたタイプとは、ぜんぜんタイプが違う。
  第一、ジョンが私に関心があるとは思えないわ」

  ところがある日、望みなんて無いという それまでのマイナス志向を覆す出来事があった。
  他のみんなが教室を出て、シンシアも帰る支度をしていた時のこと。
  1メートルぐらいしか離れていない所に、ギターを抱えて座っていたジョンは、おもむろに「Ain't She Sweet」という曲を歌い始めた。
  後に ビートルズもレコーディングすることになるナンバーである。

  「なんて 可愛い娘なんだ。
  街行くあの娘を見てごらん。
  そう、だれにも秘密にしといてくれ。
  やっぱり あの娘 可愛いだろ」

  この歌を聞いたとたん シンシアの顔が真っ赤になってしまい。
  さも用事があるかのようなフリをして そそくさと一人で帰ってしまった。
  シンシアは思った「もしかして、ジョンも私のことが好きなの?」
  さて、予想は的中するのであろうか?
  〜 The Beatles / Ain't She Sweet
  ttp://www.youtube.com/watch?v=WWq_6tZpJMI

  〜 The Beatles / Baby It's You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PfA8P-JKPzg

  (小林)2曲続きました。

  まず、ビートルズの Ain't She Sweet
  これは、1961年ですからね。
  もちろん、教室でジョン・レノンが歌っていた曲 なんですけども。
  これは実際に トニー・シェリダン(Tony Sheridan)ていうイギリスのシンガーのバンドとして参加した時に Ain't She Sweetという曲も入っていましたね。
  61年。

  そして Baby It's You、これは63年の「Please Please Me」のアルバムの中に入っています。
  バカラック(Burt Bacharach)なんですよね 曲を書いたのはね。
  シュレルズ(The Shirelles)のヒット曲、ビートルズがカバーしています。
  Baby It's You
□ストーリー(続き)
 ・「なんて 可愛い娘なんだ。
  街行くあの娘を 見てごらん。
  そう、だれにも秘密にしといてくれ。
  やっぱり あの娘 可愛いだろ」

  ジョンが放課後の教室で歌う Ain't She Sweetを聴いたシンシアは、顔が真っ赤になってしまい。
  さも用事があるかのようなフリをして、曲の途中で そそくさと一人で帰ってしまった。
  そして、甘く切ない疑問を懐いた。
  「もしかして、ジョンも私の事が好きなの?」
  
  実はシンシアは 教室から出る寸前に、一瞬だけジョンを見た。
  すると、ラブソングを歌う彼の視線は ずっとシンシアに向けられていることが分かった。
  これは大事件である。
  
  翌日シンシアは、ジョンと仲が良く 毎朝彼と同じ72番のバスでカレッジに通って来るフィルという男子学生に打ち明けてみた。
  自分は前からジョンが好きなこと、ジョンが自分に“愛の視線”を送っていたこと、など。
  シンシアにとっては、恥ずかしすぎて もう心臓バクバク、体温上昇、顔は真っ赤、という非常事態での相談であり、カミングアウトである。
  すると フィルは単刀直入にアドバイスをしてくれた。
  「シンシア、言いたいことは分かったけど。元々君は ジョンのようなタイプは好きじゃないだろう?
  今、一瞬だけ そんな気分になっているだけだ。
  バカなことは 考えない方がいいね」
  
  数日が経って、少しは冷静さを取り戻したシンシアは、昼休みにジョンが階段を登る女子学生を見つめている所を目撃した。
  その子は 黒のタイトスカートを掃いていて、髪は長いブロンド、ジョンは口笛まで吹いて 仲間にこう言うのが聞き取れた。
  「いいねえ、まるで ブリジッド・バルドーだ」
  シンシアは思った、
  「負けてなんかいられない。絶対にあの子よりも綺麗になって見せるから」
  〜 The Beatles / You're Gonna Lose That Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ky1z13Bjx_A

  〜 The Beatles / Please Mr. Postman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=svPkYVD1E6k
 
  (小林)
  初期の作品、1963年、マーヴェレッツ(The Marvelettes)のヒットのカバーですね。
  有名な Please Mr. Postman
  
  そして その前の曲は You're Gonna Lose That Girl という。
  1965年、アルバムは「HELP!」
124ホワイトアルバムさん:2013/10/28(月) 13:13:34.89 ID:hWoLYHYI0
【会社の即戦力の定義とは】
「社会の一員として人々の役に立つ価値を提供すること」


会社にとって喉から手が出る程欲しい人材とは、
この求められる価値を提供するために、解決すべき
課題を正しく共有し、一緒になって価値を生み出す
ことが出来る人材なのです。

ところがJALグランドサービスの即戦力って言っている奴らは自分の気の合う人には仲良くするけど
気に入らない人間には粘着してとことんまで罵倒したりパワハラしたり自分にはとことん甘いくせに人の揚げ足ばかり探して
仕事中も喋ってばかりで口元緩んでばかりじゃないか
先に暴言を吐けば自分が強いと思わせることができるなんて考えているみたいだけどそれは違う 
それは弱い動物がキャンキャン吼えているのと同じことだよ
JALグランドサービスは仲良しクラブ会社 仕事中 趣味の話で盛り上がって手が止まってんだよw
たまには仕事まじめにやったらどうだね?
125ホワイトアルバムさん:2013/10/28(月) 13:14:10.14 ID:hWoLYHYI0
JALグランドサービスは貧乏性でテーブル拭いて汚れたタオルを次の清掃場所
さらに次の清掃場所にもっていって汚れたタオルを使えっていってきた
タオルからはなんともいえない臭いが漂い色もケチャップやなんやらがこびりついていて汚かった
お客さまのためにを毎日言っている会社なのになにこれ? 矛盾してるよね?
青タオルはウンコがこびりついていて汚い それをキレイなタオルといいラバーのほかギャレー
床のゲロ掃除などさまざまなところで活用している
バケツにそのタオルを濡らすとき気持ちが悪い バケツもすごく汚いよね
バケツ洗っているところみたことがないし
JALはこんな会社です
白タオルは生乾きで蒸れた悪臭がしている それでお客様がつかうテーブルを拭いているんだから
あのテーブルは菌をひろげているようなもんだ
126ホワイトアルバムさん:2013/10/28(月) 13:14:50.61 ID:hWoLYHYI0
中国系列の飛行機を掃除していたとき 班長 その他数名が仕事中喋ったりふざけて遊んでいました
私はラバー(トイレ)を夢中で掃除をしていていました
そのときトントン トンと私の肩を叩く人がいたので振り向いてみるとその飛行機のクルーの一人が
目を吊り上げて私の前に立っていました
そして私に「あの人たち 口を動かしてばかりで仕事しない 注意してきてくれ」と私にいいました
私は急いで係長にそのことを報告しにいきました 班長はその横で口を緩ませてヘラヘラしているだけでした
他社からあいつら喋ってばかりで仕事をしないといわれても恥じもなく 適当な仕事を他社に見られても平気な
JALグランドサービス
このことでその飛行機会社からは信用を失い二度とJAL系列に仕事を任せないと
決断してくれることを切に願うばかりである
127ホワイトアルバムさん:2013/10/28(月) 13:15:28.78 ID:hWoLYHYI0
JALグランドサービスはパートやアルバイト、契約社員に対し若い正社員ですら横柄かつ高圧的な言動(恫喝行為など)を取ることが常態化されていて
それを正せる上司が一人もいないというのが特徴の会社
128ホワイトアルバムさん:2013/10/28(月) 13:16:11.64 ID:hWoLYHYI0
人が見えにくい場所で係長がとある気弱な社員のわき腹を殴ったり
蹴っ飛ばしたり頭を殴ったりしていた
あれをパワハラといわずになんていうのか?
こんな屑なことばかりやっている悪質な会社JALの傘のなかでふんぞり返っているのだから
JALそのものがたいしたことがないといえるだろう
班長 係長 課長とも人間としての品格を疑うことがおおい
常軌を逸した行動を認知していながらそれを容認しているJALグランドサービス
フィロソフィなどただ毎日口にだして読んでればそれで満たされる
ただそれだけのもの どんなりっぱな言葉を並べたとこでそれを毎日読んでる人間が
バカじゃ意味がない 陵辱 ひとの足をひっぱったり人を不幸にしている
JALグランドサービスが物心両面の幸せだと? 笑わせるなw クズ会社がw
129ホワイトアルバムさん:2013/10/28(月) 13:17:10.74 ID:hWoLYHYI0
JAL客室ではゆすりたかりが毎日普通に行われている!缶コーヒーをある一般職に班長係長課長までが当たり前のようにたかっている!全く腐りきった会社だよ!!何がコンプライアンス教育だ(笑)先ずたかっているおまえらが襟を正せよ。
130ホワイトアルバムさん:2013/10/28(月) 13:17:55.48 ID:hWoLYHYI0
JALグランドサービスの管理職千代は羽田にいたとき自分の気に入らないバイトをクビにしまくってたんだって
俺(バイト)にそれを誇ってたよw
驕りって怖いよねw 


千代本人は不祥事やらかして上の人間に土下座して羽田から成田に左遷させられたのにねw
131ホワイトアルバムさん:2013/10/28(月) 13:19:37.95 ID:hWoLYHYI0
JALサーバーの会社端末から2ちゃんに削除依頼してたバカはいたけどw

IPまでアップしてアフォかとw知障かとw

揉み消しの仕事ご苦労さん JALさんよw
□リクエスト
  (小林)
  [email protected] メールアドレスです。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしておりますから。
  これはかなり喜ばれています。 

  (葛飾区/男性)50代
  番組とはぜんぜん関係ないかもしれませんが、克也さんの声を聴いていると どうしても聴きたくなるので。
  「うわさのカム・トゥ・ハワイ」をリクエストします。
  自分は山口出身で言葉が似ているので、妙に心地良い曲なんです。

  (小林)
  知らない人のために説明しておくと。
  小林克也たちが、約30年くらい前に出したアルバムの中に入っている曲で。
  本人たちは、日本で初めてのラップだと思ってやってますからね。
  でも、そう聴こえないかもわからない。
  舞台はハワイで、ハワイの日系人たち というシチュエーションがあって。  
  その日系人たちがね、広島から移民して行っているから、広島弁になっている、ていうシチュエーションです。
  
  〜 小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド / うわさのカム・トゥ・ハワイ
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lUQfl-N8D44
  〜 The Beatles / Penny lane
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nZBb82N5ODM

  (茨城県牛久市/女性)
  毎週楽しみにしています。 Penny lane お願いします。
  リバプールの歴史に触れました。一度行ってみたい街です。
  歌詞に出てくる「フィッシュ・アンド・チップス」が食べたいです。
                        (小林)そうだよねw。現場で食べた方がね・・・ww
                            いろいろ、日本でも可能ですけど、食べることは。
  私は ビートルズ来日の年に生まれました。
  何か共時性                (小林)あ、時間を分かち合った。
  共時性を感じます。

  (小林)ていう、はい。
  ペニーレーンは ポールとかジョンも、バスで通った所だから。
  何だろうね、日本でいうと。
  北口とか南口商店街とか そういう風な、あれはね、ニュアンスなんでしょうかw。
  (三浦市/男性)
  初メールしました。よろしくお願いします。
  ビリー・ジョエル「アレンタウン」リクエストします。

  (小林)
  ちょっと独特の、暗ーい雰囲気になっちゃうんですよ。
  ビリー・ジョエルには珍しく。
  
  〜 Billy Joel / Allentown
  ttp://www.youtube.com/watch?v=BHnJp0oyOxs
  〜 The Beatles / Lady Madonna
  ttp://www.youtube.com/watch?v=YvKx9SOMNCU

  (千葉市中央/男性)
  今、私はピアノで「レディ・マドンナ」を練習をしています。
  私が練習すると、決まって、7歳の娘が 踊ります。
  まだ娘は 原曲を聴いたことが無いので、リクエストよろしくお願いします。

  (小林)
  ちょっとね、気が付いたんですけどね。
  ビリー・ジョエルと ビートルズが並びましたよね。ずっとね。
   Penny lane から、ね。
  そうすると、ビートルズみたいに聴こえたよね?
  で、思い出したんだけどw、
  思い出し方が遅いんだけどw

  ビリー・ジョエルは「ナイロン・カーテン(The Nylon Curtain)」ていうアルバムを、「サージェント・ペパー」のつもりで
  自分にとっての「サージェント・ペパー」みたいな、覚悟で作ったんですよね。
  だから、あのアルバムはね、ちょっと力が入り過ぎて 暗い感じなんですよ。

  アレンタウンてのは、実在の街の名前で、ベツレヘム鉄鋼とか、有名な鉄工所が不景気で、その町から出て行くんですよね。
  それでアレンタウンは全く不景気になるという、歌なんですけども。
  でも、お父さんが暮らした、お父さんとか そのお父さんが暮らした街、っていうような内容なんですけど。
  やっぱり、言ってましたよ 彼は。
  ビートルズより10歳ぐらい年下だけども、ビートルズが出て来た時に「5番目のビートルズになりたかった」みたいなこと言ってました。
  そういうの あるんだね。
  みんな、ビートルズに入りたい。参加したい。
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  
  ビートルズの話しの方は、ジョンとシンシアの恋物語をお送りしています。
  この番組、もう10年以上やってるんですけども、恋物語って初めてなんですよ。
  なかなかいいでしょう? なんかねw  
  ジョン・レノン・・・まあシンシアは照れる大人しい子ですけど。
  ジョン・レノンは、やっぱり照れるんですよね。
  だから余計、いろんな悪口言ったり 冷やかしたりするんでしょうねw。
  お楽しみに、どうなるのか。
  結末は分かってると思いますが、面白いんですw。
  
  リクエストもよろしく。
  [email protected]
  採用の方には(略)
>>116
訂正します。

× 2012年

○ 2013年
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年10月27日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月27日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  リンゴ・スターが、ジョージ・マーティンを迎えて、ソロアルバム「センチメンタル・ジャーニー(Sentimental Journey)」
  これを録音を開始したのが 44年前の今日。
  これは、ビートルズとして 初めてのソロアルバムとなります。
  もう、この番組を長いこと聴いてらっしゃる方は、ご存知だと思いますが。
  ビートルズは、もうほとんど解散状態で、アルバム「レット・イット・ビー(Let It Be)」が先ず暗礁に乗り上げてね。
  ジョンとジョージは、5〜6年前から知っている 友達付き合いもしている フィル・スペクター(Phil Spector)に、
  プロデューサー=フィル・スペクターに丸投げ。
  で、最後にもう一枚っていうことで、ジョージ・マーティンにお願いして レコーディングした、
  いわゆる彼らの本当のラストアルバム「アビイ・ロード()」は9月に発売され。
  ビートルズとしては もうやり切った感、もうやることは何もない。
  ジョンは、ヨーコとプラスティク・オノバンド()でシングルを発表して。
  ポール・マッカートニーは、スコットランドの牧場付きの家に リンダと隠遁状態で。
  ジョージは、エリック・クラプトン(Eric Clapton)、デラリー・ボニー(Delaney & Bonnie)といった、アメリカの南部のスワンプ系のミュージシャンと交流を深めてね。
  もう、アメリカ南部音楽に入り込んでるような状態。
  で、リンゴ・スターは、ビートルズのリズムの中心にいたわけですけど、
  ボーカリストとしては、ビートルズが相当いろいろ活躍したんだけど、自分は全アルバムで10曲程度ほどしか歌っていない。
  もともと 歌が好きでこの道に入ったわけだから、ソロを取りたいっていうことで。
  ポールやジョンやジョージに相談なしで、自分でプランを進めて、そしてカバーをやろうということになってね。
  ジョージ・マーティンを迎えて録音する。
  その開始日が 今から44年前の今日 ということですね。
  1970年の3月に発売になります。半年後に発売になりますけど。
  これはもう 相当お金をかけて、もういろんな有名な人にアレンジを頼んで。
  これから聴く曲は アルバムのタイトルソング、もう昔からあるジャズのスタンダードナンバーですけども
  アメリカの ちょっと有名になる前のリチャード・ペリー(Richard Perry)。
  まあこの頃の 業界ではすごい有名ですよ。
  リチャード・ペリーがアレンジを担当しています。
  じゃあ、リンゴ・スターがやる カバーする、アメリカの昔のジャズのナンバーです。Sentimental Journey。
  
  〜 Ringo Starr / Sentimental Journey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=GjKLIRfpq5Q

  (小林)リンゴ・スターの Sentimental Journeyていう
  有名な曲ですねえ、もう、戦前からある曲ですよ、これはw。
  だから、若い方も どこかで聴いたようなメロディーだな、っていうふうに感じてるはずですけども。
  お聴きの通り リンゴ・スターは歌手じゃないですから、ボーカリストじゃないんで。
  プロデューサーだとかね、このエピソードとしては ですよ。
  リンゴ・スターに やっぱり「しゃべるように。しゃべるように。歌うように」みたいな注意が・・・。
  だから、いろんな 特にサビだと、声を重ねたりだとか、いろんなアレンジを変えて、いろんな仕掛けで 最後まで飽きないようにしている。
  苦労がうかがえる、でも、楽しさがある。
  それが リンゴ・スターの人柄が 最終的には感じられる曲ですよね。
  そういう風になっていますね。
  センチメンタル・ジャーニーをお送りしました。
140ホワイトアルバムさん:2013/11/01(金) 14:18:07.06 ID:qgk75DtL0
http://rfi.a.la9.jp/sateweb/scurl/znsc.html
お世話になります。
私、責任者の加茂と申します。以後、宜しくお願い致します。
http://www.karilun.com/img_shop/15/ss52_1368685958.jpg
浪速建設様の見解と致しましては、メールによる対応に関しましては
受付しないということで、当初より返信を行っていないようで、今後につい
てもメールや書面での対応は致しかねるというお答えでした。
 
このように現在まで6通のメールを送られたとのことですが、結果一度も
返信がないとう状況になっています。
 
私どものほうでも現在までのメール履歴は随時削除を致しております
ので実際に11通のメールを頂戴しているか不明なところであります。
 
弊社としましても今後メールでのやり取りを差し控えたく、浪速建設様
と同行の上でお会いさせていただきたい所存です。
http://rfi.a.la9.jp/hn203/set/Avatar_set/Avatar_set.html
□ストーリー
 ・「シンシア、言いたいことは分かったけど、もともと君はジョンのようなタイプは好きじゃないだろう?
  今、一瞬だけ そんな気分になってるだけだよ。バカなことは考えない方がいいよ。」
  
  後に あのジョン・レノンの最初の妻となる女性=シンシア・パウエル。
  そのシンシアが どうやら リバプールのアートカレッジでも有数の不良少年だったジョンを好きになってしまったらしく
  クラスメートのフィルに相談している一場面。
  恋とは本当に不思議なもので、ガサツで自分勝手なジョンの事を心底毛嫌いしていたシンシアが、いつの間にかすっかり その不良少年の虜になっていた。

  数日が経って 少しは冷静さを取りもどしたシンシアは、昼休みにジョンが階段を登る女子学生を見つめている所を目撃した。
  その子は黒のタイトスカートを穿いていて、髪は長いブロンド。
  ジョンは口笛まで吹いて、仲間にこう言うのが聞いて取れた「いいねえ。まるでブリジッド・バルドーだ!」
  シンシアは思った「負けてなんかいられない。絶対にあの子よりも綺麗になってみせるから」
  
  次の土曜日、シンシアは勇んで街に出かけ、最新のブロンドカラーの髪染め薬を買って、家に帰るとすぐにバスルームで髪を染めた。
  月曜日にアートカレッジに行った時には、前よりも格段に明るいブロンドヘアーになっていた。
  ジョンもそれに気付いてくれたことが シンシアにとっては一番うれしいことである。
  「やるじゃん、お嬢様」
  ジョンは少し照れながら シンシアをからかったのであるが、気に入ってくれたことはすぐに分かった。

  ある日の午後、ジョンやシンシアたち2年生は ミーティングのために講堂に集まった。
  ジョンはシンシアの2〜3人前に座ったのであるが、そこでショッキングな事件があった。
  あろうことか、ある女学生がジョンに しな垂れかかっていたのである。
  〜 The Beatles / Anna (Go To Him)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZHTyLcVVlMM
  
  〜 The Beatles / Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=j4FZy3pWfWU
 
  (小林)有名な曲ですよね。 Girl
  「ラバー・ソウル(Rubber Soul)」の中に入っています。1965年。

  そしてその前は Annaていう。
  Anna (Go To Him) ていう曲です。
  これは「プリーズ・プリーズ・ミー(Please Please Me)」の中、アルバムの中に入っています。
  アーサー・アレキサンダー(Arthur Alexander)のヒットのカバーであります。
□ストーリー(続き)
 ・「ええ! これってどういうこと?
  なんで あの子がジョンに寄りかかっているの?」
  この心の中で驚きの声を上げているのは、リバプール・カレッジオブ・アートの女子学生シンシア・パウエル。
  あのジョン・レノンの最初の妻となる女性である。

  ある日の午後、ジョンやシンシアたち2年生は ミーティングのために講堂へ集まった。
  ジョンはシンシアの2〜3人前に座っていたのであるが、そこでショッキングな事件があった。
  あろうことか、ある女学生が ジョンにしな垂れかかっていたのである。
  しかし、これはシンシアの思い過ごしに終わった。
  ジョンにしな垂れかかっているように見えた女子は、日ごろから誰にでもスキンシップし過ぎタイプで有名であり、ジョンも全く恋愛感情は無かった。
  しかし、シンシアはその時 激しい嫉妬心に駆られる自分に気付いたことが あまりにショックで動揺してしまった。
  
  その後、ジョンとシンシアは レタリングのクラスではよく話しをしていたが、
  休憩時間には それぞれ別のグループの仲間と過ごし、逆に何となくではあるが お互いを無視していた。
  シンシアは エレガントでセクシーな女性を好むジョンを 振り向かせることなんて出来ないと思っていたし。
  いくら自分が憧れを抱いていても、やはり実際に付き合えるなどとは 少しも思えなかったのである。

  そんな中、カレッジが長いバケーションに入る前の みんながウキウキしている季節。
  昼休みにパーティを開こうと 誰かが提案した。
  大学の講師で元ボクサーの アーサー・バラード先生が
  「それなら 私の部屋を使ったらいいよ。ただし、条件があるけどね。
  私も そのパーティに招待してくれるよね?」
  と、名案を申し出てくれた。
  
  バラード先生は厳しい教師ではあったが、その反面リベラルで物わかりが良い性格で、学生たちには人気の先生であった。
  この企画にはみんなが大賛成で、どこからかレコードプレーヤーを見つけて来たり、ビールを買うお金を出しあったり。
  その準備の段階から 楽しかった。
  1950年代末期のリバプールの若者たちの青春群像が、そこにはあったのである。
  〜 The Beatles / One After 909
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3HoQ72Ug_8k

  〜 The Beatles / This Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iRvYCO7YWyI

  (小林)2曲続きました。

  One After 909。これはもう、ジョン・レノンの作品で。
  さっき 暗礁に乗り上げた「Let It Be」のアルバム話しをしましたが、その中に入っていました。

  そして This Boy、これは「I Want to Hold Your Hand」のB面ですよね。
  当時の B-sideですよね。
  「リンゴ・スターのテーマ」とも呼ばれる曲であります。This Boy

  2曲 お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・1958年のリバプール・カレッジ・オブ・アート。
  学校が長いバケーションに入る前の 皆がウキウキしている季節。
  昼休みにパーティを開こうと誰かが提案した。

  大学の講師で元ボクサーの アーサー・バラード先生が
  「それなら 私の部屋を使ったらいいよ。ただし、条件がある。
  もちろん、私もそのパーティに招待してくれるよね?」
  と、名案を申し出てくれた。 
  この企画にみんなは大賛成で、どこからかレコードプレーヤーを見つけて来たり、ビールを買うお金を出しあったり。
  それはもう 準備の段階から楽しかった。
  
  どうやら、ジョンに片思い中のシンシア・パウエルもパーティが楽しみだった。
  でもそれは、ジョンも来るだろうと期待していたからではなかった。
  第一、刺激もスリルも無い 学生同志のお行儀の良いパーティなんて、ジョンには似つかわしくないだろうし。
  パーティで気が紛れれば「彼の事を忘れることが出来るだろう」とシンシアは思っていたくらいである。
  今回のパーティが終われば、大学は休暇に入り、彼女は大学が休みになるのが楽しみだった。
  そして「休みの間に ジョンへの思いを断ち切ろう」と決心もしていた。
  
  パーティの当日は暖かく、太陽の光りが 建物の二階にあるバラード先生の部屋の少し汚れた窓から射し込んでいた。
  ここは、週に一度 決まったテーマに沿って絵を描くために、みんなが集まる馴染みのある部屋。
  そこには いつもの仲間がいた。
  入学当時から仲良くしている 十数人の学生たち。
  シンシアは 少しおしゃれをして来た。
  新調した黒いトップに、白と黒のミニスカート、黒のタイツに先の尖った靴。
  その頃にもなると、あちこちでロマンスも芽生え始めていたので、その場も そういった意味では刺激的で期待感もあった。
  すでにステディになっているカップルは、人目構わず何度もキスをしているぐらいである。
  
  そんな所に、なんと ジョンが入って来た。
  もちろん、シンシアの心拍数は最大になったことは言うまでもない。
  〜 The Beatles / You Really Got A Hold On Me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Uqi6ZDfZmPA

  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttps://www.youtube.com/watch?v=drUpwK9eTEE

  (小林)これはねえ なかなかいいですよねえ。
  何回聴いても「ああ、Strawberry Fields Foreverっていう曲に対しての愛があるな」っていうような感じを抱かせる曲に仕上がってる。
  2006年にね ジョージ・マーティンの息子と・・・だから、親子がプロデュースした。
  ジョージとジャイルズ・マーティン(Giles Martin)がプロデュースした「LOVE」のアルバムに入っている。
  これ 傑作ですよね。

  そしてその前は、1963年。ビートルズがやった カバーです。
  オリジナルは、スモーキー・ロビンソンとミラクルズ(Smokey Robinson & The Miracles)のヒット曲のカバーです。
  You Really Got A Hold On Me
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。

  (東京都大田区/男性)
  娘が生まれた頃から、我が家ではあたりまえの様にビートルズが流れていました。
  当然の様に、娘もビートルズの大ファンになりましたよ。
  そんな娘が小学2年の時に、ピアノ教室からルンルン気分で帰って来ました。
  この曲を習ってきたからです。
  その曲とは「オブラディ・オブラダ」です。
  娘も懐かしいと思いますので、この曲をよろしくお願いします

  〜 The Beatles / Obladi-Oblada
  ttps://www.youtube.com/watch?v=t9fKvZ8dNs4
  〜 The Beatles / When I'm Sixty Four
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Xcn8fwepOfs

  (小林)
  Obladi-Oblada から When I'm Sixty Four お馴染みの曲が続いています。

  (柏市/男性)
  あれは北海道の片田舎、小学校の卒業の春休み。
  初めてビートルズをラジオで耳にしてから早や半世紀、(小林)そうですねぇ。
  私が今 でしょう。
  よろしく。団塊のなっちゃんより。

  (小林)て書いてある。
  「私が今 でしょう」っていうことは、When I'm Sixty Four 64に・・・
  まだ 小学校の卒業の春休みだったら、計算して半世紀だと、まあアバウト半世紀だと。
  あれですね、(あなた)は64になったか、ならないか。
  「今でしょう」って書いてあるから、なったんでしょうね。
  ハイ、ということでねw。
  ビートルズファンもね、歳とりましたよねw
  オリジナルの、第一代のビートルズファンもねw
  (千葉市/女性)
  こんばんは。いつも楽しみに聴いています。夕食作りながら。
  先日 公開録音当選したのに、夜勤で参加できず、息子一人で参加させていただきました。
  素敵な時間をありがとうございました。
  「パーティメニューおいしく頂きました」と息子の伝言です。
  私のリクエスト。
  
  〜 The Beatles / Lady Madonna
  ttps://www.youtube.com/watch?v=YvKx9SOMNCU
  〜 The Beatles / Oh! Darling
  ttp://www.youtube.com/watch?v=iLnVOyhqSi8&app=desktop
  ttp://www.dailymotion.com/video/x111utz_oh-darling-the-beatles_music

  (小林)
  ポール・マッカートニーの ボーカルがすごかったね。Oh! Darling

  今日は、前半がジョン・レノンの曲がほとんど流れていました。
  後半リクエストに入って、ポールの曲ばっかりですよね。
  リクエストはね、やっぱりポールが ちょっと多いんですよね。
  ジョンよりもポールが多いw。
  明るい歌が多いからでしょうかね。
  そういうことでしょうかねw。
  
  それも、今日はあれですよ、 When I'm Sixty Four さっきのやつ、それからこの Oh! Darling といい
  ポールが高校時代に書いた曲ですよね。
  
  (大阪市生野区/男性)
  大阪で聴いています。     (小林)って書いてあります。どうも、大阪から。
  三波春夫の曲が流れたんで ビックリしました。 

  (小林)とも書いてます。
  あの時ですね。ちょっと前になりますけど。
  三波春夫が、オリンピックっていうことで かかったんですよ。

  ちょっと前までは そうですよね。
  友達のために録音して、それで電波が流れてない所に この番組を録音バージョンを送るっていう話しが ちょっこっとありました。
  今は スマホとかパソコンで、全国で聴いてますね。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  ほんとに、リクエストもね、いろんな 日本全国で聴かれてるわけですよw。
  まあ、聴かれ方がちょっと特殊ですけども。
  リクエストが来たりして、とても嬉しいです。
  
  お話し としては。
  今、ジョン・レノンがシンシアと恋に落ちて、っていう。
  あそこら辺ですから、
  なんか、ビートルズの、なんか昔のやつをやってると、ちょっと勉強しながら っていう感じが漂ってしまうんですけど。
  恋愛の物語は もう純粋に楽しいでしょう? ねえ。
  来週は、どんなことになるのか。
  ハイ。

  リクエスト メールでお願いします。
  [email protected]
152ホワイトアルバムさん:2013/11/03(日) 18:59:45.74 ID:???0
物語り もうビートルズの音楽の話しじゃないしw
153ホワイトアルバムさん:2013/11/03(日) 21:46:24.65 ID:???0
1年近く聴いてきて疑問に思うんだが
なんでこのラジオの物語はちょっとずつしか進まないの?
CM前のパートをもう一度さらうとかさ…
154ホワイトアルバムさん:2013/11/04(月) 08:45:15.10 ID:???0
そういうことは、番組にリクエストするついでに聞いた方がいいと思うぞ。
155ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/05(火) 18:21:47.32 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年11月3日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月3日)
 ・1965年(今から48年前の今日)
  第二スタジオ、いつもビートルズが定番のスタジオ。
  第二スタジオで Michelle の録音が午後2時半からありました。
  ほぼ一日で プロデューサー=ジョージ・マーティンの元、これは完成させているみたいですけども。
  1965年、アルバムは「ラバー・ソウル(Rubber Soul)」です。

  ちょっと振り返るとね、1964年にアメリカなんか、他の国でもそうですけども、ドーンとビートルズが売れて。
  最初は(ファンは)子供たち って言うと語弊があるけれども、中学生とか高校生だったわけですが。
  ところが、1965年になって「ラバー・ソウル」あたりから、大人の客がドーンと増えます。
  それは、やっぱり Michelle なんかが、いわゆる普通のロックじゃなかった。
  大人が満足いくような、見事な曲だった。
  それを、ポール・マッカートニーはすごいよね、十代の頃に、高校時代に書いた曲ですから。

  この曲は、クォーリメンの頃の仲間のアイバーン・ボーンのフランス人の上さん=ジャン・ボーンが、ちょっとポールを助けていて。
  あの「Sont les mots qui vont tres bien ensemble」ていうのがありますが。あのフランス語。
  ビートルズの曲で フランス語が使われている唯一の曲になっています。
  ちょっと、フランスっぽいていうか、英語だと「コンチネンタル(Continental)」な感じががしている。要するにヨーロッパぽい感じ?
  ビートルズ公式発表曲の中で「唯一のシャンソンだ」とも言われたりしています。
  中間の部分、元々歌詞が無くて「♪ラララ」のコーラスだったんだけど。
  ジョンが提案して「I love you, I love you」を繰り返したらどうか、っていうことで繰り返しています。
  で、この曲はですね、イギリスとかアメリカでは シングルじゃないんですよ。
  でも、1966年度のグラミー賞の最優秀楽曲を、つまり作曲者に与える。
  つまり、ポールの才能を称えたグラミーの賞を、というわけです。
  だから、大人の客を ドーンと掴まえた ひとつの曲。
156ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/05(火) 18:23:43.81 ID:???0
  ポール自身はね、これは「ジョルジュ・ビゼー風に書いた」と発言しています。
  オペラ・カルメンの「ハバネラ(Habanera)=恋は野の鳥」という半音階でこう下がっていくメロディからヒントを得た、ていうことなんですけども。
  この Michelle でも見事に それが生かされています。
  「ええ? ハバネラからインスパイアされたのか?」ていうのって、聴いてみないと判らないですよね。
  それでは改めて、フランス語も入ったポールの名曲 Michelle。 

  〜 The Beatles / Michelle
  ttps://www.youtube.com/watch?v=F23oKO_NnHA

  (小林)ビートルズの、それもポール・マッカートニーの Michelleを聴いていただきました。
  「大人の客」って言いましたけどね。
  この頃はビートルズっていうのは、なかなか大人のバンドはカバー出来なかったんだけど。
   Michelle だとか Yesterday とか、 Yesterday は、ほら「世界で一番カバーされた曲」と言われていますね。
  この Michelle なんかも、例えばホテルだとか、ああいった所で演奏するバンドは ですね、必ずこの Michelleは覚えて演奏していましたね。
  この時代はね。
157ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/07(木) 13:22:25.38 ID:???0
□ストーリー
 ・場面は1950年代後半のリバプール。
  ジョンとシンシアの恋物語は今週も続く。
  カレッジが長い休みに入る前に十数人の仲間で企画されたキャンパスでのパーティ。
  場所を提供してくれたアーサー・バラード先生も加わり盛り上がっていた。
  その頃にもなるとあちこちでロマンスも芽生え始めていたので、その場もそういった意味では刺激的で期待感もあった。
  すでにステディとなっているカップルは人目構わず何度もキスをしているくらいであった。
  そんな所になんと突然ジョンが入って来た。
  シンシアの胸は張り裂ける寸前。
  しかし彼女はわざとジョンに気付かないふりをした。
  けれどもそれは無駄な抵抗だった。
  シンシアの顔は熱くなり胃袋がねじれそうな状態になってしまった。
  ふとジョンを見ると彼もシンシアと同じく全身黒ずくめの井出達である。
  いつものあの細い配管を思わせるドレインパイプ(drainpipe)と呼ばれる細いズボンにセーター。
  そしてロックンロールが好きな男子の間で流行っていたスウェードの靴。
  するとジョンはシンシアに向かって真っ直ぐに近づいて来てこう言った。
  「ちょっと、立たない?」
  シンシアは顔を赤らめたままビックリして飛び跳ねるように立ち上がり、ジョンとダンスを踊った。
  大音量でかかるチャック・ベリーのナンバーに合わせて踊っている時、ジョンが音楽に負けないような大声でこう言った。
  「僕と付き合わない?」
  あまりに突然のことにシンシアは面食らってしまい、口から勝手にとんでもない言葉が出てしまった。
  「ごめんなさい。私、婚約者がいるの」
  万事休すか、それともどう切り返すのか、18歳のジョン・レノン。
158ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/07(木) 13:23:27.03 ID:???0
  〜 The Beatles / Rock & Roll Music
  ttp://www.youtube.com/watch?v=TBiLhQpaUaM
  
  〜 Paul McCartney / Brown-Eyed Handsome Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1nM6atYqh-o
 
  (小林)2曲続きました。いずれもチャック・ベリー(Chuck Berry)。
  まあ、ビートルズたちの先輩の ロックンロールのオリジナルの人ですよね。
  草分けの人のカバー。

  Rock & Roll Music はやっぱりチャック・ベリーのカバーでしたよね。
  そうですね、1964年。これはお馴染みですよね。

  そして、ポール・マッカートニーの Brown-Eyed Handsome Man 、これもチャック・ベリーの作品。
  1999年に発表していますが。
  スタイルがちょっと違っていたのは、ニューオルリンズスタイルのロックンロールなんですよ。
  ニューオルリンズっていうのは、ルイジアナは昔はフランス領だったんですよね。
  フランス政府から アメリカがお金を払って買った所ですけれども。
  だから、フランス人たちのロックンロールと言いますかね。
  アコーディオンだとかメロディ楽器が入ったりする、ザイデコ(Zydeco)って呼ばれるスタイルで Brown-Eyed Handsome Man。
  ちょっと違っていたでしょう? ね。
159ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/07(木) 13:24:04.51 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「僕と付き合わない?」
  ジョンのあまりの突然の言葉にシンシアは面食らってしまい、口から勝手にとんでもない言葉が出てしまった。
  「ごめんなさい。私、婚約者がいるの」
  場面は1950年代 リバプール・カレッジオブアートの仲間たちのパーティ会場。
  ジョンとは この数年後ビートルズのリーダーとしてロックの、いや世界中のあらゆる芸術とエンターテイメントのトップの頂上のそのまた天辺に君臨することになるあのジョン・レノンのこと。
  この時まだ18歳である。
  そしてシンシアとは ジョンの最初の奥さんとなるシンシア・パウエル。
  裕福とまでは言えないにせよ、箱入り状態で育てられた彼女は 不良少年で通っていたジョンにとっては正真正銘の御嬢様であった。
  そんなシンシアから出た「婚約者がいるの」という言葉にジョンはビックリした。
  まさかそう来るとは思ってもいなかった。
  一方シンシアはその瞬間「このまま地面が自分を飲み込んでくれたらいいのに」と願ったぐらい その発言を後悔した。
  あまりに高慢でツンとしたようなイメージを持たれてしまったに違いない、と思ったからである。
  するとジョンは「結婚してくれなんて、誰が言ったかよ?」と切り返してきた。
  そしてジョンはその場から立ち去って、シンシアは自分の言葉で全てを台無しにしてしまった事を痛感し すっかり滅入ってしまった。
  ところがその2〜3時間後、パーティもそろそろお開きになろうとしていたころ、ジョンとその友達が 友人のフィルとシンシアをパブに誘ってくれたのである。
  「良かった。もしジョンに本当のことを話して きちんと謝ることができたら、まだ望みはあるかもしれない」
  最後の望みに賭けるシンシアであった。
160ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/07(木) 13:26:00.75 ID:???0
  〜 The Beatles / I Don't Want To Spoil The Party
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1O6gX0FCwpU

  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lCNqHIKJ4wk

  (小林)2曲続きました。

  今聴いたの(2曲目)は If I Needed Someone ジョージ・ハリスンの曲です。
  Twelve-strings guitar が入っています。12弦のね。
  ハーモニーは やっぱりあれでしょう、アメリカの音楽思い出したでしょう。
  クロスビー・スティルス・ナッシュ(Crosby, Stills, Nash & Young)とか、バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)だとかw
  そんな古いのは思い出さない?w 
  バーズ (The Byrds) だとか。
  ようするに アメリカに影響を与えてるんですよ。  
  
  その前の曲(1曲目)も フォークロックぽいね。
  I Don't Want To Spoil The Party
  ジョン・レノンが待ってるわけですよ、パーティを。
  だけど「雰囲気悪いから 俺帰るわ」つって。
  どうしてかって言うと、彼女を待っていて「お前イライラする」と言われたわけですよね。
  「出て行けよ」って。
  で、「俺がいるとパーティ 雰囲気が悪くなるから帰るけど、彼女が来たら教えてくれよ」みたいな。
  そういう、こう なんての、歌の内容も、ちょっと若者のライフスタイルみたいなのが入って来てますよね。
  ビートルズの影響、これはちょっと2つとも渋い曲でしたけども、みんな影響を与えているんですよね、ビートルズは。
161ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/07(木) 13:26:38.29 ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ねえ、シンシア。僕と付き合わない?」
  「ごめんなさい。私、婚約者がいるの」
  「結婚してくれなんて、誰が言ったかよ?」
  1950年代末 リバプール・カレッジオブアートの仲間たちのパーティ会場。
  ジョンの告白に面食らってしまったシンシアは、咄嗟に嘘をついて抵抗した。
  そして負けん気の強いジョンの切り返し。
  「ああ、私、なんてことを言ってしまったの」
  すっかりしょげ返るシンシアに一筋の光が射し込んだ。
  パーティもそろそろお開きになろうとしていた頃、ジョンとその仲間が 友人のフィルとシンシアをパブに誘ってくれたのである。
  もちろんシンシアには断わる理由などない。
  ただ問題はシンシアの相談相手である男子学生=フィルである。
  フィルはジョンと同じ地区に住んでいて、大学に通うバスも一緒だった。
  もちろん彼は ジョンが実はすごく愛すべき人間である事は分かっていた。
  しかし、シンシアとはあまりに住む世界が違うことを指摘し、シンシアにはジョンを諦めるように何度も説得していたのである。
  シンシアはそんなフィルを説き伏せて、ジョンたちに連れられて「イー・クラック」に行った。
  この「イー・クラック」という店は、アートカレッジを始めとするリバプールの学生たちが溜まり場にしているパブ。
  店は人がいっぱいで騒々しく、お互いに大声で叫ばないと 話しが出来ない、そんな雰囲気であった。
  シンシアも もちろん超真面目男のフィルも、パブに入るのはこれが初めてとのこと。
  シンシアのような模範的女子大生たちは、授業が終わると真っ直ぐ家に帰っていたため、学生の社交の場の雰囲気を味わったのはこれが最初だった。
  喧噪も 笑いも ザワついた雰囲気も、シンシアはすぐに好きななった。
  そしてそれまでの学生生活に何が欠けていたのか、この時初めて気付いたような気がした。
  この解放的な雰囲気の中で、シンシアは次第にジョンという人物の本当の姿を理解し始めていたのである。
162ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/07(木) 13:28:36.32 ID:???0
  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M

  〜 The Beatles / Lucy in The Sky With Diamonds
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zP3AhpKcE6s
 
  (小林)ジョンの傑作が2曲続きました。

  ビートルズ「ラバー・ソウル(Rubber Soul)」のアルバムから Nowhere Man。
  65年ですね。

  それから、これは「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド(Sgt Peppers Lonely Heart Club Band)」に入っている Lucy in The Sky With Diamonds
  息子が幼稚園から帰って来て、絵を描いて帰って来て、「これなんなの?」ったら。
  「ルーシーちゃんが、ダイアモンドと遊んでる」っていう。
  「ダイアモンドみたいな、夜空の星がダイアモンズみたいに見えてね、それでこの曲が生まれた」とジョンが言ってるけども。
  何のことは無い イニシャルを取ると Lucy Sky Diamonds「LSDじゃないか」っていうんでね。
  歌詞も相当ぶっ飛んだ歌詞ですよね。わけわかんない歌詞だけど、面白い歌詞ですよね。

  ジョンの名作 2曲。
163ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/08(金) 13:38:41.77 ID:???0
□リクエスト
  (小林)
  メールのアドレスは [email protected]
  イシイのミートボールなどセットにしてリクエスト採用の全員の方に差し上げております。

  (千葉県鎌ヶ谷市/男性)
  いよいよポールが来ますねえ。
  小生も東京ドームのチケットを入手しました。
  少々悩んだんです。
  ポールの少し前に来日する KISS のチケットを買ったすぐ後にポールの来日公演の話しを聞いたもんで。
  「どうしようかなあ?」と一瞬迷いましたが。
  まだ この年まで生のビートルズを見てないことにハタと気が付き、すぐに気を取り直してチケットを申し込んだ次第であります。
  さてリクエストですが、ポールの曲は黙っていてもみなさんが毎週リクエストしてくれるので。
  小生は なかなかこの番組でかかることが無い、KISS の曲をあえてリクエストしたいと思います。
  中学から高校までに ビートルズを毎日のように聴いていて。
  高校2年のある日に FMラジオから流れる「KISS Alive」の数曲を聴いた時「これは、ロックンロールだ!」と思いました。
  しかし、それまで小生が耳にしたことのあるそれとは全く違う 重厚なドライブ感のあるロックンロールに一瞬でしびれてしまったのを
  今でも きのうの事の様に覚えています。
  デビュー当時 ヘビメタ界のビートルズを目指したと聞くKISS の「ロックンロール・オールナイト(I Wanna Rock N Roll All Nigh)」を
  最もパワフルだったころの KISS を知らない若いリスナーに聴いてもらいたく、リクエストします。
  ぜひ「Alive」のバージョンで。
  (小林)
  という(あなた)。それじゃ、KISS の Rock N Roll All Night

  〜 KISS / I Wanna Rock N Roll All Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=2Hgz-q76KtQ
164ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/08(金) 13:39:33.59 ID:???0
  〜 Eric Clapton / Change The World
  ttp://www.youtube.com/watch?v=x11NA63gLDM

  (小林)
  久しぶりに聴きましたね、エリック・クラプトンのね、Change The World

  (千葉県八街市/男性)
  ジョン・レノンとシンシアの恋愛模様が 物語みたいで興奮します。
  この恋愛事情について 詳しくわかる本があったら教えてください。

  (小林)
  日本語のタイトルですが「ジョン・レノンに恋して」シンシア・パウエルが書いた「John」というタイトルなのかな?
  それが、お勧めです。
165ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/08(金) 13:40:42.42 ID:???0
  (東京都板橋区/男性)
  今日のリクエストはジョージの My sweet loard の盗作訴訟の元になった It so fine をお願いします。
  裁判はジョージが負けたものの「確かに似てるけど、意識的な盗作とは認められない」という判決が出て
  現在では決着が付いてます。
  ラジオを聴いているみんなも聴きたがっているのではないでしょうか?。

  (小林)どうだろうなあw。
  でもあなたのリクエストだから、かけましょう。
  確かに 似てるけどね。
  ジョージの My sweet loard の印税は みんなこっちの方へ行っちゃう、ていうことですよね。
  じゃあ、改めて・・・。
  
  〜 The Chiffons / He's So Fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JU5qP20iJl0

  (小林)どうですか?Chiffons の He's So Fine。
  メロディが まあちょっと似てる わけですよね。
  単純なやつだから 頭にこびりついてたわけでしょうね。ジョージにとってはね。
166ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/08(金) 13:42:42.59 ID:???0
  (日光市/男性)60代
  栃木県でBAYFMを聴くことができ ラッキーです。
  これもラジコのおかげです。
  ビートルズ世代の自分にとって この番組はとても興味を掻き立てられます。
  番組を録音して 幾度となく聴いています。
  ほんとうに毎週の放送が楽しみです。
  
  (小林)ていう。
  ありがとうございます。
  これは、このすぐあとで、ビートルズのプロデューサー=ジョージ・マーティンが担当することになった、ていうことはご存知でしたかねえ。
  アメリカの有名な、もう一番ちょっと深いとされる曲だと思います。
   A Horse With No Name という「名前の無い馬」

  〜 America / A Horse With No Name
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zSAJ0l4OBHM
167ジョン・キロックノン:2013/11/08(金) 13:43:56.04 ID:???0
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日は いかがでしたでしょうか?

