【bayfm78】ビートルズから始まる。9【小林克也】

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1ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】
bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組

番組内コーナー
・ビートルズ・カレンダー
・ビートルズ・ストーリー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)


前スレ
8 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1341307124/
7 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1320067779/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/
では、1月27日の初めから。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年1月27日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月27日)
 ・1970年(今から43年前の今日)
  もうビートルズは解散しています。
  ジョン・レノンが急に思い立って、「インスタントカーマ(Instant Karma)」、お馴染みの曲かな?。
  ジョン・レノンになると、ちょっとビートルズほどポップスじゃないからね。
  ここらへんから、ちょっとビートルズファンも分かれてくるんですよね。
  「インスタントカーマ」はちなみに、ジョン・レノンの曲としては大ヒットするわけですが。
  インスタントカーマを思いついて、その日の夕方すぐスタジオに入ります。
  これはすごいんだよねえ。夜の7時に、もうスタジオ3だから、いつものスタジオとはちょっと違うのかな。
  そこで録音を開始して、そのうちに、朝までかかったかどうか知りませんけども、
  その日のうちに出来ちゃって、ミックス作業も終えて、10日後の・・・
  これねえ、ほんと10日後、店にレコードとして出るっていうのは、もう考えられないことですよね。
  いかにもうビートルズが神様みたいな存在だったか、ジョンがすごかったか、ポールがすごかったか。
  「とにかく出せ!」ってことで出たわけです。
  で、ジョン・レノンはプロデューサーにフィル・スペクター(Phil Spector)を頼みます。
  で、これが気に入るんですよね。
  ただ、ものの本によると、フィル・スペクターはいろいろ楽器の追加を要求したらしいのよね。
  で、最後に「ストリングスも入れようよ」っていうことで、ジョンは「ちょっと、それは待ってくれ」っていうことで
  ストリングスは入れなかったんですけども。
  ジョンはフィル・スペクターの仕事は大いに気に入って、このあと何十曲も録音して、カバーバージョンとかね。
  「もうこれは、どうにも出来ないよ」っていうふうな、有名なアルバム、知ってますか?
  「レット・イット・ビー(Let It Be)」のアルバムをプロデュース、フィル・スペクターに頼むことになるわけですよね。
  
  さあそれでは、その「思い付いた」っていう、
  思い付いて、もうはっきり言って10日後には店に出ていた、ていう。
  ジョン・レノンだから出来るような技だと思いますが。
  ジョン・レノンの「インスタントカーマ」をもう一度。
  
  〜 John Lennon / Instant Karma
  ttp://www.youtube.com/watch?v=F3qvosHHcWc

  (小林)どうですか?ジョン・レノンの名曲「インスタントカーマ」
  これ、思い付いてそのうちにやっちゃった、ていう。

  バックはギターにジョージ・ハリスンだとかビリー・プレストン(Billy Preston)だとか。
  まあ名義でいくと、プラスティック・オノ・バンド(Plastic Ono Band)っていう事になるんでしょうかね。
  ドラムスがアラン・ホワイト(Alan White)で、ベースがクラウス・フォアマン(Klaus Voormann)っていう、こういうバンドでやって。
  やっぱり、これはジョンらしいですよね。
  ビートルズの頃は、おそらくジョンとポールの区別が、そんなにできない。
  まあ、ものすごく聴き詰めると判るわけですけど。
  だけど、ソロになってから正体が判ってきますよね。
  だから、こういうジョン・レノンが一番好きだ、という人もかなりいます。
□ストーリー
 ・「カントリー、ウエスタン、ロックンロール、スキッフル、ザ・クォーリメン。出演予約 受け付けます。」
  と書かれた名刺を持って、駆け出しバンドのクォーリメンのマネージャー=ナイジェル・ウォーリーは演奏場所探しにがんばっていた。
  バンドを結成してから数カ月経った1957年の夏の初めになると、クォーリメンにもボツボツと仕事が入るようになり
  高校生バンドにしては、そこそこ名前も知られるようになっていた。
  こうしてメンバーは、青春の1ページとして演奏を楽しんでいたが。
  バンドのシンガーでリーダーである少年だけは すでに「自分はもっとビッグになる」ことを予測していた。
  少年の名は ジョン・ウィンストン・レノン。
  後にビートルズのフロントマンとしてロックの世界で頂点に立つ男、ジョン・レノン。
  そしてこのレノンの前に、もう一人の天才が現れることになる。
  少年の名は ジェイムス・ポール・マッカートニー。
  マッカートニーもまた、ビートルズの二枚看板の片方としてロックの世界の頂点に立つ人物であることは言うまでもない。


  ポールの生まれ育ったリバプールの家では、音楽は途絶えることがなかった。
  父親のジム・マッカートニーは、戦前には「ジム・マック・ジャズバンド」を率いて活躍していたローカルのミュージシャン。
  このマッカートニー家のリビングには、かつて経済的に余裕のあった時代に、地元のNEMS(North End Music Stores)で買ったアップライトピアノがあった。
  たまに時間が空くと父親のジムはこのピアノのふたを開け、好きだったジャズのスタンダードナンバーを弾いてくれた。
  この数年前に、優秀な看護師として病院に勤務していた妻のメリーを乳癌で亡くして以来、ジムは経済的にも落ち込み笑顔を忘れていたが、もうすっかり立ち直っていた。
  二人の息子、中学生のポールとマイケルのために「仕事も家の事もがんばらないと」ジムはそう心に決めたのである。
  「ああ…、うちはやっぱり裕福じゃないんだな」15歳の少年ポールは、その事実をしっかり受け止めていたのであった。
  〜 The Beatles / Honey Pie 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=BTuOAPE-LOo

  〜 The Beatles / Till There Was You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Mr5gCdUXJQY
  
  (小林)Honey PieそしてTill There Was You と続きましたが。
  ロックファンは、「ビートルズの、この初期の頃は、ぜんぜんロックじゃないね」wって思う方もいるかもわかりませんけど。
  彼らが14〜5歳の頃の話しをしているわけですが、そのころはロックは全体のマーケットの10%にも行ってないからね。
  だから、この時代は、特にポールなんかは昔のものを、お父さんを通して、ばっかりじゃなくて、自分で常識として持っていたんじゃないかと思われますね。
  Till There Was You もアメリカではペギー・リー(Peggy Lee)のヒットでお馴染みです。
 
  で、あと Honey Pie お送りし致しました。
□ストーリー(続き)
 ・「中学生のポールとマイケルのために、仕事も家の事もがんばらないと」ジム・マッカートニーはそう心に決め、仕事に家事に子育てに励んだ。
  その一方で「ああ…、うちはやっぱり裕福じゃないんだなあ」15歳の少年ポールは、その現実をしっかり受けとめていたのである。
  もちろんジムにとって、家事、つまり家庭内の雑務はまったく未知のものであったが、彼はガマン強く少しづつ全てを身に付けていった。
  料理も 裁縫も 洗濯も アイロンがけも自分で覚えた。
  毎日綿花市場での仕事を終えると、急いで肉屋と八百屋に行き、リバプールのアラートン地区にある家に帰って掃除を済ませて、ポールとマイケルの夕食を作る。
  ジムの姉妹、つまりポールとマイケルの叔母さんたちもそれぞれ週に一度やって来て、丸一日かけて家中をきれいに掃除してくれた。
  近所の女性やその娘たちも、何かあればすぐに駆けつけた。
  ポールとマイケルが学校から戻って来れば、たとえ家に誰もいなくても、メモが残され、どこに何があるかが判るようになっていて。
  暖炉にはすぐ火を起こせるように、薪と焚き付けに使う古新聞が置かれていた。
  ポールの父親ジムも、ジョンの育ての親である伯母さんのミミと同じく「我が家からは絶対にテディボーイを出すまい」といつも眼を光らせていた。
  ただ問題は、ジムは一日中仕事で留守にするために、ポールとマイケルだけで床屋に行かせ、洋服も子供たちだけで店に行って選ばせるしかなかった。
  ということ。
  
  ジムが不思議に思ったのは、二人の息子のうち取り分けポールが床屋から帰ってくると、
  なぜか髪が盛り上がっていて、髪を切る前よりもむしろその分量が増えているように見えることであった。
  さらにヘアスタイルだけでなく、服装をめぐっての争いも繰り広げられた。
  ポールが身に着けるズボンの裾が日に日に細くなって行くのである。
  当時これは「ドレーンパイプ(drain pipe)」「排水管」と呼ばれていたデザインのもので。
  それはまさに、「テディボーイの制服」とも言えるスタイルだったのである。
  〜 Paul McCartney / Teddy Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Os8qC2vSEBI
  
  〜 Ringo Starr / Liverpool 8
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OM34giD4o4w

  (小林)いやあ、これはけっこう盛り上がる曲(2曲目)ですよねえ。
  リンゴ・スターの Liverpool 8という、
  これはリンゴ・スター自からが作曲。
  そしておそらくプロデューサーのデイブ・スチュアート(Dave Stewart)
  デイブ・スチュアート知ってますかね?、みなさん。
  80年代のあの「ユーリズミックス(Eurythmics)」知ってますかね?
  ユーリズミックスの人ですね。
  デイブ・スチュアートがプロデュースして、作曲も手伝ったりしていますけど。
  まあ、リバプールを出て行かなきゃいけなかったわけですよ、ビートルズだから、ね。
  でも、名を辱めるような事はしなかった、ていう。
  ちょっとドラマチックなビートルズの歓声も、ビートルズに対するファンの歓声も、盛り込んだり。
  それから、後半のリバプールの叫びは、サッカーを思い出す人が多いんじゃないでしょうかね。

  その前は70年の、ポール・マッカートニー、ソロアルバムの中に入っています。
  ポールらしい Teddy Boy。
□ストーリー(続き)
 ・後にビートルズの音楽的な中心人物として、ロック界の頂点に立つ男ポール・マッカートニー。
  彼の少年時代は幸せだった とは言い難い部分がある。
  最愛の母親で病院の看護士長というキャリアを持っていたメアリーを、ポールは中学生時代に乳癌のために失っている。
  そのため、母親の愛情ばかりではなく、経済的な面でも大きな打撃を受けた。
  もちろん、残された父親ジム・マッカートニーは仕事と家事そして育児の全てを一人で背負い込みがんばった。
  しかし、男親の限界はある。
  それに長男のポールが思春期の真っただ中とあれば、それもなおさらのことであった。
  一番の心配事は、ポールが床屋から帰ってくると、なぜか髪が盛り上がっていて、髪を切る前よりもむしろその分量が増えていたこと。 
  そしてもう一つ、ポールが身に着けるズボンの裾が日に日に細くなって行ったこと。
  当時これは「ドレインパイプ」「排水管」と呼ばれるデザインのもので、まさに「テディボーイの制服」とも言えるスタイルだったのである。
  
  それに気付いたジムは、ドレインパイプを禁止して昔ながらのキチンとしたシェイプに戻すように命令した。
  しかしポールも15歳、黙って父親の言いつけを守るわけがなかった。
  ポールは父親の出した条件に適うズボンを買ってくると、一度父親に見せ、それからこっそり仕立て直し専門の洋服屋へ持ち込んだ。
  もちろん父親には内緒で、裾は細く丈は長めにと注文を付けるのである。
  直しから上がってきたドレインパイプのズボンをポールは涼しい顔で身に着けた。
  もちろん、父親のジムの眼も節穴ではない。
  ジムもすぐに気付き、ポールを問い詰めた。
  しかしポールは しっかりウソの理論武装で応戦したのである。
  「お父さん、だいじょぶだよ、このズボン。学校の生活指導の先生も大丈夫って言ってたよ。
  だって、こんなの、街じゅうの男子が穿いてるんだから、心配なんかいらないって。」
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=P7FJFKC8bLg

  〜 The Beatles / I should have known better
  ttp://www.youtube.com/watch?v=vJImvBHeo8Q
 
  (小林)2曲続きましたね。

  Long Tall Sally もう、ポール・マッカートニーのこれはもう おはこ(十八番)ですからね。ビートルズのね。
  
  そして、やっぱりビートルズはジョン・レノンのボーカルをポールの後に聴くと、座りがいいですよね。
  I should have known better これも1964年「ハードデイズナイト(A Hard Day's Night )」のアルバムから。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしておりますので。
       <中略>
  [email protected]
  こっちで待ってます。

  (川崎市/男性)50歳
  私がビートルズを知ったのは中学校の音楽の授業。
  教科書に「イエスタデイ」の楽譜が載っており、この切ないメロディに心を打たれました。
  またそのあと、「レットイットビー」や「ヘイジュード」など、どこかで聴いたことのある曲が彼らの楽曲と知り、ビートルズが大好きになりました。
  今でも家の掃除をする時や車の運転中によく彼らの曲を聴いています。
  その影響か、19歳になる浪人中の息子もビートルズをたまに聴いているようです。
  今日はそんな息子が「ノリが良くて好きだ」と言ってるこの曲。
  (小林)
  これは元々ジョン・レノンのおはこ(十八番)だったんですよ。
  でも、ジョージがリードボーカルを取る曲が無いっていうんで、やっぱりリーダーのジョン・レノンが気を使ってね。
  「おまえ、歌っていいよ」っていう、歌わせた Roll Over Beethoven!

  〜 The Beatles / Roll Over Beethoven
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rchp-dOc7EY
  〜 Earth,Wind & Fire / SEPTEMBER
  ttp://www.youtube.com/watch?v=2S8ZrQG0y6g

  (小林)ビートルズのロックンロールからね、Earth,Wind & Fireが聴こえると、またちょっと新鮮な感じですよね。
  
  (府中市/男性)
  40年以上も前からラジオを聴いていますが、一昨年の地震と津波以来いっそうラジオを聴いている時間が長くなりました。
  先日ビルボード東京でアル・マッケイ・オールスターズのノリノリのステージを見に、いや踊りっぱなしでした。   (小林)行きました?。
  いつもは娘とだけ一緒だけど、初めて息子も一緒に三人で行きました。
  生のステージの迫力に息子も喜んでいました。
  いろいろあって、今は子供達とは別々に暮らしているけど、息子も少しづつ立派な男になって来ました。
  プレゼントまで用意してくれていました。
  帰りの電車の中、一人プレゼントの重みをかみしめていました。
  リクエストはそのステージで踊りまくっていた、Earth,Wind & Fireの SEPTEMBER。
  (小林)
   SEPTEMBERっていうのは、ギタリストだったアル・マッケイ(Al McKay)も曲作りに参加してる曲で。
  まあ、アル・マッケイというとね、Earth,Wind & Fireのスタイルを作るのに、リーダー座長のモーリス・ホワイト(Maurice White)に並んで力があった人ですけども。
  今は辞めてますが。
  アースの「♪got to get you into my life」ていう、あの有名な曲をカバーしているのもお馴染みですが。

  実はアル・マッケイは1970年代の初めにね、ジャクソン5ほど人気がなかったのかな?、黒人のファミリーグループが日本に来たんですが。
  その時に彼は「コンサートマスター」としてね、ギター一丁で日本のバンドを率いて、バックを出来るようにって。
  コンサートマスターとして来ていました。
  も〜のすごくギターが上手い人だったんですよ、彼は。
  それで僕は、絶対ね、例えば、黒人のギタリストだから、
  例えばスライ&ザ・ファミリー・ストーン(Sly and the Family Stone)だとか、ああいうファンキーなやつを聴いてると思って、
  でっかいカセットデッキをチェックしたんですよ。
  そしたらねえ、エルトン・ジョン(Elton John)とかね、ビートルズですよ、彼が一生懸命聴いていたのは。
  「ああ、勉強してんだなあ…」と思いました。
  そういう僕との出会いがあったんですね、アル・マッケイ。
  オーケストラで、自分のオールスターズで、アース(Earth,Wind & Fire)じゃない別の営業で稼いでるみたいですが。
  (千葉県山武郡/男性)16歳
  ジョン・レノンの Only Peopleです。
                      (小林)いやあ、ありがとう。これ、ねえ、なかなかリクエスト来ない曲だよ。
  中学の頃これを歩きながら聴くのが好きでした。
  周りの風景が音楽と一致して、すごく楽しい散歩にすることができる曲だと思います。
  (小林)
  もし聴いていたら名前を早く聞かせてください。
  イシイ食品から例のモノを送りますから。w
  どうも、こんな曲リクエストくれて ほんとにありがとう。
  
  〜 John Lennon / Only People
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JC6aOZTNrLo

  〜 The Beatles / Please Please Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=MBfsrVIm9yI
  
  (板橋区/男性)
  ビートルズの詩は 二つの意味があるものが多くあると言われています。
  自分が感心したのは Please Please Me。
  Pleaseは日本語でもよく使う「どうぞ」の意味。
  そして次の Pleaseは「喜ばせる」。だから訳すと「どうか私を喜ばせて」になります。
  すごいですね。他にも自分で気付いて無いのがあったら教えてください。
  (小林)
  これはねえ、あなた間違えている。
  ジョンの好きな「言葉遊び」に過ぎないんですよ。
  だから日本語にすると「ダジャレ」なんですよね。
  昔のね、ビング・クロスビー(Bing Crosby)なんかが歌った曲の「Please please me」ていう歌詞がある歌があるんです。
  それから取ってるやつで、ただビートルズがやると、そこのとこが裏声をはさんだ“ハモり”になるんでPlease Please Meがすっごい新鮮に聴こえる技。
  それを発揮してるわけですね。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
 
  リクエスト、ほんとにありがとうございますね。
  「話し」の方は来週はもっともっと面白くなりますから、よろしく。
  
  リクエスト、メールアドレスは
  [email protected]
  採用の方には(略)
  
  面白いことを書く必要はないですよ。
  ただ、あの、なんというのかな、気の利いたことを書いて…
  あ、まあ、どうでもいいですw
  ワガママなリクエスト待ってます!。
2012年12月4日放送の 「スペシャルパーティ」の一部を見つけました。w

ttp://www.youtube.com/watch?v=xai2DpU_Dx0

ゲスト:平原綾香 Chika
曲:「スマイル スマイル / 平原綾香」
  「In My Life / 平原綾香」
  「Jupiter / 平原綾香」
ギター:古川昌義 
ピアノ:扇谷研人

  「Let It Be / 平原綾香&Chika」
ピアノ:田中祐士 
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年2月3日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 2月3日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  ロンドンの有名なナイトクラブで、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)がショーをやりました。
  それをポール・マッカートニーが見に行った。
  ポール・マッカートニーはスティービー・ワンダーやモータウンの大ファン。
  四人の中でモータウンに一番影響されたのはポール・マッカートニーだと言われていますが。
  スティービー・ワンダーは、まだ十代です。
  スティービー・ワンダーにとってビートルズは、すごかったんじゃないかと思いますよ。
  スティービー・ワンダーもそりゃもうね、アメリカでナンバーワンを飛ばす大シンガーになってるわけですど。
  まだ、十代のガキですからね。
  もうビートルズが、眩しくてしょうがなかったんだと思いますよ。
  事実、それから2〜3年経つとスティービー・ワンダーは、やっぱり目覚めて、自分で曲を書くようになって。
  「トーキングブック(Talking Book)」から3枚4枚ぐらいのアルバムを出す間はですね、音楽の世界にビートルズと同じように革命をもたらします。
  これはなかなか、ビートルズの偉さが今伝わって、スティービーの70年代の偉さっていうのは伝わってないんですけども。
  だから、スティービーはポールからすごい刺激を、ビートルズから刺激を受けることになる。
  それが今から47年前の今日始まったっていうことですね。
  なお、ポール・マッカートニーはモータウンの音にまいっていました。
  特にポール・マッカートニーがファンだったのが、ジェイムス・ジェマソン(James Jamerson)ていう ベースプレーヤー。
  この人のベースはファンが多いです。
  ベースが単なるリズム楽器的な役割じゃなくて、ハーモニーを決めちゃう。
  大きく曲の色を変える役割さえ持つようになったジェイムス・ジェマソンのベースのファンだったわけですね。
  スティービーの この頃ヒットして、アメリカで3位ぐらい、イギリスでもヒットしていた曲があるんですけども。
  これは、カバーバージョンです。
  ベースは、もちろんジェイムス・ジェマソンが担当しています。
  だからみなさん、宿題がありますw。ベースも聴くようにw。
  スティービー・ワンダーのボーカルもちゃんと聴いてください。
  若いスティービー・ワンダーです、Up-Tight。

  〜 Stevie Wonder / Up-Tight 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=otJsDVCkrfI 

  (小林)モータウンの代表的なスティービー・ワンダー、この頃はモータウンのスターだったわけですね。
  Up-Tight、1966年頃のヒット曲ですが。
  面白いですね、ポール・マッカートニーはモータウンの影響を受けている。
  このモータウンのスティービーの Up Tightていう曲はですね、実はボブディランなんかの影響を受けているんですよ。
  歌詞だとかノリがね、ボブディランぽい曲なんですよね。
  ただ、アレンジが違うんでモータウンの音になってるわけですね。
  Up TightとかOut Sightとか、この頃の大流行語をね、ちゃんとコマーシャルに作った、プロのプロたちが作った曲なんですけども。
  それをスティービーが歌っていた。
  つまり、影響っていうのは、お互いに影響しあうんですよね。
  昔のものを聴いて新しくしたりとか、それから、同時代のものから頂いたりとか、面白いですね。

  スティービー・ワンダーとポール・マッカートニーは、あとで有名な共演をすることになりますよね。
  わかってますか?
  言った方がいいですか?w
  「エボニーアンドアイボリー(Ebony and Ivory)」ですねw。
  ハイ。
□ストーリー
 ・「お父さん、だいじょぶだよ、このズボン。学校の生活指導の先生も大丈夫って言ってたよ。
  だって、こんなの街じゅうの男子が穿いてるんだから、心配なんかいらないって。」
  この言葉の主は、ジェイムズ・ポール・マッカートニー。
  のちにあのビートルズの音楽的なリーダーとして全世界のロック界のトップに立ち、現在ではイギリス王室から「サー」の称号を授かり
  その資産評価額もイギリスの国内でトップに君臨する人物、ポール・マッカートニーである。

  この時ポールはまだ15歳の高校生。
  数年前に母親を亡くし、当時は2歳年下の弟マイクと、リバプールの綿花市場で働く父親のジムとの3人暮らし。
  当時のイギリスの女性としては、そう悪くはない病院の看護師長としての給料をもらっていた妻のメアリーを失ったジムとしては、
  自分の安い給料だけで、家事と育児もしながら暮らして行く というのは、かなり厳しい状況であった。
  そしてジムは生活苦以上に、かつて経験したことのない場面に出くわすことになる。
  それは他ならぬ長男ポールの思春期への突入であった。

  1956年、エルビス・プレスリーを初めとするロックンロールの台頭もさることながら、ポールもやはりジョンと同じ「スキッフル」の洗礼を受けた。
  そのスキッフルの大スター=ロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)と彼のスキッフルグループがリバプールにやって来て、エンパイアシアターでコンサートを行った。
  ポールは昼休みに、ポールの通う高校リバプール・インスティテュートの友達と出かけて行き、
  このスターシンガーがやって来る瞬間を一目でも見られないかと、会場の外で待っていた。
  かなり遅れて来たドネガンは、そこに集まっているファンの工場労働者たちが「これじゃあ仕事に遅れてしまう」って聞いて、彼らのために一筆したためた。
  「御社の社員の皆さんが、午後からの仕事に遅れたのは、リハーサルに遅刻した自分のせいです。彼らのせいではありません。」
  「ファンに対する このスターの、あまりに親切な気配りを一生忘れない。」と後にポールは語っているほど、心に残る出来事であった。
  〜 Lonnie Donegan / Lost John
  ttps://www.youtube.com/watch?v=CfzGhyx3R_U

  〜 The Beatles / I've Just Seen a Face 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dlKDgmiHVB8

  (小林)いかがですか?
  ポール・マッカートニーたちが憧れていたロニー・ドネガンの Lost John。(1曲目)
  これは1956年。

  約10年ね、まあ9年経った「HELP」のアルバムの中にはこの I've Just Seen a Face(2曲目)が入っていました。
  やっぱり、影響を受けていますよねえ。
  はい。2曲続きました。
□ストーリー(続き)
 ・1956年。
  15歳になる年に、当時リバプール・インスティテュートに通う高校生であったポール・マッカートニーは「スキッフル」という流行の音楽に夢中になった。
  イギリスに古くから伝わるフォーク音楽にアメリカ南部のブルースのフィーリングを加えたこの「スキッフル」は
  イギリスだけではなく、大西洋を渡ったアメリカでもヒットするほどのブームとなっていた。
  そのスキッフルを代表するスターの名は、ロニー・ドネガン。

  ポールはリバプールにやって来たドネガンを見て以来、自分でギターを弾いて歌ってみたいと思うようになった。
  幸運なことに、自分もピアノやトランペットを演奏しアマチュアバンドで活躍していた父親のジムは、
  息子たちにはどんな楽器でも 大喜びでやらせようとする人間であった。
  家にはすでに、ピアノのほかジムの愛用する楽器がいくつかあった。
  最初ポールはトランペットにチャレンジしようとしたが、すぐに上唇が腫れ上がった。
  つまり、唇の形がトランペットには不向きだったのである。
  それにポールは、楽器演奏よりむしろ歌を歌うことが好きだった。
  すでに人前で歌うことに恥じらいや抵抗感というものは無かったし。
  夜眠りに就く前は、必ずベッドにもぐってお気に入りの歌や 覚えたばかりのヒット曲を口ずさんでいた。
  実はこのポールの習慣は、父親のジムやお手伝いに来てくれていた近所のオリーブという娘には筒抜けであった。
  ポールの歌がなかなか上手で、よく通る声をしていたため、階段の下まで聴こえていたのである。

  経済的にはとても裕福とは言えないマッカートニー家ではあったが、
  ジムはポールのためにバイオリンのようなFホール付きのギター、俗に言う「ピックギター」を買ってきてくれた。
  色はボカシが3段階になった高級感のあるサンバーストで、素敵な白いピックガードが付いていた。
  ジムはさっそくピアノに向かって、ピアノを弾きながらポールにギターを教えた。
  それは何時間も飽きもせずに続くのである。
  「さあポール、次はこのコードだ。そう そう そう。その調子だ。いいぞポール!」
  〜 The Beatles / Two Of Us("Let It Be... Naked" version)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=W6Az2d1umas

  〜 The Beatles / Blackbird-Yesterday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MJznCHjwGXM

  (小林)いかがですか?
  2006年、あのジョージ・マーティン親子がプロデュースを担当して、これは大好評だったアルバム「LOVE」の中に入っているバージョンです。
  Blackbird-Yesterday(2曲目)。

  そして、その前は、これはポールがですね。
  ジョン・レノンがフィル・スペクター、プロデュースを頼みましたね、フィル・スペクターにね。
  でも、いじりまくって結局ダメにしちゃった、ていう、ポールはずっと根に持っていたんで、その「Let It Be」をやり直した。
  曲順まで変えてしまった、あの「ネイキッド(Naked)」の「Let It Be... Naked」の中に入っているバージョンで Two Of Us(1曲目)。
□ストーリー(続き)
 ・「さあポール、次はこのコードだ。そう そう、そうそう、そう。その調子だ。いいぞポール!」
  経済的にはとても裕福とは言えないマッカートニー家ではあったが、根っからの音楽好きである父親のジムは、
  ポールのために、バイオリンのようなFホール付きのギター、俗に言うピックギターを買って来てくれた。
  色は高級感のあるサンバーストで、素敵な白いピックガードが付いていた。
  ジムはさっそくピアノに向かってポールにギターを教えた。
  それも何時間も飽きもせずに続くのである。

  今となっては意外なことであるが、ポールは最初のうちはなかなか上達しなかった。
  ポールの左手はコードを上手く押さえることが出来ず、右手は弦をかき鳴らすことが出来なかった。
  理由が判明するまで少し時間がかかったが、それは簡単なことであった。
  ポールが左利きだったから。
  こうしてポールは右手でコードを押さえ、左手で弦をピッキングするというスタイルに変更した。
  こうした方がはるかに上手く行くことにやっと気付いたのである。
  それでも、右利き仕様のギターはかなり弾きにくい。
  そこでポールは、父親がギターを買ってくれた楽器屋にそれを持ち込んだ。

  「あのう、お願いがあるんですが。」
  「やあ、君はジムんとこのポールだね。どうだい? ギターの腕は上達したかな?」
  少しの沈黙の後、ポールが答えた。
  「それが…、どうやら僕は左利きなんで、右利き用のギターじゃ上手く弾けないみたいなんです。どうしたらいいでしょう?」
  すると、店の主人は答えた。
  「あ、そうだったのか。それは悪いことをしたね。さあ、どうするかなあ。
  そのギターをいったん引き取って、左利き用のギターをメーカーにオーダーすることもできるけど。
  そうすると、半年ぐらいかかってしまうぞ。それは困るよねえ。
  じゃあどうだろう。ギターの弦を上下逆さまに張って、左手で弾くっていう方法もあるけど、どうかな?」
  「あ、僕それでいいです。弦を張り替えてください。出来るだけ早くお願いします。」
  〜 The Beatles / Paperback Writer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MirsbMS_XJU

  〜 The Beatles / I'm Looking Through You (Anthology 2)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XRhZy1usD34
 
  (小林)いかがですか?  
  1996年になってねえ、アンソロジー(Anthology)の2が出ましたが。アンソロジーは3枚出てますが。
  これは、ビートルズのねえ、ほんとうに深いんだっていうことをマザマザと知らせてくれたやつですね。
   I'm Looking Through You(2曲目)、これいかがですか?  
  初めて聴いている人もいるかもわかんないですけども。
  こっちのバージョンの方が、なんかイイよ って言う方もいるんじゃないかと思われるほど、イイ出来ですよ。
  
  その前は、お馴染みの Paperback Writer(1曲目)。
  2曲続きました。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにして差し上げていますので・・・。
  365日リクエスト待ってますからw よろしく。
  [email protected]
  こっちで受け付けています。

  (船橋市/男性)
  ビートルズそしてメンバーのソロの曲は、CD・ラジオ・テレビだけでなく動画サイトでも映像を見つつ聴くこともあります。
  動画の中で私のお気に入りと言えば、ポール主演の映画「ヤァ!ブロード・ストリート(Give My Regards To Broad Street)」の中で、
  トト(TOTO)のスティーヴ・ルカサー(Steve Lukather)とジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro)らと共演している「シリーラブソング(Silly Love Songs)リプリーズ(Reprise)」のライブ映像です。
  全身白ずくめの変な衣装とメイクで演奏しているシーンが滑稽です。
  ウィングス(Wings)のアルバム「スピード・オブ・サウンド(Speed of Sound)」に収録されているバージョンも良いですが、
  ポールとはまた違った、秀逸なベース演奏を含めて、名曲だと思いますので、映画バージョンをぜひリクエストしたいと思いますので、よろしくお願いします。
  (小林)
  あなたのリクエストです。

  〜 Paul McCartney / Silly Love Songs(MV)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=RN6lWjN0ups

  (小林)どうですかあ? こっちのバージョンも好きな人は・・・
  これは客観的に見るとw 嫌いだっていう人もいるんだけどw。ポールらしいですよね。
  ポールはこういう風なことをやって、ちょっといたずらをやったりするような、それも80年代ですからねえ。
  こういうことが出来たんじゃないかと思います。
  (千葉市中央区/男性)
  数えきれないビートルズのカバー曲の中でも、
  35年ぐらい前、けっこうヒットもし、また当時流行りのディスコミュージックのテンポから始まり、
  その後これでもかと曲のサビ部分だけをいい感じでつなげた名曲である「スターズオン45」の「ビートルズメドレー」です。
  当時私は小学生、ビートルズの原曲を聴く前に 先にこちらを聴いてしまい、
  当たり前ですが、名曲のサビだらけの曲だけに、こちらの曲を先に気に入ってしまったため 後にそれぞれの原曲を初めて聴いた際、少し物足りなさを感じてしまった。
  少し歪(いびつ)な過去があります。
                             (小林)いびつw やっぱり自分で自覚していますねw。
  でも、歌声も違和感なくテンポも良いし、本当にいい曲ですよ。
  ぜひともよろしくお願いします。
                             (小林)まあねえ、ネタがビートルズだから出来るような45だと思いますが。
  それでは今年も毎週ほんとに楽しみに聴かせていただいてます。  
  これからも、お体に気を付け、私たちに元気パワーを与え続けてください。
  (小林)
  あなたのリクエストで・・・
  
  〜 Stars On 45 / Beatles Medley
  ttp://www.youtube.com/watch?v=57gXY8tZG4k(シングルバージョン)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZOuZmEKmtWQ(フルバージョン)

  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttp://www.youtube.com/watch?v=J3jrWVp2L7U

  (松戸市/女性)
  今年もビートルズの歴史・曲を聴いて、素敵な一年でありますように。
  放送で Strawberry Fields Foreverの話しをされていたので聴きたくなりました。
  リクエストお願いできますか?

  (小林)
  久しぶりにかけました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  ポール・マッカートニーやジョン・レノンが高校生のころのお話しをしています。
  だから1950年代ですよ。ねえ。
  若い方は聴いててどうでしょうか?
  けっこう、やあ、時代は変わっても同じなんだなあ・・・。
  めっちゃくっちゃ細いズボンが流行っていたらしいですよ。
  日本ではね、マンボズボンって言ったってwww  
  そういうふうなことを思い出してしまいましたよ。

  リクエストの方もよろしくお願いします。
  採用の方には(略)
  
  楽しいリクエストを待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年2月10日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 2月10日)
 ・1964年(今から49年前の今日)
  ビートルズが初めてアメリカに上陸して4日目。
  まあ、もうビートルズの「I Want To Hold Your Hand」がナンバーワンになって、すごいことになってくるわけですよ、アメリカで。
  それまではイギリスだけだったでしょ。
  これはアメリカ。
  世界各国ですごいことになるんですが。
  もうだから、世界のマスコミが注目しているビートルズ。
  アメリカに上陸します。

  そして、49年前の今日は、ニューヨークのあの有名なプラザホテルで、ビートルズの記者会見がありました。
  このころは、けっこうビートルズの記者会見てのは、ロンドンを発つ前のロンドンの空港でやったりとか。
  ニューヨークへ到着した時ニューヨークでやったりとか。いろんな記者会見があるんですけど。
  この頃の記者会見ってのは めっちゃくちゃ面白いですよね。
  もうビートルズが珍しくてしょうがないわけですよ、大人たちは。新聞記者たちは。
  だから、本当に滑稽な質問をしたりするんですよね。
  「床屋はいつ行くんですか?」とか言うんですよね。
  そうすると、ジョン・レノンとかリンゴ・スターは、あの人たちはユーモアが利いてますからね。
  「いや、4人とも床屋へ行ってきたばっかりだよ」って言うんですよw。
  そうすると大人たち 笑うんですよ。
  もうほら、髪が長いから床屋に行ってきたっていうイメージが無いわけですよね。
  「今、ヘアカットしたばっかりだよ」とか そういうこと。
  アメリカの新聞、ニューヨークのヘラルドトリビューンは
  「ビートルズの正体は、75%は宣伝、20%がヘアカット髪型、5%がチアフルモーニングス。」
  これは、まあ、モーニングスというのは亡くなった人たちへの言葉ですから。
  まあ5%は日本語にすると、ブラックユーモアみたいな感じですね。
  だから、もひとつニューヨークのデイリーニュースという新聞は
  「ビートルズっていうグループは、エルビスのステージなんかに比べると、もうエルビスが霞んじゃうぐらいのすごさがあるよ。」
  っていうようなことを書いたりしています。

  で、この日エルビス・プレスリーから祝電をもらうんですよね。
  「おめでとう。世界でアメリカで大ヒットしたね。」
  ていうような祝電をもらっちゃうわけです。
  で、翌年には、エルビスっていうと、ビートルズの特にジョンとポールにとっては一番尊敬するロッカーですから、
  ハリウッドのプレスリーの家に行くっていうことになるわけですね。
  翌年はね。

  さあ、それじゃ、ビートルズが上陸したころ、1964年2月10日の時点では、これがエルビスの最新ヒットでした。
  映画「Fun In Acapulco」ていうw、プレスリーのラスベガス周ったりアカプルコ周ったり、観光名所をみんな周るような映画があったんですけども。
  そのアカプルコシリーズの中に入っていました、プレスリーの Bossa Nova Baby。

  〜 Elvis Presley / Bossa Nova Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=W-yZifpgCR0
  (小林)1964年2月の時点で、プレスリーの一番新しい曲がこの Bossa Nova Baby。
  大ヒット曲じゃなくて、これはプレスリーファンはけっこう知っている有名な曲です。
  プレスリーはそのころ、一年に一本ぐらい映画を出している。  
  そのサントラがヒットするというパターンをずっとやっていて。
  これは、ジョン・レノンとかねポール・マッカートニーは、そういうプレスリーのやり方が嫌いだったんですよ。
  「ロッカーはそんなことじゃだめだ。」っていうふうな、気持ちがあったんですが。

  Bossa Nova Baby という。
  これはねえ、楽しい曲だなあと思うでしょ?
  そうなんです、プレスリーはこういう楽しさを売っていたんですね。
  で、ボサノバっていうのはですね。実は、プレスリーが世界的な現象となるんですが、その裏で、静かなシャレたクールなボサノバ音楽っていうのも世界中でヒットしていたんですよ。
  だから、その中にw、アカプルコはメキシコのアカプルコが舞台ですから、マリアッチ音楽なんかが入って、けっこう音楽的にはテンコ盛りの、面白い音楽になっておりましたね。
□ストーリー
 ・「あのう…お願いがあるんですが…」
  「やあ、君はジムんとこのポールだね。どうだい、ギターの腕は、上達したかな?」
  少しの沈黙の後、少年が答えた。
  「それが、どうやら僕は左利きみたいなんで、右利き用のギターじゃ上手く弾けないんですよ。どうしたらいいでしょう?」
  すると店の主人が答えた。
  「あ、そうだったのか。そりゃあ悪いことをしたなあ。さあ、どうしたもんかなあ。
  そのギターをいったん引き取ってだね、左利き用のをメーカーにオーダーすることもできるんだけど。
  そうすると、半年ぐらいかかってしまうぞ。それは困るよねえ?。
  じゃあどうだろう、ギターの弦を上下逆さまに張って、左手で弾くっていう方法もあるけど、どうかな?」
  「あ、僕はそれでいいです。弦を張り替えてください。できるだけ早くお願いします。」

  この、ポールと呼ばれている少年の名は、ジェームス・ポール・マッカートニー。
  ここから約8年後、アメリカ進出を果たし、全世界でロックの頂点に立つことになるビートルズの中心的メンバー、あのポール・マッカートニーである。
  ポールはこの時15歳、まだ高校一年の年齢である。
  彼も当時のイギリスの青少年のご多分に漏れず、イギリス独自の流行歌であるスキッフルとロックンロールに夢中になっていた。
  前の年に、看護婦長として働いていた母親のメリーを亡くして以来、すっかりふさぎ込んでいたポールであったが、ロックに没頭することですっかり元気を取り戻していた。
  母親としての役割だけではなく、大きな収入源も失ってしまったマッカートニー家ではあったが、
  もともとアマチュアバンドマスターとして活動していた父親のジムは、ポールの音楽への傾倒ぶりには理解を示していた。
  少ない給料の中から、何とか工面して買ってあげたギターであったが、それは通常の右利き用のもの。
  左利きのポールは自分で楽器店を訪れ、弦を張り替えてもらい、これで初めてスタートラインに立つことになった。
  右利きのミュージシャンとは逆方向にギターやベースのネックがそびえるスタイルは、その後50年以上ポールのトレードマークとなるのである。
  〜 The Beatles / All My Loving (The Ed Sullivan show)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ENR9rFsADIs
  
  〜 The Beatles / Dont Let Me Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qR-SlkUgCRg
 
  (小林)ビートルズの、もちろんこれはビリー・プレストン(Billy Preston)をフィーチャーしていますね、キーボードにね。Dont Let Me Down。
  ポール・マッカートニー(?)のボーカルです。
  これは実は Get Back のB面であった、ということですね。
  
  そしてその前は All My Loving。ライブで、アメリカの有名な「エド・サリバン・ショー」。
  ビートルズが「エド・サリバン・ショー」ていうテレビのショーに出たことは知っていますね。
  その本人エド・サリバンの軽い声でビートルズが紹介されて、生で録音なんですけども、これは「アンソロジー(Anthology)」に入っていましたね。
  ちょうど今日、冒頭でお送りした、記者会見の話しをしましたね。
  その前の日に撮られたものです。
  今だと録画、その頃はフィルム撮りをしたものの音からお送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・1957年、15歳になる年、ポール・マッカートニー少年は最初のギターを手に入れた。
  ポール本人も、また買ってくれた父親のジムも、ポールが左利きであることは理解していたが、
  ギターを選ぶのに わざわざ左利き用を探す必要があるかどうかまでは考えたことが無かった。
  もともとピアノやクラリネットには「左利き用」なんて存在しないし、第一左利き用のギターなんて誰も見たことすらなかったのである。
  幼いころから何でも卒なくこなすタイプであったポールも、このギターだけは少し手こずってしまった。
  最初はどうすることもできず、買ってもらってから数週間はギターを眺めているだけで、楽器としては機能していなかったのである。
  しかしついにポールが、このギターを購入した楽器店に持ち込み、弦を左利き用に張り替えてもらった時から、全ては変わった。
  圧倒的にコードが押さえやすいのである。
  そしてその瞬間、ある意味でポールは堕落して行った。と、言うこともできる。
  ギターは彼の生活において何より大切なものとなり、毎朝目が覚めると先ずギターに目を向ける。
  夜は明かりを落とした後も、ポールの眼は闇の中に光るギターのサンバーストカラーを探し求める。
  学校の授業も、バスでの通学時間も、友達との遊びやつき合いも、さらには食事の時間も、全てギターを手に取る瞬間のために我慢してしのぎ さっさと済ませるものとなった。
   
  やっと自分ひとりの時間になると、ギターを手に取り、その空洞に響くカランとした音を聴きながら、ずっと練習してきたコードを
  「今度こそきれいに鳴らすことが出来かどうか」にトライしてみる。
  そしてこのポールの熱中ぶりは、さらに加速することになる。
  彼はなんと、バスルームやトイレにまでお気に入りのギターを持ち込むようになった。
  こうしたポールの熱中ぶりは、プロのロックアーティストになっってからも、垣間見ることができる。  
  
  ポールの仕事好きはロックの業界でも有名なこと。
  どんなにレコーディングが続いても、スタジオを切り上げることは無かった。
  朝帰りなんて言うものは日常茶飯事。
  ポールはアマチュアのころから「ロックの虫」だったのである。
  〜 The Beatles / It's Getting Better
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gP4apO4dbhw

  (小林)
  1967年の、あの「サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド(Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の中に入っている、
  ちょっと地味で見のがしがちな曲ですけれども。
  これはものすごく味があるイギリス風の曲ですよねえ。
  イギリス風のロックという感じ。
□ストーリー(続き)
 ・1957年のある日から、ポールのギターへの熱中ぶりは更に加速することになる。
  彼はなんと、バスルームやトイレにまでお気に入りのギターを持ち込むようになった。
  こうして20世紀最大の「ロックの虫」は生まれた。
  当時イギリスでベストセラーとなっていたギターの教則本に「一日でマスター」というシリーズがあったが、
  もちろんポールもこれを入手して練習に励んだ。

  当時をふり返ってポールはこう語っている。
  「とにかくリバプールは田舎過ぎたし、だいたいにおいて1950年代は信じられないくらい情報が少なかった。
  教則本には一番簡単なキーがAの時の3コード、つまりAとDとEのコードしか書いてなかったんだ。
  カール・パーキンス(Carl Perkins)やエルビス・プレスリーなんかの、いわゆるロカビリーならこれでなんとか間に合うんだけど、
  僕のお気に入りのバディ・ホリー(Buddy Holly)なんかは、少し凝った曲を書いていて、AのキーでB、あるいはB7(セブンス)を使うんだよね。
  これには少し困ったよ。
  だって、教本にはB7(セブンス)なんて書いてなかったし、近所の大人たちもこんなコードは知らなかったんだ。
  ただ、ある人に尋ねたら『隣町だったら、そのコードを知っている人がいるよ』って言うんだよ。
  それで、次の週末に僕はギターを抱えてバスに乗った。
  Bのコードがどうしても知りたかったんだよね。
  そしてバスに揺られること一時間。やっと隣町に着いた。
  その人の家のドアを叩いて僕はこう言ったんだ。
  『あの、すみません僕はフォースリンロ−ドに住むポール・マッカートニーと言います。
  Bのコードがどうしても解からなくて、突然で申し訳ないんですが、BとB7(セブンス)を教えて頂けないでしょうか?
  これが解からないと、バディ・ホリーの曲が弾けないんです。どうか、お願いします。」
  〜 Buddy Holly & His Crickets / That'll Be The Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tmUd3MXmW38

  〜 Paul McCartney / It's So Easy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=B0hEcU0lpKM
 
  (小林)ポール・マッカートニーの It's So Easy(2曲目)。有名な曲ですよ。
  最後のところでポール、しゃべってますけど。このしゃべりっていうのは、黒人しゃべりですよね。
  ポール・マッカートニーがやっぱり絶対、ポール・マッカートニーの歌の秘密なんですけど、ここんとこにある秘密はどういうことかと言うと。
  その歌を歌う人間になりきってるわけですよね。
  だから It's So Easy 。いまのポール・マッカートニーの歌は、彼の解釈の黒人ボーカルですよね。
  It's So Easy という曲が気に入った方は、リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)の大ヒット曲があるんですけども。
  これもチェックしてみてください。
  
  そしてその前は(1曲目)バディ・ホリーとクリケッツ(Buddy Holly & His Crickets)。
  有名なバディ・ホリーのThat will be the day。
  これはアメリカでナンバーワン。
  クリケッツというのはバディ・ホリーのバンドです。
  コオロギですよね。
  「コオロギ」がいたからビートルズが「カブト虫」になった、てのは、これはもう常識です。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送らせていただいています。
  メールは [email protected]

  (船橋市/男性)
  ラジオから流れてくるビートルズの曲と克也さんの語りは癒しとなっています。
  今回初めてのリクエストですが、ベタで「ロングアンドワインディングロード(The Long and Winding Road)」
  ただアルバムの「レットイットビー(Let It Be)」のテイクではなくて、ウィングスのライブアルバム「ウイングスU.S.A.ライヴ(Wings Over America)」からのテイクを。
  この曲は、ビートルズ、ウィングス、ポールのソロ、時代でいくつかのテイクがありますが、このライブテイクが一番好きです。
  まだ高校生だった頃、夏の暑い日にテアトル東京まで映画「ROCK SHOW」を一人で見に行ったのを思い出します。
  (小林)
  あなたのリクエスト.。

  〜 Paul McCartney & Wings / The Long And Winding Road(Wings Over America)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=P3-MiEhnwC8

  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zLGWyfGk_LU

  (小林)
  All You Need Is Loveが流れています。
  (八潮市/女性)
  今年1回目の放送で、番組が10年目とおっしゃってビックリしました。
  私は結婚して丸2年が経ちましたが、リスナー歴も同じ年数でしたので、番組の長い歴史に感動しました。
  昨年娘が生まれ、子守唄のようにたくさんの歌を歌いますが、ビートルズもしょっちゅう歌っています。
  それだけ親しみやすく、だけど色褪せない楽曲で、いつ聴いても歌ってもワクワクしますね。
  (小林)
  という、リクエストありがとうございます。
  (習志野市/男性)
  いつのまにか、こちらの番組が日曜夕方の楽しみになっています。
  アルバム「ラバーソウル(Rubber Soul)」に収録されている「The Word」は、愛を歌ったビートルズの曲の中でも、どこか詩と曲のイメージが合わない独特の曲のように思います。
  ギターのフレーズが特に気に入っている曲でもあります。
  リクエストは「The Word」かと思いきや、        (小林)自分で言っていますw。
  日本語訳のタイトルが付いている、スピッツの「愛の言葉」です。
  おそらく意識してタイトルを付けたのかな、と自分では思っています。どうかよろしく。
  (小林)
  あなたのリクエストで、スピッツです。
  
  〜 スピッツ / 愛のことば
  ttp://www.youtube.com/watch?v=adI0F9wWZ_8

  〜 パフィー / これが私の生きる道
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XRVShbxb87Q

  (小林)
  奥田民雄・パフィーの「これが私の生きる道」かけちゃいました。 
  (稲城市/男性)
  久々にインターネットラジオを流しながら仕事をしました。
  そして「ビートルズから始まる」を初めて聴きました。
  長年続いている番組なのに、そんなことつゆ知らず。
  「ああ、こんないい番組やってるんだなあ。」て思いました。
  1956年生まれの小生は、中学から高校時代ビートルズとしては終盤のころに彼らを知ったわけですが。
  海の向こうの曲にしろ、いわゆるJポップでも、ビートルズの曲想、音が与えた影響ってすごいですよね。
  そのビートルズのメンバーたちが受け止めた音楽はどんなものだったか。
  そんな話がまだまだ聴けそうで、これから小生の「是非モノ」のプログラムになります。
  コーデュロイの上下のパンタロンで「イエスタデイ」を得意げに歌っていた生田君は元気かな?
                       (小林)っていう、友達のことを思い出していますねえ。w
  特にリクエスト曲はございませんんが、バリバリのビートルズ感を出してくれる、奥田民雄・パフィーの「これが私の生きる道」とか
  ビートルズの影響を語っていただきたい。
  (小林)ということで、これをかけちゃいました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?

  ポール・マッカートニーの15歳のころのお話し。
  この番組、さっきの話しじゃないですけど、10年近くやってて、
  ジョン・レノンが亡くなってから、ジョン・レノンについて、
  また、ビートルズの中心だったジョン・レノンについて語る場面が多いんですけど。
  こんどは、ポールです。
  ポールもとても興味深いんで、期待していただきたいと思います。

  それから、リクエストもよろしくお願いします。
  採用の方には(略)

  いろんな方がね、ビートルズに関しての意見だとか経験だとか、リクエストを送ってくださってて。
  ほんとうにね、リクエスト楽しみにしておりますので、よろしくお願いします。
  
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年2月17日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(2月17日)
 ・1964年(今から49年前の今日)
  ビートルズは初めてアメリカに渡ります。
  それもビートルズの曲が1位になって、アメリカでね。
  アメリカに行くわけです。
  で、「エドサリバンショー」に出るっていうのが主な仕事なんですけど。
  十何日間ビートルズは滞在することになると思いますけど。
  先週もお伝えしましたけど、ニューヨークで有名なプラザホテルで記者会見をやる。
  あれから一週間経った きょうはですね、
  一週間前はプレスリーから祝電が来ておりましたが。
  今度は、プレスリーのマネージャーのカーネル・パーカーっていう人からビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインに今度は祝電が来ておりました。
  というかw、プレスリーたちは、やっぱりビートルズがこれからもう世界を、自分たちが世界を揺るがしたようにビートルズが揺るがして行くんだ、という事が判ってるわけですよね。
  だから、自分たちはちょっと峠を越えたかどうか分かりませんけども、ビートルズと友達になろうというふうな魂胆がちょっと見えるわけですねえw。
  これはもう、分かりますよね 気持ちとしてはねw。
  そういう日です。

  そして、ビートルズのマネージャー=ブライアンにとっては、もう一つ吉報がありました。
  それは、ブライアンの事務所のナンバーワンはビートルズですが、もう一人女性がおりまして、「シーラ・ブラック(Cilla Black)」と言います。
  このシーラ・ブラックという人はですね、歌手志望で、ビートルズが出てたキャバーンクラブのクローク係りをしていたんですが。
  ブライアンにスカウトされて、歌手としてデビューして。
  そのシーラ・ブラックの「Anyone Who Had A Heart」という曲がイギリスでナンバーワンになった、
  ていうことが、アメリカにいるブライアンの元に伝わったということであります。
  このシーラ・ブラックという人は、もともと本名がプリシラ・ホワイト(Priscilla White)。
  プリシラ(Priscilla)だから、「シーラ(Cilla)」ですよね。
  ホワイトだから、「ブラック」wっていう、芸名を名乗ったという。
 
  さあそれじゃ、ジョージ・マーティンが、ビートルズと同じプロデューサー=ジョージ・マーティンが担当した、シーラ・ブラックのヒット曲。
  これはねえ、あのバカラックの・・・バカラック知ってますか?有名なバート・バカラック(Burt Bacharach)の曲です。
  なかなかシャレた曲です。
  シーラ・ブラックのイギリスナンバーワン。Anyone Who Had A Heart。
  
  〜 Cilla Black / Anyone Who Had A Heart
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rWAcG5p0Jyg
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ykd7172CUeA
  
  (小林)49年前の今日
  ビートルズがアメリカでエドサリバンショーなんかに出て、もう世界の注目になっている。
  もう世界の中心になっているような感じ。
  同じ事務所のシーラ・ブラックのこの曲は、方やイギリスでナンバーワンを発していた。
  ちょっと前に、この曲のちょっと前にディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)という有名なシンガーが歌って、
  アメリカでヒットさせたやつのカバーバージョンであります。
  シーラ・ブラック Anyone Who Had A Heartをお送りしました。 
42ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2013/02/21(木) 18:13:31.10 ID:IHygnd0D0
□ストーリー
 ・「あの、すみません。僕は隣の町のフォースリンロードに住むポール・マッカートニーといいます。
  Bのコードがどうしても解からなくて。突然で申し訳ないんですが、BとB7(セブンス)を教えて頂きたいんです。
  これが解からないと、バディ・ホリーの曲が弾けないんです。
  どうか、お願いします。 お願いします。」

  この言葉の主は、ジェームズ・ポール・マッカートニー。
  後にあのビートルズの音楽的なリーダーとして全世界のロック界のトップに立ち。
  現在ではイギリス王室から「サー(Sir)」の称号を授かり。
  その資産評価額もイギリス国内でトップに君臨する人物、ポール・マッカートニーである。

  15歳になってやっと手にしたギターであったが、それはなかなか苦戦していた。
  その理由は、最初ポールが左利きであったために、上手くコードを鳴らせなかったから。
  これは楽器店で弦を左利き用に張り替えてもらうことによって解決した。
  そうなると、好きになった物ならなんでもとことん熱中するポールの性格は功を奏し、その腕前はどんどん上達していった。
  コードが解からなければ、バスで隣の町に行ってでも教わりたい、という熱意は、まさにプロになってからのポールそのものであった。
  こうしてポールは当時のイギリスの流行歌であるスキッフルのヒット曲ならほとんど弾いて歌えるまで上達した。
  これには、元アマチュアバンドのリーダーであった父親のジム・マッカートニーも舌を巻いた。

  しかし、問題はここからである。
  ポールはマスターしてしまったスキッフルにはすっかり飽きてしまっていた。
  時代は、自由の国アメリカからやって来た新しい音楽「ロックンロール」が席捲していたのである。
  エルビス・プレスリーをはじめとするロックンロールのレコードは、みんなそのファッションセンスも含めて、イギリスのティーンエイジャーの男の子達のお手本になっていったのである。
  〜 Elvis Presley / Hound Dog
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SKtzJb6guoo

  〜 Frankie Lymon & The Teenagers / Why Do Fools Fall In Love 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2sAHiR0rkJg
 
  (小林)2曲。
  エルビス・プレスリー Hound Dog。
  そしてティーンエイジャース(Teenagers)歌っていたのが 中心がフランキー・ライモン(Frankie Lymon)ていう。
  若いですよ、まだこの頃。
  Why Do Fools Fall In Love。

  エルビス・プレスリーの Hound Dogが アメリカで長い間ナンバーワンになるんですけど。
  イギリスではこの Hound Dogが ナンバーワンになれなかったw。
  それは 今聴いたフランキー・ライモンのこの歌のせいで、っていう。

  この2曲は、はっきり言って「50年代に燦然と輝くヒット曲」、歴史的な曲ですけども、
  皆さんのラジオは燦然と なんか輝いたりしていませんか?w  あははww。
  行きます。
□ストーリー(続き)
 ・1957年、当時リバプール・インスティテュートに通う高校生だったポール・マッカートニー。
  15歳になる年であった。
  この年、最初のギターを手にしたポールは、当時のイギリスの流行歌であるスキッフルのヒット曲なら ほとんど弾いて歌えるようにまで上達した。
  しかし、問題はここからである。
  ポールは、マスターしてしまったスキッフルにはすっかり飽きてしまっていた。
  彼が本当に弾きたいのは、自由の国アメリカからやって来た新しい音楽「ロックンロール」
  それも、そのロックンロールのヒット曲の中で演奏されるギターソロ。
  つまり、リードギターであった。
  ポールがそう思ったのも無理もなかった。
  当時のロックンロールの主役はもちろんフロントで歌うシンガーであったが、その後ろでは必ずイカしたギターリストが寄り添い、ボーカルをサポートしていたのである。

  エルビス・プレスリーにはスコッティ・ムーア、ジーン・ビンセントにはクリフ・ギャラップ、リッキー・ネルソンにはジェームス・バートン、といったギターヒーローたちが控えており。
  さらには、カール・パーキンス、エディ・コクラン、そしてチャック・ベリーといった自分でリードギターを弾きながら歌うという、素晴らしいアーティストもいた。
  ポールはそういったロックのギターリスト達のシャープでワイルドなプレイに酔いしれ、そのフレーズをコピーすると同時に、
  リトル・リチャードやファッツ・ドミノといった黒人シンガーの力強く震えるようなボーカルスタイルも研究し、
  自分のものにしようと、そのシャウトのスタイルに至るまで毎日練習に励んだ。
  
  当時ポールが一番気に入って聴いていたレコードは、エルビス・プレスリーの All Shook Up。
  白人でありながら黒人さながらにシャウトして見せたかと思いきや、甘く包み込むように歌うエルビスのシンガーとしてのスタイルは
  ポールの目指すところとなるのである。
  〜 Paul McCartney / All Shook Up
  ttps://www.youtube.com/watch?v=726-Ufz5Ado

  〜 Paul McCartney / Ain't that a shame
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SzA6cfb727k

  (小林)これは録音としては80年代90年代にやったものですけど。
  ポールがすでに高校時代には、これは自宅で練習していた曲ですよ。
  高校時代の憧れの人たちですよ。

  今(2曲目)聴いたのは Ain't that a shame
  ニューオルリンズのリズム&ブルースの、元祖の一人ですね。ファッツ・ドミノ(Fats Domino)の曲をカバーしました。

  そして、プレスリーの、ポールが一番好きだったという曲を、
  おそらくプレスリー、いえポールが高校時代に歌っていたのとはちょっと違うハードロックのスタイルでカバーしております。
  (1曲目)All Shook Up。
□ストーリー(続き)
 ・プロのミュージシャンとしてデビューして以来、50年以上に渡り現役として活動し続け、そのセールスは数十億枚に達し、
  イギリス王室からは「サー(Sir)」の称号を授与され、その総資産額ではイギリスでトップという、
  欲しいものは全て手にした世界最高峰のロックアーティスト=ポール・マッカートニー。
  その世界最高のロッカーは、どうやって自分を磨いていったのか。
  いったい何をやれば、トップの天辺(てっぺん)のさらに頂上にまで昇りつめることができるのか。
  ポールの高校生時代に遡(さかのぼ)って、もう少し詳しく探ってみることにしよう。

  エルビス・プレスリーや、リトル・リチャードなど、ロックンロールのシンガーとしては最高峰に位置するパフォーマーもさることながら
  当時15歳のポールは、エヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)にも注目し、そのボーカルスタイルや、さらにはハーモニーにも魅了されていた。
  ポールはこのアメリカの兄弟デュオ=エヴァリー・ブラザーズの新曲が出ると、欠かさず買っていたという。
  エルビスのように派手で大音量を要するサウンドアレンジももちろん大好きであったが、
  このエヴァリー兄弟の少しカントリーっぽく少しアコースティックなサウンドであってもロックンロールは成立するという事実にポールはかなりの影響を受けたと言われている。
  ポールが本当にエヴァリー・ブラザーズが好きだったという証拠に、彼が一時イアン・ジェームスという友人とエヴァリーズのマネをしていた、という事実がある。
  それも、二人でギターを弾いて歌うだけではなく、ヘアスタイルはエルビスよりも少しソフトなリーゼントで、お揃いの白いジャケットを借りてきて身に着けるなど、衣装も完全にコピーしていた。
  このスタイルが後のビートルズの最大の看板、ジョンとポールのツインボーカルに発展することは言うまでもない。
  〜 The Everly Brothers / Wake Up Little Susie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=CByPkTZtnzU

  〜 The Beatles / One After 909
  ttp://www.youtube.com/watch?v=TipfIUP1kAE
 
  (小林)One After 909。これはジョンとポールのツインボーカルというかね。
  「レット・イット・ビー...ネイキッド(Let It Be... Naked)」の中に入っています。
  その中からお送りしました。

  そしてその前は、ポールが15になったかならない頃の、イギリスでの第2位。
  イギリスで第2位だったのは、1位がバディ・ホリー(Buddy Holly)の That'll Be the Dayが1位だったから。
  ポールが影響を受けたエヴァリー・ブラザーズの Wake Up Little Susie。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  参加しがいがあるというものですねw。よろしくお願いします。
  メールは [email protected]
  FAXやハガキなんかでもけっこうなんですが。
 
  (市原市/男性)
  ジョン・レノンの Whatever Gets You Thru The Night をリクエストします。
  僕は昔、エルトン・ジョンとかローリングストーンズが大好きでよく聴いていました。
  その中で、ビートルズの名前もよく出ているのは聞いていたんだけど、まったくの無関心。  (小林)w
  でもある時、この曲をエルトン・ジョンとジョン・レノンが歌ったことを知った時から、かなりビートルズも気になってしまい 聴き込み始めました。
  でも、やっぱりエルトン・ジョンがお気に入りだから この曲をリクエストします。
  実はビートルズというより、克也さん目あてでこの番組を聴いています。  (小林)w
  「ベストヒットUSA」でお気に入りになって、克也さんの教材「アメリ缶」(おしゃべりアメリ缶)を買って勉強してから海外放浪をして来ました。(小林)あははw。
  まだ、売ってますかね?  
                                (小林)売ってないみたいですねw。
  さあ、これからも楽しいロックンロール番組をお願いします。

  (小林)
  ということで、さあこれは、エルトンが主役じゃないですからね。
  話しはご存知かと思いますけども、ジョン・レノンがエルトンを呼んだんですからね。w
  で、エルトンは「これは絶対ナンバーワンになるよ」ていう太鼓判を押して。
  「ええ、なるのかよ?」 「なったら、それじゃ僕のマジソンスクエアガーデンのコンサートにゲストで出てくれる?」っていうことで
  ナンバーワンになっちゃったんで、
  エルトン・ジョンのコンサートに 今度は久しぶりにジョン・レノンがライブをやりに、マジソンスクエアガーデンまで行ったというエピソードは、この番組を通してお馴染みだと思います。 

  〜 John Lennon & Elton John / Whatever Gets You Thru The Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Ho1yJwvWCrw
  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
  ttp://www.youtube.com/watch?v=F3RYvO2X0Oo

  (小林)ということで、ジョージ・ハリスンの名曲がかかりましたねえ。
  
  (横浜市/男性)
  ここんところジョージの曲がよくかかるけど、私はなんと言っても While My Guitar Gently Weeps が大好き。
  前曲のエンディングを割って入るような掛け声から始まるこの曲、いつ聴いてもしびれます。
  (銚子市/男性)
  僕はアメリカの暗い歴史であるベトナム戦争にすごく関心があるんですが。
  当時のアメリカ兵たちは戦地でどんな音楽を聴いていたんでしょうか。
  また、当時のラジオかはどんな音楽が流れていたんですか?。
  ご存知でしたら・・・。

  (小林)
  アメリカの戦争の歴史って(言うと)おかしいですけど。
  戦争の時は、必ず戦争の前に軍の放送が行くわけですよね。
  軍の放送っていうのは・・・、あのね、一番戦地にいると有り難いのは、楽しい歌なんだって、楽しい流行歌なんだって。
  もちろん「がんばれ」とかね。
  「戦争はやだ」っていうのは軍の放送だから流れないけども、一番がんばれじゃなくて、戦争に「がんばれ」っていう歌はいらない。
  もうほんとうに、「男と女の恋の物語」みたいな、それは悲しい歌であっても、それが一番良いんだって。力になる。
  これは、不幸なことに日本でも311っていうのがあってね、被害に遭われた方、たくさんいらっしゃるわけですけども。
  やっぱり彼らが一番有り難いのは、本当に楽しい歌、恋の歌、これが力が出るんだって。
  もちろん「がんばれ」って言っていただくのは有り難いことは有り難いんだけども。
  そうなんだってよ。
  だから、ヒット曲ていうのはね、流行歌と言うんですかね、そういうのがアメリカのラジオから流れてきた、と思って想像して。
  その当時のヒット曲を調べて見てください。いいですね。
  あなたのリクエストは映画「プラトゥーン(Platoon)」の劇中に流れていた、
  スモーキー・ロビンソンとミラクルズの The Tracks of My Tears。

  〜 Smokey Robinson & The Miracles / The Tracks of My Tears
  ttp://www.youtube.com/watch?v=WyeMaVUdKrw
  〜 Bon Jovi / It's my life
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9SKFwtgUJHs

  (小林)ボン・ジョビの It's my lifeが流れました。

  (千葉市緑区/男性)
  この曲はビートルズファンでも楽しめる洋楽の一曲であります。
                     (小林)えっ?ビートルズファンでも嫌いな人wいるかもわからないよw。 なんてねw。
  テンションが上がるこの曲をかけてください。
  (小林)
  テンション 上がりましたかぁ?。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?