  ジョンとシンシアの恋愛、ラブストーリー。
  これは、まあ いい所まで来てますけども。
  まあ、二人が ご存知の通り結ばれるわけですが。
  結ばれるけど、普通の夫婦みたい じゃないわけですよね。
  そこらへんで、どこらへんで やめるかですよね。我々がw。
  どこまで追っかけるか っていうw。
  まあ、恋愛は 面白いことは面白いですけどね。ええ。w
  だけど、ビートルズの番組ですからw。
  まあ、ほどほどに楽しんで頂きたい。
 
  そして、リクエスト。
  60代の方も たくさん下さっています。
  50代の方、あるいは10代の・・・。
  もう、10代から60代まで幅広い皆さんがリクエストくれています。
  
  [email protected]
  採用の方にはイシイの(略)
168ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/11(月) 21:23:56.57 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
 2013年11月10日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月10日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  新聞によると「ビートルズのツアーは もう無いらしい。ビートルズはツアーをやらないらしい。」
  これが いろんな新聞で発表されたのが 今日です。
  これは大変な事件ですよね。
  あんなに、何万人もの人たちが集まるツアーを スパッとやめてしまった。
  でも、この後ですね、今みたいにネットとかそういうのが無い時代ですから、いろんな売名のウワサだとか、大物プロモーターがですね。
  「いやあ、ビートルズはウチがやることになった。もう話しはついてる」まあ、話しをしてたのかもしれませんけどもね。
  そういう もう いろんなウワサが出て来て。
  「もう ほんとにビートルズはツアーをやらないの?」っていう。ファンたちも混乱状態になります。

  これ、面白いのは、ビートルズのマネージャーをやっていたブライアン・エプスタイン。
  彼は一応 名マネージャーですけども、ツアーをやることに生き甲斐を持っていた。
  ライブをやることに生き甲斐を持っていたマネージャーが、ツアーをやってくれない、となると、彼が一番ショックを受けるわけですよね。

  「ビートルズは、もうレコードだけで勝負して行く」ていうことを発表するわけです。
  まあ事実、レコーディングスタジオで もう一日10時間とか10数時間過ごすようになったりとか。
  もう、スタジオに入りっきりのビートルズ、になって行くわけです。

  ちょっと面白いのは、同じ日、マネージャーが、実はもうビートルズはツアーをやってくれない ということでですね。
  有名な劇場、アップルのオフィスにもほど近い劇場「サビルシアター」の経営権を手に入れて。
  この劇場でですね、いろんなコンサートをやって行くっていうことを発表して。
169ジョン・キロックノン !ninja:2013/11/11(月) 21:25:18.09 ID:???0
  この「ビートルズがもうツアーをやらない」って新聞に出た日。
  フォートップス(The Four Tops)、アメリカの有名なフォートップスを迎えて。
  もちろんマネージャーのブライアンがいるんですけども、記者会見をやっています。
  「コンサート、これからやるんで よろしく」っていうことですね。

  この時のフォートップスは すごかったんですよ。
  これからヒット曲を聴いて頂こうと思いますけども、やっぱり黒人のグループとして、そしてモータウンのグループとして。
  ほんとうに ヒット曲が出てきて。
  まあ、聴いて頂くとわかるんですけども、そのスタイルも独特で パワーもすごいです。
  で、ヒット曲というのは アメリカでもイギリスでも1位の曲をこれから聴きましょう。日本でも大ヒットしました。
  
  〜 The Four Tops / Reach Out I'll Be There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=FA7ne6No6jM

  (小林)ザ・フォートップスの Reach Out I'll Be There という当時の大ヒット曲、1966年。
  ビートルズは・・・1966年ていうのは、66〜7年にかけて ヒッピーが発生したり、価値観がどんどんどんどん変わっていて。
  カウンターカルチャーって言うんですかね、そういう風な時代になってて。
  「これは、新しいサウンドだ」みたいな響きがあったもんです。
  今はどうですか?、その新しいサウンド っていう感じはしましたでしょうかね?
  リードボーカルは強力な リーバイ・スタッブス(Levy Stubbs)、ちょっと前に亡くなってしまいましたけども。
  フォートップスの、そのころビートルズが「もう俺たちはライブをやらないよ」って言った頃の大ヒット曲をお送りしました。
170ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/11/15(金) 13:35:07.41 ID:aP1YJbQ80
□ストーリー
 ・「だめよ! シンシア。パーティはバラード先生の教室でやったからいいけど、この次の あとの二次会はパブに行くのよ。
  そんな所 不良学生の溜まり場じゃない。そんなの絶対ダメ!。私、行かないから。」
  こう強く反対するのは、リバプールの美術大学の女学生でシンシア・パウエルの親友フィリス・マッケンジー。
  みんなは彼女を「フィル」と呼んでいた。
  超くそ真面目のキャラで有名。
  そしてシンシア・パウエルとは、後にあのジョン・レノンの最初の妻となるロックの歴史上重要な女性であることは言うまでもない。
  場面は1950年代後半のリバプール。
  そんなジョンとシンシアの恋物語は今週も続く。

  カレッジが長い休みに入る前に十数人の仲間で企画されたキャンパスでのパーティ。
  その昼間のパーティがはねたあと、ジョンとその仲間はシンシアとフィルをパブに誘った。
  シンシアはそんなフィルを説き伏せてジョンたちに連れられて「イー・クラック」に行った。
  この「イー・クラック」という店はアートカレッジを始めとするリバプールの学生たちが溜まり場にしているパブ。
  「そうかあ。ジョンってこういう所が好きなのねぇ」
  シンシアはジョンの日常や好きなものが少しづつ分かり始めていることが嬉しかった。
  しかしジョンは親しい友人たちと店の向こう側の席に座っていて、全くシンシアの方に来る様子もない。
  仕方がないのでシンシアと友達のフィルは顔見知りを見つけておしゃべりをしていた。
  当時流行っていた飲み物は、黒ビールをリンゴの発泡酒で割った「ブラック・ベルベット」という飲み物。
  シンシアは少し調子に乗って2〜3杯飲むと、少し足元がフラフラしてきた。
  「どうしよう、あんまりお酒が強くないってジョンに知られたらバカにされるかな?」
  とにかくジョンに気に入られたいシンシアであった。
  〜 John Lennon / Slippin' and Slidin'  
  ttps://www.youtube.com/watch?v=72D3dPnjtcI

  〜 The Beatles / Slow Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=H6P2Sh_ZsvU
 
  (小林)いわゆる初期のロックンロールカバーを聴いていただきました。

  最初は70年代の「ロックンロール(Rock 'N' Roll)」のアルバムに入っているリトル・リチャード(Little Richard)のヒットをジョン・レノンがカバーしていました。
  これは、ポールが得意としたんですよね、彼の曲は。
  でも、ジョン・レノンの Slippin' and Slidin'、ジョン・レノンらしくていいですよ、これ。

  それで、Slow Downという曲も やっぱりジョン・レノンのロックンロールは格別ですね。
  ラリー・ウィリアムス(Larry Williams)のヒットをカバーしていました。
  ちなみに、ピアノを弾いていたのは プロデューサーのジョージ・マーティンであります。
□ストーリー(続き)
 ・「どうしよう・・・。あんまりお酒が強くないってジョンに知られたらバカにされるかも」
  場面は1950年代末リバプールのアートカレッジを始めとする学生達でにぎわうパブ「イー・クラック」
  当時学生たちの間で流行っていた黒ビールをリンゴの発泡酒で割った「ブラック・ベルベット」で酔いが回ったのは超真面目な女学生シンシア・パウエル。
  この数年後あのジョン・レノンの最初の妻となるロックの歴史上重要な女性である。
  シンシアは自分があまり飲めないことをジョンに知られたくなかったので、そろそろ電車に乗って帰ろうと店の出口に向かったその時、彼女はジョンに呼ばれた。
  「修道院の女じゃあるまいし、こんなに早く帰るのかい?」
  とからかわれ、さらに
  「今日はもう少し付き合ってくれないかな?」
  と、ジョンがお願いもしてきたのである。
  そして一緒に来てくれたシンシアよりも更に真面目な女学生で親友のフィルには
  「シンシア、もう限界。私たち帰る時間よ!」
  と、強力に急かされる始末。
  彼女はジョンの事をシンシアには相応(ふさわ)しくないと決めつけていたのである。
  板挟みになったシンシアは「今夜はジョンと一緒にいたい」と心に決め「ごめんね」の意味を込めてフィルに笑顔を見せた。
  するとフィルは「そう、しょうがないわね」の意味を込め、肩をすくめ ドアを開けて帰って行った。
  ジョンと二人でもう2〜3杯グラスを開けたあとジョンが囁いた。
  「よし、ここを出よう」
  外は夕暮れになっていて通りは静か。
  パブを出るとジョンはすぐにシンシアにキスをしてきた。
  それは長くて情熱的な蕩けてしまいそうなキスだった。
  そしてジョンはこう言った。
  「友達のスチュアートが一人で暮らしていて、彼の部屋が空いているんだ。やつは今夜は帰って来ない。今からそこに行こう」
  シンシアは小さく頷き目を伏せたままこう言った。
  「いいわよ、ジョン」
  〜 The Beatles / Mr. Moonlight
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6STQwYCY2MA

  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttps://www.youtube.com/watch?v=5f-Ixz9GuC4

  (小林)どうですか?この曲はお馴染みになっていますか?
  Strawberry Fields Forever ビートルズ。

  そして、その前は Mr. Moonlight、初期の作品。
  これは ドクター・フィールグッドとインターンズ(Dr. Feelgood and the Interns)というグループのヒット曲のカバー。
  これはビートルズのオリジナルみたいに聴こえる 独特のナンバーでしたね。
  
  2曲 お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「いいわよ、ジョン。今夜はあなたと一緒にいたいわ」
  この大胆なセリフを言う女性の名前はシンシア・パウエル。
  後にあのビートルズのリーダーとしてロックのジャンルのみならず世界中のアートとエンターテイメントのトップのトップ
  さらにその一番の天辺に君臨することになるジョン・レノンの最初の妻となる人物である。
  「シンシア、今夜は友達の部屋が空いている。これからそこへ行こう」
  このジョンの誘いにお堅いお嬢様育ちのシンシアは即座に反応した。
  今やもうジョンのことが好きで好きでしょうがなかったのである。
  健康な十代の男子であれば当然のこと ジョンももはや自分を押さえることが不可能であった。
  次の瞬間シンシアの手を取るとすぐに駆け出した。
  シンシアは幸せだった。
  本当に本当に幸せだった。
  ジョンが自分の横にいることが、そして彼が自分と同じ気持ちでいてくれることが最高の気分であった。
  リバプールの学生や独身男性が住むシェアハウスの奥にあるジョンの友人スチュアートの部屋は広くてカーテンが無く床にはマットレスが敷いてあって
  その周りには洋服や絵の具などの画材 そしてタバコの空き箱や本が散乱していた。
  しかしジョンもシンシアも部屋が散らかっていることなど全く気にも留めずすぐマットレスに倒れ込んでゆっくり時間をかけて愛し合った。
  これはシンシアにとって特別に大切なひと時。
  前に付き合っていたボーイフレンドとの経験とは全く別次元のものであった。
  ベッドにいる時のジョンは優しくシンシアを包み込んでくれた。
  その表情は普段のあの生意気で乱暴な態度とはまるで違っていた。
  時間が過ぎるとジョンはこう言った。
  「ああ、ミス・パウエル。最高だ。君は素晴らしい。本当に素晴らしい。僕は幸せな男だ。
  ところでミス・パウエルというのは もうお仕舞いにしよう。
  たった今から君は“シン”だ。僕のシンだ。
  明日もあさっても その次の日も僕らはずっと一緒だ。いいね?、シン」
  〜 The Beatles / Don't Let Me Down
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dmU07H460so
 
  (小林)というわけで これは1969年のB面だった曲ですね。Don't Let Me Down
  A面は「Get back」ポール・マッカートニーが歌っておりましたが、こちらはB面。
  
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。

  (千葉県野田市/男性)
  ビートルズとは 中学以来ですので、かれこれ40年近い付き合いです。
  ビートルズも好きですが ツェッペリンも同じくらい好きなので
  リクエストは Rock N' Roll をお願いします。
  
  〜 Led Zeppelin / Rock N' Roll
  ttps://www.youtube.com/watch?v=GonQSHxzb1k

  〜 Paul McCartney / Another Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=nNE6HxTinJI

  (小林)
  ポール・マッカートニーの Another Day。
  その前はツェッペリン、独特でしたねえ。ツェッペリンはね。
  ビートルズの次の時代は ツェッペリンの時代ですからね。

  (柏市/男性)
  先日のパーティは楽しかったでしょうか?。
  放送を聴く限り、相当盛り上がっていたようですね。うらやましい限りです。
  そんな僕も、2007年のスペシャルパーティに友人に連れられ参加しました。
  その時は韓国人のK(ケイ)さんと杉山清貴さんがゲストで、お二方の歌に感動しました。
  なんと言っても 小林さんを間近で見られたことが最高の思い出です。
  ありがとうございました。また参加させてください。
  長くなりましたが、リクエストは その時杉山さんが歌い 初めて聴いたポールさんの曲をお願いします。
  リズムが取りにくく、それ以来気になってしまい好きになりました。有名な3拍子の曲だったんですねえ。
  (小林)ていう。  
  サビが3拍子ね。Aメロ 始まりは4拍子から、変わって行く という。
  (横浜市神奈川区/男性)
  以前「バンド・オンザ・ラン」かかったよねえ。
  そこでちょっと気になって 同名のアルバムを引っぱり出して来て聴いてみた。
  名曲が隠れていたよ。
  どうだい?イントロのベース。エンディングの笑い声。
  ビートルズ時代の「ヘイ・ブルドッグ」に通じるものが無いかい?
  聴いてくれ、ウィングスの「ミセス・ヴァンデビルト」
  以上 小林克也 風でした。

  (小林)
  ありがとうございますw。あなたのリクエストで・・・

  〜 Paul McCartney & Wings / Mrs. Vandebilt
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4HgCtHZQlJM
  〜 Paul McCartney / Rockestra Theme
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Twh1m7Hcvnc

  (小林)これは Rockestra という有名な曲なんですけど。
  これ 希望はライブだったんですが ライブが無かったので
  ウィングスの「Back to the Egg」のアルバムからお送りしました。

  (千葉県山武郡/男性)
  ビートルズの怪しいレコードの話しですけど。
  「オールディーズ」のアナログ盤、怪しかったですねえ。
  ジャケットの表は 手描きのイラスト。
  裏はメンバーらしき人物。何やら合成写真のような ニセモノっぽい写真。
  ビートルズのレコードジャケットでは 例の「ホワイト・アルバム」に次いで怪しい。
  収録曲を見ると、ヒット曲ばかりでテンコ盛り。
  1曲だけ「バッド・ボーイ」これも怪しい。
  置いてあるところが ビートルズ関連的な所が近いし。
  また、どこぞのオーケストラのレコードなのか。
  それでもやっぱり 聴いてみたい。
  レコードの中身を見れば、店の人に尋ねてみる?
  頭の中がパニックに。
  毎回レコード1枚だけで苦渋の選択のくり返し、ビートルズ病ってあったのか。
                     (小林)ていう、昔のことを描いています(あなた)
  今はレコードCDの時代も過ぎて、ネットでダウンロードとやらの時代のようで。
  ひと昔前のおじさんには 付いて行けないところが多々あります。

  (小林)
  はいw、なんとなく感覚的には分かりますよねw。  
  でも、付いて行けるんじゃないでしょうか?
  けっこう簡単なんで。
  あなたのリクエストは「カンボジア救済コンサート」の方でしたが、スタジオライブでお送りしました。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  
  ジョン・レノンとシンシアの恋物語。
  とうとう 結ばれちゃいましたねw。
  で、ジョン・レノンは「シン」と呼んで行くから っていうことですが。
  「シン」はあれですね、音としては「罪」っていう意味がありますからねえ。
  これはちょっと 英語の世界としては面白いですね。
  恋人の名前が「罪」ですよw。

  さあ、リクエストですけど、
  [email protected]
  こちらで 待ってます。
  まあ、それぞれ 自分自身のことを書いて。
  ビートルズの曲、あるいは他の曲でもよろしい。
  待っております。

  採用の方にはイシイの(略)
  小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年11月17日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月17日)
 ・2003年(今から10年前の今日)
  今日はちょっと違いますよ。10年前、2003年。
  2003年、つまり10年前の今日、「Naked」が、「Let It Be」のネイキッドが。
  改めてポール・マッカートニーがね、これは、キチンとけじめをつけて
  「これが、自分がやりたかったやつだ」っていう、けじめをつけて出したのが10年前の今日です。
  1969年正月に、ポールがずっと主導権を取ってレコーディング、それからフィルムの撮影もやっていて。
  それは「Get Back」カッコ(Let It Be)だったわけですけど。
  メンバーが仲違いして ポールがちょっと孤立しちゃった関係でね。
  暗礁に乗り上げて、ポールはもう来なくなった。
  ジョンとジョージが アメリカ人の有名なプロデューサー=フィル・スペクター(Phil Spector)に丸投げをした。
  で、フィル・スペクターの強引なアレンジと編集で、翌1970年5月に「Let It Be」が発売になります。
  ポールは これはもう本当に気に入らなかったわけですよ。
  自分がいない時に好きなようにされて ねえ。
  自分の作った曲でも 思うようなアレンジがされていない。

  でも、1995年末「アンソロジー(The Beatles Anthology)」を出すことになり、メンバー3人が集まって。
  オノ・ヨーコも いろいろ入ったんだと思いますけど。
  これはまあ再結成して、人間関係も雪解け。
  まあ「昔のことはね、水に流そうよ」っていうことで。
  で、2003年 ポールは自分が投げ出した作品を「キチンとした形で出したい」ということで。
  リンゴや、その頃は生きていたジョージ・ハリスンやオノ・ヨーコらの同意をもらって制作をしました。
  結果としては 一部フィル・スペクターの仕事も残る形になっていた。
  で、このタイトルソングに至っては、それまで発表されてなかったバージョンが採用されました。
  前のアルバムバージョンでも アンソロジーバージョンでも 映画バージョンでもない。
  いろんな所から編集された「21世紀バージョン」ていうことで。
  ジョージのギターソロは映画に使われたものと同一。
  アルバムの最後に収録しているという。
  その「Let It Be」から
  それでは、その今から10年前に出たバージョンです。Let It Be
   
  〜 The Beatles / Let It Be("Let It Be... Naked" version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=QcBwoUXCuBI

  (小林)いかがですか?
  ポール・マッカートニーがね「これが自分がイメージしたバージョンだ」ていうことで出した。
  それも 10年前に出した「Let It Be Naked」、その中から。
  おそらく皆さんは お馴染みの曲ですけども、違うバージョンですよw。ね。
  それは分かりますよね。
  まあ、よく分かっている方は「これは、すごいな」と「やっぱり、ポールだな」って感じられたんじゃないでしょうかね。
  Let It Be。
182 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/11/24(日) 20:15:04.76 ID:???0
キロックノン氏はポール見に行ったのかな
183ホワイトアルバムさん:2013/11/24(日) 21:29:26.89 ID:???0
このスレは非常に重宝させて頂いてますし
毎週の書き起こしとても感謝しております

その上でいつも素朴に思う点を述べます

この番組の物語コーナーの進行の遅さと無限ループぶりは
どうなんでしょう。
百年一日、代わり映えしない年寄りの昔話を延々と
聞かされているような気持ち悪さを感じる。

あるエピソードで数ヶ月やるのはいいけど、
オチらしいオチは用意して欲しい。
これで〇〇のエピソードは終わりました。
今回から〇○のエピソードです。みたいな区切りが欲しい。
あえてぼかしてるのかもしれないけど、
ついにあのエピソードかと思ったら何の脈絡もなく違う所に飛んだり、
重複するエピソードが多過ぎたり、
とにかく番組側の工夫が無さ過ぎる。

いくら一社提供の安泰コンテンツだからといって
それに胡坐をかいてはいけないと思うのです。

小林克也も毎週同じ事を何度も言わせんじゃねえ位、
スタッフに苦言を呈して欲しいものです。

キロックノン氏もCM明けにまったく直前と同じ内容を
くどくど書き起こしていていらいらしませんか?
184ホワイトアルバムさん:2013/11/24(日) 21:33:32.00 ID:???0
ここで文句垂れるのは筋違いと思いつつも、
上の方で似たような意見を書かれている方が
いたので、つい自分も書いてしまいました
すいません
185ホワイトアルバムさん:2013/11/25(月) 07:42:14.20 ID:???i
そういうことは、番組にメールしろ。
イシイ食品の美味しいセットもらえるぞ。
>>182
行きました。19日。

>>183
本にしたら数ページの物語を一ヶ月かけてやるような、もどかしさはありますよねw。
でも、前節とほとんど同じ繰り返しの部分は
コピペで済むので楽ですよw。
□ストーリー
 ・「ああ、ミス・パウエル。最高だ。君は素晴らしい。ほんとうに素晴らしい。僕は世界一幸せな男だ。
  ところで、ミス・パウエルって言うのはもうおしまいにしよう。
  たった今から 君は“シン”だ。僕のシンだ。明日も明後日も その次の日も僕らはずーっと一緒だ。いいね、シン」
  ジョン・レノンは意中の女性でありアートカレッジの同級生シンシア・パウエルと結ばれた。
  相思相愛ステディな関係になったのである。
  
  そんな中、ジョンが率いる自称ロックンロールバンド=ザ・クォーリメンは 地道ながらも活動を続けていた。
  メンバーも すでにポール、ジョージの二人も揃い、本当に少しづつではあるが、その腕も上がっていたのである。
  1958年半ばになると、彼らはなけなしの金17シリング6ペニーを捻り出し デモレコードを製作した。
  それまでは マネージャーをしていたナイジェル・ウェイリーの作ったチラシと名刺がバンドを紹介する全てであったが
  宣伝材料としては、やはりデモレコードに勝るものは無い、と判断したからであった。
  
  彼らが選んだスタジオは、リバプールのケンジントン地区にある パーシー・フィリップスという年配の男の自宅の奥にあった。
  その日のメンバーは、ジョン、ポール、ジョージに、いちおうドラマーのコリン・ハントン、そしてピアニストのジョン・ローの5人。
  みんなで出し合ったお金で作ったアセテート盤は、A面がバディ・ホリーとクリケッツの全米ナンバーワンヒット「That'll Be The Day」のカバーで
  ジョンがリードボーカル。
  最年少のジョージが、なんとかバディ・ホリーのリフをコピーしていた。
  出来の云々はともかくとして、これが残された「ビートルズの原型」である。
188ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:8) :2013/11/25(月) 20:54:10.65 ID:upEoU+Hl0
  〜 The Beatles / That'll Be The Day  
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ltvM3Kwfc44
 
  〜 The Beatles / Rip It Up - Shake, Rattle and Roll - Blue Suede Shoes
  ttps://www.youtube.com/watch?v=IVyQql5H3fk

  (小林)いかがですか? 曲がずっと繋がったんで、もう一回説明しておくと。

  残されたビートルズの 最初の録音ですね。That'll Be The Day
  バディ・ホリーの曲のカバー。
  これはクォーリメンとして、ね。ジョン・レノンがボーカルで、「ウォー」っていう サイドで声を出していたのがポールですね。

  それから 約11年経って、もうビートルズ解散寸前って時に、時間が空いたんでしょうかねえ。
  昔を思い出して、やったやつが、Rip It Up そして Shake, Rattle and Roll - Blue Suede Shoes それをメドレーでやっていましたけども。
  これは いずれも、最初の曲は「アンソロジー1」に入っているし、今 2曲目のメドレーは「アンソロジー3」に入っています。
□ストーリー(続き)
 ・1958年のある日、ビートルズの前身バンドであるザ・クォーリメンは生まれて初めてのレコーディングに挑んだ。
  場所は リバプールのケンジントン地区にあるパーシー・フィリップスという年配の男の自宅兼スタジオ。
  このフィリップスという人物は 元々地元で電気店を営んでいたが、
  それだけでは満足せず、60代から新たなサービスであるレコーディングのサービスを始めていた。

  1955年 リバプールでもアメリカの大衆音楽であるカントリー&ウェスタンがブームとなっていることに目を付け
  400ポンドという 当時としては大金を投資して、ポータブルテープレコーダーとディスクカッティングマシン
  それにマイクロフォンと4チャンネルのミキサーも揃えていた。
  これは かなりの設備である。

  「スタジオを使いたい」という客がドアを叩くと、少し待たされ、次に奥のリビングルームに通される。
  ここでマイクに向かって歌い演奏するのである。
  部屋は 防音されていなかったが、窓にはぶ厚いカーテンがあったため、路面電車の音もさほど気にならなかった。
  フィリップスは 先ず客に演奏してもらい、テープに録音した。
  この時 よほど演奏上の失敗が無い限り、それはすぐアセテート盤にカッティングされ お持ち帰りとなる。
  当時テープはかなり高価で貴重品だったため、録音されたものは次の客の演奏で上書きされ消去されることになる。

  フィリップスの仕事ぶりはすぐに評判となり、スキッフルブームの後 もっとビートの効いたロックンロールバンドの時代になると若者たちの間でも知られるようになった。
  そしてこの日、クォーリメンが録音した曲はバディ・ホリーの「That'll Be The Day」の他、もう一曲オリジナルナンバーの「In Spite of All the Danger」。
  ポールがジョージの助けを借りて作ったこの曲。
  なぜか リードシンガーはジョン。
  しかし、当時すでにオリジナル曲とは、やはりビートルズは只者ではなかったのである。
  〜 The Beatles / In Spite of All the Danger
  ttp://www.youtube.com/watch?v=q2LcLrI6HUI

  〜 The Beatles / Two Of Us("Let It Be... Naked" version)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=W6Az2d1umas

  (小林)この曲が好きな人は けっこういるんだよね。
  ビートルズの Two Of Us。
  これは先ほどお話しした、ポール・マッカートニーがやり直した「Let It Be Naked」からお送りしました。
  
  そして、ビートルズの一番残っている古い録音、In Spite of All the Dangerという曲ですが
  これは直訳すると「どんな危険をも顧(かえり)みず」っていう。 
  僕なんか古い人間が聴くとね、これはけっこう50年代っぽいポップス ていう感じがするんだけど。
  だけど、タイトルとか詩がね、違うんですよ。
  どんな危険をも顧みず、50年代はちょっとロマンティックなタイトルなんですよ。
  だけど、これはあれですよ、大げさな言い方をすると、
  今でいうと例えば ブルーノ・マーズ(Bruno Mars)の「君のためなら 手榴弾でも僕は頭で受けるよ」みたいなのと似てるよね。
  だから、こういう所にもうオリジナルの芽があった と言うことができます。
□ストーリー(続き)
 ・1958年のある日、ビートルズの前身バンドである クォーリメンは生まれて初めてのレコーディングに臨んだ。
  場所は リバプールのケンジントン地区にある パーシー・フィリップスという年配の男の自宅スタジオ。
  このスタジオには、当時としてはかなり立派な設備があり、街中の音楽愛好家の間でも噂になっていた。
  この日クォーリメンが録音した曲は、バディ・ホリーの「That'll Be The Day」の他 もう一曲。
  オリジナルナンバーの「In Spite of All the Danger」。
  ポールがジョージの助けを借りて作曲し、リードシンガーはジョン。

  この当時、アマチュアバンドにとっての大一番の任務は、「チャートに入っているヒット曲をいかに上手に真似るか」ということだった。
  結果、メンバーが割れたりしないように大事に持ち帰った 78回転10インチのアセテート盤は、ほとんどの場合A面の「That'll Be The Day」の方が繰り返しプレーされ、
  それが次の演奏の仕事をもらうための大切な宣伝材料となった。
  そしてバンドは、以前に受けたラジオのオーディション番組「ディスカバリーズ」に続き エンパイアーシアターに出向いた。
  今回はグラナダテレビのタレント番組のためのオーディション。
  クォーリメンはリバプールでの激戦をくぐり抜け、マンチェスターで開催されるセミファイナル、つまり準決勝に進むことになった。
  その決戦に臨む前に、彼らはアメリカの有名なロックンロールDJ=アラン・フリードの番組名にあやかり、バンドの名前を「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」と改めた。
  
  ところが、このオーディションに出かけるにあたり、暗雲が立ち込めて来た。
  メンバー全員が学生、あるいは見習いの職人であるため、マンチェスターまでの交通費が無かったのである。
  もちろん車も無い。
  さて、どうしたものか。
  まだまだ前途多難な ジョニー&ザ・ムーンドッグスであった。
  〜 The Beatles / One After 909 ("Let It Be... Naked" version)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=TipfIUP1kAE
 
  (小林)ちょうど10年前にポールがやり直したという「Let It Be Naked」のアルバムに入っています。
  これは、初期のジョン・レノンの作品ですけども。
  ちょっと時間が無かったりして、これを穴埋めみたいに選曲したのかもしれませんけども。
  ちょっと 新しい音に聴こえたんですwけども、どうでしょうか?
  One After 909
□リクエスト
  (小林)
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにして差し上げておりますからね。
  メールは [email protected]

  (熊本市中央区/男性)
  九州から最近のスマートフォンを使ってこの番組を聴く方法を知り、今では毎週楽しみに聴かせていただいています。(小林)九州から。
  僕はビートルズの終わりの方に生まれて、 
  ビートルズとの接点というのは、様々なアーティストがカバーしたり、折に触れビートルズの影響を聞くにつれ深まって行きました。
  特にオアシス(Oasis)の声や歌い方が大好きで 今でも良く聴いています。
  オアシスの音には、あちこちにビートルズを聴いてきた敬愛の念のようなものが 音の層の中に漂っているような気がします。
  オアシスのライブでも閉めの曲として使っていた ビートルズの「アイアムザウォルラス」をリクエストします。
  (小林)
  熊本からリクエストありがとうございます。
  ジョン・レノンが書いたという。で、歌も歌っています。

  〜 The Beatles / I Am The Walrus
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WU4uaKgCQ9A

  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttps://www.youtube.com/watch?v=d9h0oSeFZCA

  (佐倉市/男性)
  こんにちは。私ごとですが、北陸金沢にて単身赴任を始めて2年半が経過。
  金沢では番組を聴くことが出来ないので、連休などで千葉の自宅に戻った時 番組を楽しませていただいています。
                 (小林)さっきの熊本からの方みたいに、聴く方法もあるんですけどw まあいいか。
  リクエストはヘイ!ブルドッグ。
  約30年ほど前、高校生だったころ片思いをしていた女の子が大のビートルズファンで「この曲がカワイイ」と言っていたのが妙に印象に残っている曲です。
  メンバーの犬の鳴き声のマネは面白いと思いますが、カワイイかなあ?と今でも思いますし。
  「女心はムズカシい」と当時思ったものです。
  でもリズム感から、今でもお気に入りの曲の一つです。よろしく。
  (小林)w
 (新宿区/男性)
  このところ ジュリアン・レノンの話題を聞きません。活動してるんでしょうか?
  父親より やや甘い歌声で好きだったんですけど。
  リクエストはデイヴ・クラーク・ファイヴ(Dave Clark Five)の「Because」をカバーしているやつを。

  (小林)
  そうなんですよ。お父さんに似てるっていうことでね、80年代ヒット曲があったんですけども。
  その後 自分の名前で、というか、大きなメジャーじゃない所からレコードを出したりしてたんですけど。
  どうでしょうねえ、やってることはやってんじゃないかと思いますよ。音楽活動は。
  ただ、収入の方は お父さんのやつがドッサリ入って、芸能人番付けベスト10かなんかに入ってた事があるくらいですからねえ。
  苦労はしてないと思います。
  じゃあ ジュリアン・レノンの、ジョン・レノンの息子のバージョンです。
 
  〜 Julian Lennon / Because
  ttps://www.youtube.com/watch?v=U7IO-vqe09k
  〜 坂本龍一 / Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=NkWjsT_SJNI

  (小林)戦メリ が余韻を残して 最後までかかっちゃいましたね。

  (市原市/男性)
  私は小さな店でコックをしております。
  近所ではオシャレで通っている店なので、季節モノには敏感。
  もうクリスマスの事を考え始めています。
  毎年大量のケーキを、大量の時間をかけて仕上げます。
  これがハードなんですよ。
  しかも バイトの女の子たちの分も なぜかサービスで用意するのが恒例です。
  クリスマスと言えば、ジョンとヨーコのあれですが、  (小林)「 War Is Over」かな
  私にとって 戦争は終わった というより 戦時中   (小林)忙しい ってことですね。
  ビートルズの曲じゃないので恐縮ですが、私にとって一番しっくりくる曲で
  クリスマスソングのリクエスト一番乗りをさせてください。
  どうぞよろしくお願いします。

  (小林)
  というわけでw、(あなた)のリクエストで「戦場のメリークリスマス」
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?

  この前まで、先週まで ジョン・レノンの恋物語。
  最初の上さんシンシアと結ばれるまでをお送りしておりましたが。
  1950年代の終わりにかけての ジョン・レノンたちの、
  ポール・マッカートニーもジョージも入っています、バンドの活躍。
  名前は「ジョニー&ムーンドッグス」w
  ちょっと名前を変えるんですよね ビートルズがね。
  「シルヴァー・ビートルズ」の頃も チラッとあったりするんですけど。
  どういうふうになりますか。
 
  それから、リクエストですが。
  今日は最後の方の、ちょっと新鮮でしたよね。
  自分の職業だとか なんか関係づけて。
  ビートルズじゃなくても、まあビートルズから始まって。
  ただ、坂本龍一はビートルズの影響 あんまり受けてないような気もするんですけど ねw
  まあ、そこんとこは自由です。
  リクエスト待っております。  
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年11月24日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月24日)
 ・1962年(今から51年前の今日)
  ビートルズのマネージャーのブライアンがバースデーグリーティングズを、これはおそらく電報送だと思います。
  電報ですね、テレグラム。
  「誕生日おめでとう」の電報を ピート・ベスト(Pete Best)に送ります。
  それは どういう内容かと言うと
  「Congratulations.Many Happy Returns.All the best.John Paul George Ringo and Brian.」
  つまり、ピート・ベストという男に 四人とそれからマネージャーのブライアンとで「誕生日おめでとう」

  これはですね、もうお分かりだと思いますけど ビートルズファンは。
  ビートルズになれなかったピート・ベスト。
  つまり彼は、ビートルズが本格的に売れる前の2年間、ビートルズのメンバーとして 一緒にハンブルグへ行ったりして 友達だったわけですね。
  で、ピート・ベストは お母さんが自宅の地下にコーヒーバー「カスバ」を開店して。
  ここでビートルズもライブをやったりして、お母さんが一時 ビートルズのマネージャー的なこともやってたりするわけですけども。
  ご存知のとおり、ビートルズが本格的にレコーディングするようになって、ピート・ベストをクビにしてリンゴ・スターが入るわけです。
  2年間ピート・ベストはビートルズのメンバーでした。

  で、ビートルズをクビになって、3カ月経って電報をもらうわけですよ。マネージャーのブライアンから。
  ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ、そしてブライアンから「誕生日おめでとう」どういう気持ちだったか分かりませんけども。
  彼は「ビートルズになれなかった男」という本を出しています。
  そして、今日で72歳。
  つまり、ピート・ベストの誕生日なわけですが。
  彼は今も 弟のローグ・ベストとともに、リバプールの音楽仲間とバンド活動をやっていて、今年は来日公演もありました。
  1999年には お母さんがやっていた「カスバ・コーヒークラブ 40周年」を記念して、
  店にあったジュークボックスの人気の曲をカバーした 4枚目のアルバム「Casbah Coffee Club」を発表したりしています。
  このピート・ベストのバンドはですね、なかなか上手いバンドでw、上手いバンドでw、当時のマージービートサウンドを忠実に守ってるようなバンドです。

  ではですね、今日はちょっと珍らしいですよ。
  ピート・ベスト・バンドでバディ・ホリーの曲をカバーしています。
  これは、ビートルズも彼らのアルバムでカバーした お馴染みの曲ですよ。
  初期のビートルズのアルバムに入っているんですけども。
  それじゃピート・ベスト・バンド(Pete Best Band)で聴いていただきます。
  いいですね?、Words of Love。

  〜 Pete Best Band / Words of Love
  ttp://www.shazam.com/discover/track/5585435

  (小林)いかがですか? ピート・ベスト・バンド の Words of Love
  バディ・ホリー(Buddy Holly)の曲です。
  雰囲気は伝わりますよね。
  バンドとしてはあれですよ、やっぱり「Bクラスのトップ」みたいな感じでしょう。
  だけど雰囲気は、やっぱり、新しい録音ですから比較的音は良い、そんな感じですよね。
  あの頃の雰囲気は伝わっております。
  ちなみに、彼らは営業もやっていて「旅費を払ってくれてギャラを払ってwくれれば どこでも行く」みたいな感じらしいですよw。
  ホームページでチェックできると思いますけども。
  いかがですか?。
  今日はビートルズになれなかった男、ビートルズをクビになった男、ピート・ベストの誕生日、ということで
  彼らの、バンドとしてがんばってやっている ていうところを聴いていただきました。
□ストーリー
 ・1958年のある日、ビートルズの前身バンドである クォーリメンは生まれて初めてのレコーディングに臨んだ。
  場所は、リバプールのパーシー・フィリップスという年配の男の自宅スタジオ。
  この日クォーリメンが録音した曲は、バディ・ホリーの「That'll Be The Day」
  そして、ポールとジョージのオリジナルナンバーの「In Spite of All the Danger」
  この当時アマチュアバンドがオリジナルを録音することは 異例中の異例であった。
  出来上がったアセテートのレコードは、大事に大事に持ち帰られ、それは次の演奏の仕事をもらうための大切な宣伝材料となり
  その結果、オーディションにも挑戦した。

  クォーリメンの面々は、グラナダテレビのタレント番組のためのオーディションに挑み。
  マンチェスターで開催されるセミファイナル、つまり準決勝に進むことになった。
  その決戦に臨む前に、彼らはアメリカの有名なロックンロールDJ=アラン・フリードの番組名に肖(あやか)り、バンドの名前を「ジョニー&ザ・ムーンドッグズ」と改めた。
  
  ところが、ここで大きな問題が彼らの前に立ちはだかった。
  マンチェスターまでの交通費が無いのである。
  それでも、何とかお金をかき集め、マンチェスターにたどり着いたところまでは良かった。
  しかし オーディション会場まで行くバスの中で、やはり帰りの電車賃が足りなくなることに気付き、お金にキッチリしているポールが大騒ぎを始めた。
  「僕らはどうなるんだ!冗談じゃないよ。これは ほんとに大変なことだ!」
  結果、この若者たちを不憫に思った紳士が、彼らにお金持を恵んでくれた。
  それで何とかオーディションは受けられたが、最終審査、つまり観客の拍手の音量で判定が出るという お決まりのフィナーレにメンバーは残ることが出来なかった。
  ジョニー&ザ・ムーンドッグズ御一行は、すでにリバプール行きの列車の中。
  マンチェスターに一泊する余裕など あるわけが無かったことは言うまでもない。
  〜 The Beatles / Do You Want To Know A Secret
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8hQZ9SeNx7U 

  〜 The Beatles / I'll Get You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=GSUADPKm0uQ

  (小林)いかがですか?

  I'll Get You、これは「She Loves You」のB面ですよね。
  1963年の8月の発売のB面です。
  
  そしてその前やつは、実は Do You Want To Know A Secret
  これは、発売されたばっかりなんですよ。
  BBCでの残っているビートルズのレコーディングがまとめて「Live at the BBC Volume 2」として発売になりましたが。
  その中から Do You Want To Know A Secret お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「電車代が無い?僕らはどうなるんだ? 冗談じゃないよ!。これはほんとに大変なことだよ!」
  こう叫んだのはポール・マッカートニー、この時まだ16歳の高校生である。

  1958年のある日、「クォーリメン」改め「ジョニー&ザ・ムーンドッグズ」は
  イギリスの独立系放送ネットワーク・グラナダテレビのアマチュアオーディション番組の準決勝に進出する事が決まった。
  会場となるマンチェスターはリバプールから東へ100キロの内陸にある町。
  列車で行けば2時間ほどで到着する。
  しかし、この当時ジョンは美大生で、ポールもジョージもまだ高校生である。
  どう頑張っても列車代を工面する事は難しかった。
  やっとの思いでかき集めた金額も マンチェスターに泊まることは不可能なもの。
  メンバーはオーディションの審査をあきらめて、最終列車でリバプールに帰るしかなかった。
  実に辛い日々である。
  
  クォーリメンの頃から ずっとバンドのドラマーとして参加していたコリン・ハントンが
  メンバーとしてライブで演奏する最後となったのは、ある土曜の夜の バス運転手の組合主催のパーティ会場でのステージ。
  これは、バスの運転手であるジョージ・ハリスンの父親ハリー・ハリスンが話してコネで決めてくれた仕事であり。
  ハリーはパーティで司会も務めていた。
  元々ハリーは妻のルイーズ、つまりジョージの母親と一緒にダンスの教室も主催しているくらいの 社交的で洒落た紳士として有名であった。

  この日、そのハリーから重大な報告があった。
  それは、地元の映画館の支配人が
  「日曜日に上映される映画の合間に演奏するバンドとして、ジョニー&ザ・ムーンドッグズがふさわしいかどうか今夜見に来る」
  というもの。
  もとろんメンバーは全員 それはもう緊張してコチコチになっていた。
  
  当時のドラマー=コリンはこう語ってくれた。
  「あの夜…あの夜ね。最初は まずまずの出だしだったんだよ。
  演奏中にジョージに『ねえ、あそこにお前のお父さんがいるよ。ここまでバスで運転して来たのかな』なんて冗談を言ったりね。
  そこまでは余裕かましてたんだ。
  そう、事件はそのあと起こったんだ。」
  〜 The Beatles / Helter Skelter
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UXOkzEXJuDs

  〜 The Beatles / Ticket To Ride
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VMxyK9azXR4

  (小林)Ticket To Ride 1965年。アルバムは「HELP!」

  そしてその前は Helter Skelter
  1968年ですよね。
  「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中からお送りしました。

  ビートルズは「クォーリメン」と言っておりましたけども「ジョニー&ザ・ムーンドッグズ(Johnny and the Moondogs)」
  ジョニーはジョンのことですね。
  ジョニー&ザ・ムーンドッグズ、その頃のお話しを続けます。
□ストーリー(続き)
 ・地元リバプールで バス運転手として家族を養っていたハリー・ハリスン。
  のちのビートルズのギタリストとして、世界の女性ファンを魅了することになる あのジョージ・ハリスンの父親である。
  元々ハリーは妻のルイーズ、つまりジョージの母親と一緒にダンスの教室を主催しているくらいの、社交的な洒落た紳士として有名であった。
  ビートルズがまだリバプールの学生バンド、つまりアマチュアバンドとして活動していた1958年のある日。
  そのハリーから 重大な報告があった。
  それは、町の映画館の支配人が 
  「日曜日に上映される映画の合間に演奏するバンドとして、ジョニー&ザ・ムーンドッグズがふさわしいかどうか、今夜見に来る」
  というもの。

  クォーリメンの時代からのドラマー=コリンは、こう語ってくれた。
  「あの夜ね・・・あの夜のこと。最初は まずまずの出だしだったんだよ。
  演奏中にジョージに『ねえ、あそこにお前のお父さんがいるよ。ここまでバスを運転して来たのかなー』なんて冗談を言ったりね。
  それまでは余裕をかましてたんだ。
  そう、事件はそのあと起こったんだ。
  最初のステージでは6曲演奏して 大成功さ。
  お客のバスの運転手や車掌さんの女性たちも みんな拍手をしてくれたしね。
  すると、パーティの主催者の誰かが こう言ってくれたんだ。
  『バンドのみなさん!。向こうにビールとお食事が用意してあります』ってね。
  メンバー全員 断わる理由も無いので、気分よく飲んでいたんだよ」

  黒ビールの1杯が2杯に、そしてそれが3杯に・・・。
  こうなると、もうどうでも良くなってしまうのが アルコールの魔力。
  次のステージに出た時には もう 演奏にならないくらい酷い状態であった。
  もちろん、バンドをスカウトに来ていた映画館の支配人からも、連絡が来ることは無かった。
  つまり「このバンドはダメだ」と判断されたわけである。
(続き) 
  そしてさらに最悪なことに、帰りのバス中で バンドのメンバー同志が大ゲンカを始めた。
  しばらくして、大人しいドラマーのコリンがこう言った。
  「もういいよ! これで終わりだ! こんなバンド、もう二度とお断りだ!」
  そう言うとコリンは ドラムセットをバスから放り出し、去って行った。
  そして、二度とメンバーの前に姿を現わすことは無かったのである。
  〜 The Beatles / Why Don't We Do It In The Road
  ttps://www.youtube.com/watch?v=aAQYtoY6Ukk
 
  〜 The Beatles / The Long And Winding Road
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Xqu9qhBHWNs

  (小林)ポール・マッカートニーの最高傑作の一つですね。
  The Long And Winding Road
  もちろん1970年の「Let It Be」のアルバムのバージョン。

  そしてその前は、Why Don't We Do It In The Road っていうのは、In the roadだから「道の真ん中でやろうよ」っていう。
  ポール・マッカートニーのボーカルが ちょっとハイテンションで、おどけてますけど。
  「だれも見てないからさあ。道の真ん中でやろうよ」っていう、ガラの悪い歌ですよね。
  ビートルズの、これは1968年、Why Don't We Do It In The Road
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしてます。
  メールは [email protected]

  (草加市/女性)
  ビートルズの再来、と言われてますねえ。
  テレビに出てる彼らを見ましたが、確かに雰囲気がビートルズに似てるなと思いました。
  若いっていいですね。

  (小林)
  まあ、ビートルズの再来とか なんとかの再来って言われて 大物になった試しは無いんですよ。
  だけど、このバンドはいいです。
  ただ、ビートルズの再来ってのは間違ってて、ようするにビートルズは、この番組で言ったじゃないですか。
  ロックの歴史で大切な瞬間があったてのが。
  ジョン・レノンがジョージ・マーティンに「俺たちはオリジナルを最初にやりたいんだ」って言う啖呵を切りましたよね。
  自分たちのオリジナルにこだわりましたよね。
  ところが、ストライプス(The Strypes)はね、カバーバンドとして優秀なんですよ。
  エルトン・ジョン(Elton John)とかポール・ウェラー(Paul Weller)とか、なんか おじさんが褒めてるんですよねえ。
  「オジサン殺し」と呼ばれていますw。
  でも、いいバンドですよ。オジサンの一人として言いますけど。
  ストライプスの Mystery Man

  〜 The Strypes / Mystery Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rmYXY3SNjLg
  〜 The Beatles / This Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=O_vqE2hBWkg

  (小林)This Boy がかかりましたねえ。
  どうも選曲してくれて ありがとう。久しぶりに かかりました。
  (横浜市神奈川区/男性)
  私の洋楽の歴史は克也さんとともに歩んでいます。(小林)w
  克也さんのラジオ・テレビから最新情報を仕入れ、レコードを買い、チェックし、音楽を楽しんできました。
  多くの方がビートルズから洋楽に入ったと思います。
  あまりにもポピュラーなビートルズが好きと言うことは、洋楽初心者と思われそうで (小林)w
  あえて語らなかった時期もありました。
  しかし、今は堂々とビートルズファンを公言しています。
  巡り巡って基本に帰りました。
  オヤジバンドでビートルズを演奏し、彼らの偉大さに改めて感動しています。

  (小林)ということで リクエストに応えました。
  (鹿沼市/女性)
  ポール・マッカートニーの来日に醒めやらぬ今ごろ。(小林)w
  この曲は「Band On The Run」でも異彩を放っており、初めポールが歌っていると思いませんでした。
  七色の声を持つポール、ほんとうにすごい、天才ですよねえ。
  (小林)
  ていうことで、あなたのリクエストです。
  
  〜 Paul McCartney and Wings / 1985
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1c5pgo6zU10

  〜 The Beatles / Let It Be
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0D5JJZl6MB0

  (小林)というわけで Let It Be 、
  これはジョージ・マーティン・バージョンというか
  「青盤の方でお願いします」という。
  (福岡県/男性)
  スマホアプリでこの番組を聴いています。
  僕はビートルズのコピーを オヤジバンドでやっています。
  40代の僕はビートルズの知らない所 たくさんあります。
  この番組はとても勉強になります。
  (小林)ということで。
  その前の曲、西暦1985年。
  ほんとに ポールが歌っていると思われないような感じでしたけど。
  考えてみるとね、ギター、それからドラム、ベース、ギター、おそらくキーボードもポールが全部やるわけですよ。
  そうすると その曲の中に入り込みますよね。
  で、歌詞もポールですよね。
  そうすると ああいうボーカルになっちゃうんですよね。
  なんか、ようするに、おそらく、俳優がその役になる、みたいな感じで あんなに変わるんじゃないかと想像するんですけどね。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?

  話しの方は、面白いよね。
  高校生バンドだよね。
  ジョンは美大生だけども。
  酒飲んじゃってwww
  あのあと どうなるんでしょうね。
  ドラムズが辞めちゃいましたね。

  それから、リクエストの方もよろしくお願いします。
  採用の方にはイシイの(略)
  メールのアドレスは
  [email protected]
  まあ、いろんな地方から わざわざこの番組を聴いてくださったりね。 
  それから、それぞれ いろんな方がいらっしゃいますから。
  自分が、さらけ出すようなリクエスト、お待ちしておりますね。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年12月1日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月1日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  プラスティック・オノバンド(Plastic Ono Band)、名義はプラスティック・オノバンド。ジョン・レノンですよね。
  プラスティック・オノバンドのシングル「You Know My Name」が、発売4日前にNOとなりました。待ったがかかりました。
  これはちょっと どういうことか説明しなきゃいけないんですけど。
  1967年、ビートルズは「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」の録音をやっていた時に、
  ジョンのアイデアで、これはもうほんとボッツ・ボッツと録音して行くわけですよ。
  これは5つののパートに分かれてる曲でね。ある日は時間があるんでパート1をやる。
  その翌週はパート2をやる。3日後にさらに別の部分をやる。
  で、ローリングストーンズのブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)が生きていて、生きてた頃ですよね、サックスを持ってきて吹いたり。
  ジョージ・ハリスンが、生まれて初めてビブラフォンを演奏したり。
  もう自由気ままに、これをやっていたわけですね。
  でも、それから2年弱 放っとかれるんですよ、ボツになりかけるんですよ。
  で、1969年のアビーロードの第3スタジオで「Let It Be」のギターソロを録音したあと、ジョンとポールがこの古いテープを引っぱり出して。
  約2年前のやつを引っぱり出して、二人で一本のマイクを使って、この曲の風変わりなボーカルを。
  テイクいろいろあるんですが、30テイク目に録音するんですね。
  で、そのバックには マル・エバンス(Mal Evans)がスコップで砂利をいじる音だとか、手拍子だとか、そういうのを録音するんであります。
  で、それを ジョン・レノンとオノ・ヨーコが気に入って、オノバンドのシングルにしたい、ということで。
  1969年12月5日に発売しようとしていた。
  ところが「待った」がかかったわけですね。
  これはおそらく、もうその頃は、もう ちょっとメンバーが不仲だったりして、ポールの反対があったのか。
  それとも、1967年ていうとEMIがお金を出して録音させていたわけですね。
  でもこれをアップルレコードから出すわけですから、「ちょっと待てよ それはお金の精算してないじゃないか」とか 色々あったんだと思いますけども。
  結局1970年の3月6日、ラストシングルとしてイギリスで「Let It Be」が出ますが、そのB面に入った、というわけですね。

  それを、改めて聴いてみたいと思います。
  だから、時間がかかってるわけですよw
  ヘタするとお蔵になるはず かもわからなかったわけですよね。
  その曲とは You Know My Name

  〜 The Beatles / You Know My Name (Look Up The Number)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=j-TWLSliZ-U

  (小林)いかがですか?w。 Let It BeのB面 ね。
  Let It Beもビートルズだけど、これもビートルズなんだよね。
□ストーリー
 ・「もういいよ。これで終わりだ! こんなバンド もう二度とお断りだ!」
  そう言い残し、ドラムセットをバスから放り出し 去って行ったのは、ザ・クォーリメン改めジョニー&ザ・ムーンドッグズのドラマー=コリン・ハントン。

  コリンは ジョンよりも2つ年上の内装職人の見習いであったが、当時としてはかなり珍しいことに ドラムセットを持っていた。
  腕はともかく「楽器を持っている」ということだけでバンドに加入した少年であった。
  この明朗で性格の良いドラム少年が、なぜ激怒してバンドを去ったのか。
  その理由は、あるダンスパーティでの大切な演奏の際に、未成年者集団であるバンドのメンバーが全員 ビールでヘベレケになって大失敗をしでかした事にあった。
  もし上手く行っていたら、リバプールのとある映画館でのレギュラーバンドとして雇ってもらうことが出来たのである。
  こんなチャンスを 酒に飲まれた事が原因で棒に振るなんて、あまりにもばかげていた。
  コリンは「もう付き合いきれない」と、そう思ったのであろう。

  そしてさらに、もう一つ理由はあった。
  明らかにロックンロールの才能を伸ばしているジョン、ポール、そしてジョージに比べ 自分のドラムスの腕前は伸び悩んでいた。
  「いや、元々才能なんて無いのかもしれない」そう思ったコリンは「これ以上音楽を続けても、それは意味のない事だ」と判断し
  自分からバンドを辞めることにしたのである。
  この時を最後に、彼は二度とメンバーの前には姿を現すことは無かったのである。
  
  この1958年の終わりから1959年の初頭にかけて「ジョニー&ザ・ムーンドッグズ」あるいは また「ザ・クォーリメン」を名乗ったりと。
  その時々で名前を変えるほど 不安定な自称ロックンロールバンドは、常に消滅の危機に晒(さら)されていたのである。
  〜 The Beatles / That'll Be the Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0DnPHQE8exY
  
  〜 The Beatles / Ain't She Sweet(Anthology 3)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=CEB9S-GRd2U
 
  (小林)というわけで、ふだんあまり聴かないような2曲、続けてお送りしました。

  That'll Be the Day というのはバディ・ホリー(Buddy Holly)の有名な曲ですが。
  それをジョン・レノンのリードボーカルで1958年。
  だから ジョンやポールやジョージがまだ高校生の時の。
  ほら、年配のリバプールのスタジオを持っているというパーシー・フィリップスという人のお宅で録音したやつですよね。
  「アンソロジー(Anthology)1」に入っていましたけど。

  それから「アンソロジー(Anthology)3」に入っているのが、1969年
  これはまあ 遊びで、彼らがドイツで録音した有名な曲ですよね、Ain't She Sweet
  それの 遊びバージョン。
  これは どうですかね。仲良かったわけですよね。こんなことをやる。
  だから、1969年てのは、もうほんとに 仲悪いっていう状態だと 僕らはいつも思っているわけですけども。
  この 仲の良い感じが 伝わってきましたねえ。
□ストーリー(続き)
 ・1958年の終わりから1959年の初頭にかけて「ジョニー&ザ・ムーンドッグズ」あるいはまた「ザ・クォーリメン」を名乗ったり
  と、その時々で名前を変えるほど 不安定な自称ロックンロールバンドは、常に消滅の危機に晒(さら)されていた。
  もちろん、この田舎のアマチュアバンドが 数年後にはメジャーデビューを果たし。
  世界中の音楽エンターテイメント そして現代アートの最高のトップの そのまた頂上の天辺に君臨することになるザ・ビートルズに化けるとは
  まだ、だれ一人として予想などしていなかったのである。
  
  そんな鬱々混沌とした中にあっても、バンドのリーダーであるジョン・レノンとアートカレッジの同級生である女学生シンシア・パウエルとの熱愛状態は続いていた。
  カレッジが長いバケーションに入る前日、学生たちが主催するパーティの夜ジョンとシンシアは初めて結ばれた。
  男女の関係になったのである。
  翌朝シンシアはジョンの声を聴くのが待ち遠しく、前の年に入ったばかりの電話機の前に座っていた。
  そしてベルが鳴ったその瞬間ひっつかむようにして受話器を取ると愛しい人の声が聴こえた。
  「おはようシン、僕だよ。ジョンだけど、明日会えないかな?何時でもいいから」
  しかし、それは無理であった。
  シンシアと家族はバケーションに入ったらバッキンガム州に住む一番上のお兄さんであるチャールズの家で3週間過ごすことになっていたからである。
  これはシンシアもずっと楽しみにしていた事であったが、突然自分とジョンの間を阻む障害のように思えてきてしまった。
  しかしこればっかりはもうどうすることも出来ない。
  旅行の準備はもうすっかり整っていたし超保守的なシンシアの母親が19歳になる娘を一人家に残して旅に行くなどという選択肢は当時そこには存在しなかったのである。
  シンシアはジョンに必ず手紙を書くことを約束してリバプールを離れた。
  旅行から戻るとさっそくジョンと街のカフェで会い、コーヒーを一杯飲む間お互いの瞳を見つめ合っていた。
  その甘い時は一時間いや二時間は続いたのである。
  〜 The Beatles / Across The Universe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=uomY5h1hJwA

  〜 The Beatles / Because


  (小林)いかがですか? Because ビートルズ。
  これが好きな人がけっこう多いんじゃないですかねえ。
  1969年、アルバムは「アビイ・ロード(Abbey Road)」
  「一本のマイクで歌っている3人は、まるで兄弟みたいに見えた」ていうことですけど。
  この1969年ていうのは サイケの時代ですよね。真っただ中。
  でも、こういう風なコーラスで、でもこれねえ、サイケデリックなんですよねえ 実はね。
  歌詞だとか。
  だから、これが一番好きだて言う人もいるくらいですよね。
  
  そしてその前は、ジョンの傑作「レット・イット・ビー(Let It Be)」 Across The Universe。
□ストーリー(続き)
 ・1958年から59年にかけてのイングランドの北西部の港町リバプールに可愛らしくも熱く燃える恋物語があった。
  そのカップルとはジョン・レノンとシンシア・パウエル。
  二人ともアートカレッジの学生で18歳と19歳。
  ジョンはシンシアと3週間も会えないとなると居ても立ってもいられなかった。
  まだ電話が贅沢品であった時代、二人はマメに手紙のやり取りをした。
  そして今日ようやく会えるとなると更にその恋の炎は燃え盛った。
  街のカフェで会う二人は一杯のコーヒーを飲む間一時間いや二時間でもお互いの瞳を見つめ合っていた。
  なぜ一杯のコーヒーで一時間かというと、二人とも二杯目のコーヒーをお代わりするお金が無かったから。
  でもそんなことは全然気にもならないジョンとシンシアであった。
  その頃からずっと二人は時間があるといつも一緒に過ごすようになった。
  そしていつもお金が無かった。
  日々の少しばかりのお小遣いは交通費とランチ代と、ジョンの場合はタバコ代に消えた。
  ジョンはパークドライブ、ウッドパインズ、そしてエンバシーといった銘柄のタバコを吸っていた。
  理由は全て 安いから。
  もちろん昼休みや学校帰りに学生たちで賑わう人気のパブ「イークラック」で飲む黒ビールのギネスをリンゴの発泡酒で割った「ブラックベルベット」も
  小遣いの大事な使い道だった。
  そして二人は余裕があると映画館に行った。
  劇場の一番後ろの二人掛けの席に座ってキスをしたり抱きしめ合ったり。
  何の映画が上映されているかなんてジョンもシンシアもほとんどどうでもいいことで。
  映画が2〜3回上映されている間ずっとそこにいることも珍しくはなかった。
  最初はジョンとシンシアなんて あまり不釣り合いだ、と思っていた連中も
  この二人の熱愛ぶりにもはや疑問を感じる者などいなくなっていた。
  1950年代終盤のリバプールの恋の物語はまだまだ続くのであった。
  〜 The Beatles / Real Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=aT9ffGF3R6M

  (小林)ジョン・レノンの死後、ジョン・レノンが残したテープを基に三人が集まって作られた Real Love
  これは「アンソロジー(Anthology)2」から お送りしました。
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにして、
  これはもう大変貴重な物ですが これを送らせていただいております。
  メールアドレスは 
  [email protected]

  (新宿区/男性)
  曲名バンド名とも あやふやです。
  たしかビートルズと関係あったと聞いたような聞かなかったような。(小林)w
  すべてあやふやですが、お願いします。
  (小林)
  というか、でもスペルとか曲目のタイトルなんかはあれじゃないですか、ちゃんとしてるじゃないですか。
  まあ、簡単に言うとポール・マッカートニーが面倒見たバンドですよね。
  だから、なんか「ポール・マッカートニーのビートルズ」みたいな雰囲気を持っています。
  足りないのは、ジョン・レノン的要素じゃないでしょうかw。
  ということで、彼らにもヒット曲がありましてね、その一つですね。
  じゃあ(あなた)のリクエストで、このグループは Badfinger

  〜 Badfinger / No Matter What
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZwbTHl6C56U
  〜 The Beatles / Come Together
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cAmn4eMusZk

  (小林)ポール・マッカートニー プロデュースのBadfinger の No Matter What に続いて
  Come Together が流れました。

  (熊本市/男性)
  僕が生まれて初めて買ったアルバムはサザン・オールスターズの「熱い胸騒ぎ」です。
  そして初めて行ったライブも、ちょうど30年前のサザンのライブでした。
  桑田さんはラジオでも本でも よくビートルズから受けた影響の話しをしてくれて。
  僕もビートルズを聴くようになりました。
  そのころ桑田さんや松任谷由美さん清四郎さん泉谷しげるさん、そして小林克也さんが楽しそうに歌っていた Come Togetherは
  カッコよく すごく好きな曲になりました。
           (小林)昔のテレビのクリスマスショーだと思うよ。あれは、楽しかった。
  今日は Come Together をリクエストします。

  (小林)ということで
  だいたい あなたの音楽的なキャリア、判りましたね。
 (八千代市/男性)
  ビートルズの再来とも言われるほどの人気を誇る イギリス出身のグループ「ワン・ダイレクション(One Direction)」
  二度目の来日を果たして、幕張メッセという家から近い場所にいるのに チケット取れずに見れないなんて悲しいっす。
  実を言いますと 最近ファンになりました。デビューアルバムから聴いていますが。
  デビュー作の「Up All Night」は イギリスのグループのデビューアルバムとしては初めて全米ビルボードチャートで初登場1位を獲得。
  これはビートルズやレッドツェッペリンでも成し遂げられなかったこと、最近知りました。
                         (小林)まあ、時代が違うからねえ。
  リクエストはちょっと古い曲ですが。
  おいらのヘビーチューンでもある・・・

  (小林)これねw 
  なぜ君がビューティフルなのか、ていう。
  ビューティフルだって知らないからビューティフルなんだという。ね。
  ツンとしている澄ました女の子に送りたいような曲w ですよね。
  デビュー曲ですよ。What Makes You Beautiful
   
  〜 One Direction / What Makes You Beautiful
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QJO3ROT-A4E
  〜 Tom Jones / Green Green Grass Of Home(思い出のグリーングラス)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VjxY7xmhJ6o

  (小林)これは トム・ジョーンズの「思い出のグリーングラス」という大ヒット曲ですね。
  ビートルズが終わって70年代になると、イギリス中心のね ハードロックの時代になるんですが。
  その頃この人は、もう、すっごい強烈な声で…イギリス人ですよ…時代を作った人なんですけども。
    
  (栃木県日光市/男性)60代
  克也さん、「America」とジョージ・マーティンのことは知りませんでした。 (小林)Americaってグループですね。
  彼らが子供の頃横田基地にいた と聞いたことがありますが、本当なんでしょうか?
  (小林)
  もともと America は3人だけど、3人いたってことじゃないと思うよ。
  一人が、なんかほら 兵隊の子供たちですから、横田にいたのかもわかんないね。中のうちの一人がね。
  
  というわけで、今の曲(Green Green Grass Of Home)は、
  「故郷へ帰ると なかなか良いなあ」ていう、「お父さんもお母さんも恋人も迎えに来て、やっぱり故郷は良いなあ」
  でも、歌の終わりに、この人 あれなんだよね、実は監獄に、刑務所にいる、っていうオチがついてるw 大ヒット曲でした。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?

  ジョン・レノンとね シンシアの恋物語。
  でも、ちょっと不安定な状態のビートルズ。
  まだ「ビートルズ」っていう名前は名乗っていませんけどね。
  やっぱりジョン・レノンの恋物語をお送りしているから、ジョン・レノンの見た目、みたいな感じで。
  でも、ポールから見るとね、
  「大丈夫かなあ?、こいつはちょっと、もう、なんか、俺がしっかりしなきゃ」
  みたいな感じなんだろうね。
  ジョージはどうだったか。
  そういう風な、人の、他の、例えばジョージの目から見たり、ポールの目から見たリするのも ビートルズって面白いですよ。
  いろんな本も出てるし、この番組は出来る限り そういう風に、いろんな楽しみ方が出来るようにと思っています。
  
  それから、リクエスト待っていますよ。
  採用の方にはイシイの(略)
  メールは
  [email protected]
  小林克也 待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年12月8日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月8日)
 ・1980年(今から33年前の今日)
  ジョンとヨーコは 自宅にニューヨークのFM曲KFRCのディスクジョッキーを迎えて、自宅でのインタビューをやります。
  午後からやってたんでしょうね。
  そして、夕方5時二人はダコタアパートメントを出てレコードプラントスタジオに向かいます。
  そこで録音があったわけですね、いろいろ。
  だいたい5時間居て、12時50分 ジョンとヨーコは帰ってまいります。

  でも、自宅の前で 待ち構えていたマーク・チャップマンが 暗闇から出てまいります。
  「レノン?」と呼びかけると同時に 拳銃を両手で構え5発を発射します。
  4発がジョン・レノンの胸、背中、腕に命中し、彼は「I'm shot!」「撃たれた!」と2度叫んでアパートメントの入り口に数歩進んで倒れます。
  警備員は直ちに911に電話をして、セントラルパークの警察署から警官が数分で到着。
  レノンの死亡時刻に病院で流れていた曲は、ビートルズの「All My Loving」だということです。
  これはおそらく病院ですから、インストゥルメンタルが廊下だとかエレベーターの中なんかで流れていたんじゃないでしょうか。
  それが ジョンやポールが歌う歌のバージョンじゃなくて インストゥルメンタルが流れていた。
  
  で、撃った後 犯人のチャップマンは現場から逃亡せず、手にしていた「ダブルファンタジー」のニューアルバムを放り出して。
  警官が到着するまでは「ライ麦畑でつかまえて」サリンジャーのあの作品を読んだり、歩道をあちこちソワソワしながら歩いていた。
  で、今もちろん彼は服役中でありまして、仮出所って言うんですかね、あれを申請するんですけども、
  もう何回も、3回か4回ぐらい断られて ずっと服役中だということであります。
224ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:8) :2013/12/10(火) 13:51:11.18 ID:Hj8Z+x+b0
  それじゃあ、ジョン・レノンは 1975年に念願の長男ショーンが生まれて「ハウス・ハズバンド」として音楽活動は中止していた。
  だけども、5年ぶりで復活して これから宣伝活動 いろいろ精力的にこなそうという所だったわけです。
  それじゃあ「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」のアルバムの中から、ショーンに捧げたこのナンバー・・・
  
  〜 John Lennon / Beautiful Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Lt3IOdDE5iA

  (小林)ジョンが 息子ショーンに捧げた曲、ね。Beautiful Boy
  ショーンが5歳。
  僕は12時って言ったかもわかりませんけども、正確には22時50分、10時50分に帰って来くるわけですよね。
  それで そこで撃たれて、11時7分ジョンは亡くなった、ということなんですけども。
  ほんとだったら、食事をして帰ろうか っていう話しもあったらしいんだけども。
  5歳のショーンに早く会いたいから、っていうことで帰路を急いだっていうことですね。
  そのショーンも、もう中年に差し掛かっておりまして。
  こないだあれですね、お母さんんが80歳なんですよね、今ね。来年で81になるんですけども。
  そのお母さんのアルバムをプロデュースしていますね。
  今 ニューヨークのダンスチャートに「Bad Dancer」ていうオノ・ヨーコの歌った・・・
  オノ・ヨーコの場合はw ビルボードで10曲ダンスチャート1位の曲を持ってますからね。
  「Bad Dancer」をショーンはプロデュースしております。
  母子とも元気です。
□ストーリー
 ・ジョンとシンシアの1950年代終盤のリバプールでの恋物語。今週も続けてみよう。
  ロックンロールに強い影響を受け当時の典型的なバッドボーイファッションに身を固めるジョン・レノン。
  方や質素ではあったが厳しく躾けられて育ったシンシア・パウエル。
  二人はあまりに対照的なカップルであったため,アートカレッジの仲間からは「どうせ長くは続かないだろう」と噂されていた。
  しかし心底寂しがり屋で甘えん坊のジョンに対し、シンシアの母性本能は100%全開、二人はいつも寄り添うようにしていた。
  さらにジョンは異常なまでの嫉妬深い男でもあった。
  ダンスパーティの際に 誰か見知らぬ男がシンシアにダンスを申し込んだりしたら最後、ジョンは逆上した。
  ダンスに誘ったその男子学生にジョンは掴みかかった。
  彫刻のコースを専攻していたその学生はジョンよりも20センチは背が高かったので、
  周りはみんな「ああ、これはジョンがコテンパンにやられるぞ」と予測していたが、
  結果その学生は、まったく攻撃にも自己防衛にも出ず 周りの仲間がジョンを押さえ込む始末であった。
  こうなるともうシンシアがジョンをなだめるしかなかった。
  「ジョン。ごめんなさい。もう、ダンスに誘われても踊ったりしないわ。
  いいえ、それだけではなくて、パーティでも男の子と目を合わせたりもしない。約束するわジョン。
  私がダンスをするのはあなただけ。今日はほんとにごめんなさい。」
  ここまでシンシアが自分を曲げて、やっとジョンは納得してくれた。
  「これが18歳の大学生か?」と首をかしげる連中もいたが、事実これがジョン・レノンなのである。
  この異常なまでの愛情の深さと感受性が いずれジョンに数々の名曲を書かせ、
  さらには世界最高のロックパフォーマーに成長させたことは 紛れもない事実であった。
  〜 John Lennon / Jealous Guy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Dfk8UgXZB7w
  
  〜 The Beatles / All My loving
  ttps://www.youtube.com/watch?v=9nr2AopiNBM
 
  (小林)2曲続きました。

  Jealous Guy これは1971年、「イマジン(Imagine)」の中に入っている。
  これは、ジョン・レノンがインドで書いた数曲のうちの一つ だと言われています。

  それから All My loving。
  もちろん、先ほどのお話しによると、病院でジョンが亡くなった時に この曲がかかっていた。
  まあ、この曲かインストゥルメンタルか 判りませんけども。
  
  という2曲をお送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョン。ごめんなさい。もう、ダンスに誘われても踊ったりしないわ。
  いいえ、それだけではなくて、パーティでも男の子と目を合わせたりもしない。約束するわジョン。
  私がダンスをするのはあなただけ。今日はほんとにごめんなさい。」
  ジョンに対しまるで命乞いでもするように謝り続けるのはシンシア・パウエル。
  同じアートカレッジに通う学生であり、お互いに最初のステディな恋人同士であった。
  もちろんシンシアもいくら母性本能が強いタイプであるとはいえ、こういう事が続くとイライラも溜まりまくっていた。
  ダンスパーティ事件が起こる前にも 彼女は一度たりともジョン以外の男子によそ見をしたことは無かった。
  なのにジョンの反応が異常なまでに強く、嫉妬深いものであったがために、どれだけ恥かしい思いをしたことか。
  それは数限りなくあった。
  ジョンとシンシアはまだ十代の学生同士で、経済的にも保護者である親兄弟の世話になっていた。
  もちろん、実家からアートカレッジに通う身分である。
  お互いずっと一緒に居たいと思ってはいても、一晩を共に過ごしたことは無かった。
  行く所が無かったのである。
  ジョンはチャンスさえあれば、学生仲間のスチュアートに部屋を数時間貸してくれるようにたのみ込み、
  シンシアと寸暇を惜しむように二人きりになり、そして愛し合った。
  ジョンはシンシアを怖がらせたり困らせたリした反面、ロマンティックでもあった。
  ある時は愛を唄った詩を紙切れに書いてカレッジで渡してくれた。
  また二人で迎えた初めてのクリスマスには、絵を描いたカードをくれた。
  それはシンシアが新しい毛足の長いコートを着てジョンと向い合せに立ち、二人で顔を寄せ合って
  ジョンがシンシアの腕に手を添えている絵で、そこにはこんなメッセージも書いてあった。
  「僕らの最初のクリスマス。アイラブユー。イエス!、イエス!、イエス!」
  この畳み掛けるような言葉のセンスは、後にビートルズのヒット曲にも反映されるのである。
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jGk1F3T8BFY

  〜 The Beatles / Your Mother Should Know
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WlYxwlYreV4

  (小林)1963年の She Loves You。
  ビートルズにとっては初めてのミリオンセラーですね、She Loves You。

  そして Your Mother Should Know。 
  これは「マジカルミステリーツアー(Magical Mystery Tour)」
  1967年のアルバムの中からお送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「僕らの最初のクリスマス。アイラブユー。イエス!、イエス!、イエス!」
  これはジョンがシンシアのために初めて書いたクリスマスカードに添えられたメッセージ。
  そしてそのカードの裏側にはこう書いてあった。
  「このクリスマスが二人で過ごすラストクリスマスになりませんように」
  シンシアはこのカードをとても大切な宝物としてベッドルームの一番良く見える場所に飾った。
  シンシアはもうすっかりジョンに夢中で、時間の許す限りいつも一緒にいたいと思った。
  それでもジョンは気楽な人間ではなく 心の休まる関係でもなかった。
  彼にはどこか危険な空気が漂っていて、それが恐ろしく思えることがあった。
  酷く怒られたり罵(ののし)られたりして、シンシアは心に大きな傷を負うことも珍しくなかった。
  それでも彼女の心は変わらなかった。
  いや、変わらなかったばかりか、それまで以上に強くジョンを愛し、他の誰よりもジョンの人格とキャラクターを肯定し支えるようになっていたのである。
  そして付き合い始めて数ヶ月が過ぎた頃、ジョンはシンシアを自分の育ての親であるミミ伯母さんに会わせるために家に連れて行くことになった。
  そこはリバプールのウールトンでも裕福な家族が住む地域で、メンローブアベニューにある素敵な家であった。
  一時期、隣にはリバプールの市長さん家族が住んでいた、と言えば どれくらいの高級住宅地かわかるだろう。
  ジョンはシンシアのことを「育ちのよろしいお嬢様」と言ってからかっていたが、
  実際の所シンシアよりもジョンの方が「はるかに裕福な家庭で育った」と言うべきであった。
  河の反対側にあるホイレーク地区にある彼女の家はジョンの家と同じタウンハウススタイルの2階建てだったが、その床面積では半分しかなかった。
  そして家のことより重要だったのは、ミミ伯母さんに初めてお会いするということ。
  シンシアの心拍数は2倍にまで跳ね上がったのである。
  〜 The Beatles / Revolution
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tH9zG28GQEg
 
  (小林)1968年、あの大ヒット「ヘイジュード(Hey Jude)」のB面ですね。
  これも、でもいい。
  あの頃は交代にしていたみたいですね。
  A面ポールがやったら 次はA面ジョン、みたいにね。
  A面がポールの「ヘイジュード」
  そしてB面がこのジョンの Revolution!
□リクエスト
  (小林)
  メールのアドレスは [email protected]
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  (福岡県小郡市/男性)
  スマートフォンアプリで、         (小林)番組を聴いているんだ。
  11月15日ポール・マッカートニーをヤフオクドームで観てきました。
  とても良かったです。予想以上に素晴らしかったです。
  ポールの年齢の事を考えると 信じられません。
  高い声やシャウトがしっかり出ていました。本当にビックリしました。
  2回のアンコールを含めて 2時間以上歌い続けていました。すごいです。
  客層は年配の方が多いと予想したんですが、若い20代の方も多かったです。
  小学生ぐらいの子供さんも ご両親といっしょに観に来ていました。
  こんなに幅広い年齢のお客さんをドームにたくさん集められるアーティストはポールしか無いだろうなあ、と思いました。
  リクエストはコンサートでもやってくれた Day Tripper ですね。
  
  (小林)そうですね。
  あのね だけどね、ポールはねえ、キーが高くてねえ、声が出やすいタイプなんですよ。
  だからね、あれはねえ普通だったらね、普通の70歳の人だったら大したことないって。
  みんな そんなんでビックリすると ちょっと田舎っぽい感じになるんで・・・
  声を出すのが苦しい人もいるんですよ。例えばジョー・コッカー(Joe Cocker)みたいに もう声が出なくなってる人もいるんです。
  ポールの場合は、90歳ぐらいになったって、あの声 あれに近い声が絶対出てるハズですからね。
  心配しないでくださいね。
  行きますよ! Day Tripper!

  〜 The Beatles / Day Tripper
  ttps://www.youtube.com/watch?v=DVTh-zaGhNI
  〜 Paul McCartney / No More Lonely Nights
  ttps://www.youtube.com/watch?v=BxYpsB_jdH8(PV)

  (小林)いやあ、これはねえ、この曲は美しいという感じですけれども。
  終わり方が余韻を残しますよねえ。ええ。
  やっぱり、アレンジけっこう考えてるわけですね。

  これはちょっと前にいただきました。
  (神奈川県川崎市/女性)
  いつもお風呂に入りながら 楽しく聴いています。
  今週いよいよポールの来日公演。もう期待でワクワク。
  私はポールのきれいな声が好きなんですが、特にその良さが顕われてるなあと思うのは No More Lonely Nights の出だし部分です。
  つい、いつも聴き惚れてしまいます。
  ライブでやるかどうか わかりませんが、改めて聴きたいので。
  (小林)
  ありがとうございます。
  (千葉県山武郡/女性)
  こんばんは、初メールです。
  ジョンとシンシアの恋物語、すごく興味深いです。
  毎週楽しみに聴かせていただいております。
  高校一年の時の 初恋の人が好きな曲です。

  (小林)うわあ。
  年齢がここに書いてあるんですが、高校一年の時から、もう40年経ってますねw。ハイ。
  いや いや いやw、人のこと言わない方がいいw。ハイ。
  高校一年の時の初恋の人も好きだった(あなた)、リクエストありがとうございます。
   
  〜 The Beatles / Yellow Submarine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=nkhTA6MQ3BQ
  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dP00_y95fNc

  (小林)While My Guitar Gently Weeps これはアコースティックバージョンですけど。
  
  (横浜市/男性)
  哲学的な詩に 美しいメロディーを載せた逸品、加えてクラプトンのギターがうなります。
                                    (小林)これは オリジナルのやつですよね。
  「アンソロジー(Anthology)」で発売された「アンプラグド(Unplugged)」や、「ラブ(Love)」でジョージ・マーティンがアレンジしたストリングス追加も良いです。
  今回はあえて「アンプラグド」をお願いします。

  (小林)ということで
  アコースティック「アンプラグド」のバージョンをお送りしました。

  これは、実はですね、この(横浜市/男性)と全く同じ年配の方ですが。
  (大田区/男性)
  こんばんは、いつも家族全員で楽しく聴かせていただいてます。
  今日は、今年94歳になり まだまだ元気な母の大好きなジョージの While My Guitar Gently Weepsをお願いします。
  28歳の娘も「ジョージの曲の中で一番好きだ」と言っております。
  大正生まれの老人から20代の若者まで大好きだ なんてビートルズはやっぱり別格ですね。
  (小林)そうですねえ。
  はい、おかけしました。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがですか?