  リクエスほんとうに たくさんありがとうございます。
  それぞれ、もうね、リクエストは、ほんとわがままに自分自身が出るようなリクエストの方が、僕たちは有り難いと思っているので。
  人のマネをすることなく、自分が知らなきゃ知らない、知ってるんなら「これだけ知ってるぞ」自慢もけっこうですから。
  そういうリクエストをよろしくお願いします。
 
  メールのアドレスは [email protected]
  (略)

  そして、話しの方はポール・マッカートニー。
  きょうも、それから先週もそうでしたが。
  僕はね、ロックの「名シーン」てのがあると思うんですよ。
  個人的な話しなんですけど、この、名シーンがありましたね。
  僕の一番好きな話しは、
  ポール・マッカートニーがギターのコードを教わるために、バスでわざわざ一時間かけて隣の町へ行って。
  誰も知らない人の家に行って、ドアを叩いて、
  「僕はポール・マッカートニーと言います。このコードが解からないので、バディ・ホリーが歌えません。教えてください。」
  これはすっごい話しですよね。
  この番組を聴いて頂くと、そういうふうな名シーンがね、どんどん出てきます。
  やっぱり僕は、やっぱり一番好きなシーンはね、ジョン・レノンが「ビートルズはカバーやんねえよ!」って言った。
  あれが一番好きですけどね。w
53ホワイトアルバムさん:2013/02/24(日) 20:13:42.28 ID:???0
今日radicaが起動してなくて録音しそこねてしまいました(T_T)
キロックノンさんが頼りです。
今週もよろしくおねがいします。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年2月24日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 2月24日)
 ・1965年(今から48年前の今日)
  もう、ビートルズは史上空前の 忙しさです。
  すごいことになってるわけです。1965年は、64年に売もうれちゃって世界的なグループになって。
  そして、1965年48年前の今日は、あの「HELP!」の撮影がバハマで行われます。
  バハマに行って撮影するという事で、
  前の年の「A Hard Day's Night」に続く主演映画という事で、
  ワーキングタイトルという事ですが、仮のタイトルは「Eight Arms To Hold You」「あなたを抱く8本の腕」つまり四人だから。
  「Eight Arms To Hold You」というシャレたタイトルになるはずだったんだけども、
  後半になって「Help!」という名曲が生まれて、結局この映画は「HELP!」になるわけですが。

  すでに、2月15日「Ticket To Ride」から、サウンドトラックの録音セッションは始まっていて、
  バハマに行くまでに
  「Another Girl」「I need you」「The Night Before」「You Like Me Too Much 」「You've Got To Hide Your Love Away」「Tell Me What You See」「You're Gonna Lose That Girl」
  これ、録音してるわけですよね。ええ。
  3月12日はバハマロケも終わってロンドンに戻ってくるわけですが、これ映画で言うとクランクアップが5月12日で、映画の公開は夏、7月29日というわけです。
  でもこの「HELP!」の映画もすごかったんですけども、
  作品的に言うと、ビートルズに「Help!」が出来ることによって、
  ビートルズが、ただ単なるアイドルみたいな存在だったわけですが。
  「Help!」で音楽的にすごい内面を歌う曲じゃないですか、内面を歌うロックンロールで、ビートルズの作風はがぜん深くなって行くわけですね。
  これはまあ、一つの大きなきっかけである曲でもあるわけですが。
  というわけで、バハマの岩場に楽器を持ち込んで口パクで収録された、ポールの曲を聴いてみましょう。
  リードギターもポールが弾いております。
  
  〜 The Beatles / Another Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jikh25SBmqo(Mono)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Qbb1YpRNtfE(MV)

  (小林)The Beatles  Another Girl。
□ストーリー
 ・1956年の初頭に、イギリスにも押し寄せた「エルビス・プレスリーの衝撃」を境に、
  ジーン・ビンセント、チャック・ベリー、リトル・リチャード、バディ・ホリー、そしてエディ・コクランなどなど
  「ロックンロール」と呼ばれる音楽とその美学は、リバプールの少年少女たちに大きな影響を与えた。
  こうしたロックンロールを受け容れることは、当時のティーンエイジャーにとって人生最初の「自立」であった。
  
  当時リバプール・インスティテュートに通う高校生だったポール・マッカートニーも、そうしたロックンロール熱に感染した最初のジェネレーションであり、
  ロックンロールによって人生を変えられた一人であることは、言うまでもない。
  このロックンロールのブームとほぼ時代を同じくして、
  イギリスでは、古くから伝わるフォークソングにアメリカのカントリー&ウェスタンや黒人音楽を混ぜ合わせたようなスタイルの「スキッフル」と呼ばれる音楽が大流行していた。
  その大流行と同時に、イギリスにはかなりの数のアマチュアスキッフルバンドが誕生。
  演奏が比較的簡単であり、洗濯板をパーカッションにしたり、大きなブリキのタライとホウキでベースを作ったりと、
  あまりお金がかからないという理由で、スキッフルバンドのブームを後押ししたのである。  

  ポールの通うリバプール・インスティテュートにも このブームは押し寄せた。
  伝統のある学園内にもバンドは次々に生まれたのではあるが、ポールはあまり興味を示さなかった。
  実際には すでにギターを手に入れ、毎日の特訓のおかげで、そこそこの腕にまでは上達していたポールであった。
  しかし、当時から何ごとにも努力家で完璧主義者であったポールは、まだまだ自分は人前で演奏するレベルでは無い、と自らを厳しく評価していたし、
  やりたかったのは単純なスキッフルよりも、卓越したテクニックを要するロックンロール。
  こうしてポールは、自分のギターがデビューする日を“今か今か”と待ち侘び、日夜練習に明け暮れていたのである。
  〜 Elvis Presley / All Shook Up
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3rQEbQJx5Bo

  〜 Paul McCartney / That's All Right
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1dKwD_etYT8  
 
  (小林)2曲続きました。
  ポール・マッカートニーの(2曲目) That's All Right。
  これはプレスリーの曲なんですけども。
  プレスリーの影響を大きく受けたポール・マッカートニーが、そのプレスリーの曲をカバーしているという。
  2001年のアルバムの中に入っています。

  そして(1曲目) All Shook Up。
  これはモロ、だからポールが15歳16歳のころ影響を受けたエルビス・プレスリーの。
  これはもう、イギリスでもアメリカでも世界中で1位を記録しまくった エルビス・プレスリーのとても面白い曲ですね。
   All Shook Up。

  2曲続きました。
□ストーリー(続き)
 ・「スキッフルねえ?。まあ、悪くないけど、ちょっと単純すぎるかな。
  やっぱロックンロールの方が、だんぜんカッコいいし、ギターソロも弾ける。
  早くロックのバンドで演奏したいなあ。」

  この発言の主は、プロのミュージシャンとしてデビューして以来、50年以上に亘(わた)り現役として活動を続け、
  そのレコードのセールスは数十億枚にも達し、イギリス王室からは「サー(Sir)」の称号を授与され、
  総資産額ではイギリスでトップという、欲しいものは全て手にした、世界最高峰のロックアーティスト=ポール・マッカートニー。
  その世界最高のロッカーはどんな影響を受け、どうやって作られたのか。
  ポールの高校生時代に遡(さかのぼ)って、もう少し詳しく探ってみることにしよう。

  1956年、15歳になるポールは最初のギターを父親のジムに買ってもらった。
  左利きのポールにとって、弦を右利き用に張ってあるギターを弾くことはかなり難しいことで、最初はどうすることも出来なかった。
  しかしギターショップの主人の提案で、右利き用のギターの弦を左利き用の向きに張り替えることで、世界は一変した。
  圧倒的にコードが押さえやすいのである。
  この日からポールのギターの腕前は急速的に伸びて行った。

  そんなポールに、ある日同級生のアイバン・ボーンが興奮してこう言った。
  「ポール、すごいんだよ!。俺たちのクラスのレン、そうレン・ギャリー知ってるよな?。
  そのレンと俺が代わりばんこにベースを弾いているバンドがすごいんだよ。本当だよ。
  ロックンロールをやるんだよ。とにかくすごい。
  特にボーカルのやつがすごいんだよ。でたらめの歌詞を作って歌うんだ。
  とにかく すごいんだよ!。」

  ポールは冷めた表情でこう答えた。
  「なあ、アイバン。おちつけよ。お前今、すごい、って何回言ったと思う?
  だいたいロックンロールバンドって言ったって、リバプールじゃそんなの見たことないし。
  おそらくスキッフルを少し元気にやっているだけだろ?。
  俺、興味ないな。」
  〜 John Lennon / Be Bop A Lula
  ttp://www.youtube.com/watch?v=K7FSlekmNz8

  〜 Paul McCartney / Blue Jean Bop
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jApNq1mdoi0

  (小林)ジョン・レノンそしてポール・マッカートニーの歌声が続きましたが。
  いずれも カバーです。

  で、誰のカバーかと言うと、これが渋いんです。
  プレスリーを中心に、もうロックンロールってのが世界に広がって行くわけですね、1956年57年。
  だけど、そのプレスリーの陰にジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)というアーティストがいて。
  プレスリーは もう王者ですから、まあ楽天的な、ロックンロールだけども楽天的な感じがあるんですよ。安心できるような。
  でも、このジーン・ヴィンセントというアーティストは、なんて言うんですかねえ、もう明日が無いような陰(カゲ)がある。
  なんか、彼のロックを聴くと絶望だとか悲しみにも感じるような。
  だから イギリスでは特に「プレスリーよりジーン・ヴィンセントが好きだった」ていう人がけっこういるんですよね。
  ジョンもポールもそうだったかもわかんない。
  その証拠に(1曲目) Be Bop A Lulaという、彼の代表的な曲をジョンがカバーして。
  (2曲目)Blue Jean Bop これをポール・マッカートニーがカバーしております。
□ストーリー(続き)
 ・「ポール、すごいんだよ。俺たちのクラスのレン・ギャリー、知ってるよな?  
  そのレンと俺が代わりばんこでベースを弾いているバンドがすっごいんだよ。本当だよ。
  ロックンロールをやるんだよ。とにかくすごい。
  特にボーカルのやつが ほんとにすごいんだよ。でたらめの歌詞を使って歌うんだけど。
  これがすごい!。」

  ポールと呼ばれる少年は、冷めた表情でこう言った。
  「なあ、アイバン。少し落ち着けよ。お前今、すごい、って何回言ったと思う?
  だいたい ロックンロールバンドって言ったって、リバプールじゃそんなの見たことないし。
  おそらくスキッフルを少し元気にやっているだけだろ?。
  俺、興味ないな。」
  これはロック史上で最も成功したミュージシャン=ポール・マッカートニーが15歳の時に
  クラスメートのアイバン・ボーンと交わした会話である。

  このクラスメートのアイバンは、かなり社交的な性格で、自分とポールが通う学校=リバプール・インスティテュート以外の学校の連中とも交流があり。
  当時テディボーイと呼ばれた不良グループにも仲間入りしていた。
  そしてこのアイバンの特技が かなりユニーク。
  それは「すごいやつを、すごいやつに会わせること。」であった。
  さっそくアイバンは、自分の同級生の中で「一番すごいやつであるポール」を、自分の参加しているバンドの「すごいシンガー」に引きあわせることにした。

  「なあポール、おまえバンドをやりたいんだろ?。だったら、そいつに会った方がいいって。
  あんなすごいやつ、このリバプールじゃ今まで見たことないよ。
  なんだかよく分かんないけど、カリスマがあるっていうのかな。
  いつの間にか仲間を束ねてバンドに仕立て上げて、演奏しては大喝采を浴びてんだよ。
  もし、お前がやつに会わなかったら、一生後悔すると思うよ。
  俺が保証するから。」
  〜 The Beatles / Two Of Us
  ttp://www.youtube.com/watch?v=cfiE_5O9Dn0

  〜 Paul McCartney / Singing The Blues
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0UtP9Os69Po

  (小林)というわけで、ビートルズの(1曲目) Two Of Us。
  これはまあ「レット・イット・ビー(Let It Be)」の中に入っているやつですね。
  
  それから(2曲目)ポール・マッカートニーは、これは「UNPLUGGED」
  これは面白いサブタイトルが付いていて、「オフィシャル・ブートレッグ(The Official -Bootleg)」。
  「オフィシャルな、公認の海賊版」ていう。
  ガイ・ミッチェル(Guy Mitchell)ていう人のねえ、1956年の、すっごいヒットなんですよ。
  プレスリーなんかと同じようにヒットしていた曲を、50年代の渋い大ヒットをやっていました。
   Singing The Blues。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (小林)
  住所も名前も何も書いて無いんですけど。走り書きみたいなメールです。
  (匿住所/男性)
  先ほどスティービー・ワンダーが紹介されていました。   (小林)それも、これ、1カ月ぐらい前かな?。
  「エボニーアンドアイボリー」を改めて聴きたいと思いました。
                                  (小林)これはポールとスティービーがやってるやつですね。
  スティービー・ワンダーは他にも「ウィアーザワールド」や「心の愛」や「愛のハーモニー」や、特に「ハッピーバースデイ」などが好きでした。
  スティービー・ワンダーはキング牧師に捧げる曲もありました。
  2月14日のヨーコの誕生日、スティービー・ワンダーもハッピーバースデイ喜んでいるんでしょうか?。
  ハッピーバースデイ ヨーコ
  (小林)
  ってw。なんか自分の頭の中でぜんぶ回ってる感じがしますが。
  僕は、まあ先輩として、皆さんにちょっとアドバイスは。
  スティービー・ワンダーはね、今言った曲、これからかける曲も、まあ良いんですけど。
  ビートルズが70年に解散するじゃないですか、
  そのあと、レッドツェッペリンなんかが、こんどは世界をビックリさせるわけですよね。
  で、それから2〜3年経ってスティービー・ワンダーが「トーキング・ブック(Talking Book)」というアルバムを出すんですが。
  これから3枚ぐらいのアルバムは、もう世界中はスティービー・ワンダーに釘づけ。
  そんなスティービーの初期の70年代前半のやつは、もう傑作です。
  他のやつは忘れてもいいぐらい、すごいですからスティービーは。
  そのことを 忘れないでくださいね。
  で、だから、80年代90年代はちょっと「お釣り」で生きているスティービー・ワンダーという感じがありました。
  だから、まあポールに呼ばれたりして、これを…
  あ、どっちが呼んだのかな?

  〜 Paul McCartney & Stevie Wonder / Ebony And Ivory
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Pw7Uu32s690
  〜 The Beatles / Here, There and Everywhere
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Vd9HrO1b7pk

  (小林)Here, There and Everywhere流れました。 
 
  (茨城県龍ヶ崎市/男性)
  自分がビートルズを好きになったきっかけの曲は Here, There and Everywhere。
  この曲はメロディが ほんとに美しいですよね。
  (小林)
  っていうことで。
  リクエストは、このオリジナルか、ジャズ系のアーティストのリクエストあったんですけど。
  皮肉でも悪口でも(なく)、大人の世界 大人の言葉なんですけど。
  ビートルズのカバーというのはね、ちょっと身構えないとダメなところがあるんですよね。
  ビートルズをカバーするということはね、ミュージシャンがね、「ビートルズをカバーすれば売れるだろう」てのがあるわけですよねw。
  だから、なんでカバーするのか っていうのを考えてみると。
  まあ、リクエストあったのはね、けっこう演奏は抜群ですよね。
  ただ、この番組でも時々言ってますけど、音楽が出てくる後ろに、思想だとか哲学だとか、そういったものを持っているかどうか、ていうことで。
  演奏が上手いばっかりじゃあダメ、っていうことで。
  「どちらを選ぶ?克也さん」ってことで、オリジナルの方を選ばせて頂きました。
  (佐倉市/男性)
  初のリクエストです。
                   (小林)初めてのリクエスト、お待ちしております。大歓迎です。
  「バングラデシュのコンサート」でのレオン・ラッセル(Leon Russell)の「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」をお願いします。
  中学生のころ誕生日にレコードを買ってもらい、この曲がストーンズの曲と知り、その他のいろいろなアーティストを知るきっかけでした。
  ジョージの交友関係のおかげだと思います。
  (小林)
  この「バングラデシュ」は、けっこうレオン・ラッセルが良かった、ていう人もおります。
  もちろん、ジョージ・ハリスンが中心でね。
  だけど、「ボブ・ディランなんかよりも、レオン・ラッセルがなかなか渋かったよ」ていう人がおります。
  だけど、あなたは ストーンズの曲、てことでリクエストだったわけですねw。
  レオン・ラッセルの渋さも、ちょっと楽しんでくださいよ。
  それじゃあ、例の「バングラデシュ・コンサート」のライブで、
  そのストーンズの曲を、レオン・ラッセルがカバーしています。 Jumpin' Jack Flash。
  
  〜 Leon Russell / Jumpin' Jack Flash-Young Blood
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lZIi188Cakk

  〜 The Beatles / Lucy in The Sky With Diamonds
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zP3AhpKcE6s

  (小林)
  お馴染みの Lucy in The Sky With Diamondsが流れています。
  (静岡市/女性)
  私がビートルズの中で いまだ気になり好きな曲をリクエストします。
  当時中学生だった私が、ビートルズの中で一番印象に残った曲 Lucy in The Sky With Diamonds。
  私は落ちこぼれでしたが、優等生の友達と「幻想的な曲だねえ」と意気投合したのを覚えています。
  あれから月日が流れても、いまだにこの曲を聴くと昔を思い出します。
  (小林)
  ということで、 Lucy in The Sky With Diamonds。
  レオン・ラッセルのマジソン・スクエア・ガーデンでのライブで Jumpin' Jack Flash、そして Young Bloodとメドレーの途中で いきなり割り込んだのがこの曲でした。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたか?

  ポール・マッカートニーのねえ、高校時代の話しをしていますが。
  間もなくですよ。
  来週あたりかなぁ?。
  来週あたりに、ロックに残る名場面。
  いろんな人の生涯で、必ず名場面てあるじゃないですか。
  その、名場面が来ますから。
  楽しみに待って(いただきたい)。
  二人とも生意気だったわけですよ、ねえ。
  その二人って、誰か 分かると思いますけども。
  
  それから、リクエストよろしくお願いしますね。
  今日のように 初めての方も大歓迎なので。
  (略)
  メールアドレスは [email protected]
  こっちで、待っております。
6653:2013/03/02(土) 07:06:11.29 ID:???0
>>65
>来週あたりかなぁ?。
>  来週あたりに、ロックに残る名場面。
>  いろんな人の生涯で、必ず名場面てあるじゃないですか。
>  その、名場面が来ますから。
>  楽しみに待って(いただきたい)。
>  二人とも生意気だったわけですよ、ねえ。
>  その二人って、誰か 分かると思いますけども。


キロックノンさんありがとう
名場面、聴き逃してなかった!
明日は絶対ヘマはせんぞ!
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年3月3日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 3月3日)
 ・1990年(今から23年前の今日)
  ポール・マッカートニーが「ゲット・バック・ツアー」で、東京でコンサート。今日です。23年前の今日。
  東京ドームのみ6回コンサート でしたが。
  ポール・マッカートニーの1990年代の、もう本当に活発に行動するポール・マッカートニーの黄金期が始まると言ってもいいです。

  と言うのも、ふり返ってくださいよ。
  1990年(から)遡ること10年、(1980年)もう最悪のポール・マッカートニーですよね。
  1月には成田で捕まっちゃう。逮捕されちゃう。強制送還される。
  で、同じ年の12月にはジョン・レノンが亡くなる。
  ジョン・レノンが亡くなるっていうことでね。
  これ、なんの理由も無いわけじゃないですか。
  それで、ポール・マッカートニーたちは大変な恐怖を味わったといいますよね。
  自分もやられるんじゃないか、ということで、
  ポール・マッカートニーはボディガードを増やして、自分の牧場がある家に引っ込んでいく。
  で、オノ・ヨーコもニューヨークに住んでいるわけですけれども、ニューヨークから姿を消します。
  どこかヨーロッパへ行っちゃうわけです。雲隠れ。

  で、ポールは1980年代は、82年に「タッグ・オブ・ウォー(Tug of War)」
  ポールはいっぱい多作な人ですから、「タッグ・オブ・ウォー」ていうアルバム出します。 
  それから、10cc(テンシーシー)のエリック・スチュワート(Eric Stewart)とコラボやったり、
  それから、エルビス・コステロ(Elvis Costello)。
  エルビス・コステロはリバプール、故郷(ふるさと)は同じで、ビートルズのファンクラブに入っていた。
  もうビートルズに憧れるミュージシャンです。
  ビートルズに憧れてミュージシャンになった。
  でもコステロは、特に詩がすごい、曲がすごいとして、知られています。
  で、エルビス・コステロとポール・マッカートニーは一緒にやりますね。
  その他いろんなことをやったりするんですけども。
  やっぱり、今から23年前の今日、東京に来て この「ゲット・バック・ツアー」てのが、やっぱりポールを元気付けさせた、と言う事ができると思いますが。
  このツアーでは、ウィングスのツアーでは ちょこっとしかビートルズの曲はやってなかったみたいなんですが。
  「ゲット・バック・ツアー」では圧倒的にビートルズの曲が増えています。
  「ゲット・バック・ツアー(TRIPPING THE LIVE FANTASTIC)」の2枚組のライブから聴いて頂きます。
  この曲をやっています。

  〜 Paul McCartney / I Saw Here Standing in There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yEDmslEDRZE  

  (小林)ポール・マッカートニー I Saw Here Standing in There 。
  ポール・マッカートニー 40代後半です。
69ホワイトアルバムさん:2013/03/06(水) 18:34:35.38 ID:pPRKjMpH0
□ストーリー
 ・「なあポール、おまえバンドやりたいんだろ? だったら、そいつに会った方がいいよ。
  あんなすごいやつ、このリバプールじゃ今まで見たことないよ。
  なんだかよく分かんないんだけど、カリスマがあるっていうのかな。
  いつの間にか仲間を束ねてバンドに仕立て上げて、演奏しては大喝采を浴びるんだよ。
  もしお前がやつに会わなかったら、一生後悔すると思うよ。
  俺が保証するから。」  

  この言葉の主は、1957年当時リバプール・インスティテュートに通う高校生のアイバン・ボーンという少年。
  ポールと呼ばれているのは、後にあのビートルズの音楽的なリーダーとして全世界のロック界のトップに立ち、
  現在ではイギリス王室から「サー(Sir)」の称号を授かり、その資産評価額もイギリス国内でトップクラスに君臨する人物=ポール・マッカートニーである。
  このクラスメートであるアイバンの「すごいやつ」という表現に、ポールは少しも興味を示さなかった。
  そしてアイバンは、その「すごいやつ」である相手の少年に対しても、ポールの事をやはり「すごいやつだ!」と吹き込んでいたのである。
  アイバンには「すごいやつには、すごいやつしか合わせない」というのが自慢であった。

  1957年のリバプール、ウールトン地区。ここの夏の恒例イベントと言えば、セント・ピータース教会主催のガーデンパーティだった。
  これはなかなか大きなフェスティバルで、参加者は皆きちんと正装し、教会に関係する団体全ての山車が出て、ウールトンの古い街並みを練り歩き、
  教会への参道を登りきったところの野原で開催されるセレモニーに 参加者を誘導するのである。
  このイギリスならどこにでもあるような平和なフェスティバルの一場面で、ロックの歴史を塗り替えることになる出会いがあることを、まだ誰も知るはずがなかった。
  〜 The Beatles / I've Got a Feeling
  ttps://www.youtube.com/watch?v=h9HTsW2aWBU
 
  〜 The Beatles / Drive My Car
  ttps://www.youtube.com/watch?v=D5gGndr5fbA
 
  (小林)2曲続きました。
  どちらもポールとジョンのツインボーカルぽい曲ですよね。

  「レット・イット・ビー(Let It Be)」から I've Got a Feeling。

  そして「ラバー・ソウル(Rubber Soul)」から Drive My Car。
□ストーリー(続き)
 ・1957年のリバプール、ウールトン地区にあるセント・ピータース教会が主催するガーデンパーティのスケジュールは7月6日に決定した。
  この年のイベントは、いつもの年以上に凝ったプログラムになっていた。
  毎年恒例の「ローズ・クイーン」を祝うセレモニーが行われる他、昔の兵士を敬う「義勇騎兵団」による楽団の演奏。
  リバプール市警による、警察犬の芸も好評だった。
  そして、この年初めてフェスティバルに「ティーンエイジャー」が出演することになった。
  ジョン・レノンが率いるバンド「クォーリメン」がパレードに参加し、フェスティバルで演奏して欲しい、と主催者側から依頼を受けたのである。

  実情を言うと、このころクォーリメンは低迷期にあった。
  少し前、彼らは他の数十組のスキッフルバンドに混じって、リバプールのエンパイアシアターで開かれた あるオーディションを受けに行った。
  このオーディションは、キャロル・リーブスというスターを発掘する名人であるプロデューサーの「ディスカバリーズショー」と呼ばれるものであった。
  クォーリメンは予選こそ勝ち抜いたものの、前にも決勝で当たったことのある、チビで愛嬌のあるエンターテイナー=ニッキー・カブのバンドに敗退を喫してしまった。
  この評価はシアターに集まった観客の投票によるもので、正当な審査であったと思われる。

  クォーリメンの初期のメンバーで バンジョー担当のロッド・デイビスは語っている。
  「僕らが演奏したのは一曲、向こうは二曲メドレーで緩急をつけてやっていた。
  どちらにしろ、やつらの方がはるかに上手かったね。
  それに、アクションも派手。
  全員がステージ狭しと飛び回りながら演奏するんだ。
  それだけでも人目を引くわけで、もう相手にもならなかったよねえ。
  僕らクォーリメンは、真面目すぎたんだ。
  ステージでも、直立したままで、ニコリともしなかったんだから。
  それにしても、ジョンの悔しがり方といったらすごかったよ。
  楽屋のイスやテーブルに当たり散らして グッチャグチャにしたんだからね。
  あの時のジョンは、ほんとうにすごかったよ。」
  〜 The Beatles / A Hard Day's Night
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zSm0M-BbVdY

  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttps://www.youtube.com/watch?v=AKNGGZ7Dq2M

  (小林)ビートルズが2曲。それも12弦ギターを使った曲です。

  A Hard Day's Night これは1964年の有名な。
  
  そしてこれは「ラバー・ソウル(Rubber Soul)」の中に入っている If I Needed Someone。
  えーっと これも12弦。

  ジョージ・ハリスンはやっぱり、ジョンや…、こうやって聴いてみるとあれですね、ジョンやポールとは違う曲を書きますね。

  2曲続きました。
  
□ストーリー(続き)
 ・1957年7月のリバプール。
  この時16歳の少年、ジョン・ウィンストン・レノン。
  後のあのビートルズの中心的人物であるジョン・レノンの最初のバンド=クォーリメンは、結成してわずか2年目にして低迷期を迎えていた。
  演奏スタイルがあまりに真面目であったため、オーディションでは目立つことができず、評価が芳しくないのである。

  そうしたオーディションから1ヶ月後の日曜日の午後、クォーリメンは煌(きら)びやかに飾られた石炭用のトラックに乗り リバプールのウールトンの街のパレードに向かった。
  彼らの山車は軍楽隊など他のバンドの音とそのリズムが克ち合わない様、パレードの最後尾に付くことになっていた。
  バンドとバンドとの間には、ボーイスカウトやガールスカウト、そして幼稚園児らによるガールガイドらが、やはり地元商店街から提供された車の荷台に乗って続いた。
  そして、今年は13歳のローズクイーンがレースのついた純白のドレスとピンクのベルベットのガウンを身に包んで、女王の座に座り、小さな兵隊と家来達に囲まれて進んで行くのである。
  期待通りティーンエイジャーとしては 初めての出演となるクォーリメンを一目でも見ようと、大量の中高生がウールトンに押しかけた。
  そして、その中には学校の同級生でもあるアイバン・ボーンに誘われたポール・マッカートニーも混じっていた。
  クォーリメンにはベーシストが二人いたのであるが、この日の茶箱ベースの担当はレン・ギャリーであったため、交代でベースを受け持っていたアイバンは高見の見物となっていたのである。
  
  実のところ、この日のポールは あまりバンドには期待をしていなかった。
  それよりも、このフェスティバルにはリバプール中の同じ世代の女の子がやって来る、と聞き、髪も服装もバッチリキメて来たのである。
  このあと運命の出会いがあることなど、少しも期待などしていないポールであった。
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OyGfTPy2Ef8

  〜 The Beatles / Oh! Darling 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=F2J6XdC9ad0

  (小林)いやあ、ジョンのボーカル、ポールのボーカル、と続きましたよ。
  両方とも ディストーションかけるようなところ「ア゛ー」っていうところありますけど。
  どっちも迫力おんなじくらいですよね。ええw。
  面白いもんですねえ。

  1966年 Bad Boyの方はラリー・ウィリアムズ(Larry Williams)のヒットのカバーです。

  そしてポール・マッカートニー自身の作詞作曲の Oh! Darling。
  これは1969年の「アビーロード(Abbey Road)」、アルバムがね。

  2曲続きました。
□リクエスト
  (小林)毎回言ってますが、イシイのミートボールなどセットにして、これは参加賞とでもいいますかね、
  皆さんにお配りしておりますので、発表された方は待っててくださいね。

  メールアドレスは [email protected]

  (江戸川区/男性)
  以前「ゴールデン・スランバー」のリクエストがありましたね。
  それがどうでしょう、あのリンゴのドラムソロから始まる「「ジ・エンド」まで流していただきました。
  さすが「ビートルズから始まる」ですね。
  そりゃそうですね。あれ、かけないとねえ、様にならないですもんね。
  リクエストは「デビル・イン・ハー・ハート」をお願いします。
  この曲を聴くと ウキウキして心が弾みます。
  (小林)
  ていう。
  これはビートルズはカバーをするのに、例えばメジャーなアーティストをけっこう避けた、っていう。渋い曲を選曲した。
  その選曲眼も「ビートルズさすが」っていう評判ですけども。
  これは「ザ・ドネイズ(The Donays)」っていう女の子グループの曲であります。
  (The Donays / Devil in his heart  ttp://www.youtube.com/watch?v=9oEfzk7kToI
  で、ジョージに歌わせましょうか、ジョージにね。

  〜 The Beatles / Devil In Her Heart
  ttp://www.youtube.com/watch?v=BdRKHY_02UY
  〜 松任谷由美 / ルージュの伝言
  ttp://www.youtube.com/watch?v=S7myyv5__qg

  (小林)
  というわけで、ビートルズの渋い曲のあとはw こういう曲が流れました。

  (横浜市/男性)
  先日、片思いの女の子にフラれてしまいました。
  その翌日、半分つらい思いを引きずったままレコードショップに出かけて、前から欲しかったユーミンの「日本の恋と、ユーミン(と)」を買って聴きました。
  そしたら、失恋の傷が半分癒えた気がしました。
  それと、ライナーノーツが克也さんだったので、さらに傷が癒された感じがしました。
  (小林)w
  僕は、何十年ぶりにライナーってものを書きましたけど。「ルージュの伝言」ていう。
  ちなみにユーミンは、1967年のジョン・レノンが一番好きだったプロコル・ハルム(Procol Harum)の「Whiter Shade Of Pale」「青い影」でロックの洗礼を受けたと言われています。
  だからこないだも、プロコル…。 プロコル・ハルム まだやってんだよねえ。
  一緒にコンサートやったようですけども。
  (東京都渋谷区/女性)
  リンゴ・スターの It Don't Come Easy。
  克也さんの話では、アメリカではリンゴが一番人気があったと聞きますが。
  私もリンゴが一番好きで、その中でもこの曲はビートルズが解散してから出たリンゴ・スターのソロですが。
  私が一番好きな曲なのでリクエスト致します。
  (小林)
  このように、リクエスト、好みを書いていただいてけっこうですね。
  これは、ちなみに1971年 イギリス、アメリカで4位。両方とも4位だったという曲です。
  リンゴ・スターがやっぱり、1964年に、もうアメリカどこ行っても「キャー!」って女の子が騒ぐ中で、やっぱりリンゴ・スターが圧倒的に人気があったと言われています。
  これは最初の2〜3年ですけども。そのあとは それぞれの人気が出てくるんですけども。
  最初はあれですよね、リンゴ・スター。音楽グループなんだけど、やっぱり顔を見ちゃうわけですよね。
  そしたらね、リンゴ・スターがね、一番の役者顔。別にハンサムとかそういうんじゃなくて。
  この人は、役者の世界で云う所の「デッドパン」なんですよ。「無表情顔」なんですよ。
  これがいいんですよねえ。これが自分たちの思いが、顔に入りこんじゃうわけですね、一番。
  ポールはいつもニコニコ顔でしょう。ジョン・レノンもニコニコしてますよね。
  ただね、リンゴ・スターだけニコニコしてない、これがいいんですよ。これがクールなんですよね。
  そういうところじゃないか と思うんですけども。

  〜 Ringo Starr / It Don't Come Easy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jZfAik7wP8U
  〜 Natalie & Nat King Cole / Unforgettable
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2uRtNMFfF-g

  (小林)いやあ。今日のシメにふさわしい曲が流れましたね。
  ナタリー・コール(Natalie Cole) それからお父さんのナット・キング・コール(Nat King Cole)。
  この時点では もうお父さんは亡くなっていた、ねえ。
  有名な、亡くなったお父さんとデュエットをさせた という。
  デイヴィッド・フォスター(David Foster)という、ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)なんか 例えば「I Will Always Love You」なんかのプロデューサーですよ。
  まあ一番有名な人の一人ですよね。あの人のアイデアでこれが実現して、グラミー賞を取ったことが有名ですが。

  (横浜市/女性)
  ナット・キング・コールは発音が綺麗で優しい歌声なので大好きです。
  娘のナタリーがタイムマシンに乗って父親とデュエットしたかのような、切ない曲です。
  先日、北山修さんが、加藤和彦さんと同じような事をしたい、と思っていると、いうようなことをおっしゃってたのを聞いて、思い出したんです。
  私が11歳の時、父が46歳で病死したので、ナタリーと北山さんの寂しさが少し分かるような気がします。
  よろしくお願いします。
  (小林)
  ありがとうございました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたか?

  先週も言ったんですが、「ロックの名場面」が来るんだ、っていうことを言ったら。
  今週まだあれですね、ポールとジョンは まだ顔を合わせてないねw。
  来週、顔を合わせます。
  どんな感じだったんだろうねえw。
  服装だとかいろんなことを見て、ポールはもうめかし込んで来てるわけですよ。お祭りに、ねえ。
  で、もう ジョンとか知らないわけですから。
  来週をお楽しみに。

  それから、リクエストをよろしくお願いします。
  最後のリクエストは、ほんとに泣かせましたが。(横浜市/女性)さんのリクエストね。
  そんなのもいいし、まあビートルズのことを語ってもいいし、語らなくてもいいし、自分の事を言ってもいいし、人の事を言ってもいいんです。
  適当にいろんなコメントを添えて、リクエスト待ってます。

  採用の方には(略)
  [email protected] 
  こちらで待っております。
  よろしく。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年3月10日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月10日)
 ・1975年(今から38年前の今日)
  ジョン・レノンの「Stand By Me」がシングルとしてアメリカで発売になります。
  国によって発売は変わるわけですけど。
  それぞれイギリスやアメリカ他の国でも小ヒット、大ヒットには至らない。だけどお馴染みの曲だからね、これはね。
  1980年代になって「スタンド・バイ・ミー」という映画が、これが全世界でヒットします。
  これはスティーブン・キング原作で、少年時代の ある夏の思い出を映画にしたものなんですけど。
  このヒットで、また古い「Stand By Me」というオリジナルアルバムが、ベン・E・キング(Ben E. King)のオリジナルソングがヒット致します。
  でも、ジョン・レノンは1970年代の「ロックンロール(Rock'n'Roll)」のアルバム、これはジョン・レノンのソロなんですけれども。
  ジョン・レノンがこういう風にカバーをやったってのは珍しいんですよ。
  これはちょっとした理由があって、この番組でも昔「どうしてジョン・レノンが『ロックンロール』のカバーアルバムってのを出したか」ていうのは、
  これは事情があってね。
  「ジョン・レノンが作った『Come Together』ていうのが、チャック・ベリーの歌にそっくりだ」っていうふうなことで、
  出版社同士もめちゃって、「どうするか?」っていう時に、和解策として「それじゃ、ジョン・レノンがお宅の出版の歌をカバーしますから」ていうことで、ジョン・レノンは。
  で、この頃はけっこう複雑にいろいろ絡んでて、オノ・ヨーコにジョン・レノンがロサンゼルスに追い出されていたw、っていう時期なんだよねw。
  だから、これはまあいろいろ説があるんですけど、とにかくジョン・レノンの「ロックンロール」の中に入っていて「Stand By Me」をカバーした。
  で、ジョン・レノンの「Stand By Me」は最初に聴いたジェネレーションもいるわけですよね。
  僕みたいに古いジェネレーションは、ベン・E・キングを聴いて「あ、ジョン・レノンがカバーした!」っていうことを知るわけですけども。
  これはもう明らかな違いがあって。
  ベン・E・キングのやつは、とても優しくて、いかにもリズム&ブルースっていう、昔のリズム&ブルースていう感じなんですけども。
  (Ben E. King/STAND BY ME  ttp://www.youtube.com/watch?v=LyjcHLjsfVI)
  ジョン・レノンは、こう、突き刺すようなねえ感じで、やっぱりハードロックに仕立て上げてるんですよ。
  だから、ベン・E・キングのやつはホンワカとしたものがあるんですが、ジョン・レノンのやつはねえ、悲壮感もちょっと漂っている。
  ていうことで、ジョン・レノンの方をちょっと聴いてみましょうか。
  38年前の今日、アメリカでシングルとして発売になった、ジョン・レノンの Stand By Me。 

  〜 John Lennon / Stand By Me  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xa08Te3mMEg

  (小林)いかがですか?ジョン・レノンの Stand By Meです。
  これは38年前の、今日の発売のシングルという事で。
  これねえ、さっきもお話ししましたけど「ロックンロール」の背景、ジョン・レノンの私生活、それからロサンゼルスに住んでたわけですよね。
  で、生活はけっこう荒れていたジョン・レノン。
  だから、ジョン・レノン研究には、これは恰好の材料ですよ。
  だから、歌なんかにも彼のモノが反映していたんだと思うんですよ、心がね。
  それとか、ジョン・レノンの仲間たち、ジョン・レノンを慕うミュージシャンたちが、このアルバムには参加しています。
  フィル・スペクター()というw有名なプロデューサーが、これ、最初はやるんだけども、
  ジョン・レノンとケンカしちゃってね。
  フィル・スペクターがマザーテープを持って逃げちゃったり、とかね。
  いろんな事件があって。
  これは、ほんとにねえ、ジョンとか、1970年代とか、ビートルズとか、好きな方は、ここんとこをねw、ちょっとねw、研究して深く入るのもいいかも分かりませんよ。
□ストーリー
 ・「アイバンのやつ、『今日お前が会うやつは 絶対すごい男なんだ。俺が保証する。』 なんて言ってるけど、どうなんだろ。
  このリバプールに、そんなすごいやつなんているのかなあ?。
  おっとっとっ、おい、それより今 通り過ぎて行ったあのピンクのスカートの女の子、かわいいなあ。
  この辺りの子か?。えっ、見たところ 彼氏一緒じゃないみたいだしな。
  よし!ちょっと声でもかけてみるか。」
  この、いかにもナンパな感じの少年の名は、ポール・マッカートニー。
  そう、このロックの歴史上で最も成功した、誰もが認める天才ミュージシャン。
  あのポール・マッカートニーの15歳の時のセリフである。
   
  時は 1957年。7月6日。リバプール、ウールトン地区。
  ここの夏の恒例行事といえば、セント・ピーターズ教会主催のガーデンパーティ。
  ポールは同級生のアイバン・ボーンの強い希望で ある少年と会うことになっていた。
  このイギリスなら どこにでもあるような平和なフェスティバルの一場面で、ロックの歴史を塗り変えることになる出会いがある事を、まだ誰も知らなかった。
  それにポール本人も、その出会いなんて最初から期待などしていない どころか、お目当てはパーティに集まって来る同世代の女の子たち。
  この日のポールは いつもより髪を盛り上げ、細いズボンを身に着け、テディボーイを気取っていた。

  天気は快晴。それほど暑くもない7月の午後のリバプール。
  丘の上には 赤い石で造られた教会があり、その四角い塔に嵌め込まれた時計の金色の針は、永遠の夏の時間を指し示しているかのように見えた。
  教会の敷地には屋台が出て、ハンカチや日用雑貨、手作りのケーキ、そして野菜やフルーツが売られ、
  子供たちはピンボール、輪投げ、コイン拾いなどを楽しんでいた。
  そんな中、「すごいやつとすごいやつ」の運命の出会いは この後すぐに訪れる。
  それは間違いなく、ロックの歴史を変える 運命の遭遇となるのである。
  〜 The Beatles / Rock and Roll Music
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rBrH9EWZ-Bc
  
  〜 The Beatles / She's a Woman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=z7HDdJiyCN4
 
  (小林)ポール・マッカートニーのボーカルは いろんな引き出しがあってね、
  この曲は(2曲目)、まあ R&Bぽい、リズム&ブルースぽいボーカルを披露しておりますが。
  これは1964年の「I feel fine」のB面です。

  そしてその前は、お馴染みの Rock and Roll Music。
□ストーリー(続き)
 ・1957年7月6日 リバプール、ウールトン地区にあるセント・ピータース教会が主催するガーデンパーティの日。
  ロックの歴史を変える「すごいやつとすごいやつ」の出会いは、もうそこまでに迫っていた。

  その、すごいやつの片方を、ジョン・ウィンストン・レノン、後のビートルズのリーダーとなるあのジョン・レノン。この時16歳であった。
  自分が率いるバンド「ザ・クォーリメン」が この日のガーデンパーティに出演するとあって、ジョンはいつもより早く起きて、その身なりを完璧に整えた。
  グリースで固めたリーゼントヘアーにチェックのシャツ、そして「ドレインパイプ」つまり「排水管」と称された当時流行の細身のズボンで武装していた。
  これぞ正に テディボーイ。
 
  朝ジョンが階段を降りて行くと、そこには育ての親であるミミ伯母さんがいた。
  ジョンの身なりを見たミミ伯母さんは、全身で失望の念を表現した。
  まるで自分の息子のように可愛がり、キチンとした躾と教育を施してあげたジョンが、どうしてこんなチンピラのような恰好をしているのか。
  それは、彼女の理解の範囲を遥かに超えていたのである。
  ミミにすれば、それまでの献身、気遣い、それに教育の全てを否定、拒絶されたようなものであった。

  「ジョン! なんなの?あなた、その格好は!」  
  ミミのこのひと言が引き金となって 口論は始まった。
  「ミミ、こんなの今じゃ 普通の格好だよ。何がいけないって言うんだい?」
  「あなたは頭を冷やしなさい!。そんなニワトリのトサカみたいなヘアスタイル、誰が見たって普通じゃないわよ!
  今、ここですぐ、頭を洗いなさい!」
  ところがジョンは、ミミの言うことなど聴く耳を持たなかった。
  「ああ、だから年寄りはやだね。だいたい、僕らの世代の言い分なんて ただの一度も聴いてくれた試しがないじゃん。
  俺はもうたくさんだよ。ミミ伯母さん、今まで育ててくれて、どうもありがとう。どうぞお元気で。」
  〜 John Lennon / Crippled Inside
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XBuMC25npYk

  〜 The Beatles / Maxwell's Silver Hammer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qpCV2wgoxC8

  (小林)
  1969年の「アビイ・ロード(Abbey Road)」の中に入っています(2曲目)Maxwell's Silver Hammer。

  そしてその前は、ジョン・レノンのソロですね。
  Crippled Inside。
  まあこれは、訳すと 放送注意語 になってしまう、という。
  ジョン・レノンお得意の内容のサウンドであります。
□ストーリー(続き)
 ・「ああ、だから歳は取りたくないねえ。だいたい、俺たち世代の言い分なんて、ただの一度も聴いてくれた試しがないんだから。
  ああもう、たくさんだよ。ミミ伯母さん、今まで育ててくれて、どうもありがとう。どうぞお元気で。」

  1957年7月6日、当時16歳の高校生であったジョン・レノン少年は、育ての親である叔母のミミに向かって悪態を吐いた。
  悪態 と言うよりは 逆切れ である。
  こうした激しい口論の末に、ジョンは怒って家を飛び出し、そのあとすぐに バンドのメンバー=ピート・ショットンと合流した。
  この日ジョンが率いるバンド=クォーリメンが出演を依頼されていたのは、地元リバプールのウールトン地区にある、セント・ピータース教会主催のパーティ。
  ミミ伯母さんの家を出てからすぐ、その日のパレード用の石炭トラックに乗った。
  すると、どこからともなくビールやワインが回って来て、ジョンはこれを飲み干した。
  伯母さんとの口論でかなり頭に来ていたジョンにとって、このアルコールの差し入れは 正にグッドタイミングなもの。
  もちろん16歳のジョンが酒を飲むことは、法律では許されてはいない。イケないことであった。
  しかし、この日はフェスティバルだったせいもあり、周りの大人たちも黙認してくれた。
  そうなると、最初の一杯は二杯に、二杯が三杯になり、こうなるともうどうでもいい。
  ジョンはグデングデンに酔っぱらった。
  パレードも屋台も、このフェスティバルの目玉である、可愛らしいローズクイーンも、さらには主催者である教会の牧師さんの祈りの文句も。
  ジョンにとっては、その全てがぼんやりと煙る霞(かすみ)の向こうとなった。

  もちろん、ジョンを我が子のように可愛がり 厳しく躾けて来たミミ伯母さんは、こんな事実を知る由もなかった。
  さらには、ミミをビックリさせたもの、それはこの教会の祭りに来た時に 初めて目の当たりにするものであった。
  〜 The Beatles / Revolution
  ttp://www.youtube.com/watch?v=5IYloD3tyEQ

  〜 The Beatles / I Me Mine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=01UipbZL3ww
 
  (小林)1970年ですねえ。(2曲目)I Me Mine
  これはなかなか、歌詞も単純に聴こえるけど、すごい深い意味を持つよねえ。ビートルズがやるとねえ。
  面白いですよねえ。

  その前は、1968年の、この時はA面がポールで、B面がジョン・レノンだった。
  A面はポールの「Hey Jude」。
  B面をお送りしました。Revolution。

  2曲続きました。
□リクエスト
  (小林)採用の方 全ての方にイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (千葉県山武市/男性)
  毎週楽しく聴いています。初めてメールをします。
                             (小林)ありがとうございます。初めての方大歓迎。
  きょうは久しぶりに帰宅した娘といっしょに聴いています。
  娘は最近ビートルズをよく聴いているとのことで、こんな素敵なラジオ番組があると知って感激しています。
  ちなみに、娘は昭和の終わりの生まれで、私はもうすぐ還暦です。
  「グリー(glee)」という番組でも歌われた、娘の好きな曲 Blackbird をリクエストします。

  (小林)
  なかなかこれ(glee)、いい番組だよね。日本じゃこういう番組作れない気がするよねw。
  それじゃあ、きょうのリクエスト第一曲目、 Blackbird。
  
  〜 The Beatles / Blackbird
  ttp://www.youtube.com/watch?v=CjQx7RFErCY
  〜 The Carpenters / Yesterday Once More
  ttps://www.youtube.com/watch?v=YTaWayUE5XA

  (小林)
  カーペンターズの大ヒット曲ですねえ。もうラジオで あんまりかからなくなった、だから嬉しいでしょう。
  これ、リクエスト応えましたよ。カーペンターズの Yesterday Once More。

  (市川市/女性)
  先日より、エドサリバンショーに出る話しをやっていますが、私も1990年代、小学生のころBSで父と観ていました。
  トッポジージョが楽しみでしたねえ。                  (小林)あの人形ね。
  当時私は、番組自体が古いことに気が付いていませんでした。  (小林)そうなんw。
  ビートルズも観ていたと思うんですが、ABBAやカーペンターズの記憶が強く残っています。
  ビートルズを学習しているものとして、記憶が無いことは残念です。
  仕方ありませんけども、
  ビートルズから脱線しますが、エドサリバンショーの思い出であり、大好きな曲なのでカーペンターズをリクエストします。
  年齢は読まないで・・・

  (小林)年齢若いじゃないw。気にしないでw。ねえ、僕の年齢になるとどうするのよw。
  (府中市/男性)
  先日プレスリーに続いてかかった曲、昔 子供番組の「ポンキッキ」でワンフレーズ使っていました。
  何を隠そう、僕が初めてビートルズに触れたのもポンキッキであります。
  Please Please Meと When Im 64を使っていました。
  僕は1973年生まれなので、とうにビートルズは解散していました。
  しかし、ポンキッキで初めてビートルズに触れ、小中学でどっぷりとビートルズ漬けの毎日を送りました。
  歌詞カードがあれば、オリジナル曲は半分、いや7割ぐらいは歌えます。
                        (小林)立派ですねえ。
  I've Just Seen a Faceをぜひかけてください。ラジオの前で歌います。

  (小林)
  かけましょう。 I've Just Seen a Face。

  〜 The Beatles / I've Just Seen a Face
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dlKDgmiHVB8
  〜 The Beatles / If I Fell
  ttp://www.youtube.com/watch?v=kPKYPI1jjdg

  (長野県/男性)
  ビートルズのエピソードを知るたびに、今まで聴いてきた曲のイメージが変わったり、新たな彩りが加わったりして
  30年近く聴いてきたビートルズの楽曲とは、まだまだ長い付き合いになりそうです。
                             (小林)うれしいね、こういうのね。
  一回り年下の妻も 時折ビートルズナンバーを口ずさんでおります。
  その姿が嬉しく思われる このごろです。
                             (小林)www。聴かせてくれてるんじゃないですか。
  今後も楽しい番組を期待しております。
  ハモりが心地良い If I Fellをリクエストします。

  (小林)
  どうもありがとう。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?