  たくさんの方がね、ジョン・レノンとシンシアの恋物語に心が惹かれています。
  まあ、ジョンがああいう男です。
  で、シンシアはねえ、ちょっと なんか大人しい感じの女性でしょう。
  ジョンはもうヤキモチ焼きで そのくせ甘えん坊で、みたいな。
  もう男のワガママを絵に描いたような感じ。
  で、荒れるとどうなるか分からない ちょっと危ない面も持っている。
  それをシンシア・・・。
  やっぱり、男と女があまりにも違うから、あれでしょうね、思わず「だいじょぶかな、だいじょぶかなあ?」なんて思うんでしょうね。
  このラブストーリー、結末は判ってるラブストーリーなんですけどね。
  「ああ、そんなこともあったのか」なんて思って聴いていただいております。
  でも、実はオノ・ヨーコもインタビューで言ってましたけど、ジョン・レノンの家というのは ちょっと良いんですよね。
  何と言うんですかねえ、イギリスっていうのはほんとにうるさい所で、日本なんかよりもっとうるさい感じがあるんですけど。
  階級がどうのこうの って言うんですが。
  ジョンはちょっと良いとこの出だ っていうのが、このところ分かってます。
  
  それからみなさん、リクエスト。
  毎週ほんとに楽しいリクエストありがとうございます。待っております。
  年齢もですね、中学生から60代まで、幅広いです。
  よろしくお願いします。
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてプレゼントしております。よろしく。
  メールアドレスは 
  [email protected]
  こちらで待っています。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年12月15日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月15日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  オノ・ヨーコの独特の 彼女が得意とするコンセプトワーク。
  つまり、ある考えをコンセプトをキャンペーンするわけですね。
  コンセプトを宣伝する。
  まあこれは、お金がちょっと余ってるからw っていうところもwあると思いますが。
  お金かかるわけですよ。
  彼女はですね、「戦争は終わった」「War is over」というキャンペーンを始めます。
  もちろんジョンとヨーコ二人です。
  で、ポスターや看板が 世界12の大都市、まあ東京、ニューヨーク、ロンドンは入っております。もちろん。
  12の都市でそれを繰り広げるわけですよ。
  「War is over」「戦争は終わった」By ジョン&ヨーコ。これが始まっています。
  これが44年前の今日始まっています。

  で、その他チャリティなんですけども、
  ロンドンのライシアムという劇場で、ユニセフに寄付を募るための
  「ピース ・フォー・クリスマス」というチャリティコンサートがあって。
  ジョンはプラスティック・オノ・スーパーグループ、プラスティック・オノ・バンドじゃなくて。
  まあ、これにはジョージ・ハリスンだとかですね、
  キース・ムーン(Keith Moon)、フー(THE WHO)のドラムスのキース・ムーン、デラニー&ボニー(Delaney & Bonnie)
  ジョージ・ハリスンが、けっこうアメリカを旅する時にお世話になったりする デラニー&ボニー。
  それから、いろんなミュージシャンが。
  でも、25分しかやらなかったんだね、他のいろんな人が出たからね。
  で、これはクリスマスのイベントにもかかわらず、けっこう前衛的で、いかにもジョンとヨーコらしい前衛的なものであった。
  「Sometime in New York City」とか、あの頃のつまり1969年に出来ていたようなものをやっていた、発表したんだと思いますけども。
  それでは、その時、今から44年前の今日の録音で。
  だから44年前の今日の録音で 聴いていただきたいと思います。
  これは普通のバージョンと違います。
  なにしろヨーコがフューチャーされてますから、だいぶ。
  ジョン・レノン&オノ・ヨーコ コールド・ターキー。
    
  〜 John Lennon & Yoko Ono / Cold Turkey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=o5feKtdy5eI

  (小林)これは、この番組でもちょくちょくかかる有名な曲ですが、
  44年前 ロンドンのライシアム劇場で チャリティライブ。
  ジョン・レノンのプラスティック・オノ・スーパーグループ、これがジョン・レノンのイギリスでの最後のパフォーマンスになります。
  これは延々、延々8分以上いくんです。でも、ここらへんで絞らせてください。
  
  (参考写真)ttp://www.geocities.jp/abotam62/_gl_images_/1969_War_is_Over_1.jpg
□ストーリー
 ・リバプールのアートカレッジで知り合いステディな関係になったジョン・レノンとシンシア・パウエル。
  それはもう熱愛カップルとして有名であった。
  そんな中ジョンはシンシアを自分の育ての親であるミミ伯母さんに会わせるために家に連れて行くことになった。
  そこはリバプールのウールトンでも裕福な地域で、メンローブアベニューにある素敵な家であった。
  一時期 隣にはリバプールの市長さん家族が住んでいたと言えば、その高給さの度合いはわかるだろう。
  ジョンは日ごろからシンシアのことを「箱入り娘のお嬢様」と言ってからかっていたが、それはとんでもない勘違いであった。
  ジョンの家の方がその床面積においても2倍、明らかに良い暮らしぶりである。
  そして家のことより重要だったのは、ミミ伯母さんに初めてお会いするということ。
  シンシアの心拍数は2倍くらいに跳ね上がった。
  なんせミミ伯母さんはジョンを育てた人。
  なんとか自分を気に入ってもらわないといけない。
  この日シンシアは一番上等で品が良く見えるスカートとセーターで身支度を整え、これ以上ないくらい行儀よく振る舞おうと気を配った。
  ミミ伯母さんは極めて印象的な女性だった。
  背が高いとかそういうことではなく、その存在感という点で印象的だったのである。
  ジョンの一族の特徴で ミミ伯母さんも骨格がしっかりとして痩せ形であった。
  家に到着するとミミ伯母さんはシンシアに微笑みかけて 彼女とジョンをキッチンの隣のダイニングに招き入れてくれた。
  シンシアは即座に思った。
  「このミミ伯母さんという人は、何ごとにも抜かりが無いタイプだわ。
  間違いなく私のことをしっかり じっくりと観察している。
  ああ、どうしよう。私がドンくさいことバレてないかな。」
  さらに胸が高鳴るシンシアであった。
  〜 John Lennon / Woman Is the Nigger of the World
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Asf4InKVo8k

  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MG-ia0NV8Ts  

  (小林)2続いています。有名な曲ですが、両方とも。

  でも、ソロの時の1972年の「Sometime in New York City」のアルバムから Woman Is the Nigger of the World という曲。
  日本語のタイトルは「女は世界の奴隷か?」という、たしかそんな感じのタイトルでしたね。
  
  それから Norwegian Wood、これは「ラバーソウル(Rubber Soul)」に入っている曲であります。
□ストーリー(続き)
 ・「このミミ伯母さんという人は 何ごとにも抜かりの無いタイプだわ。
  間違いなく私のことをしっかりじっくりと観察している。
  ああ、どうしよう。私がドンくさいことバレてないかな。」
  この経験したことのない緊張感に胸を高鳴らせているのはシンシア・パウエル。
  リバプール・アートオブカレッジに通う19歳の女子大生で同級生であるジョン・レノンとはステディな関係、つまり恋人であった。
  この日はジョンの育ての親であるミミ伯母さんと初めてお会いする日で、家にお邪魔していたのである。
  簡単な挨拶とおしゃべりが済むとミミ伯母さんはリバプールでは一般的なメニューである玉子料理とフライドポテト、それに山盛りのバタートースト
  そして特大のポットにいっぱいの紅茶を振るまってくれた。
  そしてその食事の間も伯母さんはシンシアに対していろいろな質問をしてくるのである。
  その眼差しは どこか冷淡でありシンシアはとても心配であった。
  ようやく食事が終わって ジョンがバス停まで送ってくれた時には心底ホッとした。
  シンシアはジョンに尋ねた。
  「伯母さんは私を気に入ってくれたと思う?」
  「もちろんだよ」とジョンは言ってくれた。
  「でもねえ、そんなこと心配しなくていいよ。
  だって僕はシンシアが好きなんだから。
  伯母さんだって気に入るに決まってるさ」
  シンシアはその点については ジョンは間違っていると思った。
  ミミ伯母さんは自分を気には入ってくれなかったことが良く分かっていた。
  ただ後になって分かったことであるが、伯母さんが彼女を気に入らなかった理由は彼女の人格にあったのではない。
  彼女にとっては自分の大切な大切なジョンには 世界中のどんな女の子でも役不足であり不満なのである。
  その振る舞いも高貴でリバプール訛りのカケラも無い話し方をするミミと、それに反発するかのように労働者階級の訛りを身に着けたジョン。
  他人には分からない特別な関係にある二人であった。
241ホワイトアルバムさん:2013/12/19(木) 13:03:33.32 ID:???0
役不足? この場合は 力不足かな
□ストーリー(続き)
 ・シンシアはジョンに尋ねた。
  「伯母さんは私を気に入ってくれたと思う?」
  「もちろんだよ」とジョンは言ってくれた。
  「でもねえ、そんなこと心配しなくていいよ。だって僕はシンシアが好きなんだから。
  伯母さんだって気に入るに決まってるさ」
  恋人同士になって数ヶ月、ジョンの家に招待され 育ての親のであるミミ伯母さんに会った。
  沢山の食事を用意してくれてはいたが、その笑顔とは裏腹に伯母さんの目は最後まで笑っていないことにシンシアは気付いていた。
  彼女にとっては世界中のどんな女の子でも ジョンのパートナーとしては役不足なのである。
  それだけミミはジョンを溺愛していた。
  そしてシンシアが感じたもう一つの事実、それはミミが最初から階級制度に強くこだわっている人物であるということ。
  彼女は中産階級でありながら上流階級志向のある人で、その口癖が「庶民の云々(うんぬん)」である。
  そういうことから明らかであった。
  ミミ伯母さんはジョンやその友人を非難する際にこの「庶民はねえ」という言葉をよく使った。
  もちろんシンシアの家柄もいちおうは中産階級であったが、上昇志向にはこだわっていないという点でジョンの家とは大きく違っていた。
  これに対してジョンがシンシアの母親に会いに行った時には もっと上手く行った。
  正直なところ、シンシアの母親はジョンが自分の娘にふさわしい好青年とは言えないということは 初対面でもよく分かっていた。
  しかし彼女が自分の娘が好きになった青年として、ジョンを理解しようと歩み寄ってくれた結果、その関係は上手く行ったのである。
  ジョンの方もそのことを理解し、シンシアの母親に対しては礼儀正しく敬意を表し いつも親密な関係を保とうと努力した。
  1950年代末、イングランド北西部の街リバプールで、ジョンとシンシアの恋の物語はまだまだ続くのであった。
>>240 の次ぎ

  〜 The Beatles / Maggie May
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zdrVwZ1JKFw

  〜 The Beatles / Dig A Pony
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6Vf9qbAMEvM

  (小林)ビートルズの Dig A Pony。これは「アンソロジー(Anthology)3」に入っていて。
  これは「アップルスタジオでのセッション」とあるんですが
  これは結局「屋上でやったライブのリハーサルではないか」と言われています。
  Dig A Pony「アンソロジー3」に入っています。
  
  そして 時々こんなことをやるんですけど、1970年の「Let It Be」の中に入っている
  Maggie May という40秒程度の曲w。
  お送りしました。
>>242の次ぎ

  〜 The Beatles / In My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_tU08VO466s
 
  (小林)というわけで、ジョンとシンシアの恋の物語はまだ続く、という後にふさわしい曲で。
  「僕の人生でいろんな所でいろんな人に会ったけど、みんなアイラブユーだ」って「みんな愛してる」っていう風な。
  ジョンのすばらしいメッセージの曲ですね。
  In My Life ビートルズ。
245ホワイトアルバムさん:2013/12/20(金) 20:41:38.14 ID:???0
次ぎ?
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送らせてもらっております。
  メールアドレスは [email protected]

  (江戸川区/女性)
  先日 克也さんのアルフィーがゲストのスタジオ観に行きました。
  順番なので最後の8分しか観れませんでしたが、4人を観てほのぼのしました。(小林)w
  リクエストは 私が一番アルフィーで元気が出る曲で、桜井さんも元気が出る曲と筆頭に上げていたので これをリクエストします。
                       (小林)ていう。希望が鐘の鳴る朝に ですね。
  メンバーはビートルズファンで、桜井さんのバンドに坂崎さんが誘われて加入したことは、
  ジョンのバンドのメンバーがポールを誘ったエピソードに似てると思うんですが。
  (小林)
  リクエストありがとうございます。アルフィーです。

  〜 THE ALFEE / 希望が鐘の鳴る朝に
  ttp://www.pideo.net/video/youku/fbcdc4f1a51b2575/
  〜 Shocking Blue / Venus
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2a5AICDKs7g

  (小林)これは いきなりかかりましたね。むかーしの一発ヒットだったんですよね、これね。  

  (浦安市/女性)
  ジョンとシンシアのお話し良いですね。
  まるで自分がシンシアになったかのように胸がキュンキュンしちゃいます。
  これからもワクワク ドキドキ キュンキュンでよろしくお願いします。
  ぜんぜん違うんですが、ショッキング・ブルーのビーナス。

  (小林)
  これはオランダのグループでね、
  英語で歌われていますけど、この人たち全員 英語はダメだった っていうことを聞きましたね。
  ただ、女の子は日本でいう「カタカナで歌ったんだ」ていう話しを・・・。
  あとは、あれですね 宮沢リエのお父さんがメンバーだった説だとかね、いろいろありますが。
  まあ、ほんとかもわからないw わからないですよねw。
  (千葉市花見川区/女性)
  克也さんスタッフのみなさん、こんにちは。
  子育てもやっと一段落してきた40代主婦です。
  普段 20年近くラジオは聴いていませんでした。
  この番組が いまだに継続して放送されていることを知り、感動して少し前からまた聴き始めました。
  ちょうど今、日本はポール旋風が吹き荒れていますね。私はもう楽しみにしております。
  さて、少し前MTVを見ていたんですが、そこに出ていたアイルランドのバンド=ストライプス(The Strypes)にやられてしまいました。
  平均16歳というのも すごいんですが、なにしろ曲がカッコいい。
  今どきこんな音楽をやっている若い子がいるなんて、驚きました。
  エルトン・ジョンが惚れ込んだのも頷(うなず)けます。
  彼らの「ブルーカラージェーン(Blue Collar Jane)」をお願いします。
  どちらかと言うとビートルズよりはストーンズに近い気はしますが
  よろしくお願いします。
  克也さん 知っていたら教えてください。彼らって学校行ってるんでしょうか?。

  (小林)ていう
  僕も知らないですね。
  ただ僕は むかし「ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック(New Kids On The Block)」ていうねw、若いグループがいて、学校は大丈夫なの?って訊いたことがあるんですけどw
  みんな同じようなことを思うんですね。
  その頃「ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック」は学校なんか行ってなかった、みたいですけど。
  さあ それじゃあ あなたのリクエストです、ストライプス!
  
  〜 The Strypes / Blue Collar Jane
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gZb8nEemK2k
  〜 The Beatles / She's Leaving Home
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-lG3nXyI41M
  
  (千葉市花見川区/女性)
  こんばんは。ビートルズを聴くようになって3年目になる中学2年の女子です。
                       (小林)ということは、小学校の6年ぐらいから聴き始めたわけですね。
  わたしはビートルズを初めて知ったのは、車の中で流れていたこのラジオでした。
  それからビートルズが好きになり、今では毎日のようにCDを聴いています。
  中でも私は「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」が一番好きなアルバムです。
  あのビートルズにしか奏でられない不思議な世界観に惹かれました。
  このアルバムはどの曲も好きですが、私は「She's Leaving Home」の透きとおるようなメロディと歌詞が好きなのでこの曲をお願いします。

  (小林)
  あなたの年ごろの女の子がw出て来る歌ですwよね。
  それを両親が聴いているというw、ねえ。どうですかこれはw。ねえ。

  ストライプスの Blue Collar Jane に続いて これがかかったわけですが。
  まあ、ストライプスはあなたと同じくらい ですかね、世代が、ちょっと年上?
  だけど、こっちの方に惹かれるんですね。はい。
  リクエストありがとうございました。
  ビートルズの「サージェント・ペパー」のアルバムから She's Leaving Home。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか。
  
  最後の中学生のリクエスト、
  「サージェント・ペッパー」が好きっていうの、わかりますよ。
  「サージェント・ペッパー」はね、いろんな曲が入ってるんだよね。  
  ぶっ飛んでるやつとか、ロックっぽいやつだとか、
  それからイギリスの昔の音楽寄席で鳴るような 古ーい感じの曲だとか。
  それが あのアルバムの特徴なんですよ。
  こないだね、「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」という、イギリスの一番有名なロック系の週刊新聞なんですが。
  「ビートルズの中で一番のアルバムは『リボルバー(Revolver)』だ」としていましたね。
  イギリスの歴史で「リボルバー」がベスト5に入ってましたね。
  ビートルズのアルバムは1枚しか入ってませんでしたけど。

  やっぱりビートルズって、こう、深いし幅広いから、いろんな人が入れるって良さがありますね。
  こうやってリクエストなんか見てると、ほんとにいろんな方が それぞれの世界をぶつけてきてくれて、ありがたいです。

  リクエスト よろしくお願いします。
  イシイのミートボールなどセットにして採用の方にはプレゼントしています。
  メールは
  [email protected]
  です。
  
  けっこう自分をね、思いっきり出すようなリクエスト、よろしくお願いしますね。
  ビートルズに限ることはないです。
  ビートルズから始まったわけですからね。
  小林克也 待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年12月22日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月22日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  日本にやって来た年。
  ビートルズは日本にやって来ますけど、そのあと大々的なアメリカツアーがあって。
  そしてビートルズは もうコンサートを辞めるんです。
  で、スタジオに籠(こも)るようになるわけですよね。
  自分たちの音楽を作るため スタジオに籠るようになるんですが。

  ビートルズから始まる、まあ、ビートルズがいろんなことを始めましたけども。
  おそらく、ビートルズが始めたと思われてることは 実はその前からいろいろやられてることがあるわけですよね。多いわけです。
  でも、「これだけはビートルズから始まったんじゃないか」と思われることが47年前の今日、あのEMIの第二スタジオで起きています。

  それは何かと言うと、ジョン・レノンの「Strawberry Fields Forever」これをですね、いつも通りビートルズのグループとしてのアレンジでシンプルに録音します。
  で、「ちょっと変化を加えよう」ということで ストリングスを入れて、これはジョージ・マーティンのアレンジのバージョンを録音するんですね。
  すると、その二つのバージョンを聴いたジョンが「最初の普通にやったやつと、ストリングスのやつを繋ぎ合わせたい」と主張します。
  ジョージ・マーティンは「キーもテンポも違うものを合わせるなんて無理だ」
  これは当たり前です。キーが違うわけですから、途中からね キーが変わったりとか。
  「これは根本的に無理じゃないか」とジョージ・マーティンは言うんです。
  それに対して ジョンはひと言「君なら 出来るよ」と言い残し スタジオを出て行きますw。
  そのあとです。ジョージ・マーティンとジェフ・エメリック、ミキサーですけども、いろいろ苦労して。
  奇跡的なことに、テンポの遅い方がキーも少し低かったために、テープレコーダーのスピードを何度も何度も微調整し、編集が完成しています。
  これはもう、スピードを上げたり出したり、今のアナログじゃないですから、もうみんな手動で。
  それも 微妙に、まあ若い人は6ミリが テープレコーダーが回るのをね スピードがいろいろあるとか、そういうことが分かんないと思いますけどw。
  想像してください。
  速いとキーが上がったりするわけで、テンポも上がったりするわけです。
  それをビミョーに調整しながら 編集して、モノバージョンを編集し終わった、繋ぎ終わった、日なんですよ。
  47年前の今日が。

  じゃあ 改めて これを聴いてみますか?どこらへん?なんだっけ? 始まって1分ぐらいの所が なんか味噌らしいんですよ。
  そこら辺が重要らしいんで、これから Strawberry Fields Forever をかけますから、1分ぐらいの所、特に注意して聴いてみてね。
  行きます。  
  
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rdIeSHYin88

  (小林)いかがですか? すっかりお馴染みの Strawberry Fields Forever
  今日は 聴き方が、ちょっといつもと違ったと思いますよw
  1分後ぐらいの所で、判りましたか? 
  おそらく「判ったような気がする」っていうのが ほんとじゃない。
  上手くやってるから。
  ただ、なんて言うのかねえ、こういうのってのは 耳で聴くっていうか、気で聴くwというかねえw。
  例えばね、ジョン・レノンの声だけを ジ〜ッと聴くっていう方法もあるんですよね。
  そうするとねえ、ちょっと歌い方とか、回転を速めたリした所の歌い方とは違ってますからねえ。
  そういう聴き方で 何回も何回も入り込んでくださいw。 
  はい。
□ストーリー
 ・1950年代末期、リバプールのアートカレッジで知り合いステディな関係になったジョン・レノンとシンシア・パウエル。
  二人はいつも一緒の有名な熱愛カップルであった。
  ジョンはシンシアを自分の育ての親であるミミ伯母さんに紹介し、一方シンシアはジョンを自宅に招き母親に会わせた。
  そうしているうち、シンシアの母親は「ミミ伯母さんに自分もお会いしたい」と言い出し、自宅に「ジョンと伯母さんを招待してはどうか」と提案した。
  これにはジョンも賛成し、その日がやってきた。
  ジョンとミミ伯母さんがシンシアの家に招待された日。
  シンシアの母親は少しでも良いところを見せようとはりきって 取って置きのお客様用の陶磁器を出し、サンドウィッチとケーキを振る舞った。
  出だしは上々だった。
  ミミ伯母さんもシンシアの母親も お互いを敬い 礼儀正しく4人揃ってテーブルに着きながら。 
  ジョンとシンシアは「上手く行きそうだね」と目配せをしホッとした気持ちになっていた。
  ところが それもつかの間、ミミ伯母さんがこう発言した。
  「こちらのお嬢さんと交際を始めてから、うちのジョンはすっかり学業を疎(おろそ)かにするようになったんです」
  するとシンシアの母親はこう反論した。
  「まあ、それは心外です。そちらのお坊ちゃまは元から勉強がお好きではないと伺っておりましたが?」
  こうなると あっという間に二人は口論になった。
  ミミ伯母さんはシンシアの母親に向かって、シンシアがジョンにとって良くない存在であることをまくし立てると
  逆上したシンシアの母親は「不良少年であるジョンに自分の娘のような純真な彼女が出来たことを有り難いと思うべきである」と主張。
  これはもう修羅場であった。
  ジョンもシンシアもあっけにとられて黙って見ていた。
  と、次の瞬間、ジョンは席を立って家から飛び出してしまったのである。
  〜 The Beatles / Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SCE0z4V3USQ

  〜 The Beatles / I'm a Loser
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qmxg0JnQX8U
 
  (小林)ということで いかがでしたか?

  Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey ちょっと長いタイトルですよね。
  「誰もEverybody's Got Something To Hide 隠したがるものがある、僕と僕のお猿さんは別だけど」ていう曲。
  
  で、その次は I'm a Loser
  68年そしてそれぞれ64年 2曲お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「うちの娘がそちらの甥子さんに悪影響を与えているとおっしゃいましたが、それは大きな間違いです。
  娘は真面目で純真でとても良い子です。むしろそういう娘が交際してあげていることを そちら様は感謝すべきではないでしょうか?」
  ジョンの育ての親であるミミ伯母さんをシンシアが自宅に招いた結果、どうしたことかシンシアの母親とミミ伯母さんは激しい口論となってしまった。
  これはもう修羅場である。
  ジョンもシンシアもあっけにとられて茫然(ぼうぜん)と見ていた。
  と、次の瞬間ジョンは席を立って家から飛び出してしまったのである。
  もちろんシンシアはすぐ後を追った。
  通りを全力で走ってジョンに追いつくと、彼は泣いていた。
  「ジョン、大丈夫よ。何も心配はいらないから」
  シンシアが何とかジョンをなだめると、二人はシンシアの家に戻った。
  部屋に入ってみるとミミ伯母さんとシンシアの母親は 冷ややかな停戦状態にあった。
  ジョン・レノンという人物は 争いごとや対立というものに耐えられなかった。
  彼はそういう状況になると 必ず逃げるのである。
  普段のジョンの攻撃的な態度からすると意外なことではあるが、実際に彼が敵対的になるのはアルコールが入ってる時だけ。
  人の心を傷つけたリ 激しく罵(ののし)ったりすることがあっても、
  それはほとんどの場合 目の前の争いごとを避けるためにジョンなりに苦心した上でのことだったのである。
  この事件の結果、シンシアの母親とミミ伯母さんは、生涯にたった二回しか顔を合わせることは無かった。
  その一回目が口論となったお茶会の時。
  その後、ジョンとシンシアは この二人とは必ず別々に会うこととなった。
  ミミ伯母さんもシンシアの母親も心の奥底では ジョンとシンシアの交際を良いとは思っていなかったが、
  表面的には上手くやっていた、と思われる。
  それよりも ジョンとシンシアは、さらに熱愛状態に入って行くのであった。
  〜 John Lennon / Number 9 Dream
  ttps://www.youtube.com/watch?v=nq2aaUp3hYc

  〜 The Beatles / This Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=O_vqE2hBWkg

  (小林)ちょっと有名な曲が2曲続きました。
 
  ジョン・レノンのソロですね。70年代に入ってね、1974年の「Walls And Bridges」の中に入っていました。
  中ヒットです。ジョンの世界が100% くり広げられています。Number 9 Dream

  そして This Boy、これは「I Wanna Hold Your Hand」のB面ということで。
  ビートルズの初期の物、このバラードは かなりね 1950年代風の空気を伝えているんですけども。
  サビあたりに来ると やはりビートルズの独特の世界になっていますよね。 This Boy。
□ストーリー(続き)
 ・1958年から59年にかけての ジョンとシンシアの恋の物語。
  舞台となるのはロンドンから北西に数百キロにある場所リバプールである。
  ジョンの育ての親であるミミ伯母さんとシンシアの母親は 初対面で陰険な関係になった。
  一方ジョンはシンシアの兄弟のことが好きであった。
  シンシアの上のお兄さんであるチャールズは、家に帰っていた時ジョンにお金が無い事を知って ジョンに大量の洋服をお下がりとして差し出した。
  これにジョンはとても喜んだ。
  さらにその下のお兄さんであるトニーが、マージョリーと言う女性と結婚式を挙げた時、
  ジョンはダークスーツにシャツ それにおしゃれなネクタイを締め、髪をなでつけ、さらには黒縁のメガネまでして、すっかり立派な大人スタイルで現われた。
  結婚式などという社会的な慣習を嫌っていたジョンではあったが、この時ばかりはシンシアのために一肌脱いでくれたのである。
  二人の交際が始まって最初のうち、シンシアは ジョンの皮肉なものの見方、ブラックユーモア、意味のない攻撃、さらには強い独占欲など、
  特別な性格に圧倒され 付いて行けないこともあった。
  この時点でジョンは、数ヶ月前に実の母親を不慮の事故で亡くしていたことをシンシアには教えていなかった。
  それ以上に 自分の事はほとんど話すことも無かったのである。
  この時点で、父親を亡くしているシンシアは 親を亡くしたことが自分たち二人の共通点の一つであり強く結び付けている大きな要因であると考えていた。
  しかし、明らかに違う部分もあった。
  それは、シンシアは父親の死を「仕方のない事」と受け容れていたのに対し、
  ジョンはまだ 母親ジュリアンが交通事故に遭ったことに対し怒りを感じていた。
  母親の死、とりわけ交通事故という その無意味な死に方に対するジョンの痛恨な怒りが、彼の攻撃的な性格となって顕われていたのである。
  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  https://www.youtube.com/watch?v=d9h0oSeFZCA

  (小林)「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」から ジョン・レノンらしい作品。 Hey Bulldog
□リクエスト
  (小林)
  ちょっと時差があるんですけどもね。
  ポールのコンサート行って「すごかったあ」っていうお便りが とても多かったです。
  メールの宛て先は [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしてますからね。

  (東京都文京区/男性)ダンス教師
  リクエストしたいのは、オノ・ヨーコと共演したことのある数少ない日本人アーティストの一人=佐野元春の新曲です。
  タイトルは「みんなの願いかなう日まで」
  アイチューンストアでは初登場1位になったらしく、実はクリスマスソングです。
  恋愛ものではないクリスマスソングですが、ぜひ。
  (小林)ていうことで
  じゃあ まあ、クリスマスの雰囲気いっぱいなんで、これはそれにふさわしいリクエスト。
  新曲です。歌詞も要チェック!。

  〜 佐野元春 / みんなの願いかなう日まで
  ttps://www.youtube.com/watch?v=RCR6nxeEKCU
  〜 Paul McCartney / Yesterday(1976live)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-m0w1u56tyg

  (小林)佐野元春から ポール・マッカートニーのライブで。
  これは76年の「Wings Over America」この中から。
  ポールの声 若かったねえw

  (千葉市花見川区/男性)
  克也さん今日は。今ポールの東京公演の帰りの電車の中でこのリクエストを書いています。
  泣けましたぁ。もう二度と生で聴くことは無いと思っていましたポールの歌声を 再び聴くことが出来て。
  ただただ 感無量です。
  当時からのファンの他にも 若い新しいファンがたくさんいることに、改めてビートルズの偉大さを感じました。
  ポールもだいぶ歳を取ったように思います。
  自分も歳を取るはずです。しかし71歳でありながら あのパワフルなパフォーマンスは感動です。
  またいつか ポールの生の歌声を聴きたいですねえ。
  リクエストは 今日は聴きながら涙が止まらなかった Yesterday を、ポールのライブバージョンでお願いします。
  ポールありがとう。

  (小林)
  これもう、電車の中で書いてるから なのかなあ、感動が続いているのか どうか知り(ませんけど)。
  名前とか住所書いてなかったんですが。
  もし、聴いてらっしゃったらね、知らせてくださいね。イシイ食品から素晴らしいものが送られます。
  まあ昔の、これメールですから あれですけど。
  昔の手紙だったら あれだよねw、濡れた跡が見えるような 文面ですね。ありがとう。
  (千葉市若葉区/男性)
  19日のポールのコンサート行きました。とても感動しました。
  自分が初めてビートルズのアルバムを買ったのは赤盤青盤のレコードです。
  それ以来のファンです。
  ポールはやっぱりすごい。
  生きている間 自分が観れるとは思えませんでした。
  克也さん これからもがんばってください。
  リクエストはウィングズの「アイルランドに平和を」をお願いします。
  (小林)
  独特だねえw。
  
  〜 Paul McCartney & Wings / Give Ireland Back To The Irish
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kaO4XeHhwo8

  〜 The Beatles / The Fool On The Hill
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UNfS9Ywb2Cc

  (小林)
   Fool On The Hill がかかりましたね。

  (東村山市/女性)
  克也さん ポールのライブに行ってきました。
  ポールは年老いても若い頃と同様スリムでカッコ良く、休まずに次々と歌い、楽器をこなし、何回も日本語でしゃべり。
  まさに スーパースターでした。
  毎年 ライブをやって欲しいです。(小林)w
  今回 聴けなかったけど、私の大好きな曲、をリクエストします。
  (小林)という
  「名前は読まないで」という、東村山市の○○さんという方。女性です。
  (小林)
  その前が ポールの「アイルランドに平和を」。
  これ聴きながら思ったんだけど、やっぱり改めて思いましたけど。
  ジョン・レノンだったら もういかにもね、素早くこういう歌を書いたと思われますけど。
  ポールが「アイルランドに平和を」ってのは ちょっと珍しいメッセージですよね。
  ポールは人を傷つけるようなw ジョンみたいなキツイことは ちょっとやらないような性質なんでね。
  それから 僕、日本語をちょっと思ってしまいましたよ。
  「アイルランドに平和を」っていうタイトルは これは嘘ですよね。
  ポールが言いたいのは「アイルランドはアイルランド人に返してやれよ」つって言ってる歌なんですよね。
  だから、日本語っていうのは ほぼ単一の民族の言葉じゃないですか。
  だから、何もしゃべんなくっても判るけど、言葉で想像するから、それが日本語の強さですよね。
  ところが、英語は 何百もの民族の言葉だから、もう変な回りくどい言い方はダメなんですよ。
  だから、そこの差ですよね。
  で、ビートルズのファンの方に言いたいですけどね。
  大瀧詠一も言ってますけど、やっぱり 英語で歌って、英語で その日本語の訳は捨てて 入りこんで。
  今度はね、もっと深く彼らの事をわかってあげると いいと思っています。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたか?。
  
  ジョンとシンシアの恋愛物語、良いでしょう?
  ジョン・レノンっていう人は あれですねえ、複雑ですよね。
  表面と内面は ちょっと違っていたり。
  もちろん、その内面を隠しているわけじゃないけれども。
  弱いようで芯が強い、脆(もろ)いようで。
  なんか 恋愛のことを読んでると、ジョンの事がもっと分かるような感じがしますよね。
  
  それからリクエストもよろしくお願いします。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。
  メールアドレスは
  [email protected]
  です。
  ドシドシ!。
  小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年12月29日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月29日)
 ・1979年(今から34年前の今日)
  今年最後の放送。
  この79年の年末 ポール・マッカートニーのウィングスは「Concerts for the People of Kampuchea」
  つまり、カンボジアの難民を救済するための資金集めのコンサートに参加します。
  これはですね、ワルトハイム国連事務局長とポール・マッカートニー提唱によるチャリティコンサートなんです。
  ポールが言い出しっぺです。
  困っているカンボジアの人たちを助けようじゃないか ということで。

  ロンドンのハマースミスオデオン(Hammersmith Odeon)で 26、27、28、29、4日間に渡って行われて。
  もちろん、ポールが率いるウィングス、ロケストラ(Rockestra)、
  それからクイーン(Queen)ね、プリテンダース(Pretenders)クラッシュ(Clash)スペシャルズ(Specials)エルビス・コステロ(Elvis Costello)ロックパイル(Rockpile)フー(The Who)。
  まあ、イギリスのロック界の、パンク、ニューウェーブ、ツートーン、いろんな連中が、その頃のすごい人たちがポールの下に集まったわけです。
  で、これは実はウィングスにとって最後のステージです。

  このウィングスの解散は、やっぱり一緒にパートナーを組んでいた ギタリストのデニー・レイン(Denny Laine)とのパートナーシップを終わらせたかった、ていうのが本音のようですけど。
  デニー・レインの方から言うと、自分がいろいろサジェスチョンしたり 協力したり、自分のアイデアは全部クレジットされない。
  全部、ビートルズがポールとジョンのクレジットになるように、全部ポールになっちゃう ていう不満もあったらしいんですけどね。
  でも、リンダはずっとソロの時もウィングスの時も一緒と いうことですね。
  ポールはリンダの かなり、なんて言うんですかね、ミュージシャンを追っかけたり写真を撮ったりするリンダのロック好きの耳を信じていた。
  という話しがあります。
  さあ、今日最初に聴いていただくのは、翌年ソロの2作目「マッカートニー2」に入っていて、シングルとしても1位になる曲なんですが。
  実は、発売前から出ていた、発売前からライブでやっていた。
  この日もポールたちは演奏しています。
  
  〜 Paul McCartney & Wings / Coming Up(live)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=sV-3aGnF714

  (小林)カンボジア難民を救済するためのコンサートライブ。
  ウィングス Coming Up
□ストーリー
 ・1958年から交際を始め 63年にはジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
  今週もそのシンシアの自叙伝から紹介してみよう。

  交際して間もないころの思い出をシンシアはこう証言している。
  「私も高校生のころ父親を亡くしたんですが、そのことがジョンとの共通点の一つであり強く結び付けている大きな要因である、と考えていました。
  しかし、明らかに違う部分もあったんです。
  それは、私は父親の死を“仕方のないこと”と受け容れていたのに対し、ジョンはまだ母親ジュリアが交通事故に遭ったことに対し“怒り”を感じていました。
  母親の死、とりわけ交通事故という無意味な死に方に対するジョンの“痛恨の怒り”が、その攻撃的な性格となって現われていたんだと思います」

  こういう境遇にあったジョンにとって音楽だけが救いであった。
  音楽は 彼と母親との関係を深めた大切なものであった。
  母親のジュリアが亡くなった時には、自分の中の苦痛や怒りを消し去るために音楽の力を借りていた。
  ジュリア自身も音楽を愛していた。
  彼女はピアノとバンジョーが弾けたので一緒に何時間も座って、ジョンにコードの弾き方を何度も繰り返し根気よく教えてくれた。
  
  さらに、ジョンに最初にロックンロールを聴かせたのも母親のジュリア。
  エルビス・プレスリーのレコードを最大のボリュームでかけ、ジョンの手を引き 曲に合わせてキッチンでよく踊った。
  ジュリアはいつもジョンの音楽に賭ける夢を応援していた。

  そして、さらにシンシアはこう証言している。
  「私と付き合うようになった頃はすでに、ジョンは話す時も、食事の時も、息をする時でさえ、音楽のことで頭がいっぱいになっていました。
  こうした音楽への愛情や執着心は、間違いなくお母さんのジュリアの影響だと思います。
  それだけジョンは ジュリアのことが好きだったんですよ」
  〜 The Beatles / Julia
  ttps://www.youtube.com/watch?v=YQtAQHrCLVc

  〜 The Beatles / No Reply
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ILdBDOPoEDQ
 
  (小林)なかなか良い曲ですよねw  改めて聴いてみるとね。  
  いつも思うんですけどw。
  No Reply、これは64年のアルバムから。

  それから、その前は Julia。お母さんの名前がジュリア。
  これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」インドで書いた曲ですよね。
  インドでポールたちと一緒にインドへ行って。
  その時にドノバン(Donovan)も一緒にいて、ギターのピッキングを教わったそうであります。
□ストーリー(続き)
 ・「私と付き合い出した頃のジョンは すでに音楽の虜(とりこ)でした。
  ギターを弾いていない時は、詩を書いたり ロニー・ドネガンやエルビス・プレスリー、バディ・ホリー、チャック・ベリー
  そんな最新のレコードのことを話してくれるんです」
  これはこの数年後、ジョン・レノンと結婚し ジュリアンという息子を設けることになる女性=シンシア・パウエルの証言。

  彼女の手記から、もう少し続けてみよう。  
  「そのころ、もうジョンはバンドを組んでいて、昼休みにはほぼ毎日そのバンド=クォーリメンの二人のメンバーと会ってリハーサルをしていましたね。
  二人ともジョンより年下で、私たちの通うアートカレッジの隣にあるリバプール・インスティテュートの生徒でした。
  この学校はリバプールで唯一のグラマースクールとして知られる男子進学校です。
  著名な裁判官や政治家といったエリートたちが卒業生として名を連ねていて、そこに通う生徒は皆優秀である、とされていました。
  ところが、ジョンのバンド仲間のポール・マッカートニーもジョージ・ハリスンも、試験で合格点を取るより、音楽を、ロックンロールを演奏することに夢中でしたね」
  
  このシンシアの証言は 詳細かつ正確であり、貴重なものである。
  ビートルズの母体となるクォーリメンのメンバーと最初に会った時の景色も鮮明に記憶しているらしい。
  シンシアの証言はこうである。
  
  「ポールとジョージに最初に会ったのは私が19、ジョンが18、ポールが17、そして一番年下のジョージは16歳だったと思います。
  それは劇的でも無く、学生生活のある ありふれた一場面でしたね。
  ある日の昼休み、ポールとジョージはアートカレッジにやって来て ジョンに紹介されたんです。
  『こっちがポールとジョージ。それで、こっちがシン』
  二人とも『やあ!』と言って、ただそれだけ。
  私がジョンの彼女だってことで 少しだけ興味を持ったみたいだけど、そのままバンドの練習に入ったんです。
  三人とも それはもう真剣でしたよ」
  〜 The Beatles / Rock and Roll Music
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rBrH9EWZ-Bc

  〜 The Beatles / Hard Day's Night
  ttps://www.youtube.com/watch?v=N2_A2XkXKfA


  (小林)やあ、もう両方とも有名な曲ですね。

  改めて1964年の「フォーセール(Beatles For Sale)」ですよね。アルバムはね。
  Rock and Roll Music
  チャック・ベリー(Chuck Berry)の曲です。それのカバー。

  で、ビートルズのお馴染みの 最初の映画のタイトルでもあります、Hard Day's Night。
□ストーリー(続き)
 ・「『こっちがポールとジョージ。それで、こっちがシン』
  二人とも『やあ!』と言って、ただそれだけ。
  私がジョンの彼女だってことで 少しだけ興味を持ったみたいだけど、そのままバンドの練習に入ったんです。
  三人とも、それはもう真剣でしたねえ」

  これは、ジョン・レノンの最初の妻となる ロックの歴史における超重要人物=シンシア・パウエルの証言。
  当時は恋人であったジョンが、バンドのメンバー=ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンを紹介するシーンである。
  シンシアの記憶として鮮明に残っている証言から続けてみよう。

  「二人が昼休みに来る と分かっている日は、ジョンと私はフィッシュアンドチップスを買いに行きました。
  カレッジに戻り、カフェテリアに潜り込むと間もなく、ポールとジョージが到着するんです。
  高校生だってバレない様に、帽子とネクタイを外して格好をつけてブレザーの襟を立てるんですが、それでも高校生だって判りましたね。
  ポールはいつも平然としている様子でしたが、ジョージはどこかコソコソしていました。
  カフェテリアの片隅で私たちと合流すると、床に置いた包み紙の上に山の様なフライドポテトとホタテのフライを広げ、四人で夢中になって食べ始めるんです。
  食べ終わると、三人はすぐリハーサルです。
  そこまで10分もかかっていないですねえ」

  そして、この頃のクォーリメンの演奏はどうだったのか、シンシアはこう続けている。
  「初めて聴いた時から、私は三人の音楽が好きになりました。
  お互いが新しいコードを教え合ったり、人気のある曲に取り組んでみたり。
  オリジナル曲を作り上げることに挑戦してみたりする姿には、見ていてとても引き込まれるものがあったんです。
  曲を書き始めたのは ポールが最初で、ジョンも『それはいいアイデアだ』と すぐに飛びつきました。
  間もなく二人は 次から次へと新しい曲を生み出すことになりますが、
  これがまさか世界中を魅了するようになるなんて、想像もつきませんでしたね」
  〜 The Beatles / Like Dreamers Do
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UpybQ3QIn78
 
  〜 The Beatles / Oh darling!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=DjoRavgGqAI

  (小林)いやあ、だからジョン・レノンがカレッジの1年生でしょ。
  で、隣に高校があって、もう進学校で。
  その高校があって、そこから高校生のポールとジョージがカレッジの中に入って来て、そこでねえリハーサルをやるっていうことなんだけど。
  その頃から曲を書いていた。
  つまり、今日いま紹介した2曲っていうのは、ポールが奏ったからポールが書いた曲ですけど。
  だから、ポールが高校生の時に書いてた曲ですよね。

  最初が Like Dreamers Do
  これは1962年1月1日 録音された、ビートルズがデッカへのオーディションのために録音したもの。
  でも落とされちゃうんだよねw。
  もうすぐ2014年だから、ちょうど52年ぐらい前の ポールの歌声で Like Dreamers Do
  
  そして、こっちの Oh darling! の方は、これもポールが高校生の頃書いた曲 ということになりますよね。
  ただ、アルバムは「アビーロード(Abbey Road)」1969年の中に入っておりました。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (横浜市鶴見区/男性)
  初めまして。   (小林)初めてだw
  毎回ラジコで聴いています。 (小林)ラジコでw
  さて、ビートルズの曲って同じ曲でもいくつかレパートリーがある曲が割と多いですよね。
  例えば、モノーラル録音とステレオ録音とでは一部歌詞が違ったり。
  ステレオ録音でも、楽器やボーカルが左右が逆だったりと。
  そんな曲で 私の大のお気に入りの曲をリクエストします。
  本来のサウンドトラックと言えるアメリカのキャピタルレコードのLP、今はCDですが。
  これに録音されている イントロ付きの「Help!」です。
  インドの雰囲気を醸し出すシタールや、ダブルオーセブン(007)の映画に使われそうなイントロで、すごくカッコイイですよ。
  (小林)という
  かなり うるさそうな(あなた)のリクエスト HELP!

  〜 The Beatles / Help!(1965 Capitol LP)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=snAtTWGlKSw
  〜 The Beatles / All My Loving
  ttps://www.youtube.com/watch?v=T098BBuvmjs

  (東京都葛飾区/男性)
  高校生の時バンドをやっていたんですけど、主にチューリップ、甲斐バンドなどのコピーをやっていました。
  自分はビートルズにあまり興味が無かったんですが、メンバーの一人にビートルズの熱狂的なファンがいて。
  「ビートルズの曲をどうしてもやりたい」と言い出しました。
  仕方がないので一曲だけやることになったんですが。
  ボーカルとギターをやっていた自分は 英語の歌詞なんか歌ったことが無かったんで、なるべく簡単なもの、ということで この曲を選びました。
  簡単と思ったけど、けっこう苦労した記憶があります。
  その思い出の曲をお願いします。All My Loving 

  (小林)
  だけど、チューリップとか甲斐バンドてのは ビートルズで刺激されてバンドを組んでるわけですよねw。
  チューリップなんか 特にビートルズの影響強いですよね。
  だから、その大元をやる、やらなかった、っていうのは、これ、どうでしょう?一曲だけビートルズはやってたんですかね?
  (東京都葛飾区/女性)
  18日に 夫と一緒にコンサートへ行きました。  (小林)ポールのね。
  夫がビートルズ大好きですが、私はリアルタイムで知らないので お付き合いの感覚でコンサートに行きました。
  でも、でも、曲の途中でポールが、背中を向けた場面が何度かあったんですが。
  彼の後姿を見た途端、ドキドキして、どうしましょう。 (小林)w
  惚れてしまいました。
  「男は背中に人生顕われる」と言うけど、カッコ良すぎです。
  それも若い頃の映像のポールじゃなくて、今のポールが素敵なんです。
  また、昔の遺産だけに頼らず、新曲を出してるところも尊敬します。
  アルバム「NEW」から「Queenie Eye」をお願いします。

  (小林)ということなんですが。
  この「Queenie Eye」っていうのをね、ちょっと説明しておいた方がいいと思いますが。
  これはねえ、ポールが子供の頃リバプールではみんなが遊んだゲームで。
  ボール一つをね、数人で遊ぶんですけども。
  鬼が選ばれて、鬼は一番前で 後ろ向きになって、みんなの方に後ろ手でボールを投げるんです。
  みんなの方に後ろ向いて投げるんです。
  で、ボールを誰かが取ります。
  で、取ったら、後ろ、みんな手を後ろにやるんです。
  そして みんなで声を出して「もういいよ」って言うんじゃなくて、鬼に向かって「クイニーアイ、クイニーアイ、ボールを持ってるのは誰だ」みたいなこと言うんですよ。
  「クイニーアイ、クイニーアイ」ってのは クイニー(Queenie)な目のことですよね。「だーれだ?」って言うんです。
  その遊びを 彼は歌にしています。
  それが新曲です。
  リクエストありがとう。Queenie Eye。
  
  〜 Paul McCartney / Queenie Eye
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pD8-uczf3sk
  〜 Traveling Wilburys / Handle With Care
  ttps://www.youtube.com/watch?v=L8s9dmuAKvU

  (小林)というわけで、ポール・マッカートニーの新曲の Queenie Eye
  これはやっぱり ノスタルジーな雰囲気をいっぱい漂わせていましたね。
  そして、最後の曲が Traveling Wilburys ね。

  (千葉市美浜区/男性)
  久しぶりのリクエストでございます。だいぶ寒くなって来ました。
  トラヴェリング・ウィルベリーズの「ハンドル・ウィズ・ケア」
  ジョージ・ハリスン、ボブ・ディラン(Bob Dylan)ロイ・オービソン(Roy Orbison)ジェフ・リン(Jeff Lynne)トム・ペティ(Tom Petty)、スペシャルなユニットです。
  飄々(ひょうひょう)としたジョージのソロが好きです。
  命日は過んでしまいました。11月29日になると この曲が思い出されます。よろしくお願いします。

  (小林)
  そうだねえ。ちょうど一ヶ月前が ジョージ・ハリスンの命日だったわけでね。
  「飄々とした」ってことを言ってましたが。
  やっぱりあれですね、この曲はロイ・オービソンの、今は亡きロイ・オービソンのボーカルが入ってるから 締まるねw。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)というわけで、今日の「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?。

  やっぱり、ジョン・レノンが大学一年で、二人が、ポールとジョージが高校生。
  シンシアと付き合っている。
  この頃が一番いいねえ。 
  ちょうど 50年ぐらい前だよね。
  でも、これが 若い人たちと、もちろん昔の人は 当たり前ですけど、若い人たちも分かち合えるっていうことは。
  ビートルズの音楽はすごい っていうことです。
  まあ、今年最後っていうことですが。
  来年もビートルズの音楽を中心に紹介してまいります。
  よろしくお願いします。

  リクエストの方は
  [email protected]
  これで受けています。
  リクエスト採用の方には、イシイのミートボールなどセットにして差し上げております。

  新しい年も、2014年もよろしくお願いします。
  では、みなさん良いお年を。
  お相手は小林克也でした。
277ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/01/07(火) 13:18:11.58 ID:Q7gmJvbe0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年01月05日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  お正月の雰囲気残ってますか?w。雰囲気いっぱいですかw。今年もよろしくお願いします。

□ビートルズカレンダー(1月5日)  
 ・1962年(今から52年前の今日)
  お正月に、今日ですね。今から52年前の今日。
  イギリスで「マイボニー(My Bonnie)」という曲が発売になりました。
  これはまあ、ビートルズファンは いわく因縁のある曲ですから「ああ、そうか!」っていう。
  もう52年前ですね。52年前、発売されて。

  まあ、よく知れ渡った話しによりますと。
  ビートルズのマネージャーになるエプスタインが店長を務めているリバプールのNEMSのショップに、レイモンド・ジョーンズという青年が。
  「“マイボニー”というレコードが欲しい」とやって来た。
  「いや、そんなレコード知らないよ。誰がやってるの?」
  「いや、ビートルズっていう地元のグループがやってるんですよ」ていう。
  地元のグループは 実はバックアップでやってるわけですね、バックバンドとしてね。
  で、エプスタインはドイツから、イギリスに無かったんでドイツから数十枚を取り寄せて、これがもうリバプールの店では完売した。
  もう次から次へと「マイボニー」を求める子たちがNEMSへやって来た、という話しがあるんですが。

  これは「ちょっと作り臭い」という人もいるんですよね。
  だから、半分本当だと思って聞いてください。
  で、リバプールの方ではすごい事になってるよ、っていうんで、正月になってイギリスでようやく発売した。
  それは、イギリス人のシンガー=トニー・シェリダン(Tony Sheridan)がリードボーカルを取っていた。
  そしてビートルズは バックを務めていた。ということで。
  バックを務めていた、だけでね、やっぱり熱心なファンがこのレコードを買いに来るかどうか、っていうのはちょっと疑いもあるような気がするんですが。
  改めて聴いていただきましょう。
  ドイツでは去年ね、イギリスでは今年 っていうことになりますね。
  今から52年前の今日、お正月に発売になった、 Tony Sheridan そして Beatles。
  昔はビート・ボーイズと名乗っておりましたが、一応 The Beatles、My Bonnie
  
  〜 Tony Sheridan & The Beatles / My Bonnie
  ttps://www.youtube.com/watch?v=9l1pJ9mSTsI

  (小林)マイボニー(My Bonnie) という、とても有名な曲ですよね、これは。
  これは若い方でも知っている曲じゃないですかね。学校なんかで歌った曲じゃないですかね?
  トニー・シェリダンがリードボーカル。
  そして後半は、やっぱりビートルズはコーラス、ドンドン、ドンドン出てきておりましたけども。
  演奏も全部ビートルズ。
  これが、きっかけになった。ビートルズのきっかけになった。
  マネージャーになったのも、このあとで見に行くわけですよね、「ビートルズはそこへ出てるよ」っていうことでね。
  ええ?、もうこういう話しはご存知ですか? 
□ストーリー
 ・「ジョンとポール、そしてジョージが結成していたバンド=ザ・クォーリメン。
  初めて聴いた時から 私は三人の音楽が好きになりました。
  お互いが新しいコードを教え合ったり、人気のある曲に取り組んでみたり、オリジナル曲を作り上げることに挑戦してみたりする姿には、見ていてとても惹き込まれるものがあったんです。
  曲を書き始めたのはポールが最初で、ジョンも『それはいいアイデアだ』と すぐに飛びつきました。
  間もなく二人は次から次へと新しい曲を生み出すことになりますが、これがまさか世界中を魅了することになるなんて、夢にも思いませんでした」
  
  これはジョンの当時の恋人、数年後には最初の妻となるシンシア・パウエルの証言。
  今週もこのシンシアの証言を集めた文献からお送りしよう。

  「ジョンもポールも まだ十代だっていうのに 少し大人びた感じでしたね。
  それに比べ、ジョージはいつも一緒にくっ付いて来る、という様子でした。
  いつも真剣な顔つきをしていて、ようやっとニッコリと微笑んだと思うと、その表情はほんの一瞬で消えしまうんです」

  たしかに ジョージは物静かであった。
  当時のリバプールでは かなり上手いギタリストであったにもかかわらず、自分としてはあまり自信が無く、
  それ以上に年上であるジョンやポールには いつも気を使いすぎる傾向があった。
  ジョージがバンドに加入したのは もちろんギターの腕を認められて であったが。
  時々ジョンとポールは作曲に夢中になって ジョージが放っとかれてしまうため、ジョージはストレスが溜まってしまい、それが不機嫌そうに見える原因となった。
  その隠れた才能は まだ誰にも知られていなかったのである。
  〜 The Beatles / Devil in her heart
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yRd5YUAfD7k

  〜 The Beatles / Here Comes The Sun
  ttps://www.youtube.com/watch?v=C5E_zXbmrlM
 
  (小林)ジョンの恋人シンシアが語るジョージ。
  ということで、ジョージ関係の曲が2曲続きました。

  ジョージがリードヴォーカルを取ってる Devil in her heart
  これは63年ですね。

  そして Here Comes The Sun、お馴染み。
  エリック・クラプトン(Eric Clapton)の家で書いたそうです。
  これは、モーグ・シンセサイザーという当時は新しい楽器が聴こえますが。
  これは、勉強熱心なジョージが操作しています。
  
  2曲!。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョージが最も尊敬されるべきポイントは、すごく粘り強いというところ。
  何時間もかけてコード進行を練り上げたリ、完璧に出来るようになるまで何度も何度も曲を練習するんです。
  それはもう 十代の少年とは思えないほど素晴らしい集中力でした」
  
  これはこの数年後 ジョン・レノンと結婚し ジュリアンという息子を設けることになる女性=シンシア・パウエルの証言。
  彼女の手記から さらに続けてみよう。
  
  まさに職人的なギタリストであったジョージが演奏の面でバンドを支える一方で、ジョンとポールは野心に燃えていた。
  彼らは一流のバンドにしたいと思い、そのために出来るだけ多くの舞台経験を踏むことに必死だった。
  その最初の大きなチャンスは「カスバクラブ」というリバプール郊外のウェストダービーにある民家の地下室でのライブの仕事だった。
  オーナーはモナ・ベスト婦人。
  彼女は長男であるピート・ベストが友達と集まるスペースを提供するために、このクラブをオープンすることにした。
  十代の未成年者が 自分のお小遣いから捻出できる安い会費をもらうことによって 彼らがガラの悪い店に行くことを防ぎ、
  アルコールの代わりにコーヒーと気の利いたお菓子を提供する、というシステムを採用していた。

  この店を始める以前から 息子のピートにはあるアイデアがあった。
  ある日彼は 母親のモナにこう提案した。
  「ねえ母さん、今僕らが夢中になっているのはアメリカのロックンロールやリズム&ブルースだって知ってるよね。
  このリバプールにも そんなロックンロールを演奏するバンドがすごく増えてるんだよ。
  もう僕らの世代のダンスパーティは、今までの社交ダンスじゃなくて ロックンロールだけなんだよ。
  絶対に盛り上がると思うんだ。どうかな?母さん」 
  息子のこの提案に、モナは興味を示した。
  そして数日後、そのロックンロールバンドの中でも有望株という評判の“あるグループ”に会うことになったのである。
  〜 The Beatles / Lucille
  ttps://www.youtube.com/watch?v=AqQqE58M6SQ

  〜 The Beatles / Ticket To Ride
  ttps://www.youtube.com/watch?v=YFGnNs_xndo

  (小林)ライブが2曲続きました。
  すごい人気ですよねえ、この頃はね。

  これは(2曲目)もう1965年です。
  もうビートルズは世界の人気者になっています。
  場所はブラックプールのABCシアターでのライブで。
  この模様は「アンソロジー(Anthology)」のVol.2、1990年代になって出された「アンソロジー」の中に入っています。
  
  そしてその前は、リトル・リチャード(Little Richard)の有名なヒット曲を、もうポールの得意技です、
  ポールがカバーしていましたね。歌っていました。
  これは「Live at BBC Vol.2」去年の暮ですね、発売になったアルバムの中からお送りいたしました。
  Lucille
□ストーリー(続き)
 ・「ねえ母さん、今僕らが夢中になっているのはアメリカのロックンロールやリズム&ブルースだって知ってるよね。
  このリバプールにも そんなロックンロールを演奏するバンドがすごく増えてるんだよ。
  もう僕らの世代のダンスパーティは、今までの社交ダンスじゃなくて ロックンロールだけなんだよ。
  絶対に盛り上がると思うんだよ。どうかな?母さん」

  この素晴らしい提案は 1959年当時リバプールの19歳の学生だったピート・ベスト(Pete Best)によるもの。
  後にビートルズのドラマーとなり活躍していたものの、デビューレコーディングの寸前にバンドをクビになってしまう。
  人呼んで「ビートルズになれなかった男=ピート・ベスト」その人である。
  そのピートが母さんと呼んでいるのが モナ・ベスト婦人。
  彼女が、自分の息子と同世代の若者たちが健全に集い 純粋に音楽を楽しめる社交場として、自宅の地下室を改装したクラブ「カスバ・コーヒークラブ」のオープンを間近に控えていた。
  息子であるピートの提案に納得したベスト婦人は 数日後、その地元のロックンロールバンドの中でも有望格という評判の“あるグループ”に会うことになったのである。
  
  その有望株の若手バンドは ザ・クォーリメン。
  ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、そしてジョージ・ハリスンの3人のギター弾きのバンド。
  どうやらクォーリメンの熱狂的なファンの女の子が このクォーリメンをベスト親子に熱心に推薦してくれたらしいのである。

  ジョンとポールがモナに会いに行くと、大歓迎された。
  「クォーリメンの人気は いろいろと聞いています。ぜひ、うちの店にレギュラーで出演して欲しいんです。
  ただね、店のオープンが もう来週に迫っているっていうのに、まだ壁も塗ってもらっていないのよ。
  もし、よかったら、みなさん手伝ってもらえないかしら?」
  すると ポールはすぐに答えた。
  「はい! 僕らは喜んでお手伝いさせてもらいます!」
  〜 The Beatles / Kansas City Hey, Hey, Hey, Hey
  ttps://www.youtube.com/watch?v=hQiGv3G6wow

  〜 The Beatles / Get Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rcg3phvBztw

  (小林)有名な言葉ですよね。
  「どうでしたか?我々はオーディション受かりましたかぁ?」っていう「受かったらいいねえ」っていう。
  ジョンの言葉です。
  Get Back をお送りしました。
  これはプロデュースがフィル・スペクターっていうことはご存知でしたかね。
  「Let It Be」のアルバムに入っていました。

  そして、その前は1964年の「Beatles For Sale」
  ビートルズの、特にポールの得意技 Kansas City からHey, Hey, Heyっていうカバーバージョンをお送りしました。

  あれですね、「カスバ・クラブ」っていうのは、民家の地下っていうんで、狭いイメージがあるかもわかんないですけども。
  相当広いよね。僕は、おそらく5〜60坪はあるような広さじゃないかと思います。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして必ずお送りしておりますのでよろしく。

  (千葉市八千代区/男性)
  思わず聴き入りましたよ。さすがにビートルズは奥が深いですねえ。
  新しい聴き方を発見した気分です。     (小林)ありがとうございます。
  Let It Be を、今 受験生の息子に送りたいです。
  (小林)ということは、もう今年 試験がもうすぐっていうことなのかな。
  今日は久しぶりに、Let It Be のアルバムバージョン、ということはフィル・スペクターが音の面倒は見ています。
  Let It Be

  〜 The Beatles / Let It Be
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XsQsOjaVUuA

  (小林)どうですかあ?。
  この番組を聴いていらっしゃる方、もう何回も聴いている曲ですが、アルバムバージョンていうことが 判っていただけたでしょうかね。
  ちょっとね、繰り返しが多い というバージョンです。
  Let It Be フィル・スペクターがやっておりました。
  (成田市/女性)
  ジョンとシンシアのラブストーリー、十代の一途でピュアな感じがとても素敵ですね。
  ジョンは甘えん坊でヤキモチ焼きで、女性はそんな男の子に弱いですね。  (小林)そうですかあ。
  トキメキには程遠い毎日の生活に シンシアの気持ちになって楽しんでいる52歳です。
  (小林)
  どうもありがとうございます。ハイw。
  やっぱり気分はね、あっちに、シンシアの方になりきって楽しんでいただいておりますか。
  ありがとうございます。
  そうだよねえ、正月はなんとなく・・・。正月はビートルズ 似合うねw。
  ポールが似合うのかな。
  年末はジョン ていう感じですがw。
  ジョンの曲にリクエストが来ています。
  
  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cxOHCh85YdM

  (小林)これけっこう、終わり方も改めて感じますよねえ。
  すごいカッコいいよね、終わり方もね。
   All You Need Is Love 愛こそはすべて、リクエストに応えました。
  (小林)
  去年のポールに、コンサートに行った、っていうメールが多くて紹介しきれないくらいですが。
  (あなた)のもそうです。

  (東京都杉並区/女性)24歳
  行ってきましたぁ!。ポール・マッカートニー、日本最終公演!。
  平成生まれの私にとって、ビートルズだった人をこの目で見て一緒に歌い 同じ空間で過ごせるなんて、あまりの感動に涙が止まりませんでした。
  お隣の席には、青森から わざわざ上京された二人のおじ様方に「若い人がビートルズを聴くなんて、うれしいねえ」なんて言っていただき。
  また「ジョンが亡くなった高校2年生の時は、期末試験をボイコットしたんだよ」なんて思い出話を聞かせていただいたり。
  その他、ビートルズやポールに対する愛を語っていただきました。
  ライブでは演奏されませんでしたが、お隣の席の方も大好きとおっしゃっていた「シリー・ラブソング」をお願いします。

  (小林)
  そうだよねえ、ジョンが亡くなった時に期末試験ボイコットw。これはちょっとw。
  きっとこのお隣さんたちは、あれだよ、ジョンも好きだったし、パンクやニューウェーブにもハマってたね、絶対ね。
  そういう行動を起こすようなのはねw。
  自分勝手だよね「ジョンが死んだから 試験やめた〜」なんてのは、だいたい判るなあw。
  (あなたは)いい経験をしましたね。
  さあそれでは、みんなが好きな この曲ですね。

  〜 Paul McCartney / Silly Love Songs
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2_9QooYDYtU
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?

  今日はね、リスナー達もジョンとシンシアのラブストーリーにハマってる、っていう 話しもありましたけど。
  やっぱり、シンシアが女性として語る ジョン、ポール。
  それから、今日はジョージのことをお話ししましたけれども、
  ジョージ・ハリスン、やっぱり、あれですね、二人のとても偉大な人間の 手下みたいな感じでいるんだけど。
  けっこう 力のある人間だっていうのが判りますよね。
  粘り強い人間だった、熱心だったっていう。
  お話しはけっこうやっぱり、何というのかな、ジョージ・ハリスンのイメージ像を作り上げるのに 相当役立ったと思いますよ。

  それからリクエスト よろしくお願いします。
  ハガキやFAXでもいいんですが、メールは
  [email protected]
  こっちで待っています。
  リクエスト採用の方にはもれなくイシイのミートボールなどをセットにしてプレゼントしております。
  リクエスト読むの楽しみです。よろしくお願いします。
  お相手は小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年1月12日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月12日)
 ・1968年(今から46年前の今日)
  インドのボンベイ、英語読みでBombay。今ではもう そう言う所は無くて、ムンバイ(Mumbai)と言うらしいですが。
  ボンベイのEMIレコーディング、EMIは立派ですねえ、インドのボンベイにもうレコーディングスタジオがあった、ていう。
  そこで、朝の10時から夜の7時まで、ジョージ・ハリスンがプロデューサーとなって、現地のミュージシャンを従えて仕事をしておりました。
  これ何かというとね、アップルレコードが、裏レーベルの「ザップル」なんですけれども「ワンダーウォール(Wonderwall)」ていう「不思議な壁」という日本語のタイトルが付いてる。
  映画を作って、そのサントラをジョージ・ハリスンが担当して、ジョージ・ハリスンが現地のインドのミュージシャンたちを使って音楽を録っていた。
  で、今から46年前の今日は、その仕事がすっかり終わっちゃって、スタジオが空いているんでもったいない、ミュージシャンもいる っていうことで。
  ビートルズとして使うかもわからないということで、仮のタイトルが「ジ・インナーライト(The Inner Light)」という曲を録音するんですよ。
  で、結果として これはジョンとポールにもちろん聴かせると「これは、すごいじゃないか」ってことになって、
  「Lady madonna」のB面に実は「Across The Universe」を予定していたんですが、これをやめにして、この「The Inner Light」。
  46年前の今日録ったインストゥルメンタルにジョージ・ハリスンのボーカルを加えて、「シングルのB面にしよう」ということ決定です。
  ジョージは自信がありませんでしたが、ポールの励ましもあって 2月には完成しております。
  B面とはいえ ジョージの楽曲が初めてシングルになったわけであります。
290ホワイトアルバムさん:2014/01/15(水) 13:26:48.71 ID:???0
  さあ、そじゃあ それをさっそく聴いてみましょう。
  インドで録った物にボーカルが加わっている。
  つまり、ビートルズは演奏してないわけですよね。
  そういうのはありますよね、「Eleanor Rigby 」「Good Night」なんかはそうですよね、オーケストラが演奏したりね。
  そういう類(たぐ)いでありますが、これがまあ インドのカレー風味たっぷりに・・・、あ、カレー風味って言っちゃダメですねw。
  お送りしましょう。The Inner Light、The Beatles。
  
  〜 The Beatles / The Inner Light
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LOW6wdxyw6g

  (小林)いかがですか? The Inner Light
  この曲が 歌が無いやつがもともとあったと思うとですね、想像すると面白いですよね。
  どうやってメロディを付けたんだろうか、とかね。
  ひょっとしたら この曲はもっと長かったんじゃないかw とかねw。
  いろいろ想像してしまいますけどもw。
  ジョージ・ハリスンはすごいですね。
  1968年には、もうジョンもポールも舌を巻いている物を作ったわけです。
291ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/01/16(木) 13:39:11.51 ID:rKa/jnAe0
□ストーリー
 ・「店の壁塗りなんて まったく問題ありません!。僕ら喜んでお手伝いさせてもらいます!」

  これは1959年の夏の出来事。
  店の壁塗りを二つ返事で引き受けたのは、この時まだ17歳の高校生であるポール・マッカートニー。
  当時はクォーリメンというバンドのメンバーで、そのバンドには すでにジョン・レノン、ジョージ・ハリスンといった後のあのビートルズのメンバーも顔を揃えていた。
  彼らが 壁の塗装を引き受けた店というのは リバプール郊外のウエストダービーにある「カスバ・コーヒー・クラブ」
  大学生どころか高校生までもが集うことのできる健全経営を目指していた この店のオーナーはモナ・ベスト婦人。
  息子のピート・ベストの強い提案で、地元のロックンロールバンドを店で演奏させようと、
  ジョンとポールそしてジョージを面接したその日に、モナはすっかり彼らを気に入ってしまい、
  まるで自分の息子や親戚の子にでもお願いするかのように こう言った。
  「クォーリメンの人気はいろいろと聞いています。
  ぜひ、うちの店にレギュラーで出演して欲しいんです。
  ただね、店のオープンが来週に迫ってるっていうのに、まだ、壁も塗ってもらっていないのよ。
  もし良かったら、皆さんで手伝ってもらえないかしら?」

  これにはメンバー全員「夫人の願いには出来るだけ お応えすべき」と考え、特に社交的で何にでも前向きに立ち向かうポールが率先して壁塗りを引き受けた。
  そしてジョンもジョージもギターをブラシやローラーに持ち替え、その日のうちにクラブの壁塗りを完成させた。
  こうして、クォーリメンのメンバーは1959年8月29日、カスバ・クラブ開店の日にステージに立ち、ジョンの彼女であるシンシアも友達を連れてクラブに行った。
  この日の客は およそ300人、大入り状態である。
  クォーリメンは2時間にわたり ロックンロールのヒット曲を演奏した。
  踊りまくるティーンエイジャーの熱気で 店の温度は沸騰寸前。
  まるで建物全体が うねる様な夜であった。
  〜 Paul McCartney / I Got Stung
  ttps://www.youtube.com/watch?v=l9l7C1_q0pg

  〜 The Beatles / Words Of Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=w1eh6K8tvbc
 
  (小林)ということで、ジョンとポールとジョージはライブをやるわけですねえ。このカスバ・クラブで。
  これは ほんとうに盛り上がった。
  で、2時間にわたってやった、ていう。
  まあ、オリジナルをやったかもわかんない、ほとんどカバーだったと思われますが。
  ビートルズのカバー。

  ポール・マッカートニーがやってる I Got Stung(1曲目)
  これはエルビス・プレスリー(Elvis Presley)の実はB面の1958年の曲なんですけど。
  プレスリーをポールはよく奏りますけど、やっぱり、プレスリーってのはハードロックにするとプレスリーじゃなくなるんですよね。ええ。
  だけど、ドラムスがディープ・パープル(Deep Purple)のイアン・ペイス(Ian Paice)だから、ハードロックは似合っておりましたが。
  やっぱりプレスリーはね、プレスリーっぽくやると、ほんとにモノマネになっちゃうんだよね。
  だから、避けたんだと思いますよ。

  で、ビートルズとして、去年の暮出た「BBCライブVol.2(Live at the BBC Vol. 2)」の中から。
  バディ・ホリー(Buddy Holly)の有名な Words Of Love をやっています。
  これは「Pop Go The Beatles」という、もうビートルズの番組がBBCであって、その中で演奏した曲。
  そのビートルズバージョン、お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「1959年の夏の終わり頃。カスバ・コーヒークラブのオープニングの夜。
  あの時の盛り上がりは 生涯忘れないわ。
  それまで、大学生どころか高校生までを受け入れてくれて、ロックンロールを生で聴ける店なんて リバプールには無かったの。
  だから、みんな モナ・ベスト婦人には ほんとうに感謝していたわねえ。
  それに、この夜のクォーリメンの演奏が素晴らしかった。
  ステージにはギタリストだけで、ベースもドラムも無かったんだけど、それでもジョンとポールのボーカルとジョージのギターだけで充分に聴き応えがあったわね。
  2時間なんて あっという間に過ぎていった」

  これは、この数年後ジョン・レノンと結婚し、ジュリアンという息子を儲けることになる女性=シンシア・パウエルの証言。
  彼女の手記から もう少し続けてみよう。

  この夜には、ビートルズの歴史を語るのに欠かすことが出来ない人物との出会いもあった。
  一人は ビートルズの名物ローディーともなる 巨漢のマル・エヴァンス(Mal Evans)
  ジョンやポールよりも一世代上のマルは 後にビートルズのボディガード的な存在になる人物。
  そしてもう一人、やはりビートルズのローディーとして活躍することになるニール・アスピノール(Neil Aspinall)
  当時ニールは このクラブのオーナーであるモナ・ベストの家の下宿人で、会計士を目指して勉強中の学生であった。
  ところが彼はベスト婦人の長男であるピート・ベストの友達でありながら、モナ婦人の恋人でもあった。
  いつの時代でも、恋愛というものは、時に世代も立場をも取り払ってしまうものである。

  その後、クォーリメンはこのカスバクラブで定期的に演奏するようになり。
  観客も400人を超えることも 珍しくなかった。
  地下にある店は 暑く汗臭く、いつも耳をつんざく様な音楽が鳴り響いていた。
  それでも、ジョンもシンシアもこの場所が好きだった。
  クォーリメンのメンバーは この店に出演することによって、初めてマトモなギャラを手にすることが出来た。
  これが後にビートルズになる三人の プロへの足掛かりだったのである。
  〜 The Beatles / Drive My Car
  ttps://www.youtube.com/watch?v=W7dkn1ZnIPk

  〜 George Harrison / When We Was Fab
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0SCWLeli264

  (小林)2曲続きましたね。

  ビートルズの Drive My Car。「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバムからね。

  そして、ジョージ・ハリスンの、これは1987年です。
  アルバムは「クラウドナイン(Cloud Nine))」です。
   When We Was Fab
  Fabっていうのはビートルズのことです。 
  「我々がビートルズだったころ」みたいな、昔を懐かしんでるけど、これはすごい作品で。
  アレンジは、エレクトリック・ライト・オーケストラ(Electric Light Orchestra)のジェフ・リン(Jeff Lynne)が担当しています。

  ジョージ・ハリスンのもう一つの才能、ポールやジョンに無かったもの、それは、友達を作ること。
  ボブ・ディラン(Bob Dylan)だとかね、有名ですよね。トラベリング・ウィルベリーズ(Traveling Wilburys)だとかなんて「友達バンド」だからね
  ジェフ・リンが入ることによって、ジョージ・ハリスンの多面的な所がね、見える感じですよね。
  When We Was Fab
  
  2曲お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「いつも暑いし、汗臭いし、音楽は騒々しい、カスバはそんな店でしたけど。ジョンも私もここが大好きでした。
  アルコールは全面禁止だったので、酔っ払い同士のケンカってのも無いし、本当に安全な場所でした」

  これはジョン・レノンの最初の妻となる、ロックの歴史における超重要人物=シンシア・パウエルの証言。
  彼女の記憶として鮮明に残っている文献から続けてみよう。

  「“カスバ”のオーナーはモナ・ベスト婦人。
  モナには“ピート”という息子がいました。たしか、ジョンと同い年だったはずです」
  ピート・ベスト(Pete Best)と言ったら、ビートルズを語る上で欠かすことの出来ない人物。
  ロックファンなら誰でも知っているように、ビートルズのメジャーデビュー直前にクビになったドラマーで。
  言い換えれば『ビートルズになれなかった男』としても有名です。
  運命とは恐ろしいものかもしれません」

  そのピートも、クォーリメンの演奏に刺激されて本格的にバンド活動を始めることにした。
  パートはドラムス。
  彼はクォーリメンとも顔なじみのギタリスト=ケン・ブラウンらと「ブラック・ジャックス」を結成した。
  カスバのオーナーのモナ婦人も 人の親である。
  自分の息子可愛さに、このブラック・ジャックスを店のレギュラーバンドにすることになり、仕方なくクォーリメンはお役御免となった。

  一方、この年の冬に差し掛かるころ、クォーリメンはバンド名を「ジョニー&ザ・ムーンドッグズ(Johnny and the Moondogs)」に変え。
  いくつかのオーディションを受けてはみたものの、オーディション会場に行くための交通費が工面できなかったり、
  ドラマー不在のため「ビートが弱い」という指摘を受けたりで、上手く行かなかった。
  こうしたことが続き、ジョンはすっかりふて腐れてしまうことも多かった。
  そんなジョンを 時に励まし、また時には尻を叩き、なんとかやる気にさせてくれるのは、いつでもポールであった。
  ポールの前向きで へこたれない性格は 今も変わっていない。
  
  〜 The Beatles / Paperback Writer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=taADLPtyDb0

  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M

  (小林)2曲 続きましたよ。
  これは、共通項があってw、1966年の日本公演で両方ともやったw。

  ビートルズの Paperback Writer ね。
  そして Nowhere Man。
□リクエスト
  (小林)
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくお送りしております。
  メールは [email protected]

  (福岡県小郡市/男性)
  40代のオヤジです。来年の3月 資格を取るため試験勉強がんばっています。
  危険物取り扱い者乙4種という資格です。 (小林)ご苦労さんですw。
  40代のオヤジにとって試験勉強 大変ですねえ。
  半年前から始めて やっと少し判り出してきました。
  少し判り出すと 他の項目との関連が判り出して、勉強が楽しくなりました。
  もうすぐ受験シーズンです。
  若い受験生もがんばってください。
  40代オヤジも 負けないでがんばっています。

  (小林)
  リクエストは Hey Bulldog

  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttps://www.youtube.com/watch?v=d9h0oSeFZCA
  〜 The Beatles / If I Fell
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XdoIS8pQZBI

  (小林)いやあ これも、久しぶりに聴くとなかなか良いですよねえ。
  同様のことが書かれてて。
  (住所不明/男性)
  ビートルズはアルバムを聴いてもシラケない唯一のグループですよねえ。(小林)wwっていう。
  ストーンズもそうかもしれませんが、この If I Fellは、小品であっても 優しい良い曲だと思います。
  ぜひ、かけてください。

  (小林)
  ただこの方、名前とか住所も書いてないんで、イシイ食品のものを送ることができないんですが。
  もし、聴いていたら、っていうことで。
  (茨城県笠間市/男性)
  初めて初メールリクエストいただきました。
  この番組 聴き始めて10年ぐらいになります。
  私が初めて聴いたのは、小学5年生の時。
  当時AMラジオでは 日曜日の午前中 洋楽のリクエスト番組があり 毎週ビートルズが聴けたのを覚えています。
  最も印象に残っている曲は、「ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day's Night) 」
  それまでの私は、坂本九や舟木和夫を聴いていたんですが、とても衝撃的でした。
  以後、ビートルズやローリングストーンズ他 洋楽にハマってしまい、現在に至っております。

  (小林)
  でも、あれですよねえ、これはちょっと前になりますけど、なかなか良い曲でしたね。
  (あなた)のリクエストは、アイルランドのグループ。
  これ兄弟グループです。
  
  〜 The Corrs / Only When I Sleep
  ttps://www.youtube.com/watch?v=k6BU6Nb_vDM
  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jCyGM6tLePY

  (千葉市緑区/男性)
  毎週楽しみに拝聴しています。  (小林)この方も 去年のポール行ったんだ。
  前回 私が行ったのは、今は亡きリンダとのウィングスでした。
  今回は ほとんどがビートルズナンバーでしたが。
  ビートルズ、ウィングス、とポールの熱烈なファンの私にとって夢のような38曲。
  今でも変わらない あの歌唱力とパワーはどこから来るんでしょうか?
  大好きなビートルズナンバーの中で、周りのことを気にせずに思わず歌ってしまいました。
  今の奥さんのナンシー、それから「ジョン、ジョージのために歌います」なんて、感動して涙が出ました。
  観客を巻き込んで みんなと歌った「ヘイジュード」一生忘れることは無いでしょう。
  ただただ ポールに感謝、の今回の来日でした。
  (小林)
  みんなが合唱した。

  (茨城県稲敷市/女性)
  中学時代、クラスのみんなで歌った 思い出の曲です。

  (小林)みんな歌った曲 Hey Jude が流れています。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  カスバ・クラブの話し、ちょっと面白いでしょ。
  お母さんが やっていた。息子がピート・ベストだった。
  ていう話しね。
  で、ビートルズはまあ 結局はレギュラーじゃなくてクビになっちゃうわけですけども。
  それはw しょうがないこと。
  最後には、ピート・ベストの方がビートルズからクビになっちゃう、っていう、お話しですけど。
  なかなか あの頃が、やっぱりビートルズ 売れるちょっと前が 面白いんだと思いますよ。ねえ。
  売れてからは、もう忙しいばっかりになるわけですからねえ。
  
  それから、リクエストよろしくお願いします。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくお送りしています。
  [email protected]
  こちらで待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年1月19日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月19日)
 ・1932年(今から82年前の今日)
  おやおやw みんな生まれてないよねw ビートルズのメンバー。
  そうなんですよ、1932年は、実はビートルズの映画を作った有名な監督=リチャード・レスター(Richard Lester)、彼の誕生日。
  1932年 アメリカ・フィラデルフィアで生まれています。
  ですから、まだ存命ということで、82歳になっています。
  今、映画は作ってないと思いますけども、公演会とかをやったりして、まだいろんなそういう活動は続けている という人なんですけども。
  この人は、ビートルズが出てきた頃ね、イギリスで評判を取るんですよ。
  ピーター・セラーズという・・・、若い人はご存知ないかもわかりませんけどw。
  有名な、まあコメディ俳優というと、ちょっと薄っぺらな表現になりますが、ピーター・セラーズという有名な役者、とてもいろんな事が出来た人なんですけども。
  彼と作った短編映画なんかが評判になって、ビートルズの映画の「A Hard Day's Night」つまり「ビートルズがやって来る、ヤア!ヤア!ヤア!」
  これの時に、もう真っ先に「リチャード・レスターにしよう!」っていう風に決められたっていうことです。
  つまり、あの映画はイギリスのグループの映画だったけれども、プロデューサーだとか会社もそうだし 監督もアメリカ人だったわけですね。

  で、この人は レスターはビートルズの映画を作るていうことになって、ビートルズのことをちょっと調べるわけですよ。
  それで、いよいよ撮影の初日にね、「この四人のことが 良く分かった」ていう風に言っていますね。
  ポール・マッカートニーは映画っていうことで、メッチャクッチャ張り切って、セリフなんかも完璧に覚えてて、なんか力が入り過ぎなんだって。
  その反対に ジョン・レノンは、ぜんぜんセリフを覚えてない、困った奴だ。
  リンゴ・スターは、黙ってるだけでちょっと様になるような、デッドパンスター、つまり チャップリンだとか 表情を顔に現わさなくても何かが伝わるものを持ってるとか。
  そういう風な事が分かって来るんですけども。
  この人はね、映画を撮ると、みなさん想像してください、映画はみんなほら 役者がみんなセリフを暗唱していくわけですよね、言えるようになって。
  それで 動きも兼ねて「ヨーイ、スタート!」でやるわけでしょ。
  ところが、普通の映画だと、そのシーンていうのが「カット!」つて終わっちゃうわけですけども。
  リチャード・レスターが発見したのは、「ビートルズはとても面白い」ということで、カットと言うのをかけないんですよ。
  「スタート!」って言うと、そのセリフをしゃべったあとに何をやるか カメラが見てるわけです。監督が見てるわけです。
  そうすると、ジョン・レノンだとかポール・マッカートニー、それからリンゴ・スターもそうですけども、ジョージ・ハリスンもそうなんです。
  この四人は アドリブが続くんですよ。
  で、そのアドリブの所が、覚えたセリフなんかよりも面白い、だから、そこの所を上手く生かして使った、っていうことを 彼はインタビューなんかで答えています。
  
  さあ、それじゃあ、ちょっと話しが長くなってしまいましたがw、
  ジョージ・マーティンが音楽を担当しますよね。
  で、ジョージ・マーティンがやった作品の中に、ジョージ・マーティン・オーケストラで「リンゴのテーマ」っていうのがあります。
  これはもちろん「A Hard Day's Night」の中でも使われるわけですが、これをちょっとインストゥルメンタルですけども、聴いてみたいと思います。
  この映画が アメリカなんかで紹介されると、リンゴの人気が、とても人気者になるわけですよね、アメリカなんかでね。
  だから、「リンゴのテーマ」と言うのを聴いてみましょう。
  
  〜 George Martin Orchestra / Ringo's Theme
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pPtYVOTNI80
  (小林)ジョージ・マーティン・オーケストラで「リンゴのテーマ」「Ringo's Theme」
  なんだ、This Boy じゃないか。そうですよ。歌が入ると This Boy になるわけですが。
  これがリンゴ・スターのテーマと言うことで、お送りしました。
  結果的にね このレスター監督が作ったビートルズの映画は、高い評価を受けるわけですね。
  なんか、最初の「ヤア!ヤア!ヤア!ビートルズがやって来る A Hard Day's Night」は、なんか昔のサイレント映画の傑作みたいな、サイレント映画の精神を・・・。
  もちろんサイレント映画じゃないんだけどもね、そういうものを捉まえたすごい映画だ、っていう評価が下ったみたいですね。
□ストーリー
 ・1959年の冬に差し掛かるころ、リバプールの美大に通うジョン・レノン率いるクォーリメンはバンド名を「ジョニー&ザ・ムーンドッグズ(Johnny and the Moondogs)」に変え。
  いくつかのオーディションを受けてはみたものの、オーディション会場に行くための交通費が工面できなかったり、
  ドラマー不在のため「ビートが弱い」という指摘を受けたりで、今一つ上手く行かずじまい。
  こうしたことが続き、ジョンはすっかりふて腐れてしまうことも多かった。
  そんなジョンを 時には励まし、また時には尻を叩き、なんとかやる気にさせてくれるのは、いつもポールであった。
  ポールの前向きで へこたれない性格は 今も変わっていない。
  こうしたジョンとポールの人間関係について、ジョンの最初の妻となる女性=シンシア・パウエルの証言を 今週もひも解いてみよう。
  