  リクエストの方なんですけども、毎週リクエスト呼び掛けますけど、よろしくお願いしますね。
  採用の方には(略)
  メールは [email protected]

  まあ、なんでも好きなようにリクエストしてください。
  今日なんか、いろんな方からね、やっぱり愛を感じるリクエストもあるし。
  それから、ちょっと自慢してた「7割方歌えるよ」っていう、ああいう自慢もちょっと可愛いい自慢じゃないですか。
  どんなことでもいいですから、チョコチョコっと付け加えて、リクエストお待ちしております。
  
  それから、ジョンとポールの出会い、これはもう本当にすごい、ロックの最大の名場面なんだけど。
  その、セッティングって言うんですかね、お祭りで出会うわけですよ、ジョンとポールは。
  いい話し じゃないですか。
  ただ、この次にお送りする、みたいな感じで。
  よく、テレビなんかで 気を持たせてCM行っちゃったりするじゃないですかw。
  今日、考えてみると、気を持たせてジョンとポールの出会いを CMの後じゃないもんねw。
  一週間待っていただくw わけですよねw。
  えー、申しわけないw。
  だけど、一週間待っても、そこ行かないかもわかんないw。
  だけど、知ってるわけですよ、みんなね。
  「ああ、このあとジョンとポールがどんな出会い方をするのかな?」って、知ってるわけですけど。
  これはもう名場面だから、我々はもったいぶってお送りしようと思っております。よろしくお願いしますw。

  ねえ、ほんと、来週はやれるのかな? 来週?
  来週やります!。
  ジョンとポールの出会いです。
  乞うご期待!。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年3月17日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月17日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  まだビートルズは解散していません。
  この日、44年前の今日、「クリーム(Cream)」の・・・ 
  「クリーム」ってわかりますよね?
  クリームは あのジョージ・ハリスンの親友のエリック・クラプトン(Eric Clapton)がいた三人組=クリームの「Badge」が発売になります。  
  このクリームの Badgeは 実はジョージ・ハリスンがギターで入っています。
  そして作曲もジョージ・ハリスンです。
  ただ、その頃は契約の問題があって、ジョージ・ハリスンと名乗れないために「ランジェロ・ミステリーオーソ」
  つまり「謎の天使」ていうw 謎の天使という名目を使っていますね。
  ジョージ・ハリスンが作って、アレンジもジョージ・ハリスンだと思いますけども。
  これは親友ということもあって、曲が良いんですよね。
  エリック・クラプトンが大好きな曲で、エリック・クラプトンのベストアルバムの中には必ず入る曲なんですが。

  この頃はあれですよね、ビートルズにエリック・クラプトンが客演する。
  で、エリック・クラプトンのクリームにジョージ・ハリスンが入る。
  お互いに客演しあっているのは どういうことかというとね。
  それぞれのグループの雰囲気が悪い と、雰囲気が悪いんですよ。
  後半 クリームなんかはね、やっぱり3人とも大御所ですからね、エゴが衝突し始めると、もう大喧嘩になったらしいんだけど。
  そんな時にジョージ・ハリスンが入る。その逆もありですよね。
  ジョージ・ハリスンがちょっと イジメられたり していましたからね。
  そんな時エリック・クラプトン連れて行く、ていう。
  客演をし合っていた。 

  でも、この頃はジョージ・ハリスンの才能がグングン伸びていた頃です。
  だからこの「Badge」ていうのは、ほんとうに名曲です。
  ちなみに、この「Badge」ていうのはね、Badgeて言う曲でしょ。
  ジョージ・ハリスンが譜面に「Bridge(サビ)」とメモを書いてのがw、いつの間にか「Badge」になっていたという。
  あ、それからね、
  ジョージ・ハリスンの最初の上さん=パトリシア・アン・ボイド(Patricia Anne Boyd)ね、パティ・ボイド。
  彼女の誕生日でもあるんですよ、今日は。
  ちなみに 今日68歳になっています。
  今では写真家としても活躍中。
  
  さあ、それじゃジョージ・ハリスンも入ったクリームの Badge。

  〜 Cleam / Badge
  ttp://www.youtube.com/watch?v=s7rHCYtbZRo

  (小林)クリームの Badge。
  ジョージ・ハリスンが入っていました。
  ちょうど今から44年前の今日、アメリカでシングルとして発売された曲でもあります。
□ストーリー
 ・「ジョン! あなた なんなの?その頭、そのズボン。それにシャツの襟なんか立てちゃって。それじゃまるでチンピラじゃないの!
  すぐにシャワーを浴び直して、全部着替えなさい!。」

  「なに言ってんだよ。やだねったら やだね。俺はこのままで出かけるから。
  ミミ伯母さん、今まで育ててくれて、どうもありがとう。どうぞお元気で。」

  ここでジョンと呼ばれているのは、ここから7年後、あのビートルズのリーダーとして世界中の若者を熱狂の渦に巻き込むことになる張本人=ジョン・レノン。
  そして、ジョンに向かって厳しく怒っているのは、ジョンの文字通り育ての親である、伯母のミミ。
  ジョンの父親であるフレッドは、遠洋航海の船の上で働いていて、ほとんど帰って来ない、という人物。
  母親のジュリアはジュリアで、夫フレッド以外にボーイフレンドを作り育児放棄をした、当時としてはかなり奔放な女性であった。
  こうしたジョンの境遇を見て、可哀そうに思いジョンを育てることを申し出たのが、ジュリアの姉であるミミ伯母さん。
  そのミミも、思春期に差し掛かったジョンにはホトホト手を焼いていた。

  いつの時代も思春期の男の子は反抗的になるものだが、
  この1950年代は、さらに特別な時代でもあった。
  それは「ティーンエイジャー」という世代が市民権を獲得した事が大きな要因。
  第二次世界大戦後のアメリカ合衆国の好景気が引き金となって、若年層が使える小遣いが増え、娯楽としての音楽も数多く生まれた。
  その中でもティーンエイジャーに一番影響を与えたのが、「ロックンロール」と呼ばれた新しいジャンル。
  そのロックンロールは音楽的な範囲を超えて、ファッションや考え方にまで影響を与えた。
  「自分はもう子供じゃない」「くだらない大人になんか、なりたくない」
  といったティーンエイジャーの哲学は 海を越えイギリスにも波及することになる。
  この時16歳のジョン・レノンも、その例外ではなかったことは言うまでもない。
  〜 John Lennon / I'm Stepping Out
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Jm5fp7QScCU

  〜 Plastic Ono Band(John Lennon) / Hold On
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dV73Y2RjHMw

  (小林)ジョン・レノンの歌声が続きました。
  ジョン・レノンの I'm Stepping Out 1984年の「Milk And Honey」(アルバム)
  ジョン・レノンの遺作ですよね。
  
  そして、プラスティック・オノ・バンド(PLASTIC ONO BAND)
  1970年 Hold On。
□ストーリー(続き)
 ・1950年代中盤 アメリカに生まれたロックンロール音楽は、大西洋を越えてイギリスにまで波及した。
  同じ英語を母国語に持つアメリカとイギリスではあったが、そのアクセントが違っている以上に、考え方や慣習などにおいて全く別の世界である。
  それでもイギリスの若者たちは、ロックンロールに夢中になった。
  その結果、格式の高い歴史を誇るイギリスにおいてティーンエイジャーは 初めてその市民権を獲得することになる。
  イングランド北西部の港町リバプールにおいても、それは例外ではなかった。
  むしろ首都であるロンドンよりも、アメリカから輸入されるロックやリズム&ブルースの音源の情報は多く、それらは若者たちを熱狂させた。

  1957年7月6日、「そのロックンロールをみんなの前で披露しよう。」と張り切っていたのが 当時16歳の少年ジョン・ウィンストン・レノン。
  のちにビートルズのリーダーとして世界のトップに立つ人物=ジョン・レノンである。
  この日は地元のセント・ピータース教会が主催するフェスティバルであり、それは例年以上に豪勢なプログラムとなっていた。
  その日ジョンは、育ての親である ミミ伯母さんと大喧嘩をした。
  ミミはジョンの身なりにビックリして、怒りのレベルメーターが振り切れてしまった。
  リーゼント頭にチェックのシャツ、それに超スリムのズボン。
  それは完全に当時流行していたテディボーイのファッションそのもの。
  「すぐに着替えなさい!!」と叫ぶミミの命令を無視し、ジョンは出かけた。
  
  そしてさらに、もっとミミを驚かせたことがあった。
  お祭り会場にやって来たミミが、軽食が用意されているテントで紅茶を頂いている時、それまで聴いたことも無い大きくけたたましい音が聴こえて来た。
  それは噂に聞いていたロックのバンドが出しているもの。
  そして、さらにビックリしたのは、そのバンドの真ん中にいて歌を歌っているのが、なんとミミが育て上げているジョンだった、ということ。
  〜 The Beatles / You Can't Do That
  ttps://www.youtube.com/watch?v=t5t6vGmsQ7o

  〜 The Beatles / Rip It Up - Shake, Rattle and Roll - Blue Suede Shoes
  ttps://www.youtube.com/watch?v=W7bQWlRPgRQ

  (小林)これ(2曲目)は1996年の「アンソロジー(Anthology)3」に入っている、ビートルズの本当にリラックスした演奏。
  ロックンロールのスタンダードのメドレーなんですけども。
  歌詞をちょっと変えたり、歌詞が不確かだったり、揃ってなかったり、これはもう ちゃんと揃ってるってことなんですよねw。
  ビートルズですよねえw。
  「アンソロジー3」1996年です。

  そして、その前は「A Hard Day's Night」(アルバム)のやつですね。
  これは You Can't Do That。
□ストーリー(続き)
 ・1957年7月6日「最新型のロックンロールを みんなの前で披露しよう。」と張り切っていたのが、当時16歳の少年=ジョン・ウィンストン・レノン。
  のちにビートルズのリーダーとして世界のトップに立つ人物=ジョン・レノンである。
  
  この日は地元のセント・ピータース教会が主催するフェスティバルがあり、それは例年以上に豪勢なプログラムとなっていた。
  この日の朝は、そのジョンと育ての親であるミミ伯母さんが大喧嘩をした。
  喧嘩の原因はジョンの服装、それはまるで街のチンピラそのものであった。
  もちろんミミの忠告も聞かず、ジョンはお祭りに出かけてしまった。
  喧嘩のせいでムシャクシャしていたせいもあり、未成年であるにもかかわらずジョンは、ワインとビールでベロンベロンに酔っぱらった。
  何時間か経って、ミミも教会の近くのお祭り会場にやって来た。
  ここに来るまでミミが知らなかったことがあった。
  それはジョンがロックバンドをやっていること。

  この時の出来事を ミミはこう証言している。
  「私が軽食を用意されたテントで紅茶を頂いているその時、けたたましい音が響いたんです。
  あまりに突然で、いったい何が起こったのかすぐには分かりませんでした。
  私の周りからは すぐにみんないなくなって、その音が聞こえてくる原っぱの方へ走って行ったんですよ。
  そしたら、バンドらしきものが石炭トラックの上で演奏しているんです。
  その真ん中には、私が買ってあげたギターをぶら下げて、マイクの前に立っているジョンがいました。
  仲間のピート、そうピート・ショットンていう子もいましたね。
  ジョンはすぐに、ポカンと口を開けている私に気付いたんですが、すぐに即興で歌い出しました。
  それは本当にアドリブでした。
  たしか歌詞は、
  ♪ミミが来る、オー オー、ミミがやって来る♪
  でしたかねえ。
  それはそれはもう、心臓が停まりそうなくらい ショッキングな出来事でしたねえ。」
  〜 The Beatles / Help!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HkHvNz9tgzM

  〜 John Lennon / Woman Is the Nigger of the World
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Asf4InKVo8k

  (小林)いやあ、この後半のその問題提起する叫びが、すごいですよね。
  Woman Is the Nigger of the World。
  「女は世界の奴隷か!」ていう日本語のタイトルは付いていますが、そうじゃないですよね。
  「世界のニガーだ」っていう。
  で、その次に「奴隷の奴隷だ」みたいな。
  これはまあ、実は背景に1970年代の前半はねえ、女性解放運動、当時は「ウーマンズリブ」て言ったんですが、
  これが ものすごい勢いを増していました。
  ですが、この曲はオノ・ヨーコも入っていますから、
  ジョン・レノンは、ほら、「ウーマン(Woman)」ていう曲あるじゃないですか。
  やっぱり、ジョン・レノンが歌うっていう、代表して歌うから、けっこう「なんかしなくちゃだめだぞー」って呼びかけてる歌が様になるという。

  で、その前は Help!。
  やっぱりこの Help!をきっかけに「ビートルズはラブソングばっかり歌うグループじゃないんだ」ていう、転換期になった。
  転機になった歌ですよね。 Help!。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにして、もれなく贈っておりますのでよろしく。
  メールのアドレスは [email protected]

  (千葉市/男性)
  この曲は元々黒人音楽をカバーしたものだと記憶しております。                          (小林)その通りです。
  キーの高さ、リズムやテンポの良さ、ポールの真骨頂、といったロックミュージックにおける傑作の一つだと思います。
  かつてジョンは「オーダーリンは自分が歌った方がよかった」と回顧録の中で語っておりましたが。
  この Kansas City をジョンが歌ったら、またそれはそれで聴き応えのある曲に仕上がっていたんじゃないかな、などといつも想像を膨らませながら聴き入っております。
  (小林)
  ていう、あなたのリクエスト。

  〜 The Beatles / Kansas City Hey, Hey, Hey, Hey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=hQiGv3G6wow

  〜 George Harrison / Give Me Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=s-KAvPbO8JY

  (小林)Kansas Cityに続いて Give Me Loveが流れましたが。
  
  (習志野市/男性)
  小林さん初メールです。毎週夕飯を食べながら子供たちと聴いています。
  私がビートルズを聴き始めたのは解散直前。従兄弟が買ったシングル「Let It Be」が最初のビートルズでした。
  ですから、私は現役のビートルズを知らないんです。その代りに、解散後のソロはよく聴きました。
  そこで、小林さんがこの前「わがままなリクエスト待ってます」と言っていましたよね。
  そこでお願いがあります。
  ビートルズ解散後のソロの中で私が好きな四人の曲をかけて頂けますか?  
  
  (小林)
  これ4曲リストアップされていたんですが、(男性)さん、全部かけるとちょうど17分になってしまいますので。
  まあ、一人一曲ということでw 僕が大好きな、全米ナンバーワンのジョージ・ハリスン Give Me Loveをかけさせて頂きました。
  ええwどうもw。リクエストありがとうございました。
  (鎌ヶ谷市/男性)
  2月17日のリクエストで While My Guitar Gently Weeps がかかっていました。
  何年経っても何度聴いても、この「泣きのギター」を含め ほんとに名曲ですね。
  思い起こせば40年近く前、赤盤青盤のLPをなけなしの小遣いで購入し、毎日のように聴いていました。
  当時ギター少年になりかけていた小生は、時をほぼ同じくしてクラプトンの2枚組ベスト盤を買ったこともあり、この曲が一番のお気に入りになっておりました。
  ビートルズ・クラプトンのバージョンがかかってしまったので、今回はサンタナ(Santana)が数年前にカバーしたバージョンでお願いします。
  この3月にサンタナが久々に来日するので、小生も昔からの悪友と武道館まで来日公演を見に行く予定です。
  クラプトンが緊張しつつ演奏に参加し、またサンタナを始め数多くのアーティストが曲をカバーするビートルズって、
  改めて考えて、やっぱり、とてつもなく偉大だなあ、と思う今日この頃であります。

  (小林)ということで
  このサンタナのカバーには、ヨーヨー・マ(馬 友友)というクラシックの有名な中国系のアーティストがいますよね、ヨーヨー・マ。
  それから、インディア・アリー(Indie Arie)というボーカリストがフィーチャーされています。
  じゃあ、サンタナで While My Guitar Gently Weeps
  
  〜 Santana / While My Guitar Gently Weeps
  ttp://www.youtube.com/watch?v=5DeOSLNbhfg
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか。
  毎回お願いしておりますが、リクエストの方、よろしくお願いします。
  採用の方にはイシイの・・・(略)
  メールのアドレスは [email protected]
  
  皆さんのリクエストが無ければ、たとえば今回の最終曲みたいに、サンタナのね My Guitar Gently Weeps
  あれが、かかんなかったわけですよね。
  あれは、まあ、すごいですよね。サンタナだとかヨーヨー・マとかインディア・アリーのスタイル。
  やっぱ「俺たちはビートルズじゃないんだ。だけどビートルズの曲をやるんだけど、俺たちなんだ。」ていう。
  こういうカバーをやる時の、完コピじゃない思想っていうのは、とても大切だと思うんです。
  リクエストください、よろしくね。

  それから、ジョンとポールの対面。  
  まだ、正式にはw 終わっておりませんw。
  来週を、ひとつお楽しみに。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年3月24日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月24日)
 ・1980年(今から33年前の今日)
  80年代ですから、もうビートルズは解散して10年経っているわけですね。
  アメリカで、キャピトルレコードのコンピレーションアルバムが出ます。
  その名も「レアリティーズ(RARITIES)」「レアなもの」という意味ですね。
  レアな曲を集めたアルバムで、実はイギリスではすでに違う選曲で出ていたんですが、
  アメリカ盤は「レアリティーズ2」とも言うべきものでありまして。
  曲目は「She Loves You」のドイツ語バージョン(Sie Liebt Dich)、ね。あのビートルズが嫌々録音したというドイツ語バージョン。
  それから「And I Love Her」のエンディングが長いバージョン。
  それから「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」のアルバムのB面最後の効果音の部分(Sgt.Pepper Inner Groove)、とか。
  マニア向けの14曲が入っています。

  で、これはですね LPとして出るわけですね。塩化ビニールのね。
  で、後にCD化されるんですけども、バージョンが違うわけですよ、CDの場合は。
  だから、実はLPには もうこのアルバムでしか無いバージョンてのがあって、ファンの間では何万円ぐらいで・・・まあ値段が付いている、と。
  ファンが買おうとしたら何万円ていうお金を払わなきゃだめだっていう、そういうアルバムです。
  で、この中で初披露となるのが、デビューシングルの「Love Me Do」
  どこがレアなのかと言いますと。
  実はこれは、この番組では2・3回お伝えした話しなんですが、
  1962年9月4日ビートルズに入ったばっかりのリンゴ・スターの最初のレコーディングがこの「Love Me Do」
  この時のリンゴのドラムスがプロデューサーのジョージ・マーティン、気に入らない。
  だから翌週の11日にセッションは、スタジオミュージシャンのアンディ・ホワイト(Andy White)を呼んで、リンゴはタンバリンに回って。
  これはもうリンゴは、大ショックだったわけですよね。
  自分のドラムスを録音したのに、新たに自分より上手いと、自分より忙しいスタジオミュージシャンが呼ばれて、自分はタンバリンです。
  「ああ、俺もビートルズを、ピート・ベストみたいに首になるのか…」と思ったそうですが。
  まあ、結果首にならないっていうw、ことはご存知の通りであります。
  で、デビューシングルは、だからリンゴのタンバリンのバージョン、これがデビューシングルになっています。  
  でも、「レアリティーズ」のこのアルバムでは、初披露となったリンゴのドラムスバージョンが聴けます。
  今では、念のため「パストマスターズ(Past Masters)」に入っていますね。
  
  それでは、リンゴ・スターのドラムを叩いている、これは実はビートルズのデビューバージョンではなかったやつを聴いてみましょう。
  リンゴのドラムも、ビートルズのいろんな曲を聴いて慣れてるとは思いますけども
  リンゴが初めて叩いた Love Me Do  
 
  〜 The Beatles / Love Me Do  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=sn8bjrTIue4

  (小林)というわけでビートルズの Love Me Do。
  リンゴ・スターがドラムスを叩いている Love Me Do。
  ビートルズのデビュー曲の Love Me Do。
  でもこれはプロデューサーのジョージ・マーティンが「これじゃダメだ!」っていうことでw
  「もっと上手いドラムを使おう」ということで、リンゴ・スターのドラムスが替えられた Love Me Doをお送りしました。
106ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2013/03/28(木) 17:33:05.20 ID:GJXr0STi0
□ストーリー
 ・ジョン・レノンの幼少時代、それは誰が見ても幸せなものではなかった。
  船乗りである父親のフレッドは、仕事のせいもあり家に居付かず。
  母親のジュリアは、育児放棄の上、恋人をこしらえ、その男と一緒に住みはじめた。
  この状況を見かねたジュリアの姉、つまりジョンの伯母に当たるミミは、自分から申し出てジョンを迎えることにした。
  真面目で愛情の深いミミは、ジョンのことをまるで我が息子のように面倒を見て育てるようになった。
  一説によると、子供のいなかったミミは、リバプール市役所や裁判所までも動員し、法的にも妹のジュリアを追い込んでジョンを迎え入れた、と言われている。
  そして、ミミの息子として厳しく育て上げられたジョンも16歳の夏を向かえた。

  第二次世界大戦後のイギリスには、新たにアメリカ合衆国の文化が入って来た。
  もちろん、それ以前も映画やジャズ音楽など、楽しくて元気を与えてくれる さまざまなアメリカの芸術や娯楽は イギリスに於いて人気があった。
  しかし、それらのほとんどは成人したイギリス人のためにあり、19歳までの青少年に向けたものではなかった。
  それが1950年代中盤になって、状況が急変した。
  荒れ狂う高校生をテーマにした映画「暴力教室」「Blackboard Jungle」の大ヒットと黒人音楽に大きな影響を受けたシンガー=エルビス・プレスリーの登場によって13歳から19歳の世代
  つまり「ティーンエイジャー」のための娯楽と文化が生まれたのである。
  それは同時にロックンロールという新しいジャンルの音楽が台頭してきたことを指し、それを取り巻く環境も急激に変わっていった。
  アメリカからほとんど遅れることなく イギリスのティーンエイジャーたちも大きく反応した。
  
  ジョン・レノンも例外ではなく、むしろその心に刺さった衝撃は誰よりも大きかった。
  そしてミミにねだったギターは ジョンの最高の相棒となる。
  そしてミミ伯母さんには内緒で、あることを始めていたのである。
  それは、高校の仲間たちとロックバンドを結成したことであった。
  〜 John Lennon / Sweet Little Sixteen
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1bJpJsw-Juo
  
  〜 John Lennon / Just Like (Starting Over)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=C4C5_JQtkrc
 
  (小林)ジョン・レノンの Just Like (Starting Over)
  これは1980年 お馴染みの「ダブルファンタジー(Double Fantasy)」のアルバム、お馴染みじゃない方もいるかもわからないwですけどもね。
  ジョンのもう最後の方の作品です。

  そして、その5年前なんですよね、1975年。
  ジョン・レノンの「ロックンロール(Rock N Roll)」ロックンロールのカバーばっかり集めた中から、チャック・ベリー(Chuck Berry)の Sweet Little Sixteen
  ていう曲をカバーしておりました。
  どいういふうに感じられましたかねえ。
  ジョン・レノンのカバー曲から始まって、さっき聴いたやつはオリジナル というわけであります。
□ストーリー(続き)
 ・恵まれない幼少時代を送っていたジョン・レノンに救いの手を差し伸べて、まるで我が子のように育て上げ、厳しい躾けも施してくれたミミ伯母さん。
  ジョンが16歳の夏を迎えた頃、ミミが知らなかったある事実が判明した。
  それは、ジョンがロックバンドを率いて活動していたこと。

  この時の出来事を ミミはこう証言している。
  「それはもう、心臓が止まりそうなくらいショッキングな出来事でしたねえ。
  地元の教会が主催する、毎年恒例のお祭りの日、私が軽食を用意されたテントで紅茶を頂いているその時、けたたましい音が響いたんです。
  それはあまりに突然で、いったい何が起こったのか、すぐには判りませんでした。
  私の周りからは すぐにみんないなくなって、その音が聴こえてくる原っぱの方へ走って行ったんですよ。
  そしたら、バンドらしきものが石炭トラックの上で演奏しているんです。
  その真ん中には、私が買ってあげたギターをぶら下げて、マイクの前に立っているジョンがいました。
  仲間のピート、そう、ピート・ショットンていう子もいましたね。
  ジョンはすぐに、ポカンと口を開けている私に気付いたんですが、すぐに即興で歌い出しました。
  それは本当にアドリブでした。
  たしか 歌詞が、
  ♪ミミが来る、オー、ミミがやって来る♪
  でしたかね。
  あの日の出来事、私は絶対に忘れないことでしょう。」

  この時ジョンが率いていたバンドの名前は、ザ・クォーリメン。
  自分が通うクォーリバンク・グラマースクールとリバプール・インスティテュートの高校性たちによる混合バンドである。
  その格好を見れば一目瞭然であるが、メンバーは全員いわゆる「落ちこぼれ」。
  そんなクォーリメンの演奏を じっと見守る やはりリーゼントヘアの若者がいた。
  このあと、ジョンとの運命の出会いをすることになる、あの少年である。
  〜 Paul McCartney / I Got Stung
  ttp://www.youtube.com/watch?v=l9l7C1_q0pg

  〜 Elvis Presley / One Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=e8-hAM8tdr0

  (小林)聴いた曲は1958年の、アメリカでもイギリスでもナンバーワンになった、日本でも大ヒットしました。
  エルビス・プレスリーの One Night。

  プレスリーは1956年、この2年ちょっとぐらい前に出て来るわけですが、
  プレスリーの特徴はね、甘く震えるようなロック声なんですよ。
  でもこの One Nightっていうのは、濁(ダミ)声にして、ディストーションをかけたような声にしていましたね。
  この頃は、プレスリーのファンの間でも「このプレスリーの歌い方はちょっと嫌いだ」っていうのと「大好きだ」二つに分かれたんですよね。
  面白いですよね。

  そして、今聴いた One Nightの実はB面に入っていた曲を、ポールが、やっぱりカバーしていました。
  プレスリーの曲をポールがやっていたわけですね。I Got Stung
  
  2曲!
□ストーリー(続き)
 ・1957年7月6日。16歳のジョン・ウィンストン・レノン。
  つまり、この数年後には、ビートルズのリーダーとしてアメリカ合衆国に上陸し、世界中のアイドルとなるあのジョン・レノンは、
  この日、自分のバンド=ザ・クォーリメンを率いて リバプールのウールトン地区のセント・ピータース教会主催のサマーフェスティバルで演奏していた。
  ジョンの最初のバンド=クォーリメンは 一応は自称ロックバンドとして活動はしていたが、
  このころはまだ簡単なスキッフルの曲をレパートリーとしていた。
  この日の演奏曲目は「カンバーランドギャップ(Cumberland Gap)」「レイルロードビル(Railroad Bill)」
  そして地元リバプールの船乗りたちの間で歌われている「マギー・メイ(Maggie May)」などであった。
  この曲は、伝説的なプロの女性=マギー・メイと 彼女の縄張りであるライムストリートを歌ったもの。
  これは高校生バンドが人前で演奏するには おおよそふさわしくない曲であったが、観衆には超ウケであった。
  
  このクォーリメンが演奏している間、ポール・マッカートニー少年は同級生のアイバン・ボーンと一緒に その小さな野外ステージのすぐ横に立っち
  ずっと熱心に観ていた。
  すでにかなりギターの腕を上げていたポール少年は、バンドのリードシンガーのギターの弦に気が付いた。
  その楽器は確かに6弦ギターではあったが、張ってあるギターの弦数は5本。
  そしてそのチューニングは、ギターよりも簡単なバンジョーのチューニングであることが見て判った。
  そして、ギターのこともさる事ながら、
  歌っている少年が、まるで世界を見極めようとするような、あるいは世界に挑戦するかのような眼で、周りを見ていることがやたらと印象的だった。
  そして「すごいやつを すごいやつに会わせる」ことを得意とするアイバンは、ポールを教会のホールに連れて行った。

  運命の出会いは、そこまで迫っていたのである。
  〜 John Lennon / Ain't That A Shame
  ttp://www.youtube.com/watch?v=idbsjXtSFLU&list=PL28FE63F83DF24329

  〜 The Beatles / Everybody's Trying To Be My Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nXTZ9oJB2p4

  (小林)というわけで2曲続きました。
  もちろん お話しは1950年代のお話しですから、ロックンロール、R&Bていう曲ばっかりがかけられていますけども。

  ジョン・レノンの Ain't That A Shame
  これはファッツ・ドミノ(Fats Domino)という、今80もう5歳を越えていますね、この人はね。
  で、ニュー・オルリンズでまだまだ活躍している、リズム&ブルースの人なんですけども。
  彼の1955年のヒットのカバー、Ain't That A Shame 
  これは、ブラック・チャートていうか、リズム&ブルースのチャートで1位を記録して。
  普通のチャートでは10位までヒットした曲であります。
  「ロックンロール(Rock N Roll)」のアルバムに入っています。70年代のね、ジョン・レノンのね。
  
  そしてビートルズの ジョージ・ハリスンがリードボーカルを取ってまして。
   Everybody's Trying To Be My Babyていうのは、これはですね「Blue suede shoes」って、よくこの番組でここのところかかってるでしょう
  ♪One for the money, two for the show♪ ていう。
  あの「Blue suede shoes」を作ったカール・パーキンス(Carl Perkins)の曲をビートルズがカバーしてジョージ・ハリスンが歌っている、と。 
  1956年のヒット曲ですが、それをビートルズの1964年に発表したアルバムに入っていた曲。
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなく差し上げておりますので。
  メールは [email protected]

  (市原市/男性)40代半ば
  自分は子供の頃 夕方にテレビで放送していた、モンキーズのメンバーがくり広げるコメディドラマ「モンキーズ・ショウ」を見るのが楽しみで、
  学校から急いで帰って見ていました。
  きっとあれは再放送だったんでしょうね。
  ビートルズのLPを全部持っていたほどのビートルズファンの、8つ上の兄もこのドラマにハマってましたね。
  そのモンキーズも、ビートルズから始まったわけですもんね。

  (小林)
  そうなんですよね。アメリカの音楽業界が面白くないわけですよ。ビートルズひとり勝ちで、ね。
  ベストテンのうち もうビートルズが数曲入っていたりしたら、面白くないよ。
  「アメリカにはビートルズみたいなグループいないのか!?」ってことで、大々的にオーディションをやってね。
  スポンサーもいっぱい付いたんですよ。楽器会社だとか。
  で、出来上がったのが モンキーズ(The Monkees)。
  前にも一回言ったことがあると思いますが、オーディションの結果、リードボーカルがイギリス人だもんね。皮肉なもんね、皮肉なもんです。
  さあ「モンキーズのテーマ」にリクエストがありました。

  〜 The Monkees / Theme From The Monkees(モンキーズのテーマ)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Zn8jir9n2xw
  〜 Little Richard / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eFFgbc5Vcbw

  (匿名/男性)
  私は今月53歳になりますが、ビートルズのカバーで知った曲ですが。
  原曲を聴いて、よりカッコ良かったのを覚えています。
  ぜひ今の若いビートルズファンにこの人を記憶して欲しくてリクエストします。

  (小林)
  この番組でも、ポールがこのアーティストの大ファンでね。
  ポールがモノマネをする、ちょっと線の細いリトル・リチャード風になるじゃないですか。
   Long Tall Sally。
  リクエストにお応えいたしました。
  (船橋市/男性)
  日曜日が仕事なので、帰りの車の中で毎週聴いています。
  去年ポールが「ジョンとヨーコが原因でビートルズが解散したわけじゃない」と言ってましたねえ。
  昔からヨーコは悪者。特にジョン好きの日本人はそう思ってるような気がします。
                  (小林)というか、全世界的にヨーコは悪者になってた みたいですよ。
                      ポールは言い直しただけでw、
                      ポールもけっこう オノ・ヨーコに強く当たった、ていうような話もありますから、
                      どれが本当なのか。
                      だけどねえ、リンダとオノ・ヨーコは悪者にされてますよね。
  でも、あのビートルズの一人の奥さんが日本人だったなんて、なんてすごいことじゃないですか?。
  最近ですが、私は同じ日本人として本当にうれしく誇りに思うようになりました。
  ジョンは本当にヨーコが好きだったようだし。

  (小林)
  あとあれですね、ヨーコっていう人が、ミュージシャンではないんですけども、
  すごい芸術家であった、ていうことを日本人は忘れがちかも知れないですよね。
  あなたのリクエスト。
  
  〜 The Beatles / The Ballad Of John And Yoko(ジョンとヨーコのバラード)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ugOtHXQEypk
  〜 George Harrison / My Sweet Lord
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0kNGnIKUdMI

  (小林)ジョージ・ハリスンの My Sweet Lordが流れています。
  その前は ジョンとヨーコのバラード。

  (さいたま市/女性)
  毎週決まってこの時間は、大好きなビートルズを台所に立ちながら聴いています。
  私は小学校のころから約40年間ビートルズファンをしているので、彼らの公式発表曲などは たいがい知っているつもりですが。
  この番組では 初めて聞くエピソードが多くて、毎週とても楽しみにしています。
  先週の番組後半で 聴いたことのない長いビートルズメドレーが流れて来ました。   (小林)スターズオンだ。ちょっと前ですけども。
  さっそく曲目を調べて、そおCDを通販サイトから購入、そっくりさんグループのノリの良いビートルズナンバーを楽しんでおります。  
  解散して半世紀が経つのに、彼らのオリジナルだけでなく、こうして新しい形でいつまでもビートルズサウンドを楽しむことができるって 素晴らしいことですね。
  そのそっくりさんグループのメドレーCDで、ジョージ・ハリスンの My Sweet Lordのイントロ部分だけやっていたので、この曲をリクエストします。

  (小林)
  リクエストありがとう。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか。
  
  ねえ。ミミ伯母さんはほんとにビックリしたっていう話し。これは、すごいでしょうw。
  だって地元の祭りに行って のんびりとゆっくり軽食をいただこうと思ったら、
  ガン!ガン!っていうロックが聴こえて、そっちへ行っみたらw
  もうね、自分の妹の息子がロックバンドやってんだもんねえw。
  その当時のロックバンドってのは大変なもんだから、ほんとビックリした。
  来週は「運命の出会い」ですね。はい。
  
  それから、リクエストよろしくお願いします。
  [email protected]
  採用の方には(略)
  
  まあ、いろんなこと書いて、面白いことでも、僕らの知らないことでもいいです。
  よろしく、待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年3月31日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月31日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  ニューヨークで、ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインと日本人の共同企画の社長=永島達司。
  この二人が東京でのコンサートのアレンジをした、とあります。
  で、これは余分ですが、ブライアン・エプスタインは共同企画という日本のプロモーターの会社を、ロンドンで代表するっていう。
  つまり、うちを通して、いろんなビートルズばっかりじゃなくて、いろんなアーティストも送りますから、っていうようなお話し合いもしたっていうわけですね。
  というわけで、ビートルズの日本でのコンサートからちょうど3ヶ月前ですよ、前の今日ね、もうその話が出来上がっちゃったわけですが。

  日本公演の話しはいろいろあるんですけど。
  まず武道館っていう所でね、ロックのコンサートをやるっていうことは「武道の精神を冒涜するものである。日本の若者を堕落させるものである」
  ていう批判が当時あって。
  でもポールはそれに対して
  「例えば日本の舞踊団がイギリスに来たとしても、イギリスは伝統を冒涜されたとは思わないよ」ていうようなことを言っています。
  でもジョンがもっと面白いことを言ってます。
  「武道で格闘するよりも、歌の方がいいでしょう?音楽の方がいいでしょう?」
  やっぱり、このころからwジョン・レノンはラブ&ピースなんですねえw。
  そんな発言をしています。
  まあ、参っちゃうねえ。こうやってジョンの発言を聞くとね。

  ともあれ、エプスタインとプロモーターの計画通り、6月30日から7月2日の三日間、計5ステージの日本公演は無事行われることになって、もう皆さんご存知の通りです。
  そして、「アンソロジー2」には1966年6月30日、熱狂の武道館ライブの模様が入っています。
  これは、この当時はこの曲でスタートしていたわけですね。
  で、次の曲へ行く という、
  それじゃ、武道館でのビートルズのライブの初っ端(ショッパナ)!

  〜 The Beatles / Rock And Roll Music -She's A Woman (Anthology 2) 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aEk-GROITRY 

  (小林)ねえ、47年前の日本武道館でのライブ2曲、Rock And Roll Music そして She's A Woman。
  日本の女の子はw ぜんぜん聴いてないねw。ぜんぜん音楽聴いてないw。
  そんな感じがしま…、
  僕は… そうだ そうだ、1973年、リンゴ・スターとね、電話で話し。
  「武道館 どうだった?」って訊いたら。
  「もう女の子の声で、俺たちの音が 聴こえなかった」ていうようなことを言っていたからね。
□ストーリー
 ・「おっ、なんだこの歌は?。間違いなくスキッフルの曲なんだけど、歌詞が少し違うな。
  ははぁ、もしかして このリードボーカルのやつ歌詞を知らないんだな。
  それにしても、即興で、それも観客をいじりながら芸人さながらに歌って聴かせるなんて、
  もしかすると、この男、なかなかすごいんじゃないかな?」

  1957年7月6日、リバプールのウールトン地区にあるセント・ピータース教会が主催する毎年夏の恒例行事のフェスティバル会場で演奏するバンドを見て
  この時15歳の少年ポール・マッカートニーは、自分に無い何か を感じ取った。
  このお祭り会場で演奏しているのは、当時まだ16歳のジョン・レノン率いる「ザ・クォーリメン」。
  自称ロックバンドであったクォーリメンであるが、このころ演奏していたのは、イギリスのフォークソングにアメリカのブルース風味を加えた「スキッフル」と呼ばれた流行歌の数々。
  ギターのコードも簡単で、使う楽器も自分たちで作ることができる安上がりなものだったせいもあり、アマチュアのスキッフルバンドはリバプールにも数多く存在した。
  
  クォーリメンの演奏が終わると 次の出し物は警察犬の訓練の成果のお披露目である。
  クォーリメンのメンバーでもあるアイバン・ボーンは ポールを通りの向こうにある教会のホールに連れて行った。
  演奏を終えたクォーリメンの連中は ホールの楽屋に椅子とジャケットを並べて小さな陣地をこしらえていた。
  クォーリメンはこのあと 夜のダンスパーティでも演奏することが決まっていて、それまで待機していたのである。
  ここでアイバンは ジョンとポールを引き合わせた。
  それは少し堅苦しいものだった、とジョンの親友でバンドのメンバーでもあったピート・ショットンはふり返っている。
  
  「彼がジョン・レノンだ」
  「やあ、初めまして」
  「それで、こっちがポール・マッカートニー」  
  「ああ、どうも…」
  そんな感じさ。

  このやり取りがロックの歴史を変えることになるとは、まだ誰も知らなかったのである。
  〜 The Beatles / One After 909
  ttp://www.youtube.com/watch?v=x7z4QrWD-Sk
 
  〜 Paul McCartney / Teddy Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Y-6w410orH4
 
  (小林)ポール・マッカートニーのTeddy Boy 1970年、ソロアルバムに入っているやつ。

  そして「アンソロジー」に入っている One After 909。
  お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・1957年7月6日、リバプールのウールトン地区にある セント・ピータース教会が主催するお祭りの日に。
  ジョン・レノンとポール・マッカートニーは初めて対面する。
  もちろん、この出会いがロックの歴史を変えることになるとは、まだ誰も知らない。
  
  ジョンの親友でバンドのメンバーでもあった ピート・ショットンは振り返って言う。
  『「彼がジョン。ジョン・レノンだ」
  「やあ、初めまして」
  「で、こっちが ポール・マッカートニー」
  「やあ、どうも」
  そんな感じだよ。
  ポールは僕やジョンより年下のくせに、かなり生意気で自信家に見えたけど、それよりジョンもポールもそれ以上話しが続かないんだ。
  ジョンはシャイだからね。』

  そんな少しぎこちない空気の中、氷が解けるように雰囲気が和らいで行ったのは、ポールがジョンのギターを手にした時のこと。
  ポールはジョンに対して こう切り出した。
  「ジョン、さっき演奏見させてもらったんだけど、ギターの弦5本しか張ってなかったよね。
  おそらくバンジョーのオープンチューニングだよね。
  もし良かったら、ちゃんとしたギターのレギュラーチューニングにするけど、6弦のスペア持ってる?」
  ジョンは少しビックリしながら、こう答えた。
  「ああ、確かに俺のはバンジョーのチューニングだ。スペアの弦ならあるよ。」  
  そう言ってジョンはズボンのポケットから弦を出してポールに渡した。  

  ポールはすぐさま ジョンのギターを通常のギターのチューニングに直して見せたのである。
  これにはメンバー一同ビックリした。
  それもそのはず、クォーリメンのメンバーは全員 誰もギターのチューニングが出来なかったのである。  
  しかし、ギターのチューニングと云うものは 弾いていれば必ず狂って来るもの、
  そうなると連中は音の外れたギターを リバプール市内キングズ・ドライブにある楽器屋に持ち込んでチューニングをやってもらっていたくらいであった。
  年下のポールが自分でチューニングしてくれた瞬間、ジョン・レノンとクォーリメンの中に 音楽的な何かが芽生えたことは言うまでもない。
  〜 John Lennon / Working Class Hero
  ttp://www.youtube.com/watch?v=8D2bQifibH0

  〜 Paul McCartney / Tug Of War
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zIfPIfuTFXA

  (小林)ポール・マッカートニーの Tug Of War。
  1982年、時代の空気が変わっています。
  ジョンが亡くなった後です。
  ソロアルバム「Tug Of War」のタイトルソングですが、これはジョージ・マーティンがプロデュースしています。
  
  そしてその前は、いかにもジョンらしい Working Class Hero。
  2004年に出た「Acoustic」の中に入っていた ジョンの弾き語りです。
□ストーリー(続き)
 ・1957年7月6日、リバプールにあるセント・ピータース教会の恒例行事である夏祭り会場での少年たちの会話。
  「ジョン、さっき演奏を見させてもらったんだけど、ギターの弦 5本しか張ってなかったよね?
  おそらくバンジョーのオープンチューニングかなあ。
  もし良かったら、ちゃんとしたギターのレギュラーチューニングにするけど、6弦のスペア持ってる?」

  ジョンは 少しビックリしながら答えた。
  「ああ…、たしかに俺のはバンジョーのチューニングだ。スペアの弦ならあるよ。」 
  こうしてポールは 当たり前のように器用にチューニングをしてあげた。

  説明するまでもなく、ジョンとはジョン・レノン、ポールとはポール・マッカートニー。
  ここから数年後、世界最高のソングライターチームとなるレノン・マッカートニーの運命的な出会いの瞬間がここにあった。
  この時ジョンの率いるバンド=ザ・クォーリメンのメンバー全員が出来なかったという ギターのチューニングをしてあげたその次には、さらにジョンを唸らせる出来事があった。
  
  それは、ポールがロックンロールのヒット曲のほとんどの歌詞を完璧に覚えていたこと。
  これはジョンにとって 驚くべきことであった。
  なぜなら、ジョンはどうしても歌詞を暗記することが出来なかったため、ライブのためにでっち上げの歌詞を即興で作って その場をしのいでいたからである。
  エディ・コクラン(Eddie Cochran)の「Twenty Flight Rock」そして ジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)の「Be-Bop-A-Lula」の2曲の歌詞をきれいに書いて ジョンに渡してあげた。
  さらにポールは6弦のレギュラーチューニングに直したギターを持ってお祭りの会場に戻り、リトル・リチャード(Little Richard)の「Long Tall Sally」を見事に歌って聴かせた。
  これはジョンが16年間生きて来た中で、最も衝撃的を受けた瞬間だったのである。
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6ibeqQA2_Yw

  〜 Paul McCartney / Lonesome Town  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=IwHshh0V9pU

  (小林)ポールの歌声が2曲続きましたね。
  ビートルズとして Long Tall Sally。
  リトル・リチャード(Little Richard)のカバー。
  リトル・リチャードというね、ポールが大好きな。
  でも、ポールの方が一音キーが上なんだってね。キーが高いんだってね。

  で、ポール・マッカートニー キーが高いですから、Lonesome Town ていう、
  実は1950年代のリッキー・ネルソン(Ricky Nelson)ていう、これはロックンロールヒーローなんですけれども、彼の曲をカバーしていましたが。
  これ、ポールはキーが高いから、けっこうホットな感じで歌ってるんですが。
  これはリッキー・ネルソンのオリジナルはね、ものすごいクールな感じで歌ってるんですよ。
  熱くなんないんですよ。
  あの頃 クールな歌声ってのがあって、アメリカだと、例えばリック・ネルソンとかね、1970年代のジェームス・テイラー(James Taylor)とか、ほんとにクールな。 
  だから クールな方がファンキーだという価値観がひとつあるんですけども。
  それが大好きだったのがボブ・ディラン(Bob Dylan)ですよね。
  ボブ・ディランは実際「リッキー・ネルソンの曲が大好きだ」って言っております。
  ちなみに、ビートルズの対抗馬として出来た「モンキーズ(The Monkees)」のリードボーカルのデイビー・ジョーンズ(Davy Jones)は、どちらかと言うと「クール」に歌う方の人だったんですね。
  面白いですね、ホット派とクール派に分けるとね。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールアドレスは [email protected]

  (荒川区/女性)
  仕事を休み、ラジオを聴く時間が出来て、ラジオを点けたらビートルズ、聴き入っています。
  リクエストもあるようなので、「レディ・マドンナ」をリクエストします。
  ピアノが弾けたら これ弾いてみたい。
  (小林)これ、わかりますよね。この気持ちはね。

  (佐倉市/女性)
  いつも古着屋のアルバイト中に聴いています。
  (小林)
  同じ曲リクエストです。行きます。

  〜 The Beatles / Lady Madonna
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MEqDLKBTQBQ
  〜 The Carpenters / Please Mr Postman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=AHfddvbKb4w

  (小林)カーペンターズの Please Mr Postman が流れました。

  (習志野市/男性)
  僕はカーペンターズのヒットの当時 中学生2年でした。
  英語の授業に興味を失くしかけていた時、カーラジオかれ流れてきたカレンの歌声にしびれてしまい、英語を勉強するきっかけになりました。
  その頃の僕は、実家が海苔の養殖をしていて、夜に人手が足りないと駆り出される毎日でした。
  冬の寒い夜に、離れたところにある乾燥場までの行き帰り、冷房もない軽自動車のカーラジオから流れてきたのがこの曲でした。
  クリスマス前の晴れやかなアメリカを空想させるのに充分な、このカレンの澄んだ歌声。
  小遣いも少なく、昼飯代にもらったパン代を節約してEPレコードを買ったものです。
  私にとってはカーペンターズの「Please Mr Postman」は当時を思い出させる一曲です。
  英語はこれを機会に好きになり、大学も英米文学科に進み、現在も翻訳関係の仕事に就いています。
  (小林)
  なかなか良い話しですね。
  (不明/男性)
  ポールの「左利き」に改めて考えさせられまして、
  今と違い当時の「左利きのギターを弾く」っていうのはすごいチャレンジだったんじゃないかなあ と。
  極端に、まったく新しい楽器をやるぐらいの感覚だった のかもしれないですよね。
  右利きのギターで押さえた 左利きのコードの響きも作曲のアイデアになってたり・・・。
  リクエストは、ジョンの 元気でかついい加減なノリがうかがえる、この曲をお願いします。
  (小林)www
  リクエストは Tell Me Why
  
  〜 The Beatles / Tell Me Why
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QS5Jvihodec

  〜 The Beatles / Michelle
  ttps://www.youtube.com/watch?v=F23oKO_NnHA

  (小林)Michelleが最後の曲として流れました。

  (住所不明/男性)
  今から42年ぐらい前、高校1、2年生の時 偶然文化祭の時に聴いた「ミッシェル」をリクエストします。
  一昨年12月から拝聴していますが、おそらくかけていないと思います。
  ぜひかけてください。            (小林)w はい。
  当時は小遣いを使わずレコードを買ったものです。
  たぶん2000円であったと思います。記憶の限りでは。
  体に気を付けて これからも元気を送ってください。
  (小林)wという
  ミッシェル、フランス語になってるんですよね。これね。
  けっこう シャレた意図があったんだと思いますよ。その当時。
  フランス語の歌詞、英語がフランス語になっちゃってビックリしたもんですよ、この当時は。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがですか?。
  
  リクエストもほんとうにありがとうございますね。
  いろんなリクエスト、それから、いろんな見方だとか、いろんな年齢層の方もいるし。
  ビートルズ、さすがですよねえ。
  ほんとに、一番範囲が広いんじゃないかと思います。
  リクエスト待ってます。
  採用の方にはイシイの(略)
  
  そして、お話しの方は。
  まあ、ビートルズの話し、いろいろ面白いところがあるんですけど。
  クライマックスの一つですよね。
  ジョンとポールの出会いのお話し をしています。
  この頃のポールの井出達(いでたち)なんかも詳しく書いた本もあったりするんですけども。
  もう、ほんとポールは一張羅(いっちょうら)で来てるわけですよ。ね。
  それで、ジョン・レノン。w
  ジョン・レノンはジョン・レノンらしく、けっこう飲んで、ポール・マッカートニーが「酒臭かった」って言っていますけど。
  そうだねえ、最近大っきな本屋行っても、ビートルズ関係の本て少なくなっちゃったよね。
  でも 立ち読みをお勧めしますw。あはは。
  大きな本屋だと、立ち読みけっこう出来るじゃないw。ねえ。
  もし名場面なんか知りたかったら。
  だけど、なかなか見っからないかもよw。
  
  ということで、また来週もよろしく。
4月7日、ラジカ不調のため前半が録音できませんでした。(´・ω・`)
キロクは、後半からです。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年4月7日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
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  〜 Paul McCartney & Wings / Hi,Hi,Hi
  ttp://www.youtube.com/watch?v=2bMB5xtCxqs

  〜 The Beatles / Kansas City Hey, Hey, Hey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=hQiGv3G6wow

  (小林)曲が続きましたけれど。

  ポール・マッカートニーがジョンのバンドで歌ったわけですね。
  リトル・リチャード(Little Richard)の「Long tallSully」とか「Tutti Frutti」ていうスタンダードを歌ったわけですが。
  「ポール・マッカートニーはすごいなあ」って、ジョンたちは思ったわけですが。

  ポール・マッカートニーが2曲続きましたね。
  (1曲目)これは1972年のソロの中から Hi,Hi,Hi、ヒット曲です。
  (2曲目)そして、ビートルズ時代の Kansas City Hey, Hey, Hey
□ストーリー(3パート目)
 ・「ジョン、あのポールってやつ、ギターも歌もすっごいぜ!。
  歌詞をスラスラって書いたと思ったら、俺たちの苦手なギターのチューニングも難なくこなして、おまけにルックスもまずまずだ。
  ほら、見ろよジョン。ポールが歌うだけで もう、女の子が大勢集まってる。
  あいつ、どっかでバンドやってんのかなあ。気になるなあ。」
  
  1957年の7月6日、リバプールにあるセント・ピータース教会の恒例行事である夏祭り会場での 少年たちの会話。
  説明するまでもなく、ジョンとはジョン・レノン、ポールとはポール・マッカートニー。
  ここから数年後、世界最高のソングライターチームとなるレノン・マッカートニーの運命的な出会いの瞬間がここにあった。

  この日突然 ジョンとその仲間たちの前に現れた年下のポールは、全てにおいて秀でた才能を持っていた。
  かと言ってポールは、その技をひけらかしていたわけではない。
  無邪気に、天真爛漫に、ただ心から音楽を、ロックンロールを楽しんでいるように見えたのである。
  この日の出会いがあって、ポールはすぐにクォーリメンに誘われたわけではなかった。
  おそらくではあるが、明らかにダントツに優れた才能を持っていたことが災いしたのである。

  ジョンを始めクォーリメンのメンバー全員が一致していた意見は、「あんなに上手いやつが、俺たちなんかと一緒に演奏するわけがない」というもの。
  そしてジョンは、普段の気の短かさを考えると 驚くべきことに、この件に関してはずいぶんと時間を費やして考えていた。
  なぜなら、これまでは間違いなく自分がクォーリメンのリーダーであり、スターであった。
  しかし、ポールを入れたら、間違いなく自分の地位は脅かされることになる。
  自分の地位を守るべきか、それとも純粋にミュージシャンとして次のレベルを目指すべきか、真剣に考える16歳の少年ジョン・レノンであった。
  〜 The Beatles / Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xTUagXO4kKU

  〜 Paul McCartney & Wings / Band on the Run
  ttp://www.youtube.com/watch?v=S7D65IomNYY
 
  (小林)2曲続きました。

  やっぱりこの2曲の中には、ポール・マッカートニーの音楽性の閃(ひらめ)きって言うのかな、その才能の素晴らしさがいっぱい詰まっています。
  Band on the Run ねえ、こういう風な曲を書く人なんですよ、作る人なんですよ。
  ちなみに、ドラムスなんかの演奏もポール・マッカートニーだということは、ポールがプロデューサーでもあるわけですが。
  Band on the Run、なんか作り方もね、一曲の中に起承転結ていうか、起承転々てのかわかんないですけどw。
  面白いですよ ポールの閃きは。

  その前は「ホワイトアルバム(The Beatles)」に入っている曲で。
  メッセージは「みんな隠したいことがあるんだよ。俺と俺のお猿さんは別だけど」ていう。
   Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey ていう。
  これはまあ、違う意味の名曲ですね。
  「ホワイトアルバム」の中から・・・
□リクエスト
  (小林)採用の方には全ての方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げております。
  メールは [email protected]

  (江東区/男性)
  明らかにビートルズに影響されたバンドかと思います。
  「1910フルーツガムカンパニー」の「Simon Says」をお願いします。
               (小林)明らかに、ていうかあれですよね、
                   この頃は1968年、ビートルズはもう昔のアイドルっぽいイメージから、難しいことをやるバンドになってたんで。
                   この1910フルーツガムカンパニーは、区別するために、
                   「バブルガムミュージック」つまり子供たちの音楽って。
                   なんかちょっとバカにされたような、レーベルが付いてたバンドですよね。
  中学生の頃 兄がドーナッツ盤のレコードを買ってきました。
  ポップなデザインのジャケットとシンプルなリズムが楽しい曲でした。
  たしか、「子供のおまじない」だったかも知れません。

  (小林)
  そうなんだよ。遊びなんですよね。
  「Simon Says」って言ったときは、その人が言った通りにやって、「Simon Says」が無いと、その通りやっちゃいけないっていう、子供の遊びなんですが。
  それが曲になっています。

  〜 1910 Fruitgum Company / Simon Says
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JbkMH_WTgYc
  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M

  (長野県/男性)
  配送のトラックで楽しく聴いています。
  もしビートルズがローリングストーンズのように50年活動していたら、今どんな音楽をやっていたと思いますか?
  