  シンシアは次のように語っている。
  「私がポールと顔なじみになった頃には、もう ジョンとポールのパートナーシップは結束の固いものだったと思うわ。
  二人は自分たちのオリジナル曲を、それが一緒に書いたものであっても、どちらかが一人で書いたものであっても、その全てを「ジョン・マッカートニー」
  その全てを「レノン・マッカートニー」の名義で、あくまでも共作として発表しようと決めていたの。
  自分たちが成功するか否かは 二人の結束の固さにかかっているという事を、その頃からすでに強く感じていたんです」

  いつも持ち歩いているノートには、自分たちのレパートリーの歌詞の全てを書いておくタイプのポールに対し ズボラ極まりないジョン。
  ポールが物事に取りかかる時の手際の良さや、念入りな進め方は、ジョンの「出たとこ勝負の何でもアリ」というスタイルとはかなり違っていた。
  そんな好対照なソングライターチーム=レノン・マッカートニーが、後に20世紀最大の成功を収めるとは。
  この1959年当時、まだ誰にも想像すらできなかったのである。
  〜 The Beatles / Like Dreamers Do
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Lekq_1B2SMk

  〜 The Beatles / Thank You Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=KuIxCrItZ9s
 
  (小林)というわけで、初期のレノン・マッカートニーの作品が2曲 歌われましたね。
  
  Like Dreamers Do これは1962年の1月1日に 正月に、デッカレコードで受けたオーディションの中に入っています。
  ポールがリードボーカルを取っていましたね。
  
  そして、Thank You Girl 、
  これは「From Me To you」のB面としてなじみの深い曲です。
□ストーリー(続き)
 ・「バンドのレパートリーの全ての歌詞をノートにまとめておくほど 用意周到なポールに対し、人生瞬発力“出たとこ勝負”のジョン。
  二人は何から何まで正反対だったわ」
  これは、この数年後ジョン・レノンと結婚し、ジュリアンという息子を儲けることになる女性=シンシア・パウエルの証言。
  彼女の手記から もう少し続けてみよう。

  「私が知っている限り、ポールは約束の時間に必ず現れ、しかも身なりもキチンとしていたわ。
  おそらく耳の裏まで きれいに洗ってあったでしょうね。
  ポールは 皆さんが想像するのと全く同じ、昔から完璧主義者そのものでした。
  それに対して、ジョンは約束の時間には必ず遅刻し、しかも『ついさっき起きました』という様子で現れるんです」

  まったく何から何まで正反対のジョンとポール。
  そういう二人だからこそ お互いに補い合って完璧になって行った。
  ジョンは、ポールの細部にまでも気を使う 几帳面さや根気強さを必要としたし。
  ポールには、秩序の無さや 自由な発想のもとに物事を考えられるジョンの能力が必要だった。
  二人が一緒に曲を作る時、ポールの優しいメロディは ジョンの熱烈で挑戦的な旋律や歌詞と 美しく調和した。

  シンシアの証言はさらに続く。
  「当時ポールは、ジョンに一目置いてもらおうと一生懸命だったわ。
  自分のイイところを見せようとして、カッコイイだろうとばかりに、テカテカに撫で付けた髪を見せびらかすようなポーズを取ってみたり。
  気取って歩いてみたリ。
  ポールのこういった行動の理由はたった一つ、それはジョンがリーダーだったからです。
  バンドはあくまでもジョンのバンドで、メンバーに誰を入れ誰を入れないか ということや、どんな曲を演奏するかに関しても 最終的な決定権はジョンにありましたね。
  その当時のポールにとっては、まさにジョンのようになることが夢だったんです。
  それだけ、ジョン・レノンという人物は魅力のある人でしたね」
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=bqIzAjqtkF0

  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MG-ia0NV8Ts

  (小林)2曲続きましたね。
  Bad Boy これはアメリカのシンガーのラリー・ウィリアムス(Larry Williams)のヒット曲のカバーです Bad Boy。
  これは66年「Oldies But Goodies! 」の中に入っていました。
  
  そして「ラバーソウル(Rubber Soul)」の中の名曲,Norwegian Wood
  つまり「ノルウェーの森、This Bird Has Flown」

  2曲 お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンは間違いなくバンドのリーダーでしたね。
  メンバーに誰を入れるか とか、どんな曲を演奏するかに関しても、最終的な決定権はジョンにありましたね。
  その当時のポールにとっては、まさにジョンのようになることが夢だったんです。
  それだけ、ジョン・レノンという人物は魅力のある人でしたね」

  これはジョン・レノンの最初の妻となる ロックの歴史における超重要人物シンシア・パウエルの証言。
  鮮明に残る彼女の記憶をまとめた文献から続けてみよう。
  
  「ジョンは いつも堂々としていて、自信があり、すべてを取り仕切っていました。
  ポールは いつでもそんなジョンを支えるナンバー2的な役割り、とでも言うんでしょうか。
  よく考えてみると、その頃のポールは17歳の高校生で、2歳年上のジョンは19歳の美大生ですから、年長者のジョンがリーダーというのは当然のことでしたね」

  しかし、二人がより親しくなるにつれて その位置関係は変わって行った。
  ジョンは、ポールの音楽の才能を認め、ポールから学ぶべき所は沢山ある、ということを認めるようになった。
  すると、ポールはより自信を付けてジョンの期待に応え、決定権を二人で分かち合い、最終的にはバンドを一緒に運営して行くようになった。
  
  そんなジョンとポールが友情を深めていった理由は 他にもあった。
  それは、二人が母親を失っていたこと。
  ポールの母=メアリーは ポールが14歳、弟のマイクが12歳の時に、乳癌で亡くなっていた。
  看護士であり助産婦でもあったメアリーは、胸に鋭い痛みを感じてはいたが 家族のために仕事を続けた。
  乳癌と診断された時には、すでに症状は重くなっていて、そのわずか数ヶ月後に息を引き取った。
  当然、マッカートニー兄弟は 父親のジムが一人で育てることになった。
  ジム・マッカートニーは若い頃、自分がリーダーとなり アマチュアのバンドで人気を博していた。
  幼いころのポールとマイクにピアノを弾いて聴かせていたのもジムであった。
  これがポールにとっての 音楽原体験であることは言うまでもない。
  〜 The Beatles / Honey Pie
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xS7wxh_atFY

  〜 The Beatles / lovely litta
  ttps://www.youtube.com/watch?v=40hhWB6n6wk
 
  (小林)というわけで、
  ポール・マッカートニーのお父さんね、ジム・マッカートニーはアマチュアのバンドリーダーでもあった。
  ピアノを弾いて、よく歌を子供の頃から聴かせてくれていた っていう。
  こういうこともあって、ポールの得意技の一つになっていますね。
  昔の映画のサントラみたいな感 じだとか。
  昔のイギリスとかヨーロッパにあったミュージックホール、歌と踊りの音楽寄席みたいな所で流れた音楽、みたいなものを感じさせる曲ですよね。
  Honey Pie そして lovely litta、2曲。
□リクエスト
  (小林)メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしたパッケージを差し上げております。

  2週間も経ってないんですが、大滝さんが亡くなったっていうことで、
  今日は最初の2曲は、大滝さんトリビュート、ということになります。

  (柏市/男性)
  大滝さんが まさかの急逝で気が動転している僕ですが、追悼の意を表して「幸せな結末」をリクエスト致します。
  大滝さん合掌。

  (小林)
  ということで、先ず「幸せな結末」から。

  〜 大滝詠一 / 幸せな結末
  ttps://www.youtube.com/watch?v=PSBu4WDIkKY

  〜 植木等 / これが男の生きる道
  ttps://www.youtube.com/watch?v=RAWVRhRyp5k

  (小林)大滝詠一の「幸せな結末」からクレイジー・キャッツが流れましたけどw。
  ちょっとこのリクエストを聴いてください。

  (白岡市/男性)
  大晦日に届いた大滝詠一さんの訃報に驚いています。
  ビートルズの作品もそうですが 大滝さんの作品を通じて 遥か彼方のオールデイズの数々を知ることができました。
  生前、大滝さんがジョン・レノンのトリビュートについて寄せた言葉に「本人の歌も結構だが、その人が愛していた楽曲を捧げるのが 本当の追悼だ」
  というものがありました。
  今回はそんな大滝さんも敬愛していた、クレイジー・キャッツの「これが男の生きる道」を追悼としてリクエストいたします。
  今は、偉大なミュージシャンとして、ポップスの語り部の旅立ちに、お悔やみを申し上げます。
  (小林)ていうことなんですが。
  大滝さんは、ほんとにねえ、植木等さんの大ファンで、植木等さんクレイジー・キャッツの音楽を、なんか「これはもう日本の財産だ」みたいなことを言ってて。
  僕と話したことがあるんですけど「彼の墓を守って行きたい ような気持ちがあるんだ」ということを言ってましたね。
  それから、ビートルズの番組でこういうのが流れていますけども、大滝詠一さんは 子供の頃プレスリーの歌聴いて驚いて。
  ビートルズの影響をすっごく受けています。
  で、彼の口癖でしたが「僕はビートルズとプレスリーの曲、全部歌詞を覚えていて 歌うことができるんだよ」これ、自慢でしたね。彼がね。
  だから、そういう人だったんですよね。
  
  (富里市/男性)
  大好きなローリングストーンズ東京公演、当選しました。
  まさか抽選に当たるとは思っていませんでした。
  初めての生ストーンズ、楽しんできます。
  自分は初期のストーンズ、特にブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)の大ファンで。
  2月28日彼の誕生日をまたいで来日することが とても感慨深いです。
  リクエストは「ルビーチューズデイ」をお願いいたします。
  学生時代に音楽の時間でやらされたリコーダーを こんなにカッコよく聴かせるのは この頃のストーンズの魅力だと思います。
  来日公演でも聴けるといいなあ。

  (小林)ていう。
  聴けないか? 聴けないと思うか?w まあいいか、そういうことはねえw。
  あなたのリクエストです。 Ruby Tuesday
  
  〜 The Rolling Stones / Ruby Tuesday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=a00_tPLcE_g

  〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pB4zU_ebcl0

  (杉並区/女性)
  リクエストは、私がビートルズで一番好きな Can't Buy Me Love
  なぜか 昔からこの曲が好きなんです。

  (小林)
  どうもリクエストありがとう。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?
  
  やっぱり、お話しの方は ポールとジョンの物語。
  そして、その頃はもちろん ジョン・レノンが最初の結婚をする相手シンシア。
  シンシアが語った その二人、ていうところは ほんとに新鮮なイメージでね。
  どういう人だったんだろう? どういう風な学生だったんだろう?
  で、この二人は どのように成長したんだろう?
  っていう、最初の所ですからねえ。
  で、恋愛物語としても面白いと思いますよ。ええ。
  
  それから、大滝詠一さんが 亡くなったということで、いろんな番組でも大滝詠一さんの残した傑作の数々が紹介されたりしています。
  番組の途中でも言いましたけど、彼はほんとにビートルズの曲を全部歌えたっていう。
  彼はね、英語がとても大好きで、英語にも造詣が深くて、英語の発音がすごい良いんですよね。
  僕はビックリしましたよ。あんなに・・・。
  あの人は完璧主義だから、ほんとに発音が良くてビックリしました。
  大滝詠一は山下達郎の先輩ですが、どちらも似たようなところを目指してる ようなところがあるんですが。
  大滝詠一とね山下達郎の違いはね、今日クレイジーを紹介しましたけど、大滝詠一さんは ああいうユーモアが、すっごい好きなんですよね。
  大滝さんのことが気になってる方は「ナイアガラ」の一連のアルバムがあるんですが。
  「ナイアガラ」で検索してアルバムをチェックされることを、できれば買って大滝さんのことを偲んでいただきたいと思います。
  
  リクエスト 待っています。
  イシイのミートボールなどをセットにして採用の方には差し上げております。よろしく。
  じゃあまた来週。お相手は小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年1月26日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月26日)
 ・1969年(今から45年前の今日)
  もうビートルズも、ね、解散がだんだん近づいて来ている。
  所は アップルスタジオ。
  ビートルズのスタジオですけど、このアップルスタジオってのは まず説明しとかなきゃだめなのは。
  ビートルズのスタッフの一人だった マジック・アレックスていう、けっこうこの人がインチキで。
  この人のおかげで、アップルスタジオには充分な機材が無い、だけどアップルスタジオ なんですよ。
  で、この日はEMIスタジオから 機材を借りてきたアップルスタジオで、ビートルズは、いいですか?これはちょっと 曲を羅列するんですけど。
  Dig It ていう曲ね。それから Shake, Rattle & Roll カバーです。
  Kansas City これもみんなロックンロールのカバーです。
  Miss Ann, Lawdy Miss Clawdy, Blue Suede Shoes, You Really Got A Hold On Me, The Tracks of My Tears
  そして なぜか、Let It Be。

  そして ジョージ・ハリスンのデモ曲があるんですが、これはタイトルが付いてなくて、最終的には Isn't It A Pity になるっていう曲。
  これを録音してるんですよね。
  それから Let It Be をまた録音して、The Long And Winding Road もやっている。
  こんなに たくさんの曲をやっているっていうことは。
  この頃はポール・マッカートニーが、ほら、ビートルズはツアーを辞めて何年か、レコーディングだけのグループになってるんだけど。
  「俺たちは、ライブをやろう。ライブってのは必要なんだ」ていうことを ポールを中心に・・・。
  もう、一番やりたくないのは おそらくジョン・レノンだったと思うんですけど。
  「やろう!、やろう!」ってポールが扇動するんですよね。
  だから、こんなのをやってたのは きっと「ビートルズとして やってけるんじゃないか?」ていうことを、
  「なんかやってみようよ」っていうことで、こんなたくさんの曲を録音したり やったりしたんじゃないか、と思うんですよね。
  さて、それでは今日、ちょっと聴いていただきたいのはですね、
  この日にデモテープを録ったのが さっき言ったジョージ・ハリスンの Isn't It A Pity
  これはジョンもポールも、まあ良い曲だと思ったんでしょうけども、採用されなかった、ビートルズのアルバムには入らなかった。
  結果的には、ジョージ・ハリスンのソロアルバムに入るわけですけども。
  この曲は 良かった証拠にね、グラハム・ナッシュ(Graham Nash)とかポール・ヤング(Paul Young)とか、ロバータ・フラック(Roberta Flack)とか
  いっぱいミュージシャンがカバーしてる曲なんですよ。
  で、デモの状態で、それでは ジョージ・ハリスンの、デモの状態で いいですね? デモの状態で聴いていただきます。
  
  〜 The Beatles / Isn't It A Pity
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3AD8oDTZ0s0

  (小林)いかがですか?
  これ、デモの状態でね、45年前のきょう、録音された音で ちょっと聴いたわけですけど。
  なかなか良い曲ですよねえ。
  ジョージ・ハリスン独特の世界じゃないですか。
  さっきも言ったアーティストの他にも、マット・モンロー(Matt Monro)とか、スリー・ディグリーズ(Three Degrees)とか、ニーナ・シモン(Nina Simone)とか
  R&B系とかジャズ系の人、だからジャンルを問わないんですよ。
  だから、いかにこの曲がいろんな人を惹き付けたか、てのが判かりますよね。
  45年前の貴重な録音を聴いていただきました。
317ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:8) :2014/01/30(木) 13:51:00.33 ID:y/x8fz3Z0
□ストーリー
 ・ロックの世界で 最も成功したソングライターコンビである、レノン・マッカートニー。
  十代の頃には、運命の出会いをしたジョンとポールが 友情を深めて行った理由、それは 二人が母親を亡くしていたこと。
  ポールの母メアリーは、ポールが14歳、弟のマイクが12歳の時に乳癌で亡くなった。
  看護士であり助産婦でもあったメアリーは、胸に鋭い痛みを感じてはいたが 家族のために仕事を続けた。
  乳癌と診断された時には、すでに症状は重くなっていて、そのわずか数ヶ月後に息を引き取った。
  当然、マッカートニー兄弟は 父親のジムが一人で育てることになった。
  
  ジム・マッカートニーは若い頃、自分がリーダーとなり アマチュアのバンドで人気を博していた。
  幼いころのポールとマイクに ピアノを弾いて聴かせていたのもジムである。
  ポールが夢中になっている音楽はR&Bとロックンロールであり、ジムのバンドが演奏するものとはかなり違っていたが。
  彼は音楽に夢をかける我が息子を応援していた。

  ところが、そんなジムも、ポールの親分格であるジョンには警戒心を懐いていた。
  「ジョンが息子に悪い影響を与えるのではないか?」と心配して、ポールにはたびたび注意をうながした。
  「ポール。そんな細いズボン穿いちゃいけないよ。そんなんじゃ 間違いなく学校の生活指導の先生に目を付けられる。
  お前だって大学に行くつもりだろ?。だったら、そんな不良の格好は良くないなあ。
  せめて、バンドで演奏する時だけにしたらどうだ?。
  とにかく、学校が決めたキチンとしたズボンに穿き替えること。いいな?」
  
  そんなジムではあったが、最終的にはジョンとポールが音楽で友情を深めていることを理解し、二人の味方になってくれた。
  妻のメアリーを亡くし、労力的にも さらに経済的にも厳しくなったマッカートニー家ではあったが。
  父親のおかげで 家族愛、そしてもちろん音楽愛に満ち溢れた、素晴らしい家庭であったことは言うまでもない。
  〜 The Beatles / When I'm Sixty Four
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Xcn8fwepOfs
 
  〜 Paul McCartney / Teddy Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gU86F44tqDE
 
  (小林)ポールの作品が、それも高校時代の・・・というか。

  When I'm Sixty Four というやつは 高校の時に書いたやつですね。
  「サージェント・ペパー」に入っていましたけど。

  それから、ポール・マッカートニーの Teddy Boy という曲をお送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「私とジョンはよく、バンドの練習のために フォースリン・ロードにあるポールの家を訪れていましたね」
  これは、この数年後ジョン・レノンと結婚し ジュリアンという息子を儲けることになる女性=シンシア・パウエルの発言。
  彼女の手記から ご紹介しよう。

  「ポールの家は ジョンの住むウールトン地区のすぐ近くにありました。
  お父さんのジムは たいがい仕事に出かけていて留守だったけど、彼が家にいる時は 必ず私たちを歓迎してくれたの。
  両方の腕をまくり上げ、エプロン姿で、片手には布巾を持って、そんなお母さんみたいな恰好で迎え入れてくれるんです。
  ジョン、ポール、そしてジョージが リビングルームでギターをかき鳴らしている間、ジムはキッチンで忙しく立って働き。
  『お茶が入ったよー!』と 私たちを呼んでくれるんです。
  それはもう 素晴らしいお父さんでした。」
  
  このシンシアの証言から推測するに。
  ジョン、ポール、ジョージの それぞれの実家では、音楽そのものには意外と理解を示してくれていたことがわかる。
  もちろん、そのバンド活動に付随する 色々なイケナイことに関しては、理解を示す親などいないことは言うまでもない。

  そしてこの頃の ジョンの友人関係について、恋人のシンシアはこうも話してくれた。
  「ポールはジョンにとって 誰よりも心を許した3人のうちの一人でした。
  仲間と呼べる友達はたくさんいましたが、ジョンが本当に警戒心を解くのは ポールと私と 美大の同級生のスチュアート・サトクリフに対してだけ。
  スチュは線が細く、黒い髪と眼をしていて、情熱的で、真面目で勤勉でした。
  どこか怠け者を演じているところのあるジョンとは まるでタイプが違っていました。
  彼は美術に関しては間違いなく天賦の才能を持っていて、近い将来必ず成功するだろうって、誰もが思っていたんです。
  ある意味、ジョンの憧れの存在でしたね。」
  〜 The Beatles / I Am The Walrus
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WU4uaKgCQ9A

  〜 The Beatles / A Day In The Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=PyD_FH2iYbM

  (小林)お送りした2曲は、アルバムは違うんですけどね、同じ1967年。
  その時代では、両方ともヘビーな、ヘビーっていうのは ちょっとドラッグ用語で「ドシンと来る」ていう。
  そういう意味で使われてた 流行語なんですけどね。
  ヘビーな曲、2曲お送りしました。

  実際にね、夢見るような瞳で聴いているビートルズファンもいるかもわからないけども。
  この2つはね、フダ付きですよ。
  アメリカでも、放送局によって違うんですけども、イギリスでもそうですけども、一時放送禁止になったような・・(インナー・グルーヴが鳴る)
  ほらw、こういうのが来るからね。
  どうして放送禁止になったか?。「ドラッグと関係ありそうだから」っていうのがw 理由なんですけどw。
  そんな時代だったんですよ。
  2曲お送りしましたが、これねえ 時代的にすっごい過激な曲だったんです。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンが本当に警戒心を解くのは、ポールと私と 美大の同級生のスチュアート・サトクリフに対してだけ。
  彼はアートに関しては間違いなく天賦の才能を持っていて、近い将来必ず成功するだろうって、誰もが思っていたんです。
  ある意味、ジョンの憧れの存在でした」
  これはジョン・レノンの最初の妻となる ロックの歴史における超重要人物=シンシア・パウエルの証言。
  彼女の鮮明なる記憶をまとめた貴重な資料から 続けてみよう。

  「スチュは、ジョンや私と同じリバプール・カレッジ・オブ・アートの学生でしたが。
  その油絵の才能と作風は、学生のレベルではありませんでした。
  市内にあるギャラリーから定期的に依頼されて、プロの絵描きとして描いて報酬をもらっていたんです。
  ある日スチュが描いた 鮮やかで大きなキャンバスを何枚か見たジョンは、その絵に魅了されて、同じ絵を描いてみたいと思ったらしいんです」

  実は ジョンは、マンガや風刺画がかなり上手く、高校時代にそれが美術の先生に高く評価されていた。
  そのおかげで、進級試験の結果があまり芳しくなかったにもかかわらず、アートカレッジには なんとかもぐり込めたと言われている。
  そういった特技のあったジョンが、スチュアートに興味を持ったことは 自然なことであった。
  そんなジョンとスチュアートに関して シンシアはさらに続けてくれた。

  「スチュとジョンの共通点は、絶えず動いていて、何でも素早くやらなければ気が済まない。その性格でした。
  ただ何においても集中力が無く 飽きっぽいジョンに対し、スチュは作品に全エネルギーを注ぎ込むことができたんです。
  だからこそ、大学の中でもスター的な存在になれたんでしょう。
  彼はジョンに対して、「自分の中にあるアート感覚を信じて、何か実験をしてみろ」としきりに勧めていました。
  ジョンにとってスチュは、友人の中でも最も刺激的な存在だったんです」
  〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tisjsgsgtZU
 
  (小林)当時の流行語で「ヘビーな曲」がまた一発。
  ビートルズ、Tomorrow Never Knows
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてプレゼントしております。

  (茨城県古河市/男性)
  ビーズの「GUITARは泣いている」をかけてください。
  最近ネットでビートルズの適当な曲名などで検索していたら、ギターメーカーによるB'z松本さんのインタビューを見つけました。
  インタビューによると、松本さんは14歳の誕生日に両親に青盤をプレゼントされ「While My Guitar Gently Weeps」が好きだったそうです。
  ギターソロが本当に泣いているように聴こえると言っていました。
  その曲はこのエピソードに関係ありそうな単語で検索してみたら 発見しました。
  タイトルは「While My Guitar Gently Weeps」から拝借したんだと思います。

  (小林)
  まあ、そうだと思いますけど。
  ジョージの作ったこの曲は、今の言葉を使うと、歌詞なんか かなり「オルタナ」の世界ですよね。
  それでは、あなたのリクエストで・・・

  〜 B'z / GUITARは泣いている
  ttps://www.youtube.com/watch?v=p7FUYYWCL2A

  (小林)というわけで、B'zの GUITARは泣いている。
  こちらは、ラブソングになっておりましたね。
  (加須市/男性)
  僕がビートルズを聴き始めたのは最近です。
  切っ掛けは ポールの来日公演。  (小林)つい、こないだ じゃあないですか。
  とても感動しました。
  いつも小林克也さんの放送を聴いて 音楽の勉強をしています。
  友達同士でビートルズの話しはできないですが、ラジオや本などで学んでいます。
  そこで、ポールの来日公演のオープニングの Eight Days A Week をお願いします。

  (小林)というw
  行きますよ〜  Eight Days A Week

  〜 The Beatles / Eight Days A Week
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Vs5qsk0pc6Y

  (小林)ビートルズが有名にした Eight Days A Week
  こうやって聴くとね、すごいポップスですよね。
  ビートルズはね、1964年に世界的に売れて、そして70年に解散しますが。
  その間に、音楽の歴史的にはね、それまではシングルの時代なんですよね。
  ところが、60年代の中頃から後半にかけてですね、アルバムの時代になって行くんですよ。
  アルバムですから、ただ単なる楽しいばっかりの曲じゃなくて、いろんなメッセージを込めたりするような。
  だから、今日はもうすでに「I Am The Walrus」とか「A Day In The Life」とか ああいった曲をお送りしましたけど。
  ビートルズは、やっぱりアルバムを作るような曲の 先駆(さきが)けですよね。
  そんな感じですが。
  (小林)
  さあこれはまだ、あれですかね、シングル時代のあれかなw。
  グループは、いかにも「ビートルズ」っていう名前があったから「タートルズ(Turtles)」が来たんじゃないかと思われるグループの曲を紹介します。

  (川越市/男性)60歳
  毎週この放送を楽しみに聴いている トラックドライバーです。
  いよいよ 新しい年 明けております。
  今年も欠かさずにこの番組を毎週聴いて、ハンドル握りしめ安全運転をします。
  そこで、今年初のリクエストは・・・

  (小林)ていうw
  Happy Together ねw。新年にふさわしくね。リクエストありがとうございます。
  
  〜 Turtles / Happy Together
  ttps://www.youtube.com/watch?v=9ZEURntrQOg
  〜 The Beatles / Help!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZNahS3OHPwA

  (小林)
  いやあ、タートルズの Happy Together から、こんどはビートルズの Help! に変わりました。

  (八街市/男性)50歳
  毎週トラックの中で楽しく拝聴しております。
  私がビートルズの歌を初めて聴いたのは、中学1年の時。
  同級生の兄貴がエレキを弾きながら歌ってくれた Help!でした。  (小林)ていう。
  英語の歌詞はぜんぜん解かんなかったけど、ノリノリのリズムで感動した。
  (小林)ていう。
  そういう力を持っているわけですね。
  内容からいくとね、さっきは「オルタナ」とか「ヘビー」とか いろいろ言葉を使ったりwしておりますが。
  20年ぐらい前から「従来のものじゃない」っていう意味で「オルタナ」って言いますよね。
  新しい意味を持った っていう、
  だから Help! はその時代では「新しい意味を持ったシングル」みたいな感じですよね。
  もうほんと 傑作の一つですよね。

  アルバムの時代、シングルの時代、みたいなこと言いましたけど。
  最近はねえ、ダウンロードで曲がやり取りされるようになってね、実はね、アルバムの時代じゃなくなりつつあるんですよ。
  シングルの時代になりつつあるんですよ。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  シンシアが、最初のジョン・レノンの嫁さんのシンシアが語る、ジョンとポール。
  ちょっと面白いと思います。
  そして、ジョン・レノンにすっごい大きな影響を与えた、あのスチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)が登場しております。
  来週をお楽しみに。
  
  リクエストの方も よろしくお願いしますね。
  みなさん、いろいろな立場の人いると思いますよ。
  ビートルズにどれだけ関わってるか、とか、どれだけ長くビートルズを聴いている、とか、どれだけ深い浅い。
  そんなの関係ないですから。
  いちおう、この番組にリクエストで参加してください。
  イシイのミートボールなどセットにして採用の方にはプレゼントしておりますのでよろしく。

  メールは
  [email protected]
  ファックスが
  043-351-8011
  なかなかFAX来ないけどね。
  小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年2月2日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(2月2日)
 ・1963年(今から51年前の今日)
  実は、ビートルズが売れる本当にちょっと前です。
  イギリスでね、ナンバーワンになるちょっと前です。
  で、だからビートルズは、やっぱりビートルズの気持ちは「いやあ、なかなか売れないなあ〜」なんて気持ちなんですよ。
  でも、レコーディングは済ましていて。
  ビートルズがヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)・ツアーで周ります。

  この日はですね、ヘレン・シャピロという14歳でイギリスでデビューして、イギリスでナンバーワンになった曲で知られるヘレン・シャピロというシンガー。
  彼女の前座として、今日はやっている。
  で、ヘレン・シャピロっていう人は、イギリスでは大変なスターになっているわけですよね。もう、高校生ぐらいの年で。
  で、ビートルズは二十歳にまだなって・・・二十歳前後っていう感じですかね。
  だから“お兄ちゃん”ていう感じで、ヘレン・シャピロによると「とても 優しかった」「ビートルズは まだ無名だったけれども、とても優しかった」
  仲良くなって、ビートルズはヘレン・シャピロに曲を提供するようになったりするわけ。
  これはまあ、成功してないですけどね。
  この頃は ビートルズは有名になってないですから、大部屋です。自分たちの部屋は寒い、メチャクチャ寒い、暖房も充分じゃない。
  でも、ヘレン・シャピロの部屋にはテレビがあってw。
  仲良くなったんで、ヘレン・シャピロの部屋にずっといて、いろいろ話しをしたり、っていうそういうことがあったようです。
  ビートルズは、だから優しかったんだよね。そういう人たちにね。
  特にジョン・レノンが、ヘレン・シャピロにとっては優しかったそうです。
  で、これが終わったあとで あの「Please Please Me」がナンバーワンになる、ということです。
  ではね、そのヘレン・シャピロていう人は、日本でもすごかったんですよ。
  日本ではこの頃は、日本の歌手が 英語を日本語にして歌い直してヒットしたりしました。
  確か、中尾ミエ とかそういった人たちが歌ってヒットしたんじゃないかなと思うんですけど。
  タイトルがね「悲しき片思い」っていう日本語のタイトルも付いていました。
  源タイトルは「You Don't Know」、では Helen Shapiro
   
  〜 Helen Shapiro / You Don't Know
  ttps://www.youtube.com/watch?v=nXHJmQoq5To

  (小林)1960年代、日本でもこのオリジナルはヒットしました。オリジナルも、ですね。
  で、日本のシンガーが日本語で歌う曲もヒットしました。
  そういう時代だったんですよ。

  これ、気が付きましたかね? 僕なんかね、ラジオで初めてこの人の歌を聴いた時に、途中からラジオをつけて「あ、男が歌ってる」と思ったんだよね。
  男の歌だとw 思ってたら、あとで、ヘレン・シャピロって、「えっ ヘレンったら女じゃん?」」ていう。
  すっごい太い声をしてるでしょう?。ねえ。そう、思えるじゃない?。
  日本の女性シンガーは もっとこう、なんての、日本語で言う「女性ぽい」でしょう。
  だから 両立したんですよね。
  そう思うんですよ、僕はw。
□ストーリー
 ・「スチュとジョンの共通点は、絶えず動いていて、何でも素早くやらなければ気が済まない。その性格でした。
  ただ 何においても集中力が無く、飽きっぽいジョンに対し、スチュは作品に全エネルギーを注ぎ込むことができたんです。
  だからこそ、大学の中でもスター的な存在になれたんでしょう。
  彼はジョンに対して『自分の中にあるアート感覚を信じて、何か実験をしてみろ』としきりに勧めていました。
  ジョンにとってのスチュは、友人の中でも最も刺激的な存在だったんです」
  これは、あのジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエルの証言。

  今週も ロックの歴史上かなりの重要人物であるシンシアの 鮮明な記憶を綴った彼女の手記からお伝えすることにしよう。
  ここでは、ジョンと彼の親友であった画家のスチュアート・サトクリフの関係について語っている。

  「スチュは、その類(たぐい)まれな絵の才能と、信じられないくらいの集中力のおかげで、プロの画家になれたんです。
  ジョンよりも3ケ月早く生まれただけなのに、美大での学年は一つ上で。
  ジョンに対しては『お前は間違いなく才能がある。自分に正直に、誰にも真似できない何かを見つけろよ』と発破をかけていました。
  スチュは絵を描くことにあまり没頭しすぎていて、ガールフレンドもいなければ、食事を摂ることさえも忘れるような感じだったわ。
  彼は ほとんど毎日、授業が終わっても絵を描くために教室に残っていたの。
  そこに、ジョンも付き合うってことも よくあって。
  男同士のくだらない話しをしたり、息抜きのために ジョンがスチュにギターを教えたり。
  ああいうのが、“気の置けない仲”っていうんでしょうか。
  女子の私が見ていても うらやましい関係だったわ」
  〜 The Beatles / Two Of Us (Naked)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=W6Az2d1umas
 
  〜 The Beatles / You Can't Do That
  ttps://www.youtube.com/watch?v=usQ8AhiRcNE
 
  (小林)2曲続きました。

  Two Of Us これは音が良かったと思いますけども。
  「Naked」ミックスをやり直した「Let It Be」のアルバムに入っている有名な曲で。

  そして、これは 今お送りしたのは You Can't Do That。
   「A Hard Day's Night」のアルバム。
  1964年の作品です。
□ストーリー(続き)
 ・「スチュは ほとんど毎日、授業が終わっても絵を描くために教室に残っていたの。
  そこに、ジョンも付き合うってことも よくあって。
  男同士のくだらない話しをしたり、息抜きのためにジョンがスチュにギターを教えたり。
  ああいうのが、“気の置けない仲”っていうんでしょうか。
  女子の私が見ていても うらやましい関係だったわ」

  これは、この数年後ジョン・レノンと結婚し、ジュリアンという息子を儲けることになる女性=シンシア・パウエルの発言。
  ジョンとその親友スチュアート・サトクリフについて、さらに続けてくれた。

  「ジョンは当時のアートスクールの中でも どこかカリスマ的な所があって、どんな学生からも一目置かれていたんです。
  でも、スチュは、他の仲間と違って、ジョンを崇めたリお世辞を言ったりしないんです。
  もちろん、ジョンの真似をしたことなんて ただの一度も無かったと思います。
  むしろスチュは、ジョンにきちんと敬意を払った上で、対等な相手として扱っていました。
  ジョンが本当に望んでいた 友人としての関係は、まさにこういうものだったんですね」

  当時友人の少なかったジョンは、自分と関係を持つ人間には、どこか特別の輝きを求めていた。
  それは ポールに対しても、シンシアに対しても、そしてもちろん スチュアート・サトクリフに対しても同じであった。
  ポールに対しては、ロックンロールの才能。
  シンシアに対しては、女性としての 自分を満たしてくれる何か を求めた。
  しかし、スチュは 最初からジョンには無い 正統的なアートの才能に満ち溢れていた。
  
  「俺はこの先 いったい どうしたらいいんだ? 
  このままロックを続けるのか、それとも、その辺りのオヤジみたいに普通の労働者になるのか?、判らない。
  でも、この男だったら きっとみんなと違う別の世界を教えてくれるんじゃないかな?」

  こうして、スチュはジョンにとって さらに特別な存在になって行くのである。
  
  〜 The Beatles / Baby You're a Rich Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fVtHztdkrnU

  〜 The Beatles / Revolution 1
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VPpLgnGA-cc

  (小林)これは ビートルズの中期って言ったらいい…後半ですかねえ。
  もう、とことんまで完成されたころのビートルズの 2曲。

  「Magical Mystery Tour」の中から Baby You're a Rich Man

  そして、これは「ホワイトアルバム(THE BEATLES)」から Revolution  1の方です。
□ストーリー(続き)
 ・「俺はこの先 いったい どうしたらいいんだ? 
  このままロックを続けるのか?、それとも、その辺りのオヤジたちみたいに普通の労働者になるのか? 判らない。
  でも、この男だったら きっとみんなと違う別の世界を俺に教えてくれるんじゃないかな?」

  時は1959年、リバプールのアートスクールに通うジョン・レノンの心のつぶやき。
  “この男”と呼んでいるのは、同じ美大の学生スチュアート・サトクリフのこと。
  ジョンがスチュの才能を認めるのと同じく、スチュもジョンの持つ特別なきらめきに心を惹かれていた。

  ほとんどの人たちは、「ジョンはこのまま行ったら、将来まともな職にも就けず。「社会の落伍者」か「ただの怠け者」になってしまうだろう」と決めつけていた。
  そういう人たちが持つジョンに対するイメージは、教室でピエロ役を演じ、他の真面目な学生に対しては、うまいあだ名を付けたりして、
  「バカバカしいことばっかりやっている、どうしようもないやつ」といったもの。
  大学の先生連中は「ジョンは天才になるか、ホームレスになるか、どちらかだろう」と極端な評価を下していた。
  ジョンの場合、どうやら その中間とか、ほどほどの、とかいった予測は付けにくかったのである。
  同じように、人々は ジョンを好きになるか嫌いになるか のどちらかであり、その存在を無視することは不可能であった。
  
  このあたりについて、ジョンの最初の妻となるシンシア・パウエルは語ってくれた。
  「ジョンを愛する私たちは、『彼が常識的な世の中に適合して行くのは難しいかもしれない』と考えていました。
  それと同時に、ジョンの中に まだ手が加えられていないダイヤモンドの原石のような才能と、本物の想像力の可能性が秘められていることを確信していました。
  だから、ジョンは なかなか上手く行かない、その時点での現状にイラついていたんです。
  それはもう、見ていて痛々しいくらいでしたね」
  〜 John Lennon & Elton John / Whatever Gets You Thru the Night
  ttps://www.youtube.com/watch?v=eUqvZqaCrzo

  〜 John Lennon / Jealous Guy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=DzhyKn1ThpU
 
  (小林)ジョンのソロの傑作が2曲。

  Jealous Guy これは「イマジン(Imagine)」のアルバムに入っています。
  Jealous Guy はね、例えばロクシー・ミュージック(ROXY MUSIC)のブライアン・フェリー(Bryan Ferry)がカバーして。
  こっちはねえ、ちょっと もっとフェチっぽくしたあれで、あれも好きだって言う人も多いですねw。

  もう一つ、その前の曲は1974年の、Whatever Gets You Thru the Night。
  これは エルトン・ジョン(Elton John)がコーラスで参加していて、この曲シングルとして、そしてアルバムも両方ともナンバーワン。
  ジョン・レノンの珍しいソロのナンバーワン ですよ。
  で、これは有名な、エルトン・ジョンが録音した時に 「これ、絶対一番になるよ」ってジョンと賭けして。
  「一番になったら、じゃあ 絶対マジソン・スクエアガーデンの自分のコンサートにゲストで出てよ」ってね。
  それで、ジョンがゲストで出て、オノ・ヨーコとヨリを戻すきっかけとなった曲でもあります。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくお送りしております。
  メールは [email protected]

  (所沢市/男性)
  去年、ラジオのニュースで、去年の暮れ「大滝詠一さんが・・・」と聴こえてきて驚きました。
  高校時代に遅れて購入した「ロングバケイション」
  そこからさかのぼって「ナイアガラ」の全ての作品を聴きあさりました。
  ウェットあり ドライありで、その多彩な楽曲に「師匠」と呼んでいました。
  ビートルズファンにも師匠のファンは少なくないと思います。
  「青空のように」をリクエストいたします。

  (小林)
  それでは、大滝詠一で「青空のように」

  〜 大滝詠一 / 青空のように
  ttps://www.youtube.com/watch?v=hDd46ENBSpw

  (小林)
  大滝詠一「青空のように」、初めて聴いている方もいると思いますが、難なく入れているはずですよ。
  前にも言ったかもしれませんが、大滝詠一さんの自慢はね「俺は、プレスリーとビートルズは全部歌えるんだ。曲も歌詞も全部覚えてるんだ」ていう。
  彼は嘘を言わないですからねw。そういう人ですから、やっぱりそうでしょう。
  ビートルズのファンの中には 大滝詠一ファンは多いと思います。
  (小林)で、プレスリーが来る っていうのはいいですねえ。

  (千葉市/女性)
  先日、エルビス・プレスリーの映画鑑賞会がありまして、懐かしくなり 出かけてきました。
  「エルビス・オンステージ」を川崎の映画館で見たのは、かれこれ44〜5年前のことでした。
  映画なのに、歌が終わると拍手したり「エルビース!」と声を送ったり。
  まるでファンクラブの集いのようでした。
  私も、映画とはいえ 歌の迫力に酔いしれた数時間でした。
  改めてエルビスの力強さを感じました。
  今日のリクエストは「エルビス・オンステージ」の中でも好きな、「ポーク・サラダ・アニー(Polk Salad Annie)」をお願いします。
  あの歌い始めの語りの部分がいいですよねえ。
  
  (小林)
  これは、プレスリーの十八番(おはこ)になっていますよね。
  僕は個人的にねw、これを実際に作ってやってたシンガーソングライターのトニー・ジョー・ホワイト(Tony Joe White)って男がいるんですけど。
  彼の「Polk Salad Annie」もすごいですよ。とてもファンキーです。プレスリーよりファンキーです。
  プレスリーはやっぱり 独特の輝きがありますからね。
  じゃあ、プレスリーのライブで Polk Salad Annie
  
  〜 Elvis Presley / Polk Salad Annie
  ttps://www.youtube.com/watch?v=oSVS7yRCG4M
  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kHVigFTKntg

  (小林)プレスリーに続いて、ポール・マッカートニーのボーカルで Hey Jude が流れています。  

  (住所不明/男性)
  楽しいビートルズの音楽をありがとうございます。
  去年はポールも来日して、記念の年となりました。
  前回、イギリスのオリンピックの時は、ポールのヘイ・ジュードは最高に盛り上がり「♪ラー、ラー、ラー」世界中の選手が歌った場面は感動でした。
  日本にオリンピックが決まったんで、日本のオリンピックでも世界の方々が感動できる歌が歌われるといいですね。

  (小林)ていう。
  そうですねえ。日本だと あれですかね「スキヤキ」ですかねえ。
  それとも、これから数年の間に 日本の誰かが世界的なヒットを出しますか?。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  ジョン・レノンの、特に 不安定な精神状態の時代っていうのは。
  なかなかねえ、聴いててハラハラしますよ。
  まだまだ 続きます。

  それから、リクエストもよろしくお願いします。
  [email protected]
  こちらで待っています。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年2月9日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(2月9日)
 ・1964年(今から50年前の今日)
  ビートルズは 初めてアメリカに行きます。
  そして、50年前の今日、CBSテレビ夜8時 生放送「エド・サリバン・ショー」に出ます。
  そして All My Loving ほか4曲を演奏します。
  結果は、これはもう 皆さん何回も聞いたことがあるかもわかりませんけども、
  アメリカの視聴率最高を記録、結局7300万の人たちが見た。72.8%です。
  日本の紅白なんて問題じゃないw。すごいでしょう。ねえ。
  これはもう すごい事だったわけです。
  で、さらに すごい事にね。
  放送時間内、普通ニューヨークで青少年による犯罪てものがあるんですが、犯罪はゼロだった。
  つまり、「若者は全部ビートルズを見ていた」という、歴史的な瞬間ですよ。
  50年前の今日のことであります。
  それじゃあね、今日はその「エド・サリバン・ショー」でのビートルズを聴いてみたいと思いますが。
  エド・サリバンていうのは、例えばプレスリーも ビートルズの前に出ました。
  そして、エド・サリバン・ショーてのは、すっごい音楽のショーだと思ってる人いるかもわかりませんけど。
  エド・サリバン(Ed Sullivan)っていう人はね、元々ね 音楽記者をやってた 新聞記者をやってた人なんですけど。
  彼が、自分でお金をかき集めてきて、自分のショーを作るんですよ。
  そのショーっていうのは 何かと言うとね、「テレビに出して、みんなが珍しがるもの」を出したんですよ。
  だから 音楽とは限らなかったんですよ。
  音楽も人を呼びますよね、だから、話題のミュージシャンを必ず呼んだんですけども。
  その他には、珍しい像が出て サーカスをやったりとかね。曲芸をやったりとか。
  あるいは 役者が出てきて何かちょっと寸劇のようなことをやったりとか。
  そういう風な バラエティなショーだったわけですよね。  

  で、エド・サリバンていう人は タレントでもアナウンサーでもないんで。
  なんかねえ、ちょっとあの人はねえ、人によっては放送評論家は「醜い中年の男が、よくテレビに出てる」みたいなことを言います。
  で、声がかん高いんですよ。でも、あれが個性になって、結局まあ、何十年続いたのかな、すごく続くショーになるわけですが。
  
  さあ、それでは、エド・サリバンの名調子から、名調子かどうかわかんないですけどもw そこから始まるビートルズの演奏を どうぞ!
  