  (小林)
  これはねえ、それぞれ考えると楽しいよねえ。w
  曲を聴くたびに いろんな思いが変わったりもすると思います。
  Nowhere Man をお送りしました。
  (我孫子市/男性)
  私はリマスター盤が出た2009年頃からビートルズファンになりました。 (小林)最近です。
  それまではビートルズの名前は知っていたものの、メンバーは誰か知らず、「ビートルズなんて」と聴かず嫌いでした。
  そんな私は、今では家族があきれるほどビートルズをよく聴く大ファンです。
  ビートルズのことをいろいろ知りたくなり調べていくと、ジョージがメンバーだったことに一番初めにビックリしました。
  なぜかと言いますと、私が洋楽を聴き始めた1987年当時、たしか「セットオンユー(Got my mind set on you)」という曲だったと思いますが、この曲がよく流れていて、
  ビートルズのジョージではなく、一人のアーティストとして聴いていました。
  今思うと、私にとってジョージの歌声をリアルタイムで聴いた最初で最後の曲だったんです。
  それで、今回はジョージが「トラヴェリング・ウィルベリーズ」というグループで歌っていた曲をお願いします。
  ジョージが楽しんで歌っている印象を受けた曲です。

  (小林)
  そうなんだね。(あなた)は こっちから未来、現在、過去みたいに、時の流れの反対に行っちゃったわけですねw。はい。
  もう今は平行だと思いますが。
  じゃあ、あなたのリクエストで。
  これは ヒット曲になりましたね。  

  〜 Travelling Wilburys / Handle With Care
  ttp://www.youtube.com/watch?v=L8s9dmuAKvU
  〜 The Beatles / The Fool On The Hill
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fgbmzSGK_0E

  (千葉市稲毛区/女性)
  初めて小林克也さんの声を聴いたのはもう30年ほど前、私が小学生のころでした。
  当時と全く変わらない張りのある声の克也さんの声が聴ける この番組を楽しみにしています。
  「フールオンザヒル」をリクエストします。
  高校の時、駅の構内でビートルズのヒット曲を集めたテープを買ったんですが、その中に入っていた曲です。
  「答えは大多数の中にあるわけではない」というメッセージが込められていると思います。  (小林)その通りだと思いますねえ。
  この淡々としたメロディは聴けば聴くほど心に響いてきます。

  (小林)
  どうも、リクエストありがとう。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  
  みなさん本当にリクエストありがとうございますね。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしておりますのでよろしく。
  メールは [email protected]
  こっちで待っています。
  
  それからビートルズの話しの方は、ジョンとポールが出会いました。
  実は、僕はこの番組で、一番僕の好きなシーンは、
  ジョンが「俺たちはオリジナルしかやらないよ。カバーなんかやらないよ、レコーディング」って言った、あの啖呵を切った時。
  これが一番、やっぱり歴史を変えた瞬間なんですけど。
  もう一つ、歴史を変えた瞬間てのは、16歳のジョン・レノンが決心するんですよ、
  これはねえ、やっぱりバンドっていうのはね、それまではねえ「一人の大将がいて兵隊がいる」っていうことなんですが。
  「大将同士がたくさん集まるのもバンドだ」っていうのは、ビートルズから始まるんですよ。
  だからねえ、来週期待してくださいね。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年4月14日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月14日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  EMIの第三スタジオ、午後2時半から、この頃はいつも2時半くらいからスタートしてたみたいね。
  あの「The Ballad of John and Yoko」これの録音。11テーク録音するんだ。すごいね、11テーク。
  で、スタジオ3で 夜の9時からステレオミキシングが始まります。ジョージ・マーティンがプロデューサー、若いジェフ・エメリックがエンジニア、
  ていうことで。
  
  3日前に「Get Back」が発売になったばっかりですね。
  で、リンゴ・スターは「(映画)マジッククリスチャン」で役をもらって、もうリンゴはですね、役者としても忙しくて、撮影のためいないんです、リンゴは。
  で、ジョージは 上さんパティとともに、イケないモノを持っていたとか何とかで逮捕されて裁判もあって国外にいます。
  だから2人はいない。

  で、ジョンがギターとボーカル、ポールがドラムス、ベース、ピアノ、リードギター、マラカス、これを担当して。
  2人が、もう1969年はですね、ビートルズ解散の風が吹いてて、なんか「仲悪いよー」ていう解釈があるんですが。
  この時はほんとうに“和気あいあい”と録音をしたそうです。
  で、途中ジョンがですね、ポールに(向かって)「リンゴ!もっとテンポ上げてくれ!」リンゴいないのにね。
  ポールがドラムやってるのに「リンゴ!もっとテンポ上げろ!」とか
  ポールがジョンに「オッケー!ジョージ」とか
  そういう声をかける場面も、ミックス前のテープには残っている、ということですから、雰囲気は最高に良かったわけですよね。
  ただ、この歌詞に問題があったとされています。
  アメリカではね「they're going to crucify me」「おれは、磔(はりつけ)になるんだよ」っていう、これがキリストを連想させるっていうことで。
  アメリカの特に、アメリカ南部のね 宗教的にうるさいエリアでは放送禁止にしました。
  でね、よくね「放送禁止」っていうことを間違えるんですけども、
  だれも「放送禁止」っていうのは、例えばアメリカでもイギリスでも言わないんですよね。
  その放送局の判断なんだね。
  だから、例えば この放送局では放送禁止っていうことだけど、隣の放送局ではやってたりするんですよね。
  だからイギリスなんかは完璧にOKで、イギリスではNMEのチャートでは、これ1位になるわけですよね。
  じゃあ、その「they're going to crucify me」という、これがあるために宗教的にうるさい放送局では自主的に禁止したと、そういう話ですからね。
  その「これ放送禁止になったんだよアメリカでは」 そんなことないですから。
  日本でも、ほんとはそうなんですよ。
  はい、行きます。ビートルズの The Ballad of John and Yoko

  〜 The Beatles / The Ballad of John and Yoko
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Gxx-dOHias8 

  (小林)ビートルズの The Ballad of John and Yoko ジョンとヨーコのバラード、ていうか。
  これはジョンとヨーコが結婚するっていうことになって、どこでやるかって。
  いろいろ 珍道中をやるわけですよねw。
  どこへ行ってもうまく行かない。で、「オレを磔(はりつけ)にする気かよ」みたいな歌であります。
  これは有名です。
141ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2013/04/17(水) 20:07:06.16 ID:uiIYuti70
□ストーリー
 ・「あいつの名前、ポール・・・ポール・マッカートニーって言ったかな?。
  ギターも歌も、あんな上手いやつ うちの学校じゃ見たことないなあ。
  いや、学校だけじゃないよ、リバプール中の高校探したって きっといないよ。
  やっぱり、一緒にやらないか、って声をかけるべきかなあ…。チッ。
  だけど、そこまで上手いやつが、俺たちなんかと一緒に演奏するわけないか。
  ああ、それにしてもすごいやつだったな・・・。」
  
  これは1957年夏、まだリバプールのクォーリー・グラマースクールに通う高校生だった頃のジョン・レノンの心の中のつぶやきである。
  ジョンは前の週に、地元の教会主催のフェスティバル会場で出会ったある少年について、あれこれ考えていた。
  その少年の名は、ジェイムス・ポール・マッカートニー。
  ポールはジョンとその仲間たちのバンド=クォーリメンとは比べ物にならないほどの ギターの腕前とボーカルの表現力を持っていた。
  それに、甘いルックスも女の子たちの間で一気に評判となった。
  この時ジョンが考えたことは、ただ一つ「ポールを仲間に加えるか否か」
  この件に関してジョンは普段の気の短さからすると驚くべきことに、長い時間を費やして考えていた。
  なぜなら、これまでは間違いなく自分がクォーリメンのリーダーであり スターであった。
  しかし ポールを入れたら、間違いなく自分の地位は脅かされることになる。
  自分の地位を守るべきなのか、それとも純粋にミュージシャンとして、次のレベルを目指すべきか。
  真剣に考える 16歳の少年ジョン・レノンがそこにいた。
  
  そんな お祭りでの出会いから一週間後。
  自転車で、地元で近道となっていたアラートンのゴルフコースを走り抜けていたポールは、
  ジョンの親友でクォーリメンのメンバーでもあるピート・ショットンとバッタリ出くわした。
  そして、ピートはこう告げた。
  「やあポール、こないだはどうも。ところで、ジョンが君に会いたがってるんだけど」
  〜 The Beatles / Things We Said Today  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ev_XPaakW9Y

  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DhsLdoAnG6U
 
  (小林)お馴染みですね。
  改めて聴いていますが、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン。
  もちろんビートルズの1968年 While My Guitar Gently Weeps

  そして、その前は1964年のね、「A Hard Day's Night」の中から Things We Said Today 
□ストーリー(続き)
 ・「いやあ、ポール。こないだのお祭りの時にはどうも。
  歌もギターも、とっても良かったよ。
  ところで、うちのバンドのリーダーのジョンが君に会いたがっているんだけど」

  リバプールのウールトン地区にあるセント・ピータース教会主催のフェスティバルで、
  当時16歳の高校生ジョン・レノンと 15歳のポール・マッカートニーは運命の出会いを果たした。
  この出会いが、ロックの歴史 いや、世界の歴史を大きく変えることになるとは、まだ誰も想像などしていなかった。
  この運命の出会いから一週間後、ポールが地元で近道になっているゴルフコースを自転車で走っていた時、
  ジョンのバンド=クォーリメンのメンバーで、ジョンの悪友でもあるピート・ショットンとバッタリ出くわした。
  「ジョンが君に会いたがっているんだけど・・・」
  それは、ピートがつい 口に出してしまったセリフであった。

  もちろん、これは嘘ではない。
  しかし、ジョンはそれを心で思ってはいても、メンバーの前で そうしたいと公言していたわけではなかった。
  お山の大将として君臨していたジョンのつまらないプライドが、それを邪魔していたのである。
  
  当時をふり返って親友のピートはこう語っている。
  「僕らバンドのメンバーは、ジョンの才能を信じて疑っていなかった。
  たしかに、ギターのチューニングは出来ないし、歌詞は覚えなくて いつもデタラメだし、なにかっていうと お客をいじってケンカになるし。
  そりゃもう、どうしようもないやつなんだけど。
  それでもやっぱり、魅力があったよね。
  それで、僕は思ったんだ。ジョンはもっともっと上のレベルに上がって行くべきだって。
  でも、こんなメンバーじゃあ そんなの無理だってことも判っていた。
  そんな時、僕らの目の前にポールが現れたんだよ。
  これはもう、奇跡に近い。
  もちろん、リバプールなんて小さな町だし、いつかは会ってはいただろうね。
  でも、こんな田舎町で同じ時代に 二つの歴史的な才能が存在したことが、今でも信じられない奇跡だと思うんだよ。
  それだけは 間違いないね。」
144ジョン・キロックノン !ninj:2013/04/17(水) 20:13:13.54 ID:???0
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=sJ9J_aljiqY

  〜 Paul McCartney / Uncle Albert−Admiral Halsey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XsWufNDJl4M

  (小林)いかがですか? 曲が2曲続いてます。
  2曲続いたという感じより、もっとたくさんっていう感じがしますよねw。

  Uncle Albert−Admiral Halsey ていう、ポール・マッカートニーの。
  これは、アメリカで1971年1位になった曲でもあります。シングルカットされた。
  ポールの技ですよね。
  曲調を変えながら、歌い方を変えながら、物語りが進行していく、っていう。
  ポールの独特の世界です。

  で、その前は I Feel Fine。
  これも、イギリス、アメリカで、その昔w 1964年ナンバーワン。
  ジョン・レノンの声とポールの声、ちょっと比較した感じでしたね。
□ストーリー(続き)
 ・「こんなリバプールみたいな田舎町で、同じ時代に レノンとマッカートニーていう二つの歴史的な才能が存在し、 
  それが、出会ったってことが、今でも信じられない奇跡だと思うんだよ。
  それだけは間違いないね。」

  こう語るのは、ジョン・レノンの親友でバンド仲間でもあるピート・ショットン。
  ピートはジョンと同じクォーリーバンク・グラマースクールに通う同級生であり、いろんなやんちゃな事もする悪友でもあった。
  特に音楽的な才能に長けていたわけではないが、ジョンにとっては傍にいてくれれば安心する存在であったために 自然とバンドにも加わった。
  パートは洗濯板を使ったパーカッションである。

  そんなピートが、バンド時代をこう振り返っている。
  「僕はバンド活動には、それほど熱中はしていなかったんだ。
  まあ、ジョンが“いっしょにやろうぜ”って言うもんだからクォーリメンには入ったんだけど、
  自分には才能が無いことは 最初から分かっていたしね。
  ある日、メンバーが集まって高校生のくせに、昼間から酔っぱらって あるパーティで演奏していた時。
  突然ジョンが、僕が首から下げていた洗濯板を取り上げて、それを自分の頭に叩きつけて壊してしまったんだ。
  会場はみんな大爆笑さ。
  僕は少しビックリはしたけど、特に腹も立たなかったね。
  それで、“これを機会にバンドを辞めようと思ってる”ってことをジョンに告げたんだ。
  ジョンはすぐに納得した。
  ジョンもさすがに“こんなパーティ専門のスキッフルバンドを続けていてもしょうがない”ってことはよく分かっていたんだよね。
  そんな時に ポールが現れた。
  当然の流れで、ポールをバンドに迎え入れるってことになるかと思ったんだけど、事はなかなかすんなりとは運ばなかったね。
  二つの大きな才能は お互い まだ探り合い状態だってことだったと思うよ。おそらくね。」
  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aBHShZx16P4
 
  (小林)というわけで、ジョンとポールの運命の出会い。

  曲はビートルズ Hey Bulldog
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールアドレスは [email protected]
  もちろんFAXやハガキなんかでもいいんですけど。

  (千葉市中央区/男性)
  当時中学生になった私は、同級生のお姉さんからレコードを何枚か貸してもらったんですが、
  その中に「パイプス・オブ・ピース (PIPES OF PEACE)」がありました。
  その頃のポールに対してのイメージは、「マイケル・ジャクソンと一緒に歌っている人」程度だったんですが。
  アルバムの内容が素晴らしく 何度も聴いた結果ポールのことが大好きななったきっかけ とも言えるアルバムです。
  その後ビートルズを聴き始めて ポールのすごさを知るのですが。
   So Bad を聴くたびに、その頃のことを思い出します。

  (小林)
  では、その頃を思い出してください。
  何年前になりますかね。

  〜 Paul McCartney / So Bad
  ttp://www.youtube.com/watch?v=P4ys4auEDfY
  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=N5dD-Tm1I9c

  (小林)これは If I Needed Someone、ポール・マッカートニーの So Bad、そして If I Needed Someone。
  なんかちょっとメローな いい感じが続きましたね。
  こっちはジョージ・ハリスンです。

  (住所不明/女性)
  If I Needed Someone、かI need you。
                 (小林)やっぱりジョージ・ハリスンのファンなんですよ。あなたは ね。
  両方ともジョージは「My Sweet Lord 」「While My Guitar Gently Weeps 」だけではないよ、と
  「Don't Bother Me」とか「I Me Mine 」の言いたいことも分かります。
  こういうジョージの思いが、後にあのトラベリング・ウィルヴェリーズ(Traveling Wilburys)を結成したのではないでしょうか。
  (小林)
  やっぱり、ジョージ・ハリスンのファンとしての心境ですよね、これはね。
  愛情あふれる短いコメント、ありがとうございます。
  リクエストに応えました。
  (東京都/男性)
  克也さんこんばんは。アラ還をとっくに過ぎた者です。
  93歳の母はこの番組のファンで、私が忘れていたりしていると「あのラジオやってるんじゃない?」と言われてしまいます。
  克也さんのことも声で知っていて「この人ねえ、上手だよねえ」と言ってます。  (小林)w ありがとございます。
  ビートルズは高校生のころレコードを買っていました。
  初めてレコードを買ったのは中学生のころでしたが、レイ・チャールズの「I Can't Stop Loving You」でした。
  生まれて初めて、音楽を聴いて鳥肌が立った曲でした。
  ロック、R&Bが好きなんですが、今日は ラジオを点けるといつも流れていたエルビス・プレスリーの曲をお願いします。
  子供のころには分からなかったんですが、最近になって、この人の切ないほどの歌い方、歌の上手さに 惚れ惚れとしています。
  アメリカの女の子がエルビスの歌にしびれ、卒倒したというのも納得できる映像を見ました。
  私も若くて、もしもエルビスのライブにでも行っていたら、我を忘れていたことでしょう。
  いつも寝る前にエルビスの曲をかけて寝るのが習慣になりました。
  デビッド・ボウイ、プリンスのファンでしたが、今はエルビス・プレスリーです。
  そして人間エルビスも気の毒な面もありますが、きっと少年みたいな人だったんじゃないでしょうか。
  Steamroller Blues をお願いします。
  これはエルビス自身の歌でしょうか?  
  (小林)
  これねえ、ジェイムス・テイラー(James Taylor)のオリジナルなんですね。
  70年代から出た、今でも活躍しているシンガーソングライターのね。
  
  〜 Elvis Presley / Steamroller Blues
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1i6NawvrFGY
  (小林)
  エルビス・プレスリーのライブでね Steamroller Bluesをお送りしました。
  (江東区/女性)
  北山修さんが加藤和彦さんの残した音源から新曲を作ってるみたいですね。
  9日に渋谷公会堂に行きます。
                    (小林)もう9日は過ぎちゃいましたが、行かれたことと思います。
  ビートルズの真似。
  ジョンの残した音源から作った曲 Real Loveをお願いします。
  (小林)
  っていうことで、
  まあ、ちょっと分かんない方に、フォーククルセダーズのことはご存知ですかねえ。
  北山修、加藤和彦さんが亡くなって、北山修さんが 残した曲に仕上げをしてフォーククルセダーズとして出すんだと思いますけど。
  やっぱりこれ、ビートルズがね、ジョン・レノン亡き後やったのと同じことです、っていうことですよね。
  フォーククルセダーズも「帰ってきたヨッパライ」の最後の終わりのお経の時に「♪It's been a hard day's night〜」なんて
  「やっぱり俺たちはビートルズ・・・だよ」ってのをね 宣言していましたけどね。
  (小林)
  あなたのリクエストで。

  〜 The Beatles / Real Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=CqjQjz3nixY
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  
  ポール・マッカートニーが、ゴルフ場の中を 近道だから自転車で走っていたら、ピート・ショットンていうジョンの悪友に会った。
  ていうシーン。
  これは、いろんな本なんかに出ています。
  ピート・ショットンが語ったインタビューを基にしたものだと思いますけど。
  だから、ピート・ショットンが自転車に乗っていたらポール・マッカートニーに会った。
  主語が違ってたりする 物語りとか、場面の語り口なんですけども。
  みなさんもご存知かと思います。
  ロックの名シーン の一つですよね。
  「ジョンが会いたがってるよ」っていう。
  そこまで来ました。
  その後は、知ってるんだけども、どう展開するのか。
  
  それから、皆さんのリクエスト待っています。
  採用の方にはイシイの(略)
  メールは [email protected]
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年4月21日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月21日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  もうすぐね、もうすぐと言っても 2〜3ケ月経つと日本に来るわけですが。
  この日はですね、EMIの2スタで午後2時半から夜中の12時50分までビートルズはレコーディングをやっています。
  その内容は何かと言うと、「Taxman」という曲をやっているわけです。
  まず、リズム帯のレコーディングをやってね、そして曲のリハーサルをやるんです。
  これはどういうことかと言うと、当時のテープレコーダーは4トラックだったために、一気に録れる部分は、重ねて録るっていうんじゃなくて、
  一気に録れる部分は、バンドで「せーの」で生演奏で録っちゃったわけですね。
  だから、リハーサルをするわけです。
  で、Taxmanの11テイクを録っています。
  11も録ってるわけですよね、はい。
  で、この「Taxman」という歌は、税務署の人間に歌ってる曲なんですけども、ビートルズの曲というのは8割以上がだいたいラブソング。
  でも、ジョンは例えば「In My Life」という、ちょっと人生を振り返ったような歌、
  それから、「Revolver」では「Tomorrow Never Knows」というちょっとぶっ飛んだ感じの曲。
  でも、ジョージ・ハリスンは書いたこと無かったわけですよね。こういう「Taxman」ていう。
  この「Taxman」ていうのは、具体的な敵、税務署です。攻撃相手、これをテーマにしています。
  で、歌の歌詞も、聴くとですね「俺たちが稼ぐ9割は持っていく」みたいなこと 歌っています。
  それがちゃんとした立派な音楽になっています。
  これは立派な、ジョージ・ハリスンの出世作、と言うことができます。
  ビートルズはもう その頃大変な大金持ちであります。
  だからまあ、こういう風な曲が生まれたわけですね。
  で、今から47年前の今日、結果だいたいこんな所まで出来上がった というのが、幸いにも「Anthology 2」に入っていて。
  これを今日は聴いてもらおうと思います。
  いいですか?、これから聴くやつのギターソロは、ポールがこの後になってダビングしたやつですね。
  途中早口で「Anybody got a bit of money?」というジョンとポールがコーラスを付けている部分は、もちろん今日録音したやつであります。
  で、具体的には 落とされるわけですけども、アンソロジー2のバージョン。
  これが、まあ未完成の、ちょうど この日にだいたいこんな所までやった ていうことを知ることが出来る、貴重な・・・。
  やっぱビートルズは偉いよね、Anthology 2 にこの曲を収めてくれました。
  そのバージョンです。

  〜 The Beatles / Taxman(Anthology 2) 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=8jkbBa4NyJc 

  (小林)どうですか!
  ねえ、未完成みたいな感じだけども、ほんとうにビートルズの、ナマナマしさが伝わってくるでしょう? ねえ。
  さっきも言いましたけど、ジョンとポールのコーラスが突如入って来るじゃないですか「Anybody got a bit of money?.Anybody got a bit of money?」
  これは、税務署員のセリフをコーラスしているわけ。
  「だれか金持ってる人はいないかな?」って探してるっていうw
  これはまあ、落としたっていうのは正解ですよね。
  で、ポールのちょっと短いソロも、あれは後に録音したやつなんですけども、良いよねこれ、なかなかねえ。
  これを聴いて、また完成された「Taxman」を聴くと、とても、ああ、ビートルズの偉さが判ってきます。
□ストーリー
 ・「ジョンもさすがに、パーティー専門のスキッフルバンドを続けてもしょうがないってことは、よく分かっていたんだよね。
  そんな時にポールが現れた。
  当然の流れで、ポールをバンドに迎え入れるってことになるか と思ったんだけど、事はなかなかすんなりとは運ばなかったね。
  二つの大きな才能は、お互い まだ探り合い状態だった、てことなんだと思うよ、おそらくね。」
  
  これはジョン・レノンのリバプール時代の親友=ピート・ショットンの証言である。
  このピート・ショットンという人物は、
  ジョンがビートルズのリーダーとして世界的なスターになり、ロックの世界でトップのさらに天辺(てっぺん)にまで昇り詰めた後も親しく付き合っていた。
  つまり、生涯を通じての悪友だったのである。
  1957年7月6日、地元のセント・ピータース教会主催のフェスティバル会場で運命の出会いをした、ジョン・レノンとポール・マッカートニー。
  この二つの天才は、すぐに化学反応を見せたわけではなかった。
  どちらかと言えば ジョンが怯(ひる)んでいた。と言っても過言ではない。
  ポールのギターと歌のレベルが、あまりに高かったのである。
  ポールがギターで弾き語っているのを見て、ジョンは地元のアマチュアバンドマンの中で 初めて本格的なロックンロールが演奏できる少年と出くわした。
  そんな状況で、すぐに決断を求められても、この時まだ16歳のジョンにとって 無理な相談である。

  しかし、決断の時は比較的すぐに訪れた。
  教会のフェスティバルの翌週、自転車で近道を走っていたポールは、ピートと出くわした。
  ピートは声をかけた。
  「やあ!ポール。こないだは見事な歌とギター、どうもありがとう」
  「ああ、君はピートだったよね?、元気か?」
  「実はね、うちのバンドのリーダー。ほら、酔っぱらって歌っていたあいつだけど、君に会いたがってるんだ。
  今週、予定はどうかな?」

  化学反応が起こるまでに そう時間はかからなかったのである。
  〜 Elvis Presley / (Let Me Be Your) Teddy Bear
  ttp://www.youtube.com/watch?v=D-cYlpH4eSY

  〜 Everly Brothers / Bye Bye Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LRyrWN-fftE
 
  (小林)2曲 1957年の大ヒット曲が続きました。
  この2曲が大ヒットしてる頃、ジョンとポールが出会った ということです。
  
  最初のやつはエルビス・プレスリーの Teddy Bear という有名なヒット曲です。
  「もう君のテディベアになりたい」っていうww、歌詞は、もうほんとに今考えたらくだらないですけどもw
  みんな本気だったんだからね、十代はね。
  アメリカでもちろん1位、イギリスでは3位、

  そして、エバリー・ブラザーズ(Everly Brothers)の Bye Bye Love。
  これは、ビートルズがコーラスの面で特に影響を受けました。
  サイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)がこの曲ををカバーして、これもヒットしましたけど。
  エバリー・ブラザーズの方が、ちょっとロックフィーリングがあふれています。
  サイモンとガーファンクルはちょっと上手くて、哀愁ではサイモンとガーファンクルが勝っているかもわからない。
  Bye Bye Love。

  2曲お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・ジョンの親友で、バンド=クォーリメンのメンバーでもある ピートが切り出した。
  「やあ、ポール。こないだは見事な歌とギター、どうもありがとうね」
  するとポールが応えた。
  「ああ、たしか君はピートだったよね。元気かい?」
  すかさずピートがこう続けた。
  「実はねえ、うちのバンドのリーダーのジョン、ジョンってほら、酔っぱらって歌っていたあいつだけど。
  君に会いたがってるんだ。今週予定はどうかな?」

  実のところ、ジョンはピートに対して、ポールに会いたいとは話していなかった。
  しかし、あの教会での衝撃的な遭遇以来、この時16歳のジョン・レノンは、年下の少年ポール・マッカートニーの才能と魅力に心を奪われていた。
  この頃は、ジョンの仲間はだれも出来なかったギターのチューニングを瞬時にやってのけ、
  アメリカからやって来たティーンエイジャーのための音楽=ロックンロールのヒット曲の歌詞を完全に覚え、さらにはそれらを見事に弾き語りで再現してくれた。
  はっきり言って、ジョンの率いるザ・クォーリメンとはレベルが違ったのである。

  しかし、演奏のレベルが低いとは言っても、ポールはジョンの作り出す世界に興味を持った。  
  ジョンは歌詞を覚えられない代わりに、どんな時でも、すぐに歌詞を創り出すことが出来た。
  題材はなんでも良い。
  今日の天気のこと、友達や学校の先生のこと、あるいはその日演奏を見に来ている可愛い女の子のことなどなど、そのテーマは実に幅広かった。
  そのため、押さえられるギターのコードや歌える曲は少なかったが、毎回歌詞が違っていたので、観客はいつでもジョンの新曲を聴くことができた。
  このころはまだロックンロールのヒットレコードをコピーするに留まっていたポールは、このジョンの芸風には強く関心を持った。
  15歳の少年ながら、ポールは洞察力に長けていたので、すぐにジョンの才能を見抜いていたのである。
  そして、その才能が、自分には欠けているものであることを、ポール・マッカートニーはすでに認めていたのであった。
  〜 Paul McCartney / Too Many People
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JaEJmSz-uFs

  〜 John Lennon / How Do You Sleep? 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LNjTPZW7GCU

  (小林)これはジョン・レノンの How Do You Sleep?。
  「おまえ、どうやって眠るんだ?」っていう。
  これは、けっこうご存知の方は多いと思いますけど。

  1971年、もうビートルズが解散して一年とちょっと経ってて、ポールは「RAM」っていうアルバムを出して。
  その中に入っているのが Too Many People。ジョンの前に聴いた曲ですよね。
  かなりロックぽくて、ポールらしい良い曲ですよね。
  例えば、桑田佳祐は「このアルバムが一番好きだ」みたいなことを言ったとか言わなかったとか。

  で、ジョン・レノンは やっぱり対抗の意識があったんでしょうね。
  歌詞で2番にね、「ただ お前の良い曲は“yesterday”だけで、他はもう“just another day”で」つまり平凡なやつばっかりが続いて、
  「お前、よく眠れるなあ」w みたいな、悪口ですよこれ、ねえw。
  これ、何回も聴くんですよ、気が付いたとき。
  どういうことを、どういう風に思って、憎んでるのか、それとも、どんな気持ちでこの曲を書いたんだ? とかね。
  ジョンとポールの関係、今でも解かんないですよ、ちょっとね。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンの友達のピートっていうやつに声をかけられたんだけど。
  連中の通う学校=クォーリバンク・グラマースクールっていうのも 少し悪そうな感じがするしなあ。
  それにあの、ジョンってやつ、お祭りの時にビールとワインでベロンベロンになってたなあ。
  なんか、巻き込まれたらマズそうだよなあ。
  でも、バンドはやってみたいし・・・。どうしよう」

  この心のつぶやきは、15歳になって間もないジェームス・ポール・マッカートニー。
  この数年後にはビートルズの音楽的なリーダーとなり、世界中の青少年を魅了し、ロックの頂点に立つことになる人物ポール・マッカートニーである。
  
  地元の教会が主催する年中行事のフェスティバル会場での初対面から1週間。
  ジョンもポールも お互いが気になってしょうがなかった。
  声をかけたピート・ショットンは ジョンの親友であり、あくまでも付き合いでクォーリメンに参加していた。
  そのため、受け持つ楽器も、ほとんど練習のいらない「洗濯板パーカッション」。
  それも、上手くなってやろうなんて一度も思ったことが無かった。
  このジョンとは一番付き合いの長いピートは、ジョンの進むべき道を考え、彼なりに予測もしていた。
  それはざっとこんな感じのもの。

  「ジョンのバンド=クォーリメンは、このままでは“田舎町の下手くそバンド”で終わる。
  だけどジョンには、間違いなく曲を書き上げる才能がある。
  それに天性の声も持っている。
  しかし、ジョンはその素材をどうやったら完成型にまで持って行けるのか、その術(すべ)を知らない。
  それをサポートしてくれるのは、曲作りのパートナーなのか、マネージャーなのか、はたまたプロデューサー先生なのか。
  自分にはよく分からない。
  ただ、ポールって少年なら、必ずジョンの才能を開花させてくれるんじゃないだろうか?」

  ピートは直感的に そう思っていたのである。
  〜 The Beatles / One After 909(Anthology 1)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3HoQ72Ug_8k

  〜 The Beatles / Ticket To Ride
  ttp://www.youtube.com/watch?v=QuCOkyFpzts
 
  (小林)曲は 2曲続いています。
  One After 909 これは1963年に録音しているんですね。
  ジョンが作って あんまり気に入らなかったんでしょうかね。
  続いて出てくるアルバムには採用されないわけですよね。
  これは結局「Anthology 1」に入っていて、 One After 909。

  それから、これは「HELP!」のアルバムに入っていて、
  もう大ヒット曲です、イギリスでもアメリカでもナンバーワンです。
  Ticket To Ride 。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして必ずお送りしています。
  メールは [email protected]

  (新宿区/女性)
  克也さん誕生日おめでとうございます。  (小林)ああw、もう3週間以上経っちゃいましたよ。  
  私は番組のアドレスを確認しながら、ふと思ったんですが、ビートルズの綴りは「カブト虫」BEETLE のEをAに変えたと聴いたことがありますが。
  「ビート」BEAT もかけてるのかな?と、そんなことありませんか?
                      (小林)そうですそれは、もちろん かかってます。           
                          それと、も一つ大切なのは、ロック世代の前の「ビートニック」
                          つまり、あの頃は「ビートニック」って言ったんですが、
                          あるいは「ビートジェネレーション」って言ったんですが。
                          そのビートジェネレーション、新しい「新人類」みたいな感じですよね。
                          それもかけているんですよね。
  以前克也さんの番組でかけていた良い曲だなあと思った、ジョージ・ハリスンの「Only A Northern Song」をお願いします。
  たしか、高橋幸宏さんの推奨の曲とリクエストがあり、克也さんが「あまりかからないビートルズの名曲」とコメントされていました。
  日曜の夕方、ゆったりした時間の克也さんの声が聴けてうれしいです。
  (小林)
  ありがとうごさいます。あなたのリクエスト。

  〜 The Beatles / Only A Northern Song
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ADDlfOzpD60
  〜 斉藤和義 / Golden Slumbers
  ttp://nicoviewer.net/sm10039958

  (小林)斉藤和義のゴールデン・スランバーが流れました。

  (江東区/男性)
  私はもうまもなく社会人になって一年が経とうとしている者です。
  ちょうど去年の今頃から関東へ引っ越して来て、初めてこの番組のことを知りました。
  元々ビートルズの曲はメジャーな曲しか知らなかった私ですが、この番組をきっかけに最近は徐々にちょっとマニアックな曲も覚え始めています。
  新たに好きな曲が増えるきっかけは この番組であることが多いんですが、
  映画「ゴールデン・スランバー」で使われている斉藤和義さんの「Golden Slumbers」のカバーがきっかけで Golden Slumbersも好きになりました。
  
  (小林)
  ていうことで、あなたのリクエストに。
  ちょっと、面白かったですね。彼の味が出ていました。
  (焼津市/男性)
  まだ幼稚園の頃、従兄弟がファンだったため、ヘッドフォンで従兄弟が聴いたので私も聴かせてもらったのが始まり。
  これがビートルズとの出会いです。
  英語の歌を初めて聴いたときの衝撃は、まだ体の奥に残っています。
  従兄弟はビートルズの大ファンだったので、部屋に大きな四人のポスターを貼っていつも眺めていたそうです。
  前置きが長くなりましたが、ジョン・レノンの曲をジャネット・ケイが歌っています。
  この曲はジョンとは雰囲気も変わって「ラブだなあ。ラブってこんなんだなあ」と思える仕上がりだと思います。
  また、女性が歌うと感じも変わりますね。どうぞよろしく。

  〜 Janet Kay / Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=azGvVgcGAYs
  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=mPS1TFE0500(英語版TVアニメ)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ugTlbz6xyjE(PVアニメ)

  (柏市/女性)
  先日「モンキーズショー」の話しが出ていましたね。
  80年代の私が高校生のころ、夕方に再放送やっていたと思います。
  当時の私は番組見たさに部活を毎日サボって夢中で見ていました。
  たしか同じころ「アニメ・ザ・ビートルズ」も放送していたのを思い出しました。
  懐かしくてパソコンで調べたら、YouTubeにUPされていました。
  ジョンの声は伊武雅刀さんがされていたんですね。
                          (小林)彼はね ジョンが大好きだから。
  記憶に残っている Nowhere Manのアニメを探しながら、毎晩ちょっとずつ覗きに行っています。
  あのころYouTubeがあったら部活にも出られたんですけどねえ・・・。
  (小林)www
  どうもありがとう。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがですか?  

  ストーリーの方は、ビートルズのジョンとポールの出会い。
  このところお送りしていますが。
  古典のね 例えば時代劇だとか、イギリスなんかで言うとシェイクスピアなんかの古典に、名場面ってあるじゃないですか。
 このビートルズの話しの名場面を このところお送りしているわけですよね。
  二人の主人公の出会い、来週も期待して頂きたいと思います。
  
  それから、リクエストよろしく。
  今日もほんとに短いながらも内容の濃いリクエスト ほんとにありがとうございました。
  採用の方にはイシイの(略)
  楽しいリクエスト待っています。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年4月30日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月30日)
 ・1963年(今から50年前の今日)
  50年も昔ですよw。これはけっこう重要っていうか、有名な話しなんですよね、ビートルズファンにとっては。
  マネージャーのブライアンとジョン・レノンがスペインへ旅立つ。
  12日間のバケーション、男二人で、行っちゃった。それが50年前の今日。
  これはねえ、この頃のねえ ジョン・レノンはちょっと不安定だったのか、解かろうとしても なかなかどうしてこんな事をやったのか。
  まあ ビートルズとして、メチャクチャ売れ始めるわけですよね。
  で、3週間前の4月8日、ジョンとシンシアの間に息子が生まれる、結婚は秘密にされているわけですよ。
  ビートルズは もうほらアイドルグループだから。
  で、イギリスをツアーして周ったり、ラジオ番組の収録とか、いろいろ忙しい。
  リバプールにはなかなか戻れない。
  だから、出産には立ち会えなかった。
  で、名前は考えていたらしいんですが、名前も登記していない。
  ジュリアン・レノンになるわけですが、結局それを届け出たのは5月の2週目です。
  5月の2週目でしょ。でも、その息子がいるのにだよ、ねえ、お父さんはですね、ブライアンと・・・。
  ブライアンはあれですからね、「ホモセクシュアルの人」だったわけですよね。
  ほんとにまあ この年はビートルズの「Please Please Me」が1位になって、もう超多忙が続いていたけど、12日間の・・・。
  そんな中12日間、だから「ブライアンとジョンはデキてる」っていう話しが、業界で持ちきりになっちゃうわけですよね。
  でもまあ、ジョンにはその気が無い ということが分かって・・・。
  まあジョンは「いや 一回だけ、スペインに行った時、同じベッドで寝た」という発言があったりするわけですけどw。
  結局それが、ちょっと祟ったりするわけですね。
  で、ブライアンの方は「ジョンがダメなら 次は新しい…」っていう(ことで)、イケメンのビリー・J・クレイマー(Billy J Kramer)。
  ビリー・J・クレイマーはミュージシャンで、ジョージ・マーティンがプロデューサーがですね 「このグループはダメですよ」って。
  「いや、いや、いや!」でゴリ押しで、ジョージ・マーティンにプロデュースをさせて、ビートルズのカバー曲で3月にデビューして、
  結局イギリスで2位の大ヒットになるわけですね。
  ジョージ・マーティンはなかなかうるさい男ですが、まあビートルズも半分気に入らなかったわけですよね。
  これなんかもう、ホントにゴリ押しの結果なんですけども、結果としてはヒット曲になっている。
  これを改めて聴いていただきます。
  
  〜 Billy J Kramer and the Dakotas / Do You Want To Know A Secret  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=myBIK4LmBts

  (小林)
  ダコタスというイストゥメンタルのグループだったらしいんですが。
  それに、添え物のようにw マネージャーのブライアンが気に入ったビリー・J・クレイマーをw 加えて出した曲w。
  これがヒットするんですからねえw。
>>166 訂正します。
今回の放送は 4月28日分でした。
カレンダーも 1963年4月28日 の内容です。
□ストーリー
 ・「ジョンのバンド=クォーリメンは、このままでは“田舎のヘタクソバンド”で終わる。
  だけど、ジョンには間違いなく曲を書き上げる才能がある。
  それに、天性の声も持っている。
  だけど、ジョンは上手くやる術(すべ)を知らない。
  それをサポートしてくれるのは、曲作りにおけるパートナーなのか、マネージャーなのか、はたまたプロデューサー先生なのか。
  自分にはよく分からない。
  ただ、ポールっていう少年なら、必ずジョンの才能を開花させてくれるんじゃないだろうか?」

  こう思っていたのはジョン・レノンの親友、いや悪友のピート・ショットン。
  お山の大将タイプだったジョンは、常にこのピートを始めとする取り巻きを従えて闊歩していた。
  しかしその威厳は、リバプールの地元であるエリアに限られたもの。
  ふたを開けてみると、彼らは単なる田舎の港町の高校生で結成されたヘタなバンド。
  しかし、ピートは直感的に思った。
  「先週のお祭りで会ったあのポールが ジョンと組んでくれたら、それは間違いなく本物のロックバンドになる」
  さらに考えていたのは、メンバーチェンジ。
  ピートは自分を始めとする「やる気も才能もないメンバーは さっさと新しいメンバーと交代すべきじゃないかな?」とジョンに提案した。
  実際、このひと言が無ければ ジョンはポールに会おうとは思わなかったかもしれない。

  二人はあまりに タイプが違ったのである。  
  いつも感じが悪く、辛辣なくらいモノをはっきり述べ、いかなる権力や制限とも戦おうとするジョン。
  一方のポールは、愛らしいルックスで礼儀正しく、誰とでも不協和音を立てないように努力するタイプ。
  そして、何より違うところは、ライブに受け取るお金に対する姿勢であった。
  いくらもらったかも、すぐに忘れてしまうジョンに対し、スタッフの取り分にまで口を出すポール。
  彼は典型的な「しまり屋」だったのである。
  〜 The Beatles / Obladi Oblada
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Fj6ajN-iF4g

  〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PFwaf1uXtUM
 
  (小林)ビートルズの Obladi Oblada。
  ポールですね。1968年。
  あまりにも有名な。

  それから You Never Give Me Your Money、「お前は、金を おれに払わない」てのは、これは。
  先週ジョージ・ハリスンの「Taxman」って、税務署員に対しての歌があったじゃないですか。
  こっちは、ビートルズ ブライアン亡き後、後半、ローリングストーンズのマネージャーだったアラン・クライン(Allen Klein)ていう人がマネージをすることになるんですが。
  そのマネージャーに対して、ポールは反対だったんだよね。反対の歌。
  だけど、偉いのは、彼に宛てて、悪徳マネージャーみたいな感じで歌ってるんだけど、人生の面白い歌にしちゃうところが ポールの偉さですね。
□ストーリー(続き)
 ・ロックの歴史上 最も成功したと言われているソングライターチーム、それは間違いなくジョン・レノンとポール・マッカートニーの二人。
  この二人は 元々の性格がまるで違っていた。
  常に敵対心むき出しのジョンに対し、笑顔を絶やさず友好的なポール。
  そして何よりも違う所は、ライブで受け取るお金に対する姿勢であった。
  いくら貰ったかも、すぐに忘れてしまうジョンに対し、スタッフの取り分にまで口を出すポール。
  彼は典型的な「しまり屋」だったのである。
  
  ジョンのバンド=ザ・クォーリメンがメンバーチェンジをすることになり、ついにポールが加入する動きとなった。
  ギターもボーカルもピカイチのポールである。
  加入してすぐのミーティングで、ポールはギャラの配分についての考えを述べた。
  「バンドに入れてもらって すぐにこういう事を言うのは生意気かもしれないけど、みんなちゃんと聞いて欲しいんだ。
  マネージャーのナイジェルは、確かに良くやってくれている。
  でもギャラの配分が メンバーと同じ金額っていうのは 見直すべきだと思うんだ。
  だって、演奏するにはお金がかかるじゃないか。
  ギターの弦や、ドラムスのヘッドを換えたり、衣装だって直したりすることもある。
  だから、マネージャーのナイジェルには、チラシを作ったりする経費を認める代わりに、ギャラを減らさしてもらう。
  ていうことでは、どうだろう?」
  
  メンバーは 少し言葉を失ってしまった。
  ポールのそのキュートなルックスとは裏腹に、発言する内容は 優秀なビジネスマン、いやマネージャーそのものだったからである。
  そしてこの瞬間、いろいろな意味で、ポールはクォーリメンのリーダー的存在となった。
  歌も上手く、演奏力があり、ビジネス的センスも長けている、となれば、誰もポールを悪く言うことはできなかった。
  こうしてギャラの配分に関してのポールの提案は 満場一致で可決。
  しかし、どこかしっくり来ない表情を隠していたのが ジョン・レノンだったのである。
  〜 The Beatles / I Am The Walrus
  ttp://www.youtube.com/watch?v=_1-H7BIg80E

  〜 The Beatles / Lovely Rita
  ttp://www.youtube.com/watch?v=r2kCpkyKdCg

  (小林)いずれも1967年。
  ジョン・レノンの代表的な Iam the wallus という曲とね。
  これは、その前のアルバムですよね「サージェントペパーズ(Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band)」Lovely Rita。
□ストーリー(続き)
 ・「マネージャーのナイジェルは、確かに良くやってくれている。
  でも、ギャラの配分がメンバーと同じ金額っていうのは、見直すべきだと思うんだ。
  だって、演奏するにはお金がかかるじゃないか。
  ギターの弦やドラムのヘッドを換えたり、衣装だって直したりすることもある。
  だから、マネージャーのナイジェルには必要経費を認める代わりに、ギャラを減らさせてもらう。
  てことで どうだろう?」
  
  この、まるでビジネスマンのようなしっかりとした発言の主は、当時まだ15歳になって間もないジェームス・ポール・マッカートニー。
  この数年後には ビートルズの音楽的なリーダーとなり、世界中の青少年を魅了し、ロックの頂点に立つことになる人物=ポール・マッカートニーである。
  お金に対してシビアーなポールと、あまりにドンブリ勘定のジョン。
  このまるで正反対な二人に、一つ共通していたもの、それはギターに賭ける情熱だった。
  ジョンのバンド=クォーリメンにポールが正式に加入して以来、二人は一緒に 何時間も練習するようになった。
  たいていは、ポールの家が練習スタジオとなる。
  元々は怠け者のジョンも、今度は本気であった。
  左利きのポールと向かい合うと、ちょうど鏡に向かっているのと同じことになり、ジョンには都合が良かった。
  ポールの教えてくれるギターコードを 早く覚えようと、近眼のジョンは普段なら嫌っているメガネをかけ、
  ポールと真剣かつ有意義な時間を過ごした。
  いつも、午後1時くらいから日が暮れるまで行われるこの練習には、やはりロックが好きなポールの弟=マイケルも加わったりした。
  
  このマッカートニー兄弟の音楽への情熱であるが、一説には、この一年前に、最愛の母メアリーを乳癌のために亡くしたことが大きな要因とも言われている。
  ポールもマイケルも、その悲しさから立ち直るために、ギターに没頭したのである。
  〜 The Beatles / And I Love Her
  ttp://www.youtube.com/watch?v=SAhB4U7bGyc

  〜 The Beatles / Two Of Us
  ttp://www.youtube.com/watch?v=cfiE_5O9Dn0

  (小林)1970年、アルバムは「Let It Be」。
  Two Of Us お馴染みでしょう。

  その前は、こんどは64年ですからね「Hard Day's Night」に入っています。
  僕は昔は これ引かかっていましたね。
  And で始まるんですよね、タイトルがね。
  And I Love Her で 聴いてみて「う〜ん、その気持ちはよーく分かる」って思ったもんです。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (江戸川区/男性)
  ロックンロールといえば「キャロル」。「キャロル」といえばロックンロール。 (小林)w
  あの、歯切れの良いサウンドの「グッド・オールド・ロックンロール」お願いします。
  キャロル大好きおじさんより。
  (小林)
  (あなたの)名前がけっこう響きがいい、ロックぽいよねw。

  〜 キャロル / グッド・オールド・ロックンロール
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fMI69ykD5DI

  〜 The Beatles / Lady Madonna
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VfthrizXKOM 

  (小林)Lady Madonna。その前は、キャロル。
  キャロルはジョニー大倉?ジョニー大倉がリードボーカル。
  永ちゃんは違ってた。永ちゃんの声は わずかに聴こえておりましたね。
  いやあ、面白いグループだったよ。
  やっぱり聴くと、ビートルズの影響相当受けてるってのが分かりますね。
  矢沢永吉は「ビートルズの曲は、おれは全部知ってるんだ。ただ、タイトルと曲が結びつかないんだ」っていうのを。
  僕の前で言ってたのを思い出しました。
  (北海道中川郡/男性)
  北海道十勝池田町からラジコで聴いております。
  今、うちのラジコはなぜか東京エリアになっています。
  そちらにはビートルズの専門番組があるんですねえ。
  一度聴いて大好きになりました。
  いつまで入るか分かりませんが、パソコンで聴いていますね。
  
  (小林)
  まあ、あと携帯電話でも聴くことができるし。
  いろいろ工夫して、全国にこの番組を聴いてくださっている方たちがおります。
  リクエストなんかも下さい。よろしく、お願いします。
  (つくば市/男性)
  私のビートルズは、「アビーロードから始まる」です。
  当時高校生、仙人みたいな外人が写っている・・・      (小林)仙人みたいな外人ねww
  仙人みたいな外人が写っているジャケットに惹かれて。
  レコード、CDではありません。
  レコードを買ったのがきっかけです。
  「ジ、ジ、ジ、ジ、プツン、プツン」という音のあとに流れるクラシック色調の曲に惹かれて 声を出して歌いました。
  そのあとはもう「英語の勉強、英語の勉強」と言いわけして、毎日歌っていました。
  衝撃的でした。
  ところで、ビートルズの最高傑作は「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 」と言われています。
  克也さん、どう思います?
  「アビーロード」の後に 同じオーディオ、アンプは山水、スピーカーはJBL、  (小林)やりますねえw。
  同じオーディオで聴いたんですが、がっかりでした。             (小林)へえ…。
  「サージェントペパー」は曲のバランスは良いことは判りますが、感動しない。
  ビートルズが「曲作りに慣れた」って感じでしたねえ。
  (小林)
  どうでしょう?。「サージェント・ペパー」はアルバムとして やっぱり評価されてるんですよね。アルバムとして。
  やっぱり、シングルとアルバムていうのは ちょっとコンセプトが違うじゃないですか。
  で「サージェント・ペパー」のこのアルバムっていうのは、「最初のコンセプトアルバム」とか「トータルアルバム」と言われたりしてて。
  けっこうね、バラエティがあふれてて、そういうのがちょっと あなたは嫌いだったんじゃないかと思うんですけどもね。
  「克也さん。克也さんにとって最高のビートルズ曲を聞かせていただけませんか?」
  僕は、前にも言ったと思いますが、いろんな 年によって、好きだった曲が、また新しい発見みたいなのがあったりして、
  曲がちょくちょく変わったりするんですけども。、
  常に、この曲を聴いたら「あっ、すっごいな、やっぱり」って思う曲があります。
  それが、これです。
  
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AW-h8OPkGO4
  〜 The Beatles / Let it be
  ttp://www.youtube.com/watch?v=v1SbuZcTZdM

  (小林)この Let it be 名曲。
  シングルバージョンとアルバムバージョンがあるんですが、シングルの方で聴いていただきました。
  
  (千葉市/男性)
  毎週日曜日の6時から、風呂に入りながら拝聴しています。  (小林)いいねえw。
  私のビートルズとの出会いは、11歳の時。
  兄が「青盤」をよく聴いて、Let it beの歌詞が小学生の私には「エルピー」に聴こえ、耳に残って仕方ありませんでした。 (小林)エルピー
  兄の留守の日に、兄に黙って青盤を聴いていると、兄が帰ってきて、ひどく怒られた記憶があります。
  今では ビートルズは私の人生のバイブルです。
  40年経った今でも、営業車の中で毎日聴いています。
  リクエストは、もちろん「レット・イット・ビー」をお願いします。
  51歳の私が 毎週欠かさず聴いているのは「ビートルズから始まる」だけです。
  どうか、永遠に続けてください。
  (小林)w
  ありがとうございます。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
  
  リクエスト ほんとうに、ありがたいですね。ありがとうございます。
  心の深い部分に ちょこっと触るようなw、ねえ、なかなかセンスのあるリクエスト、よろしくお願いしますよ。
  採用の方には、イシイの(略)
  メールは [email protected]
   
  一方、ポールとジョンが出会って。
  ギターがあんまり上手くなかったジョンも、ポールと一緒になって猛特訓。  
  そこら辺まで 来ております。
  話しはますます面白くなって行きます。
  これからですよ。ねえ。
  だけど、名場面のところっていうのはねえ、ほんとに面白いですよ。何回聴いても。
  何回聴いても 面白いからね。  
  これが、やっぱり名場面 ていうわけですよね。
  
  というわけで、また来週お会いしましょう。
  小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年5月5日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月5日)
 ・1960年(今から53年前の今日)
  区切りのいい年です。
  “バンドの名前が「シルヴァー・ビートルズ(The Silver Beatles)」になった”、とあります。
  ただこれは、“ほぼこの頃である”ていう注意書きが付いているんで、正確に53年前の今日っていうことではなくて。
  この頃名前が…、これもねえ、そうとう名前は変わり続けたわけですよね。
  1957年当時の「クォーリメン(The Quarrymen)」に始まって。
  甚(はなは)だしいのは「ジョニー&ムーンドッグス(Johnny and the Moondogs)」ていう。
  けっこうアメリカのロックぽい ロックンロールぽい、「なんか、面白い名前だねえ」ていう。
  だけど、これもダメなわけですよね。
  で、とりあえず“今から53年前の今ごろ「シルバー・ビートルズ」と名乗り始めた”とありますねえ。
  で、この頃はね、ドラマーが代わっていて、トミー・ムーアていう人が1ヶ月ドラマーをやっていた。
  その前の、ノーマン・チャップマンていうドラマーは、兵隊に行っちゃった、ていうw。
  で、マネージャーはアラン・ウィリアムス。
  ここの所、クォーリメンの頃のマネージャーの話しをしていますよね。
  ナイジェルっていう、ポール・マッカートニーが入るころはナイジェルっていう男が、一応マネージャーらしきことをやっていた。
  だからまあ、いろいろ代わっていた、ということです。
  で、「シルヴァー・ビートルズ」、初めて「ビートルズ」という名前が使われるわけだけども。
  ジョンの回想によると、夢の中で「お前たちは、ビートルだ。カブト虫だ。ビートを持った」 ね、「ビートを持ったカブト虫だ」と告げられた。
  という風なことを、ジョンが言ってるわけですけども。
  ジョンの親友の、スチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)が・・・「バディ・ホリー&クリケッツ(Buddy Holly & The Crickets)」
  「クリケッツ」ていうと「コオロギ」ですからねえw。
  「ああいう、昆虫の名前がいいんじゃない?」ていうことで「カブト虫」になったとか。
  いろいろ これもねえ、ほんとに正確なところは判っておりません。
  ただ、今から53年前の今ごろは「シルヴァー・ビートルズ」だった、ていうことで。

  さあ、それじゃあ、この頃の録音と思われる 貴重な音源を聴いていただきます。
  音は悪いよ。
  ポール・マッカートニーがね(インタビューで)「テープレコーダーを借りて、いろいろ使ったりした」っていう話しをしてくれています。
  その後、エディ・コクラン(Eddie Cochran)経由で、レイ・チャールズ(Ray Charles)の有名な曲なんだけど、それをビートルズがカバーしています。
  どうぞ。

  〜 The Beatles / Hallelujah, I Love Her So
  ttps://www.youtube.com/watch?v=KuTbOAUpWCQ

  (小林)いや、あははw。これはw どうですか?
  ビートルズだから みんな聴いてくれているよねw1分以上ねw。こんな悪い音源。だけど、ありがたい感じがしたね。
  レイ・チャールズが歌って、エディ・コクランもやったみたいですね。
  ビートルズのバージョンです。 Hallelujah, I Love Her So ていう曲をお送りしました。
□ストーリー
 ・「マネージャーのナイジェルは、確かに良くやってくれている。
  でも、ギャラの配分がメンバーと同じ金額っていうのは 見直すべきだと思うんだ。
  だって、演奏するには お金がかかるじゃないか。
  ギターの弦を張り替えたり、ドラムスのヘッドを替えたり、衣装だって直したりするすることもある。
  だから、マネージャーのナイジェルには必要経費を認める代わりに、ギャラを減らさせてもらう。
  ていうことで、どうだろう?」

  これは1957年の夏、ジョン・レノン率いるザ・クォーリメンに加入した当時の、ポール・マッカートニーのバンドのミーティングの席での発言。
  まるで若いビジネスマンのようなポールの言葉であるが、
  これが、ビートルズ解散に至るまで、バンド内にいろいろな確執をもたらすことは、まだ誰も想定していない。
  ビートルズを良く知る人間にとっては、ポールが当たり前の常識的な感覚を持っていただけで、ジョンがあまりにもドンブリ勘定だった、ということにもなる。
  いずれにせよ、音楽的にもすでに卓越した才能と技術を持っていたポールは、バンド内にいろいろな新しいものをもたらした。
  その一つが「練習する」という概念。

  それまでのクォーリメンは、ギターのチューニングもせず、押さえられるのは簡単なバンジョースタイルのものだけ。
  リズムトレーニングなんてしたこともなく、ほとんどはジョンの気まぐれでリハーサルの時間が決まっていた。
  ダンスパーティやお祭りなどで演奏してギャラをもらっても、反省会なんてしたこともなかった。
  しかし、ジョンは2つ年下のポールが、明らかに自分以上の才能と技術を持つことに、かなりのショックを受けた。
  もちろん、ポールからいろんなものを吸収しようとも決心した。

  そしてポールは
  「ねえ、ジョン。僕らはもっと練習が必要だよ。
  バンド全員が揃うのは無理だとしても、僕と君だけでも練習しようと思うんだけど、どうかな?」
  と提案した。
  もちろん、ジョンが「OK、わかった。練習しよう」と答えたことは、言うまでもない。
  〜 John Lennon / Sweet Little Sixteen
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HrnDRzQ6dro

  〜 The Beatles / Long Tall Sally (Anthology 1)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=4IuCKie0TUQ
 
  (小林)ビートルズの Long Tall Sally
  これはエネルギーが入ってるでしょう。
  ねえ、こんなパワーがあるグループだったんですよね、すっごいでしょ。
  「アンソロジー1」に入っています。
  ポールは、Long Tall Sally は、リトル・リチャード(Little Richard)という黒人のロックンローラーの声が上手かったんで、
  もうそれを、なんていうんですかね、それを上回るようなすごい感じですよね。

  で、その前はこれは Sweet Little Sixteen、チャック・ベリー(Chuck Berry)の名作なんですよ。
  で、それをジョン・レノンが「ロックンロール」のアルバムでカバーしてるんですけども。
  この Sweet Little Sixteenてのは、そのまま、これを下敷きにして、ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)が「サーフィン・U S A 」ていう、
  これはもうほんとに そのままの感じになるんですよね。
  だけど、それをビーチ・ボーイズ臭さだとか そういうのを、オリジナル臭さを消すために、フィル・スペクターといっしょに、
  ♪ダ〜 ララララン♪ていう あの、ブラスのフレーズが入ってたから、ぜんぜん違う感じに聴こえたかもわかりません。
  ただ、あのフレーズは、なんかちょっと 邪魔だった感じ、しないですか?w
□ストーリー(続き)
 ・「ねえ、ジョン。僕らはもっと練習が必要だよ。
  バンド全員が揃うのは無理だとしてもさあ、僕と君だけでも練習しようと思うんだけど、どうかな?」
  ポールが提案した。
  「OK、わかった。練習しよう。」
  と応えたのは、当時17歳のジョン。
  ここから数年経ってビートルズの中心メンバーとして、ロックの世界の頂点も頂点、そのまた一番の天辺に君臨することになるジョン・レノンと
  その相方 ポール・マッカートニーの高校生時代のやりとりである。

  それまでのジョンは、俗に言う「練習嫌い」であった。
  ギターを弾いていても、すぐに歌っている曲から脱線して 歌詞を勝手に作り変えて満足していたのある。
  もちろん、この想像力こそが ジョンの真骨頂であり、最大の武器であった。
  ただ、いかんせんその才能を世の中に広く知らしめるためには、演奏上の最低限のスキルが必要であることは、どうしようもない事実である。
  これを高校生のジョンは すでに理解していた。
  しかし、どうしたらそのスキルをアップすることが出来るか、ずっと分からない状態であった。
  つまり、ポールとの出会いは、その難題をクリア出来る最高のきっかけ、つまり「渡りに船」だったのである。

  音楽の世界に限らず、技を磨くために最も必要なことは「良い練習方法を見つける」ということ。
  ジョンにとってのポールは、その「練習方法を教えてくれる最高の先生」であった。
  さらに都合の良いことがあった。
  それは、ポールが左利きであること。
  つまり、ポールとギターを持って向かい合って座ると、左利きのポールはジョンにとって、鏡に向かっているのと同じ。
  ポールがギターのどのポジションを押さえているのか 一目瞭然である。
  もちろん、自分よりギターのコードを多く知っているポールは、先生としては最高であった。
  ギターの腕が良いだけではない。ロックのヒット曲をたくさん覚えていて、歌詞も完璧に歌うことが出来た。
  少し悔しいことではあるが、その全てが自分に欠けていることであることを、ジョンは理解していたのである。
  〜 The Beatles / Got To Get You Into My Life
  ttp://www.youtube.com/watch?v=mqwxn8DzER8

  〜 The Beatles / She's Leaving Home
  ttp://www.youtube.com/watch?v=uo2KPacj7qs

  (小林)2曲続きました。
  いずれも、ジョン・レノンは絶対やらなかった であろう世界です。
  ポール・マッカートニー独特の世界。
  1966年はアルバムの「リボルバー(Revolver)」Got To Get You Into My Life 。

  そして、今の曲は「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の中から She's Leaving Home
□ストーリー(続き)
 ・最高のギターの先生であり、ロックの最高のパートナー。
  つまりポール・マッカートニーという仲間と出会ったジョンの毎日は、最高のロックンロールで満たされていた。

  しかし、ジョン以外のクォーリメンのメンバーたちは あまりポールを好きではなかった。
  「やつは、ちょっと偉そうだったよね」と語るのは、元はバンドのベースであり、1957年の夏の時点ではマネージャーであったナイジェル・ウォーリー。
  ナイジェルはポールについて さらに続けた。
  「彼はグループに入ってすぐ、僕がもらっているギャラのことで文句を言い出してね。
  『ナイジェルは特に何もやってないんだから、もらいすぎじゃないか?』って言うんだよ。
  ポールはいつもニコニコしているけど、その裏では陰険な事もできるんだよ。
  よく、ドラマーのコリンのことを悪く言ってたよ。
  それもやはり本人の前じゃなくて、裏でコソコソ言うんだよ。
  もちろん、問題はポールの望むドラムプレイができないコリンの方にあったんだけど。」
  
  この件に関して、当時のドラマー=コリン・ハントンも証言している。
  「ポールはいつも、一方的に指図してきたよね。
  とにかく、音楽に熱心だったことは分かるけど。
  アマチュアの高校生バンドだったクォーリメンにとって、彼の熱意は少し重く感じられるようになって行ったんだ。
  実際、ポールは見よう見まねでドラムもプレイ出来たんで、実際に自分でドラムを敲いて僕に説明することもあったね。
  これに対して、ジョンはまったくもって いいかげんだった。
  ポールがドラムスのアレンジをジョンに相談すると『あー、いいんじゃないの? コリンの好きにやらせれば?』って感じだった。
  それに、自分がバンドに入れてもらったのは、ドラムセットを持っていたから、ってことぐらいは、俺は理解していたんだよ。
  楽しむために演奏していたしね。
  でもそれが、すでにプロの目線だったポールには、妥協できなかったんだと思うよ。」
  〜 The Beatles / Martha My Dear
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AwGUyVXFp-s

  〜 Paul McCartney & Wings / My Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eKuFyHwG188

  (小林)というわけで、音楽の方はポール・マッカートニーの世界が続いております。
  Martha My Dear、これは1968年ビートルズの「ホワイトアルバム(The Beatles)」に入っているやつです。

  そして独立してから、っていうか、ソロになって、これは「レッド・ローズ・スピードウェイ(Red Rose Speedway)」のアルバム。
  1973年、アメリカでもちろん1位。
  これは、イギリスで、面白いことに9位 ていう。
  イギリスはおそらく、グラムロックとかそういう風な時代になってて、こんなきれいなメロディの・・・。
  やっぱり ポール・マッカートニーは、すーごい良いメロディの曲を書くんですが。
  こういうのが、やっぱり時代によっては、ちょっと受け入れられないっていう。
  面白いですよね、アメリカで1位、イギリスで9位です。
  ポール・マッカートニーとウィングスの My Love。
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (神奈川県逗子市/男性)
  毎週ワクワクしながら聴いている年季の入ったビートルズファンです。   (小林)年季の入ったビートルズファン?。
  まず、私の母の話しを。
  1966年の日本公演、家族全員でテレビを囲んで見ていました。
  普段 私ら中高生の子供たちが彼らのレコードを聴いているので 彼らのことは母も知っているんですが、特別な感想は聴いたことがありませんでした。
  が、ポールが イエスタデイを目をパチクリしながら歌い終わった時、母がポツリと「いい曲ねえ。ポールちゃん可愛いし。レコード買ってきてよ!」
  この夜ビートルズは 我が家の市民権を獲得したわけですねえ。
  当時母は44歳、今ならそれほど珍しいことでもないでしょうが、あの時代の母親としてはだいぶ異質だったようです。
  もちろん、レコードが発売されるとすぐに買ってきてあげました。
  目をキラキラさせて聴いている母親は、まるで恋する乙女のようでした。
  まさに遠いイエスタデイの思い出です。
  そんな母の7回忌を6月にやりますので、弟や妹とも この話題で母を偲ぶことになりそうです。
  そして 私もすでに64歳。そうです When I'm Sixty Four というわけです。
  リクエストですが、この2曲ではありません。
  携帯の目覚ましに使いたいと思っている曲がありますので そちらをお願いします。
  平日は「サージェント・ペパー」のアルバムに入っている「Good Morning Good Morning」で元気で騒がしい朝を。
  週末は 天気の良い休日にふさわしい「Good Day Sunshine」で目覚めるなんて 素敵でしょう?
  どちらも元気が出る素晴らしい曲だと思います
  どちらでも構いません、ぜひこの番組で聴かせてください。
  私の知らない四人のエピソードを楽しみにしています。
  (小林)
  というわけで、あなたのリクエスト。

  〜 The Beatles / Good Morning Good Morning
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OMu2YDuDtp4
  〜 The Rutles / Cheese And Onions
  ttps://www.youtube.com/watch?v=lGd6dR3ypBk

  (小林)いかがですか?
  これが、ラトルズが かかったんです。

  (袖ヶ浦市/男性)
  ビートルズのパロディバンドは数あれど、知名度完成度において最も秀い出ていると思われる「ラトルズ」をリクエスト。
  ラトルズのアルバムが初めてCD化された時、カセットテープにダビングして ビートルズ好きな友人にプレゼントしたんですが。
  彼らの演奏が気持ち悪かったようで(w)受け取ってもらえなかった、悲しい思い出があります。
  個人的には、最高のパロディだ と今でも思っているんですが、克也さんどうですか?