  〜 The Beatles / All my loving
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8aadgwJr9gE

  (小林)いやあw これはすごいですね。
  視聴率が、僕は72.8って言いましたけど、72.7%。
  728っていうのはね、キャーキャーいう女の子の数が728人いたんだってw
  ビートルズ初めての、アメリカでの生放送 生ライブ 聴いていただきました。
342ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/02/13(木) 22:05:12.17 ID:loFhZXq10
□ストーリー
 ・「ジョンを愛する私たちは『彼が常識的な世の中に適合して行くのは 難しいかもしれない』と考えていました。
  それと同時に、ジョンの中に、まだ手が加えられていないダイヤモンドの原石のような才能と、本物の想像的可能性が秘められていることも確信していました。
  だから、ジョンは なかなか上手く行かない、その時点での現状にイラついていたんです。
  それはもう、見ていて痛々しいくらいでしたね」

  1959年当時を振り返って語ってくれたのは、ジョン・レノンの最初の妻となり、ジュリアンという男の子を授かることになる女性=シンシア・パウエル。
  このロックの歴史において最も重要な人物の一人となるシンシアは、彼女の鮮明な記憶に基づいた手記を発表している。
  今週も、そのシンシアの証言から お送りしたいと思う。

  彼女は、当時のジョンの親友であったスチュアート・サトクリフに関して、こう語ってくれた。
  「スチュアートと私は、とても気が合いました。
  もちろん、彼の絵の才能は素晴らしいもので、美大のみんなから すごく尊敬されていたんです。
  でも、それ以上に私が好きだったのは、スチュのその愉快なキャラクターでした。
  一緒にいて、すごく楽しい仲間だったんです。
  もちろん当時の美大の学生の中に、彼ほど真剣にアートに向かい合ってる人なんていませんでした。
  そんなスチュが、ジョンの親友であることが とても誇らしいことでもありました。
  もちろん彼はジョンの親友であり、ジョンは私のステディな恋人です。
  スチュの事なんて、恋愛対象に考えたことなんて、ただの一度も無かったんです。
  ジョンだって、そんな事ぐらい理解してくれているものと信じていました。
  ところがやはり、そんな常識もジョンには通用しないことが、ある日証明されたんです。
  事件が起こったのは、私たちが通うリバプール・カレッジ・オブアートの中でした。」
  〜 John Lennon / Crippled Inside
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xIqaIfaJ3-E

  〜 The Beatles / It's Only Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fIVx2dbWzvY
 
  (小林)というわけで2曲。
  これは、そうですね、まあ あまり有名じゃない方の曲。
  でも、ジョン・レノンらしい個性がいっぱいですよ。
  
  Crippled Inside これは「イマジン(Imagine)」のアルバムの中に入っている ソロです。
  
  そして「HELP!」に入っている It's Only Love 、これはジョン・レノンらしい。
  今日お話しする「ジョンとシンシアの恋物語」にも通じるような内容ですよねえ。
  「恋をするのは難しい」とw ジョン・レノンが歌っていますw。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョン・レノンという天才的な人物を語る上で 象徴的な ある事件がありました。
  それは、ジョンや私たちの通うリバプール・アート・オブ・カレッジで起ったのです」
  これは、この数年後ジョン・レノンと結婚し、ジュリアンという息子を儲けることになる女性=シンシア・パウエルの発言。
  彼女の手記から ご紹介しよう。
  
  「ある晩、美大の学生たちが主催するパーティに出かけた時。
  だれかがジョンに『スチュアートと私が一緒に踊ってる』と告げて、ジョンが激怒したんです。
  そのジョンの表情を見て、私たちはダンスをやめました。
  私は すぐにジョンに駆け寄ってこう言ったんです
  『ねえ、ジョン。なんでそんなに怒っているの?。
  前から何度も何度も言ってるけど、私が愛してるのはジョン、あなただけなの。
  まだ、わかってもらえないの?』
  私が誠心誠意ジョンにそう伝えると、彼もわかってくれたみたいでした。
  ところがその翌日、大学でのこと。
  ジョンは私を 地下にある女子トイレの前までつけてきたんです。
  出てくると、ジョンは不機嫌な表情を浮かべて 立っているんです。
  私が言葉を発する前に、ジョンは腕を振り上げ、私の頬を平手打ちしました。  
  私は 背後にある壁に取り付けてある金属製の手すりに頭を思いっきりぶつけて、その激痛で気が遠くなり足元がフラフラになりました。
  なのに、ジョンは何も言わずに そこを立ち去ってしまったんです。
  ショックでした。本当にショックでした。
  ジョンが言葉の暴力だけでは飽き足らず、実際に、それも女性に 手を上げるなんて。
  ジョンの逆上や嫉妬の独占欲には、それまでも我慢してきましたが、暴力となると我慢の限界を越えていました。
  私の親友フィルは 以前から『シンシア。ジョンはあなたにはふさわしくないわ。彼は別の世界に生きる人間よ』と助言してくれていましたが。
  それは正しかったと、その時気付いたんです。
  ジョンとの関係は、これでもうお仕舞いにしなければならないと 心に決めた瞬間でした」
  〜 The Beatles / Don't Let Me Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dmU07H460so

  〜 John Lennon / Woman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WyEn9LIR9cI

  (小林)ジョン・レノンの曲が2曲続きました。

  これは、ジョン・レノンの遺作になりました「Double Fantasy」のアルバムから Woman ていう曲。
  
  そして その前は「GetBack」の B面でもあったわけですね、
  昔はw B面A面ってありましたw。裏面ですねw はい。
  演奏はビートルズだけど、珍しくねビリー・プレストン(Billy Preston)というミュージシャンをフィーチャーした名義になってました。
  Don't Let Me Down

  2曲。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンが言葉の暴力だけでは飽き足らず、実際に、それも女性に手を上げるなんて。
  ジョンの逆上や嫉妬や独占欲には それまでも我慢してきましたが、暴力となると我慢の限界を越えていました。
  親友のフィルは 以前から『シンシア。ジョンはあなたにはふさわしくないわ。彼は別の世界に生きる人間よ』と助言してくれていましたが。
  それは正しかったと、その時気付いたんです。
  ジョンとの関係は、もう本当にお仕舞いにしなければならないと 心に決めた瞬間でした」

  これは ジョン・レノンの最初の妻となるロックの歴史における超重要人物シンシア・パウエルの証言。
  彼女の鮮明な記憶をまとめた貴重な資料から 続けてみよう。
  
  「ジョンに平手打ちをされて、脳震盪(のうしんとう)にまでなってから何週間もの間、私は『決してジョンと仲直りなどしない』と固く心に決めていました。
  近くに住んでいる男の子と何度かデートもしたし、美術大学での遅れを取り戻どそうと 一生懸命に勉強もしました。
  とにかく、ジョンを心の中から追い払おうと、それだけに躍起になっていました」

  ところが、それは容易なことではなかった。
  毎日 大学に行けば、必ず彼を見かけてしまう。
  ジョンは校内のカフェテリアやレタリングのクラスで、遠くからシンシアを見つめていた。
  眼が合うと、彼女は自分の目を背ける。
  ほんの一瞬の間にも 二人はまだ愛し合っていることを お互いに判ってしまう。
  シンシアの友達は「ジョンがシンシアに会えずに寂しがっている。いつも彼女の事ばかり考えている」と伝えてくる。
  シンシアも悲しかった。
  暴力の事は許せないにしても、彼女はまだジョンが好きだった。
  彼のユーモアも、情熱も、そしてもちろん ロックンロールも。
  こうして、ジョンに会えない、悲しく辛いシンシアの学園生活は まだ続くのであった。
  〜 The Beatles / No Reply
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ILdBDOPoEDQ

  〜 John Lennon / Stand By Me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1KsemcYtF7E

  (小林)1964年の「Beatles For Sale」のアルバムから No Reply

  そして、今聴いた Stand By Me
  これは「ロックンロール(Rock 'N' Roll)」のアルバムですね。70年代のね。
  その中に入っていました。
  ジョン・レノンが自からプロデュース致しました。
  カバーバージョンです。
  Stand By Me
□リクエスト
  (小林)メールアドレスは [email protected]
  ハガキやFAXでも受け付けておりますが。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  
  (習志野市/男性)
  ポールのウィングス時代の最初のシングル曲で、当時イギリスなどで放送禁止となった
  「アイルランドに平和を」お願いします。
  (小林)
  これはあれですよね、日本語のタイトルだと放送禁止にならないような感じですよねw。平和を で。
  そうじゃなくて「アイルランドはアイルランド人に返してやれよ」っていうわけですから。
  これは、アイルランドの独立を抑えていたイギリスにとっては、やっぱりあれですよ、問題ですよね。
  当然 放送禁止になりますよね。
  ポール、よくやった。

  〜 Paul McCartney / Give Ireland back to the Irish
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kaO4XeHhwo8

  〜 The Beatles / You Really Got A Hold On Me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Uqi6ZDfZmPA

  (小林)というわけで、
  これは You Really Got A Hold On Me という曲で。
  リクエストありがとうございます。

  (大田区/男性)
  毎週 家族全員で楽しく聴いています。
  ジョンやポール、ジョージの十代のころの話し、とても興味深くて楽しいですね。
  地味な曲ですが、珍しくジョンとジョージがボーカルを取ってる You Really Got A Hold On Me
  (小林)
  これは、曲はビートルズの匂いがしなかった、と思いますけど。
  そうなんですよね、スモーキー・ロビンソン(Smokey Robinson)の曲をカバーしておりました。
  (富里市/男性)
  新年早々 ボブ・ディラン(Bob Dylan)来日決定の一報を耳にして驚いています。
  1978年初来日の時、高校生だった自分は 
  洋楽好きの友人と二人で武道館にディランを「聴きに行った」というより「見に行った」感じでした。
  その時点で すでに“生きる伝説”みたいな印象でしたから。
  当時は今のように携帯電話やパソコンからチケットを予約できる時代じゃなくて、
  音楽関係の情報誌などで 最寄りのプレイガイドを探してチケットを買うしか方法が無くて。
  「売り切れだったらどうしよう」気持ちが焦った思い出があります。
  リクエストは「見張り塔からずっと」

  (小林)
  そうですね、名曲です。 All Along the Watchtower
  
  〜 Bob Dylan / All Along the Watchtower
  ttps://www.youtube.com/watch?v=YanjY9CsPDQ
    
  〜 George Harrison / Faster
  ttps://www.youtube.com/watch?v=BqStZjht63o

  (小林)ジョージ・ハリスンの Faster が流れました。

  (茨城県日立市/男性)13歳
  実は前、小学生の時にリクエストかけてもらったことがあります。
  もう中学生になりました。
  中学になった僕は、今ジョージ・ハリスンにハマっています。
  きっかけはレンタル店で借りたアイルトン・セナのDVDの近くにジョージ・ハリスンの映画のDVDが有ったこと。
  アイルトン・セナは印象が強い映画でしたが、F1のことが良く分かりました。
  ジョージ・ハリスンの映画を見て分かったことは、モータースポーツやカーレースが好きだった、ということです。
                              (小林)そうなんだよね。
                                  ジョージはね、レーシング、エンジンの開発とか 
                                  そういうのにもね、お金を出したりしてたんだよね。
  ジョージは「Faster」という曲を作っていたことが分かりました。
  これはF1ドライバー=ニキ・ラウダについての曲です。
  今年の2月「ラッシュ(Rush)/プライドと友情」という映画をやりますが。
  映画の挿入歌として使われるかもしれない そうなので、楽しみです。
  リクエストは「Faster」をお願いします。     (小林)ということで
  長文ですみません。

  (小林)そんなことありません。
  ちなみに、若い頃から 四人のうちで運転が一番上手かったのはね、ポールですね。
  一番ヘタだったのは ジョンです。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」

  ちょっと、ねえ、ヤバいことになりましたねえw。
  ジョンとシンシアがw ケンカしてますねえ。
  口もきいてませんね。
  来週は、来週はどうなる?。
  もうこれは、結婚するってわかってるんですけど。
  ちょっと面白いです。
  
  それから、リクエストよろしくお願いします。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げています。
  メールは
  [email protected]
  こちらでよろしくお願いします。
   
  小学生だった人が、中学になって まだリクエストをくれてる、なんて、ちょっと嬉しくなっております。
  よろしくお願いいたします。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年2月16日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  風邪と戦っている小林克也です。
□ビートルズカレンダー(2月16日)
 ・1965年(今から49年前の今日)
  ビートルズはEMIの本社に行きまして、EMIの会長=サー・ジョセフ・ロックウッドから「君たちはよくやった。よく頑張ってくれた」ということで ご褒美をもらいます。
  何かというと、シルバーとゴールドディスク。まあ、何十万とか百万とか売った ていうことですよね。シルバーとゴールドディスク。
  そして、日本人形をもらうんですねえ。
  日本人形、なんで日本人形か、ちょっとわかりませんけども。
  それで、まあ、そうですねえ、ビートルズの連中が嬉しかったかどうかっての ちょっとわかんないですけどね。
  まあ、もらいます。
  そして、その午後 仕事が入ります。例のスタジオで。
  で、何をやったかというと、I Need You と Yes It Is、 この2曲を、まあ、やったと考えてください。
  で、これは オーバーダブですね。だから、被せたわけですけど。

  ちょっと注目すべきはですね、ジョージ・ハリスンが この2曲で 初めてボリュームペダルてのを使っています。
  これはねえ、アメリカのカントリーだとか、ペダルスティールギターてのを聴いたことあると思いますけど。
  ギターを弾く人が なんか座って まるで女性がミシンをかける様な感じでやってる。
  あれ、ペダルが付いてるんですよね。  
  で、ペダルがボリュームコントロールになるんですけど。
  これやっぱり 曲を聴いていただくとね、どんなふうにペダルでボリュームがコントロールされているか っていう事が良く分かるので。
  それじゃあ ちょうど今から49年前の 今日の、ビートルズの仕事のうち、ジョージ・ハリスンのオリジナルなんですけども。
  自分の曲が採用されました。2年ぶりに採用されたっていうことで、ジョージ・ハリスンは、新たにペダルスティールのボリュームペダルを使っている。
  そこの所をね よく聴いて。ギターのねボリュームがね、こう、足踏みでコントロールされるんですよ。
  行きますよ。
  ビートルズの I Need You
  〜 The Beatles / I Need You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=bctZwO5463E

  (小林)えへへw ペダルスティールを使ってw 
  やっぱり 僕らたちは カントリーなんか聴いていますが、ペダルスティールの名手はですね、あのスティールギターでけっこう面白いことをやったりするんですけど。
  まだ、初心者みたいな、一筆(ひとふで)みたいなw感じですよね。
  そこんとこが 可愛いですよねw。
  でもこれが、ちょっとエフェクト的には ジョージ・ハリスンの色になっているという。
  ビートルズの I Need You.
□ストーリー
 ・「ジョンに平手打ちされて、脳震盪(のうしんとう)になってから何週間もの間、私は『決してジョンと仲直りなどしない』と固く心に決めていました。
  近くに住んでいる男の子と何度かデートもしたし、美術大学での遅れも取り戻どそうと 一生懸命に勉強もしました。
  とにかく、ジョンを心の中から追い払おうと、それだけに躍起になっていたんです」
  これはジョン・レノンの最初の妻となる ロックの歴史における超重要人物=シンシア・パウエルの証言。
  彼女の鮮明なる記憶をまとめた貴重な資料を 今週もひも解いてみよう。
  
  シンシアはこう証言している。
  「ジョンが私に暴力を振るった理由は、簡単に言えば“ヤキモチ”。
  美術大学の学生たちが主催するダンスパーティで 私がジョンの親友であるスチュアート・サトクリフと踊ったことに嫉妬し、腹を立てたんです」

  殴ったのは さすがに“グー”ではなく“パー”。
  平手打ちであったが、怒りまくっているとはいえ、相手は女性。
  ジョンとしては手加減したつもりだったが、当たり所が悪かった。
  シンシアは殴られた勢いで 廊下の手すりに頭を強打し、脳震盪を起こしてしまった。
  幸いにも大事には至らなかったが、当然ジョンは許されるはずもない。
  数ヶ月もの間 シンシアはジョンを無視し続けた。
  しかし、シンシアの友達は「ジョンがシンシアに会えずに寂しがっている」「いつも彼女のことばかり考えている」と伝えてくる。
  シンシアも悲しかった。
  暴力の事は許せないにしても、彼女はまだジョンが好きだった。
  彼のユーモアも、情熱も、そしてもちろん ロックンロールも。
  こうして、ジョンに会えない、悲しく辛いシンシアの学園生活は続いた。

  ところが事件から三ヵ月経ったころ、突然ジョンが電話をかけてきて こう言った。
  「あ・・・俺、ジョンだけど。
  殴ったこと、すごく悪かったと思ってる。
  ごめんなさい」
  〜 John Lennon / Aisumasen (I'm Sorry)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0EAIz2IRhi8

  〜 The Beatles / Misery 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jyCt2C3TJDc

  (小林)ちょっと いつもかからない曲が、2曲かかりましたね。

  「Aisumasen」w「相済みません」ていう言葉は古い日本語ですよねw。 
  「相済みません」w。昔ですから。
  1973年のジョン・レノンの「マインド・ゲームズ(Mind Games )」
  これは ヨーコに謝っている曲ですが。
  まあ、ジョン・レノンはこういう風な ちょっとセンチメンタルになる曲が時々ありますよね。

  そして、今聴いたのは「Misery」ていう。  
  ビートルズが前座を務めた、ビートルズが売れるちょっと前のティーンエイジスターのヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)のために書いた曲だけど。
  事務所の方から「これ、ちょっと高級すぎる。男の子っぽすぎる」っていうことで断られたらしいんですが。
  「Please Please Me」の中に入っております。
  ビートルズの Misery
  参考資料:ヘレン・シャピロとビートルズ共演の映像
  Helen Shapiro / Look Who It Is
  ttps://www.youtube.com/watch?v=7TPGlBpvFj8
□ストーリー(続き)
 ・「あ・・・俺、ジョンだけど。殴ったこと、すごく悪かったと思ってる。ごめんなさい」
  この電話の声の主は、当時まだティーンエイジャーのジョン・レノン。
  ジョンがシンシアに暴力を振るった あの事件から3ヶ月後、ジョンは突然シンシアの自宅に電話をかけてきて そう言った。

  そしてさらにジョンは こう続けている。
  「俺もう、どうしていいか わからなくなって。
  君には 俺の所に絶対戻ってきて欲しくて。
  でも、大学で謝る勇気もなくて。
  それでも、なんとか君に謝りたくて。
  でも、できなくて。
  気が付いたら、季節が変わるくらい時間が過ぎて・・・」

  シンシアは、辛くなって すっかり涙声になっているジョンの その言葉を遮った。
  「ジョン、泣かなくていいのよ。私もあなたのこと いろいろ考えていたの」
  シンシアの優しい声を聴いて 少し安心したジョンは続けた。
  「シンシア、殴ったこと 本当に悪かったと思ってるよ。ごめんなさい。
  もう二度とあんなことしないから。
  また、前のように いつも君と一緒にいたいんだ」

  シンシアは少しの間ためらった。
  長い沈黙のあと、彼女は決心した。
  「わかったわ、ジョン。
  あなたが本当に悪かったと反省してくれて、これから私の事を大切に優しくしてくれるんだったら、許します」
  
  ジョンは自分の言葉に忠実であった。そして、自分のしたことを深く恥じていた。
  自分の中に 女性を殴るという悪魔がいることを発見して、ずっとショックを受けていた。
  だから、相変わらず皮肉屋で意地の悪い発言をしたりはしても、女性に暴力を振るうことは このあと一度も無かった。

  シンシアはこう証言している。
  「あの事件以来、ジョンは 暴力どころか、私をけなしたり 強い言葉で攻撃したり、ということも一切無くなったんです。
  ジョン・レノンという人物は 自分が強い愛で守られている、ということを確信できれば、心を開く、そんな人だったんですね」
  〜 John Lennon / Oh My Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=p5Kh-IMKDqM

  〜 The Beatles / All I've Got To Do
  ttps://www.youtube.com/watch?v=YfWVYuUWkyA

  (小林)2曲続きました。

  ビートルズの All I've Got To Do 、これは1963年。
  やっぱりジョンの 1950年代風のね、ポップスの香りがするラブソングです。
  
  そしてその前は 1971年の「Imagine」の中に入っている Oh My Love
  自分の自宅で録った音で。自宅と言っても、あれだよ、ジョージ・ハリスンだとかね、もうプロデューサーたちもみんな泊りに来て やった。
  ちゃんとした所ですけど。
  Oh My Love
  やっぱり、この Oh My Loveというのは、とても、何と言うのかな ポピュラーじゃないけど、渋いラブソングだけど。
  いつか、この番組で言ったですけど。
  ポール・マッカートニーのね、書くラブソングてのは「万人のラブソング」みたいな感じがする。
  ジョンのラブソングは ちょっと「個人的なラブソング」そういう影がありましたね。

  2曲続きました。
□ストーリー(続き)
 ・「あの事件以来、ジョンは 暴力どころか 私をけなしたり 強い言葉で攻撃したり、ということも一切無くなったんです。
  ジョン・レノンという人物は、自分が強い愛で守られている、ということを確信できれば、心を開く、そんな人だったんですね」

  これはジョン・レノンの最初の妻となるロックの歴史における超重要人物=シンシア・パウエルの証言。
  彼女の鮮明なる記憶をまとめた 貴重な資料から続けてみよう。

  「ジョンが 私の事を信頼するようになると、心の傷や、自分の中に存在する“迷える小さな少年の姿”を見せながら
  さらに 生い立ちの話しをしてくれたんです」
 
  ジョンは本当に心を許したシンシアには、自分の生い立ちに関する いろいろな事を話してくれた。
  先ず、彼の幼少時代は、極めて辛いものであったこと。
  ジョンは幼いころ 実の父親に捨てられた。
  そうなることを選んだのもジョンであったが、小さな子供の決断である。
  ものごとが 良く分かっていなかった。
  さらにジョンは、伯母のミミによって 母親の元からも引き離され、愛情も安らぎもほとんど無いような、冷たくて厳格な家庭で育てられた。
  その後 十代の時に、生涯で最もジョンを可愛がってくれた二人である、伯父と母親を亡くしている。

  ジョンの母親ジュリアは、中産階級の裕福な家庭に 5人姉妹の四女として生まれた。
  ジョリアの実家であるスタンリー家は、大聖堂の近くの リバプールでも洗練された住宅地にある 4階建てのジョージ王朝様式の立派な家に住んでいた。
  ジュリアの父=ジョージ・スタンリーは船乗りで、陸に上がってからは 保険会社の調査員となった。
  ジョージと妻アリーの間に生まれた長男と長女は 二人とも赤ん坊の時に亡くなって、そのあと元気な5人の女の子が生まれた。
  この姉妹のうちの長女が、後にミミ伯母さんと呼ばれる メアリー・エリザベス。
  そして四女が ジュディとも呼ばれたジュリア、ジョンの母親である。
  このジュリアが、愛に満ち溢れた 超個性的な女性だったのである。
  〜 The Beatles / All you need is love(LOVE)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZXL08IoNKiE

  〜 The Beatles / All Together Now
  ttps://www.youtube.com/watch?v=AxjyrRVH1iY

  (小林)1969年、All Together Now
  ジョン・レノンはバンジョーをこの曲で弾いていました。
  バンジョーは ジョンの亡きお母さんから教わった、ていうわけですよね。
  
  で、その前は ポールたちから許可を得て、ジョージ・マーティン親子が、ちょっとビートルズの曲をいじったりしましたけれども。
  愛情あふれる作品になっていましたね。
  「LOVE」のアルバムから、All you need is love から、最後は Good Night ね、とつなげた、なかなか本当に愛あふれるバージョン。
  All you need is love
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  [email protected]
  こちらで。

  (千葉市/女性)
  元チューリップの財津和夫さんのドキュメンタリー番組を見ました。
  多くのアーティストがビートルズから影響を受けたように、財津さんが音楽の世界に入ることとなったきっかけは、ビートルズだったようです。
  大学生時代、地元福岡の小さな映画館で「ビートルズが来る、ヤア、ヤア、ヤア」を見た当時の事を「脳に衝撃を受けた」と熱く語られていました。
  人生を変えるほどの影響力を持ったビートルズは やはり偉大ですね。
  「ロング・アンド・ワインディングロード」をモデルにしたと言われる あの曲を。

  (小林)ということで。
  青春の影、チューリップ。

  〜 チューリップ / 青春の影
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1bxKhK2CaGk
  〜 金沢明子 / イエローサブマリン音頭
  ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm4695340

  (小林)いやあ、イエローサブマリン音頭 これは金沢明子。
  けっこう凝った音楽です。大滝詠一。

  (相模原市/男性)18歳
  最近、この疑問が頭に浮かんでいます。
  克也さんが思う 日本のビートルズは どのバンドだと思いますか?
  僕は「ハッピーエンド」が日本のビートルズじゃないかと思います。
  
  (小林)ということなんですが。
  どうでしょうねえ。やっぱり、根本的に違うのは、ビートルズは「ご近所 友達バンド」だった。
  ハッピーエンドは、ねえ、後半からはちょっと似てるよね。革新的なことをいろいろやった、ていう。
  だけど、どうでしょうね、こういうの較べるのは、ゲームとして、遊びとして較べるってのはいいけど。
  本気で較べると、両方に、ハッピーエンドにもビートルズにもw 悪いような気がするんですけどねw。
  どうでしょうかねえw。
 (千葉市花見川区/女性)14歳
  先日、映画「マジカル・ミステリー・ツアー」を観ました。
  映画を観て行くと、初めの方はタイトルのある通り、マジカルな感じがしていましたが。
  テントの中でジョージが Blue Jay Way を歌うシーンがあり、それがとてもミステリアスな感じで、とてもカッコ良かったです。
  私は今までポールが一番好きでしたが、このシーンでジョージが好きになりました。
  メロディラインも素晴らしいと思うので。

  (小林)ていう。
  (あなた)は若いけど、自分の音楽を発見しましたね。おめでとう。
  ジョージ・ハリスンです。ジョージ・ハリスンの曲をやっているビートルズ、 Blue Jey Way。

  〜 The Beatles / Blue Jay Way
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MNLcXj5yR68

  〜 The Beatles / She Loves You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fUHzyyyW9Sw

  (小林)
  というわけで、Blue Jay Way で迷子になってたら、急に 迷子から She Loves You が来て助かったw、ていう。
  「道が見つかったあー」みたいなw。
  すごいねえ、両方ともビートルズだからねえ。
  
  (船橋市/女性)
  今年も早々に 行ってきました。大相撲初場所。両国国技館へ。
  ポールも前回の来日で 大相撲観戦を楽しんでましたね。
  ポールは知ってるかなあ?、国技館の地下には お土産用の焼き鳥工場になってることや、相撲博物館があることや。
  そうだ、次は国技館でライブをやればいいのに。
  まだまだ行けるよ、ポールはグラミーでもリンゴと共にがんばっていたしね。

  (小林)ていう。
  あなたのリクエスト。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」
  
  ジョンとシンシアは仲直りしたみたいだねw。
  このあとは どうなって行くのか。

  さあ、それから リクエストの方もよろしくお願いします。
  皆さんのそれぞれのね、個性的な思いが、音楽への思いが伝わって。
  とても感激しております。
  
  イシイのミートボールなどセットにして用意しておりますので。
  リクエストください。
  [email protected]
  こちらで待っています。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年2月23日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(2月23日)
 ・1966年(今から48年前の今日)
  来日の年。
  イギリスでの話なんですが。
  イギリスのアルバムチャートで、ずーっと「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバムが1位だった。前の年から1位だった。
  12週目の1位。すごいですねえ。
  このアルバムは、メチャクチャ大成功のアルバムなんですよ。
  あのね、僕は こないだちょっと読んだばっかりだけど、ジョン・レノンの最後のインタビューを書いた人がね、出してる本にね。
  彼もアメリカのサンフランシスコの街を歩いていたら、歩いてると開けた窓から、もう、このアルバムが聴こえたっていうのね。
  だから、「ガール(Girl)」が聴こえた、それから「ミッシェル(Michelle)」が聴こえた「ノルウェイの森(Norwegian Wood)」が聴こえた「すごかったあ〜」ていう。
  もうなんか、アメリカが一色になったような感じ。ビートルズ一色になったような感じだって 書いてるけど。
  12週も1位ってことは すっごい事ですよね。
  これはクリスマス商戦に間に合うように、もう、社命っていうのかな、会社の方から「お願い!」っていうか「命令!」みたいな感じできて。
  レコーディングには1ヶ月しか かけなかったけど、やっぱりビートルズの実力がドカンと出ている「ラバーソウル」のアルバム。
  すごいよ。

  そしてこの日、ポール・マッカートニーは、ノリに乗っているポール・マッカートニーは、ルチアーノ・ベリオ(Luciano Berio)というイタリアのアーティストの
  コンサートに行っています。
  イタリアの作曲家、ちょっと前衛っぽい人なんですけども。
  この頃のポールは、自分が新しい芸術を吸収しようと美術館へ行ったりとか、前衛のコンサートへ行ったりだとか、クラシックのコンサートへ行ったりとか大変な頃ですね。
  この頃 グループとしてのビートルズはすごい勢いだった、ていうことですよね。
  さあ、その名曲 数ある中で、そのアルバムから。
  最初のサイケデリックな歌、サイケデリックソングと呼ばれている、その曲を「ラバーソウル」のアルバムからお送りしましょう。
  The Word
  
  〜 The Beatles / The Word
  ttps://www.youtube.com/watch?v=DpMSIgvrFT8

  (小林)いかがですか? ビートルズの「Rubber Soul」の中に入っているTHe Word
  この「ラバーソウル」ってのは、ほら ゴムの靴の底じゃないですか。ところがゴムのソウルってのは、ソウル。
  60年代の今ごろね、流行っていた ソウルミュージックも かけてるっていう説もありまして。
  今聴いてみると、リズムはその頃流行っている いわゆるリズム&ブルースっていうより、ソウルミュージックのリズムなんですよ。
  で、コーラスは、なんかアメリカなんかですっごいことになっている ボブ・ディランの曲をやって大ヒットしたバーズ(The Byrds)だとか、そういうのが影響が見られるんですよね。
  面白いですねえ、こう いろいろ大西洋を挟んで競争してる っていう感じもありますよね。
  ビートルズの Word をお送りしました。
□ストーリー
 ・シンシア・パウエル、のちにビートルズのリーダーであったジョン・レノンの最初の妻となり、ジュリアンという男の子を授かることになる女性である。
  このロックの歴史上 最重要人物の一人であるシンシアの鮮明な記憶をまとめた手記から、今週もお届けしたいと思う。
  
  ジョンの母ジュリアは中産階級の裕福な家庭に、5人姉妹の四女として生まれた。
  ジュリアの実家であるスタンリー家は、大聖堂の近くのリバプールでも洗練された住宅地である四階建てのジョージ王朝様式の立派な家に住んでいた。
  ジュリアの父=ジョージ・スタンリーは船乗りで、陸に上がってからは保険会社の調査員となった。
  ジョージと妻アリーの間に生まれた長男と長女は 二人とも赤ん坊の時に亡くなって、その後 元気な5人の女の子が生まれた。
  この姉妹のうちの長女が、後にミミ伯母さんと呼ばれる メアリー・エリザベス。
  そして四女が ジュディとも呼ばれたジュリア、ジョンの母親である。
  この姉妹は5人とも個性が強く、聡明で凛々しく自由な発想の持ち主でもあった。
  まさに、ジュリアからジョンに受け継がれた その特性そのものである。
  
  長女のミミは 結婚しても子供を持とうとはせず、両親の助け、妹たちの面倒を見る、という人生を選んだ。
  ジョンの母親となる四女のジュリアは、姉妹の中でも一番の美人で、さらには一番変わった女性でもあった。
  身長は155p、鳶色の髪が肩まで伸びていて、中学生の頃から とても大人びて見えた。
  そのジュリアが ある会社のメッセンジャーボーイをしていた少年=アルフレッド・レノン、通称アルフと出会ったのは、まだ14歳の時。
  アルフのの母親は 末っ子の男の子を出産してすぐに亡くなっていて、父親も後を追うようにこの世を去った。
  二人の弟と一緒に孤児院の世話になっていたアルフが、ジュリアと出会ったのは その孤児院を出てから一週間後のこと。
  ここから 二人の恋が始まるのである。
  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M

  〜 The Beatles / Lucy in The Sky With Diamonds
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zP3AhpKcE6s
 
  (小林)2曲続きました。

  いずれもジョン・レノンの 同じような世界を描いた Nowhere Man 1965年。

  そして、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」の中に入っている Lucy in The Sky With Diamonds
□ストーリー(続き)
 ・「幼いころのジョンの話しや、彼のご両親の話し。
  私の記憶に残っているのは 全てジョン本人から聞いた事なんです」
  これはジョン・レノンの最初の妻となり、ジュリアンという息子を儲けることになる女性=シンシア・パウエルの発言。
  彼女の鮮明な記憶を収めた 貴重なロックのアーカイブとも言える彼女の手記から続けてみよう。

  孤児院を出て一週間目の15歳の少年アルフこと アルフレッド・レノンは、リバプールのある会社のメッセンジャーボーイとして働いていた。
  そのアルフが 街で出会った14歳の少女=ジュリア・スタンリーと恋に落ちたのである。
  二人は後に結婚し、ジョン・レノンという男の子を授かることになる。
  アルフはハンサムではあったが、ジュリアの家族からすれば 家柄的にも娘の相手として相応(ふさわ)しいと言える少年ではなかった。
  しかし、家族の反対にもかかわらず、ジュリアはアルフに夢中で、会うのをやめなかった。
  出会って間もなくして、アルフは船のウェイターとして海に出るようになり、家に帰ると必ず二人きりで会っていた。
  それから11年後の1938年12月に、二人は面白半分に結婚。
  言い出しっぺはジュリアであった。

  結婚と言っても 役所に届けを出しただけで、その届け出の際も ジュリアの家族はだれも同席しなかった。
  新婚旅行の行き先は 映画館。
  ジュリアが一番好きな場所が映画館だったのである。
  ちなみに、結婚届けの職業欄にも「映画館の案内嬢」と書いたくらい彼女は映画が好きだった。
  もちろん その結婚届に書いた職業はまったくのデタラメ。
  シャレで通す 彼女の人生である。
  その新婚旅行が終わると、新婦は取りあえず実家に帰り、アルフは間借りしている部屋に戻った。
  一緒に住む部屋など二人には無かったのである。
  翌日には、アルフは船に戻り 海の男となった。
  ジュリアは そのまま実家で暮らし。3ヶ月後には アルフがまた帰ってきて、2〜3週間夫婦で過ごし、再び旅立ってしまう。
  この新婚生活のパターンが、ジュリアの両親には心配でならなかったのである。
  〜 The Beatles / Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=j4FZy3pWfWU

  (小林)時々かかりますね。この曲はね。必ずかかりますね。
  48年前の今ごろのイギリスで、もう めっちゃ売れしていたアルバム「ラバーソウル(Rubber Soul)」の中に入っている曲 Girl
□ストーリー(続き)
 ・ジョン・レノンの両親=アルフレッド・レノンとジュリア・スタンリーは1938年12月 面白半分で結婚。
  言い出しっぺはジュリアであった。
  結婚と言っても 役所に届けを出しただけで、新婚旅行の行き先は 映画館。
  ジュリアが一番好きな場所が映画館だったのである。
  その新婚旅行が終わると、新婦は取りあえず実家に帰り、アルフは間借りしている部屋に戻った。
  一緒に住む部屋など二人には無かったのである。
  翌日には アルフは船に戻り、海の男となった。
  ジュリアは そのまま実家で暮らし。3ヶ月後には アルフがまた帰ってきて、2〜3週間夫婦で過ごし、再び旅立ってしまう。
  あまりに普通でない新婚生活に、ジュリアの家族はみんな心配していた。

  この記録は ジョン・レノンの最初の妻となる女性=シンシア・パウエルの手記に基づいたもので
  すべてシンシアがジョンから直接聞いた貴重な証言である。
  ジュリアが妊娠していることが判ったのは、1939年のクリスマスにアルフが帰ってきて しばらく経ってからのこと。
  こうしてジョンは、1940年10月9日夕方 6時30分に誕生した。
  母親のジュリアは、愛国心から 息子に当時のイギリスの首相の名前ウィンストン・チャーチルに肖(あやか)って、ウィンストンというミドルネームをつけた。
  この時「ジョン」という名前を提案したのは 付添っていた姉のミミであった。
  ジュリアは生まれたばかりの息子を、母親が亡くなった後に、父親と引っ越してきた家に連れて帰った。
  こうして五体満足に生まれたジョンは、生後数年までリバプールのペニーレーン地区にある その家で過ごしたのである。
  〜 The Beatles / Penny Lane
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jd-oLhJQne0

  〜 The Beatles / In My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iE3LBM-Yw3o

  (小林)ビートルズのペニーレーン、これは「Magical Mystery Tour」の中に入っている曲。
  そして In My Life 。1965年「ラバーソウル」に入っている曲。
  なお、ジョン・レノンは「今まで書いてきた曲は けっこうパクリが多いけども、もう充分に満足できる曲が出来た。これが初めての曲だ」っていう風なことを
  In My Life で語って。
  ジョンはそう言うクセがあったんですよね。
  ニューヨークに住むようになってね、ニューヨークのFM局へ出てって、ポールと自分の曲全部タネ明かしして。
  「これは ここから取った。これは ここから取った」「お、そんなこと言ってもいいのかよ」みたいな 話しをしたらしいですよね。
  そういう人だったんだw、ジョン・レノンはねw。嘘つかない。
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして待ち構えておりまして。
  これを送らせていただきます。
  [email protected]
  こちらの方でメールは受け付けています。

  (江戸川区/女性)
  先日「レボリューション」がかかったので、このレボリューションをカバーしていた、トンプソン・ツインズ(Thompson Twins)の曲をリクエストしようと思いました。
  トンプソン・ツインズ、Lay your hands on me。    (小林)これヒット曲でしたねえ。
  これを お願いします。
  彼らは今どうしてるのか 分かりませんが。
  トムとアラガは離婚してしまったそうで、残念です。
  (小林)
  そうだよね、もともとね。
  僕は20数年前に、彼らに番組でインタビューしたことあるんですが。
  トムが、近くでアラナっていう ちょっと美人の子と知り合って。
  アラナは音楽をやってなかった子なんだよね。
  「お前、いっしょに音楽やんない?」ていう。
  ただ、自分がいかにプロとはいえ、素人の女の子を入れたわけですから「もう一人プロがいるな」ってんで。
  パーカッションなんか担当してる もう一人のメンバーと三人組でデビューしちゃったwっていう。
  簡単にグループ作っちゃって、で、ヒット曲も簡単に。
  だけど、あの頃はイギリスの、なんて言うんですかねえ、デュラン・デュラン(Duran Duran)だとか、ああいった、ニューロマンティクスのムーブメントがあったから。
  それに乗っちゃって、すごく売れちゃいましたね。
  それじゃあ、あなたのリクエストで トンプソン・ツインズで、 Lay your hands on me

  〜 Thompson Twins / Lay your hands on me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_ZW8Ld-pCpg
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rdIeSHYin88

  (千葉県館山市/男性)50代
  久しぶりにお便りいたします。
  最近私は農業に興味を抱き、南房総のイチゴ園で汗をかく毎日です。
  年明けから 連日のようにお客様がイチゴ狩りに訪れ、忙しくもありがたい毎日を過ごしております。
  お客様から「おいしかったよ」とか「お腹いっぱい」とか声をかけていただくことも多く、幸せな気分なので、
  ストロベリー・フィールズ・フォーエバーをお願いします。
  
  (小林)ということでw
  かけましたよw そうですかw。
  (草加市/女性)
  いつも新しい発見をしながら楽しく聴いています。
  私は谷村新司さんの曲が大好きで よく聴いて癒されているんですが。
  先日、昔の曲を聴き返して、再びトキメキました。
  谷村さんの「夢の世代」の中にビートルズが登場するんです。
  素敵な曲なのでリクエストします。
  (小林)
  まあ、吉田拓郎の曲にもあるし、まあいろんな日本のアーティストの曲にビートルズが出ますが。
  谷村新司の感性は、ビートルズがどんな存在だと、この曲の中で言っているのか、よーく聴いて下さい。
  リクエストありがとうございました。
  
  〜 谷村新司 / 夢の世代

  〜 The Carpenters / Please Mr. Postman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OUE5dqYB-_I

  (小林)というわけで。
  これはね、カーペンターズの Mr. Postman が流れました。

  (千葉市中央区/男性)
  プリーズ・ミスター・ポストマンをリクエストします。
  この曲を初めて聴いたのは カーペンターズでした。
  ですので、カーペンターズの曲だと思っていたら、ビートルズも歌っていて 驚きました。
  ビートルズはカーペンターズをカバーしたのかと調べたら、両方ともカバーしていて、さらに驚きました。

  (小林)そうですかw はい。
  オリジナルは聴きましたか?ちゃんと。
  オリジナルも良いよねw
  これは、三つとも良い出来だ っていうことが言えると思いますけども。
  リクエストどうもありがとう。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  今日の シンシアの、ジョンの最初の奥さんの手記に、基づいてお送りしてるわけですけど。
  やっぱり ジョンの少年時代の話し。
  ジョンのお父さんとお母さんは、とてもいい加減だった。
  でも、すごいロマンチストだったんだよね。二人とも。
  ちょっと 描かれているのは、二人とも映画が好きで。
  また、ジョンのお父さんは良い声をしていて、昔風の、なんていうのかな、昔風の歌い手の真似をする。
  それも ミュージカルが好きだったらしいよ。
  それで、お金が無い二人はデートする時にね、公園に行って ミュージカルごっこ なんかしてたというw。
  まあ、ほんとにママゴトみたいな、それで子供が生まれるのがジョン・レノンなんですよ。
  これねえ、この頃の話しはねえ、けっこうねえ、ハラハラしちゃう。聴いてて。
  それで、不幸なことに、やっぱり お父さん帰って来ないんだから。なかなかw。
  船へ乗って出て行った。
  それがやっぱり原因で、やっぱりジョン・レノンの少年時代が出来るんですけど。
  これ、知っていてもね、ほんとにハラハラする 物語です。
  来週もお楽しみに。
  
  それから リクエストの方も よろしくお願いします。
  イシイのミートボールなどセットにして採用の方には差し上げております。
  [email protected]
  こちらで待っております。
  
  まあ、いろんなことを書いてね。
  人それぞれ音楽的な趣味だとか、深さだとか、ねえ、差があるのは当たり前ですから。
  遠慮せずにリクエストをください。
  待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年3月2日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月2日)
 ・1964年(今から50年前の今日)
  今日はわかりやすいよ。1964年。
  今から50年前の今日。ちょうど50年前の今日。
  映画「A Hard Day's Night」ビートルズの初めての映画。日本語のタイトルは「ヤア!ヤア!ヤア!ビートルズがやって来る」。
  この映画の初日です。50年前の今日が初日。
  スタジオがメインで撮影されたらしいんですけども、トゥィッケナムスタジオという映画のスタジオで撮影されたんですが。
  この初日はですね、まず何をやったかというと、パディントン駅での撮影。
  そしてパディントンから汽車に乗る。
  汽車の中での撮影。
  そして、一日中いろいろ撮影して、夕方の、ま、早いですからね、朝ねえ。
  朝早くからやって、夕方の6時43分、汽車はアックトン駅で停まって。
  そこでビートルズは降り立って、追っかけてくるファンをねw撒くために、リムジンが待っていて、そのリムジンに乗ってサァーっと逃げて行った。
  と、あります。

  というわけで、初日でビートルズは大変だった。映画初体験で、大変だった。
  盛り上がっていたわけですよ。
  ポールが一番入れ込んでたらしいですね。役者としてね、入れ込んでて。
  監督が「ポール そんなに力入れないでいいよ」
  ジョンはセリフを覚えなかったらしいよね。
  ただ、面白かったのは、ビートルズはセリフのところが やっぱりそんなに上手くないんだけど。
  セリフ、普通終わるじゃないですか? 終わったら「カット!」って監督が言うんだけど、
  ところがその監督は「カット」って言わなかった。
  どうしてかと言うと、「ビートルズはセリフが無いところが面白い。アドリブが面白い」っていうことでね。
  それを編集して出来たのが「A Hard Day's Night」
  これは、とても評価が高い映画です。
  そしてご存知の通り、この日 ジョージ・ハリスンとパティが出会っています。
  結局、ジョージ・ハリスンは一目惚れ。1966年に結婚する。
  そのあとは もうご存知の通りだと思いますが。
  ジョージ・ハリスンはパティを愛していて、パティに数曲 曲を捧げていますが。
  その中でも、最高傑作を聴きましょう。
    
  〜 The Beatles / Something
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yo1tCCKOiX4

  (小林)いかがですか? Something。
  ジョージ・ハリスンの作品。
  まあ、これはパティに捧げた曲であると同時に、やっぱりジョン・レノン、ポール・マッカートニーに頭が上がらなかったジョージが、
  ひょっとしたら、彼らを上回るぐらいの情感を持った曲を出した、っていう記念すべき曲 でもあるわけですね。
□ストーリー
 ・前回からお送りしている ジョン・レノンの生い立ちについてのストーリー、
  この記録は ジョン・レノンの最初の妻となる女性=シンシア・パウエルの手記に基づいたもので、
  全てシンシアがジョンから直接聞いた貴重な証言である。
  
  ジョンの母親となる女性=ジュリアが妊娠。
  それが判ったのは1939年のクリスマスに長距離船舶のウェーターとして長い航海に出ていた主人のアルフが帰って来てしばらく経ってからのこと。
  月日は流れ ジョンは、1940年10月9日 夕方の6時30分に誕生した。
  母親のジュリアは、愛国心から 息子に当時のイギリスの首相の名前ウィンストン・チャーチルに肖(あやか)って、ウィンストンというミドルネームをつけた。
  この時「ジョン」という名前を提案したのは 妹のジュリアに付添っていた姉のミミ。
  ジュリアは生まれたばかりの息子を、父親と住む家に連れて帰った。
  こうして五体満足に生まれたジョンは、生後数年間リバプールのペニーレーン地区にある その家で育てられたのである。

  しかし、ジョンが生まれた幸せの時も束の間、父親のアルフが ある問題を起こした。
  彼は 時折妻のジュリアの前に姿を現わしてはいたのだが、ある時無断で船を降りたらしく 姿を見せなくなってしまった。
  これは いわゆる職場放棄。
  ジョンが生後1年半の時である。

  この話しについて ジョンの最初の妻シンシアはこう語っている。
  「それまでアルフは自分の給料の中から ジュリアに仕送りをしていたらしいんですが。
  それがある日 途絶えてしまったそうです。
  そして しばらくして家族の前に姿を見せたアルフは こう語ったと聴きます。
  『ああ、俺ねえ・・人の物を盗んだっていう疑いで 3ヶ月も牢屋に入れられていたんだ。
  もちろん盗みなんてしていないよ。濡れ衣さ』
  でもどうやら その話しも、とんでもない嘘で、デッチ上げだったらしいんです。
  ジョンの家族にとって このアルフという父親は、かなり問題のある人だったんですよね」
  〜 The Beatles / I'll Be Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=s3jBHqFg9sw
 
  〜 The Beatles / You've Got To Hide Your Love Away
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2pMuQyoRSR8
 
  (小林)ジョンの曲が2曲続きましたね。

  1965年の「HELP!」の中に入っている You've Got To Hide Your Love Away
  有名な曲。
  ちょうど一年前ぐらいまでは、ディランのことを もう「クソ」なんて言ってたんだけども。
  半年ぐらい前にディランに会って、もうディランに影響を受けた曲ですよねえ。
  ジョン。変わり身が速いですよね。

  そして、その前は「A Hard Day's Night」に入っている I'll Be Back
□ストーリー(続き)
 ・「それまで アルフは自分の給料の中からジュリアに仕送りをしていたんですが。
  それが ある日途絶えてしまったらしいんです。
  そして しばらくして家族の前に姿を見せたアルフは 語ったそうです。
  『ああ、俺ねえ・・人の物を盗んだっていう罪で 3ヶ月も牢屋に入っていたんだ。
  もちろん盗みなんかしていないよ。濡れ衣だよ』
  でもどうやら その話しも、とんでもない嘘で、デッチ上げだったのは違いありません。
  ジョンの家族にとって、このアルフという父親は、かなり問題のある人だったんですね」
    
  これはジョン・レノンの最初の妻となり、ジュリアンという息子を儲けることになる女性=シンシア・パウエルの発言。
  彼女の鮮明な記録を収めた 貴重なロックのアーカイブとも言える彼女の手記から続けてみよう。

  こうした日々が続き、ジョンの両親である ジュリアとアルフの関係は どんどん悪い方向に向かって行った。
  ジュリアは「もうこれ以上夫を待ち続けることは無理」と思うようになった。
  若くて活気にあふれた女性である。
  こんな無責任極まりない男をずっと待ち続けるなんて、できるわけがなかった。

  1944年のクリスマスシーズン、ジョンが4歳の時、母親のジュリアは休暇でリバプールに帰省していた若い軍人と関係を持った。
  そして相手が戦地に戻ったあと、自分が妊娠していることに気付いた。
  もちろん、ジュリアの実家では大騒ぎとなった。
  彼女の父親は 生まれてくる赤ん坊を養子に出すように強く主張し譲らなかった。
  結果、ジュリアの二人目の子供は、リバプール市内の貧困者を救うためのキリスト教団体である救世軍を通じて 養子縁組の手続きが行われた。
  こうして、ジュリアの娘、言い換えるとジョンの父親違いの妹となるヴィクトリア・エリザベスは、第二次世界大戦終了直前の1945年に誕生し。
  彼女を引き取った家族とともに北欧ノルウェーに移り住むことになった。
  
  しかし、問題はこれで終わることはなかった。
  奔放な女性ジュリアの 男性遍歴は続くのである。
  〜 The Beatles / I've Got A Feeling (Let It Be... Naked)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=s4GC0yO3zUQ

  〜 The Beatles / Because
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dWlLPJG9Cvg

  (小林)いかがですか?1969年。
  ビートルズは普通のロックグループとはちょっと違っていた、ボーカル面から言ってもそうでしょう。
  「Abbey Road」に入っている Because

  そしてその前は I've Got A Feeling
  これは「Let It Be」と言っても、2003年にやり直した、音が良くなった「Naked」の中から、お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンのお母さんのジュリアという女性は、とても奔放で魅力的な女性だったそうです。
  残念ながら 私がジョンと出会った時には もうこの世にはいなくて、会うことは出来ませんでしたが。
  ジョンが言うには 母親というよりはお姉さんみたいな人だったそうです」
  
  こう証言するのは ジョン・レノンの最初の妻となった ロックの歴史上の重要人物シンシア・パウエル。
  この記録は そのシンシアの手記に基づいたもので、全て彼女がジョンから直接聞いた貴重な証言である。

  ジュリアがジョンを出産し、夫が姿をくらまし、軍人と関係を持ち 女の子を出産。
  生まれた赤ん坊は養子に出し、とりあえず問題は収まったかと、誰もが思っていた。
  しかし、娘のヴィクトリアを出産した数ヶ月後の 1946年初頭。
  ジュリアがペニーレーンのカフェでウェイトレスとして働いていた時のこと。
  客として来ていた ジョン・ダイキンスという男性と知り合った。
  ニックネームは「ボビー」と呼ばれていた男で、ホテルのマネージャーをしていた。
  ジュリアの実家であるスタンリー家では、またもや「ボビーはジュリアには相応しくない」と 交際には反対。
  いずれにしても、その頃のジュリアはまだ法的には、行方知らずのアルフと結婚していることになっていた。
  しかし、ジュリアは幼いジョンを連れて、ボビーとともに小さなフラットに住むことにした。
  もちろん実家からは 猛烈な反感をかった。
  
  このジュリアの実家スタンリー家では、母親が亡くなったあと、一番上の姉であるミミが一家の実権を握っていた。
  ジュリアがボビーと暮らすようになって程なく、ミミはジュリアが住むフラットを訪ねて こう言った。
  「あなたねえ、夫以外の男との間に子供を作って、おまけに また違う男と暮らすなんて、いったいこれはどういうこと?
  ジョンはまだ5歳よ。あんた母親失格よ。
  もういいわ、ジョンは私が立派に育てて見せるから。
  さあ、ジョンはどこ?
  すぐに こっちに引き渡しなさい!
  さあ、はやく!」
  〜 The Beatles / Glass Onion
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qvjkn56ywC0

  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever(LOVE)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=drUpwK9eTEE

  (小林)いかがですか? かなりの力作になっていますよね。これ、いつも聴いて思うんですが。
  Strawberry Fields Forever。
  実は、2006年の「LOVE」に入っているやつで。
  一番最新のポール・マッカートニーのソロアルバムでもね、プロデュースを担当した、
  ポール・マッカートニーが絶大な信頼を置いているジョージ・マーティンの息子=ジャイルズ・マーティンと お父さんのジョージ・マーティンが、
  愛をこめて作り直した。Strawberry Fields Forever
  良かったでしょう?

  その前は、68年の「ホワイトアルバム(THE BEATLES)」から Glass Onion
385ホワイトアルバムさん:2014/03/08(土) 22:39:07.64 ID:???0
□リクエスト
  (小林)イシイのミートボールなどセットにして採用の方には全て差し上げています。
  [email protected]

  (板橋区/男性)
  克也さん 聴き始めて一年ぐらいになります。新参者です。 (小林)いいんじゃないですか。
  初めてのリクエストです。
  毎年やって来る卒業シーズン真っただ中なので、やはりこの曲「卒業写真」それを、ハイ・ファイ・セットで。
  去年の同窓会で会ったあの人は おばさんになってしまいました。子供も2人だそうで。
  (小林)ていう。
  これを作ったユーミンは、あれですよね、1967〜8年のビートルズを始めとするイギリスの音楽から強い影響を受けています。
  ちなみに。

  〜 ハイ・ファイ・セット / 卒業写真
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zxtPYLVfQHM

  〜 The Rolling Stones / Honky Tonk Woman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2Kve_N8rmmQ
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3-hMQWqVVzw(LIVE)

  (小林)2曲続きましたあ〜。

  (鎌ヶ谷市/男性)
  今 来日中ですが、90年のドーム公演以来の 2回目の生ストーンズを3月に見に行きます。
  あれからもう24年も経っていて、また生でストーンズが見られるなんて、ほんとビックリです。
  去年のポールは年齢を感じさせないぐらいのパフォーマンスを、ノンストップの全力投球で我々にぶつけてくれたけど、
  ポールと同じ年代のストーンズ、どんなライブを見せてくれるのか。
  さて、リクエストですが、いい加減そうに見えて非常に味のあるキースのギタープレイが楽しめる名曲、Honky Tonk Woman をお願いします。
  自分も70歳ぐらいになったら、あんなカッコイイおっさんでいられるよう頑張りまーす。
  
  (小林)はい、ありがとうございます。
  (中野区/女性)
  シンシアが語るジョン・レノン物語。とても興味深いです。
  これからどうなるのか、分かっていても ワクワクしますねえ。
  落語のようだ。  (小林)そうですねえ。
  克也さんがジョンが古い日本語「相済みません」と歌っていると言った瞬間、ウルフズの曲を思い出したのでリクエストします。
  コーラスで「相済みません」と言っていたと思います。
  それに けっこうビートルズ的な歌だったと思います。
  克也さんのひと言で、この曲を聴いた中学時代のことを思い出しました。
  音楽っていいもんです。

  (小林)
  という事で、あなたのリクエストで ウルフズです。

  〜 ウルフズ / ツギハギブギウギ
  ttps://www.youtube.com/watch?v=w3_cg7ozOxk

  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ydfH7iuLR0I

  (小林)
  というわけで All You Need Is Love が流れていますが。
  (あなた)も東京公演行くんだ。ローリングストーンズね。

  (浦安市/男性)
  ミックもキースもエリックも  (小林)クラプトン ですね。
  コーラスに参加したこの曲をリクエストします。
  愛こそ全て。  
  克也さん早く風邪治して。  (小林)w
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)
  「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
  
  ジョンの生い立ち、これもう ほんとドラマチックですよ。
  面白いですよ。

  それから 皆さんのリクエストもね、いろいろ読ませていただいて。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてね差し上げております。
  [email protected]
  こちらの方で待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年3月9日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月9日)
 ・1968年(今から46年前の今日)
  ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band )」のアルバム。
  結局、4つグラミーを取りましたね。グラミー賞を取っています。
  内訳は「アルバム・オブザ・イヤー」まあ、最優秀アルバム他4部門ということなんですが。
  その一つには アルバムのジャケットも賞を取っていますね。

  で、このアルバムを機に、ビートルズもグラミー賞「アルバム・オブザ・イヤー」を取ったという事で、
  画期的なアルバムで「トータル・アルバム」というコンセプトが流行るわけですよ。
  まあ、同じような方向を向いた感じ?。
  でもね、よーくこのアルバムを聴いてみると、ぜんぜん同じ方向を向いていないんですよね。
  ほんとにおんなじ・・・。
  これね、世の中がね、サイケデリックの方にみんな向いて行ったから、ちょっとサイケな味を出している、っていうのが。
  ほら「 Lucy in the Sky with Diamonds 」とか、ああいうサイケなやつがあるでしょ。

  それに、ポール・マッカートニーの演出でね。
  「皆さん、ようこそ。我々はサージェント・ペパーズ・バンドです」ていう。
  「あれは、20年ほど前です。サジェント・ペパー がんばりました」ていう、テーマで始まったら。
  リンゴ・スターが「ちょっと、外れるかもわかんないけど、みんな一緒にやってくれないかなあ〜」って
  どんどん、どんどん曲が、いろんな曲が、ぜんぜんロックとも言えないような曲も 雑多なんですよ。
  で、最後にまた「みなさん、いかがでしたか?。サージェント・ペパーズ 楽しんでもらえましたか〜?」っていう風になってるんで。
  トータル・アルバムのような 感じがするんですよね。

  だから、トータル・アルバムっていうのは、もう流行らないかもわかんないけど。
  結局、めっちゃくちゃ ごちゃ混ぜだったから、そのトータルの度合いが強くなった。
  それを、上手くまとめたから強くなった、ていうところでね。
  (続き)改めて、そのトータル・アルバムと言われる、その始まりを聴いてみましょうか?
  
  〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band - With A Little Help From My Friends
  ttps://www.youtube.com/watch?v=7gwg_d3XZ5A

  (小林)いかがですか?
  改めてオープニングを聴くとね、
  サージェント・ペパーのテーマで 後半でポール・マッカートニーが
  「さあー、我がバンドの強力なボーカルを紹介しよう!。ビリー・シアーズ!」つうと 
  リンゴ・スターがw 調子ハズレで出てきて・・・w。
  これ、コメディみたいなもんだよね、最初はもう。
  けっこう三枚目っぽいような。
  ビートルズのユーモアが感じられるという。
  だから、トータルというコンセプトをビートルズは出しましたけど、いろんな要素が入っているってことだね。
□ストーリー
 ・「あなたねえ、夫以外の男との間に子供を作って、おまけに また違う男と暮らすなんて、いったいこれはどういうこと?
  ジョンはまだ5歳よ。あんたなんて母親失格よ。
  もういいわ、ジョンは私が立派に育てて見せるから。
  さあ、ジョンはどこ?
  すぐに こっちに引き渡しなさい!さあ、はやく!」

  怒りまくっている言葉の主は、ミミ・スミス。
  あのジョン・レノンの育ての親となる ミミ伯母さん。
  このジョンの生い立ちに関する一部始終は、ジョンの最初の妻であり、ジュリアンという男の子を授かることになる、シンシア・パウエルが直接ジョンから聞いた事実である。
  今週も シンシアの鮮明なる記憶をまとめた手記から お届けしたいと思う。
  
  「ジョンを引き渡せ」というミミの強硬な申し出に ジュリアは反対した。
  同居人であるジュリアの恋人ボビーも もちろん拒絶。
  「姉さん、いったい何を考えているの?。ジョンは私の子よ。
  それが、どうして姉さんに預けなきゃならないわけ?
  少し落ち着いてちょうだい。
  とにかく、その話はおしまい。もう、帰ってよ!」
  
  こうして、ジュリアとボビーは なんとかミミを追い返したが、彼女がこうと決めたら絶対に後には引かない性格である事をジュリアは十二分に理解していた。
  「姉さんはきっと他の手を使って来るに違いない」という予測は見事的中。
  ジュリアとボビーが 法的には婚姻関係に無いという事実を、社会福祉事業機関に訴え、ジョンを自分の所に寄こすように要求して来たのである。
  ところが この機関のスタッフであるソーシャルワーカーは、ジュリアの味方に付いて、こう説明をした。
  「愛情ある家庭からジョンを引き渡さなければならない根拠は どこにも見当たりません」
  もちろん、これで引き下がるミミではなかったのである。
  〜 The Beatles / She Said She Said
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pD9TzNXi-QE
  
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-YDETXM1JTk

  (小林)2曲続きました。
  She Said She Said は 1966年「リボルバー(Revolver)」のアルバムから。
 
  そして今の曲は、アメリカでもイギリスでも ナンバーワン、世界的なヒットでした。
  これは1964年 I Feel Fine
□ストーリー(続き)
 ・「愛情ある家庭からジョンを引き離さなければならない根拠は どこにも見当たりません」
  これは リバプールの社会福祉事業機関から派遣されたソーシャルワーカーの発言。
  
  ジョンの母親ジュリアは、法的に夫婦関係では無い男性と同居していることを理由に、ジュリアの姉のミミが何とかジョンを引き取りたいと訴え出た結果。
  つまり、ミミの主張は通らなかったのである。
  しかし、ミミはこれで引き下がるはずも無い。
  二度目となる主張の中で 彼女はこう理由を付け加えた。
  「ジョンには自分の部屋も無く、ジュリアとその恋人であるボビーのベッドに寝ている。
  こんな環境の中で、子供がきちんと勉強したり健康を維持できるはずがない」
  社会福祉事業機関に「再びジュリアの家の調査を捜査するのが 義務ではないか?」
  すると今回は「ジュリアとボビーが、もっと広いフラットを見つけられるまで、ジョンはミミと一緒に暮らさなければならない」ということになってしまったのだ。
  ミミの勝利である。

  もちろん ミミもジョンを可愛がり 心から愛してはいたが、彼女の性格自体は 子供を抱いて可愛がったり 褒めて育てたリするものではなかった。
  とにかく厳格で、規則や絶対的な命令を守らなければ許さない、という 少しばかり厳しすぎる傾向もあった。
  ジョンがそばに寄って来てミミに腕を回して甘えようとしても、そんな思いを無視して
  「わかったから、もういい加減にして、あっちへ行きなさい」といった対応しか出来ない女性であった。
  
  それまで、優しくて楽天的な母ジュリアの元で暮らしていた幼いジョンにとって、そういう伯母の元で暮らすのは、どれだけ辛かったことだろうか。
  たった一つの救いは、ミミの主人であるジョージ伯父さんが 子供好きであったこと。
  牧場主である この伯父さんと遊ぶひと時は、ジョンにとって大切なものとなった。
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttps://www.youtube.com/watch?v=5f-Ixz9GuC4

  〜 The Beatles / Yes It Is
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OUJxUzIjVbA

  (小林)これは「Ticket to Ride」のB面ですよね。1965年。
  で、ジョージ・ハリスンのギターはボリュームペダルが付いていました。
  ちょっと面白いね。Yes It Is

  そしてその前は、「Magical Mystery Tour」に入っていた Strawberry Fields Forever
□ストーリー(続き)
 ・「わかったから。もういいかげんに、あっちへ行きなさい!」
  ジョンがなついて抱きついて来ても、伯母のミミは ただうっとうしがるだけで、抱きしめようともしない。
  愛情が薄い事は無かったにせよ、とにかくスキンシップが苦手な女性、それがミミ伯母さんであった。

  これらの記録は ジョン・レノンの最初の妻シンシア・パウエルの手記に基づいたもので、全てシンシアがジョンから直接聞いた貴重な証言である。
  シンシアの鮮明なる記憶から、もう少し続けてみよう。

  それまで、優しくて楽天的な母ジュリアの元で暮らしていた幼いジョンにとって、そういう伯母の元で暮らすのは どれだけ辛かったことだろうか。
  たった一つの救いは、ミミの夫であるジョージ伯父さんが子供好きであったこと。
  ジョンが我が家にやって来ると ずっと待ち望んだ息子を授かったかのように、伯父さんは心から喜んだ。
  ジョージ伯父さんは酪農家で、近くに牧場を持っていた。
  背が高く、心の優しい人で、一度も怒ったことがなく、ジョンを抱き寄せてはチューチューとキスをしてくれる。
  ちなみに、ミミは一度もキスなどしたことが無かった。

  ミミは日頃から「子供は欲しくない」と公言していたのだが、そんな彼女が なぜジョンにだけは執着したのか理解できない。
  もしかすると、「子供は持たない」としていた自分の決断を後悔していたのかもしれない。
  そうなると 子宝に恵まれた妹のジュリアに敵対心コンプレックスを持っていた、という想像も成り立つ。
  
  ジョンがミミ伯母さんの家に住むようになって しばらく経ったある日、実の父親であるアルフがリバプールに現れた。
  サザンプトンの港に寄った時 ジュリアに電話を入れた際、ジョンがミミに育てられていることを 初めて知らされた。
  それを聞いて、アルフは ある行動に出たのである。
  〜 John Lennon / Instant Karma!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vEjUQ15lyzk

  〜 John Lennon / How?
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Wq7jLEnZw6s
 
  (小林)ジョン・レノンの How? 。
  優しく歌っていますけど、これはもう「どっちへ人生進んで行ったらわかんない。まったく自信が無い」
  まあ、けっこう泣ける所はあれですよね、「どうして愛を 愛することができるのか、僕には愛が最初から無いんだ」みたいな。
  だから、子供の頃からね、そういうジョン・レノンは心境だったんでしょうね。
  それを 歌にしています。
  「イマジン(Imagine)」の中に入っていました。
  
  で、その前は1970年の あの Instant Karma! ジョン・レノン。
  いやあ、やっぱりジョン・レノンのロックは辛辣でシリアスで。
  ポール・マッカートニーの娯楽ロックとは全然ちがうよね。
  この頃はね、ちょうど裏でツェッペリン(Led Zeppelin)が来ている時代だよ。
  それを、考えると ジョンのロックがいかに、やっぱり時代遅れじゃ ぜんぜんないんですよね。
  進んでるわけですよねw。
  ツェッペリンなんかよりね。
  面白いね。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げています。
  [email protected]
  こちらで待っております。

  (スイトピー/女性)
  この曲を聴くと 日本のバラエティ番組でドリフターズのメンバーである志村けんさんのお殿様時代のテーマ曲がどうしても蘇えって。
  家族そろって笑えたお茶の間の夕飯時を、今では懐かしく思い出しますので、よろしくお願いします。

  (小林)
  僕も ぜんぜん知らなかったんだけどw 
  ドリフターズなんか見たことなかったからw
  あれなんだって? ドリフターズ、志村けんはドリフターズ。
  ドリフターズってのが そもそもあれだよね、音楽グループだったんだから。すごい、ね。
  それが だんだんあんな風になっちゃって。
  クレージーキャッツが 変なことw やるようになって、ドリフターズもああいう事をやるようになって。
  そんな中、新しく参加した志村けん。
  彼はビートルズを武道館で見た人です。
  だからそういう風な背景も。
  ドリフ? ていうのから入らないで。
  彼らは本当は日本のロックを目指していたんだ、っていうことを、ちょっと心の中に収めて聴いていただきたいもんであります。
  スイトピーのリクエストは Birthday です。
 
  〜 The Beatles / Birthday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=GWe1Pbn881A
  〜 The Beatles / Get Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pdBnNzQz67A

  (小林)というわけで 今日はリクエスト 珍しくシングルバージョンで Get Back が流れました。

  (市原市/男性)
  風邪と闘い中の克也さん。声が痛々しく聴こえます。どうかお大事に。
  こんな日は、早く元に戻るよう祈って Get Back を聴きます。

  (小林)
  それで Get Back ですかw。
  聴いてる方に心配させるようじゃ ダメですね。僕もねw。
  (習志野市/男性)
  毎週欠かさずこの番組を拝聴しております。
  私はビートルズはもちろんのこと、竹内まりやさんのファンでもあります。
  彼女も少女時代はビートルズに御執心だったようで。
  その思いが「マージービートで歌わせて」という曲に綴られています。
  リクエストはその「マージービートで歌わせて」ではなくて、ビートルズの曲を彼女がカバーしたやつをお願いします。
 
  (小林)
  まあ、彼女は慶応へ入って、杉 真理たちと あれですからね、軽音楽部ですからね。
  ビートルズを さんざんやったんだと思いますよ。
  じゃあ、竹内まりやのカバーで Your Mother Should Know
  
  〜 竹内 まりや / Your Mother Should Know

  〜 The Beatles / Let It Be
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0D5JJZl6MB0

  (小林)お馴染みの曲がかかりましたねえ。 Let It Be がねえ。
  
  (我孫子市/男性)
  入院して2回目の日曜日になります。
  この曲が聴きたい気分です。

  (小林)
  2行だけ だけど、よく判りますよ。
  もう、ひょっとしたら退院してますかね?。
  早く良くなって。
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?

  リクエストの方もよろしくお願いしますね。
  リクエストはね、やっぱりビートルズということで。
  本当に中高生ぐらいから、もう 上は60以上の人から来るわけですけども。
  まあ、そんなに世代が離れていると、世代間の価値観てのもあるし。
  ビートルズもね、昔聴いたビートルズと、今から改めて聴くビートルズって、ぜんぜん ね。
  世の中が変わってるから、いろいろあると思いますが。
  そんな所も、ちょっと気にしたいよね。僕たちはね。
  ジョージ・ハリスンは、ビートルズは 何年かな 「500年経ったら消えているかもわからない」つったんだよねw。
  だからw、どれくらいまで残って行くのかっていう、ことですよ。はい。

  そして、ジョン・レノンの生い立ちのお話しは、ちょっと涙を誘うものがあります。
  なにしろ、妹がジョンのお母さんでしょ。
  で、姉がミミ伯母さんでしょ。
  妹と姉が 赤ん坊を取り合うわけですよ。
  それで、ジョンだから、ジョンが妻に語った話しだから、自分のお母さんを悪く言うはずはないわけですよね。
  でも、お母さんは 悪気はなくて 明るくて 自由奔放だったから。
  ゴールドマンっていうね、プレスリーだとかジョン・レノンの伝記を書いた人の取材によるとね。
  「夜になると、1歳から2歳くらいの間のジョンは、一人で留守番をさせられた」らしいのよ。
  まあ、夜出かけて行ったりするわけですよね、お母さんがね。
  そうすると、目を覚ましたジョンが 大騒ぎをして、その周りの人たちが「ジョンが可哀そうだった」ていう話しもあるんですよね。
  だから、どんなところが本当なのか、ていうのは、我々もまだ ちょっと判っていません。
  ちょっとミミ伯母さんは、ちょっと冷たい感じだったことは確かですよね。
  
  小林克也がお送りしました。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2014年3月16日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月16日)
 ・1964年(今から50年前の今日)
  もう64年はね、もう誰でも知っている年だと、僕は思ってますからね。
  64年、つまり もうビートルズが世界を手にした、そのあと。
  50年経ってるわけですね。すぐあとです。

  今から50年前の今日。
  ビートルズのアメリカでの次のシングル、「I Want To Hold your Hand」の次のシングル「Can't Buy Me Love」これが発売になった。
  と同時に、ゴールドレコードになっちゃった、ていう。
  もう、すごい売れ方だから、国中がビートルズを待っているわけだから、ていう感じです。
  で、この「Can't Buy Me Love」ていうのは実は パリで録音されているんです。
  このパリ録音の話しはねえ、この番組、何年前だろうな、10何年ぐらい前にw、ちょっとお伝えしたことがあるんですけど。
  その時を 聴いてた人いるかなあ?。

  ビートルズが世界で一位になって、で、ドイツでも発売するってことになって。
  で、ドイツのレコード会社が「ドイツ語でやってくれ」っつうんですよ。「I Want To Hold your Hand」を。
  それで、オッケーっていうことで、まあ最初の頃だから 言う事を聞いたんだと思いますが。
  ジョージ・マーティンが パリに行くんですよね。
  なぜパリに行くかというと、ビートルズはオランピア劇場に出てるわけですよ。
  それで、これを ドイツ語を録音するんだ、ってことは前もって録音してたんだけど、ビートルズはゴネるんですよ。
  「なんで、俺たちがドイツ語で録音しなきゃダメなんだよ」
  それで、子供みたいに逃げ回ったりするんですよね。
  でもまあ、覚悟を決めて、ていうか。
  これはまあ ビートルズのイタズラ心だと思うんですけども。
  (続き)パリのスタジオへ行って、ドイツ語の「I Want To Hold your Hand」を録音するんです。
  でもこれは、ジョージ・マーティンがカラオケを持って来てるから、あっと言う間に出来上がっちゃって、スタジオの時間が余って。
  そこで、ポールがですね、『実はこの Can't Buy Me Love ていう曲があるんだ』っていうことで。
  これは、すごい曲ですよね。これを、録音するんですよね。

  まあ最初にCで歌、で、Dに上げて、で、Cに戻して、テイク3、4、録って、それを編集して。
  結果としてはポールが2声、2つ声があります。
  で、ジョージのギターソロ。
  これがけっこう短いけど、とてもマトモなギターソロになっています。

  じゃあ、それを ちょっと改めて聴いてみますかね。
  「I Want To Hold your Hand」に続いてナンバーワンになった、ビートルズの Can't Buy Me Love
   
  〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tq1RKSTQqfQ

  (小林)というわけで、50年前の今日、これがアメリカで発売になった。
  まあ、アメリカの音楽の空気をちょっと想像してみてくださいよ。
  「I Want To Hold your Hand」がもう どこのラジオ局からも流れている。
  そして、これが流れて。
  これも勢いがあるし。
  もう、すごかったんだろうね。
  ビートルズのね、50年前のことです。
402ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:8) :2014/03/19(水) 17:53:58.53 ID:B63K9wwP0
□ストーリー
 ・「あなたねえ。いったい何考えてるの?
  ジョンはまだ5歳よ。あんた母親失格よ。
  もういいわ、ジョンは私が立派に育てて見せるから。
  さあ、ジョンはどこなの?  
  すぐに、こっちに引き渡しなさい!
  さあ早く!」
  
  怒りまくっている言葉の主は、ジョン・レノンの実の母親ジュリアのお姉さん、つまりジョンの伯母さんに当たるミミ・スミス。
  ジョンの育ての親となる ミミ伯母さんである。
  ジョンの父親アルフは 家に居付かなくなり、ほぼ行方不明状態。
  母親のジュリアは、恋人が出来、ジョンと3人で暮らすようになっている。
  その妹の行動が「人の道に反している」と姉のミミは攻撃を開始した。
  リバプールの社会福祉事業機関に申し出て、この家庭環境を逐一説明し「経済的にも住環境的にもまともなものではない」と主張。
  結果ミミの申し出は認められ、ジョンはミミの家に引き取られることになった。
  
  ジョンがミミ伯母さんの家に住むようになって しばらく経ったある日、実の父親であるアルフがリバプールに現れた。
  サザンプトンの港に寄った時、ジュリアに電話を入れた際、ジョンがミミに育てられていることを初めて知らされた。
  それを聞いて、アルフは これ幸いと、ある行動に出たのである。

  アルフはミミに連絡を入れ、自分は休暇中なので「ジョンをリバプールから北に数十キロ行ったビーチリゾート=ブラックプールに連れて行きたい」と申し出た。
  意外にも ミミはそれを承知した。
  アルフがジョンと出かけてしまったことを知ったジュリアは、ミミに怒りまくった。

  「姉さん!どうしてアルフにジョンを渡したのよ!。
  あの人はジョンを連れて、どこか遠くへ行くつもりなのよ!。
  誘拐されたのと 同じじゃない!。どうしてそんな簡単なことがわかんないの?
  もう、どうするのよ!」
  〜 The Beatles / Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yFU-GpF7n30
  
  〜 The Beatles / Lucy In The Sky With Diamonds
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZqXmBy1_qOQ
 
  (小林)2曲続きましたよ。

  1968年の、Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey。
  これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」
  「僕と僕のサル以外は みんな何か隠してる」wていう。
  wまあ、ラブソングを書かなくなるジョンたちは、いろんな面白いのをね。

  この、Lucy In The Sky With Diamonds もそうですよね。
  まあ、いろいろ言われている。イニシャルを取るとLSDになる、とかいろいろ言われている曲ですが。
  これは「サージェント・ペパーズ(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の中からお送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「姉さん!どうしてアルフにジョンを渡したのよ!。
  あの人はジョンを連れ出して どこか遠くへ行くつもりなのよ!
  誘拐されたんじゃないの!。どうしてそんな簡単なことがわかんないの?
  どうするのよ!」
  
  怒りまくっているのは、ジョン・レノンの実の母親ジュリア。
  そして、そのジュリアが「姉さん」と呼んでいるのは、ジョンの育ての親となるミミ、通称ミミ伯母さん。
  行方不明であった ジョンの父親アルフが突然現れ「ジョンをビーチリゾートであるブラックプールに連れて行きたい」とミミに申し出て
  ミミは特に疑問も持たずに了承し、ジョンを引き渡した。
  ミミにとっては 特に問題のない行動であったが、ジュリアは母親として、妻として、そして女としての勘が働いた。

  「まずいわ。ジョンを取られてしまう」
  そう思ったジュリアは すぐにブラックプールに向かい、ジョンとアルフを追跡した。
  そしてついに、ジュリアはブラックプールのある民宿で二人を見つけた。
  「あんたねえ、私に内緒でジョンを連れ出すなんて、どういうつもりなの?キタナイじゃないの!」
  ジュリアの怒りは極限に達していた。
  すると、アルフは悪びれずに ゆっくりこう話した。

  「ジュリア、まあそう怒るなよ。
  確かに俺が リバプールに居付かなかったのは悪かった。謝まる。すまなかった。
  でも、その間に いろんなことがあって、なかなか帰ってこれなかったんだ。
  そんな中でも 船乗り時代のコネがあって、ニュージーランドに住めることになったんだよ。
  あそこは気候も良いし、物価だって安い。
  みんな大らかで ほんとうに住みやすい。
  ジョンを育てるには素晴らしい所だ。
  どうかな? 君も俺とジョンと一緒に、ニュージーランドに行かないか?
  また、三人でやり直そうじゃないか」
 
  すると、ジュリアは答えた。即答である。
  「いやよ! あんたとなんか。
  私が必要なのは ジョンだけよ」
  〜 The Beatles / Happiness Is A Warm Gun
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xTU2Y0VFH0E

  〜 The Beatles / Old Brown Shoe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-x0FUZgbtHc

  (小林)1960年代の後半のね、ビートルズですよね。
  いやあ、この頃は、若い人はどういう風に聴いてますかねえ。こういう風な曲は。
  ねえ、すっごいと思って聴いてますか。
  当時もねえ、やっぱり もちろんすごかったんだけど、付いて行くのが大変だったんだよねw。
  方や、ビートルズの裏では ビートルズに代わる新しい感覚の音楽が出てこようとしているわけですよ。
  そんな時代ですよ。すっごい時代なんですよね。
  
  Happiness Is A Warm Gun 。
  おかしい歌です、もともとこれは。
  でもw、ちゃんとやってるからw、カッコ良く なってるわけですw。
  サイケです。
  
  そして Old Brown Shoe
  これは1969年。
□ストーリー(続き)
 ・「ジュリア。まあ そう怒るなよ。
  実は、俺ニュージーランドに移住するんだ。
  あそこは気候も良いし、物価だって安いし、みんな大らかで本当に住みやすい。
  ジョンを育てるには 素晴らしい所だ。
  どうかなあ、君も俺とジョンといっしょにニュージーランド行かないか?
  また三人で、やり直そうじゃないか」
  するとジュリアは答えた。即答である。
  「いやよ! あんたとなんか。
  私が必要なのは ジョンだけよ」
  
  これは、一人息子であるジョンを巡っての 父親アルフと 母親ジュリアの攻防。
  こういった記録は、ジョン・レノンの最初の妻となる女性=シンシア・パウエルの手記に基づいたもので。
  全て、シンシアがジョンから直接聞いた貴重な証言である。
  シンシアの鮮明なる記憶から、もう少し続けてみよう。

  アルフは、ジュリアと討論している部屋にジョンを呼び入れ、優しい口調でこう聞いた。
  「ねえ、ジョン。パパのお話し ちょっと聴いてくれるかな。
  パパとママはね、もう昔のように一緒には暮らせないんだ。
  残念だけど、もう仲良しじゃなくなったんだよ。ほんとに ごめんね。
  だから、ジョンは、これから、ママと一緒にいるか、それともこのパパと一緒に南の国のニュージーランドに行くか、決めなきゃならないんだよ。
  もちろん、パパもママも ジョンのことは大好きだよ。一番大切なものさ。
  この先どんなことがあっても、君のことは一生守り続けるし、悲しい思いもさせない。
  ただ、パパとママは一緒には いられないんだ。
  だから、ジョンはどっちか選んで欲しいんだ。」

  この時ジョンは5歳。
  もちろん、こんな決断が出来る年齢では無かった。
  しかし、しばらく考えて、ジョンは言葉を発した。
  「ぼく、パパと一緒に行くよ」
  
  この意外な決定に、ジュリアは泣き崩れた。
  〜 John Lennon / Love (Acoustic Version)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=m8cCu8QmakM
 
  (小林)これは ピアノのバージョンをご存知かもしれませんが。
  これは、デモに近い ジョン・レノンの録音で。
  2004年の「アコースティック(Acoustic)」の中に入っています。
  ギターで作った らしいですね。
  Love ジョン・レノン。
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。
  メールは [email protected]

  (水戸市/男性)
  番組前半ビートルズメンバーのエピソードは、ファン歴27年の僕にとっても大変興味深いものがあります。
             (小林)そうでしょうねえ。
                  いつも言ってるんだけど、ストーリーはだいたいどうなるか判ってても 面白いよね。
  さて、リクエストですが、ビートルズが全米を席捲した60年代半ば大人気だったフォートップスの Reach Out I'll Be There。

  (小林)
  そうだねえ、ビートルズを迎え撃ったのはあれだよね、アメリカのなんか音楽元気なくて、モータウンが中心だったよね。
  特に、シュプリームズ(The Supremes)なんかすごかったわけですが。
  これも、モータウンのアーティスト。
  リードヴォーカルが、リーヴァイ・スタッブス(Levy Stubbs)という超すっごいヴォーカルで。
  曲のね、スペース感、めちゃくちゃ広い世界を醸し出しているのを聴いてください。

  〜 Four Tops / Reach Out I'll Be There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=RtrNZGbwrng