  (小林)
  いかにもラトルズ、の良さっていうのは・・・今のはジョン・レノンらしいじゃないですか。
  で、モノマネなんだけど ただのモノマネじゃないんですよね。
  「ビートルズだったら いかにもこんな曲をやるだろう」という オリジナルをやるっていうところが、やっぱりモノマネじゃないんですよ。
  だから、ビートルズのモノマネバンドとね パロディバンド。パロディもまあそれぞれの解釈があると思いますが。
  ここらへんが、「ちょっと、一ひねり効いてる」っていうのがラトルズですよね。
  ただ単なるモノマネってのはあるんですよ。
  例えばね、日本で、若い人たちは知らないと思うけど。
  タモリっていう人は、モノマネが上手い。
  ただのモノマネじゃなくて、寺山修二とかね、野坂昭如とか ああいうインテリの人をモノマネするんだけども。
  いかにも彼らが言いそうなことを、本当のオピニオンとして言うんですよ。
  そうすると もうモノマネじゃないんですよね。
  立派なパロディになっちゃうんですよね。
  そういうところじゃないでしょうかね、ラトルズは。
  (習志野市/女性)
  先日、舞浜アンフィシアターで行われた「WANNA BE 祭-なりきりビートルズ!ヤァ!ヤァ!ヤァ!」というイベントに参加しました。
  THE FAB FOURというビートルズのトリビュートバンドをご存知ですか?
  ロサンゼルスタイムスに「世界一のビートルズバンド」と賞賛されるほどのバンドなんですが。
  このたび、このイベントのために来日したんだそうです。
  彼らのショーは本当に鳥肌が立ちました。
  ビートルズのメンバーの動きまで本当に意識されていて、ポールがちょっと首を振りながら歌う感じ「すごく似てるなあ」て感動しました。
  歌ももちろん上手くて、演奏もすべて生です。ジョージのソロも素敵でした。
  テーマが「なりきり」なので、私たち観客もビートルズが武道館をやった時のお客みたいに 思いっきりはじけて楽しんじゃいました。
  叫びまくって、本当にその時代に戻ったかのようで。初期 中期 後期の曲を2時間楽しみました。
  あっという間でした。
  そう言えば、エド・サリバンのなりきりまでいたんです。動きがいちいち面白くて最高でした。
  最後の「Hey Jude」の合唱も良かったけど、あれからなぜか「She's a Woman」頭から離れないんです。
  FAB FOURの歌う She's a Womanも素敵でしたが、今日はビートルズのリクエストでお願いします。
     
  (小林)
  これはやっぱりあれですよね、僕が言った これは「最高のモノマネバンド」だったわけでしょうね。
  FAB FOURというのはね。
  
  〜 The Beatles / She's a Woman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=z7HDdJiyCN4
  〜 John Lennon / Woman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=f-x1FsvOAz4

  (館山市/男性)
  先日、妻と鴨川に買い物に行ったついでにリサイクルショップを覗きました。
  最近は 妻の影響で和服に興味が湧いてきて、お互いに共通の趣味を楽しむようになりました。
  私は、はじめ和服に対して「古くさい、堅苦しい、めんどくさい」などと毛嫌いしていたんですが、覗きこんだらそうでもありませんでした。
  今は神楽坂や浅草など、和服の似合いそうな街並みを歩きたい気分でいます。
  妻も最近は心做しか、私に優しい(w)優しいまなざしを向けてくれるように(w)なりました。
  お互いの趣味を認め合う姿勢は、結婚30年近くなった夫婦をリフレッシュさせています。
  
  (小林)
  いやあw すばらしいメッセージ。
  これがあるから、この「ウーマン」が生きたね。w
  リクエスト ありがとうございます
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  高校生ぐらいの、ジョンとポールが、二人が一生懸命練習している姿、頭の中に浮かべてらっしゃる方、いると思います。 
  
  それから、今日はリクエストほんとうに、やっぱりビートルズの曲も、まあ古いっていうか、新しい古いっていうのがビートルズですが。
  やっぱり50代の方とか60代の方のリクエストは、味がありますよね。
  ビートルズの歌に負けないようなね。ねえ、何なんでしょうね?。

  というわけで、そういう方のリクエストもOKですが、
  10代の方、もちろんいっぱい来るんです。10代20代30代、まあ、いろいろリクエストください。
  ビートルズは全面オープンですよね。
  採用の方にはイシイの(略)
193ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2013/05/13(月) 18:07:31.33 ID:KaFrFmS90
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
 2013年5月12日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月12日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  ひと言で46年前ったって分かんないですよねw。
  年齢関係ないですよねw。
  生まれてない人は もっと分からないだろうしw。
  生まれてて体験してても、けっこう分からないと思いますが。
  1967年てのは特徴のある年なんですよ。
  サイケの、ヒッピーなんかが 生まれ始めた年です。
  で、ビートルズは66年まではライブをやって、「もうスタジオでしかやらない」っていうことを決めて一年、なんですよ。
  だからもう、ビートルズは仕事が大好き。

  で、46年前の今日 何をやっていたか、というと。
  それも夜7時からですね、夜7時から2スタでね。
  例のEMIの2スタで、「All Together Now」を録音して。
  それで、これをリミックスしたという。
  リミックスした。何通りかリミックスした。
  で、プロデューサーのジョージ・マーティンはこれには来ていません。ジェフ・エメリックというミキサーが・・・。
  つまり どういうことかと言うとね。
  この頃はね、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」あの名アルバムを作るのに もう大忙しなわけですよ。
  で、プラス後半になると「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」ていうアイデアも出てくるんですよね。

  だから、1967年という年はね、「サージェント・ペパー」を、もう明けたら作っている。
  で、後半はもう「ミステリー・ツアー」
  で、同時に映画「イエロー・サブマリン(Yellow Submarine)」の音楽も作んなきゃだめ。
  あまりにも いろんなことをやっていたんで、「出来の悪い曲はアニメ行き」って冗談を飛ばしながら仕事をしていた、ってウワサもあります。
  事実、この「イエロー・サブマリン」のために書かれた曲は数曲しかなくて、過去のシングルだとか未発表曲などが「イエロー・サブマリン」では使われるという。
  やっぱり「アニメ」っていうことで、2番3番みたいな意識があったんだと思います。
  演奏 編集 ミックス、すべてを5時間ぐらいでやっていたっていう。
  だから、これはやっぱり自分たちのアルバムの曲じゃない、まあ「捨て曲」とかそういうふうなイメージがあったのかも知れませんけども。
  だから、ササッと出来た。パッと聴いて、ジョンが書きそうな曲ですが、これは実はポールの曲なんです。
  ジョンぽい曲だけど、コーラスでジョンの声が出てくると「ああ・・・」ていう、「やっぱり、自然な感じになる」ていう。
  そういう所も楽しんでいただきたいと思います。
  46年前の今日、録音してミックスも手がけたという、この曲は All Together Now。

  〜 The Beatles / All Together Now
  ttp://www.youtube.com/watch?v=V3XQCzc44dU

  (小林)ww やっぱりこれは、知っているから そう思うのか知らないけどw。
  アニメのノリの曲ですよねw。
  ビートルズの All Together Now
□ストーリー
 ・「ポールはいつも一方的に指図してきたよね。
  彼はドラムも すぐマスターしていたんだ。
  僕がバンドに入れてもらったのは、ドラムセットを持っていたからってことぐらいは理解してたけど。
  プロになるつもり無かったし。楽しむために演奏していたんだよね。
  でもそれが、プロ志向で 完全プロ目線のポールには妥協できなかったんだと思うよ。」
  
  これはポールがジョンのバンド=ザ・クォーリメンに加入した頃を思い出しての、ドラマー=コリン・ハントンの証言。
  たかが高校生バンドといえども、ポール・マッカートニーの音楽への熱意はすごいものであったことが窺(うかが)われる。

  さらに当時の仲間たちの証言は、ジョンの生涯の悪仲間=ピート・ショットンへと続く。
  「ポールにはねえ、ある時 本当に汚いマネをされたんだよ。
  いちおうジョンもその片棒を担いでいたんだけど、ジョンは一人では絶対にあんなことはしない。
  あとで ジョンは僕らメンバーに謝ってきたけど、後にも先にもジョンがそんなことをしたことは無かったね。
  それに、ポールはね、いまだにそれが悪いことだったとは、気付いてないんだよ。」

  この、ピートが言う、「ポールにされた、酷いこと」とは こういうことである。
  ポールが加入して間もなく、クォーリメンは黒ズボンに黒の棒タイ、袖にフリンジのついたカーボーイシャツ というステージ衣装を買い揃えた。
  しかし、これがふたを開けてみてビックリ。なんとジョンとポールだけ、さらに白いジャケットを着ていたのである。
  「これは明らかに差別だ!」と バンドのメンバーは怒った。
  ジョンとポールに言わせると「俺たちは ステージではフロントの二人なんだから、目立って当たり前」ということになるが。
  いけなかったのは、それをミーティングで確認しなかったこと。
  おそらくそれは「既成事実を作った上での確認に持ち込む」という、ポールの綿密な計画によるものであった。
  言い換えれば、ポールこそが“確信犯”だったのである。
  〜 The Beatles / Get Back
  ttp://www.youtube.com/watch?v=IyLtRKV1fTM
  
  〜 Paul McCartney & WINGS / Live And Let Die
  ttp://www.youtube.com/watch?v=e7aGAIWe3uE
 
  (小林)というわけで ポール・マッカートニーとウィングスの Live And Let Die
  これは007の映画のために ポールが作った曲です。
  やっぱりポールは上手いですよね、こういうのね。
  ただ、面白いことに、アメリカでも1位になってないけど2位、イギリスだと9位wっていう。
  アメリカの方が受けていたわけですね、この頃の、ウィングスの音はね。

  それから、その前はもちろん Get Back
  これは文句なしの、1969年のナンバーワンの一つであります。
□ストーリー(続き)
 ・「なんだよ、ジョンとポールだけ白のジャケットを着てるじゃないか。
  後ろの俺たちはシャツだけかよ。
  相談も無しにこんなことをするなんて。これはポールのアイデアだな。
  ジョンは一人じゃ こんなことをするわけがない。
  なんだ、ポールってやつは。
  くそ!気に入らない野郎だ。」
  
  時は 1957年の夏の、イギリスはリバプール。
  怒りを露わにしている若者は、ジョン・レノンの生涯の悪友にして、ジョンの最初のバンド=ザ・クォーリメンのメンバーだったピート・ショットン。
  ピートは加入したばかりのポール・マッカートニーが嫌いでしょうがなかった。
  それでも、メンバー内のいろいろなギクシャクの中 クォーリメンは存続していた。
  相変わらずの主な仕事というと、ジョンとポールが出会ったセント・ピータース教会や、ペニー・レイン近くにあるセント・パーナバス教会などのホールだった。
  
  そんな中、仕事のステップアップのチャンスが舞い込んだのは、
  チャーリー・マクベインという地元のプロモーターが、一般の大きなコンサートホールでの定期的なダンスパーティでの演奏契約を取り付けてくれた時であった。
  ガーストン地区にあるウィルソンホールの周辺は いささかガラが悪く、テディボーイの集会があることでも有名だった。
  この頃のテディボーイの間では、手に革ベルトを巻き付けてスキッフルダンスに出かけることが流行り始めていた。  
  そのウィルソンホールで、ある晩、巨体のテディボーイが演奏の最中にステージに上がって来て クォーリメンのメンバーをギョッとさせた。
  だが、実際にはリクエスト曲を伝えに来ただけで、彼は極めて礼儀正しく「リトル・リチャードの真似をしてくれ」とポールに頼んだ。
  
  そして、クォーリメンのマネージャーを担当していたナイジェル・ウォーリーは学校を辞め、リーパークコースというゴルフ場でプロになるためのレッスンを受けていた。
  そのナイジェルの働きが、このあと功を奏することになる。
  〜 John Lennon / Rip It Up - Ready Teddy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-fUxL6VIu4Q

  〜 The Beatles / Baby It's You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PfA8P-JKPzg

  (小林)2曲続きました。カバーが2曲ですね。

  ジョン・レノンがやったのは、これは1970年代の「ロックンロール(ROCK'N ROLL?)」のアルバムに入っている曲です。
  Rip It Up - Ready Teddy

  それから Baby It's You。
  これは、その昔のシュレルズ(The Shirelles)のヒット曲をビートルズがカバーしたもの。
  ちなみにシュレルズは若き頃のバート・バカラック(Burt Bacharach)なんかが作った曲でもあります。
  2曲。
□ストーリー(続き)
 ・ジョン・レノンの最初のバンド=ザ・クォーリメンは 高校生バンドにしては仕事も多くこなし、
  ポール・マッカートニーが加入したことで、技術的にも そこそこのバンドに成長して行った。

  このクォーリメンのマネージャーを担当していたナイジェル・ウォーリーは学校を辞め、
  リーパークコースというゴルフ場でプロになるためのレッスンを受けていた。
  高校を辞めたとはいえ、ナイジェルは引き続きクォーリメンのマネージャーは続けていて。
  ポールの「ナイジェルのギャラの取り分は多すぎる」という意見も右から左に聞き流して、以前と同じ報酬を受け取っていた。
  相変わらず財布には「マネージャー」という肩書きの名刺をギッシり詰め込んで。
  演奏のオファーがあると、せっせと自転車で各メンバーの家を周っては 仕事のスケジュールを確認した。

  一度はナイジェルのコネで、彼の通うリーパークのゴルフ場のクラブハウスで演奏するチャンスに恵まれた。
  この日はギャラこそ出なかったものの、それまで見たことも無いような豪華な食事が食べ放題で。
  集まったお客さんが帽子を回してくれたことで、思いがけず「御ひねり」つまりチップが集まり、結果いつもよりも2倍の現金収入となった。
  そのゴルフコースでナイジェルは、サイトナーという医師と知り合った。
  彼の息子のアランは リバプールの中心地にジャズクラブをオープンしたばかりだった。
  ナイジェルは すぐにそのクラブにクォーリメンが出演出来るように段取りをつけた。

  クラブはマシューストリートの古い倉庫が建ち並ぶ地下にあり、その店の名前である「キャバーン(Cavern)」洞窟・穴蔵そのもの といえた。
  ここはジャズ専門のクラブで、スキッフルは許されたものの、ロックンロールはNG。
  ある日クォーリメンがエルビスの曲を演奏していたら、ステージに誰かがメモを持って来た。
  ジョンはリクエストかと思ったのだが、そこにはこう書いてあった。
  「その酷いロックンロールを今すぐ止めないと、どうなるか。保証は出来ないぞ!」
  〜 The Beatles / Rock and Roll Music
  ttp://www.youtube.com/watch?v=7Zd5E8CDn_s

  〜 Elvis Presley / It's Now or Never
  ttp://www.youtube.com/watch?v=TtFN6YQOhj0
 
  (小林)いかがですか? Rock and Roll Musicビートルズ お馴染みの曲。
  1964年の「ビートルズ・フォーセール(Beatles For Sale)」に入っています。
  もう武道館でも これが一曲目、ていう もう有名な話し。

  そしてエルビス・プレスリーは、これは1960年です。
  まだ お話しの年代っていうのは1957年ですから。
  プレスリーの大ヒット曲ていうのは、ここで1960年だから・・・まだあれですけど。
  キャバーンクラブにビートルズが出てる頃は、何をやったんでしょうねえ。
  プレスリーの初期のロックンロールだと思いますけども。
  これは It's Now or Never。 
□リクエスト
  (小林)
  メールのアドレスは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げております。

  (市川市/男性)50代
  いつもワクワクしてお風呂で聴いています。      (小林)これ、お風呂でっていう人、案外多いんですよ。ビックリします。
  最近やっと上さんから何とかお許しが出て、ビートルズ・モノリマスター・ステレオリマスターを買い。
  毎日往復2時間の通勤電車で聴けて、至福の時間となっています。
  40年ほど前の小中学校時代に、金持ちのビートルズ好きの友達がいて、ほとんど全LPを持ち 家で聴かせてもらった記憶があります。
  その頃は工場の排気ガスも酷く、その臭いも今でもよく覚えており、懐かしく感じられます。
  中でも「Let It Be」が今も忘れられない曲として 脳裏に残ってます。
  月並みではありますが、ぜひリクエストをお願いします。

  (小林)
  きょうはそれじゃ アルバムバージョンで。
  これは、シングルバージョンとアルバムバージョンがあります。
  こっちは、フィル・スペクターがプロデュースした方の Let It Be

  〜 The Beatles / Let It Be
  ttps://www.youtube.com/watch?v=wTcnIWRdy4k
  〜 Billy Joel / Honesty
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xAfKZEp7nQI

  (小林)
  いや、Let It Be からビリー・ジョエルに行きました。
  ビリー・ジョエルは 少年時代は特に「自分は5番目のビートルズだと思っていた」っていうことを 語っていますからね。

  (我孫子市/女性)
  ビートルズを大好きな主人がこの番組を聴くようになって10年以上。
                                   (小林)うわあw、10年以上やってるっていうことですよねw僕らもねw
  毎週日曜日は5時半からお風呂に入り楽しみにしています。
                                   (小林)あ、さっきの話しじゃないけど(お宅)もお風呂ですか。
  結婚して30年、ビートルズに曲を大きな音でイヤというほど聴かされ、
  私もビートルズをまあまあ好きになりました。            (小林)まあまあ好きに なりましたw
  ちょうど6時57分ごろに入る、
  イシイ食品のコマーシャルの後に入る「コケコッコ〜」の声を私はずっとニワトリだと思ってたんですが。
  「なに言ってんだよ、これはエレキギターだよ」と先日主人に言われました。
  イシイ食品提供だし、新鮮な鶏肉って言ってるし、あはは、間違ってました。
  まだまだですねえ。
  リクエストは、どうぞお願いします。
  主人はビリー・ジョエルも大好きで コンサートにも一緒に行きました。
  私も好きな曲です。Honestyを・・・。
  これからも5時半にお風呂の準備をしますので、小林さん ますますがんばってください。
  (小林)
  はい、わかりました。
  (東京都台東区/女性)
  先日、BAY-FMのある千葉県の最先端、南房総方面を家族でドライブしました。
  南房総は春を通り越し初夏の形相で。
  道路の両側は花・花・花、菜の花にポピーと、都市部ではなかなかお目にかかれない黄色・オレンジ・赤・ピンク、
  そしてバックには太平洋の青、まさにこれを「サイケデリックカラー」とでも言うのでしょうか。
  ハンドルを握りながら 自ずと気分も高揚してきてしまいます。
  そこで、ローリングストーンズのこの曲をお願いします。
  この花はあいにく見当たりませんでしたが、イメージ的にはピッタリなんです。
  (小林)
  ていうw。タンポポなんですかねえw。 Dandelion
  
  〜 The Rolling Stones / Dandelion
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Urzxg3IAWNE

  〜 The Beatles / Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=j4FZy3pWfWU

  (船橋市/女性)
  Girl。ベスト盤しか持っていない私ですが、ビートルズは深ーいですね。
  逸話と曲を楽しみに、料理しながら聴いています。

  (小林)
  リクエストに応えました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  リクエスト、なかなか面白かった。
  ストーンズの古いやつから、ビートルズに並んでかかって、あれ、初めてだったねえ。
  だから、ストーンズとビートルズの違いが良く判りましたねえ。
  そんな気 しなかったですか?
  若い方はどうか判りません。
  ストーンズは、かなりいいかげん、ていうのが判りますね。
  ビートルズはシャキッとしてる、ていうのはw。
  だけど、ストーンズのいいかげんの良さも すごい分かりましたねえw。
  はい、みなさんリクエスト、それぞれお願いいたします。
  
  話しの方は、やっぱりポールが加入してビートルズは、まあビートルズらしくなって。
  で、マネージャーがいい仕事をするわけですよね。w
  キャバーンクラブっていうのはジャズクラブだけど、「まあいいや、ビートルズを入れちゃえ」ってことで。
  ビートルズが入ることによって、キャバーンクラブが ジャズクラブじゃなくなって来る、っていう。
  歴史を変えちゃうわけですよ。ここら辺も ちょっと面白いと思います。
  期待してよろしくお願いします。

  リクエスト メール [email protected]
  採用の方にはイシイの(略)
  
  リクエストをお読みして、
  やっぱりこの番組っていうのは、何パーセントの家庭でお風呂に入っているな とw 夕食を準備してるな とw
  あと、夕食を食べながら ていうところも多いです。
  けっこう6時の夕食って 早いと思いますけど。そういう情景が浮かんで来ますよね。
  そこに、我々は音楽を提供してるかと思うと、ますますやり甲斐がw 湧いて来た、という感じです。
  来週もよろしく。
205ホワイトアルバムさん:2013/05/20(月) 02:35:51.30 ID:VWEipak40
スイマセン 質問です。
この番組のplaylistどっかにないですか。かけた曲目・アーティストの一覧表。
このスレもよく追えば曲目・アーティスト網羅されているかもしれないけど、
それだけ書いてあるシンプルな表がほしい。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年5月19日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月19日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の発表会が、ロンドンのNEMSの本社でありました。
  そして、その発表会に出席するためにマネージャーのブライアン・エプスタインはロンドンのプライオリー病院から、一時ちょっと出てきた
  退院したわけじゃないけども、わざわざ出てきた。
  もうビートルズがツアーをやらなくなって、マネージャーのブライアンは自分のやることが無い様に、落ち込んでしまうわけですよね。
  「なんでツアーやってくれないんだ!」ていうことで。
  だけどビートルズは「もう、あんなツアーこりごり」っていうことで。
  ビートルズが心を込めて、命を懸けて作ったのは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
  これはもう世界中のロックファン音楽ジャーナリストが全神経全開で注目しています。
  だから、この発表会てのは世界が注目した、大切なイベントだったわけです。
  そのために、わざわざ病院から出てきて、またこの発表会が終わったら帰って行く、ということなんですが。
  
  この発表会にね、ニューヨークから、リンダ・イーストマンという、一応カメラマン。
  その頃はニックネームが付いてて、ヒッピーの、じゃなくて 何て言うの?「追いかけの、グルーピーの女王」ていうようなw ことを影で呼ばれたりした人が。
  やっぱり、ビートルズに狙いを定めていたんでしょうかね?
  一説には、あのミック・ジャガーも狙っていた という噂もあるんですが。
  ポール・マッカートニーにけっこう、なんと言うのかな、纏わり付いてて、その頃の写真もあるんですけども。
  で、まあ約一年後 彼らは結婚することになります。
  話しは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のアルバムになりますが。
  あんまり人気が無い と言われていますね、これ どうしてでしょうかね?
  「アビイ・ロード(Abbey Road)」なんかは けっこう人気があるんだけど。
  他のアルバムに比べて、これやっぱり八方美人過ぎるのかな。
  だけど、一方では「トータルアルバム」として「最高のアルバム」とも呼ばれています。
  で、オープニングはポール・マッカートニーのアイデアでしたね。
  サージェント・ペッパーのロンリー・ハーツクラブバンドていう、救世軍のバンドみたいなのがあって、それを主人公にして音楽を展開して行こうよ、っていうことで。
  今日は、改めてオープニングを聴いてみましょうか。

  〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band - With A Little Help From My friend
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NIQIYSO829Q

  (小林)Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandのテーマから With A Little Help From My friend リンゴ・スターが歌う。
  このオープニングは 本当に見事です。
  考えてくださいよ。もう我々は慣れちゃってるから。
  1967年 ほんとにビートルズは「もう、ツアーやんないんだよ!」「どんなやつをスタジオで作ったんだ?」って。
  その頃はCD無いですから、針を落としたらいきなり、あれですよ。
  アマチュアみたいな愛好者のバンドみたいな。
  「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドです。よろしくお願いします。一生懸命やります。」
  最後の方になったら、ポール・マッカートニーが「さあ、花形の歌手を紹介しよう!。みんな一緒に歌ってくれ!」ワア〜〜って出てきたら。
  普通の歌声の 普通の歌手がw「いっしょに やってくれないか〜」ていうw 
  なんか ちょっとズッコケ感もあるような、トボケた感じですよね。
  これはロックンロールに一番必要な、ロックに必要なユーモアのセンスと余裕、それを感じさせますよね。
  これは、ほんと見事、っていうことで、再評価したところで・・・。
>>205
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□ストーリー
 ・「その酷いロックンロールを今すぐ止めないと、どうなるか。保証は出来ないぞ!」
  ジョン・レノンとポール・マッカートニーが高校生時代に活動していたバンド=クォーリメンが
  メンバー全員のアイドルであるエルビス・プレスリーの曲を演奏していた時、ステージに誰かがメモを持ってきた。
  ジョンは最初リクエストかと思っていたが、それは違っていた
  明らかにそれは、脅し、脅迫に他ならなかった。
  クォーリメンが出演していたクラブは、リバプールの街中でも古い倉庫が建ち並ぶマシューストリートにある「キャバーン」という店。
  この頃1957年当時、オープンしたばかりのこの店は ジャズ専門のクラブで、スキッフルは許されたもののロックンロールは完全にNG。
  電気を使う楽器は全てご法度であった。

  そんなバンド活動も然ることながら、メンバーはまだ全員高校生である。
  学生の本分は学業に他ならない。
  ジョンやポールの学園生活は一体どんな具合だったのであろうか。
  ジョンがポールと運命の出会いをした1957年7月6日から3週間後、
  ジョン・ウィンストン・レノンはクォーリバンク・グラマースクールを退学になった。
  GCR中等教育終了共通試験の普通レベルを受け、あと一歩という所でジョンは全ての科目を落としてしまったのである。
  ジョンのバンド活動を陰ながら応援していたボブジョイ校長も、これには残念でしょうがなかった。
  ジョンの最も得意とする美術でさえ、他の科目同様に落としてしまったのである。
  この美術の試験に出されたお題は「旅をテーマに絵を描くこと」であったが、一緒に試験を受けている同級生に受けようとし
  なんとジョンが描いたのは「疣(イボ)だらけの醜い男」だったのである。
  〜 The Beatles / I Am the Walrus
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_1-H7BIg80E
  
  〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows
  ttps://www.youtube.com/watch?v=spjcPS4ekOA
 
  (小林)2曲流れましたが、どっちもジョン・レノンの ぶっ飛んだ世界の名作です。

  67年の「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」から I Am the Walrus。

  そして今のやつは(2曲目) Tomorrow Never Knows。
  「リボルバー(Revolver)」の1966年のアルバム。
□ストーリー(続き)
 ・「なんだよ、俺が退学だって?。上等じゃねえか!。
  こんな学校なんてクソ喰らえだ!」

  学生たちの将来をも決める大切な試験を、冗談半分で受験したジョンは、自分が退学処分になってしまうことを まだ受け容れることが出来る状態ではなかった。
  無理もない、この時まだ16歳のジョンにとって 「退学」の2文字が何を意味するのか、全く理解ができなかった。
  もしかすると自分は、明日にでも就職先を探して、世の中に労働者として出て行かなくてはならないのである。
  そんな気が滅入るような現実を なるべく考えないようにしながら、ジョンは残りの学園生活を過ごしていた。
  この時期の集合写真、言い換えると「卒業していない卒業写真」に写るジョンは、細いネクタイを締め、背中を丸めている。
  期待と目標に心を躍らせる5年生の中では、明らかに異質に見える。

  ジョンの率いる 自称ロックンロールバンド=クォーリメンのバンジョープレーヤー=ロッド・デイビスはジョンと同じクォーリバンクできちんと進級し
  上級レベルのフランス語とドイツ語を履修、つまり専門的に勉強することになっていた。
  さらに、ジョンの悪ガキ仲間のピート・ショットンでさえ、なんとメイサーアベニューにある警察学校に幹部候補生として入学することが決まった。
  これには学校の先生、ジョンを始めとする同級生たち、そして何よりピート本人が驚いた。

  つまりこの時点で、上手く行っていないのはジョンだけであった。
  この事実に最も反応を示したのは、ジョン本人ではなく、育ての親であるミミ伯母さん。
  ミミが最も恐れていたのは、30年前に自分の妹ジュリアの夫、つまりジョンの父親であるフレッドのように、ジョンも船乗りとなって海の向こうに行ってしまうのではないか、ということ。
  自由奔放な女性であったジョンの母親ジュリアとは何もかも正反対の姉のミミは、この船乗りという職業と言葉の響きにアレルギー反応を示すのであった。
  〜 John Lennon / Beautiful Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WMwtBVqZKkI

  〜 George Harrison / Gone Troppo
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EmI_-1RvGJw

  (小林)さっきの2曲はジョン・レノンのぶっ飛んだ名曲。
  そしてこっちの2曲は、なんとなく優しい感じですよね。

  今聴いているのは(2曲目)、ジョージ・ハリスンの Gone Troppo。
  これは1982年のジョージの作品ですけど。
  この頃はね、ジョージ・ハリスンは家をオーストラリアに持っていましたね。
  ハワイのマウイ島だとかオーストラリアに持って。
  やっぱり自然に近いところに・・・。
  ジョージ・ハリスンは植物だとか そういう風な植物体系を見たりする人ですから。
  それに影響されて 作った曲です。
  Troppo→Tropical をちょっと含んでいます。トロピカル「熱帯の」ていうふうな意味のものをちょっと含んでいるようです。

  そして、その前は、自分の息子=ショーンを可愛いってことで。
  お父さん、いつも尖がったボーカルじゃなくて、すっごい優しいボーカルで歌ってました。
  遺作の「ダブルファンタジー(Double Fantasy)」の中に入っている Beautiful Boy。
□ストーリー(続き)
 ・1957年7月、ポールとの運命の出会いがあってから、わずか3週間後。
  ジョンにとってショッキングな出来事が起こった。
  それは、学校を退学になるという、少し尋常ではない事件。
  GCR=中等教育終了共通試験の普通レベルを受け、あと一歩というところで、ジョンは全ての科目を落としてしまったのである。
  もちろん、バンド活動にばかり力を注いでいたことが大きな原因であるが。
  なんと、ジョンの最も得意とする美術でさえ、他の科目同様に落としてしまった。
  この美術の試験に出されたお題は「旅をテーマに絵を描くこと」
  しかし、一緒に試験を受けている同級生に受けようと、ジョンが描いたのは「イボだらけの醜い男」

  他の仲間がそれぞれの進路に向かって行く中、育ての親であるミミ伯母さんは、ジョンのある計画を知って驚いた。  
  それは、ジョンが仲間のナイジェル・ウォーリーと一緒に接客係りとして外国航路の大型客船に乗り込もうとしていたこと。
  ナイジェルによれば、リバプールからケータリングカレッジまでの陸路、電車の切符を買うところまでで計画は終わったらしい。
  ミミ伯母さんは証言する。
  「あの日、ジョンがいないと思っていたら、船員職業斡旋所みたいなところから電話がかかってきたんです。
  『今ここに ジョン・レノンという少年がいらして、船員として登録したいと言っているんですが』
  もちろん、私はビックリしてジョンとナイジェルをすぐリバプールに戻してもらいました。
  当然すよ。」

  こんな事件があって、ミミはすぐにクォーリーバンクに呼ばれ、ジョンの今後についてボブジョイ校長と話しあうことになった。
  ジョンの芳しくない成績からして、残された可能性は一つしか無さそうであった。
  それは、絵やデザインなどの才能。
  ボブジョイ校長はこう述べた。
  「ジョンはアーティストです。で、ボヘミアンです。
  彼の進む道はたった一つしかありません。
  それは、アートカレッジですよ。」
  〜 The Beatles / Free As A Bird
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dKdCPtDaNCM
 
  (小林)ジョンが残したテープを基に、他のメンバーが集まって作った お馴染みの Free As A Bird。
  The Beatles。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはお馴染みのイシイのミートボールなどセットにしてもれなく差し上げております。
  メールは [email protected]

  (佐倉市/女性)
  先月、ヨーロッパへ初一人旅に行ってきました。
                                (小林)一人旅、女性の・・・
  モン・サン・ミッシェルへ行く予定だったんですが、突然の大雪で行けなくなってしまい。
  足止めを食らってしまったバスの中で この曲を聴いていました。
  フランスの雪景色と とても合っていて一瞬で幸せな気分になれました。
                              (小林)モン・サン・ミッシェルはノルマンディー地方にある、 
                                  大西洋にちょっと離れた島ですよね。
                                  独特の建物で有名、観光の名所。
  やはり、モン・サン・ミッシェルのオムレツよりビートルズです。
  ぜひこの曲をお願いします。
  (小林)
  あなたのリクエストは・・・

  〜 The Beatles / Paperback Writer
  ttp://www.youtube.com/watch?v=MirsbMS_XJU

  〜 The Beatles / I Feel Fine   
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-YDETXM1JTk

  (松戸市/男性)
  I Feel Fineをお願いします。
  フィードバック奏法のこの曲はイントロがとても独創的で衝撃的でした。 
                                  (小林)ていう。ドン!、ニョ〜〜〜ン♪ってやつですよねw。
  追伸、克也さん元気になってほんとうに良かった。

  (小林)
  はい、ありがとうございます。
  (習志野市/男性)
  4月終わりのリクエストで Let It Be が流れていましたねえ。
  今回 私は Let It Be Me をリクエストさせていただきます。
  Meが入ると まったく違ってきますが、この曲もなかなかの名曲です。
  できれば、竹内まりやさんと山下達郎さんの 絶妙なハーモニーが聴きたいと思います。

  (小林)
  まあ、夫婦ですからねえ。ちょっとチェックしてみましょうか。
  リクエストありがとうございます。
  
  〜 竹内まりや 山下達郎 / Let It Be Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Qcde0gB9_zg
  〜 The Beatles / Michelle
  ttp://www.youtube.com/watch?v=F23oKO_NnHA

  (千葉市中央/男性)
  克也さん、初めまして。
  ポールとジョン、やっと出会いましたね。
  すごく楽しみにしていました。
  ミッシェルを流してください。

  (小林)
  そうです、ストーリーの方はね、ポールとジョン。
  で、高校時代の、学生としてのw、学生としてはやつらはどうだったんだ?w
  そういうようなところも お話ししますからね。
  とても盛り上がると思います。

  Michelleという曲は、実は 今はそう感じないかもわかりませんが。
  当時グラミー賞の作曲者が取る「ソング・オブ・ザ・イヤー」を取ってて。
  これはどういうことかと言うとね。
  ビートルズは一応ロックだから、他の畑の他のジャンルの人たちは Yesterday とかねえ、こういう Michelle が好きなんですよ。
  だから、Yesterday もカバーされたですけど、この曲もね、いろんなジャズの人だとかラテンとかポップスの人がカバーしました。
  だから、「ロック臭くない名曲」っていうことで、ちょっと保守的だったグラミー賞が、作曲者にこのタイトルをくれたんじゃないか、と思われます。
  今から聴いたら、ちょっとね、単純な甘い曲に聴こえるかもわからないけども。
  昔の時代は、これはとてもシャレたニュアンスがあったんです。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
  
  リクエストお待ちしております。
  毎回毎回 リクエスト楽しみにしておりますので。
  採用の方にはイシイの(略)
  [email protected] です。
  
  今日も採用した方は、さりげなくて、でも、ビートルズへの愛、そういったものが感じられる。
  やっぱり、分かりますよw。
  短くても、どんな長・・・あんまり長いとね、今度は時間を食ったりしますから。
  それから、ビートルズへの関わりばっかりじゃなくて。
  今日は、山下達郎・竹内まりや が流れましたけど、
  他のアーティストの、絡んでいてもいいです。
  まあ、「ビートルズから始まる」ていう、そういうコンセプトでやってる番組なんでね。
  分かると思います。
  
  お話しの方は、ジョンがちょっと、頭が良いけど、退学というところまで行きました。
  そのあとどうなるのか。
  これは、知ってるけど、まあ面白いですよね、話しとしてはね。
  来週をお楽しみに。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
 2013年5月26日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月26日)
 ・1970年(今から43年前の今日)
  もう、ビートルズ解散。

  二つありまして、一つは「レット・イット・ビー(Let It Be)」のアルバムが「ゴールドアルバム」と認定された、ということで。
  まあ、これは時期的にはビートルズ最後のアルバムになるわけですが。
  本来の最後のアルバムってのは「アビイ・ロード(Abbey Road)」だって みんな知っていますよね。
  これは結局、最後に もうビートルズが…、特にポールなんかもう投げてしまって。
  フィル・スペクター(Phillip Spector)というね、有名なプロデューサーに丸投げして、彼が音を作って完成させて最後に出た、ていう。
  これが、ゴールドアルバム。
  やっぱり、ポールは 心の中は複雑ですよね。
  そして、この頃「最も静かなビートル」と呼ばれたジョージ・ハリスンが主導しております。
  1970年の今日、彼がスタジオに入って録音を開始した。
  そのアルバムというのは「オール・シングス・マスト・パス(All Things Must Pass)」のアルバムです。
  で、もうミュージシャンがですね、ジョージは友達が多いですよね。
  あの四人の中で 一番多いんじゃないでしょうかね。
  エリック・クラプトン(Eric Clapton)、それから、デレク&ドミノス(Derek & the Dominos)のエリック・クラプトンの他のメンバー。
  それからデイヴ・メイソン(Dave Mason)、リンゴ・スター、クラウス・ブアマン(Klaus Voormann)、ビリー・プレストン(Billy Preston)、ボブ・キース(Bobby Keys)
  こういった、スタジオミュージシャンだとか、まあ一国一城の主(あるじ)的な有名なミュージシャンが、
  国籍こそイギリス・アメリカにまたがっておりますが、集まって来て、録音を開始して。
  全員の合言葉は「スワンプ ロック(Swamp Rock)」なんですよ。
  これはアメリカの南部のスワンプ、というとね「沼」って言ってもね、汚い沼じゃなくてw、きれい〜な沼だと思ってください。
  そこら辺の、例えばミシシッピーだとか、あそこら辺の音楽っていう。
  あそこら辺に精神を求めた音楽 ってのがテーマだって。
  それを、プロデューサーのフィル・スペクターが好アシストしております。
  
  で、この「オール・シングス・マスト・パス」なんですが、インドで書かれたっていう話しですよね、だいたい。
  やっぱりこれは、ジョージ・ハリスンのその頃の「気合い」っていうんですかね、気概が感じられるものであります。
  この「オール・シングス・マスト・パス」はアナログでは3枚組の超大作だったアルバムです。
  さあ、それではそのアルバムのタイトルソング・・・。
  
  〜 George Harrison / All Things Must Pass
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ebtC3ORg9fU
  (小林)ジョージ・ハリスンの All Things Must Pass。
  これは なんかほんと間口がでっかいような、すっごい曲ですよね。
  で、アメリカの南部のつまりスワンプ・ロック。
  ほんとはね、スワンプ・ロックなんだけども。
  スワンプ・ロックていうのは、どちらかと言うと、泥臭くて、歌詞なんかも下世話で、男と女の血生臭ささみたいなwのも入ってたりするんです。
  これはもう、精神性が高い歌でしょう。歌詞でしょう。
  それにおまけに品のあるジョージ・ハリスンのイギリス英語の歌で、別物になって仕上がってるわけですが。
  ジョージ・ハリスンの All Things Must Pass。
□ストーリー
 ・ 「あの日、ジョンがいないと思っていたら、船員職業斡旋所みたいなところから電話がかかってきたんです。
  『今ここに ジョン・レノンという少年がいらして、船員として登録したいと言っているんですが』
  もちろん、私はビックリして ジョンをすぐリバプールに戻してもらいました。当然ですよ」

  これは育児放棄した実の母親に代わって、育ての親を努めた伯母のミミの証言。
  当時通っていたクォーリーバンク・グラマースクールの進級試験に失敗し、間違いなく退学処分となるジョンは、16歳にして最初の人生の挫折に出くわした。
  こんな事件があってすぐ、ミミはクォーリーバンクに呼ばれ、ジョンの今後についてボブジョイ校長と話し合うことになった。
  ジョンの芳しくない成績からして、残された可能性はただ一つ、それは絵やデザインなどの才能である。
  ボブジョイ校長はこう述べた
   「ジョンはアーティストです。ボヘミアンです。彼の進む先はたった一つしかありません。それは、アートカレッジです。
  もしジョンがアートカレッジに入学することが出来たら、最初の一年間はその学費をサポートしてあげることが出来ますか?」
  ミミは即座に答えた。
  「ええ、もちろん、学費は出してあげます。ジョンは我が子も同然です。」

  そのミミの言葉を確認すると、ボブジョイ校長は退学通知にあたる「告別の辞」を読み上げた。
  それは状況からすると 極めて寛大なものと言わざるを得ない、こんな内容である。
  「長年、躾(しつけ)の面では悩まされて来ましたが、幾分生活態度も改めています。
  規律を守らせるために制裁も必要です。
  しかし、私は彼に見込みが無いとは思いません。
  むしろ、将来 責任ある立派な大人になって 成功する可能性があると思っています」
  このボブジョイ校長の温かい言葉を最後に、ジョンは退学処分となったのである。
  〜 The Beatles / Help!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HkHvNz9tgzM
 
  〜 The Beatles / Dig A Pony
  ttp://www.youtube.com/watch?v=kkzKSORYtVk
 
  (小林)ジョンがなんか言ってますけどw、これはやっぱ屋上でのしゃべりですよね。
  屋上でライブをやりましたね。あの時のやつ。
   Dig A Pony、これは「Let It Be」に入っています。

  そしてその前は、1965年の Help!
□ストーリー(続き)
 ・「長年、躾の面では悩まされましたが、幾分 生活態度も改めています。
  規律を守らせるためには 制裁も必要です。
  しかし、私は彼に見込みが無いとは思いません。
  むしろ将来、責任ある立派な大人となって、成功する可能性があると考えています」
  このボブジョイ校長の温かい言葉を最後に、ジョンはクォーリーバンクを退学処分となった。
  そして、新しいシーズンを控え、ジョンは伯母のミミに付添われ、リバプールのホープストリートにあるアートカレッジの面接試験を受けに行った。

  ミミは当時をふり返って証言している。
  「私が一緒に行かなかったら、あの子は一人で学校を見つけられなかったでしょう。
  なにせジョンは、決まったバスの路線でしか リバプールの中心地には行ったことが無かったんですから。
  あの子がバスに乗ったのは、停留所の真正面にある模型屋でミニカーを買う時だけでしたもの」

  面接試験当日のジョンは、白いシャツにストライプのタイ、それにミミの夫が着ていた古いツイードのスーツと 比較的大人しい恰好をしていた。
  ところが、合格してしまうと、入学式の日には一変して、テディボーイ風のジャケットに紫のシャツ。
  そしてミミから絶対に禁止されていた「ドレインパイプ」つまり「排水管」と呼ばれた細いジーンズに戻っていた。
  もちろんジョンは 家を出てくる時は太いズボンを上に履いて、ミミに見られない所まで来ると すぐにそれを脱ぎ捨てたのである。

  学校のあるホープストリートは、リバプールでも上品で由緒ある高台にあり。
  街路の外れには、鋳鉄文字で「カニング(Canning)ロドニー(Rodney)ロスコー(Rothco)」といった名門船会社の名前が刻まれている。
  この1957年当時、アートカレッジ周辺には 画家や彫刻家、詩人、作家などが集まり、小さな店、宿屋などが建ち並んでいた。
  そんな中で、ジョンの新しい学生生活は始まるのであった。
  〜 John Lennon / Jealous Guy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=2bNZGNjvxSM

  〜 The Beatles / Sexy Sadie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rVOVNyrIkAg

  (小林)Sexy Sadieという、これも不思議な曲ですよね。
  「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中に入っているジョンの作品ですけど。
  やっぱりあれですよね、ジョンの優しさみたいなものが、危険なものってのがあるから余計にこう来る、みたいな、そんな感じもしますよ。
  
  その前の曲だってそうですよね。
  「イマジン(Imagine)」に入っています。Jealous Guy。
□ストーリー(続き)
 ・クォーリーバンク・グラマースクールの進級試験を落とし、退学になったジョンを受け容れてくれたのは、アートカレッジであった。
  学校のあるホープストリートはリバプールでも由緒ある高台にあり、
  この1957年当時 その周辺には画家や彫刻家、詩人、作家などが集まり 小さな店、宿屋などが建ち並んでいた。
  それは、西インド風居酒屋などとともに、失われつつあるジョージア朝時代の雰囲気を守っていた。
  そんな中、ジョンがどんなにワイルドなボヘミアン生活を夢見ていたとしても、その期待はカレッジに入ってわずか一週間で消えてしまった。

  ジョンを受け容れてくれた中等コースは、2年間の一般教養課程の後 3年と4年で専門課程に進むことになっていた。
  またしても教室で決められたカリキュラムに従い、ドローイングやレタリングや建築を学ばなければならないと判って ジョンは幻滅した。
  結局、退学になったばかりの学校と 何も変わりはしなかったのである。

  テディボーイ風の服装だけでも ジョンはすでに同級生の中で浮いていた。
  周りの生徒はダッフルコートにスウェードの靴を履き、ダボッとしたセーターの袖を肘までまくり上げていた。
  1957年のアートカレッジに エルビスやロックンロールを好きな人間などいなかった。 
  みんなが気に入っていたのは、ビールのボトルに入れたローソクの炎が揺らめく地下の店で流れる「トラディショナルジャズ」。
  実際 その当時のリバプールで一番有名だったグループは「マージーサイド・ジャズバンド」で
  ラジオでもマシューストリートにあるキャバーン・クラブでも よくかかっていた。
  
  ジョンは、セーターを着てGCEと呼ばれる例の進級共通試験に合格したことを鼻にかけるジャズファンが 何より嫌いだった。
  それは自分が試験に落ちたからではなく、ジョンとその仲間たちが共有する世界とはまるで違っていたからであった。
  〜 John Lennon / Slippin' and Slidin'
  ttp://www.youtube.com/watch?v=2H7r0KO_0b8

  〜 Ringo Starr / You're Sixteen
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XA0KbpNOBEs
 
  (小林)カバー曲が2曲続きました。

  リンゴ・スターの You're Sixteen。
  これは オリジナルは ジョニー・バーネッツ(Johnny Burnette)がヒットさせた曲で。
  これは、アメリカで1位ですからね。イギリスでも4位になる大ヒットになりました。
  
  そして、ジョン・レノンの「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」のアルバムから。
  プロデューサーのフィル・スペクターと一緒に、彼に頼んでやったわけですが。
  途中でスペクターは、マザーテープを持って逃げたりする事件、がありまして。
  一人になったジョン・レノンが、これはリトル・リチャード(Little Richard)のカバーとして、自分でやった曲です。  
  Slippin' and Slidin'。
  
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げております。
  メールは [email protected]

  (熊谷市/女性)
  ビートルズも このビリー・プレストンと曲を作りましたが。
  私はビリー・プレストンに関しては、本人自身の曲が好きなので、この曲をリクエストします。

  (小林)
  そうですね、ビリープレストンはビートルズとやったことによって、売れちゃって。
  ソロの曲を出して、2曲どでかいヒットがあって。
  その中の一つがこれですね。
  でも、ビリー・プレストン、どちらかというと 本人のやりたい方向てのがあったのかもしれませんけど。
  まあ、ビートルズを思わせるような曲作りをしておりますよね。
  はい、ビリー・プレストンの・・・ Nothing From Nothing

  〜 Billy Preston / Nothing From Nothing
  ttps://www.youtube.com/watch?v=KQ5-BTdcqjk
  〜 The Beatles / Matchbox
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pkMJnscZc3I

  (佐倉市/男性)
  2月25日Zepp Tokyoへ行って来ました。
  リンゴ・スターに会ってきました。
  もう、いつ死んでもいい くらいに感激です。
  まさか この眼でリンゴ・スター様にお目にかかれるとは、思ってもいませんでした。
  しかも、前から2列目、2〜3メーターの至近距離でした。
  リンゴは ほんとうに楽しそうに演奏していました。
  根っからの音楽好きなのだと 思いました。
              (小林)そうだよね、リンゴは、僕は映像で見ましたけども。
                  動きもw なんかこう 何て言うんですかね、横ノリで
                  ちょっと不器用と思われるようなノリ方してるんだけども
                  それが なんともなく 良いんだよね。
  今日はそのライブで 一曲目に演奏した Matchboxをリクエストします。
  ポールにも来て欲しいなあ。
  
  (小林)
  僕はリンゴ・スターとね、電話で一回だけ 1973年にインタビューしたことがあるんですけども。
  その時に「一番好きな曲は?」って、一つだけ覚えていますよ。
  カール・パーキンス(Carl Perkins)の「Blue Suede Shoes」
  カール・パーキンスがすっごい好きなんだって。  
  で、この曲はちなみに カール・パーキンスの曲です。
  Matchbox お送りしました。
  (所沢市/男性)
  毎週聴いてますよ。暖かくなって来ています。
  今回は1963年ロビン・ウォード(Robin Ward)のワンダフル・サマー(Wonderful Summer)をお願いします。
  約19年前、自分たちの結婚披露宴のBGMはすべて私が選曲したのですが。
  この曲は前から大好きで、彼女のスライド写真、小さいころから大人になるまでの写真を映すやつですが、そのコーナーのBGMでかけました。
  なかなか 泣かせる選曲でしょう。メロディ的に。
  ちなみに 私のスライドはビリー・ジョエル(Billy Joel)のディス・ナイト(This Night)。
  そんなこともあり、夫婦そろって大好きな曲です。
  番組で読んでもらえたら、ぜひともミートボールを希望。
   
  (小林)w って書いてあるw。
  趣味が良いじゃないですか、ほんとにねw。
  あなたが ディス・ナイトでね。
  で、上さんの方が 奥さんの方が、あれですね、ロビン・ウォードのこれ1963年ですね。
  Wonderful Summer。
  
  〜 Robin Ward / Wonderful Summer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=KCRdUB_ASTc

  〜 The Carpenters / Yesterday Once More
  ttps://www.youtube.com/watch?v=t0oroGJusBg

  (小林)63年のロビン・ウォードからね、ちょうど10年経ったカーペンターズの Yesterday Once Moreね。
  カーペンターズはビートルズのカバーでもお馴染みですけど。
  ちょっとした、もう一つのアメリカングラフィティ みたいな感じでした。

  (稲敷市/男性)
  今 おなかが痛くて、入退院の繰り返しです。
  (小林)
  お大事にね。リクエストありがとうございます。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか? 
  
  ジョン・レノンがねえ、高校を退学みたいな感じで、アートカレッジに入れてもらってw その後どうなるかw。
  これも知ってるけどw。
  まあ、中途半端な学生だったわけですねw。ジョン・レノンは。
  だけど 偉い人になっちゃうわけですけど。
  
  それから、リクエストよろしくお願いします。
  今日も ほんとにありがとうございました。
  
  イシイのミートボールなどセットにしてプレゼント用意しておりますので。
  [email protected] 
  こっちの方で 待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年6月2日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月2日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  1966年はビートルズが、ご存知の通り 日本に来た年ですが。
  ビートルズにとっては、一番危ない年だったんだよね。
  ヘタするとビートルズは、命を落としたかも知れないような事件とか、いろんなことに巻き込まれる年。
  そして、ビートルズはもうツアーをやらなくなった年、でもあるわけですが。
  
  47年前の今日、アメリカの有名な音楽雑誌ディスクの表紙に「ブッチャー・カバー(Butcher cover)」っていうのが載っちゃったんですよ。
  これはどういうことかと言うとね。
  アメリカ版のアルバム「Yesterday and Today」このアルバムの表紙を撮影しよう、てことになって。
  実は、ビートルズの専属のカメラマンが、ロバート・ウィテカー(Robert Whitaker)って言いますけども、アイデアを出すわけです。
  それは、どういうアイデアかと言うと、肉の切れ端をメンバーがそれぞれ持ったり 肩に回したりして撮影する。
  これは、どういう意図があったかと言うとね、アメリカのレコード会社が勝手に、自分たちの希望を無視して勝手に選曲したアルバムを出す、と
  そういう抗議の意味もあったんだけど。
  だから、そういう なんかブラックな感じの表紙をジョン・レノンとポールは わざと撮ったわけですね。

  で、アメリカのレコード会社はこれを出そうとしたんだけども。
  ビートルズのマネージャーのエプスタインは そんなこと知らないわけですよ。
  で、怒っちゃって、これはヤバいっていうことで、
  アメリカのレコードの問屋さんだとか、いろいろ回るんだと思いますけども、一生懸命回収するんですよ。
  でも、回収したと思っても、漏れたやつが市場に出回るわけですね。
  あるいは、本当は 最終はどういうことになったかと言うと。
  ビートルズが旅行用のトランクに座った写真なんだけど、それを、その写真を「ブッチャー」のヤバいやつの上に貼った表紙 もあったわけですよね。
  だけど、買った人がそれを剥がすとw、あの危ない写真が出てきたりしてw。
  今これはね けっこうね、日本でも杉真理が持っている? という。
  すごいんですよ、コレクターズアイテムになっているそうです。
  
  さあ、それじゃ、話しがちょっと長くなってしまいました。
  その、アルバムの方、アメリカ盤の「Yesterday and Today」の中には、このヒット曲も入っていました。
  当時 大ヒット中ということかな、これは最高3位まで上がったのかな。
  ビートルズの Nowhere Man。
  
  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M

  (小林)最高3位まで上がったヒット曲です。 
  ジョン・レノンの Nowhere Man。The Beatles。
ブッチャー・カバー(Butcher cover)参考画像↓
ttp://www.eskimo.com/~bpentium/b4sale/front_11.jpg
□ストーリー
 ・「なんだ?、こいつら。ダッフルコートにセーターを着たやつらばっかりじゃないか。
  おまけにここは、エルビスとかチャック・ベリーが好きなやつなんて、一人もいない。
  なにが“トラッドジャズ”だ。こんな だっせえ学校耐えられない。」
  こう嘆く少年は 1957年のリバプールにある その名も「リバプール・コレッジ・オブ・アート」に新しく入学した ジョン・ウィンストン・レノン。
  この少年こそ、数年後にはビートルズのリーダーとして世界のロックの頂点に鎮座することになる、あのジョン・レノンに他ならない。
  
  それまでのジョンは クォーリーバンク・グラマースクールに通っていたのであるが、CGE試験と呼ばれる進級テストに失敗し退学処分になっていた。
  そんなジョンを受け容れてくれたのが、唯一このアートスクールであった。
  しかし、ここでもジョンは すでに同級生の中で浮いていた。
  テディボーイスタイルのファッションもそうであったし、1957年のアートカレッジにエルビス・プレスリーなどのロックンロールを聴いている学生なんて見当たらなかった。
  カレッジの雰囲気は ジョンとその仲間たちが共有する世界とは明らかに違っていた。

  このアートカレッジでジョンの担任となった教師は、かつてボクシングのミドル級チャンピオンであった、アーサー・バラードという、口調の柔らかなベテランの男性。
  このアーサー自身もかなり知られた抽象画家で、教師としても型にはまった教え方を嫌い、その講義のほとんどをライスストリートにある「イークラック」というパブで行なっていた。  
  アーサーのジョンに対する最初の印象は、「落ち着きのないテディボーイ」「反抗的というよりは、いつも憂鬱そう」というものであった。
  そう、このアートスクール時代のジョンを形容するのに、「常に退屈で憂鬱」というのが最もよく当てはまる言葉だったのである。
  〜 The Beatles / Lucy in the Sky with Diamonds
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zP3AhpKcE6s
  
  〜 The Beatles / Happiness is a Warm Gun
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qE2Vdcv9Q_o
 
  (小林)う〜んw。
  いやあ、いずれもジョン独特の世界です。
  改めて聴いてみて、Lucy in the Sky with Diamonds お馴染みですね。

  そして、今の曲(2曲目)は Happiness is a Warm Gun。
  こっちは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っていたやつであります。
□ストーリー(続き)
 ・十代でロックンロールの洗礼を受け。テディボーイファッションに身を包み、学校ではすっかり落ちこぼれとなってしまったジョン・レノンの青春時代。

  この同じ時代、ジェイムス・ポール・マッカートニーは相変わらずリバプール・インスティテュート・グラマースクールに通っていた。
  ジョンと運命の出会いをした1957年夏、ポールは普通レベルの試験を2科目受け スペイン語には合格したが、ラテン語は落としていた。
  この結果、翌1958年に あと6科目を受けることになっていて、その結果次第で進級先が決まる と言われた。
  最終的には 父親ジムの熱心な勧めに従い 教員の養成大学に進むつもりでもあった。
  英語担当教師=ダーバンド師は、ポールの成績であれば彼の希望する進路に進むことは充分可能であると考えていた。
  ダーバンド先生には、ポールが母校の職員室に座っている姿、立派なセダンに乗ってカレッジのキャンパス内を移動して、社会人講座で教えている姿も想像することが出来た。
  つまり、ポールは そこそこの優等生だったことがわかる。
   
  ところが、以前には抜きん出ていたポールの成績が だんだんと不安定になっていた。
  つい先日、悪友になったジョンが、文字通りポールの教室の壁のすぐ向こうにいる、という事実が、
  勉強にも、そしてそれまでは非の打ちどころが無かった生活態度や振る舞いにまで 明らかに影響を及ぼしていた。
  
  英語担当のダーバンド先生は、ポールが持ち前の愛想と機転の良さで 予習をサボりながらも何とか毎日を切り抜けていることを、たびたび気が付いていた。
  その上ポールは、ダーバンド先生の知らない所で授業もサボり始めていた。
  
  インスティテュートとジョンの通うアートカレッジは、キャンパスがつながっていて、インスティテュートのキッチンの横にある小さな校庭から通り抜けることが出来た。
  どの教室が空いていて、ギターの練習ができるか、ジョンがあらかじめポールに伝えておくのである。
  この連係プレーで ジョンとポールは次第に結束力を強めて行くのであった。
  〜 The Crickets / That'll Be The Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_aHzCeeZv6U

  〜 Ray Charles / Hallelujah I Love Her So
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rWGG6MdGdlg

  (小林)2曲 有名な曲がつながりましたけど。
  これは、ジョンとポールが知り合った頃のね、時代の空気をちょっと、音楽から感じていただきたい。
  
  That'll Be The Day クリケッツ、バディ・ホリー(Buddy Holly)。名義はクリケッツですね。
  That'll Be The Day これはイギリス・アメリカでナンバーワンです。
  多大な影響を与えているはずですね。

  で、今聴いたやつ(2曲目)は Hallelujah I Love Her So 。
  いろんなシンガーがカバーした、レイ・チャールズのオリジナルヒットです。
□ストーリー(続き)
 ・ポールの通うリバプール・インスティテュートと、ジョンの通うアートカレッジは キャンパスがつながっていて。
  インスティテュートのキッチンの横にある小さな校庭から 通り抜けることが出来た。
  これを利用して、どの教室が空いていて ギターの練習が出来るか、ジョンがあらかじめポールに伝えておくのである。
  この連係プレーで ジョンとポールは次第に結束力を強めて行った。
  アートカレッジの中に入れば、他人をしげしげと見る人間もいない。
  ポールがインスティテュートの制服のタイを隠すために、黒いレインコートのボタンを首までキッチリ止めていることなど 誰にも気付かれずに済んだ。
  
  ジョンが率いるザ・クォーリメンは、ハイスクール最終学年の影響で、大きく揺れ動いていた。
  メンバーのロッドは、クォーリーバンク・グラマースクール卒業を控えて忙しく、とてもバンジョーを弾いている時間などなかった。
  ナイジェル・ウォーリは、バンド活動とプロゴルファーへの修行という過酷な毎日が祟って、結核になってしまい。
  その後間もなく、ベーシストのレン・ギャリーが髄膜炎になり、ナイジェルと一緒に同じ病院に入院した。
  
  レン・ギャリーが当時を思い出して、こう証言している。
  「ナイジェルと僕は病院が一緒だったんだけど、日曜になるとジョンやポール、そして他のメンバーもみんな お見舞いに来てくれたんだ。
  ギターを持ってね。
  いつも、入院病棟の一番端っこに行って、みんなで歌ったもんだよ」  

  この頃になると、イギリスで大ブームになっていた“スキッフル”は すっかり下火になっていた。
  ブームの立役者である大スター=ロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)を始め 有名なシンガーたちは みんなバンド名から”スキッフル”の文字を取り払っていた。
  しかしスキッフルのバンドが何百何千と解散しようとも、才能があり音楽が好きなグループは、リバプールだけでも まだ数百以上はあった。
  こうした連中は、みんな次には“ロックンロールバンド”として鎬(しのぎ)を削り合うのである。
  〜 John Lennon / Peggy Sue
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Rl96kw5XS0Y

  〜 Paul McCartney / It's So Easy (Buddy Holly Raves On.=3曲目)
  ttp://www.aarp.org/entertainment/music/info-07-2011/buddy-holly-tribute-album.2.html

  (小林)ポール・マッカートニーのIt's So Easy
  後半はあれですね、もう恋する男になって「お前んとこ行くから!お前んとこ行くから!待ってろ!お前んとこ行くから!」って
  もう、ポールw キャラクターを変えて歌ってますよね。It's So Easy。

  そしてその前は、ジョン・レノンの「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」のアルバムに入っている Peggy Sue。

  いずれも、バディ・ホリー(Buddy Holly)の曲のカバーです。
  バディ・ホリーは多大な影響を与えていると さっき言ったばっかりですけど。
  ポール・マッカートニーはバディ・ホリーの全ての曲の権利を買い取っていて、
  これらのすべての曲はですね、彼のソーホースクエアにある音楽出版社が全部管理しているんですよw。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして全員にプレゼントしておりますのでよろしく。

  (小林)
  この前リクエストに応えましたよね。だいぶ前かな。
  (新宿区/女性)
  ありがとうございました。
  とっても嬉しくて だれかに言いたいような、でも一人だけこの気分を感じていたいような気持ちでした。(小林)w
  ポールとジョンの出会いの話しの中で、ギターのチューニングの事が出てきますね。
  私はボサノバのギターに憧れて、練習を始めましたが、チューニングが苦手で いつしかギターから遠ざかってしまいました。
                           (小林)残念だねえ。
                                まあ、ボサノバのギターっていうのは、アコースティックで
                                一番、けっこう難しいんですよね。
                                僕の知っている人が、名手がいるんですけど。
                                中村っていう人ですけどw
  初心者レベルですが、ビートルズの曲では「ノルウェーの森」が好きで よく弾きました。
  リクエストは、楽譜があったら弾いてみたい「フール・オンザヒル」を、セルジオ・メンデスでお願いします。
  電気のチューニング機を買えば また始められるかな?と思っています。

  (小林)
  いや、やっぱり始めた方がいいですよね。絶対。
  で、セルジオ・メンデスの「フール・オンザヒル」ですが、このカバーはね、アメリカでかなりヒットしました。出来が良いです。
  またビートルズとは違う味を 味わっていただきましょう。
  
  〜 Sergio Mendes & Brasil´66 / The fool on the hill
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-AHk_-VsEyI
  〜 The Beatles / Love Me Do
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WGlYQAjJeJ4

  (小林)
  というわけで、 Love Me Do 続きました。
  デビュー曲で、リンゴ・スターはドラムスを叩いてなくて、タンバリンに落とされていますが。

  (川崎市/男性)
  自分は6月で二十歳になるんですが、デビュー当時のビートルズもほぼ同い年だったと考えると、ちょっと信じられないです。
  20代後半で世界を席巻して、50年経っても世界中で話題にされるなんて、本当にビートルズはすご過ぎると思います。
  
  (小林)
  まあ、他の人たちがみんな消えちゃった、からね。
  “ビートルズだけ神様”みたいに祀られるっていうことも、ちょっと実は問題もあるんですけど。
  ビートルズ、そりゃあすごいですよ。
  (古河市/男性)
  B'z の「ACTION」に入っている「トラベリンメンのテーマ」という曲をリクエストします。
  この曲はエンジニアが持ってきた「ビートルズのレコーディングに関する本」がきっかけで収録された曲 だそうです。
  本の通りにやってみたら上手く行って 感動したらしいです。
  ビートルズのポップセンスやアレンジを参考にした、というのはよく耳にしますが。
  レコーディングを参考にした、というのは珍しいんじゃないでしょうか。
  
  (小林)
  いや だけどね、ビートルズがいろんなことを実験するのはね、ミュージシャンだとか放送業界の連中も けっこうね刺激されてやってますよ。
  僕なんかあれですね、テープの時代はよく ジョン・レノンが大好きだったと言う「テープの逆回し」はよくやりましたね。
  これ、アメリカの連中に聞いてみるとね、アメリカの放送局でも流行って。
  例えば「ばか」って言うじゃないですか「BAKA」あれをテープ逆にすると、「AKAB」って聴こえるんですよね。
  でAKABを正統に回すとBAKAになるんですけど。
  アメリカではけっこうね、ラジオでね「UOYKCUF」っていうのが流行ったらしいですよw。
  これはw どういうあれかw 言わないでおこうかなw。
  さあ、それじゃ、本の通りにやったら上手く行ったっていう、B'zが感心したという。
  お待たせしました。
  
  〜 B'z / トラベリンメンのテーマ
  ttps://www.youtube.com/watch?v=KAgvE9xHoAg
  〜 The Beatles / Good Night
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mG-wA_TnoJw

  (小林)
  最後は「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っている、リンゴが歌う Good Nightがかかりました。 

  (川崎市/男性)
  この曲はリンゴ・スターがボーカルを取る中、私が一番好きな曲です。
  まるでディズニー映画で流れるようなメルヘンチックなナンバーで、聴いていると全ての出来事に優しくなれるような、そんな気分になります。
  この曲について質問。
  この曲はジョン・レノンが作った曲と、どこかで聞きましたが。
  なぜ、ジョンはこの美しい曲をリンゴに歌わせたんでしょうか?

  (小林)
  リンゴは、ほら、作曲作詞はあんまりしないので。
  リンゴにも やっぱり4分の1ぐらいの参加した感じを与えるために、リンゴに歌わせるためにね。
  リーダーのジョンが気を使って、ほとんどのリンゴが歌ってる曲を ジョンが曲を書いていますね。
  その延長だったわけで、たまたまこのきれいな曲が出来て。
  これをリンゴに歌わせた ってのが やっぱり“ビートルズの偉さ”だと思います。
  『他に エピソードがあれば・・・』w
  1970年代になってディスコだとかね、80年代クラブの時代になるわけですが。
  気の利いたディスコは、これを最後によくかけていましたねw。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  ジョンとポールが知り合った頃の。
  ジョンが、やっぱり 学校行けるのかどうか危ぶまれる頃。
  で、ポールの成績がどんどん落ちて行く頃。
  この頃のエピソードってのは、けっこう聴いててワクワクしますよね。w
  だけど、あれですよね、ポールとジョンがパートナーになって組んでいろいろやって。
  この頃はまだ、世界の頂上に立てるなんて 夢にも思ってなかったらしいよ。
  自分たちは「職人的な歌書きになるかもわかんない」みたいな感じは あったみたいですけどね。
  
  さあ、リクエスト。
  今週も面白いリクエスト、興味深いリクエスト、ありがとうございました。
  採用の方には、イシイの(略)

  アドレスは [email protected]
  どしどし待ってます。
246ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2013/06/12(水) 18:00:00.55 ID:dBLYZTFa0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年6月9日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月9日)
 ・1962年(今から51年前の今日)
  夜の部です。夜の部。
  ドイツから帰国して 最初のキャバーンクラブでのライブがあった日です。
  ドイツというとハンブルグですね。ハンブルグで いろいろ出稼ぎに行ってたわけですね。ビートルズはね。
  で、帰って来て、初めてキャバーンクラブに出ました。
  すでにエプスタインの会社のNEMSの所属バンドになっております。
  地元リバプールでは、ビートルズは もう62年はすっごい人気です。
  スーツも お揃いのスーツです。

  当時の記録としては 貴重な写真が残っていますが。
  キャバーンは6月に入りますと、蒸し暑い。
  ポールは衣装の上着は脱いでピアノに向かっています。
  BBCなどに出るときは、キチンと上着もネクタイも ビートルズはこのころしていましたよ。

  で、ピアノ。
  ポールはね、ピアノのレッスンは正式には受けていないんだけど、やっぱりポールは偉かったんですねえ。
  まあ、天才であったわけですから。
  ハンブルグで出稼ぎに行ってる時に、もうビートルズはハンブルグの人たちに受けなきゃダメだ。
  国際的な船乗りなんかにも受けなきゃダメだ、っていうことで、ありとあらゆることをやるわけですよね。
  その中の一つが、ポール・マッカートニーがピアノを熱心に。
  他の3人は遊び歩いていた時に、ポール・マッカートニーは熱心にピアノを練習をしていた という証言もあります。
  独学でマスターしたと 思われます。

※参考写真?
ttp://www.beatlesbible.com/wp/media/620603_beatles_002.jpg
  で、今から51年前の今日の3日前かな?3日前、6月6日ですね。
  EMIで ビートルズはオーディションを受けています。オーディションセッションをやっています。
  この時の貴重な録音を 今から聴こうと思います。
  貴重な録音でも 皆さんお馴染みだと思いますが。
  「アンソロジー1(Anthology 1)」に残されています。
  ドラムスがピート・ベスト(Pete Best)が叩いている。
  まだリンゴじゃなくてピート・ベストが叩いている。
  8月になると、彼は首になるわけですね。
  その解雇されるドラマーの歴史的音源です。
  ビートルズの Love Me Do。
  
  〜 The Beatles / Love Me Do
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qbQezKrqoMQ

  (小林)いかがですか? 
  これが、オーディションで演奏した ビートルズの Love Me Do。
  いろんな所が気が付いたと思いますが。
  やっぱりジョン・レノンのボーカルが 入ってない聴こえない、っていう。
  彼はハーモニカを担当していましたからね。
  それから、ドラムズはやっぱり、あれですよね。
  ジョージ・マーティン「あ、こりゃダメだ」w ハハw。
  「ドラムズ変えなきゃ。もうスタジオのプロ呼ばなきゃダメだ」と思ったわけですよ。
  これじゃあ そうですよね。
  Love Me Doをお送りしました。
248ホワイトアルバムさん:2013/06/13(木) 12:38:31.54 ID:???0
コスプレに走り人生設計が狂った蒐集家の末路がこの部屋だ!
http://imageshack.us/f/857/kedamanooyaji.jpg/
現在もちぎれんばかりにチンコをしごき自家発電に励むハゲオヤジの部屋
原発事故前から照明を落として節電?w
布団も洗濯せず何十年も敷きっ放しでエコロジー?w
家ダニの飼育と家庭菜園でカビやキノコも・・・食べちゃうの?www
やたらとアイドル、アニメに詳しい
(ローン地獄でこの先も実家の世話になり万年床で夜な夜な)ひとりぼっちのあいつ(はもう50歳超)
http://imageshack.us/f/857/kedamanooyaji.jpg/

この部屋見ればお分かりのように
オンナはおろか友人もいないので生まれ年と同じのヴィンテージギターを自慢する場所が2ch以外にない
すさみきったヤモメ部屋に気づかずうpしたのは万年床さんにとっては普通の部屋だから
結婚相談所でも相手が見つからず
時はローンでも買えないので子孫を残せないという最大のミスが重く圧し掛かり
いつも焦りとイラダチを2ちゃんねるにぶつけることで頭がいっぱいの万年床さん

今から奇跡的に酷いブサイク女が結婚してくれて子供ができても
成人する頃には布団から出れない老衰お爺ちゃん・・・・・まさにリアル万年床さんw
□ストーリー
 ・ジョン・レノンが最初に結成したバンド=ザ・クォーリメン。
  メンバーがみんな高校生の年代ということもあり、それぞれの進路を決定する別れ道に立たされる中、バンドの未来も揺れていた。
  ジョンとポール以外の仲間は、誰もプロなんて目指してはいなかったのである。
  
  この頃になるとイギリス中で大ブームとなっていた“スキッフル”はすっかり下火になっていた。
  ブームの立役者である大スター=ロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)を始め、有名なシンガーたちはみんなバンド名から“スキッフル”の文字を取り払っていた。
  しかし、スキッフルのバンドが何百何千と解散しようとも、才能があり音楽が好きなグループは リバプールだけでもまだ数百以上はあった。
  こうした連中はみんな、次には“ロックンロールバンド”として 凌ぎを削り合うことになる。
  
  ジョンとポールのクォーリメンを例に出すまでもなく、イギリスのロックバンドにとって最初のうち、自分たちが出す音がどんなに酷くても、彼らは平気だった。
  なにせイギリスでは、プロのロックンローラーすら大して上手くはなかったのである。
  1956年に「イギリスのエルビス」というキャッチフレーズでデビューしたトミー・スティール(Tommy Steele)がヘタなモノマネの見本を作った。
  それ以降はプレスリーだけでなく、エバリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)やビル・ヘイリー(Bill Haley)リトル・リチャード(Little Richard)のイギリスバージョンが数多く生まれた。
  それらは、ヒットレコードもあったにはあった。しかし、その全ては「哀れな代用品」に過ぎなかった。
  つまり本物は、真の発信地であるアメリカ合衆国からしか生まれないことを、当時の高校生でも次第に気付いて行くのである。
  
  そんな中、イングランドの北西に位置する街リバプールは、イギリスのどこよりもアメリカに近かった。
  この事実が、ジョンやポールたちに大きな影響を与えたことは 言うまでもない。
  〜 Bill Haley & His Comets / Shake, Rattle and Roll
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8B7xr_EjbzE

  〜 The Everly Brothers / Claudette
  ttps://www.youtube.com/watch?v=j0Otk53qFwM
 
  (小林)これ、エバリー・ブラザース(The Everly Brothers)はビートルズに多大な影響を与えてますよね、やっぱりね。
  Claudette ていう、ロイ・オービソン(Roy Orbison)ていう有名な人が書いた曲。
  ロイ・オービソンの上さんの名前が Claudetteだったていう。
  
  その前は、Bill Haley & His Comets。
  プレスリーなんかよりも先にロックンロールを紹介したバンドであります。  
  Shake, Rattle and Roll。
□ストーリー(続き)
 ・1957年当時、イングランドの北西に位置する街リバプールは イギリスのどこよりもアメリカに近かった。
  この頃はまだ大西洋航路があり、毎週何隻もの船が戻って来てはドックロードの厳めしい城壁の裏に停泊していた。

  若いリバプールの乗組員たちは地元では「キュナードヤンキー」と呼ばれていた。
  彼らがきらびやかなニューヨークの服を着て帰って来るからである。
  さらには、ガールフレンドにはタイムズスクエアで買ったアクセサリー、母親の客間にはマンハッタンのスカイラインを描いたランプシェード。
  そしてそれ以外にも、このキュナードヤンキーが持ち帰ったものがある。
  それは、イギリスでは手に入らないレコードの数々。
  毎週土曜日の夜には ロックンロールの祖先であるリズム&ブルースが港町に響いた。
  チャック・ベリー(Chuck Berry)アイク・ターナー(Ike Turner)といったシンガーの名前など、当時のリバプールでは まだ誰も知らなかったが。
  このキュナードヤンキーたちのおかげで、それらは初めてイギリスで紹介されたのである。
  
  しかし、ジョンとポールのバンド=クォーリメンには、アメリカのレコードを持ってきてくれるキュナードヤンキーの知り合いはいなかった。
  その頃には、チャペルストリートにある街の楽器店「ヘッシーズ」のショーウィンドウにもエレキギターやアンプも並ぶようになっていたが、
  まだ高校生のジョンやポールには、それを手に入れる財力は無かった。
  さらには、どこのグループもロックンロールのバンドらしくバンド名を変えていたが、クォーリメンにはそれが出来なかった。
  その理由は、ドラマーのコリン・ハントンのベースドラムのヘッド。
  つまりドラムセットの一番目立つところにデカデカと「The Quarrymen」と書かれていたから。
  当時の彼らにとって ドラムセットのヘッドは「破れるまで使うもの」いや「破れても、補修して使うもの」であった。
  これもイギリス人の国民性である。
  〜 Ray Charles / Mess Around
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iNe5npkid-s

  〜 Elvis Presley / I Got A Woman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fzFhcRTZnhM

  (小林)エルビス・プレスリーのIve get a women、1956年。
  もうこの頃は、彼のやる音楽は「ロックンロール」と呼ばれていました。
  
  そしてその前は、「ロックンロール」という言葉もなかった1953年のリズム&ブルースのヒット。
  レイ・チャールズ(Ray Charles)の Mess Around。
□ストーリー(続き)
 ・1957年末、アメリカ合衆国からやって来たロックンロールは、
  スキッフルしか演奏できないイギリス中のアマチュアバンドに、初めて親しむことが出来、真似することが出来る、あるシンガーを紹介した。
  そのシンガーの名は、バディ・ホリー(Buddy Holly)。
  バディ・ホリーは最初、ザ・クリケッツ(The Crickets)という名前のバンドのメンバー、という扱いで活動していた。
  エルビス・プレスリーという嵐のようなシンガーがデビューし、
  その後に出て来た新人の中で バディ・ホリーが異色であったのは、歌う楽曲の多くを彼自身が書いていたこと。
  そして多くのアイドルシンガーが、ギターをステージの上での“ただの小道具”のように持っていたのに対し、
  バディ・ホリーは、叩き出すストラトキャスターのビートが、バンドをドライブさせていたこと。
  もちろん リズムギターだけではない。
  ホリーは出身地がテキサス州ということもあり、カントリー&ウェスタンの影響を受けたリードプレイも巧みにこなしていた。
  しかし、彼はハンサムでもなく、やせっぽちの上、なんと黒縁のメガネまでかけ、
  このルックスが、イギリス中のさえない若者達に 光と希望を与えた。
  それに、ホリーの書く楽曲の多くが簡単なギターコードで作曲されていた、という点でも、アマチュアバンドがレパートリーに取り上げることが簡単だったのである。

  ポール・マッカートニーは、いつでもギターを弾いて曲を書いていた。
  そのポールの、クォーリメンにおける最初の目的は、メンバーのエリック・グリフィンをリードギタリストの座から追いやることであった。
  これは無理もなかった。
  当時のポールのギタープレイは、同年代の少年の中で右に出るものがいなかったのである。
  こうなると当然、自分がクォーリメンの中で延々とリズムギターを弾かされることに すっかり嫌気がさしていたのである。
  そう、当時のポールが目指す理想型は、バディ・ホリーそのものだったのである。
  〜 Buddy Holly & The Crickets / Oh! Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=YwHrx0r0t2s

  〜 The Beatles / Word Of Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pVJepoZme1w
 
  (小林)2曲つながりましたね。

  クリケッツ、バディ・ホリーの Oh! Boy ていう。
  
  そして、ビートルズの1964年ですね。
  ビートルズがカバーしました Word Of Love。
□リクエスト
  (小林)イシイのミートボールなど採用の方には差し上げておりますのでよろしく。
  メールは [email protected]

  (八千代市/男性)
  エルビスが聴きたくてリクエストしました。   (小林)いきなり来ましたねえw
  ビートルズは好きですが「エルビス大好き」の基盤があってこその「ビートルズ好き」です。
  久しぶりにエルビスの歌の中で一番好きな「Suspicious Mind」が聴きたくなりました。
  当てにしないで待っています。
  (小林)
  エルビスの「Suspicious Mind」が一番好きってことは、年齢は書いてないですけど、若いエルビスファンだとw 思われます。
  さあ、それではエルビスの、もうヒットが出なくなったころ、こういうヒットも出ました。

  〜 Elvis Presley / Suspicious Mind
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SBmAPYkPeYU
  〜 The Beatles / The Long And Winding Road
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LneBIOa9B8s

  (小林)
  久しぶりですよね。The Long And Winding Roadが流れましたよ。

  (つくば市/男性)
  泉谷しげるの「春夏秋冬」は宮沢賢治の「雨にも負けず」のパクリ。
  チューリップの「青春の影」はビートルズの「The Long And Winding Road」があって出来た曲。
  「青春の影」は個人の強い意志を。
  「The Long And Winding Road」はいろいろな出来事を受け容れながら生きて行く、しなやかな強さを載せた曲。
  どちらも大好きです。
  ドライブをしながら聴いていると思います。
  車窓に広がる景色をイメージさせる「The Long And Winding Road」を聴かせてください。
  
  (小林)
  まあ、「頂いた」とか「盗作だ」とか いろいろありますが。
  ビートルズのポール・マッカートニーもジョン・レノンも・・・。
  特にジョン・レノンはニューヨークに住んでる時、ニューヨークのFMに出て。
  すべて、片っ端から「これは ここから頂いた。これは ここから頂いた」ってw
  あの放送を聴いてみたいよねw。
  ええ、ジョン・レノンが種明かしをした番組があるみたいですよ。
  あとは あれですね、The Long And Winding Road、今かけたやつはポール・マッカートニーが嫌いだったっていう。
  特に、大ストリングスと 大コーラスが入って来る、あれが嫌いなんだろうね。
  (あなた)も、いろんな景色が広がって、これは広大な景色が広がるじゃないですか。
  でもね、面白いのは、自分で口ずさんで判るのは、ポールは自分の部屋でこじんまりと内省的に歌うこの曲が、彼が意図したものだったんですよね。
  それを、フィル・スペクター(Phil Spector)という人が、ぜんぜん違う世界にしたようです。
  ちなみに、フィル・スペクター、若い人はあんまりご存知ないかも分かりませんけど。
  今、アル・パチーノ(Al Pacino)がフィル・スペクターになって、もう映画終わったのかな?
  彼は今 危ない所にいるわけですけれど、その模様が映画になっちゃって、日本でも公開されることになると思います。
  楽しみに待っていてください。
  (習志野市/男性)
  ビートルズは なぜこんなに人気が長く続いているのか、考えてみました。
  特に英語の意味がよく分からない私などは、自分でも不思議でした。
  答えはよく分かりませんが、私の場合ひと言で言うと「耳に気持ち良いサウンドとハーモニー」聴いてると気持ちが良くなる。
  リクエスト曲は ビートルズと同じくらい好きで聴いている 吉田拓郎です。
  こんな歌も歌っています。

  (小林)
  そうなんだよね、吉田拓郎っていう人もかなり影響受けてると思いますよ。
  まあ、音楽はビートルズぽい曲はそんなに無いですけど、彼がマネージメントの人と原宿に出した店が「ペニーレイン」ですから。
  あの頃はね「ペニーレイン」がオープンした頃はね、あそこら辺が なんかオーラがありましたね。
  あれは何でしょうかね。今では平気でね、「え? こんな裏町?」みたいな感じで言っちゃうんですけども。
  やっぱり時代ですかねえ。じゃあ、吉田拓郎「ビートルズが教えてくれた」
  
  〜 吉田拓郎 / ビートルズが教えてくれた
  ttp://www.youtube.com/watch?v=q3xEn2uV7qo
  〜 John Lennon / Stand by Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xa08Te3mMEg

  (小林)吉田拓郎、そしてジョン・レノンと 強いボーカルが続きましたね。

  (船橋市/女性)
  先日 ジョンを描いたドキュメンタリー映画を見ました。
  中でも やっぱり面白かった場面は、怒り心頭のヨーコにニューヨーク追放されたジョンが、ロスで暴れまくるところです。
                         (小林)これはまあ、ドキュメンタリーというか普通のね、映画ですよね。
  当時のジョンの取り巻きが、追放の経緯や ロスでのホトホト手に負えなくなり、
  とうとうヨーコにヘルプを求めた、という証言の数々が次々と出てきていました。
                         (小林)あっ、そうなのかな、ドキュメンタリーなのかな?
  まさに、東へ西への哀れ自業自得のジョン。
  そもそもどう見ても、ジョンに西のロスは似合わない、やっぱり東のニューヨークこそがジョンらしい場所ですよね。
  (小林)
  ていうか、あれだよね、カリフォルニアで けっこう探すんだよね。
  で、オノ・ヨーコと一緒に、オーハイバリーていう 聖地かパワースポットかなんか。
  その頃ヒッピーが集まって住んだ所とか、いろいろ探ったりした経緯があるみたいですよ。
  はい、リクエストどうもありがとうございます。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  話しの方は、最高に面白いです。
  ジョン・レノンとポール・マッカートニーが知り合った頃のお話しが続いています。
  
  それから、リクエストほんとうにありがとうございます。
  リクエストを読んでると、皆さんが、ビートルズあるいはビートルズのメンバーに対して、それぞれ違うイメージ。
  そりゃもう、自分のイメージですから、自由なんですよね。
  僕たちも 僕たち独特のイメージを持ってるはずだし。
  そういうものが、なんか伝わってくると面白いですね。
  それが、一つの交歓の場になりますね。
  みなさん、遠慮しないで、自分のビートルズ観など。
  まあ難しいことじゃなくて、ワガママにリクエストしてくださってけっこうです。

  採用の方にはイシイの(略)
  [email protected]
  こっちで待ってます。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年6月16日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月16日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  もうすぐですよね、日本に来るのはね。
  しかし、1966年の今日は 実はポール・マッカートニーの愛犬。
  まあ、ポールは犬派で ジョンは猫派です。
  だから、ポールの家にはいつも犬がいるんですけど、多い時にはけっこう複数の犬がいたりするんですけども。
  1966年の今日、一番有名なポールの愛犬マーサ(Martha)が誕生日w。
  ロンドンの郊外で生まれてポールの家に来るわけですが、この頃はポールは恋人のジェーン・アッシャーと半同棲状態。

  でも、面白いのはね、半同棲をしているポールの家の周りはですね、もうほとんど昼間はですね、女の子のファンが複数取り囲んでるんですよ。
  ポールが出てこないか、ポールが帰って来ないか、ってことで。
  女の子のファンがいつもいるわけですよね。
  これは わかるでしょう?
  ところが、そのファンのリーダーみたいな、ボスみたいな女の子がいるわけです。
  で、このボスの女の子が このマーサの散歩の面倒を見ていたっていうから、ちょっと面白いでしょ。
   
  で、それにくっ付いた話しなんですけどw、
  ポールはけっこう 公然と浮気をするわけですよね。
  それで、恋人のジェーンは役者ですから、旅公演なんかで いなくなったりするんですよ。
  そうすると、女性を連れ込んだりするんですが。
  実はですね、ニューヨークからやって来た広告コピーライターのフランシス・シュワルツという女性がね、
  脚本を、ポールから金を出してもらおうと思ってプレゼンするんです。
  でも、ポールは映画の内容とかそういう前に その女の子に興味を持っちゃって、自宅に住まわせるんですよ。
  長い間ジェーンがいないもんで。
  それで、ジェーンがいないでしょう、それで、女の子が取り囲んでるでしょう、ポールの家を。
  それで、帰って来るんです、ジェーンが。
  そしたら、女の子たちのボスが「ジェーンが帰って来たよ! ジェーンが帰って来たよ!」って通報するんですけども。
  ポールが「また、冗談を言って。そんな冗談言うなよ」って言って、ポールは実は見つかっちゃって。
  これで役者のジェーンさんは、破局記者会見っていうのを勝手に開いちゃうわけです。
  「ポールともう別れました」っていう。
  
  なぜこの話しをするかというとですね。
  ポールの「Martha My Dear」っていう有名な曲がありますが、これは犬に捧げた。
  「ばっかだなあ お前、めっちゃクチャ・・・自分でやんなさい」みたいな 優しさの歌なんだけど。
  これは、ひょっとしたらジェーンに向けた歌ではないか、とも言われているんで。
  それで皆さんに聴いてもらおうと思って、
  ビートルズの「Martha My Dear」
  
  〜 The Beatles / Martha My Dear
  ttps://www.youtube.com/watch?v=g6-5cvEMM8I

  (小林)ビートルズの、ポール・マッカートニーの Martha My Dear。
  やっぱりこれ よく聴くと、元カノの歌とも取れますよね。ねえw。
  「二人は運命の二人なのに なんてバカことをした」まあ、ジェーンの方は「そのまま 私はあなたにお返しします」って言うかもわかんないですけども。
  という ポール・マッカートニーの世界をチラッと楽しんでいただきました。
□ストーリー
 ・「ああ、エリックのギター、どうも今一つだなあ。
  こんなんじゃあ 後輩のバンドにもすぐに追い抜かれてしまうよ。
  なんでもっと練習して来ないんだよ。
  オレに弾かせてもらえれば、バンドの音はグッと上がるんだけどなあ。」

  これは1957年当時、ジョンが率いていたバンド=ザ・クォーリメンに加入した当時の ポールの心のつぶやき。
  ジョンはジョン・レノン、そしてポールとはもちろんポール・マッカートニー。
  二人はこの数年後、ロック史上の最強のソングライターコンビ=レノン・マッカートニーとして ミュージックシーンの頂点に立つことになる。
  しかし、この頃はまだ“ビートルズ”というバンド名すら存在していなかった。

  それにしても、クォーリメンのリードギタリスト=エリック・グリフィンの演奏に対するポールの不満、これは無理もなかった。
  当時のポールのギタープレイは 同年代の少年の中で 右に出るものがいなかったからである。
  当然ポールは、自分がクォーリメンの中で延々とリズムギターを弾かされることに すっかり嫌気がさしていたのだ。

  1957年も後半になると、イギリスでのスキッフルの人気も、とりあえず一段落してきた。
  確かに、スキッフルはポップな音楽であり、楽器も手作りのものが多く、バンドを結成するにもそれほどお金がかからない。
  そういう利点があった。
  しかし、ティーンエイジャーが本当に憧れる音楽はやはりロックンロールであり、誰もがエルビス・プレスリーのようなロックンロールヒーローになりたかった。
  伝統のあるイングランドであるからこそ、全く新しい世界であるアメリカ合衆国からの新しい波を受け容れることが出来た。
  しかしそれは、15歳から せいぜい25歳までの話し。
  それ以上の世代、特にティーンエイジャーの親の世代にとって、
  ロックンロールなど「目の上のタンコブ」「悪魔の音楽」に他ならなかったのである。
  〜 Jerry Lee Lewis / Great Balls of Fire   
  ttps://www.youtube.com/watch?v=sX5L288USMg

  〜 Fats Domino / Ain't That A Shame
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_8CFeNxLXCo
 
  (小林)2曲ロックンロールが続きましたね。

  1曲目は、Great Balls of Fire。
  これは、プレスリーの頃の 同じ所出身のジェリー・リー・ルイスという、とてもこの頃は有名だった人ですよね。
  ピアノを弾きながら、足で鍵盤を叩いたりするような弾き方をしたりしたロックンローラーです。
  Great Balls of Fire 彼の一番のヒット曲。
  アメリカのカントリーで1位ね。
  で、ポップスのチャートでは2位。
  イギリスではこれは1位。
  
  そして今(2曲目)聴いたのは、Ain't That A Shame。
  ファッツ・ドミノです。1955年、プレスリーが出てくる前のR&Bの世界ですが。
  R&Bのチャートで1位。それから ポップスでは10位。
  ちなみに イギリスでは23位の曲。
  を紹介しました。
□ストーリー(続き)
 ・「なあ、エリック。ちょっと お願いがあるんだよ。
  今度のライブで一度だけ 僕にギターソロを弾かせて欲しいんだ。
  いや、別に君を差し置いて 出しゃばるつもりは無いんだけど。
  自分のギタープレイが実際に本番のライブで通用するかどうか、試してみたいんだよ。
  どうかなあ? 一曲だけでいいんだよ。たのむよ。」
  
  これは、ジョン・レノンが高校生時代 最初に結成したバンド=クォーリメンの、ある日のミーティングでの一場面。
  お願いしているのは、最後に加入したメンバー=ポール・マッカートニー。
  リードギターを担当するエリック・グリフィンに対し、自分にソロを弾かせてもらえるように提案をしていたのである。
  実際、教会が主催するフェスティバルに出演したクォーリメンと、初対面した時点で ギターの腕はポールが断トツであった。
  というよりも、ジョンを始めとするメンバー全員、チューニングすら出来ないばかりか、ただの一度もきちんとした歌詞を歌えた試しがなかった。
  ポールとは最初から レベルが違っていたのである。
  ミーティングの末、エリックはポールに ソロを弾かせることに同意した。

  そしてある晩、地元リバプールのブロードウェイ・コンサバティブクラブでのライブの時、ポールは初めて観客の前でギターソロを弾いた。
  結果は ボロボロ。
  そこには、あのいつものポールの冴えたギタープレイは無かった。
  完全に客に呑まれてしまったのである。
  その後日、ポールはこの時の汚名を返上しようと 自分で書いてきた曲 I Lost My Little Girl をジョンに聴かせた。
  ジョンは歌詞が覚えられないため アドリブで面白おかしく 時にはわいせつな表現も加え 客の爆笑を得てはいた。
  しかし、それがオリジナル曲を書くまでに発展する などとは少しも考えていなかった。
  
  一方、ポールは大好きなバディ・ホリーに触発され、すでにこうして曲を書き始めていた。
  こうして、何かにつけ ポールが一歩リードするという、レノンとマッカートニーの関係は この頃すでに始まっていたのである。
  〜 Paul McCartney / I Lost My Little Girl (Unplugged)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6iDh9AHsEro

  〜 Paul McCartney / Here, There and Everywhere (Unplugged)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kLow753QvL0

  (小林)ポール・マッカートニー 2曲続きました。
  これは、そのまま2曲繋げてお送りしたわけですが、
  1990年代に流行った「アンプラグド(Unplugged)シリーズ」
  MTVがスタートさせたやつ。
  これは、みなさんどうでしょう?アンプラグド。  
  若い方は 知らない方もいるかもわかりませんけども。
  いろんなアーティストがね、「アンプラグド」つまり「電気を抜いた」ていう。
  エレキを使わないアコースティックなライブのことを「アンプラグド」と称したんですが。
  ポールもそれに参加しました。
  
  そこで、先ほどお話しした、ジョンと相方になって 初めてポールが作った曲、I Lost My Little Girl。
  ♪アッア ハァハ〜ァ♪っていう“しゃっくり唱法”の、バディ・ホリーの歌い方なんですけども。
  やっぱり、この頃の高校生ぐらいのポールの作曲では もう大いにバディ・ホリーを意識してた、I Lost My Little Girlというね。
  即座に その場でやったみたいですよね。コードを言ってただけだもんねw メンバーにねw。

  で、ポール・マッカートニーの「それから何年か経って、この曲を書きましたとさ」っていう Here, There and Everywhere 。
□ストーリー(続き)
 ・「ああ、あれだけ練習したのに、なんてこった!。
  僕にはギターの才能が無いのか。」

  ある晩、地元リバプールのブロードウェイ・コンサバティブクラブでのライブの時、
  ポールは初めて観客の前でギターソロを弾いた。
  結果は ボロボロ。
  そこには あのいつものポールの冴えたギタープレイは無かった。
  しかし、根っから前向きでプラス思考のポールは、この時の汚名を返上しようと 自分で書いた曲 I lost my little girlをジョンに聴かせた。
  ジョンはビックリした。
  「この曲 悪くない。ていうより、すごくいい曲じゃないか。
  これほんとにポールが書いた曲だとしたら、それはすごいことじゃないか?」

  この時のジョンは、自分たちがオリジナルの楽曲を作り それを演奏するようになるとは 少しも考えていなかった。
  しかし、アメリカにもオリジナル曲をヒットさせているロックンロールシンガー、数は少ないが存在していた。
  特にその中の一人 バディ・ホリーにはジョンもポールもかなり影響を受けていた。

  いつものことであるが、ポールがそれとなくジョンのお尻を叩くような発言をした。
  「ねえ、ジョン。僕らクォーリメン、何となく仕事も入ってきているし、リバプールの学生バンドとしてはまずまずの所まで来ている と思うんだ。
  だけど、たくさんある他のバンドに比べて、これだ!っていうところが無いよね。
  一応スキッフルは卒業して ロックンロールバンドとして恰好はついているように見えるけど、
  僕らより若いバンドが次から次へと出て来るのは間違いない。
  そうなると、僕らは、飽きられてお払い箱、ってことになる。
  そうならないために必要なことが二つあると思うんだ。
  一つ目は、演奏力をもっと強化すること。
  やっぱり、エリックのギターじゃダメだよ。
  もっと上手いギタリストが必要だよ。
  それと、やはりオリジナルの曲を書いて演奏すること。
  これだけは、誰にもマネできないことだよ。
  なに、心配いらないよ。僕らにはお手本があるじゃないか。ロイ・オービソンが。
  そして、バディ・ホリーがいるじゃないか!」
  〜 Buddy Holly / Peggy Sue
  ttps://www.youtube.com/watch?v=y6nNRJkh_UQ

  〜 John Lennon / Only You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tsNshfj-rJw
 
  (小林)これは(2曲目)ジョン・レノンの Only You です。
  1974年、リンゴ・スターのセッションでの。
  これは、プレスリーが出てくる前の、プラターズ(The Platters)ていう黒人たちのグループの大ヒット曲、ナンバーワンでしたね。
  それのカバーです。

  で、その前(1曲目)は 本物です。 Peggy Sue。
  1957年、これが ジョンやポールにすごい影響を与えた。
  ちなみに、この曲の権利が バディ・ホリー(Buddy Holly)の権利は全てポールが買い取っちゃった、という。
  この曲は最高傑作と言われていますが、アメリカで3位 イギリスで6位。
  Peggy Sue。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。
  メールは [email protected]

  (千葉市/女性)
  私は日曜日にテープに録音しながら聴いています。
  月曜日が仕事休みの主人は、晩酌をしながら月曜日の夜に私と二人並んで聴いています。 (小林)なかなかいいね。
  リクエスト曲は、気合いが入ったリンゴが「ヘイ、ジョージ!ギターを弾け!」と叫んでる
  あの、Boys ていうビートルズの曲を主人に。
  私には、イシイ食品のミートボールなどを、お願いします。
  (小林)ww
  わかりましたw。  

  〜 The Beatles / Boys
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1TW7U2ojFF4

  〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-la-Da
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Fj6ajN-iF4g

  (小林)Ob-La-Di, Ob-la-Da が流れました。

  (香取市/男性)
  仕事をしながら聴いています。
                (小林)けっこう仕事をしてる。
                   さっきの方の旦那さんも仕事をして。
                   あなたも、仕事ですよね。
  テンション上げてがんばりたいので、リクエストをお願いします。

  (小林)
  Ob-La-Di, Ob-la-Daていうのは、テンション上がるんですよ、聴き方によっては。
  ポールの曲って けっこうテンション上がる曲 多いですよね。
  (銚子市/男性)
  先日 動画サイトで「Clair」という曲をちょっとだけ試聴しました。 (小林)どうして、ちょっとだけ ですかねw。
  歌声を聴いて「あれ?歌ってるのはビートルズかな?」と思って歌手名をよく見てみると
  ギルバート・オサリバン(Gilbert O'Sullivan)という歌手でした。
  僕は「こんなにきれいな曲があったんだ」と思い感動しました。
  ぜひ、フルで聴きたいのでリクエストします。

  (小林)
  そうですよね。ギルバート・オサリバンって言う人は、やっぱりビートルズのそういう風な世界を切り取ったような。
  歌詞も、ちょっとビートルズの世界がかぶってるような人でしたけども。
  ヒットはそんなに多くはありません。
  ちなみに、いまだに彼は自分一人で住んで、音楽的な活動を続けております。
  なかなか偉い人です。
  あなたのリクエストで、ギルバート・オサリバンの女の子の名前・・・
  
  〜 Gilbert O'Sullivan / Clair
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Wtgs2P4wVFo
 〜 The Beatles / Golden Slumbers-Carry That Weight-The End
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4HCaBAV4ZTI

  (小林)というわけで、これ、聴き応えがありますよねえ。

  (横浜市神奈川区/男性)
  少し前の放送を聴いて感激しました。
  お名前は忘れてしまったけど 北海道の酪農家の方、自分と全く同じビートルズの入り方だったから。
  私も「アビイロード」を聴いて入門したからです。   (小林)入門 ねw
  スピーカーはさすがにJBLではないけれど、アンプはヤマハのセパレートでけっこう金をかけました。
  やはりその後「サージェントペパー」を聴いてみたけど「アビイロード」のB面ほど感激しなかったのを覚えています。
  そこで、リクエストですが、ありきたりな「The End」をお願いします。
  どこから始まるかは お任せします。
  (小林)
  ということで。毎回これはセットで、必ずこれはセットになっています。
  Golden Slumbersね、Carry That Weight、そして The End、とお送りしました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  
  やっぱり、高校生のバンドのころが一番面白いんだろうなあw。
  そんな感じですよねw。
  でも、ジョンとポールがいたから ビートルズだw。当たり前の話しだけど。
  いかにも、そうだよねえ、ポールがいなかったらダメだったわけですよねえ。
  ジョンがいなかったら ダメだったわけですよねえ。
  そんなことをいつも感じますが。
  
  それから、リクエストもよろしくお願いします。
  さっきの方じゃありませんけど、リクエストも人を感動させるんですねえ。
  やっぱり、俺も同じ体験をした、私も同じ聴き方をした、とか、そういう人たちが聴いております。
  よろしくお願いします。

  採用の方にはイシイの(略)
  メールは [email protected]
  こちらの方で待っております。
  
  さあこの、ジョンとポールの性格がまた ほんとに違うんですよね。
  文句のつけ方もね、ポールは攻撃的だけど、ジョンの場合は、ちょっと違うんですよ。
  これねえ、最後まで話しを読んで行くとね、いかにもジョンらしい、ね。
  ポールはだけど 一生懸命に・・・こう、何て言うのかなあ、一生懸命努力するんですよね。
  で、ジョンはちょっと引いてね、いろいろ見るんですよ。
  人の弱いところを見たりするんですよね。
  面白い性格です。
  この やっぱり性格の組み合わせもあったのかもしれません。
  
  さあ、来週もお楽しみに。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年6月23日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月23日)
 ・1940年(今から73年前の今日)
  戦前ですね。スチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)がエジンバラで生まれました。
  「5人目のビートルズ」です。
  ビートルズファンは 一応名前を知っておいてくださいね。スチュアート・サトクリフ。
  生きていれば73歳です。
  スコットランドのエジンバラに生まれまして。マージーサイドのリバプールのフィトンっていう所で育って。
  リバプール・アートオブカレッジに進学するんですよ。
  で、ここでジョンと知り合う。

  ジョンはこの人が大好きだった。ルックスが良くて、画家としての実力も優れていて。
  彼は学校のスター的な生徒であった。
  ジョン・レノンと出会って 共同生活をするほど親しくなるんですね。
  この二人の仲の良さは、ポール・マッカートニーが嫉妬するほど。
  もともと 彼は楽器は弾けなかった。
  1960年、自分の絵が60ポンドの高値で売れたことから・・・これ、賞金をもらうわけですね。
  ジョンとポールに勧められて「おまえ、ベースを買えよ」ってことで、ベースを買ってバンドに加入します。
  1960年、ハンブルグへ行って。
  そこでクラウス・フォアマンの紹介で写真家の卵のアストリッド・キルヒヘルっていう女性と意気投合して 二人は11月に婚約して
  4月1日、ビートルズは2度目のハンブルグの巡業をやるんですが。
  この巡業のあと、本格的に画家の道に進むことを決意して、ビートルズを脱退します。ドイツでね。
  で、これによって、ギターを担当していたポール・マッカートニーがベースをやるようになる、と。
  1962年の4月10日、以前暴行を受けたことによる脳腫瘍のため他界。
  21歳の若さで亡くなる、というわけですが。
  サトクリフは天才的な 芸術的なセンスがあった人。
  そして、良く知られているのは、ビートルズの名前に彼が協力した。
  「バディ・ホリーがさあ、“コオロギ”だからさあ、“ビートルズ”はどう?これも昆虫だからさあ」っていうことで
  ビートルズになった、という話しもありますよね。
  それではその、21歳で亡くなったスチュワート・サトクリフが大好きだった、という曲。
  このアーティストは、イギリスとか日本ではね かなり人気がありますよ。
  イギリスでは特に この人とバディ・ホリー(Buddy Holly)はプレスリーを凌ぐような人気があります。
  どこかプレスリーなんかに比べると、影があってね、病的で、もろさを感じるんですよね。
  だからなのかなあ、悲劇的なヒーローでもありましたね。
  その彼の曲を、ジョン・レノンがカバーしています。
  ジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)の Be Bop A Lulaを彼の「ロックンロールアルバム」でジョンがカバーしているわけですね。
  さあ、それじゃ その曲です。Be Bop A Lula 。

  〜 John Lennon / Be Bop A Lula
  ttp://www.youtube.com/watch?v=K7FSlekmNz8

  (小林)今から73年前に生まれた、ジョンの親友だった人、スチュアート・サトクリフ。
  彼が大好きだったジーン・ヴィンセントの曲をジョン・レノンが歌って、今は亡き親友に捧げています。
   Be Bop A Lula。
□ストーリー
 ・「ねえ、ジョン。ちょっと聴いてほしいんだよ。
  僕らは一応スキッフルは卒業して ロックンロールバンドとして格好はついているように見えるけど、
  僕らより若いバンドが 次から次へと出てくるのは間違いない。
  そうなると 僕らは飽きられてお払い箱ってことになる。
  そうならないために、必要なことは二つあると思うんだ。
  一つ目は、やはりオリジナルの曲を書いて演奏すること。
  これだけは、誰にもマネできないことだよ。
  そして、さし当たってもっと重要なのは、演奏力をもっと強化すること。
  やっぱり エリックのギターじゃダメだなあ〜。
  もっと上手いギタリストが必要だよ。」 
 
  これは1957年当時 ジョンが率いていたバンド=ザ・クォーリメンに加入した当時のポールの提案。
  ジョンとはジョン・レノン、そしてポールとは もちろんポール・マッカートニー。
  二人はこの数年後 ロック史上最強のソングライターコンビ=レノン・マッカートニーとしてミュージックシーンの頂点に立つことになる。
  
  ある日、クォーリメンがリバプールのウィルソンホールで演奏していると、時々じっと見つめる少年がいた。
  念入りに仕上げたテディボーイズヘアで、青白く頬のこけた顔をニコリともさせず、ただバンドを見ている。
  その少年が、ポールの学校の友人で、ギタリストを目指しているらしい、とクォーリメンのメンバーは何となく知ってはいたものの
  彼は特定のバンドには所属していなかったので、その腕がどんなものなのか誰も分からなかった。
  ポールの意見では、その少年を仲間に加えればクォーリメンはグレードアップする、というものであったが、
  最初はだれも気にも留めていなかった。
  
  というのも 2月生まれの彼は その時点でまだ14歳。ロックにはまだ早すぎる。
  それに酷く無口で むつっりしていたせいもあり、友人も少なかった。
  少年の名は、ジョージ・ハリスン。
  「三人目のビートルズ」の登場である。
  〜 George Harrison / When We Was Fab
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kfY3TcyQk3I

  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MG-ia0NV8Ts  
 
  (小林)2曲続きました。

  今の短いやつ(2曲目)は、お馴染み「ノルウェーの森、Norwegian Wood」
  「この鳥は飛んで行っちまった」ていうw。
  ジョン・レノンの作品です。

  その前は、1986年ですよ。
  ジョージ・ハリスンの「クラウド・ナイン(Cloud Nine)」のアルバムの中に入っていました、When We Was Fab 。
  We was っていうのは学校で習った、We were じゃなくてね、We was っていう。
  これはまあ習慣的に、文法的に間違いを犯すんですが。
  Fab って言うのは「ファビュラス(Fabulous)」つまり「素晴らしい」の略です。
  で、英語は 特に書き英語はですね、重複を嫌うので、ビートルズ、ビートルズ、て言うのを嫌って、
  時々「ファビュラス・フォーサム(Fabulous Foursome)」てね「素晴らしい4人」という言い方が ポピュラーだったんですが。
  「ファビュラス・フォーサム」を略して「ファブ・フォー(Fab Four)」って言ったんですね、ビートルズのことをね。
  で、ジョージ・ハリスンは「我々が素晴らしかったころ」ていうのは「ビートルズだったころ」の思い出の歌。
  思い出を語っているわけですね。この歌の中で。
□ストーリー(続き)
 ・「みんな、ちょっと、聞いて欲しいことがあるんだ。
  僕らの演奏を ちょくちょく見に来ている学校の後輩がいるのを知ってるだろう。
  彼、ジョージって言うんだけど。やつのギター なかなかいいんだよ。
  今度 紹介するから、楽しみにしといてくれ。」

  これはジョン・レノンが高校時代 最初に結成したバンド=ザ・クォーリメンのある日のミーティングでの一場面。
  ジョージというギターを弾く少年を紹介しようとしているのは、最後に加入したメンバー=ポール・マッカートニー。
  いまだにロックの世界の最高峰に位置する あのポール・マッカートニーである。

  ポールはジョージのことを、何年も前から知っていた。
  マッカートニー家がまだスピークという地域に住んでいたころ、
  ジョージは毎朝アップトン・グリーン近くのバス停からポールと同じバスで学校に通っていた。
  ワイワイ騒ぎながら宿題を写しあう子供たちは、誰もがジョージの父親が自分たちが乗っているペパーミントグリーンのリバプール市営バスの運転手であることを知っていた。
  ポールがある朝 財布を家に忘れ、バス代を払えなかった時、ジョージの母親がそれを立て替えてくれたこともあった。

  彼の父親ハリーと母親ルイーズが1929年に結婚した時、ルイーズは野菜の市場で働き、ハリーはホワイトスター汽船の乗組員だった。
  二人の間には 1931年に娘が生まれ、34年には長男が、さらに40年にはリバプール爆撃の最中に二男が誕生した。
  世の中は世界大戦に突入していたこの時期、父親のハリーは出来るだけ家族と一緒にいることを望み 船を降りていた。
  その後、失業保険で食いつなぎ、自治体に就職。
  最初の仕事が バスの運転手だったのである。
  そんな小さなテラスハウスに暮らすハリソン家に、三男となる4人目の子供が生まれた。
  その赤ん坊の名前は、ジョージ。1943年2月24日のことであった。
  〜 George Harrison / What is life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8eEQ4J6Lnrs

  〜 George Harrison / Give Me Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=s-KAvPbO8JY

  (小林)2曲 ジョージ・ハリスンの曲が続きました。

  最初のソロアルバム「オール・シングス・マスト・パス (All Things Must Pass)」の中から「What is life」
  それから、これは1970年。

  今聴いたの(2曲目)は 1973年、こんどは「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(Living in the Material World)」という
  自分がセルフプロデュースしたアルバムです。
  もうこの 70年代の初めっていうのは、ジョージ・ハリスンね、すごいですよ成長がね。
  Give me love(Give Me Peace On Earth) ていう曲。

  2曲。
□ストーリー(続き)
 ・「おお!この赤ん坊、オレにそっくりじゃないか。これは可愛過ぎる!。」
  ハリソン家にとって三男となるジョージが誕生した時、そのあまりの可愛さに父親のハリーは飛び上がって喜んだ。
  特に 黒目がちなその瞳はハリーに瓜二つである。

  生まれてその日から、ジョージはまだ良く見えていない眼で 注意深く世界を観察していた。
  父親のバス運転手としての稼ぎは、それほど多くはなかったが、それでも4人の子供たちに少しも不自由を感じさせることは無かった。
  母親のルイーズはやりくり上手な上に とても明るい性格で、家にはいつも彼女の笑い声が響いていた。
  戦時中にベビーブームにより、リバプールでも小学校が満員状態であった。
  ジョージは母親と同じカトリックの洗礼を受けていたが、
  空きがあったのは ペニーレインに近い英国国教会系宗教団体のダブデイル小学校のただ一校。

  ジョージがその小学校に通っていたころ、2年歳上にはジョン・レノンがいた。
  そして1954年、11歳になったジョージは リバプール・インスティテュートに入学。
  今度は 一学年上にポール・マッカートニーがいた。

  だが、まずまずの優等生だったポールと違い、ジョージはやがてひどい素行不良児になっていた。
  敏感で洞察力があり、ずば抜けた記憶力を持つジョージは 授業や学校の決まり事をすべて毛嫌いするようになった。
  その結果、停学処分になり、鞭で打たれてもジョージは平然としていて、そのピッタリと閉じられた心のシャッターを誰もこじ開けることは出来なかった。
  これでは 先生方はみんなお手上げである。

  ジョージがさらに悪評を得ることになったのは、やはり テディボーイファッション。
  年上連中の間で流行っていたヘアスタイルは、あのダックテイル・スタイルで、ジョージも髪を高々と盛り上げ、学生帽は後ろの方に何とか引っかかった状態。
  そしてズボンは細くなり、シャツの襟と 靴のつま先は どんどん尖って行く。
  これはもう、少し年上のジョンやポールと同じ道を歩んでいたことに 間違いはなかった。
  〜 The Beatles / Roll Over Beethoven
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kOPCwnqcg4Q

  〜 The Beatles / Old Brown Shoe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3Jk-kY7SMYc
 
  (小林)ジョージ・ハリスンがリードボーカルを取っている曲が2曲続きましたね。

  これ(2曲目)は、1969年、「The Ballad Of John And Yoko」のB面です。
  Old Brown Shoe。
  
  そして、その前が1963年の「With The Beatles」のアルバムの中に入っています、
  もともと このチャック・ベリーの傑作はジョンの持ち歌だったんだけども、ジョンは譲ってジョージに歌わせておりました。
  Roll Over Beethoven。
□リクエスト
  (小林)
  あて先は 
  [email protected] 
  です。
  採用の方には、もれなくイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。

  (木更津市/女性)
  私がビートルズを知ったのは、その昔 土曜日の午後テレビで「ヘルプ!」の映画を見た時からです。
  最初はポールが好きでしたが、次にジョンが亡くなった時、高校生で期末テストの勉強をしている時。
  「銃で撃たれた」とラジオ番組で聞かされました。
  ジョンの影響力に圧倒されました。
  19歳の時だっけなあ。
  カセットテープの赤盤と青盤を買って すり切れるまで聴きました。
  落ち着いた現在は クラプトンに影響され、彼と関わりのあるジョージが好きです。
  リクエストは原点の「ヘルプ!」です。よろしく。
  (小林)
  ていうことで、あなたのリクエストです。

  〜 The Beatles / Help!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HkHvNz9tgzM
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fUHzyyyW9Sw

  (小林)お馴染みの曲が続きましたね。

  (千葉市/男性)
  私の職場のYさんは ビートルズが東京に来日した時、宿泊先の当時「ヒルトン東京」で働いておりまして。
  羽田からホテルに着いて、ビートルズの4人とマネージャのエプスタインに、紅茶で、それもリプトン紅茶のティーバックを出したそうです。
  ビートルズの一人が、窓から下のたくさんのファンを見ながら「あれは何だ?」とYさんに訊いてきた、と言っていました。
  ビートルズの話しになると、今では自分の事のようにみんなに語っています。 
  (小林)
  そうですよ。
  ビートルズの体験とかそういう様なのを体験した人はですね、
  もうみんなに聞かれるから、それがレパートリーになっちゃって、ネタになっちゃっててね。
  僕も知ってる人も、話しているうちに、同じことを自分の話しでずーっと話すもんだから、
  何年か経つと 「あれは、本当にあったのかなあ?」なんて思ったりすることもあるんだw みたいなことを言っておりましたけどw。
  (木更津市/男性)
  うちは家で会社をやっています。
  この時間は社員から家族に戻って 夕食を摂りながらみんなで聴いています。
  僕とビートルズの出会いは、社長こと親父がきっかけでした。
  ビートルズメンバーの顔の区別がつかなかった小学生の時の僕。
  テレビに映るメンバーを指さしつつ、名前をドヤ顔で教えてくれた親父。
  しかし、今や僕の方が詳しくなり、親父はたまに間違えるようになってしまいました。
  そんな親父が たぶん楽しみにしているであろうアルバムが もうすぐ出ます。
  細野晴臣の新しいアルバムから 何かリクエストをお願いします。
  このアルバムは ビートルズぽさはあるのかな?。
  (小林)
  というかw まあ、細野晴臣ぽさがw
  てか 細野晴臣の音楽の世界は、ビートルズとはだいぶ違う所にあるような気がするんですけども。
  これはどうでしょうか? 
  その昔、フランク・シナトラ、ナンシー・シナトラの父娘がデュエットして アメリカで大ヒットした曲があるんですが。
  これは(あなた)のリクエストに、これで応えたいと思います。
  
  〜 細野晴臣 / Something' Stupid
  ttps://www.youtube.com/watch?v=FCfN9C3BdKM
  〜 The Beatles / Twist And Shout
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6Kux9cLhrno

  (小林)
  いやあ、細野晴臣から こっちへ来ましたねえ。Twist And Shout

  (船橋市/女性)
  いつも旦那と3歳の息子と一緒に晩御飯を食べながら楽しく聴いています。
  遥か昔、ラジオの「百万人の英語」や、MTVが始まったばかりの頃の「ベストヒットUSA」から 小林さんの声に親しんでいる者です。
  いつも お元気そうな声で嬉しいです。
                     (小林)ありがとうございます。
                         長いですね〜、このおじさんはね。
                         ただ、ジョン・レノンより一歳若いんですねえw。
  初めてリクエストします。 
                     (小林)ありがとうございます。
                         Twist And Shout、ジョン・レノンですね。ボーカルは。
  以前「フェリスはある朝突然に」という映画の中で、
  主人公の男の子が路上のフェスティバルで この曲をノリノリで歌っているシーンがあって、
  周りのみんなも釣られてノリノリで踊り始めて、それ以来 好きな曲になりました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
  
  お話しの方は、だんだん盛り上がって来ますから。
  今は ジョージ・ハリスンを紹介してる時です。
  
  リクエスト 採用の方には イシイの(略)
  [email protected]
  こちらで待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
 2013年6月30日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月30日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  今日は すごいですよw。1966年、66年 わかりますね?。
  はい、わかった人。何人かいるはずですね。
  そうです。47年前の今日、ビートルズが武道館でコンサート。
  6月30日 これは夜のみ。
  で、木金土とやるわけですが。
  合計5回 昼夜とやるわけですよね。
  ビートルズはこの後で、1966年はフィリピンだとか、いろんな所で、ライブで恐ろしい目に遭っちゃったりして。
  もうライブを演らなくなる年 なんですよね。
  この年のライブを最後に。
  で、この、日本に来てコンサートを奏ったていうことは、この番組で死ぬほど取り上げておりますので、
  何回かいろんな情報を耳にしたことがあると思いますが。

  面白いのはね、1967年、イギリスで モンキーズ(The Monkees)の最初のコンサートがあるんです。
  モンキーズてのは アメリカの業界が造ったバンドだと考えると解かり易いんですけども。
  ビートルズが世界的に売れるようになって、アメリカの市場を荒らして アメリカのアーティストがけっこう迷惑を被ってる。
  アメリカの会社も「これは何とかしにゃいかん」ていうことで、
  アメリカの「ビートルズに匹敵するようなアイドルを造ろう」ていうことで生まれたのがモンキーズですよね。
  そのモンキーズの最初のコンサートってのが1967年。
  それも、ビートルズの事務所が主催したwというわけでw。
  これは、ちょっと面白いと思いますよ。
  さあ それでは1987年に発売された、1967年ライブ という、モンキーズのサウンドがあるんです。
  アメリカの業界の人たちは ビートルズに負けまいとしてモンキーズを造りました。
  オーディションでメンバーを集めたんですけども、最初は楽器が上手く弾けなかったんで、
  いろんな人が、コンサートでもバックで弾いていたとか、いろんなウワサがあったり。
  テープでやってたとか、ウワサがあるんですけども、この頃はちゃんと奏っていたらしい、という記録が残っております。
  1967年の ビートルズじゃなくて モンキーズで行きたいと思います。
  曲は みんな知っているやつ・・・

  〜 The Monkees / I'm A Believer
  ttp://www.monkeesconcerts.com/1967-north-american--british-tour.html(資料)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XfuBREMXxts(参考=Official Music video)

  (小林)というわけで、女の子の悲鳴とかはね、おそらく同じだと思いますが
  モンキーズの「I'm A Believer」という 彼らのヒット曲を聴いていただきました。
  ビートルズをずーっと聴いているファンが「モンキーズってヘタ」って思ったとw 思います。
  これは面白いんですよ。
  「他のミュージシャンは参加していない」「後になってオーバーダブで直してない」ていう風なクレジットが付いているんですよ。
  だから、その頃いかにウワサとしてね「モンキーズはホントは奏ってないんだよ」「他の人がボーカルやってんだよ」っていう
  「演奏もやってるんだよ」という噂が強くあったんですけども。
  それを否定するようなことを「ちゃんとモンキーズが奏っています」ていう、ことが書いてあるんですけども。
  どうですか? アメリカの業界がビートルズに負けまいと造ったモンキーズのライブをお送りしました。
□ストーリー
 ・「ねえ ジョン。
  前から言ってるけど、僕らクォーリメンは そろそろ本格的なロックンロールバンドにならなきゃいけないと思うんだ。
  そのためには、どうしてもメンバーのテコ入れが必要だよ。
  そろそろ真剣に考えないか?」 
 
  これは1957年当時 ジョンが率いていたバンド=ザ・クォーリメンに加入して少し経った頃のポールの提案。
  ジョンとはジョン・レノン、ポールとは もちろんポール・マッカートニー。
  二人はこの数年後 ロック史上最高のソングライターコンビ=レノン・マッカートニーとして、ミュージックシーンの頂点に立つことになる。

  この時、ポールにはおぼろげながらではあるが、心当たりがあった。
  当時通っていた学校リバプール・インスティテュートの一学年後輩で幼馴染のジョージ・ハリスンという少年である。
  小学生時代のポールとジョージは同じ地域に住んでいて、学校に通うバスの路線も同じ。
  バス代を忘れたジョージに、ポールの母親メリーが親切に立て替えてあげるという場面も何度かあった。
  彼は少し内向的で、暗い部分もあったが、両親や兄弟にはとても愛されて育っていた。

  しかし、ティーンエイジャーになったジョージは、学校や近所でも悪い評判を呼ぶことになる。
  それは、テディボーイファッション。
  年上連中の間で流行っていたヘアスタイルは、あのダックテイルスタイルで。
  ジョージも髪を高々と盛り上げ、学生帽は後ろの方になんとか引っかかった状態。
  そしてズボンは細くなり、シャツの襟と靴のつま先はどんどん尖っていく。
  これは、少し年上のジョンやポールと同じ道を歩んでいたことに間違いはなかった。
  
  そんな1950年代育ちの少年が、ロックの世界の頂点に立ち、そして音楽の歴史を塗り変えることになる、あのビートルズのギタリストになるとは。
  この時点で、まだ誰も予想すらしていなかったのである。
  〜 The Beatles / Everybody's Trying To Be My Baby 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nXTZ9oJB2p4

  〜 The Beatles / Something
  ttp://www.youtube.com/watch?v=IrW7dlDHH28
 
  (小林)ジョージ・ハリスンの音楽が2曲続きました。

  1964年の Everybody's Trying To Be My Baby。
  これはまあ「ジョージのテーマ」w みたいな、
  女の子がキャーキャー騒ぐわけですよ。
  だから「みんな僕の恋人になりたいみたい」っていう。

  そして、ジョージの見方が もう一変して変わりました。
  これもう世界中の人が認めた Something。
  1969年。
□ストーリー(続き)
 ・「あれ?なにこれ? ジョージったら、またギターの絵を描いて・・・。
  あら、ここにも・・・。
  学校に使うノートの 裏にも。いったい どうしたっていうの?」

  1955年 母親のルイーズは、ジョージがありとあらゆる紙切れにギターの絵を描いていることに気が付いた。
  ジョージは 当時大流行していたスキッフルの大スター=ロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)のレコードを聴くようになり、
  その眼はギターに釘付けになった。
  ジョージとは、ここから約10年後に あのビートルズのリードギタリストとして世界中の女の子の憧れの的となるジョージ・ハリスンのこと。

  間もなくジョージは母親のルイーズに頼みごとをすることになる。
  「ねえママ、お願いがあるんだけど。学校の友達がギター譲ってくれるっていうんだけどさ。3ポンド出してもらえないかな?。
  もちろんギターを買ったって、学校の宿題はちゃんとやるし、夜だって早く寝るようにするよ。
  だから ねえ、お願い!」
  最初はきっと反対されるだろう と思っていたジョージであったが、
  意外なことに母親のルイーズは「ええ、いいわよ。勉強がんばるって約束するなら、出してあげるわ」
  と、3ポンドを用意してくれたのである。
  ルイーズから3ポンドをもらい、ジョージはギターを持って帰って来た。
  しかし、楽器の取り扱いが分かっていないジョージは、少し乱暴に扱ってしまい、ギターとボディとネックが外れてしまったのである。
  こうなると もうどうしようもない。
  バラバラになったギターは しばらく戸棚の飾り物となってしまった。
  数週間後ジョージの兄ピーターが その壊れたギターを修理してくれた。

  大喜びでそのギターを抱きかかえたジョージであったが、ここからが問題である。
  なんせジョージは そのギターをどうやって弾いたらいいものか、全く判らなかった。
  それどころか、チューニングさえ ままならない状態。
  ゼロからのスタート。
  それが13歳のジョージを待ち受けていた 本当の試練であった。
  〜 George Harrison / If Not For You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zxO0t9ClfrI

  〜 The Beatles / I Me Mine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9El1ucxQZEU

  (小林)ジョージの曲が2曲続いています。

  If Not For You ジョージの曲ですけどもね。
  ジョージ・ハリスンの最初のソロアルバムの中に入ってる曲ですが。
  これは、作曲作詞はディラン、 ボブ・ディラン(Bob Dylan)です。
  
  ジョージは 面白いよね。
  ポールやレノンは あんまり友達 多くないんですよ。
  だけど、ジョージは「友達作る」ていう才能があって。
  最終的には ボブ・ディラン、ポールやジョンは もちろん親しかったんだけど。
  ジョージと親友になるわけですよね。
  
  で、ビートルズの I Me Mine。
  これはポール・マッカートニーが(アルバム)「Let It Be」ていうのはね「ちょっとあれは、俺たちの本当の姿じゃない」という希望で。
  2003年に 音が改められて「Naked」になりましたよね「Let it be」。
  そのバージョンから I Me Mine。
□ストーリー(続き)
 ・「さあ、やっとギターが弾ける。まずは チューニングか・・・。
  弦は6本あるんだから、それぞれの音程に合わせないと・・・。
  だけど、この教則本、めっちゃくちゃ解かり辛いな。
  どうしたらいいんだ?。」

  ジョージはやっとギターを習い出してはみたものの、独学となると一度つまずいたら何日も何週間も足踏みしてしまうのが常の事。
  ジョージもご多分に漏れず、なかなか前に進むことが出来なかった。
  この「リバプールに生まれ育った13歳の少年ジョージ」とは、後にあのビートルズのリードギタリストとして世界中の少年少女の羨望の的となるジョージ・ハリスン。
  
  この時点でジョージにとって、超初心者用の教則本に載っている最初のコードを押さえることすら、文字通り苦痛であった。
  この点において、ジョージはポール・マッカートニーほどの努力する根気強さも、音楽の神様が与えてくれた才能も 持ち合わせてはいなかったのである。
  さらに付け加えると、内向的な性格のジョージは、ジョン・レノンのような冒険を恐れない強さも無かった、と言えるだろう。
  しかし、少なくともジョージには「学び取ろうとする断固たる意志」だけはあった。
  そして、ほほ笑ましいことに ジョージの母親ルイーズは常に息子を励まし、その練習に付き合って夜遅くまで一緒に起きていたのである。
  あまりにも長時間練習を重ねるジョージの指は ひび割れ出血した。

  そしてジョージの兄ピーターも同じころギターに興味を持ち始め、二人は一緒に「レベルズ(Rebels)」というスキッフルバンドを結成した。
  このレベルズの最初で最後の仕事は、スピークブリティッシュ・リージョンクラブでの演奏で、ギャラは一人10シリング
  この演奏会場に出かける前、ジョージは思った。
  「こんな演奏力で 人前に出ることは恥ずかしいことだ」
  結局、ハリスン兄弟は誰にも見られないように、裏口から出かけて行ったのである。
  〜 The Beatles / I Want to Tell You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=i6gU59drWD4

  〜 George Harrison / This Guitar (Can't Keep From Crying)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=FvrdVfNXf3s
 
  (小林)ジョージの曲が2曲続いています。

  ビートルズの、あの「リボルバー(Revolver)」に入っている I Want to Tell You。
  これは前にもお話ししましたが、親友のエリック・クラプトンに励まされて、ジョージ・ハリスンは日本にやって来て
  来日公演を行いましたが、その時の一曲目がこれなんですよね。
  思い入れがある曲です。

  そして This Guitar 。
  やっぱり、あのエリック・クラプトンとやった「(While My Guitar)Gently Weeps」のパート2、と言うべきですよねw。
  「このギターは、泣かざるを得ない」みたいなw 感じですよねw。
  これは1975年。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (小林)
  6月9日 ロックの日? これに合わせて、これを思い付いたみたいですね。

  (市原市/男性)
  ビートルズが演奏するノリノリのこの曲を聴きたいです。

  〜 The Beatles / I Saw Her Standing There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3reG20qs1AQ

  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cxOHCh85YdM

  (小林)
  ビートルズは 曲によって、曲の終わり方とか始まり方が、演出が最高だったりしますねえ。ええ。
  この曲なかなかほんと良い曲ですよねえ。なんか来週もかかるような気がするんだけどねえw

  (千葉市/女性)高校2年生・女子
  最近バイトの時間と番組がかぶり、また聴くようになりました。
  ゆっくり聴けないのが残念ですが、楽しく聴いています。 私の大好きな曲を・・・。
  (小林)ということで。
  (新宿区/男性)
  フィル・スペクターの話しが出てきて懐かしかったです。  (小林)いつのこと でしょうか。
  波乱の人生を送った人ですよねえ。 
  ロネッツ(The Ronettes)の Be my baby をお願いします。 
  フィル・スペクターと聞いて真っ先にこの曲を思い出しました。
  (小林)
  波乱の人生を「送った人」じゃないんで、まだ「送ってる人」でw
  フィル・スペクター、映画が出来てるんですよ。
  これ、もう一年以内に・・・、アル・パチーノがフィル・スペクターやるんですよ。
  この映画、上演されると思いますけども。
  そうですよね、ロネッツ、最初の嫁ですからね。はいw。
  それじゃ、あなたのリクエストで。

  〜 The Ronettes / Be my baby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QzhbGaCwBzs

  〜 The Ventures / Let It Be
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Q-hcweWXbYo

  (小林)いやあ、歌が無い。だけど、ギターで歌っているようなw、 Let It Be。
  これは、お馴染みのベンチャーズ(Ventures)ですが。
  ここのところ、ビートルズのジョージ・ハリスンがギターを13歳で、とか お話しをしていますけども。
  ベンチャーズもそうですよ。
  あ、今年 もう日本に来るんだw。
  もう日本人よりも東京の道を知ってたり、東京の居酒屋なんかも知っているらしいですけど。
  ベンチャーズ、あれですよ、ドン・ウィルソンと それからボブ・ボーグル 亡くなってしまいましたが。
  この二人が「なんか、俺たち音楽をやらないか?」
  なんか道路工事とかね、そういう風なアルバイトをずっとやってて 冴えなかった。
  「ギターやろうよ。女の子にモテるから」てんで。
  自分たちの給料で ギターの教則本とギターを買って。
  で、やったのがベンチャーズの始まりですよ。
  みんなそういう所からスタートするわけですね。
  (山武市/男性)
  気になることがあって お聞きしたいんですが、
  番組の初めやコーナーが変わるたびに、何かの物音や、分からない言葉、会話が入りますね。
  どんな場面で 何を言ってるんですか?
  有名なシーンで、皆さん当然ご存知のことでしょうが。
  (小林)という。
  これはですね、ビートルズの音源の中から取り出して使っています。
  特に ジョンやポール・マッカートニーはとても ひょうきんなところがあります。
  ジョンはちょっとブラックヒューモア、ポールはちょっと違う面白さがあるわけですが。
  自分たち、ほら 生でやったり、なんて言うんですかね、連戦のツワモノなんだけども、
  やっぱりレコーディングの時は緊張するんで、冗談を言ったりするんですよ。
  ちょっとした冗談を言って、それで、和らげたりするんですけれども。
  それが、やっぱりビートルズの良さの一つですよね。
  それを、ちょっと編集して 使っております。
  
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)
  「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?

  最後にベンチャーズが流れて。
  日本という国では、ビートルズのすっごいブームが始まるんですが。
  その前は ベンチャーズが持ってきた「エレキブーム」で すごかったんですけどね。
  そんなことを思い出してしまいました。
  
  リクエスト、よろしくお願いします。
  採用の方には、イシイの(略)
  メールは [email protected]
  こちらで待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年7月7日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月7日)
 ・1940年(今から73年前の今日)
  もうこれは、ビートルズファンンは お馴染みですね。
  リンゴ・スターが生まれた日であります。73歳になって。

  今から46年前の今日(1967年)、ビートルズの15枚目の記念すべきシングル「All You Need Is Love」が発売になっています。
  これはイギリスで発売になっています。
  これの歌の出来方なんですけど、ご存知でしたかねえ。
  当時 世界初の試みで、衛星中継を使って31の国で生放送されるんですよ。
  宇宙中継特別番組「アワ・ワールド(OUR WORLD)」、日本語の番組タイトルは「われらの世界」
  このために書かれた曲で、ビートルズはイギリス代表として出席して生で演奏するんですが。
  この曲を、「これにふさわしい曲を書いてよ」っていうんで、ジョンが請け負って、なかなか出来上がんなかったんだけど
  本番の10日前ぐらいに出来上がって、練習して。
  で、46年前のちょうど今ごろですよね、生中継の準備をして。
  ベーシックトラックていう、リズムトラックですかね。
  これを流しながら、ジョンのボーカル、それからポール・マッカートニーのベース、ジョージのギター、ソロの部分ね。
  それから リンゴのドラム、それから13人のオーケストラ。これが生で録音、生で放送されます。
  で、同時に録音されるんだけども、その興奮の冷めやらぬ終わった夜中、
  リンゴ・スターのドラムロール、それからジョンのボーカルをちょっと録音し直して、
  これがそのまま46年前の今日 シングルとして発売になりました。
  で、面白いことには、今までシングルレコードにはプロデューサーの名前、ジョージ・マーティンが名前が書いてもらえなかったんですけども。
  このシングルから「プロデューサーはジョージ・マーティンだ」ということを書かれるようになりました。
  ベテランのプロデューサー=ジョージ・マーティンも「ああ!緊張したー」メチャクチャ緊張した衛星生中継だったそうです。
  衛星生中継が基になった、それでは 作品、改めて。All You Need Is Love
  
  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=psuXzEIM05s

  (小林)いやあ、先週もかかったんですけどもw この曲。
  また改めて聴くと、また違う楽しみ方ができますね。
  面白いですねえ。All You Need Is Love。
  そういうことだったんですよ。
  ねえ、衛星生中継で放送されて、まあちょっと手直しをしたりしたわけですけども。
  そこで録音されたという、ビートルズにとっては珍しい 15枚目のシングルでした。
□ストーリー
 ・「ねえ、兄さん。確かに 僕らには演奏の仕事が来て、今から出かけるんだけど、
  正直、僕は恥ずかしいんだよ。だって 僕らまだ かなりヘタクソじゃないか。
  近所のみんなに見られてウワサになるなんてまっぴらゴメンだよ。
  だからさあ、誰にも見られないように裏口から出て、すぐにバスに乗ろうよ。
  いいよね?」

  この発言は、当時まだリバプールに住む中学生のジョージ・ハリスンのもの。
  この少年は 後に「最も紳士的なビートルズ」「最もハンサムなビートルズ」と称され
  世界中の女性ファンたちを虜にする ビートルズのリードギタリスト、あのジョージ・ハリスンである。
  
  ジョージは兄のピーターと「レベルズ」というスキッフルバンドを結成してはみたものの、その演奏力はなかなかレベルアップしなかった。
  そのため、どこかで演奏する仕事が入っても、御近所さんや学校の友達には その事実を隠していた。
  まだまだ自慢できるようなバンドではなかったのである。
  
  このころ、1950年代中盤のハリスンファミリーはリバプールのスピーク地区、アップトン・グリーンにある新築の市営住宅に引っ越して暮らしていた。
  ジョージがのちにバンド仲間となるポール・マッカートニー少年と顔なじみになったのは、毎朝リバプール市内に通うバスでのことだった。
  ポールは一つ年上で、学校でも一学年上であったが、ギターが縁で二人は親しくなった。
  ポールはジョージの部屋で練習するために、Fホール付きのピックギターを持ってアラートン地区からやって来るようになった。
  ポールのギターはピックガードが反対側に付いたもの。これは左利きであることを象徴していたが。
  その頃のジョージは3ポンドで同級生から譲ってもらったギターを卒業し、母親にねだって今度は30ポンドのギターにグレードアップしていた。
  それは、ポールの物よりはるかに上等なものだったのである。
  〜 The Beatles / Taxman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZrNKxmmb_9A
 
  (小林)Taxmanが流れました。
  これはアルバムが「リボルバー(Revolver)」1966年。
  で、ギターがけっこう目立ちましたが、ギターソロは実はポールが弾いていました。
  作曲はジョージなんですよね。
  ジョージは これはラブソングではないですけどねえ。
  税金を取られっぱなしのこの歌を 上手く作りましたねえ。
□ストーリー(続き)
 ・「ねえ、ポール。
  バディ・ホリー(Buddy Holly)の“That'll Be The Day"のコードだけど、どうしても一か所判らない所があるんだ。
  そう、サビから最初に戻るところ。ちょっと押さえ方教えてもらえるかな?」

  ポールと言う少年に 熱心にギターを教えてもらおうと頑張る少年の名はジョージ。
  のちにビートルズのリードギタリストとして世界中の若者のアイドルとなる、あのジョージ・ハリスン。
  そして、ポールとはもちろんポール・マッカートニー。
  常に努力を惜しまない、生涯音楽の虫、ビートルズの音楽的なリーダとなる人物である。

  ポールはジョージより一つ年上で、学校でも一学年上であったが、ギターが縁で二人は親しくなった。
  ジョージのギターはポールの物よりもはるかに上等な物であった。
  ボディの淵には白いワインディングがあり、ネックの付け根あたりはハイポジションが弾きやすいようにカッタウェイのデザインになっていた。
  買値で30ポンドもしたこのギターを買ってくれたのは、末っ子のジョージが可愛くてしょうがない母親のルイーズ。
  ジョージはこのギター代をなんとか母親に返そうと、土曜の朝には「ERヒューズ」という肉屋で配達のアルバイトを始めた。
  このアルバイトの際、届け先の一つに ブラムウェルという家があり、その家の息子トニーはバディ・ホリーのイギリスツアーを見てきたばかりであった。
  ジョージはこのトニーから バディ・ホリーのレコードを借りて聴き、コピーに励んだ。
  EやB7といったシンプルなコードでできた曲は自信を与えてくれて、次第にジョージは押さえにくいコードもマスターするようになった。
  まさに、血のにじむような努力は実を結び、ギターを弾くこと自体 どんどん楽しくなっていった。
  
  そうなると、次のステージは ギターソロを弾くこと。
  ジョージとギターの旅は まだまだ続くのである。
  〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pB4zU_ebcl0

  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QTHpOe-18sI

  (小林)ビートルズの While My Guitar Gently Weeps 
  これは有名な曲。エリック・クラプトン(Eric Clapton )が入ってる。
  ジョージ・ハリスンがエリック・クラプトンを、親友を連れてったわけですよね。
  レコーディングのスタジオが、ポールがけっこう音楽的なボスになっていて。
  どうも いびられたり雰囲気が良くないっていうんで、親友を連れてって、ね。
  これはエリック・クラプトンが、まあアドリブで弾いたとされています。
  そのとおりだと思います。
   While My Guitar Gently Weeps。
  
  そしてその前は、1964年の ちょうど64年ていうと、アメリカで「I Want to Hold Your Hand」が、すっごいことになって。
  ビートルズが大爆発するわけですが。
  ところが「ビートルズは消えるよ。あんなのすぐ消えるよ」って言う人が大半だったんですよね。
  でも、この「Can't Buy Me Love」ていうのが出た時に、そう言った連中が黙ってしまった。
  「これは、すっごいじゃないかビートルズは」て言う「こんな曲も作れるんだ」て言う。
  でも、すごいんですよ、世間の風はきびしくてね。
  「Can't Buy Me Love」って「恋を買う」って どういうことだよ。
  「これは法律で許されない行為だろう」とかね。
  そんなことを言うような人たちがいっぱいいたんですよねw。
  それでね、ポール・マッカートニーが
  「ばかだなあ。リバプールではね、Can't Buy Me Loveて言うのは、MyのことをMeって言うんだよ。訛って。」
  ていう風に返したり とかね。
  面白かったんですよ、このころは。
□ストーリー(続き)
 ・「なんだあ、FだってBだって コツさえ判ればキチンと押さえられるじゃないかあ。
  ああ、これも一緒に練習に付き合ってくれたポールのおかげだなあ。
  さあ次はリードギターだな。
  バディ・ホリーなんか 歌いながらリードギターも弾くんだから、絶対無理ってことはないよ。
  もっと、頑張んなきゃ。」
  
  これは1950年代後半の イギリス北西部の街リバプールにおけるストーリー。
  つぶやきの主は、当時まだ中学生のジョージ・ハリスン。
  「最も物静かで 最もハンサムなビートル」として全世界の女性ファンを虜にしたビートルズのリードギタリスト、あのジョージ・ハリスンである。
  練習に付き合ってくれた、というポール少年はもちろんポール・マッカートニー。
  ポールがジョージをクォーリメンに紹介したのは1958年2月6日、リバプールのウィルソンホールでの事だった。
  
  「あの頃俺たちは“モーグ”ってクラブに入り浸っていたんだ。」
  バンドでドラムスを担当していたコリン・ハントンは証言する。
  「古くて大きな おんぼろ屋敷の地下にある店でね。バーでもカフェでもなく、ただ地下に暗い部屋があるだけなんだ。
  そこには大きな青い電燈が一つ壁から突き出している、そんな殺風景な店だったねえ。
  俺たちクォーリメンのメンバーは全員でジョージを取り巻いて 興味津々でジョージのご自慢のギターを覗きこんだ。
  するとジョージは、念入りに練習してきた曲を披露したね。
  2曲とも歌無しのインストゥルメンタルだったんだけど。
  最初は「ローンチ」ていう曲で、これはかなりスローテンポだし、全部ギターの5弦と6弦だけで弾けるから、
  上手いとか下手とか あんまりよく分かんなかったね。
  するとジョージは次に「ギター・ブギ・シャッフル」ていうアップテンポの曲を弾き出したんだ。
  あれは難しい曲だったから、よっぽど練習して来たんだと思うよ」
  〜 The Virtues / Guitar Boogie Shuffle
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8y2MWhvIDJI

  〜 The Beatles / Matchbox
  ttps://www.youtube.com/watch?v=C-cNkz_5EtU
 
  (小林)2曲かかりましたねえ。ブギーぽいやつがね。

  Guitar Boogie Shuffle ね。
  これはもうジョージ・ハリスンが中学生の頃弾いてたっていう。
  これはちょっと有名な、まあ 3コードもの っていうんですかね。
  で、いろんなバージョンがあるんですが、ザ・バーチューズ(The Virtues)の Guitar Boogie Shuffle。
  もともとカントリー系のヒットのようですけども。
  
  それから、今日はリンゴ・スターの73歳の誕生日ということで。
  リンゴがリードボーカルを取っておりました、Matchbox。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくプレゼントしております。
  アドレスは [email protected]

  (千葉市/男性)
  最近 ボビー・ヘッブ(Bobby Hebb)のカバーやサンプリングした曲をよく聴くような気がします。
  カバーが多すぎてどれがオリジナルなのかよく分からないぐらいです。
                      (小林)そうですね、この曲はロックの時代のヒット曲だけど、
                          ロックていうよりジャズっぽい曲だもんね。
                          だからジャズ系の人たちが良く取り上げてると思いますけど。
  今回オリジナルを聴いてみたいのでよろしく。

  (小林)ということで。
  これが実は オリジナルなんですね。
  ボビー・ヘッブの Sunny。

  〜 Bobby Hebb / Sunny
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ubvYQxTXO3U
  〜 The Rolling Stones / Street Fighting Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jFvtMp7hRF8

  (小林)というわけで、ボビー・ヘッブからローリングストーンズに行きましたね。

  (船橋市/男性)42歳
  去年11月ようやく結婚したばかり。6年ぐらい前から車の中でこの番組を聴いていました。
  今は妻と一緒に家で聴いています。
  洋楽に目覚めたのは80年代中頃、その洋楽に目覚めた頃は克也さんの「ベストヒットUSA」でお世話になりました。
  だから「ビートルズから始まる」を聴いた時、ほんとうにうれしかったです。
                              (小林)偶然出会ったんですね、この番組にね。
  地元にいるくせに。
  90年代途中から逆に70年代60年代へと、過去に遡(さかのぼ)って名曲を聴きました。
                              (小林)ほお。そういう聴き方も 僕はものすごく良いと思います。
  今はクラシック中心ですが、ロックも捨てていません。   
                              (小林)クラシック音楽の事ですよね。
                                  ただ、ロックの世界ていうか、ポップスの世界では
                                  クラシックて言うと クラシック音楽の事と
                                  例えば今かかった「street fighting mman」なんてのは
                                  ローリングストーンズのロックンロール・クラシックですよw
                                  だから、そういう言い方もあるわけでw。
  世界中でデモや暴動が後を絶ちませんが、
  テレビに流れている映像を見ると、この曲が頭の中に流れてきます。

  (小林)
  どうもリクエストありがとうございました。
 (川越市/男性)
  リクエストは浜田省吾兄貴の「初恋」です。  (小林)兄貴 が付いてるねw。
  歌詞にもあるように、浜省兄貴はビートルズの虜(とりこ)になりました。
  まさに初恋だったようで、今もロックンロールを追いかけています。
  昨日もコンサートに参加しました。
  この「初恋」にはビートルズのテイストがちりばめられています。
  克也先輩、いくつ判りますか?聴いてみてください。
  (小林)
  オッケーw。わかりましたw。あなたのリクエストに応えるから。
 
  〜 浜田省吾 / 初恋
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jJBM3_JJACM
  〜 The Beatles / Let It Be
  ttps://www.youtube.com/watch?v=v1SbuZcTZdM

  (小林)最後は Let It Beがかかりました。

  (流山市/男性)15歳
  僕の恩師が今年から教諭から教頭になりました。  (小林)中学出たばっかりだもんね、あなたはね。
  そこで、聴いてるかどうか判んないんですけど、ビートルズの Let It Beをお願いします。
  恩師は英語の時間 よく洋楽を聴かせてました。
  とてもうれしかったです。
  僕が洋楽を好きになったのは BAYFMを聴き始めて。
  初めて聴いたのが「ラストクリスマス(Last Christmas)」でした。 (小林)洋楽が、そうですか。
  それ以来 洋楽が大好きになりました。
  ビートルズの曲はぜんぜん知りません。名曲を教えてください。
  (小林)
  この番組で流れるビートルズの曲は、だいたい名曲だと思ってください。
  それからあれですね、名曲にはあまりこだわらない方がいいよね。若いから。
  人が「名曲、名曲」って言うけども、どうして名曲なのか。
  名曲に聴こえなきゃあw自分にとって名曲じゃない、と思うんですよ。
  けっこうね、ワガママに聴いた方がいいよ。
  いまw、いろ〜んな音楽が、いろ〜んな所で聴くことが出来るからね。
  ネットなんかでも 簡単に買えたり、簡単に聴いたり、ライブを見たりすることも出来るんですから。
  やっぱり自分の楽しみ方ってものを 創って行ってください。
  どうもリクエストありがとう。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?
  
  リクエスト、どうもありがとうございます。
  リクエストの初心者みたいな方も 大歓迎です。
  別にね、ウルサイ音楽ファンである必要は ないと思います。
  音楽はあれですよね、自分がどれくらい楽しめるか っていうことですよね。
  やるにしても聴くにしても。

  毎週採用の方にはイシイの(略)
  メールは [email protected] 
  
  音楽(ストーリー)の方はポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンがみんな中学生の頃の話しですよ。
  さて、ビートルズはどうなって行くのか。
  来週も必ず聴いてください。
  お相手は小林克也でした。
310ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2013/07/17(水) 19:01:46.82 ID:kB0xeOhz0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
 2013年7月14日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月14日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  もうビートルズは初めての日本公演を終わって フィリピンの方へ行っています。

  47年前の今日、「リボルバー(Revolver)」のアルバムのカッティングが行なわれております。
  で、47年前の今日はですね、ジョージ・マーティンが・・・
  カッティングっていうのは とても大切な作業なんですけど、
  ジョージ・マーティンがカッティングに行かないで、ジェフ・エメリック(Geoff Emerick)という新進のエンジニアが担当していますね。

  エメリックに電話をして。
  「あの、リボルバーの中のTomorrow Never Knowsのリミックスをいろいろやったけど、
  11番目のリミックスをやれって言ってたんだけど、あれやめて、8番目のリミックスにしてくれない?
  あの8番目のリミックスは“これが一番良い”って書いてあるから。“ベスト”って書いてあるから。
  それを使って」
  と指示します。

  やっぱりこれは、ジョージ・マーティンが総責任者ですから、電話をしたわけですね。
  どうも頭に引っかかっててね。
  で、カッティングなんですけど、特にアナログの時代はですね。
  レコードの最終の音質や その迫力みたいなのは、このカッティングで決まった。
  とても重要な作業だったんですね。

  で、この「リボルバー」からエンジニアを担当することになったジェフ・エメリック。
  この番組でも彼の事をいろいろお伝えしていますけれども、
  彼が録音を担当して、で、ミックスね、いろんな楽器だとか声の質だとか、ボリュームを決めるミックスを担当して。
  そして最終段階のカッティングも彼が担当したと、そう言うことなんですよ。
  まあ、スタジオの中のお話しをしましたけども、カッティングで決まったんですよ。
  だから、カッティングにね、昔の人は相当こだわったんですけどもね。
311ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(0+0:8) :2013/07/17(水) 19:03:50.92 ID:kB0xeOhz0
  さあ、それじゃその8番目にやったリミックス、どんな按配だったでしょうか。
  それが、皆さんがよくご存知のバージョンであります。
  それではビートルズの「リボルバー」のアルバムから Tomorrow never knows。

  〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tisjsgsgtZU

  (小林)いかがですか?
  これが、10何回もやった中で一番良いという8番目のやつだったわけですね。  
  Tomorrow Never Knows アルバムは「リボルバー」
  で、いま聴いて頂くと、どういう風なことを感じられましたかね。
  僕なんかは改めてね、ビートルズが もうツアーはやらなくなるわけですね。 
  スタジオでやり始めたこのアルバムなんですけども、もう自分たちの方向が決まった時のアルバムです。
  もう 普通に聴いてもね、女の子がワーワーキャーキャー騒ぐようなバンドじゃなくなって来てるよね。
  だけど、すっごいバンドとしての勢いみたいなのが すっごいあると思うんだよね。
  でも、これはいろんな その当時ビートルズの考えが変わって来てて、いろんなものを重ねたりしてるんですよ。
  で、重ねると生っぽさってのがだんだん無くなって来るんだけど、そんなに重ねてもこの曲はすごい生っぽいんですよね。
  それで、やっぱりそういう その初々しさみたいのが漂ってるんで、
  この「リボルバー」のアルバムってのがね、実は「ビートルズの一番だ」って言う人もいるんです。
  だからまあ、そういう所が気になってる方はw ですね、さらに突っ込んでw ビートルズを聴かれることをお勧めします。
□ストーリー
 ・時代は、55年前の1958年2月6日。所は、イングランドの北西部の街リバプール。
  この街で、まだ高校生だったジョン・レノンがリーダーとして結成し、ポール・マッカートニーが加入したバンドがザ・クォーリメン。

  ここでドラムスを担当したコリン・ハントンは、メンバーがジョージ・ハリスンと初めて会った時の事実を こう証言する。
  「あのころ俺たちは、モーグっていうクラブに入り浸っていたんだ。
  古くて大きなオンボロ屋敷の地下にある店でね。
  バーでもカフェでもなく、ただ地下に暗い部屋があるだけなんだ。
  そこには大きな青い電球が一つ壁から突き出していて、そんな殺風景な店だったね。
  俺たちクォーリメンのメンバーは全員でジョージを取り巻いて、興味津々で彼のご自慢のギターを覗き込んだんだ。
  すると ジョージは念入りに練習してきた曲を披露したね。
  2曲とも歌無しのインストゥルメンタルだったんだけど、最初が『ローンチ(Raunchy)』っていう曲で
  これはかなりスローテンポだし、曲もほとんどがギターの5弦と6弦だけで弾けるから、上手いとか下手とかあんまりよく判らなかった。
  するとジョージは次に『ギター・ブギ・シャッフル』ていうアップテンポの曲を弾き出したんだ。
  あれは難しい曲だったから、よっぽど練習して来たんだと思うよ」
  
  しかし、ジョージはその晩すぐにクォーリメンに加入できたわけではなかった。
  幼馴染みのポール以外のメンバーは ジョージのことをあまり気にかけてもいなかったのである。
  中でもジョンは 18歳という最年長のリーダーという立場から まだ15歳だったジョージは、仲間に入れるには子供過ぎると考えていたのである。
  仲間というよりは「舎弟」あるいは「年下のチビ」くらいにしか思っていなかった。
  バスの中でジョンがこう言うと ジョージはいつでも言うことを聞いて対応した。
  「おい、ジョージ!いつものあの曲 弾いてくれよ。そう Raunchyだ、たのんだぞ!」
  〜 Bill Justis / Raunchy 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=suDwsfL-Vkk

  〜 George Harrison / Dark Horse
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vPnLXjx5qOg
 
  (小林)ジョージ・ハリスンの Dark Horse(2曲目)。
  ダークホース(Dark Horse)は意味は分かりますよねw。地味な存在ですよ。
  だから、ジョンとポールの曲という 強力な天才に挟まれて、自分を「ダークホース」と呼ぶしかなかった、ていう。
  ちょっと可哀想な 同情の面も湧いてくるし。
  ちょうどこの頃 喉を傷めてて ほんとに可哀想。
  1974年。
  ちなみにジョージ・ハリスンは自分のソロのアルバムは、この「ダークホース・レーベル」自分のレーベルの名前でもあるわけですね。
  そこから出すわけですね。
  
  で、ジョージ・ハリスンがまだ14〜5の頃ですね。
  Raunchy(1曲目)という。これはけっこうアメリカでヒットしたインストゥルメンタルの曲で、プレスリーと同じ出どころですよ。
  メンフィスのサンレコードから出てきた、ビル・ジャスティス&ヒズ・オーケストラ。
  ビル・ジャスティスはアルトサックスを弾いていました。
  で、これはリズム&ブルースで1位ですよ。
  ポップスでも2位になるヒット曲、イギリスでも11位と。
  だからジョージ・ハリスンも このヒット曲を勉強したわけですよね。
  で、年上のジョンが「おい、やれよ!」つったら「はい、わかりました!親方」みたいなノリで これを弾いていたという。
  Raunchy。お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・「おい!ジョージ! いつものあの曲、弾いてみな。そう、Raunchyだ!景気良くやれー」
  この場面で いかにも仲間を仕切っているガキ大将のごとく 子分に命令しているのは、1958年当時18歳のジョン・ウィンストン・レノン。
  もちろん、この数年後ビートルズのリーダーとして ロックの世界のミュージックシーンのトップの頂点、そのまた天辺に君臨することになるジョン・レノン。
  そして「ギターを弾け!」と命令されているのは、ジョージという少年。
  そのビートルズのリードギタリストとして、世界中の女性ファンのアイドルとなる ジョージ・ハリスン。
  このやり取りのあったころ、やっと15歳になるかならないか、という中学生の年齢であった。

  最初はジョン・レノンの率いるバンド=クォーリメンのメンバーからガキ扱いされ、なかなか加入を許されなかったジョージであったが、
  そのギターの腕は確かであったし、自分の家を練習場所として提供する、という条件でバンドに加わることになった。
  実際、自宅を練習場所にしても良い、と言ったのはジョージの母親ルイーズ。
  ルイーズは息子の音楽活動に対し、かなり協力的であったし、
  彼女の亭主で、ジョージの父親であるハリーはバスの運転手で、いつも留守にしていたため、特に問題は無かったのである。
  それに ルイーズはジョンと馬が合った。
  少し皮肉屋で 独特な笑いのセンスを持っていたジョンが好きだった、と言われている。
  なんせ彼女は「私とジョンは、最強のコメディコンビ」と言ってはばからなかったのである。
   
  これに対し、ジョンの育ての親で 母親代わりのミミ伯母さんは違った。
  ジョージを「典型的な労働者階級の田舎者」と見下していたのである。
  ジョージの家族に見られる典型的なリバプール訛り も軽蔑していた。
  そんなミミにとっては、ジョージもポールも同じ穴の貉(むじな)。
  ジョンに悪影響を与える「悪ガキ集団」として忌み嫌っていたのである。
  〜 The Beatles / Slow Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yabAK0C36VY

  〜 The Beatles / Do You Want To Know A Secret?
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zN77q9dYt9g

  (小林)2曲 続きました。

  Do You Want To Know A Secret?  これは「プリーズ・プリーズ・ミー(PLEASE PLEASE ME)」のアルバムに入っているやつで。
  ジョージがリードボーカルを取っている。
  でもこの歌は、元々ジョン・レノンがビリー・J・クレーマー(Billy J Kramer)にあげたものであります。
  それをジョージがカバーしている。
  
  その前は、ラリー・ウィリアムス(Larry Williams)というR&Bシンガーの曲をカバーしておりました。
  Slow Down 。

  2曲続きました。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョン、なによ!あの子たち。まさか あなたのバンドのメンバーじゃないでしょうね?
  あんな恐ろしい恰好した不良連中と 付き合わないようにって、前から言ってるでしょう!」

  怒鳴り散らしているのは ジョンの育ての親で血のつながったミミ伯母さん。
  ジョンと呼ばれている少年は、この数年後ビートルズのリーダーとしてロックの歴史を塗り変えることになる あのジョン・レノン。
  ミミ伯母さんにとって、ポール・マッカートニーもジョージ・ハリスンも、可愛いジョンに悪影響を与えるとんでもない存在であった。
  世代の違いというものは、いつの時代にも誤解を招くもの。
  このミミ伯母さんと、ジョン率いるザ・クォーリメンのメンバーとの関係も正にその典型であった。
  自分が手塩にかけて育てているジョンに限って、道を踏み外すことなど有りえない。
  もしその可能性があるとしたら、それは良くない連中からの悪影響しかない、と確信していた。
  実際には「ジョンが最もワル」であったことなど知る由もない。
  
  1958年のある週末、ミミが家に戻ると、そこにはジョンと一緒にバンドメンバーであるポールとジョージがいた。
  三人とも服装はもちろん テディボーイファッション。
  ミミはポールとジョージを睨みつけると 心の中でつぶやいた。
  「この連中と付き合っていなかったら、ジョンもこんな服装することも無かったのに・・・」
  さらにミミは こう回想している。
  「ポールはいつでも 恐ろしく先の尖った靴を履いていました。
  両サイドにギラギラと光るバックルの付いたやつです。
  そしてジョージ。まあもちろん、あんな静かな子は世界中探しても見つからないでしょう。
  ですが、ある日 私が家に戻ると、クルーカットにしたジョージが とんでもなく派手なピンク色のシャツを着ていたんです。
  私は思わず こう言いました。『ジョージ!二度とそんなシャツで この家の敷居をまたがないで!』」
  〜 The Beatles / Don't Bother Me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=g7Z9FmhYy2I

  〜 The Beatles / Love You To
  ttps://www.youtube.com/watch?v=g4l_ISKgu1I
 
  (小林)というわけで ジョージ・ハリスンの音楽が2曲続きましたけども。

  最初は Don't Bother Me
  これはジョージがビートルズに初めて提供した、ていうか、初めて自分の曲をやらせてもらった やつですよ。
  でも次のアルバム「A Hard Day's Night」ではジョージの曲は採用されていません。
  「まだ お前ちょっと早いよ」ってわけでしょうかね。
  でも、1966年ね、「リボルバー(Revolver)」のアルバムでは、ジョージがやっぱりインドへ傾倒して行って。
  やっぱり、ポールもジョンも腰を上げてますよね。

  だから、いま聴いた Love You Toていう曲は、
  ジョージが最初にやった、ビートルズとして最初にやったインド系の、「ラーガロック」とでも言いますかね。
  それを聴いて頂きました。
  ジョージは成長を し続けているわけですね。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしています。
  メールは [email protected]
  こちらで待っています。
  皆さんが ビートルズ体験だとか、この番組を聴いて思うこと。
  いろんなことをフリーに書きこんでいただいて、リクエストと結びつけているわけですが。
  
  (横浜市/男性)
  31歳独身貧乏です。いい感じの曲が流れていますね。
  やっぱり古き時代の音楽って 今とは比べられるものじゃないと痛感しています。
  そんな気分でリクエストします。

  (小林)これは ビートルズのちょっと前の音楽ですけども、
  おそらく(あなた)ちょっと、アーティスト名 間違えてるかもわかんないですね。
  これですよね、世界中でツイスト旋風を巻き起こした。
  これは世界的なヒットになりました。
  もちろんアメリカなんかではナンバーワン、日本でも大ヒットした
  チャビー・チェッカー(Chubby Checker)というアーティストの Let's twist again

  〜 Chubby Checker / Let's twist again
  ttps://www.youtube.com/watch?v=eh8eb_ACLl8
  〜 The Beatles / Hello Goodbye
  ttps://www.youtube.com/watch?v=BFT4__Xxqys

  (小林)Hello Goodbye がかかりました。

  (我孫子市/男性)10歳
  学校でビートルズの Hello Goodbye が流行っています。
  僕もこの歌が好きで、このラジオ番組を毎週日曜日 聴いています。
  リクエストしたいと思います。

  (小林)ありがとうw。
  (八街市/男性)
  私は今年で50歳になるんですが、
  遥か昔 中坊の頃、ビートルズを聴き始めて日も浅い頃、「The End」 のギターソロを聴いて
  「ずいぶんと音色が変わるソロだなあ。そうか、これはエフェクターで音色を変えてるんだ!」との結論にたどり着き
  なにかすごい発見をしたように、ビートルズビギナーの私は思っておりましたが。
  数年経って、ある音楽雑誌を読んで、穴があったら入りたいぐらいの思いをしました。
  そう、あれはエフェクターで音色を変えてるんじゃなくて、ポール、ジョージ、ジョンの三人で代わり番こに弾いている。
  いわゆる「ギターバトル」であることを知ったのでした。
  あれから35年、ビートルズから始まって 様々な音楽に出会い、幸か不幸か一端(いっぱし)のロックフリークになりました。
  ロックンロールがビートルズから始まってるかどうか、さておき。
  20世紀の音楽史に燦然と輝く音楽家たちであることに異論を唱える人は まず居ないでしょう。
  音楽の世界では いろんな初めてを生み出したビートルズに乾杯。
  リクエストは、ツェッペリン・・・
  (小林)ツェッペリンで来ましたかw
  初めのモヤモヤっとした所はかけませんからねw
  レッド・ツェッペリンの Tangerine
  
  〜 Led Zeppelin / Tangerine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WCFDo3XSUsQ
  〜 The Beatles / Birthday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZvtpY4-5Zf0

  (小林)とても楽しい Birthdayが流れました。

  (新潟県長岡市/男性)53歳
  毎週日曜日この放送を心待ちにして、この番組を糧にして 一週間をがんばって、
  そしてまた次の一週間をまたがんばる、をモットーにしているリスナーです。  (小林)ありがとうございます
  小生が自分の小遣いで初めて買ったレコードは だいぶ前の放送でも流れた「モンキーズのテーマ」
  モンキーズ主演のテレビドラマに夢中だったからです。
  再放送じゃなく オンタイムです。
  小四でした。
  モンキーズのキャラクターや音楽やストーリー、ファッション、全てが 
  まだ子供だった小生にも チャーミングで親しみやすく感じ、すぐに好きになりました。
  二度目にレコードを買ったのは、初めて誰かのためにプレゼントとして買った シングル盤のレコードで。
  仲の良かった従兄弟への誕生日プレゼントでした。
  ビートルズの「Let It Be」 1970年のこと。
  この頃テレビコマーシャルで東芝のステレオのCMに、ビートルズの映画「LetItBe」の映画シーンと音楽が盛んに流れていて。
  小学校5年生の小生には、ビートルズのメンバーたちの風貌と教会音楽のような曲調から、何やら悟りの境地に達した仙人のように見えたものでした。
                              (小林)この気持ち 分かりますね。
  小5の僕には、この人たちのことは あんまり大人の人たちに見えて、正直その魅力について あんまり良く理解できなかったんですが。
  年上の従兄弟なら、この有名なビートルズの魅力も充分理解しているはずだろうし、きっと喜んでくれるだろうと思って購入しました。
  喜んでくれたかどうか 記憶に残っていません。
  もしでも、その頃 この曲を知っていれば こっちをプレゼントしたかもしれません。
  (小林)ていうw。
  こっちの方が楽しいもんねw、Birthday。
  コーラスが なんか賑やかそうですけども。
  ヨーコが参加していたり、ポールが付き合っていた女の子が参加していたりとか、
  そういう風なエピソード付きです。
  Birthday お送りしました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?  
  
  もう、リクエストはほんとに見事なもんですね。
  今日なんかはあれですよ、もう10歳から53歳だから。
  まあ6世代ぐらい差が開いてても OKなわけですよ。
  ビートルズ すごいよねw。
  
  物語りの方は、ちょっとジョージ・ハリスンにスポットを当ててお送りしておりますが。
  ジョージ・ハリスンは、ジョン・レノンがアートスクールに入った頃から もう付き纏っていたんですよね。
  よく いるじゃないですか。
  ちっちゃいんだけど、仲間に入れないんだけど、入りたくて。
  なんか すぐ近くに来なくて、遠くから取り巻いてる。
  そんな存在だったらしいですよ。
  ジョージ・ハリスンはね。
  
  リクエスト よかったら頂きたいと。  
  まあ いろんな人からw いろんなリクエストw、楽しみにしております。
  採用の方にはイシイの(略)
  (メールは)[email protected] です。
  小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年7月21日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月21日)
 ・1987年(今から26年前の今日)
  今日はちょっと珍しいです。1987年。
  ポール・マッカートニーが自宅のスタジオで、これはまあ二日間ぐらいでやっちゃったらしいんですが。
  「ロシアン・アルバム(Choba B CCCP(Back in the USSR))」ロシア向けにね 作ったアルバムがあるんですよ。ソ連向けにね、当時の。
  それをやっていますね。

  80年代のポールは、ちょっと あんまり芳しくないっていうか、
  始まりが、ほら、ジョン・レノンの暗殺じゃないですか。
  このジョン・レノンの暗殺は、すっごいショックだったみたいですよ。
  ポール・マッカートニーは、もう本当に怖がっちゃって、自分が抱えているボディガードを3倍とか4倍に、一時的に増やしたらしいいですよね。
  ボディーガードのw人間を。
  だって、オノ・ヨーコだって、ニューヨークから逃げてたらしいですからね。
  そうとうなショックだったわけですよ。関係者たちにとっては。
  
  で、80年代のそういった低迷を振り払おうと、その事件から一年半経って、ジョージ・マーティンをプロデューサーに迎えて、
  「Tug of War」ていう ソロアルバムをやって。
  これで、ちょっとカムバックで。
  スティービー・ワンダーと「Ebony and Ivory」コラボをやって、これが一位になったりね。
  これも まあまあですが。

  ポールは本当はツアーやって、ツアー大好き人間だから ライブ大好き人間だから。
  でも、ウィングスがいなくて なかなかツアーに出られなかった。
  まあ、きっかけになったのは、やっぱりライブで、1985年の夏の「ライヴ・エイド(LIVE AID)」全世界に向けてやりましたね。
  いろんなミュージシャンが集まって。
  その大トリ、ポールは「LetIt Be」を担当しました。
  この頃から けっこうチャリティーみたいなのが盛り上がりますけど。
  86年の「プリンス・トラスト・コンサート」では、オリジナルキーでビートルズを数曲披露したりします。
  で、その1987年、26年前の今日は、ソビエト連邦はビートルズを みんなもうね 海賊盤みたいなもので聴いたりとか。
  カセットをみんな カセットのコピーのコピーだったりして、みんな悪い録音で聴いてたわけですよ。
  もうほんとに ソ連にはビートルズが伝わってない と思いきや、そうじゃなくて、ソ連の人たちはみんなビートルズが大好きだった。
  で、ソ連に もっともっと音楽を、ていう風な願いをこめて、7月20日と21日 二日間で20曲を録音して、
  それが、14曲が入ったアルバムになるわけですけども。

  その中 面白いですよ。
  デューク・エリントン(Duke Ellington)っていうとジャズの巨人ですね。
  デューク・エリントンのスタンダードをポール節でやっています。
  これは、ちょっと珍しいと思うんで。
  もしジャズファンの年上のお父さんとかお母さんとかね、いろいろいたら 呼んで、これを一緒に聴きましょう。
  ポール・マッカートニーがジャズを取り上げています。  
  Don't Get Around Much Anymore

  〜 Paul McCartney / Don't Get Around Much Anymore
  ttps://www.youtube.com/watch?v=95_BTQyIlwQ

  (小林)いかがですか? 
  ポール・マッカートニーが、当時のソビエト連邦=ソ連向けに作った珍しいアルバムの中から、デューク・エリントンのね。
  普通こういう風なアレンジとか こういう風な編成でやんない曲ですけども。
  ポール・マッカートニーが自分の自分節っていうか、ロックにしちゃった、ていう、
  だから、ジャズファンが聴くと「なんだ、このエコーは〜」とか言ったかもwわかりませんけども。
  まあ、いいじゃないですかw。
□ストーリー
 ・「ジョージ! 二度とそんなシャツで この家の敷居をまたがないでちょうだい!」
  こう怒りまくっているのは、ジョン・レノンの育ての親であるミミ伯母さん。
  そして、怒られているジョージ とは、
  後にビートルズのリードギタリストとして 世界中のイケメン好き女性ファンのアイドルとなるジョージ・ハリスン。
  この時まだ15歳。中学生である。
  ミミ伯母さんにとって、ジョンは我が子も同然。
  育児放棄をしてしまった妹で ジョンの実の母ジュリアに代わって育てているのである。
  責任感が強く 典型的なイングランド女性であるミミは厳しく、間違ったことが大嫌いな性格。
  ジョンに悪影響を与える連中は、どんな可愛らしい少年であっても忌み嫌っていた。
  先の尖った靴を履いているポールも、ピンク色のシャツを着たジョージも、実際には大人しく礼儀も正しかったのであるが、
  髪型と服装だけは どうしても許すことができない。
  それが、ミミ伯母さんであった。

  そんな状況の中、ジョンのバンド=クォーリメンの代役ギタリスト、言い換えると“二軍選手”として加入したジョージは
  自宅をバンドの練習場所として提供した。
  もちろん、母親のルイーズも公認である。
  彼女はミミ伯母さんに較べ バンド活動に対し大らかで協力的、おかげで練習は以前よりもずっと はかどるようになった。
  こうして、ジョージが代役を務める機会が増えるにつれ、クォーリメンに問題が起こった。
  それは「ギタリストが多すぎて ダブついている」ということ。
  バンドにはジョンとポールの他にも 創設メンバーの丸顔の少年=エリックがまだ籍を置いていた。
  このエリック、困ったことに自分が次第に邪魔になっていることに気が付いていなかった。
  他のメンバーたちは みんな頭を悩ませた。
  こうして「港町のヘタクソバンド=クォーリメン」は、次のステージに向かうのであった。
  〜 The Beatles / You Like Me Too Much
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QW25-8p_vko

  〜 The Beatles / I've Got a Feeling
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VpAxQsBPGos
  
  (小林)へへへw 
  やっぱり あれだねw ポールがやっぱり一番 力があって盛り上げて行くんだね。音頭取りみたいになって。
  だけど、ジョージがこう歌ったりすると、やっぱりビートルズぽいなあ、ていう。
  なかなか いいシーンが、音楽を聴いてて なんか浮かぶよね。
  I've Got a Feeling、これは「Let It Be」のアルバムに入っています。

  その前が、1965年ですよね。
  この前「A Hard Day's Night」のアルバムでは「おまえ、まだ早いから」っていうんで、ジョージの曲は採用されなかったけど。
  このアルバムでは採用されています。
  You Like Me Too Much
□ストーリー(続き)
 ・「なあ、みんな。エリックのやつ 自分のギタープレイが今一つだていうこと、わかってないみたいだな。
  さあ、誰がそれをわからせてやるか 相談しようぜ。」
  この場面で いかにも仲間を仕切っているガキ大将のごとく話しを持ちかけているのは、1958年当時18歳のジョン・ウィンストン・レノン。
  もちろん、この数年後ビートルズのリーダーとしてロックの、いや世界のミュージックシーンのトップの頂点の そのまた天辺に君臨することになる、あのジョン・レノン。

  ジョン率いる自称ロックンロールバンド=ザ・クォーリメンは、代役扱いではあるが、新しいギタリストに まだ15歳になったばかりのジョージ・ハリスンを迎えたことで問題が起こっていた。
  それは、ギタリストが多すぎてダブついている ということ。
  もともとジョンは 歌いながらリズムギターを弾いていたし、ポールはリバプール界隈の同年代のアマチュアギタリストの中ではかなりイケてるギター弾きであった。
  さらに最年少のジョージは 母親の理解があったおかげで 持っているギターも当時としては結構な高級品であったし、
  それより なにも、自宅を練習場所として提供してくれていた。
  こうも条件が揃っていたら、ジョージのことは蔑(ないがしろ)にはできない。
  そうなると 必要ないのは 他のギタリスト。という答えが浮上して来る。
  
  そしてついに、この日のミーティングで 創設メンバーではがあるが「エリックを締め出すしかない」という結論に達した。
  満場一致の結論である。
  バンドの中で一番エリックと親しいドラマーのコリンの元をマネージャーのナイジェルが訪れた。
  コリンはジョンやポールと同世代であったが、高校には進学せずに 塗装工として働いていたのでミーティングには参加しておらず。
  みんなの意見は まだ知らなかった。
  そこでナイジェルはコリンにこう頼んだ。
  「なあ、コリン。ジョージがバンドに入ってどうなったか わかるよな?
  そう、ギタリストがダブついてるんだよ。
  それでな、ここからが相談なんだよ。
  おまえ、エリックと親しいよな?
  なんていうか、その、エリックを辞めさせるのに協力して欲しいんだ。
  ジョンが『よろしく頼む』ってさ。
  俺からも頼むよ。この通りだ」
  〜 The Beatles / Money
  ttps://www.youtube.com/watch?v=d8wi7j22KzE

  〜 The Beatles / A Taste of Honey
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pQqhlM_5e6U

  (小林)初期のカバーが2曲続きましたね。

  「Please Please Me」の中に入っていました A Taste of Honey。

  それから Money。
  モータウンのバレット・ストロング(Barrett Strong)の曲をカバーしています。
  これは「With The Beatles」に入っている曲です。
□ストーリー(続き)
 ・「なあ、コリン。ジョージがバンドに入って来て どうなったか、わかるよな?
  そう、ギタリストがダブついてんだよ。
  それでな、ここからが相談なんだよ。
  おまえ エリックと親しいよな?
  なんというか、その、エリックを辞めさせるのに協力して欲しいんだ。
  ジョンが『よろしく頼む』ってさ。
  俺からも頼むよ。この通りだ」

  1958年、冬のリバプール。 
  ジョン・レノン率いる自称ロックンロールバンドのクォーリメンのマネージャー=ナイジェル・ウォーリーは
  バンドのドラマーであるコリン・ハントンの仕事場を訪れ、ランチタイムを使ってコリンに相談を持ちかけた。
  たしかに、マネージャーがやるべき仕事ではある。
  この時点で、コリンはまだバンドには必要であった。
  正確には、コリン本人ではなく「コリンが月賦で買った38ポンドのドラムセット」が必要だったことは言うまでもない。

  この「エリック締め出し計画」の一部始終をコリン自身はこう語っている。
  「ある日、バンドの練習をポールの家で始めていたんだけど。
  いつもなら 僕がエリックに伝えていたところ
  その“締め出し計画”のために、連絡をしなかったんだよ。
  ところが、その練習中にエリックからポールの家に電話がかかって来たんだ。
  そう、何かに気が付いたんだね。エリックは。
  すると ジョンもポールも『お前が電話に出て エリックと話せよ』って言うもんだから
  僕が状況を説明すると、当然だけど エリックはすっごく怒ったんだよね。
  どうして、自分が追い出されることになったのか、エリックは判からなかったんだ。
  もちろん、僕はエリックにきちんと説明することが出来なかった。
  でも、この時はっきり判ったことがあるんだ。
  子供ながらに判ったんだ。
  それは、ジョンやポールのような 明らかに才能を持っている人間が あるメンバーを追い出そうとしたら、
  そいつは、何も言わずに出て行くしかないってこと。
  悲しい話だけど、それは真実だって判ったね。」
  〜 The Beatles / Revolution
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Fxyi9Rd0cQM

  〜 The Beatles / Penny Lane
  ttps://www.youtube.com/watch?v=nZBb82N5ODM

  (小林)有名な曲が2曲続きましたね。

  Penny Lane、これは イギリスでは2位なんだね、アメリカでは1位だけどね。
  知らなかったなあ。両方で1位かと思っていましたね。
  ポール・マッカートニーの名曲ですね。

  そして、その前はジョン・レノンの世界です。
  これは「Hey Jude」のB面だったことでもお馴染みです。
  1968年 Revolution。
□リクエスト
  (小林)
  メールアドレスは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしておりますのでよろしく。

  (草加市/女性)
  ちょっと前ですが、6月25日がマイケル・ジャクソンの命日でしたね。
  マイケルとビートルズの関係というと、ポールが何曲かマイケルとデュエットしていますよね。
  この番組でも以前「The Man」「Say Say Say」流れたと思います。
  ということで、もう一曲「Girl Is Mine」をリクエストします。
  空耳ですが、この曲の中でマイケルが「ありがとうジュー」「ありがとうテン」と言っているように聞こえるのは私だけでしょうか?。

  (小林)
  おそらく、あんまり たくさんの方はwそうは、空耳で聞こえないと思いますよw。
  もうね、空耳ってのは面白い世界でねえ。
  音楽の聴き方としては 正統な聴き方じゃないんだよねw。
  だって これほら、ポールとマイケルが女の子取り合いしてるその内容を漏らしちゃうわけだから。
  何て言ってんだろう?と思って、「ありがとう」って言ってるかなあ?と聴くと
  そういったところを、漏らしちゃうんですよね。
  だけど、実は悪い聴き方でもないんですよ。
  ということは、面白がって聴くわけですよね。
  だから、これはまあいいんだけど。
  だから、僕はどっちとも言いかねますが、
  おそらく、英語っぽい耳で聴いていらっしゃる方に「ありがとうなんとか」とは聴こえないと思います。
  さあ、でも行ってみようかなあw、聴いてみようかなあw

  〜 Michael Jackson Ft Paul Mccartney / The Girl Is Mine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=P0tgnTah0Do
  (小林)というわけで(あなた)のリクエストにお応えしました。
  これビデオも 思い出している方いると思いますけども。
  ポールとマイケルが後半 最後のところで しゃべり合うところで「ありがとうジュー」て言うふうに
  言ってるらしい、ていう風なスタッフもおりますねw。えへへ。
  ぜんぜん そう聴こえない人もいるしw。
  どうなんだろうねえw、空耳ってのはねえ、面白いよねw。
  でも、改めて「この場所だよ」って聴いてみると、それはもう そういう風に聴こえるもんですよね、不思議です。
  (板橋区/男性)
  仕事が年中無休なんで、休みの日しか聴けないんですが、休みの時は必ず聴いています。
  何かの都市伝説で見たんですが、キャラクターの「ガチャピンとムック」はポールとジョンを基に作られた、とありました。
  自分もそう思います。
  最高のコンビで、ちょうどビートルズの解散した ポールとジョンをアイデアしたんではないか、と考えられます。
  本当かどうか、知ってる方 教えてください。
  (小林)
  まあ、絶対やってるでしょうね。
  それじゃあ、あなたのリクエストで、ジョンの曲を行きます。
  
  〜 The Beatles / One After 909
  ttps://www.youtube.com/watch?v=IVN9ROEZIkE
  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kHVigFTKntg

  (小林)まあ、けっこう盛り上がっておりましてw。
  宴も闌(たけなわ)ではございますが、って言う感じですよね。ここらへんで。  

  (成田市/女性)
  私は毎朝テレビ体操をしています。
  ピアノの伴奏を聴いてストレッチなどをしますが。
  今朝の曲は「あれ?聴いたことがある」と ストレッチしながら耳を澄ましてみると、ビートルズの「Hey Jude」でした。
  朝から なぜか克也さんの顔が浮かびました。さわやかな朝です。  (小林)っていうw。                                
  もちろん、「Hey Jude」をお願いします。
  (小林)
  あなたのリクエストに応えました。ありがとう。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?
  
  リクエスト、本当にありがとうございましたね。
  リクエスト、よろしくお願いしますね。 
  みんな それぞれのビートルズで いいですからね。
  また、曲はビートルズじゃなくても かけたりしますのでよろしく。
  採用の方にはイシイの(略)
  メールは [email protected]
  
  お話しの方は、ジョージ・ハリスンに焦点を当てて お送りしてるわけですが。
  ジョージ・ハリスンがね、15歳で、まだビートルズと呼ばれていなかったけど。
  ジョンたちのバンドに入って、ギタリストが余って、それをクビにしなきゃだめだ、って時は
  みんな同じだよね。
  ジョンもポールも 何も言いたくないわけですよね。
  でもそのマネージャーが いみじくも・・
  「やっぱり、ポールとかジョンみたいな 才能のある人間が『辞めてほしい』って言ったら、  
  もうとにかく 黙ってその場から立ち去ってもらうしかない」っていうw
  まあ、これは世の中の常と言いますかね。
  
  この後になって、ピート・ベストというハンサムなドラマーのクビを切るわけですよね。
  その時も マネージャーが仕事をするわけですけど。
  これは、やっぱり、才能ある無しにかかわらず、人を辞めさせたりする時は、みんなそれがあるような気がするんだけどね、僕はね。
  
  また来週。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年7月28日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月28日)
 ・1968年(今から45年前の今日)
  もうビートルズは、グループとして相当後半。
  だから、例えば7〜8年のビートルズのキャリアの中で、やっぱり68年ていうのは、だんだん終わりに向かって行くところなんだけども。
  後半はご存知のとおり、ポール・マッカートニーが、ビジネスマンとしてね、すっごい目覚めて、もう他の3人を引っ張って行くわけです。
  アップルを作ったのも ポール・マッカートニーのアイデアです。

  そして ちょうど45年前の今日、1968年。
  はっきり言って ロンドンだって暑いですよね。
  で、暑い夏の一日、グループを引っぱりまわして、おそらくポール・マッカートニーが引っぱりまわしているんだと思いますけど。
  ビートルズの宣伝のイメージ写真を撮っています。
  この日は ちなみに「マッドデイ(Mad Day)」「大変な日」「強烈な日」「すっげえ日」「おかしな日」みたいなね
  Madですからね「MadDay」ということで、いろ〜んなロンドンの場所で撮影しています。引っぱり回して。
  で、この時、この日一日に撮った写真の量はマトモじゃない ですよね。
  中でも、ビートルズのスタッフなんかも写ったりしているんですけれども。
  オノ・ヨーコも参加していた。
  それから、ポールの、ちょっと何番目かの恋人のフランシー・シュワルツ(Francie Schwartz)この人も参加していたっていうから、
  まあ、「関係者 みんな集まれ!」w「今日は仕事も兼ねて、ロンドンでいろんな所で撮影して回るから」
  っていうセッションだった ものと思われます。
  で、この時点でのナンバーワンはですね「Lady Madona」なんだけど、「Lady Madona」が問題ですよ。
  ニュー・ミュージカル・エクスプレスという週刊音楽新聞では、2週連続1位だったんだけども。
  メロディ・メーカー、今は無い、その当時NMEのニュー・ミュージカル・エクスプレスのライバルだった メロディ・メーカーだと
  1位にならなかったわけですね。
  で、チャートでのシングルの連続ナンバーワン記録が15枚で途切れてしまう。
  アメリカでも、ビルボードで4位という結果に終わりました。
  それは、アメリカの場合はですね、オーティス・レディング(Otis Redding)の「The Dock Of The Bay」ていうオーティスの遺作ですね。
  これが、いたんでビートルズは1位になれなかった。
  だから、1968年になるとビートルズの神通力が少々萎えて来たのかな?ていう時期ですね。
  改めて 聴いてみましょうか。Lady Madona!
  
  〜 The Beatles / Lady Madonna
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VfthrizXKOM

  (小林)ポール独特の、ユーモアのある描写がある曲なんですけどもね。
  これが、もうほんとうに ドカン!とナンバーワンじゃなかった、という。
  ビートルズ Lady Madonna
□ストーリー
 ・「なんだよ!どうして今日練習があったこと、教えてくれなかったんだよ!
  もしかして、みんな、俺をバンドから追い出そうっていうのか?上等だよ。
  だったら 面と向かって そう言えばいいじゃないか。
  ジョン!おまえリーダーだろ?逃げるなんて ズルいぞ!
  それに、ポール。お前がバンドに入ってから ロクなことがない。
  いったい、何なんだ!お前は!」

  こう怒りまくっているのは、リバプールの高校生が集まって結成した、自称ロックンロールバンド=ザ・クォーリメンのギター担当
  エリック・グリフィス。バンドのオリジナルメンバー。
  ジョンと呼ばれているリーダーの少年のフルネームは、もちろんジョン・ウィンストン・レノン。
  この数年後 ビートルズのリーダーとして ロックの世界で頂点も頂点、そのまた天辺に登りつめることになる、あのジョン・レノンである。
  そして、ポールとはもちろん、音楽的な意味で ずっとビートルズを引っ張って行くことになるポール・マッカートニー。

  このクォーリメンのメンバー間におけるギクシャクとした関係は ポールが加入してから始まった。
  まず、それまでのメンバーとポールとでは、演奏力や音楽に関する知識において あまりに違いがあった。
  ストレートに言うと、ジョンを始めとするメンバーは「ドヘタの素人」であり、ポールは「超上手かった」のである。
  もちろん ポールには野心があった。
  まだ高校生ではあったが、もっともっと練習してレパートリーも増やして、音楽でロックンロールでお金を稼ぎたい。
  つまり、プロのミュージシャンになりたい、と思っていたのである。
  そのためには、「未熟で才能も無さそうなメンバーには、すぐに辞めてもらいたい」と真剣に思っていた。
  それに、ジョージがギタリストとして加入したこともあり、ギタリストはダブついている。

  そんな状態で ポールはこう言った。
  「エリック、悪いんだけど、俺たちは遊びでやっているわけじゃない。
  絶対にプロのバンドになりたいんだ。
  君とは、これでお別れだ。今まで どうもありがとう」
  〜 Paul McCartney / She Said Yeah
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4WB7VwezdTg

  〜 Paul McCartney & Carl Perkins / Get It
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0i0eE01oRrw

  (小林)ポール・マッカートニーが2曲続いています。

  今、この Get Itっていうのはですね、「Tug Of War」のアルバムに入っている。
  カール・パーキンスという「Blue Suede Shoes」なんかを作った、ビートルズが一番先に好きになったロックンローラーの一人であります。
  それと一緒にやっているから、なんとなく懐かしい感じで。
  でも、ポール・マッカートニーの歌い方もちょっと違いますよね。
  まるで役者が違うキャラクター演るみたいですよね。

  その前の She Said Yeahなんてのは、やっぱりポール・マッカートニー ぜんぜん違ってたでしょう。
  これは1999年になって発表した、ラリー・ウィリアムス(Larry Williams)と言う人のね。
  ラリー・ウィリアムスの曲 けっこうカバーしてるんですよ。
  ストーンズもこの曲をカバーしておりました。
  She Said Yeah、そして今の Get It。
□ストーリー(続き)
 ・「なあジョン、エリックには少し可哀想な事をしたけど、おれはこれで良かったと思うんだ。
  クォーリメンは次の段階にレベルアップしなきゃいけない。
  そのためには リーダーの君と やはりおれが頑張らないといけないよね。
  ジョン、よろしく頼むぜ」

  この とても15歳の高校生とは思えない、しっかりとした信念と上昇志向を持った発言をしているのは、ポール・マッカートニー。
  この数年後には、ビートルズの音楽的リーダーとして世界制覇を果たすことになる、ロックの世界における最重要人物であり
  間違いなく「ロックの世界遺産」になるであろう ポール・マッカートニーである。
  ポールのこの「本気発言」に 2つ年上であるクォーリメンのリーダー=ジョン・レノンは 正直ビビッていた。
  改めて考えてみると、自分はロックに対して ポールほど真剣に取り組んではいなかったことに気付かされた。
  そして ポールに尻を叩かれ、心を入れ替えようと決意をした。
  こうなってくると、もちろん またあの問題が再浮上してくる。
  ジョンと育ての親であるミミ伯母さんとの間が ますます険悪になっていたのである。

  ジョンが地元であるリバプール市から奨学金をもらう資格が取れるまでの一年間は、ミミがアートカレッジの学費を出さなくてはならない。
  したがって彼女にすれば、ジョンの服装や くだらない音楽や それに伴って集まって来る不良仲間との関係について、もっと口を挟んでもいいだろう
  と考えるようになっていた。
  ミミはそれほど ジョンが真っ当な大人になって欲しいと、責任を感じていたのである。
 
  ジョンの親友であるピート・ショットンはこう証言している。
  「ジョンとミミ伯母さんは、しょっちゅう喧嘩をしていたよね。
  それが、すっごいんだよ。
  お互い暴力だけは振るわなかったんだけど、怒り方や口調が まるでそっくりなんだ。
  あれは本当の親子以上だね。
  本当に 瓜二つだったよ。
  驚いたねえ、あれには」
  〜 John Lennon / Instant Karma
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EqP3wT5lpa4

  〜 John Lennon / Jealous Guy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=DzhyKn1ThpU

  (小林)今度はジョン・レノンの世界 2曲つながりました。

  Jealous Guy (2曲目)有名な曲です。「Imagine」に入っているやつで。
  プロデューサーがジョン・レノン、オノ・ヨーコ、フィル・スペクター、となっています。
  これは、ロキシーミュージックのブライアン・フェリー(Bryan Ferry)やダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway)がカバーした名曲。

  で、その前(1曲目)は、1970年のジョン・レノン。
  もうビートルズが解散したあとのジョン・レノン。
  もうその日に作って、その日に録音して、10日後ぐらいにはレコードになったと言いますから、すっごいですよね。
  すごい勢いですよね。
  これ聴いて「Instant Karma」ていう「We all shine on Instant Karma」
  これ有名な曲は、ポールたちと作ったビートルズの世界じゃないですよね。
  もう100%ジョン・レノンの世界ていう感じがします。
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンとミミ伯母さんは しょっちゅう喧嘩してたね。
  すっごいんだよ。
  お互い暴力だけは振るわなかったけど、怒り方や口調が まるでそっくりなんだ。
  あれは本当の親子以上だね。
  本当に 瓜二つだった。
  驚いたねえ、あれは」
  これは ジョン・レノンがリバプールのクォーリバンク・グラマースクールの学生だった時代からの悪友=ピート・ショットンの証言。

  ジョンの母親=ジュリアは出産後すぐに育児放棄をしたため、
  不憫に思った実の姉つまりジョンの叔母さんにあたるミミが母親代わりになることを宣言し、
  以来 ジョンを厳しく躾け育てていた。
  責任感がとても強く、愛情あふれる女性であった。
  このミミの厳しさと 時折見せる辛辣な態度の裏には
  「こうやって可愛がっていても、ジョンもいつかはこの家を出て行ってしまうんだ」
  という不安や寂しさがあった。
  自分が母親の代用に過ぎないこと、そして 妹ジュリアの代役でしかないことを、彼女はよく理解していた。

  そしてティーンエイジャーになったジョンは、そのミミの複雑な気持ちを上手く利用するようになった。
  リバプールのメンディプスという地域にあるミミの家で、伯母さんに叱られ大喧嘩になると ジョンは逆切れして家を飛び出した。
  向かう先は、同じリバプール市内のスプリングウッドにある 実の母親ジュリアの家で。
  ジョンはここに数日滞在し、ミミの家には帰らなかった。
  いや、数日どころではない、時には数週間に及ぶこともあった。
  ジュリアといっしょにいれば、いつでも気楽に過ごすことができた。
  実の息子であるジョンを育てることを放棄し、勝手気ままに生きてきたジュリアは ジョンを心底可愛がった。

  しかし その愛情は 母親としては少し間違っていた。
  ジョンがいくら怠け者であっても、ジュリアはけっして叱ったりしなかったのである。
  彼女はジョンを出来る限り甘やかし、ミミに知られたら確実に反対されるような服も買い与えた。
  そこには、どうやら普通ではない親子の「ねじれた空気」が流れていたのである。
テスト
  〜 The Beatles / No Reply
  ttps://www.youtube.com/watch?v=TQDMrFuFXGc
 
  〜 The Beatles / Julia
  ttps://www.youtube.com/watch?v=knhZoMQJtpE

  (小林)これは1968年のあの「ホワイトアルバム(THE BEATLES)」に入っている Julia。
  もちろん お母さんの名前。
  このホワイトアルバムはね、ビートルズが全員がインドに行って。
  ホワイトアルバムのほとんどは、このインドで書かれたって言われてるぐらいですけれども。
  そこに一緒に行っていたのが、一時期「イギリスのボブ・ディラン」と言われたドノバン(Donavon)も一緒に行っててね、精神修行のために。
  で、ヒマだからドノバンにギターのフィンガーピッキングを習って。
  それで、習ったついでに、と言うとおかしいですけど、そのスタイルで奏ってるわけですね。
  でも、今日やった「Jealous Guy」あれはけっこうあれでしょ、ジョン・レノンの甘さみたいな感傷的なの入ってたでしょ。
  この Julia ていう曲は すっごい醒めてるよね。
  これがやっぱり ジョン・レノンの特徴ですよね。
  こういう 音楽の世界を創れるんですよね。
  
  その前は、ビートルズの64年 No Reply。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールアドレスは [email protected]

  (江戸川区/女性)
  東京ドームにヴァン・ヘイレン(Van Halen)を見に行きました。  (小林)行きましたかあ。
  ほんとに来るのか?、ドームは音が悪いのではないか?
  次々心配事が出てきましたが
  行ってみたら 素晴らしく良かったです。
                   (小林)ドームなんかもねえ、音のエンジニアたちが征服するようになりましたね。
                       最初はドームもね、ちょっと悪い所があったんですが。
                       ヴァン・ヘイレンがドームを馴らしました。
  Jump、Panama、なんかはラジオでよくかかるので、
  今回演奏した ハーモニーが良い曲をお願いします。
  
  (小林)じゃあ、(あなた)のリクエストに応えまして Women In Love。

  〜 Van Halen / Women In Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iofxm92XcMI
  〜 The Beatles / I Saw Her Standing There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3reG20qs1AQ

  (木更津市/男性)
  日曜日の夕方6時に お世話になっている者です。  (小林)いいねえw 入り方が、恐る恐る入って来ていますねw。
  いつもリクエストしようと思いながら、
  億劫なもので、ようやく今パソコンに向かっている次第です。
  さて、番組ではジョンとポールが出会い、
  いよいよクォーリメンからシルヴァビートルズ、そしてビートルズへと階段を上がって行くところですが。
  毎週ワクワクして聴いています。
  今やスーパースターのポール、そしてジョンの若かりし頃の情景が手に取るように感じることが出来ます。
  どこにもいそうな青年たちが、そのエネルギーを持って全世界に駆け出して行く。
  それも、自分たちの音楽をひっ提げて。
  なんと素晴らしいんでしょう。
  いつまで経っても ビートルズは憧れの存在です。
  リクエストはデビューアルバムの1曲目をお願いします。
  ジョンのシャウトが最高です。
  小林さんの渋い声を聴かせてくださいね、いつまでも。

  (小林)ありがとうございますw。
  (美浜区/男性)
  私はビートルズ歴20年を過ぎるまで、同年代のビートルズファンに会ったことがありませんでした。
  ところが、去年から同じ職場に来た 2歳上のKさんと昼食を摂っていると、
  Kさんが「普段どんな音楽聴いてるんですか?」と訊くので、内心「この話題は長く続かないんだよなあ・・・」と思いながら
  「ビートルズなんか 好きでよく聞いています」と答えると、 
  いきなり、両手を握られ 「私の血はビートルズで出来ています!」と真顔で言うではありませんか。
  それ以来、いろんなCDを貸してくれるのですが、どれも自分では選ばなかったであろうものばかりなので、
  だんだん世界が広がっている気がします。
  リクエストは、これまで貸してもらったレコードの中から・・・。

  (小林)ていうことで、
  なかなかいい人と出会いましたね。(あなたは)ねえ。
  でも、ちょっと違っている趣味で、かえって自分の視野だとかテイストが広がっていると。
  そうですか、こんなのが聴かなかったんだけどw、今は気に入っているんですか。
  と言っても 古いですけども。
  
  〜 Pilot / Magic
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4iiryJwvDtc
  〜 The Beatles / I'll Cry Instead
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EdT324yoQcs

  (小林)というわけで I'll Cry Instead
  「あ、これ初めて聴くよ」って思われてる方、そうだと思いますよ。
  けっこう(この)番組でかからないですからね。

  (木更津市/男性)60代
  「A HARD DAY'S NIGHT」のアルバムを購入したのが1964年、14歳の時。
  中学と高校の時はA面ばかりを聴いていた。    (小林)LPのねw。
  二十歳を過ぎたころから ほとんどB面しか聴かなくなりました。
  B面の1曲目の「Eight Days A Week」とA面の「If I Feel」を入れ替えれば よりB面は完璧になるんですが。
  それは僕のワガママでしょうか?。
  このレコードは49年に渡り、僕のレコードプレーヤーに載り続けているんですが。
  僕の聴き続けているビートルズの音源は、全てアナログ盤です。
  このLPは例の赤い色で、ライナーノーツは なんと高崎一郎さんが書いています。
  内容は他愛のないものなんですが。 すみません。
  当時のビートルズは、ミュージシャンというよりアイドルとして扱われていたことが良く判ります。
  今日の僕のリクエストは I'll Cry Instead

  (小林)
  いや、B面の渋さってのは判りますよね。
  「A HARD DAY'S NIGHT」は ちょっとあれ とっぽいから、幼稚だから、やっぱり「If I Feel」にするっていう事もよく判ります。  
  ありがとうございます。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)というわけで、今日はいかがでしたでしょうか?

  ビートルズの話しが そうとう待たれてるってのも分かりましたね。うれしかったですね。
    
  今日のリクエストも、けっこう内容面白いですよね。
  もうビートルズ歴、14歳の時からずーっと ていう方もいらっしゃったり。
  みなさん いろいろほんとにね、5〜6世代ぐらいが聴いてるわけですからねw。
  リクエスト待ってますよ。
  もう いろんな・・・同じようなやつじゃない方が面白いね。
  どんなのが来るか、待っております。
  採用の方にはイシイの(略)
  [email protected]
  こっちで待っています。
35153:2013/08/02(金) 22:13:12.23 ID:???0
いつもお疲れ様です。
>>349
If I Feel→If I Fell ですね
352ホワイトアルバムさん:2013/08/03(土) 13:14:14.29 ID:???0
30年間間違えてた囧rz
>>351
ご指摘 ありがとうございます。
けっこう いい加減なんですw
石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年8月4日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月4日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  もうビートルズは最終アルバム、事実上のラストアルバム「アビイ・ロード(Abbey Road)」のレコーディングに忙しい毎日。
  で、44年前の今日は何をやっているかというと。
  午後からですね「ビコーズ(Because)」ていう曲がありますね、「ビコーズ」のオーバーダビング、
  だから上から被せてコーラスを録ったり、楽器を追加したりとか、そういうやつをやってるわけですね。
  ジョージ・マーティンがプロデューサー。
  でまあ、夕方までかかるわけですね。夕方つうか夜ごはんでしょうかね、そこまでかかって。
  そのあと・・・、それはスタジオ2、いつも使うスタジオですよね。
  
  スタジオ3で、実は ジョージ・ハリスンがプロデューサーとして自分が作った曲、2曲。
  これのラフミックスをやっています。
  ラフミックスというのはですね、いちおう今では「トラックダウン」ていう言葉を使うんですけども。
  今まで録ったやつで「どういう風な曲の姿になるか」ていうのを決めるために、録るわけですよね。
  でもそれを、その最終の音を聴いてね「いやこれは、ストリングスを入れた方が良いだろう」とか、そう云うことを検討するわけですよね。
  まあけっこう 毎日忙しい。
  しかし、ジョージ・ハリスンは、今までね、もう本当に一人前に扱ってもらえなかったんだけども。
  「サムシング(Something)」という傑作を作った。それから「ヒア・カムズ・ザ・サン(Here Comes the Sun)」ていう、とても雰囲気のある曲を作ったていうことで。
  いよいよ認められて、もう“ビートルズが終わり”っていう頃になって、一人前として、大人として認められて、
  プロデュースを担当した、っていうのが、今から44年前の今日であります。
  やっぱり後半になるとね、ジョージ・ハリスンの この頃からの勢いはすごいよね。
  サムシングもそうだし、それが翌年のソロアルバム「オール・シングス・マスト・パス (All Things Must Pass)」
  この中はジョージ・ハリスンの良い曲がいっぱい詰まっています。
  じゃあですね、今日の一曲目として、親友エリック・クラプトン(Eric Clapton)の家で日光浴をしていた時に、この心地の良い・・・。
  これは、ポールとかジョンには無かった、精神世界ってのかな。
  まあ、人によっては「ヒッピーの世界」って言う人もいると思いますけどもw。
  アコースティックのギターのアルペジオが 完全にジョージ・ハリスン節ですけども、モノシンセを使ってるんですよね。
  この曲を聴いてください。太陽が上がって来る。

  〜 The Beatles / Here Comes The Sun
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Bj1AesMfIf8

  (小林)ジョージ・ハリスンの世界ですよね。Here Come The Sun ザ・ビートルズ。
  つまり44年前の今日、スタジオで彼がプロデューサーとして この音を決めている途中だった、ていう。
  で、そのエンジニアの助手が、アラン・パーソンズ(Alan Parsons)ていう。
  80年代に入ってね、「アイ・イン・ザ・スカイ(Eye In The Sky)」とか、どでかいヒットを飛ばすアラン・パーソンズが助手だった、駆け出しだったんですよね、この頃ね。
  「ビートルズから始まる」始まっていますねw、ホントに。
□ストーリー
 ・ジョンを出産すると、すぐに育児を放棄し、自由奔放な人生を歩んでいたジュリア。
  あの、ジョン・レノンの実の母親である。
  彼女の夫、つまりジョンの父親であるフレッドは 大型客船の客室乗務員であり、なかなか陸(おか)には居付かない性分の男であった。
  そんな夫を持つことにも我慢できず、ジュリアは他の男性に走った。
  この状況を見てられなかったのが ジュリアの姉、つまりジョン・レノンにとっては伯母さんに当たるミミ。
  彼女はジョンを引き取って、我が子と同じように育てることにした。
  ミミは妹のジュリアとは正反対で、典型的なイングランド女性。
  いわゆる良妻賢母型の真面目で厳格な性格である。
  このミミ伯母さんは 本名をメアリー・エリザベス・スミスと言い、夫のジョージとの間に子供はいなかった。
  そのせいもあり 引き取った甥っ子のジョンを、我が息子のように手塩にかけて育てていた。
  もちろん可愛がるだけではない。
  彼女はジョンのことを「どこに出しても恥ずかしくない、立派な英国青年」に育て上げようと、その躾(しつけ)においても どの家庭よりも厳しかったのである。
  
  そんなジョンも、高校生ぐらいの年齢になると思春期 そして反抗期を迎える。
  時に伯母さんに叱られ大喧嘩になると、ジョンは逆切れして家を飛び出した。
  向かう先は実の母親ジュリアの家で、ジョンはここに数日、いや時には数週間も滞在し、ミミの家には帰らなかった。
  勝手気ままに生きてきたジョリアは、ジョンを心底可愛がった。
  しかし彼女は可愛がるだけで、教育や躾(しつけ)といったことからは程遠い女性である。
  ここでのジョンは 叱られるということは全くなかった。
  同居しているジュリアの恋人=通称ツイッチーも ジョンにお小遣いをくれた。
  当然、ミミ伯母さんは面白いわけがない。
  実際、彼女は妹であるジュリアとは馬が合わなかった。
  この息苦しい空気、ジョンには良く理解できなかったのである。
  〜 John Lennon / It's So Hard
  ttps://www.youtube.com/watch?v=D4x8Z7CJugM
  ttps://www.youtube.com/watch?v=itaUoVsAqMs(TV Show)
 
  (小林)ジョン・レノンのちょっとハードな It's So Hardという曲です。
□ストーリー(続き)
 ・「僕が思うに、おそらくミミ伯母さんは、
  自分が妹の、つまりジョンのお母さんのジュリアや、時によってはジョンにさえも、 
  利用されている っていう被害妄想に苛(さいな)まれていたんじゃないかなあ。
  実際、急にヒステリックになった時もあったんだから」

  この証言は ジョンの最初のバンド=クォーリメンでベースを担当し
  その後ジョンにとっての「生涯を通じての悪友」となる人物ピート・ショットン。

  このジョン・レノンを最も知る男=ピートの証言をもう少し聴いてみよう。
  「ミミ伯母さんは一時“サリー”とかいう名前の子犬を飼っていたんだけど、
  この子犬を、なぜかジョンは何よりも大切にしていたんだ。
  ジョンは人間に対してより むしろ動物に対する愛情の方が深いんだな、って思わせる部分があってね。
  とにかく、その“サリー”を可愛がっていたんだ。
  ところが ある時、ジョンがジュリアの所へ行って何週間も帰って来なかったことがあって。
  ミミは完全に怒っていた。
  そしてついに、『ジョンが帰って来ないと サリーはお散歩に行けないね』ってことで
  なんと、伯母さんはそのサリーを市のペット保護施設に送ってしまったんだ。
  つまり、サリーは捨てられた っていうわけだ。
  この犬はかなり可愛かったから、施設からすぐに次の飼い主にもらわれて行ったみたいで、もう行方知れずだ。
  それから数週間経って、ジョンはメンローブアベニューにあるミミ伯母さんの家に戻って来た時、あの“可愛いサリー”がいないことに気付いたんだ。
  『ねえ叔母さん、僕の可愛いサリーちゃん 知らない?』 こうジョンが訊くと、
  『ああ、サリーね。あなたが帰って来ないと お散歩にも行けなくて可哀想だから、野良犬の施設にあげちゃったわ。
  もう、次の飼い主にもらわれて行ったみたいね。あの子 可愛かったから・・・』
  ジョンは呆然としていたね。
  サリーがいなくなったことよりも、むしろミミ伯母さんの報復にビックリしていた。
  女の嫉妬、恐いよねえ」
  〜 John Lennon / Aisumasen(I'm Sorry)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xK4WmxLY7nc

  〜 The Beatles / Revolution 1
  ttps://www.youtube.com/watch?v=v8SGICAoBlg

  (小林)1968年「ホワイトアルバム(THE BEATLES)」 Revolution1です。
  「Hey Jude」のシングルのB面に入っていた Revolutionより こっちのバージョン方が先に録られたていう。
  で、これずっと聴いていくと判るんですけど、ジョン・レノンがいろんな歌い方やってるんですよね。
  で、Revolution1では、寝転がって歌った、ていう伝説がある。
  自分の出す声が、いろんな 思うように行かなかった時代なんでしょうね。
  だから、これねコーラスを含めてね 歌い方を変えたりして、そういう楽しみ方もできますから、
  お持ちの方は ひとつまた。

  そしてその前は、「マインドゲームズ(Mind Games)」に入っている、ソロですよ。
  Aisumasen(I'm Sorry) ていう有名な曲。
□ストーリー(続き)
 ・1958年7月15日 火曜日。
  ジョン・レノンの最初のバンド=ザ・クォーリメンの元ベースプレーヤーで、マネージャーに転向したナイジェル・ウォーリーはジョンの家に向かっていた。
  彼はペイルロードの自宅の塀を乗り越えて 近道をして、メンローブアベニューにあるジョンの家を訪ねて行った。
  家の前に来ると、前庭の門のそばで、ミミ伯母さんと彼女の妹でジョンの母親であるジュリアが おしゃべりをしていた。

  すぐにミミがナイジェルに気付き
  「あらナイジェル、こんにちは。せっかくだけど、ジョンはいないのよ。
  あなた、お腹すいていない? 何か食べて行けば?」
  と親切に食事を勧めてくれた。
  「いえ、僕は夕食は家で食べないと。だから、せっかくですが遠慮しときます」
  ナイジェルが丁寧に答えると、ジュリアが言った。
  「日が落ちて来たわ。そろそろ私 帰らないと」
  すると「今日はバス停まで 送らないけど」とミミ伯母さん。
  「だいじょぶよ、心配しないで。じゃあね、また、あした」
  ジュリアはそう言うと バス停に向かって歩き出そうとした。
  ナイジェルはすかさず
  「僕もバス停まで 一緒に行っていいですか?」
  とミミに話し、二人は暖かな夕暮れのメンローブアベニューを広い交差点に向かって歩いて行った。
  
  この日の出来事を ナイジェルは鮮明に覚えている。
  「ジュリアは冗談ばっかり言っていたね。
  ジュリアはいつも会うたびに 新しいジョークを用意していたんだ。
  自分の母親と同じ世代とは思えないぐらい 魅力的で楽しい女性だったよ。」

  ミミの家から200ヤードほど行った所で 二人は別れた。
  ナイジェルは交差点を通り、そのままメンローブアベニューを自宅に向かって歩き。
  ジュリアは道の向かい側にあるバス停を目指して 道路を渡ろうとした。
  最近では使われなくなった昔の路面電車のレールが 薄い生垣の影に隠れるようにして、夕方のラッシュで少し混み合う2車線道路のの真ん中を通っていた。
  ジュリアがその生垣を乗り越えようとした次の瞬間、事件は起こったのである。
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttps://www.youtube.com/watch?v=eeZcI4u0ZQg
 
  (小林)いかがですか? Strawberry Fields Forever。
  この頃は デジタルでは当たり前になってる「ループ」
  これをアナログのテープでループを作って。
  くるくるレコードを回すわけですけど。
  そういう風なのを多用した。
  ビートルズ、Strawberry Fields Forever。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
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  (三郷市/男性)
  ジョージの放送 とても楽しく聴かせていただきました。
  66年生まれの僕がビートルズを聴き始めたのは、
  来日10周年でイギリス・アメリカ・日本の全てのシングルLPが再発された1976年。
  まさに時代はウィングス全盛。
  ジョージ・リンゴが ポール・レノンを凌駕した70年代前半の音楽シーンをリアルタイムで体験することが出来ませんでした。
                           (小林)まあ、ジョージ・リンゴが凌駕した、とは言えないと思いますけどw
                               これ、話すと長くなっちゃうんでw
  当時はジョージのニュースと言えば「盗作裁判、敗訴」の件ぐらい。 
  皮肉っぽくも楽しいプロモは流れていたものの ちょっと寂しいものでした。
  そんな70年代も終わりに近いころ、克也さんのラジオ「ポップタウン・エクスプレス」で特集してくれた「慈愛の輝き」
  美しくリラックスしたジョージならではの名曲の数々が、ビートルズぞっこんだった中学の僕にはとても嬉しかったのを覚えています。
  その時かけてくれた 一曲目「愛は全ての人に」
  これをリクエストお願いします。

  (小林)はい、これ、行きましょう!

  〜 George Harrison / Love Comes To Everyone
  ttps://www.youtube.com/watch?v=AOrTNBKUisw
  〜 Elvis Presley / Something
  ttp://www.youtube.com/watch?v=68FArOHzJw0

  (小林)エルビス・プレスリーがやっています。Something、ジョージの曲のカバーですが。

  (印西市/男性)
  私は1960年生まれですから、ビートルズリアル世代に違いないんですが。
  エルビス・プレスリーの1973年1月14日、ハワイ・インターナショナルホテルのステージを 衛星生中継のテレビで見た瞬間
  「なんじゃ この歌唱力は! ビートルズとはちょっと違う!」とすっかり魅了されてしまったんです。
  それから僅か4年後の夏、日本的に言えば 厄年の42歳で他界した あの日。
  友人と 一日中追悼のためにエルビスナンバーを一日中流すFENを聴きながら。
  時にギターで歌いながら、泣き明かしたものです。
  また、8月16日がやって来ます。
    
  (小林)プレスリーのファンなんですね。
  ビートルズの・・・ 僕らの年代だとねえ、プレスリーのファンつうのは当たり前だと思いますけど。
  面白いですね、(あなた)はね。
  でも、ジョージ・ハリスンの曲が好きなんだねw。
  (江戸川区/女性)
  先週から大好きなジョージ特集、最高に嬉しいです。
  ジョージの哀愁のある声・曲・歌い方・顔 本当に好きです。
  恋してる、かもしれない。いや、してます。  

  (小林)ていうw
  いやあ、良い曲にリクエストくれましたねえ。
  匿名希望の あなたのリクエストで・・・

  〜 The Beatles / Savoytrufull
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zhIVxuC1W8I
  〜 Paul McCartney / Only Our Hearts
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qTaiJPzLYfU

  (小林)スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)が吹いてましたねぇw。
  ポール・マッカートニーの「Kisses On the Bottom」ていうアルバムの中に入っている。
  これは、有名なカバーばっかりを集めたアルバムの中に入っている ポールのオリジナルですね。
  Only Our Heartsという曲なんですが。

  (新宿区/女性)
  もうずいぶん前に買った本を見ていたら、「Postcards from the Boys」という
  ポール、ジョン、ジョージがリンゴに宛てて送ったポストカード集 の紹介の記事が見つかりました。
  表紙はリンゴを除いた、たぶんデビューの頃の3人の顔の写真が、絵か写真で。
  それを見た私は、直感で「兄弟みたい」と思ったんです。
  この前のリクエストの中で、メンバーの顔の見分けがつかない自分に、お父さんが名前を教えてくれた、という方がいましたが。
  その表紙の3人は顔立ちだけでなく、トーンまで似ていて、どこか「兄弟だったのかな?」と思うぐらいです。
  この番組で 私の知らないビートルズの曲がいろいろ聴けるのが嬉しいんですが。
  いいなあ、と思うとタイトルをササッとメモするんですが、笑っちゃうぐらい私はヒアリングが出来ないんです。(小林)ていうw
  聴いたことがバラバラになっちゃって、ああァ・・・、です。
  (小林)
  ゆっくり聴いてね。だいたいタイトルは 曲の中で繰り返されますから。
  それ、慣れてくると すぐだよw。だいじょぶだよ。
  どうも リクエストありがとう。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?

  ストーリーの方は ですね。
  情景描写もちょっと丁寧に。
  「おやおや?、いつもと違うな?」っていう。
  で、ちょっと 途切れてしまいましたが。
  あの続きは 来週。
  だから、ファンの方はもう分かってると思うんですよ。
  何が起きたか。
  で、知らない方も、だいたい「おや? 何か起きるんだ」ていうことでw
  来週、聴いてくださいねw。
  来週まで持たせたりしてw。
  
  リクエスト、とてもいろんな種類のリクエストが来ていて、全部楽しんでいます。
  もう、自分の色を出したリクエストを待っています。
  
  採用の方にはイシイの(略)
  [email protected]
  ここで待ってます。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
 2013年8月11日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月11日)
 ・1964年(今から49年前の今日)
  あの年です。ビートルズが一番有名になった年。
  この日 例のスタジオ2、第二スタジオでは、レコーディングが夜の7時から夜中ちょっと前まで行われていました。
  で、何をやっていたかというと。49年前の今日は「Baby's in Black」という。
  初期はビートルズは よくこの曲をライブでやったようですが。この曲をやっています。
  で、この曲は自分たちのオリジナルで、14回、14回w録ってるわけですね。自分たちのオリジナル。
  プロデューサーはもちろんジョージ・マーティンで、エンジニアはノーマン・スミスというベテランが担当して。
  この「Beatles For Sale」のアルバムに入っている この曲なんですけども、
  「A Hard Day's Night」のアルバムが その前なんだよね。
  「A Hard Day's Night」のアルバムは全部ジョンとポールのオリジナルばっかりだったんだけども。
  この「Beatles For Sale」は「Baby's in Black」を始めとして オリジナルは8曲。
  アルバムは14曲入ってるんですけども、あと6曲はカバーです。

  で、これに関しては まあいろいろあって。
  「ビートルズは忙しすぎた。世界的にブレイクして」 アメリカツアー、それからテレビに出たり、映画を撮影したり、
  もうほんとに殺人的なスケジュールだったので「書くヒマが無かった」とする説と。
  やっぱりビートルズはライブをやっていて、本来のロックンロールをやるっていうことの大切さ ていうのを知っていて。
  良い曲をカバーして、かえってビートルズは前に比べると凄味が増した、だから結果的には良かった。
  という まあいろいろな考え方があるようですけど。
  特にこの曲はですね。
  ジョン・レノンの親友の亡くなった、ドイツで亡くなったスチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)の恋人。
  その恋人は、写真家だったわけですね。アストリッド・キルヒャー(Astrid Kirchherr)、これをモデルにした曲であります。
  だから、喪服を着ているわけです。Baby's in Blackていうのはね。
  そういう内容になっています。
  改めて聴いてみましょうか。
  ビートルズが好んで演奏した。東京でも武道館でもやっています。 

  〜 The Beatles / Baby's in Black
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rVYuGVdGhhE

  (小林)Baby's in Black ロッカバラードになっていますよね。
  3連の いわゆる昔のロッカバラード、ていう典型的なものになっていますけど。
  やっぱりジョン・レノンの存在がすごい、
  でもこれは あれだよね、ジョンの親友のスチュアート・サトクリフに捧げた っていうよりも。
  アストリッド・キルヒャーていう彼女が いかにいい女だったかっていうのが、ちょっと伝わってくるような感じがします。
  この歌の中ではあれだもんね、恋人が俺に見向きもしないよ、っていう。
  彼の事ばかり思っちゃってるから、彼が亡くなって帰って来ないのに喪服を着てる っていう、そういう歌だからねw
□ストーリー
 ・1958年7月15日。
  ジョンとポールの最初のバンド=ザ・クォーリメンのマネージャーをやっていた仲間のナイジェル・ウォーリーは
  次のライブの打ち合わせをしようと、
  メンローブアベニューにあるジョンの家、正確に言うとジョンの育ての親=ミミ伯母さんの家を訪ねた。
  すると、家の前ではミミ伯母さんと彼女の妹で ジョンの実の母親であるジュリアがおしゃべりをしていた。
  「あらぁ、ナイジェルじゃない?。ジョンはまだ帰って来てないのよ。
  良かったら、何か食べて行かない? お腹空いてるでしょ?」
  ミミのこの親切な誘いに
  「ありがとうございます。でも、せっかくですが夕食は家で食べることになっているので」
  とナイジェルが答えた。
  すると「じゃあもう暗くなってくるし、私も帰ろうかしら?」とジュリア。
  もちろん 顔なじみであったナイジェルは ジュリアにこう言った。
  「僕もバス停まで一緒に行っていいですか?」
  二人は暖かな夕暮れのメンローブアベニューを広い交差点に向かって歩いて行った。

  この日の出来事を ナイジェルは鮮明に覚えている。
  「ジュリアは冗談ばかり言っていたね。
  ジュリアはいつも合うたびに 新しいジョークを用意していたんだ。
  自分の母親と同じ世代とは思えないほど 魅力的で楽しい女性だったよ。」

  ミミの家から200ヤードほど行った所で二人は別れた。
  ナイジェルは交差点を渡り、そのままメンローブアベニューを自宅へ向かって歩き、
  ジュリアは道の向かい側にあるバス停を目指して 道路を渡ろうとした。
  昨今では使われなくなった昔の路面電車のレールが 薄い生垣の影に隠れるようにして、夕方のラッシュで少し混み合う2車線道路の真ん中を通っていた。
  ジュリアがその生垣を乗り越えようとした次の瞬間、事件は起こったのである。
  〜 The Beatles / If I fell
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8ld7diQ61Ik

  〜 The Beatles / You've Got to Hide Your Love Away
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LyeDs6NJBNY
 
  (小林)
  「A HARD DAYS NIGHT」のアルバムから If I fell。

  そして You've Got to Hide Your Love Away。
  ボブ・ディランしてるジョン・レノン。
  2曲続きました。
□ストーリー(続き)
 ・ジョンの家、正確に言うと ジョンの育ての親であるミミ伯母さんの家を訪ねたのは、
  ザ・クォーリメンのマネージャー=ナイジェル・ウォーリー。
  ナイジェルはジョンの留守を知らされると、たまたま居合わせたジョンの実の母親ジュリアと一緒に 家に帰ることになった。
  ミミの家から200ヤードほど行った所で、二人は別れている。
  ナイジェルは交差点を渡り、そのままメンローブアベニューを自宅へ向かって歩き。
  ジュリアは道の向かい側にあるバス停を目指して 道路を渡ろうとした。
  昨今では使われなくなった昔の路面電車のレールが、薄い生垣の影に隠れるようにして、
  夕方のラッシュで少し混み合う2車線道路の真ん中を通っていた。
  
  ジュリアが その生垣を乗り越えて南向き車線に入った その時、
  一台の車が突然、黄昏時の暗がりの中から現われて、車線の内側に反れ 突っこんで来た。
  反対側にいたナイジェルは 悲鳴のようにも聞こえたブレーキの音を耳にして振り返った。
  その瞬間、宙に放り出されるジュリアの姿を目にした。

  ナイジェルはこうふり返る。
  「いまだに、あの光景がまざまざと浮かんでくる。
  そしていつも思うんだ。
  もしあそこで僕が、あとひと言でも話しかけていたら、ほんの短い言葉でも口にしていたら、
  ジュリアは、ジョンのお母さんは助かったかもしれないってね。」
  
  その事故は、正にジョンがそれまでに見てきた あらゆるメロドラマのパロディのようだった。
  警官が一人、その時ジョンがいたスプリングウッドのジュリアの家の勝手口にやって来て
  「君がジュリアの息子かね?」と尋ねた。
  この出来事がコメディそのものではないか、という感覚は、病院に向かうタクシーの中でも続いた。
  この時ジョンは思った「悲劇と喜劇は、表裏一体である」ということを。
  〜 John Lennon / Out The Blue
  ttps://www.youtube.com/watch?v=FJSMvVyRVZ0

  (小林)ジョン・レノン、ソロになっています。
  1973年です。「マインドゲームス(Mind Games)」のアルバムです。
  なかなか良い曲ですね。
  突然、Out The Blue。
□ストーリー(続き)
 ・1958年7月15日、夕刻。
  ジョンの実の母親ジュリアの住むスプリングウッドの家を 一人の警官が訪ねて来た。
  この時ジョンは、たまたまここに居合わせていた。
  警官はジョンに言った「君がジュリアさんの息子のジョン君かね? 実はさっきお母さんが車にはねられた。
  すぐにセフトン総合病院に来てもらえますか?」
  あまりの突然の出来事に、ジョンはどう反応していいか判らなかった。

  そこにはジュリアのパートナーで ジョンの義理の父親とも言える通称トゥイッチーも同居していたため、二人はすぐにタクシーで病院に向かった。
  ジョンは思った「これって本当のことか?。なんか、昼間にテレビでやってるメロドラマみたいじゃないか?
  間違いなく悲しい事件のはずなのに、なんか 悲しくないぞ。
  現実味が無い っていうのは いったいどういうことだ?」
  ジョンのこの感覚は、タクシーで病院に向かっている間も、病院で待っている人々の顔を見た時もずっと続いた。
  ジュリアのパートナーであるトゥイッチーは、あまりに突然訪れた悲しい出来事にショックを受け、嘆き悲しんでいる。
  「これから、俺と子供たちはどうなるんだ?」そう思うとトゥイッチーは不安で、どうにかなりそうなぐらい取り乱していた。
  ジョンは、さらに不思議な感覚に襲われた。
  そして、はっきりとこう言った「ああ、やっぱり母さんは俺のものじゃなくて、今まで母さんが愛した男たちのものだったんだ」
  悲しみは 何週間も消えることはなかった。
  
  事故の当時、ジュリアをはねた車を運転していたのは、非番の警察官。
  皮肉なことに、ジョンの悪友で一年前まではクォーリメンのメンバーだったピート・ショットンが
  警察学校から派遣されて、この事故に関する逮捕状を作成した。
  しかし、運転していた警官は裁判を受けたが、判決は無罪放免。
  あまりに悲しく虚しい出来事であった。
  〜 John Lennon / How?
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Wq7jLEnZw6s

  〜 John Lennon / Just Because
  ttps://www.youtube.com/watch?v=nIaxOb-jLQY
 
  (小林)ジョン・レノンの Just Because。これはカバーです。
  正確に言うと1975年のあの「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」の。
  ロサンゼルスでジョン・レノンが、部分的にはフィル・スペクターと一緒にやったアルバムの最後に入ってるやつですよ。
  バディ・ホリー(Buddy Holly)の曲だとか、ジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)の曲だとか、
  有名なジョンが大好きなロックンロールがずーっと並んでるんですけども。
  最後はやっぱりラジオの番組のお別れみたいな感じで、これがそのアルバムの最後に入っている曲。
  
  そしてその前の、How? っていう曲は。
  1971年の「イマジン(Imagine)」に入っています。
  やっぱり ジョン・レノンね、それからポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ、みんなソロになりますけども。
  ジョンが やっぱり こうやって考えると、
  曲を聴いてしみじみ感じるんだけど、一番マジメだねえ。真面目なシリアスな性格なんだよね。
  だから シリアスを突き詰めると、お母さんが亡くなっても なんかちょっと悲しみばっかりに溺れないっていう。
  なんていうんですかねえ、独特の気分が味わえるんじゃないか。
  いつも真面目過ぎるんだよね、ジョン・レノンは。
このスレも約490KBとなりました。
そろそろ書き込みが出来なくなりそうです。
リクエストまで入るか・・・落ちるか。
次スレを立てられたら またお会いしましょう。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてプレゼントしています。

  (八千代市/男性)
  最近おいらにとって ビッグニュースが飛び込んできました。
  それは皆さんも承知のとおり、サザン・オールスターズが活動再開という 眠気もぶっ飛ぶニュース。
  無期限活動休止を聞いた5年前は ショックで仕事が手につきませんでしたが、
  今日は まさに逆に、うれしくて仕事できません。
  休止中、桑田さんの御病気があり、どうなることかと心配しましたが、見事克服、復活してくれました。
  ビートルズの楽曲同様 サザンの楽曲もいろんな場面のBGMになっていますが。
  これからも いろいろなラブソングを作ってくれることでしょう。
  長くなりましたが、リクエストはビートルズではありませんが。
  サザンで「ピースとハイライト」というニューシングルをお願いします。
  (小林)じゃあ(あなたの)リクエストに応えて「ピースとハイライト」

  〜 サザン・オールスターズ / ピースとハイライト
  ttps://www.youtube.com/watch?v=o6Z4moYogto
  〜 Paul McCartney & Wings / Jet
  ttps://www.youtube.com/watch?v=M8V1nFCP058

  (小林)というわけで
  「Band onThe Run」からポール・マッカートニーとウィングスの Jet。お送りしました。

  (豊島区/男性)
  いやあ、ポール来日決まりましたねえ。
  その前に、某局の某ホームページでスクープがあって、誤報かと騒がれたり(笑)
  小林さんがお詫びする羽目になるか とハラハラしていました。
  ポールご本人の 声とか体力とか いろいろ言われておりますが、
  小林さんと同い年なら・・・               (小林)同い年じゃないですよ。一つ下なんだよね。
  生きている歴史ですよね。
  絶対に見たいです。
  取りあえず応募しました。当たるかなあ。
  リクエストはJet。

  (小林)ということで。
  あのスクープみたいなの、ちょっと騒ぎがあったの知ってるってのは(あなた)は詳しいねえ。いろいろね。
  あのねえ、スタッフの間でちょっとね、何も知らないスタッフなんですよね。
  フライングがあって、ちょっと漏れた みたいな事があったんですけど。
  まあ、その代わりに お伝えしましょう。
  ポールが来た時はねえ。
  新しいカミさんの誕生日が 実はコンサートとコンサートの間 なんですよ。w
  で、その日は一日休んで、カミさんのためのパーティをやるって。
  ほんとはコンサートも行きたいけど、パーティも出てみたいねw。
  そんな感じがするんですが。
  (船橋市/男性)
  克也さんは広島出身なんですねえ。知りませんでした。
  やっぱりお好み焼きにはうるさいんですか?
                     (小林)いや、僕はもうね、広島といっても広島市の反対側なんですよ。
                         だから、僕は個人的には「広島風お好み焼き」が 実はあんまり得意じゃないんでw
                         苦手なんですよw
  ところで、この暑さで、
  サイケデリックでエキセントリックなカレーを作って食べようと思うんですが。
  何を入れたら サイケデリックでエキセントリックなカレーが出来ると思いますか?
  (小林)
  カレーはねえ 僕もうるさくないですけど。
  たとえば、昔だったら考えられないような茄子だとか、いろんなものも全部カレーがカレー味にしちゃうんで。
  出来る限り、今まで みんなが入れたことが無いようなものをw 入れても面白いかもわかんないw
  (あなた)は ちなみに「リボルバー(Revolver)」が大好きみたいですね。
  リボルバーが好きな人は、本当のビートルズファンです。
  これはまあ、説明すると一時間以上かかりますけど。
  「リボルバー」からですね、Love You to!

  〜 The Beatles / Love You to
  ttps://www.youtube.com/watch?v=g4l_ISKgu1I
  〜 The Ventures / Caravan
  ttps://www.youtube.com/watch?v=R9EAwLwho7o

  (小林)ベンチャーズ(The Ventures)がかかりましたよw。

  (埼玉県白岡市/男性)
  ビートルズじゃありませんが。
  去る7月20日、隣の町に あのベンチャーズがやって来て、チャンスと思い見に出かけました。
                            (小林)いいね。隣の町に来るっていうのはwすごいね。
                                さすがベンチャーズ、日本の夏にはベンチャーズ。
  名実共にレジェンドの彼らが、レイ・チャールズ(Ray Charles)の「What'd I say」をプレイした時に
  ビートルズがいたキャバーンの空気を感じたのは、僕の気のせいも多分にありますが。
  やはり当時を生で知っていたからだと思います。
  克也さんが某公共放送でテーマに使っていた「Walk-Don't Run」か「Caravan」どちらかを。
  (小林)ていう。
  いやあ、これはあれですよねえ、亡くなったドラムスのメル・テイラー(Mel Taylor)が延々とドラムソロをやって、
  床を叩いたり マイクを叩いたりして 皆を喜ばせてサービスするやつですよね。
  今は息子のリオン・テイラー(Leon Taylor)が、親父の後を継いで 同じようなことをやってる、ていう話しを聞きましたけどね。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)ということで、今日はいかがでしたでしょうか?

  ストーリーの方は、ジョン・レノンのお母さんが警官の無謀な運転で亡くなるという話し。
  
  で、リクエスト。
  今日はリクエスト、特に言わなかったですけど。
  みんな、しっかり音楽に入り込んでいる人たちの、まあ言わば「ベテランリスナー」たちのリクエスト。
  ベテランばっかりじゃなくて 新人も募集しております。
  もうほんとに ワガママにリクエストくださいよ。
  [email protected]
  こちらで待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年8月18日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月18日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  「サマー・オブ・ラブ」と言われる年、「サイケデリック元年」みたいな年。
  ビートルズが「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」を出した年ですけども。
  今から46年前の今日、イギリスで「We Love You」というシングルが、ローリングストーンズ(The Rolling Stones)のシングルが出ます。
  なぜ、ローリングストーンズのシングルの話しをするかというと、バックボーカルにジョンとポールが入ってるんです。
  ロック史上 ローリングストーンズとビートルズは、未だに、双璧と言われる、二大巨頭と言われるバンドですよね。
  片やビートルズは とっくに解散して、ストーンズは 未だに「ロック史上最古の現役バンド」と言われていますけれども。
  でもやっぱり ビートルズがずーっと先を行って、ローリングストーンズのミックジャガー達がけっこうビートルズを追いかける、みたいな構図で。
  その間 けっこう仲が良かったみたいですよね。いろんな付き合いをしているからね。
  ストーンズの2枚目のシングルっていうのは、ほら、ストーンズがオリジナルを書かないていうことで、
  ストーンズが出ていたライブハウスの楽屋で、ジョンとポールが10分で。
  「ほらこれ、やったら?」っていうんで、「I Wanna Be Your Man」。
  ビートルズはリンゴ・スターが歌ったんですけど。
  軽く ビートルズが書いてあげたり。
  あと、ローリングストーンズは めちゃくちゃでかくなって、その後、談合が行われるんですよね。
  自分たちの お互いのシングルは、同じ日に出すとぶつかり合うので、微妙に日付をずらしたりしました。
  それから、「All You Need Is Love」が、全世界で生放送になった時、ミックとキースが(スタジオに)居たり、とかね。
  また、ストーンズがニューアルバムの新作パーティをやってる時に、
  ポールが行って「Hey Jude」ってのが「これが俺の新曲だ!」ってかけて、
  「Hey Jude」が受け過ぎて「お呼びでない!」っていう。
  まあ、いろんなことがあって。
  仲が良かったけど、そんなに、どうなんだろうね、本当の親友じゃ無かったような・・・、じゃないでしょうかね。
  
  「We Love You」に戻しますと。
  46年前の今日出た「We Love You」。
  この頃は 本当にサイケデリック真っ盛りで、ビートルズが「サージェント・ペパー」を出すわけです。
  で、ローリングストーンズはショックを受けるわけですね。
  「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」というタイトルに ちょっと似てるような
  「Their Satanic Majesties Request」という アルバムを半年遅れで出すんですよね。
  だけど、ビートルズみたいに、「サージェント」みたいに評価はされなかった。
  ちょっとビートルズ・・・。
  これがおそらくローリングストーンズがビートルズを追っかけて、ビートルズをちょっと真似っこした最後じゃないか、と思われるんですが。
  そのアルバムからのシングルであります。
  あんまりヒットはしなかった、ローリングストーンズの We Love You

  〜 The Rolling Stones / We Love You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Zrq3VEDncvU

  (小林)ローリングストーンズの We Love You。 
  このバックのコーラスに、ジョンとポールが入っていたという。
  ビートルズを追っかけていたローリングストーンズ。
  だけど、ビートルズのサージェントも なかなか、もうロックの最高のアルバムと評されたりするわけですけども。
  それに負けないような努力の跡がうかがわれる。
  がんばってたねえ、ローリングストーンズものえ。
  ビートルズがいたから ストーンズもがんばれたんだろうねえ。